日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

テレビで紹介されたコクトーのステンドグラス

2019-11-28 | Jean Cocteau

今晩のBS日テレ「大人のヨーロッパ街歩き」(20:00~)は
フランス・メッスへの旅。

ジャン・コクトーがデザインしたメッスのサン・マクシマン教会のステンドグラスは
コクトーが亡くなる前年の1962年に製作された。



青を基調とした色彩でコクトーらしく独創的なデザイン。
ステンドグラスは聖書からモチーフを選ばれることが多いが
コクトーは鳩、アフリカ風の仮面や蛇、植物などで教会を飾った。






サン・マクシマン教会



こくとーならではのユニークで独創的なデザインで仕上げられたステンドグラスだが
平和の象徴である鳩、生命の意味を持つ蛇や、太陽なども配置し
ここで礼拝する人の平安を願うコクトーの心情が込められているようだった。


宮沢賢治展 山梨県立文学館

2019-11-27 | book

今月の24日までだった宮沢賢治展へ行ってきた。
詩人、童話作家、そして「雨ニモマケズ」で知られる賢治の世界観を
時代を追って知る展示会だった。



1896年(明治29)、岩手の稗貫(ひえぬき)群里川口村(現在の花巻市)に
名門・宮沢家の長男として生まれた賢治は
37歳という若さで亡くなっている。
その間に創作した詩や童話の数の多さには目をみはるものがある。

この展示会では有名な「雨ニモマケズ手帳」を
今回は複製ではなく、実際の手帳をを期間限定で公開していたが
私は日程の都合で見ることが出来なかった。




展示されている写真や実際の原稿で注目していたのは
学生時代に知り合い、賢治作品に多大な影響を与え
共に理想の農業を志した親友「保坂嘉内」への手紙であった。

名作「銀河鉄道の夜」のカンパネルラとジョバンニは
保坂嘉内を想定して書かれた。

文芸同人誌「アザリア」の仲間と。(大正6年10月30日)
後列の右が賢治、左が保坂嘉内。


しかし「アザリア」に載せた保坂の散文により彼は学校を退学処分になり
故郷の山梨に戻った。
その後ふたりの親交は手紙のやりとりとなった。

保坂への手紙。1921年(大正10)12月(推定)

この頃、農学校の教師を始めた賢治。
学校の様子や創作に励んでいることなどが書かれている。


「決別の朝」の原稿。
結核で妹トシが世を去った悲しみと克服しがたい苦悩に満ちた詩。



賢治生存中に刊行された本は2冊。28歳の時だった。
『春と修羅』と『注文の多い料理店』(共に1924年)





保坂嘉内が描いた電信柱の絵にインスパイアされたのだろうか。
賢治が描いた「月夜のでんしんばしら」

原画は戦災により焼失したという。

他に展示されていたのは
小岩井農場や「イギリス海岸」と賢治が名づけた北上川の写真、
理想郷の舞台であった花巻市のイーハトーブとした風景写真、ヴィオラとバイオリンなど。

幼い頃より鉱物に親しみ、関心は文学、法華経信仰、農業、
宇宙や測量、音楽にまで及ぶとほうもない才能は作品の中にちりばめられ
自然と一体となって生きた賢治の人気は今も衰えない。

昇仙峡の晩秋 山梨県甲府市

2019-11-27 | まち歩き
山梨県立文学館で宮沢賢治展を見る前に
昇仙峡の紅葉を見たくて甲府駅からバスで向かった。
 
遊歩道はきれいで車も通るくらいに舗装されている。
奇岩がそびえ、川は歳月によって浸食された奇石が美しい渓谷。


 

  

愛のかけはし(天鼓林橋)

男女2人でこの橋を渡ると結ばれるという便利な橋。

 


どこまでも続く木があるうれしさ。 
季節のひかりが踊るまぶしさ。

あまり時間がないので川沿いの散策だけだったが
オアシスの時間を持てた貴重な時間だった。

躍動するQUEENの花火 夜空のラプソディ 浦安市総合公園

2019-11-19 | 音楽




先週の16日(土)、クイーンの歌にのせて打ち上げられる花火を
千葉県の浦安市総合公園へ見に行った。

この季節に海のそばで見るには寒いと思ったが
そんなことも忘れるほどクイーンの曲に合わせてデザインされた花火は
夜空を走り、スリリングに華麗に彩られた。

「I Was Born To Love You」から始まり、花火が大きく上がる。
やはり、あぁフレディの声!と思ってしまう。
胸にじーんと来る瞬間だった。

 



フレディの声がまるで空から歌っているかのようだったあの夜。
そして花火の燃えカスが降ってきたのも楽しめたクイーンの花火。
惑星番号17473番の小惑星になったフレディへ
あの輝きが届けばと思いながら見た夜空のラプソディだった。