東京・丸の内を彩る年末のイルミネーションのイベントで
駅舎が「日本の伝統色」でライトアップされていた。
ここも人、人、人。丸の内側の改札口から係員の誘導に従って歩いて行った。
「日本の玄関」と呼ばれる東京駅。
ステーションホテルの窓と相まって、シンメトリーの美と威風堂々とした姿は東京の大きな存在。
中央に位置する皇室専用出入り口。
南口側方面を見る。
北口へカメラを向けた。まるで未来都市のようだ。
夜空には大きな月があり、地上では色彩華やかなイルミネーション。
自然と人工、どちらも同じ光でありながら
ここでは一体となって光が人々を包む場所だった。
短い間の旅だったが函館の元町で見かけたリースなどは
ほとんどが造花ではなく本物の杉やモミの枝を使用していた。
そして、今飾ったばかりのように新鮮な緑が印象的だった。
雑貨店に飾られたリース。モミ、ヒバ、杉などに赤いサンキライの実などで
ボリュームを出し、魅力いっぱいのリース。
アートっぽくてかっこいいリースはパン屋さんに飾られていた。
ミモザ、ユーカリ、ドライの蓮の実など。
函館ハリストス正教会の門扉に下げられたリース。
雪冠杉の輪にサンキライの実や松かさにリボンを巻いて。
中心のベルが教会らしい。
「CAFE TACHIKAWA」の正面に大きな宿り木が飾られて。
宿り木がこうして飾ってあるのを見られるのはとても貴重。
リボンが風になびき、客人を歓迎するかのようだった。
函館・元町あたりの夜景やクリスマス風景を見にでかけた。
港やライトアップで洋館が浮かび上がる函館の街は
エキゾチックで慎ましやかなクリスマスの夜だった。
元町の赤レンガ倉庫前で毎年開催される「はこだてクリスマスファンタジー」。
海の上に浮かぶように飾られる巨大なクリスマスツリーのモミの木は
函館の姉妹都市であるカナダのハリファックス市から贈られた。
高さは18メートルだという。
ツリーの色が様々に変化し、水面にその影が揺らいでいた。
ツリーの点灯とともに打ち上げられる花火。
この画像はホテルの窓から撮ったものだがツリーのそばで
見る光景はとてもきれいだった。
そして一度見ておきたかった元町の教会のクリスマス風景。
イブを迎えた24日。空気は冴え、くっきりと浮かぶ教会のシルエットは
息をひそめるほどの清々しさ。
函館聖ヨハネ教会
函館ハリストス正教会
カトリック元町教会
星のかけら
五稜郭の周囲を囲むイルミネーションの全景…のはずが…。
何枚撮っても上手くいかなかった(25日17:04撮影)
25日には雪が降り始めた。午後は降ったかと思うと止んだりしていたが
夜になって本格的な粉雪でたちまち道が白くなった。
暖かい日が続いていたけれど12月らしい気温が訪れた。
寒いのは体にこたえるが
温暖化は地球に深刻な痛手を与える。
季節を感じられるのは気温が四季の風景を作るから。
クリスマスも近い。
今年もモミの枝を飾って。
(右)使用した花材
モミ、ブルーアイス、ヒイラギ、リューカデンドロン、ビバーナム・ティナス
フランスで「乳白色の肌」と称賛され、エコール・ド・パリの
寵児となった日本人画家・藤田嗣治。
時代の状況が現在とは大きく異なる狂乱の1920年代のパリと
戦時下の1940年代の日本を背景に
フジタの栄光と孤独、平穏な暮らしなどを
オダギリジョー演じるフジタによって
現実の中にイメージを織り込み、ストーリーを持たずに作られた映画。
この作品は伝記映画でも記録映画でもなく
小栗康平監督がとらえ、波乱の時代を生きたフジタの姿である。
パリで成功したフジタは
華やかで充実した日々を送る。
ドンゲン、キスリング、スーチン、ザッキンらと同時代にあり、
酒場や仮装パーティに出入りし、自由を謳歌する。
夜の酒場のシーンは
「モンパルナスのキキ」とユキ(本名リュシー・バドゥ)も
とびきりの個性があるにもかかわらず
物足りない存在になってしまい
酒場の雑多な雰囲気に欠け、狭い一角で撮り終えたようなシンプルさは
彼らの有頂天ぶりがうまく伝わって来ない。
女装したフジタが日本の花魁を見せる「フジタ・ナイト」に興じる彼は
妻ユキに「バカをするほど自分に近づく」とつぶやく。
アナーキーな流れに身をまかせて生きるパリのフジタは
光に包まれながらもどこか虚ろに思える。
一転して1940年代の日本。
パリの時代と変わって濃密な描写で日本とフジタを描いていく。
人々の暮らしが伝説や習慣、自然を共にして生きていた時代。
戦争のさなかにあっても日本の美はフジタを癒しただろうと思う描写。
「決戦美術展」にフジタの作品「アッツ島玉砕」が展示され、
横に国民服のフジタが立っている。
人々が賽銭を入れるのを見たフジタは、画が人の心を動かすのを実感した。
「乳白色」とはまるで違う現実の残酷さを描いた「アッツ島」は
後に藤田嗣治からレオナード・フジタへと変わる運命を暗示するようだ。
そして疎開先の農村での5番目の妻・君代夫人との穏やかな生活。
ここでもフジタの絵画への思い、フランスと日本の違いなどを彼がどう感じたのか
心情的なものが描かれる訳ではない。
コラージュのように現実とイメージを重ねて描かれたフジタから
彼の喜びや悲しみ、孤独などを
私たちがすくい取ることを求められる映画なのだ。
物語はつながりを持たないままラストに向かった。
一瞬現れる2体の西洋人形と、
戦死した兵士のそばに流れる川の中に「サイパン島同胞臣節を全うす」の絵。
そしてノートル・ド・ラ・ペ礼拝堂をカメラはゆっくりと回っていく。
群衆の中に描いたフジタの自画像がクローズアップされるこのシ-ンで
フジタの「祈り」のようなものに胸を突かれるような思いがした。
日本と西洋の間を猫のようにしなやかに生き、
栄光と失望を静かな祈りで生涯を終えたフジタという人物像が
ここで深く胸に入り込んでくる場面である。
CGによって幻想的な描写に仕上げられているが
その時々のフジタの姿を象徴的に、
また動乱の中をふたつの国で生きた画家の悲哀と矛盾、
画業への情熱が根底に流れている新しいタイプの美術映画なのだと感じた。
暗い色調の中に過去の時間を、
そして対極に描いた光と影から藤田嗣治の偉大な輝きを見いだす思いがした。
銀杏の葉はだいぶ落ちているけれどやっと見られた黄葉。
画像は青山通りから絵画館へと続く道の中間あたり。
午後7時頃だったが歩いている人は少なかった。
太古より変わらずに季節になれば輝きだした銀杏も
そろそろ黄金を閉じる時。
気の遠くなるような世紀を超えて繰り返されてきた銀杏の輝きを
次こそ太陽の光が届いている時に。