早稲田大学講堂のすぐそば。ひときわ目を引く集合住宅が建っている。
奇異でもありお城のようでもあり不思議なたたずまいに足を止めずにいられなくなる。
(和世陀)ドラード早稲田
設計者は梵寿網(ぼんじゅこう)氏。1983年に建てられた。
ここは雑誌や新聞などで今までも何度か紹介されて話題になった建築物で
ガウディを思わせる複雑な構造、各場所に施されたデザインは独創性に富んでいる。
様々なタイルがはめ込まれた外観は1階の周囲をそれぞれ違ったデザインで飾っている。
平面のタイルと立体のトルソーなど細かく分けられた装飾に職人の技を思う。
エントランスはユーモア溢れるアジアンなデザイン。
右写真の緑のモザイクには「WASEDA EL DORADO」の文字。ここは黄金郷なのだ。
メディアに取り上げられる時に必ず登場する場所で郵便ポストやエレベーターに通じる空間。
この木製の手は椅子になっている。
天井のステンドグラスには蓮の花、そして多くのりんごがぶらさがっている。
蓮の花やりんご、また釈迦の手のようにも思える手。
早稲田も「和世陀」と名づけられているのは仏教のイメージからだろうか。
門扉もゆるやかな曲線で。灯りとガラスの色彩が通路を魅惑的なものにしている。
大胆な天井デザインがカーブする通路を妖しく飾っている。
幻惑される異空間は、異彩を放ちながら
まるでこの建物が生きているかのような装飾を見ることができる。
山里に温泉が湧く鳴子まで2日間足を延ばした。
こけしをこよなく愛した作家・深沢要は「こけしは鳴子に始まり鳴子で終わる」のことばを残している。
霧がかかる山のたもとで鳴子にはすでに秋が来ていた。
こけし会場で購入した鳴子系のこけし
製作は柿沢是伸(かきざわよしのぶ)工人 10,5cm
柿沢工人はご両親もこけし作家。
このこけしは釣鐘型のような胴体に三段の菊
その間を縫って水色の線が流れている。
ずっと見ていても飽きない可愛らしさ。
小さな口がチャーミング。
鳴子の大沼秀則工人のこけし 18cm
すそに椿の花が二輪あでやかに。
スマートなこけしで全体が白っぽい印象が鳴子ではめずらしく感じた。
上から見ると首をかしげているような表情。
このこけしは鳴子温泉駅に近い「喫茶たまごや」で購入。
製作は鳴子系の吉田勝範工人。 12cm
赤だけで彩色されているのが新鮮。
頬もまるく、赤く。
下の絵はたまごやで製造販売している「こけしのゆめ」というお菓で
こけしに合わせたイラストが若い感性で描かれていて
思わず買いたくなってしまった。
こけし祭り会場では他の系統のこけしも購入したが今日は鳴子こけしだけにとどめて。
そして鳴子の町はどこを向いてもこけしの絵柄のものが目に入るこけしの聖地。
鳴子温泉駅前にこけしで区切られた歩道。
駅を降りたとたんこけしの町であることを実感。
向かい合わせに設置されている。
(右) 掲示板のそばにある看板
(右) 消防車にもこけしが描かれている
左はユニークなこけし型の提灯。右はマンホールのこけし。
他にもタクシーの屋根にもシャッターにもこけしが描かれていて、まさにこけし王国。
鳴子こけし祭りの時はこけしのパレードがあり町はにぎわうという。
この日は全国的に雨の日で、 パレードは中止になったが
お神輿は鈴の鳴る音が夜の町に響き、雨の中を熱く練り歩いた。
目に残っているあの音もざわめきも、今思えば山里の中で体験したまぼろしのようにも思える。
この展覧会の最終日である9月1日、太陽の熱がヒリヒリするなか鎌倉へ向かった。
以前から本などで身近に見てきた野中ユリの作品が、神奈川県立近代美術館 鎌倉別館に寄贈されたという。
多くの作品から幻視の世界をかい間見る機会を得ることが出来た。
展示されているのは銅版画、コラージュ、デカルコマニーなど。
それらは硬質でありながら謎めいたものを秘め
あるいは象徴的で端然とした絵は私たちの潜在的イメージを
ビジュアル化したように作品の中に導いていく。
左のフライヤーの絵は
「マルセル・プルーストと弟」1996年 コラージュ
夜空のオーロラにヤマボウシの花。
その花はガラスの球体に閉じ込められて。
兄であるプルーストを支え続けた弟ロベールとの
幼い肖像写真は地表に刻まれる。
下の絵は「ジョバンニとカンパネルラ 9」1996-2002年 コラージュ
銀河の彼方に貴公子のようにたたずむ二人。宮沢賢治を愛読した野中ユリは
賢冶も愛した鉱物を散らし星の神話を創り出したかのようだ。
そして「夢の地表1 愛の歌」1978年 コラージュ、パステル
左は月の満ち欠けと花、そして蝶。
森羅万象、あらゆる生き物は時の流れの中に。
それは永遠に続く至上の美でもある。
今回実際に見ることが出来た「愛する芸術家たち」のコラージュ作品の中に存在する人々。
オスカー・ワイルド、ルイス・キャロルやトリスタン・ツァラ、
そしてロベール・デスノスなど・・・。
野中ユリの芸術世界を知るコラージュのような気がした。
青のデカルコマニーのシリーズは紋章のようでもあり植物のようでもある。
澄んだ青はとてもきれいだ。
野中ユリが染めた青の存在はそれゆえに手を伸ばしても届かない遠い青。
図録が売れ切れだったので記憶だけで書いてきたが、繊細な銅版画も含め
花や鉱石、化石などで表現した様々なコラージュから野中ユリの耽美な地表を歩くことができた。