日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

「マクベス」 芝居砦・満天星

2016-11-25 | アート・文化

今年はシェイクスピアの没後400年に当たり、それを記念してシェイクスピア四大悲劇のひとつ
「マクベス」を新宿梁山泊(しんじゅくりょうざんぱく)が芝居砦・満天星で上演している。



舞台奥にオレンジ色の丸い月。
カンツォーネで三人の魔女が登場するというドラマチックな幕開き。
一気に観客を舞台に引き込む。

「マクベスはやがてコーダの領主となり、その後スコットランド王となる。バンクォーの子は王となるだろう」
三人の魔女のこの予言を聞いたマクベス。 彼の運命の歯車はくるくると回り出した。

予言を知ったマクベス夫人の王座を狙う野心は恐ろしいほどに燃えに燃えて。。。
ためらうマクベスを煽り、権力への炎と化してしまったマクベス夫人。
壁に宇野亞喜良さんのマクベスの肖像画が架けられていた。

王がマクベスの城に宿泊したその夜。
この時が機会、とばかり夫人は王の殺害をマクベスに促す。

決心がつきかねるマクベスは短剣の妄想に悩まされる。
舞台の両サイドから短剣が現れ、マクベスが掴もうとするとスッと消える演出がミステリアスだ。

そしてついに王を殺してしまった、、、
子供は父を殺されて身の危険を感じイングランドへと亡命。
素知らぬふりで王の見張り番を謀反人として殺し、首尾よく王の座に就いたマクベス。

しかしマクベスは魔女が言ったバンクォーの事が胸によぎる。
刺客を向かわせてバンクォーをも殺害。

マクベスの王就任の祝宴が開かれた。
そこでマクベスが見たのは自分の席にいる青白いバンクォーの亡霊だった。
激しく狼狽するマクベス。

不安に駆られるマクベスは魔女の洞窟へ予言を聞きに行く。
魔女は言った。
「マクダフに用心しろ。マクベスは女から生まれた者には負けない。バーナムの森が
動かなければマクベスは安泰」

早速刺客を使い、貴族マクダフの妻子まで殺害したマクベスの行為は地獄の沙汰。

いっぽう、マクベス夫人は不安から夢遊病者のようになり
手から血の染みが落ちないとつぶやき精神を病んでもう助からない。

そしてマクダフの軍団が木の枝を蓑にスコットランドに進軍してきた。
森は動いたのだ。
この時の演出は、スクリーンに木々がざわめき
責めてくる兵士たちのシルエットをかぶせ「アランフェス協奏曲」が流れて圧巻のシーン。
ラストへと向かう悲劇の予感が。

マクベスとマクダスの激しい戦いが始まった。
妻と子供を殺された悔恨と、マクベスの悪事を憎むマクダフ。
マクベスは魔女が予言した言葉、
「女から生まれた者には負けない」と応戦したが
マクダフは、自分は月足らずで腹を割いて生まれた(帝王切開)と言いマクベスを討ち取った。

数々の罪を重ねて王の座を手にしたものの
マクベスの生涯は正義で研いだ剣に倒れた。

この公演を演出した金守珍さんはダンカン王の役でも出演し、
最後に挨拶に立った。
帰り道、目に入る現実の風景は現実にあらず。夜空の灰色の雲だけが現実だった。 

ナンキンハゼの白い実

2016-11-22 | Flower

雨の日に目についた秋の色。
街路樹でよく目にする南京櫨(ナンキンハゼ)が、葉の赤や緑との間で
白い実が揺れていた。

 

実は黒い殻が取れるとこのように白い実が出てくる。
実を集めて煮詰めると蝋が出来るのだそう。


ヴァランティーヌ・ユゴー シュルレアリスムにまたたいた1人のきら星

2016-11-19 | 絵画

自由と芸術的好奇心にあふれたフランスの女流画家ヴァランティーヌ・ユゴー。
覚めて欲しくない夢をみているような彼女の絵に魅了されたのは
恩ある人が私の質問に答え、彼女の作品を教えてくれたのがきっかけだった。

Valentine HUGO 1929年


シュルレアリスムの新しい芸術運動の波がうねり、
波紋が広がる中で女性の才能が台頭したそのひとりとして
ヴァランティーヌ・グロスはパリに躍り出た。

ヴァランティーヌは、フランスの文豪ヴィクトル・ユゴーの曾孫に当たる画家のジャン・ユゴーと
1818年、エリック・サティとジャン・コクトーを証人として結婚。ユゴー姓となった。
(コクトーにサティを紹介したのはヴァランティーヌであった)

1887年、音楽家の父と教師である母との間に生れた彼女は
幼い時から父親が音楽会に連れて行き、舞台や音楽に親しむ環境で育った。
彼女にめばえた芸術的好奇心は、パリの美術学校へと向かわせる。

画学生のヴァランティーヌは当時パリを席巻していたバレエリュスに魅せられ
舞台で踊る彼らを生き生きと描き、その数は100枚にものぼった。

バレエリュス「イーゴリ公」より 1990年



ヴァランティーヌの近親者にはガストン・ガリマールがいた。
(フランスのガリマール出版社の創立者)
そのつてで、文学、美術界の多くの著名人と交友を広げていくことになる。

衣装デザインも手がけ、モードの先駆けともなるファッション画も発表して
雑誌を飾った。

雑誌「ガゼット・デュ・ボン・トン」より 1915年



自らデザインした衣装を着た舞踏会でのヴァランティーヌ。
スカートに馬や前輪の大きな自転車、そりなどを配し、
赤い天鵞絨のブラウスにガラス玉で飾られた中国の帽子で曲馬師に扮した。

ジャン・コクトーに「ブローニュの白鳥」と言わしめたヴァランティーヌは
コクトーに手紙で悩みを打ち明けたりする関係であったが
彼女はコクトーから次第に離れ、シュルレアリスムに傾倒していく。

1932年ジャン・ユゴーとヴァランティーヌは離婚し
1928年に「ナジャ」をプレセントしてくれたアンドレ・ブルトンに恋心を抱く。
彼の力強さと繊細さ。その両極を持つブルトンに惹かれたのだろうか。

「シュルレアリストたち」1935年

描かれている肖像はポール・エリュアール、アンドレ・ブルトン、トリスタン・ツァラ
ルネ・シャール、ルネ・クレベル

ランボーは彼女に無限のイメージを与える詩人として心を捉えた存在だった。
1933年にはヴァランティーヌの挿絵で豪華本『七歳の詩人たち』が日本でも発売された。

「大鴉」1936年



彼女が求める完全な自由。
それは好きなものだけを愛したいという欲求にほかならず
それを理解し、手助けをしたのは詩人のポール・エリュアールだった。
彼女の困難な時にブルトンとエリュアールは絶望から救ってくれたと後に回顧している。

「ポール・エリュアール」

エリュアールを描いた絵は様々なイメージで多くの作品が残っている。

そして又ヴァランティーヌの困難を知り「僕のヴァランティーヌ」と
手紙に書き、彼女に絵を描かせる知人たちを紹介し、
平穏に暮らすことができるようにしたのがコクトーだったという。

天性の独創性と知性、そして美貌で20世紀前半に光り輝いたミューズ、
ヴァランティーヌは1968年の3月、この世から天の高みへと逝った。
彼女の数々の作品は
尽きぬ泉のように湧き出るイメージを描いて非現実的でファンタスティックな
夢想へと誘う。

「1929年12月21日の夢」


「ふくろう」1912~1913年

「真実はシロフクロウに示される」という言葉に描いた作品。