静寂 それは少し疲れた消え残る声
わが静寂の貴婦人は
いとも優しく歩を運び
鏡の内に
その顔容(かんばせの)白百合を摘む
病の癒える兆(きざし)は見えて
遥か彼方に目をやれば
木々 行人 橋のいくつか ひと筋の川
その水面を行く 光る大きな雲の群れ
ローデンバック詩集「静寂」より抜粋
訳 村松定史
フェルナン・クノップフの彫刻「若いイギリス女性の顔」(1891年)
静寂 それは少し疲れた消え残る声
わが静寂の貴婦人は
いとも優しく歩を運び
鏡の内に
その顔容(かんばせの)白百合を摘む
病の癒える兆(きざし)は見えて
遥か彼方に目をやれば
木々 行人 橋のいくつか ひと筋の川
その水面を行く 光る大きな雲の群れ
ローデンバック詩集「静寂」より抜粋
訳 村松定史
フェルナン・クノップフの彫刻「若いイギリス女性の顔」(1891年)
もう10年以上の月日が流れたが忘れられない舞台「さよならの城」
寺山修司の作品「観客席」の続編として2002年に上演された。
新書館出版のフォアレディースシリーズ「さよならの城」をベースに
抒情的メルヘンに猥雑な絵の具を流し込んだようなミュージカルだった。
寺山修司のことば
宇野亜喜良のイラスト
この二人のコンビは、時を経た今も変わらずに魔術をかけるように魅惑的だ。
舞台いっぱいに配置された宇野さんの舞台装置は
私を高揚させ、落ち着かなかった。
人魚、薔薇少女、あどけなくも挑発的な少女、月に座り、
海にただよう少女たち、そしてユニコーン。
くりひろげられる舞台は、J・A・シーザーの音楽に乗って
寺山ワールドが摩訶不思議な迷宮へと誘い込む。
そこは暗い見世物小屋、イタリアの町なのか、ノスタルジックな遊園地なのか・・・。
恋にさようなら 夏にさようなら 青春にさようなら
さよならは人との別れだけではなく
自分の中で何度も繰り返して築いていく「さよならの城」なのだ。
1921年(大正10)羽仁吉一・もと子夫妻は、旧帝国ホテルの設計のために来日していたアメリカ建築界の巨匠
フランク・ロイド・ライトに依頼し、自由学園を創建した。
明日館はその校舎であり国の重要文化財に指定されている。
明日館の象徴ともいえる「ホール」はシンメトリーにデザインされた窓から季節の光が差し込む。
女学校当時は毎朝の礼拝が行われていた場所。
教室から外へ出る扉
自由学園で学んだ生徒たちが集った食堂。ライトの計算された様式美が至る所に。
照明も配置されたそれぞれの場所で違う表情。
講堂はフランク・ロイド・ライトの弟子であった遠藤新のデザイン。生徒数が増えたため増設された。
講堂内部と講堂入り口(内部から)
自由学園は1934年(昭和9)に東京・久留米市に移転したので、ここが使われたのは13年間であった。
学園と日本の教育の明日を託し、羽仁夫妻はここを「明日館」と名づけた。
雨に濡れた木々と芝生。そこに広がるベージュの校舎は
大正からの面影をとどめて現在も多くのイベントで人々が集う場となっている。