私は硬いダイヤモンド ハンマーにも砕けない
天の手になる奇跡が私の口を利けなくした
(本文モノローグ28より)
コクトーが見い出したレーモン・ラディゲは、またたいていた星が消えるように
1923年、20歳の若さでこの世を去った。
この痛手にうちのめされたコクトーは、南フランスのホテルウェルカムにこもり
鏡に映る自分の顔をデッサン、33章のモノローグにまとめた
鳥刺しジャンとはモーツァルトの『魔笛』に登場する
「鳥刺しパパゲーノ」を自分に投影したものである。
パパゲーノは秩序や名誉にとらわれない自由な心を持つが話してはならない試練を強いられる。
ラディゲの死はコクトーに拭いきれない孤独の影を落とし、その中で生きる自分に
苦しい試練を感じた。鏡を通してコクトーは此方と彼方を行き来する。
そして、アンドレ・ジッドから
「ひたすら飛びたがっている翼あるものを、こんな短い紐で繋ぐあなたの序文がいまいましい」と
指摘されたことが26章に書かれている。
これは『エッフェル塔の花嫁花婿』のことだが、作者がつくりあげた作品は鳥。はばたいて世に出てゆく。
パパゲーノは捕まえた鳥を又放つが、ここにもコクトーがパパゲーノが自分そのものであることを強く意識している。
ラディゲはコクトーにとって詩人のあり方を示してくれた師であり、彼を「天の手袋」と呼んだ
コクトーが清められていく白い雪でもあった。
敬愛する人物や、いままで自分のそばにあった大きなものがなくなってしまった喪失感。
最後の33章はそんなコクトーの姿である。
ロンサール、モーツァルト、ウッチェルロ、サン=ジュスト、ラディゲ、星きらめく友よ
何としてもあなたたちと合流したい
天の手
天国の計算
星々の道
この『鳥刺しジャン』は1925年に130部限定で発売されたが、
コクトー生前に普及版として再販されることはなく今日にいたっている。
日本でもジャン・コクトー全集には収録されておらず単行本はこの求龍堂版だけである。
1996年 求龍堂発行 山上昌子 訳
ピナコテーカ・トレヴィルシリーズの第1集「モンス・デジデリオ画集」
暗黒の中に褐色の聖堂、宮殿がそびえる。
しかし荘厳でありながらも不安をはらんで繁栄を拒否している。
この画集にあるデジデリオが描いた空想の建造物はガラガラと音を立てて崩壊する瞬間、そして破壊されたあとの廃墟があるばかりである。
写真は偶像を破壊するユダ王国のアサ王(右部分)
謎の画家、モンス・デジデリオの存在は今世紀になって発見された。1924年にフランス人のルイ・ドゥモンがこの画家に触れたときはおぼろな存在であった。
1957年にアンドレ・ブルトンが「魔術的芸術」で、
又ドイツのグスタフ・ルネ・ホッケが「迷宮としての世界」でこの画家に触れ、
深い闇の中から衝撃をもって我々の前に出現した。
谷川渥の解説によれば、モンス・デジデリオの名の陰には二人の画家が存在したという。
・風景画と遠近法が有名なフランソワ・ド・ノメ
・幻想建築画家ディディエ・バラ
1609年以降、ふたりは同じ工房で共同作業をし、モンス・デジデリオの名を共有するうちに
どちらの画家であるか判然としなくなったのではないかという。
旧約・新訳聖書、そして霊感から得た想像の建築群。
ここで見る絵には人間も描かれている。しかし主体はあくまで建築である。
壁はひび割れ、白い彫像は剥落し、円柱もドームも破壊のかぎりを尽くしている。
これらの絵が描かれたのは1620年代から1640年代らしいが
今世紀の復活まで歴史の中に長い間埋もれていた。
時間が失われたかのような絵を描いた画家の不思議な運命に感じる。
1995年9月 トレヴィル発行