日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

いま桜

2018-03-30 | Flower

東京の桜は少しずつ散り始めていて
名残りを惜しむ気持ちよりも、花びらのほうが早く風に散ってしまう。
1年のうちで10日あるかないかの短い間、人を酔わせて散ってゆく桜。

恵比寿で


中野区の公園で


美女劇「奴婢訓」 東京芸術劇場

2018-03-16 | 宇野亜喜良

2006年から公演を続けているProject Nyxが手がけた寺山修司の作品「奴婢訓」を見てきた。
当時、この作品はオランダ、ベルギーからロンドンへ巡演し、絶賛されたという寺山の代表作。



客席に入ると目に入る舞台装置。流れるチェロの旋律。
やがてライトが変わり、パントマイムの赤いあやとりの糸は赤いロープに変化して
ダンサーの官能的なパフォーマンス。
そして豆電球を操りながら次々と出演者が客席から舞台へと。
妖しく耽美な物語が始まった。

主人不在の館で召使たちがそれぞれの主人に変身し、
タイムリミットになるまで玉座をめぐってバトルを繰り広げる。
寺山らしいアングラにレビューをミックスしたような
大胆、華麗な舞台は果てしなく―。
しかし時間が来ればという現実に戻る。
つかの間の夢。
いつか終わる夢。
ラストも鮮やかな盛り上がりで見応えのある舞台は終わった。

この公演は金髪姿がキュートな水嶋カンナさんの構成。
奇想天外な舞台は圧倒的でもう一度見たいと思う公演だった。
白いドレスの佐藤梟さんの存在感も印象的。
そして耳に残るほど感動的だった黒色すみれのバイオリンと歌声。

私が見た日は13日(火)だったので、終演後に舞台装置の内覧会があった。
宇野亜喜良さんの舞台美術を楽しみにしていたが
玉座を中心に、中世と日本の和をミックスした摩訶不思議な雰囲気。
この時は撮影が可能だった。

舞台全体


宇野さんのオブジェ。テントのそばに馬、そして顔が彫られた館。
 

熊谷守一 生きるよろこび展 国立近代美術館

2018-03-14 | 絵画
50代後半から外へ出ない月日が30年。
仙人という異名を持つ個性的な熊谷守一は、
若い頃より目に見える光の不思議から光学を、そして色彩学、遠近法なども追究し
「物の持つ性質」を絵に表現していった画家。
 
ランプ 1910年(明治43)頃
光と闇をテーマにしていた初期の頃の作品。
 
向日葵と女 1924年(大正13)
荒いタッチを特徴とした頃の作品。
向日葵と女性の生命力がみなぎるような絵。

湯檜曽(ゆびそ)の朝 1940年(昭和15)

朝日の黄色と明るい赤が風景を満たしている。
山は緑に、日が射した山は黄色に。

赤い線の輪郭は守一の作品の大きな特徴になっている。
それは背後から光が物を縁取ることに由来するためだという。
その手法はそれぞれの色を際立たせ
対象物の性質がよりリアルに見えてくる。

水仙 1956年(昭和31)
コップの中で水により屈折する水仙の茎。
そしてコップを光の加減でプリズムのように描いた視点が特徴的な守一作品。

豆に蟻 1958年(昭和33)

守一の庭にいた蟻を観察して描かれたのだろうか。
蟻は左の2番目の足から歩くことを知ってから絵を描いたという。
庭の地面に顔をつけて、蟻を追って。

猫 1965年(昭和40)

猫を飼っていた守一は猫が動きを変えるたびその骨格の変化を
幾何学的に描いた。守一の代表作品の1枚。

宵月 1966年(昭和41)

青い空に半月。木の幹と3枚の葉がシルエットのように黒く。
月の高さは季節やその年によって変わるが
1996年の月は低かったので
この位置で月が見えたのではないかといわれている。
単純ながらも冴えた空気を感じる美しい絵。

特別出品
長谷川利行 熊谷守一像 年代不明

守一と長谷川利行が交友関係にあったことをこの出品作で初めて知った。
貧しく、絵を描くキャンバスもなく
箱の蓋や段ボールに絵を描いていた長谷川利行。
彼の作品は滅多に見られないので
この1枚を見られたことはうれしかった。

熊谷守一は岐阜の裕福な実業家の家に生まれ
東京美術学校を主席で卒業したが
結婚してから貧しい生活の中、子供の死に遭いながらも
苦難を乗り越え
57歳の時に家を建てた頃より絵が売れはじめた。
昼は妻と囲碁を楽しみ
夜の8時頃から部屋で絵を描く生活だった。

7年目の黙とう

2018-03-11 | 日常

東日本大震災から7年が経った。
今日の午後2時46分、私は美術館にいたが鑑賞を済ませ
外へ出て黙とうをした。
いまだに行方がわからない人が2000人以上、
先がどうなるかわからない人もまだまだ多い。
もう7年も経っているのに。
復興が進んでいるとはいえ、
まだ苦悩から抜け出せない人々を日本は救うことが出来るのだろうか。


草迷宮 泉鏡花

2018-03-09 | 泉鏡花

手毬が、手毬が流れる、流れてくる、拾ってくれ (本文より )



川に流れてきた手毬を拾った葉越明は
幼い時に母から聞いた手毬唄をもういちど聞きたいと
母への思慕を胸に旅を続け、三浦の秋谷(あきや)にたどり着いた。

怪異と魔界に棲む妖艶な美女。
そして狂おしいほどの母への憧憬に彩られた鏡花の小説だ。

旅をする小次郎法師が、秋谷邸(やしき)の回行を依頼され、
その途中に寄った茶屋で老婆から聞いた怪異な話で物語は進んでいく。

その秋谷邸は何人もの死者が出たため長い事空き家になっていたが
そこに泊まることになった葉越明と小次郎法師。
魔界への入り口、秋谷邸の黒門。

泊まったその晩に次々と起こる奇怪な出来事は
さながら夢魔の迷宮であり
そこに棲む菖蒲(あやめ)が悪左衛門の取り次ぎによって現れる。
丑月丑日の丑時にゆくえが知れなくなった菖蒲。

彼女こそ物の怪を操る女性であり
葉越の幼なじみでもあり、
最後に悲しみのうちに葉越を救う妖しの女性であった。

夢かうつつか。
手毬の糸がほどけるようにゆるゆると
あるいは絡むようにぎりぎりと
迷宮から迷宮へと複雑に交錯する鏡花文学「草迷宮」。