日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

秋果つ 彩りを惜しんで

2012-11-30 | 日常

1koyo

2koyo




まぶしい光を受けた紅葉と黄葉。
風が吹くと葉は空で遊泳しているようにのびやかに
鮮やかに揺れていた。

目を楽しませてくれた秋の葉は天からの贈り物。

風がなくとも一枚、二枚と舞い散る葉。
木々の明るさがやがて冬の立ち姿に変わっていく。

 


お雛様顔

2012-11-28 | こけし

赤坂の東京ミッドタウンにある和菓子店「とらや」で12月17日(月)まで開催されている「こけしと出会う」展。

展示されているこけしは11系統。
そして、とらやのお菓子の意匠をこけしにした商品が販売されていた。
散々迷って購入したのは土湯系の陣野原幸紀工人のこけしで「春の朝凪」

昔のお雛様のような顔が気に入っている。
赤と白の衣装も斬新。

外壁にしつらえられたこけしのディスプレー。


和菓子とのコラボレーションは新鮮でもあり、工人たちの新しいこけしとの出会いがあった。


大久保利通哀悼碑  千代田区紀尾井町

2012-11-28 | まち歩き

O_aitohi 

紀尾井町のホテルニューオータニ前に清水谷公園がある。
この公園の中に6メートルにも及ぶ石碑に刻まれているのは
「贈右大臣大久保公哀悼碑」


明治11年(1878)年5月14日、午前8時半頃。
ここ紀尾井町の清水谷公園の通りで大久保利通が凶刀に倒れた。
その衝撃は日本中に走り、新政府の揺らぎが懸念された。
その波紋は海外にも及び
ロンドン・タイムズは「氏の死は日本全国の不幸というべし」という追悼文を掲載した。



この事件は首謀者の島田一郎はじめ加賀藩士族ら6名によって
周到な下準備によって行われた。
書生に偽装した二人と、他の四人が二手に分かれ
赤坂の仮御所に出仕する大久保の乗った馬車に襲いかかったのである。
2人が前から。そして4人が馬車の大久保に。
(この時の状況は多く述べられているのでここでは省略するが)


大久保とともに惜しくも凶器の犠牲となった御者の中村太郎(26歳)は
名もない少年であったが大久保が名前をつけて育てたという。
(青山墓地に大久保のそばに埋葬された)

そしてもうひとり、一緒にいた馬丁の芳松は振りかかる刀を何とかかわし、
事の次第を仮御所へ告げに狂人のようになって突っ走った。
彼は御所東門へ駆け込んだがその形相と早口のために番兵に相手にされず、
途中で出くわした大隈重信の馬丁に泣きながら大久保が襲われたことを告げ現場へ戻った。
すでに警察が来て調査をしていた現場で
芳松は大久保を抱きかかえ「旦那様旦那様」と呼びかけたという。痛ましいというほかはない。


哀悼碑のそばに書かれている「大久保利通公記念碑の裏面碑文内容の説明」

 ここは、大久保利通公が命を落とされた場所です、大久保公は天下の重大事に身を投じ天皇陛下の信頼を得て重きをなした元勲です。突然の暗殺という悲運に会い命を落としました。昔から忠臣や烈士といわれる人々が犠牲の死に会うのは悲しいことですが、乱世や騒乱の常です。
 大久保公は明治維新の功績で名を挙げ、国がこれから栄え平和を迎える時に、この災いに会ったのです。大久保公の死は、都の人達は勿論のこと天皇陛下も深く悲しまれました。大久保公を知る人で、悲しまない人はありませんでした。大久保公の悲しい凶変から七年の年月が流れましたが、この地を通る人々は、今でも嘆き悲しみ頭を垂れて行きつ戻りつ立ち去ろうとしません。ここに、仕事で働く仲間達が皆で相談して、碑を建て大久保利通公への哀悼の意を示すことにしました。


明治維新に貢献した西郷隆盛、木戸孝允とともに近代日本を築こうと腐心し
変革期の激動を一身に背負った大久保は、
征韓論で袂を分かった幼いときからの盟友であった西郷の死を知ったとき、
ぽろぽろと大粒の涙をこぼしてうろたえた。
その西郷の死から一年足らずで道半ばにして明治の要人であった大久保も露と消えた。

哀悼碑の上、空は抜けるように青く、青葉のころとは又風景を変え、
緑と黄葉はきらきらと豊かであった。


東京駅 100年の時を越えて

2012-11-23 | 近代建築

1tstation

 



威風堂々とした東京駅(中央部)

日本の玄関として1914年(大正3年)に誕生してから約100年の月日を経て
今年の10月1日、東京駅丸の内駅舎が当時の姿に復原された。





2tstation

設計は建築界の第一人者
「辰野金吾氏」

開業当時、ルネッサンス様式の東京駅は威容と重厚さにあふれ
日本の玄関にふさわしい豪壮な姿だったという。

その誕生から人々を迎え、送ってきた東京駅だが
1945年の太平洋戦争では米軍の空襲を受けて炎上。
ドーム屋根と3階部分が消失した。
その後の復興工事で3階以上はなくなり窓などが修復された。

古い写真を見ると、まだまわりには大きな建築物もなく、
完成した西洋風の東京駅は日本が近代化へと変化する夜明けのように思えたことだろう。

3tstation

復原された中でも注目すべき南北ドーム
柱などは現代の機能に合わせて金属仕上げになっている。

八角形のドーム天井には、左を向き翼を広げた鷲が取り付けられている。

そして干支彫刻は8支が配置されている。
省かれたあとの4支は東西南北を示している。

子(ねずみ)…北
卯(うさぎ)…東
午(うま)…南
酉(とり)…西


4tstation

ドーム内のアーチの中央には
豊臣秀吉の兜のモチーフ
その下は伊勢神宮の神宝の剣が格調高く。

華麗で重厚なドームが当時そのままに復原された。

見事によみがえった東京駅は全国から集められた職人によって復原された。
誕生当時、そしてこの復原。その両技術には頭が下がる思いがする。





 

5tstation

 


ライトアップされた夜の東京駅

多くの人々を運び、幾多の列車が発着するその機能だけではなく、
歴史を継承し、未来を作る玄関としてスタートした。






6tstation


東京駅構内で販売していた商品

左はジンジャーシロップの箱
前は新幹線と山の手線のケーキパッケージ
オペラグラスはサービスで頂いた。


今日 ジャック・プレヴェール

2012-11-20 | 

                        
フランスの詩人であり映画のシナリオ作家でもあったジャック・プレヴェール(1900~1977年)の詩に
同じくフランスの詩人であったロベール・デスノスを偲んだ感動的な詩がある。

              今日

今日 ぼくは親友と散歩した その親友が死んでいたとしても
ぼくは散歩した 親友
       1936年 覚醒状態の ロベール・デスノスとともに

             (略)

ぼくは散歩した ロベール・デスノスと
そうだよ ぼくは彼と散歩した

ナチスの手にかかり、志半ばで逝ったフランスのシュルレアリスム詩人ロベール・デスノスを
偲んでプレヴェールが書いた詩。

詩の中でデスノスの声、まなざしを語り
また今もそうであるかのようにユキとの結婚式への出席を回顧している。

ロベール・デスノスという詩人を知ったのは、ヒヤシンスの花を
ランプに例えた詩があると聞いた時であった。調べたが未だにその詩に出合えてはいない。
しかし彼の詩集を読み、わずかな情報から得たその生涯に
誠実な詩人として心に深く刻み込まれた詩人になった。


集う花は秋の色

2012-11-16 | Flower

Aki_mix

 

抜けるような青空に秋の陽射し。
我が家に入るひかりは弱く、太陽の輝きが遠く感じる。
この頃になると
いつも聴きたくなるビリー・ホリディを流して花を入れた。

 

使用した花
ダリア(2種)、菊、ブルースター、クリスマスブッシュ、葉ボタン、木イチゴ、ヒペリカムの枝


菊の表情

2012-11-15 | Flower

秋が深まり菊の季節になった。
巣鴨にでかけた際にみかけた菊。
丹精を込めて育てられた鉢に咲いた大輪の菊。



3kiku


キッチュな菊人形

極彩色で彩られたコーナーがあった。
この人形は回転しているので後姿も見ることができる。
(見た瞬間、度肝を抜かれたが)


菊人形は200年ほど前に巣鴨の植木職人が菊細工として始めたのが起こり。
その作り手は「菊師」と呼ばれる。


喫茶 「樹の花」 中央区銀座

2012-11-04 | まち歩き

Kinohana 

銀座の歌舞伎座脇にある喫茶店「樹の花」
角地に見えるヨーロッパ風の小窓に緑の小さなテントが
入ってみたくなるような心地よい場所を想像させる。

開店は1979年の夏。
それはこの店にとってドラマチックな幕開けだったといっても良いだろう。
開店から4日目。
突然ジョン・レノンとヨーコが店に入ってきたという。
家族がお忍びで来日していた時のこと。



2kinohana 

息子が映画を見ている間、ジョンとヨーコは
この店で窓際の席に座って静かに語り合っていたという。
日本の地で二人が語る夜はきっと馥郁たる空気が流れていたのだろう。

(右) 二人の座ったテーブルはお店の配慮でその位置が示されている。
私もそのテーブルに座ってみた。
小窓から通りを見下ろすと赤い薔薇が見えた。


3kinohana 
ジョンとヨーコのテーブルの壁にかけられた二人のサイン。
ジョンの可愛いイラストとヨーコの「夢を持とう」の文字。


店内は一人でもゆっくり過ごせる心地良さ。
そしてコーヒーの味は格別である。
今もこのような場所が銀座にあるのはとても貴重なことだ。

静かに流れていたジャズ。
ひととき心がくつろいだ。


小村雪岱 江戸の残り香  佐野美術館

2012-11-01 | 絵画

Sattaisano


静岡の三島市にある佐野美術館へ小村雪岱展を見に行った。
小村雪岱(1887~1940年)は
モダニズムの台頭が盛んであった大正から昭和にかけて
装幀や挿絵、舞台美術などで活躍した画家であるが、
今回は、清水三年坂美術館コレクションからの展示会。

展示内容は
肉筆画、挿絵原画、挿画・装幀本、木版画、舞台装置画と
雪岱の多岐にわたる作品に触れることができた。






2settaisano 



泉鏡花「日本橋」 装幀本








土蔵が並ぶ日本橋の風景に蝶が舞い飛ぶ。
二人の芸者と二人の男の恋と悲劇の葛藤が蝶に化身したようなすてきな装幀だ。
雪岱が初めて泉鏡花の装幀を手がけた本で、これにより世に広く名前が知られることになった。


3settaisano

「もみぢ」 木版画

木版画は雪岱の生前に制作されたものが非常に少なかった。
むしろ没後に版を重ねた作品のほうが多いという。
それは戦時の混乱で作品が失われることを惜しんだ雪岱の愛好家が頒布を望んだからだという。

「もみぢ」は大阪毎日新聞社の英字版「Japan Today & Tomorrow」に掲載された。

手のひらに一枚のもみぢ。着物に散るもみぢ。
そして空には細い月。
秋の情緒に浸る匂いたつ女性が描かれている。



4settaisano


泉鏡花「龍蜂集」の表見返し 装幀本

表紙を開けてこのような絵が描かれていたらやはり感動せずにはいられない。

鏡花の本を彩った画家は他に鏑木清方や橋口五葉、鰭崎英朋などがおり、
それは凝った造りから「鏡花本」といわれた。
現在では入手できない豪華本になっている。





観覧は肉筆画から始まるが「法隆寺金堂壁画」や「美人図」なども目を引く。
細い線が流れるような優美さである。
新聞の連載に描いた「忠臣蔵」の原画も見事であり、
当時はなんと贅沢に新聞を見ることが出来たことか。
そして舞台装置画は精密で、絵のまわりには雪岱の字で細かな指示が書かれている。
実際の舞台でもその美しさは日本画のようであり役者からも高い評価を得ていたという。

雪岱の作品の数々は、日本橋に住んだ雪岱が花街の風景を四季折々に見て過ごしたその情景を
大胆さと幽玄が混合したように江戸の残り香をただよわせていた。