日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

鳩山会館 文京区音羽

2019-05-21 | 近代建築




音羽の丘に建つ薔薇とステンドグラスに囲まれた洋館は
戦後、総理大臣となった鳩山一郎によって1924年(大正13)に建てられた。

鳩山家といえば鳩山和夫、一郎、威一郎、由紀夫、邦夫と政治家が誕生した家系。
この邸宅で重要な政治案件を決める事もあった歴史の場でもある。

設計は大正・昭和を代表する建築家であり
一郎の親友でもあった岡田信一郎(1883~1932)

アーチが優美なロマネスク調の正面玄関


玄関の扉からいきなり大理石の階段が。
登ったところが1階になっている。




鳩山邸には鳩のモチーフが多く使われている。
玄関の上にはイオニア式の柱と鳩がデザインされたステンドグラフが彩りを添えていた。



第一応接室。
大正ロマンが漂うシックな室内。


第2応接室からサンルームに出る間仕切りには
4カ所に花模様のステンドグラス。明るく開放的な雰囲気が素敵だった。


2階へ続く踊り場の有名なステンドグラス。
鳩が大空を飛ぶ雄大なデザイン。アメリカで修行した小川三知(さんち)の作。


2階大広間
陽射しがいっぱいに入り鏡の効果もあって明るい。


館にも鳩のモチーフ。
平和の象徴でもある鳩が洋館を守るように。


庭に出ると薔薇が見事に咲いていた。
一郎が愛したという「ピース」の薔薇。素晴らしい香りだった。
やはり薔薇も平和という名。


お互いの立場を理解し「友愛」の精神こそが和となると唱えた
一郎の理念もこの館から生まれた。


裏玄関にはシンプルながらトスカナ式の柱が古典的。


5月の緑がベージュの洋館との調和も美しく
歴史を刻みながら今も貴重な建築として残る鳩の館だった。


旧田園調布駅舎 大田区田園調布3丁目

2019-04-24 | 近代建築


西口から見た旧田園調布駅舎。

田園調布を象徴する旧駅舎はおとぎの国のような可愛らしさで
1918年(大正7)に田園調布の街が誕生して以来、
地元民をはじめ、多くの人から親しまれてきた。
子供の頃からなじんでいた駅。
当時は入るとすぐ改札口になっていて右側に出札口の窓があった。


東口も同じ造りで駅の看板はないけれど
現在の改札口があるのはこの階段下の左側なので人の往来が多い。


1990年(平成2)に線路が地下に入ったため駅舎は解体されてしまったが
地元民の強い要望で2000年(平成12)に当時のままの姿で復元された。

噴水がある西口方面を撮影。



東口の改札前は広場になっている。



周囲はベージュの建物で統一されてスペイン風のイメージ。


どこから見ても当時の姿そのままに。


下の写真は 月刊誌「ITSCOM Life」2018年10月号から



駅前から放射状に道が伸びて緑の中に家々が並ぶ田園調布は
実業家・渋沢栄一が理想的な街づくりを、と
都市計画を進め、アーチ状に並木が続く豊かな街が実現した。


古民家カフェ「蓮月」の木造建築 大田区池上

2019-01-27 | 近代建築

東京の大田区・池上にある池上本門寺は日蓮上人が入滅した由緒ある寺として知られている。
参拝者は多く、本門寺に往来する人々を
80年にわたって見守ってきた「蓮月」が
今も当時のままのたたずまいでカフェとして営業している。



昭和初期からの年月の重みと情緒を感じる外観。
元は蕎麦店として2014年まで営業していたが
店主の引退により、保存へ向けて古民家カフェ「蓮月」としてスタートした。
第1回 街並み景観部門を受賞している。

中へ入るとタイムスリップするような空間が広がる。
店内はとても広く、変化に富んだ素敵な造り。
人がくつろいでいるので色々な場所は撮影出来なかった。






2階は参拝者の旅籠として使われていた当時のまま。
二間の広い和室には床の間もあり、テーブルがいくつか置かれていた。




和と洋が不思議な空間を生むカフェ「蓮月」は
参道に点在する古い建築とともに池上の顔となっている。


アールデコの美 東京都庭園美術館

2018-06-21 | 近代建築

港区白金台に建つアールデコ様式の館は「旧朝香宮邸」で
朝香宮初代当主である鳩彦王(やすひこおう)が1933年(昭和8)に建てられた宮家。



パリで1925年に開催された「アールデコ博覧会」の影響を受け鳩彦王は
フランスの装飾美術家のアンリ・ラパンを起用して、
ここ白金台にアールデコの館が出現した。

1947年、朝香宮家が皇室を離脱した後は
吉田茂首相の公邸として使用され、その後迎賓館の代わりとなり、
1983年(昭和58)に庭園美術館として一般公開した。

正面玄関のガラスレリーフ
玄関を入るとこの女神像のレリーフが目に入る。ルネ・ラリック作。



大広間に隣接する次室に立つ有名な香水塔。
上の照明部分に香水を施し、その熱で香りがただよったという。
元々は水が流れる仕組みだったとか。



大客室の天井を飾る見事なシャンデリア。ルネ・ラリック作。



大客室と大食堂を仕切る扉のエッチングガラス。マックス・アングラン作。



大食堂



大食堂の照明はザクロとパイナップルのデザイン。ルネ・ラリック作。



家族の住まいになる2階へと続く階段
アールデコの幾何学模様と植物の模様。
 


階段を昇った2階広間に立つ照明
タワーのような立派なこの照明はとても印象的。



殿下居間の壁
壁紙は2014年に復原された。柱の鋳物にも花がデザインされている。



姫宮居間に置かれた椅子
背のべっ甲部分の薔薇はマリー・ローランサン作。



ベランダ
市松模様の床がモダン。庭を見下ろせる開放的な場所。



旧朝香宮邸のベランダ側



皇族離脱後、国の重要な役目を果たしてきた旧朝香宮邸。
宮家の当時の様子はフイルムで見ることが出来た。
時を経ても、アールデコ時代の栄華の面影は変わらずに今もたたずんでいる。

旧開智学校校舎 長野県松本市

2018-04-20 | 近代建築

松本城から近い旧開智学校に行ってみた。
文明開化の面影を残す校舎はぜひ見たいと思っていた場所だった。



明治維新後の1871年(明治4)、廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により
廃寺となった「全久院」の跡地に建てられた擬洋風建築で
昭和30年代後半に女鳥羽川から移築、正面の校舎だけが復元されて現在の姿になった。

正面の車寄せに施された彫刻。
龍、波、雲など流麗ながら愛らしい天使なども。



八角形の塔屋と東西南北の風見。



2階の廊下。素晴らしい天井の照明。



小さな机と椅子が並ぶ教室。



現在では見ることが出来ない優美なデザインのオルガン。



単語図や植物図などで学習した名残り。明治7年改正と記されている。



講堂。ここの柱は全久院の柱を使用したのだという。



講堂の天井は葉のレリーフに囲まれた照明。そしてギヤマンガラスの窓。



扉にも彫刻が。



復元された大棟鬼瓦。
建築当時の鬼瓦は重さ220キロの重さだったとか。



風見に付けられていた東西南北の文字。
漢字が当時を物語っているが展示されているのは銅板に複製したもの。



新築当時の開智学校



新しい時代の誕生のようなモダンな白亜の校舎は
1963年(昭和38)まで90年間にわたって使われ、
1961年(昭和36)に重要文化財に指定された。

閉店した馬車道の喫茶店「ウィーン」 横浜市中区

2017-09-19 | 近代建築

クラシカルな建物が目を引いた馬車道の喫茶店「ウィーン」。
初めて見た時は通り過ぎただけで次の機会に、と思っていたら
まもなく閉店してしまった。



今日も前を通ったがまだ建物はそのままで何か安心したような気がした。
1階の入り口ではどこかの商店だろうか、臨時売店が出ていた。

アーチの窓には天使のレリーフが。


ランプもそのまま残されて壁に影を落としていた。



馬車道の街灯。トップには小さな王冠も飾られている。


興雲閣 松江市殿町

2017-09-07 | 近代建築

松江のシンボルでもある松江城内の一角に建つ洋風建築「興雲閣」は
建物が洋風、屋根が瓦葺きの疑似洋風建築で1903年(明治36)に完成した。



淡いグリーンがさわやかなこの建物は
「松江市工芸陳列所」として建設され、また明治天皇の行在所の目的として建てられたので
装飾が多く用いられ華やかな仕上げになっている。

しかし日露戦争により戦時色が濃くなったため明治天皇の巡行は実現せず
のち明治40年、皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)の山陰行啓のため改装し
嘉仁親王を迎えて迎賓館としての役目を果たした。

2階へと続く階段。


廊下(1階)


貴顕室(きけいしつ)(2階)

皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)が行啓の際に使用された部屋。

大広間(2階)

150人の収容が可能という広さ。コンサートなどにも使用される。

軒の周囲を飾る可愛いデザイン。


玄関の扉には松江市の徽章の文様。
円の輪郭は亀田山を、中は松葉が図案化されている。


1階には喫茶室が。


松江市工芸陳列所から興雲閣の名に改められたのは1909年(明治42)で
旧松江藩主・松平直亮氏により命名された。
現在は松江郷土館として一般公開されている。

1969年(昭和44)に島根県指定有形文化財に
2011年(平成23)に松江市歴史的風致形成建造物に指定された。

大社駅 出雲市大社町

2017-09-03 | 近代建築

かつては出雲大社への玄関口として繁栄した面影を残す「旧大社駅」。
その純日本風のたたずまいは端正な美しさと格式を保って今も存在する。



大社駅は明治45年に開業して以来、輝かしい歴史を刻みながらも
1990年(平成2)に、大社線の廃止により発着駅としての役目を終えた。
2004年(平成16)国の重要文化財に指定、
2009年(平成21)には近代化産業遺産に指定された。

ここには東京、大阪、名古屋から直通電車が入り、
お召し列車も入線したという誇るべき歴史を持っている。

中央口の両サイドにはベンチが。

ガラス窓はきれいに磨かれここにもいくつもの物語があったことを偲ばせる。

中に入ると思わず息をのむ光景が目に入った。
広い空間にたたずむ骨董美術のような出札口。


5カ所の出札口が、当時いかに人の往来で賑わっていたかを語っている。
神秘的でさえある出札口は装飾も風格があり感動的な美しさ。



灯籠型のシャンデリアの下、
広いスペースにはベンチがあったのだろう。
昭和初期までは3等車の待合室だったという。
そして右側には1・2等車の待合室があり
現在は鉄道関係の資料室になっているがこじんまりとした部屋だった。

そして左側には駅長室と事務室が。
貴賓室もあったという。
いにしえの映画のワンシーンを見るような錯覚を覚えた。

プラットホームに出てみた。
列車が止まり、乗る人降りる人が歩いた長いホーム。


古びた小さな窓さえ凝っている精算所。



出雲大社へ通じる駅として多い時は1日に4000人の利用客があったという改札口も
変わらずに保存されている。



比類なき建築美。
当然そこにはいくつものドラマが生れては思い出が残される。
時の流れによってそれが記憶に封じ込められたとしても
その思い出の美しさに変わりはない。
私もこの駅に降り立ってみたかった。

可愛らしい 出雲大社前駅

2017-09-01 | 近代建築

緑の瓦の丸い屋根が可愛らしく
出雲大社(いづもおおやしろ)に1番近い駅が「出雲大社前駅」。



この瀟洒なたたずまいの出雲大社前駅は
1930年(昭和5)に大社神門駅として創業。
40年後の1970年(昭和45)に出雲大社前駅に変更された。
そして1996年(平成8)には登録有形文化財建造物に指定されている

駅はこじんまりとした左右対称の造りで
構内は天井も高く、ステンドグラスが嵌められている。



当時出札口だった半円形のスペースには出雲の案内などが貼られていた。



小さな窓がノスタルジックな出札口。


出雲大社までは駅前の「神門通り」を歩いて7~8分。


奈良ホテル 奈良市高畑町

2016-07-06 | 近代建築

奈良ホテルは明治建築の粋を集めたような夢のホテル。
奈良公園の中に100年の時を超えて
桃山御殿風のその景観は今も変わらずにたたずんでいる。

 

1902年(明治42)関西の迎賓館として
東京駅などを設計した辰野金吾によって古都奈良にふさわしく
随所に桃山風の意匠を取り入れ、檜造りの格調高いホテルが誕生した。


2階へと続く広く大きな階段
赤い絨毯が敷かれ、御殿の中を登って行くよう。



1階ロビーから吹き抜けになっている2階は
欄干に囲まれた優雅な場所。多くの絵画が架けられていた。



春日大社の灯籠をイメージしたというシャンデリア。
真鍮に赤い紐や房が組み合わされ、古典とモダンがマッチして。



1階ロビーの桜の間
奥に見える柱時計は「平成の大時計」で15分毎にメロディが流れる。
皇后陛下はホテルから帰る際、このメロディをお聞きに再度訪れたという。



1階ダイニングルーム「三笠」
朝食の時に窓際の席から内部を撮ったので、小さくなってしまい残念。
高い天井とやわらかな照明が静かな雰囲気。



フロントに置かれたポスト



1階カフェルーム入り口のすり絵ガラスにも奈良の意匠が。



宿泊した部屋のランプ
天井までの高さは5m。窓の外はあふれるような緑がいっぱいに広がっていた。



部屋に置かれている繊細な模様のスチームヒーター
大正3年から使われていたとのこと。



クローゼット脇に設置されていた暖炉(現在は使用していない)
改築の際、煙突は撤去したが暖炉は当時のまま残したのだという。


いつかは行ってみたいと思っていた奈良ホテルの本館で
静かでクラシックな時間を過ごすことが出来た。
日本の皇族をはじめ、ここを訪れた世界の著名人は数知れず。
どんな時にもすべての人々に篤いもてなしを
永い歴史とともにくりかえしてきたからこそ夢をみられるホテルなのだと
今もその名残りを惜しむ思いでいる。


JR奈良駅の旧駅舎

2016-07-05 | 近代建築

古都奈良にとけ込むように威風堂々とした旧奈良駅舎は
1934年(昭和9)に2代目の奈良駅として生れた寺院風の駅舎で、
宇治の平等院などをモデルに設計されたという。



設計は柴田四郎と増田誠一氏で、増田氏は法隆寺の宮大工に教えを請い、
奈良にふさわしい駅を作るため寺院建築の研究も重ねた。
左右対称の駅舎にくっきりと据えられた相輪がさらに古都のイメージを深め、
全体を引締めている。

中に入ると赤い大きな四柱がどっしりと。
寺院の入り口のようでもあり、四方から人々を囲むような温かさも感じる四柱である。
見上げると天井は複雑な組み合わせで
木の重量感と漆喰の繊細な模様が和洋建築の調和を見せている。


 

現在は奈良を案内する総合観光案内所になっている旧駅舎だが
カフェもあり、外国人も多く見かけた。


函館の洋館を思うままに

2015-11-15 | 近代建築

函館を歩いていれば必ず行き合ういくつもの洋館。
建築には知識のない自分だが、歩きながら目についた建築物にシャッターを押してみた。


相馬株式会社
基坂と市電通りの交差点に建つ函館を代表するモスグリーンの洋館。
ひときわ異国情緒を感じさせる美しいたたずまいで、
ここから見上げる基坂の上にある旧函館区公会堂の建設の際に
多額の寄付をした実業家の相馬哲平が創設した社屋である。
1916年(大正5)に建てられ、屋根にしつらえたドーマー窓がアクセントのルネッサンス様式。
現在でもここで業務が続けれている素晴らしさ。
設計 筒井長左衛門 伝統的建造物


色合いも模様もおしゃれで見飽きることのない洋館。
 

旧亀井邸
元町カトリック教会の前に建つピンクの外壁に
波のような赤い屋根がまるで童話に出てくるような可愛い洋館は
文学者の亀井勝一郎の実家で、建設当時に流行していたスタイルで建てられたという。
曲面にデザインされた白枠の窓もひかえめながらピンクの淡さにマッチしている。
1921年(大正10)頃竣工
設計 関根要太郎とその実弟・山中節治 伝統的建造物



旧ホテルニューハコダテ
八幡坂を下った市電通りとの交差点に、重厚で優雅なすがたで建つ旧ホテルニューハコダテ。
当初は旧安田銀行函館支店として建てられた。
丸みのある角や、4本の柱の間に配置されたアーチのガラス窓が古典的で往時を偲ばせる建造物。
1968年(昭和43)銀行からホテルとして再利用されたが2010年にホテルも閉鎖に。
赤い旗がその名残りのように風になびいていた。
竣工 大林組 市景観形成指定建築物


井上米穀店と白塗の民家
左の白い民家は南部坂近く。右の井上米穀店はあさり坂で。
ピンクが鮮やかなのにどこか郷愁を感じる井上米穀店。
そして白い民家も、今は見ることができないT字型の煙突が時を逆戻りさせるようだ。
しかし外観のデザインは当時モダンだったのではと思うような面影が。
設計・建築年 不詳
 

五島軒
文学者の亀井勝一郎の弟で、建築家の亀井勝次郎が設計した。
五島軒は130年以上の歴史を持つ老舗レストランで1934年(昭和9)の建築。
外観はシンプルだが店内は文明開化の頃を思わせる雰囲気。
国指定登録有形文化財


Le Climat Hakodate(函館元町港が丘教会
五島軒の向かいに建つレストラン。
ゴシック調の教会をそのまま使用しているが、1881年(明治14)にここに教会が建ち、その後変遷を経ながら
近年まで「元町港が丘教会」として使われていた。
現在の建物は1934年(昭和9)に竣工。ピンクと白の組み合わせが清楚な外観。
歴史的景観建築物
 

旧美容室あみん
函館銀座通りで見かけた美容室だが現在は閉鎖されている。
凹型の造りに細かい浮き彫り模様が大正のモダンさを感じる。
1921年(大正10)の建築で、元は「衛星湯」という銭湯だったという。
1階正面の2つのアーチ型は男湯と女湯の入り口の名残り。
このようなお洒落な銭湯が営業していた古き良き時代がしのばれる。
1986年(昭和61年)に現在のすがたに復元されたという。
設計 不詳


函館市地域交流まちづくりセンター
現在、函館の中心街は五稜郭(本町)に移ったが
1923年(大正12)建築の、このまちづくりセンターはかつて丸井今井函館支店として繁栄していた。
デパートであったことを思えば
ここ「十字街」が大正当時は賑わっていたことが想像できる。
周囲にはカフェがひしめいていたという。
2007年(平成19年)から市の観光や市民コミュニケーションの情報の場となった。
正面玄関の太い3本柱、ドーム型の展望台、塔屋は、風格を保ちながら函館の街を見守っている。
設計 佐藤吉三郎・木田保造 景観形成指定建築物



太刀川家住宅店舗
ベイエリアに建つ土蔵造りの太刀川家住宅は
米穀商を営んでいた初代太刀川善吉が1901年(明治34)に建てた由緒ある建築。
現在は改装されてカフェになっている。
煉瓦積みに漆喰で仕上げた不燃建築で、シンメトリーの端正さに風格を感じる構え。
設計:山本佐之吉 景観形成指定建築物
 

1915年(大正4)年には応接専用として木造洋館が増築された。
夜なので水銀灯によりグレーがかって見えるが
グリーンの洋館は瓦屋根を取り入れた和洋折衷のクラシカルな外観。
設計 山本佐之吉 景観形成指定建築物

JOE&RACCOON (旧遠藤吉平商店)
ベイエリアの西部臨港通と東坂が交差する角地に建つコーヒーハウス。
1885年(明治18)に廻漕業を営む遠藤吉平商店として建てられた。
コンクリート仕様に見えるがレンガ造りに上から漆喰で仕上げてある。
1階の3連アーチと2階の小窓が優しい印象。
設計 不詳 景観形成指定建造物


このすぐ先の海岸から、同志社大学の創始者である新島襄が
国禁を犯して米国船に乗り込み密航をした場所がある。
その時つけられた名前が「ジョー」だったので、店名もそれにちなんで名づけられた。
入り口には新島襄の説明と店の由来が書かれたプレートがかけられている。

MOSSTREES
JOE&RACCOONの隣に建つカフェレストラン。
1910年(明治43)に建てられた木造建築で船具店だった店舗を改築して現在のすがたになったようだ。
様式はアメリカンスタイルに近い。
設計 不詳


市立函館博物館郷土資料館 (旧金森洋物店)
市電の末広町を降りてすぐ、向かいの函館市文学館の前に建つ旧金森洋物店は
洋品小間物店として渡辺熊四朗が建てた土蔵造りの建築で
1880(明治13)築という古い歴史を持つ。
舶来の小間物や雑貨を売っていたというから、当時は生活を豊かにする店として繁栄していたのだろうか。
現在は「明治時代の函館のハイカラ文化」を中心とする郷土資料館になっている。
建物の角と窓枠に補強のために用いられた石がデザイン的なアクセントも添えて。
設計 池田直二 有形文化財 景観形成指定建築物
 

日下部家住宅
海岸を見下ろす日和坂に建つ和風建築の日下部邸。
下から見たのが最初だったので、そそり立つように見えた印象と落ち着いた趣の建築に目を奪われた。
「日本の海運王」とまで呼ばれた日下部久太郎が
1919年(大正8)に木曽から取り寄せた木材で3年の月日を費やし、高度な技術で建てたもので
建築価値としても高いものだという。
又、神戸にある「舞子ホテル」は日下部家の別邸で、1915年(大正4)に
外国人などの接待のために洋館と和館を併せ持って建てられた。
伝統的建造物
 

元町の宿 饗場
日下部邸の隣に建つ饗場は医師であった饗場守三が診察所と
住まいを兼ねて明治末期にたてられたのではないかと言われる。
現在は宿として使われているが
赤い屋根にくっきりとした白枠の窓や入り口の造りなどどこかノスタルジック。
設計 不詳 伝統的建造物



茶房ひし伊 (旧入村質店)
宝来町にある蔵造りのカフェ。
昭和9年の大火でも焼け落ちなかったという堅固な建物で1921年(大正10)に
質店として建てられた。

 

右側は住まい、左側の蔵がカフェ、中央に位置する蔵がアンティークの店になっている。
函館らしい喫茶店に入れたのはここだけだったので忘れがたい。


静かな店内に、外からの光が時間を溶かすようにやわらかく射し込んでいた。



ここに掲載した建造物のほとんどが火災に遭い、
移転したり、復元、修復したりして現在のすがたになった。
日本と西洋の文化を育てながら
火災から学んだ教訓を生かし、新しいものを受け入れる函館の人々の寛大さと
函館の個性を絶やさないその情熱によって今日の景観は作り上げられた。


函館市旧イギリス領事館 函館市元町

2015-10-28 | 近代建築

国際貿易港として開港した函館。
旧イギリス領事館も、旧函館区公会堂と同じ1859年(安政6)に元町に開設した。
数回の火事に見舞われた領事館だが
当時から変わらずにユニオンジャックの旗は函館の空にゆれている。

1913年(大正2)に竣工した領事館はコロニアル様式のレンガ造りで
瓦吹き屋根を採用した和洋折衷の建築構造。

設計はイギリス政府工務省
1979年(昭和54)に函館市の有形文化財に指定された。

当時を再現した領事執務室。
函館港を見るリチャード・ユースデン領事が復元されている。


現在も使用できるという会議室。


家族の居室。
ユースデン夫人の功績なども紹介されている。


函館ハイカラスクエア
観光地などでよく見かける人型パネルだが、モノクロの壁から顔を当て、
横の穴でカメラを設置すると
向かいにカラーの仕上がりが見え、そのまま写真になるという仕組み。
今はどこでもこの人型パネルがあり、人気があるが
ここのハイカラスクエアは思いがけないアイディアでハイライトともいえる場所だった。
 

函館は多くの坂がある街。
旧函館区公会堂とイギリス領事館が建つ基坂(もといざか)は
街づくりの基点となった坂。
美しく整備された基坂に黄金色の陽ざしがそそいでいた。


旧函館区公会堂 函館市元町

2015-10-23 | 近代建築

幕末、ペリーが函館に来航したのは1854年(嘉永7)だった。
その5年後の、1859年(安政6)に下田・長崎ととともに
箱館(現在の函館)は開港した。
この開港によって函館は人口も増え、異国文化の街へと変わっていった。
今月の上旬、その面影が残る函館を観光した。

元町の基坂(もといざか)から函館山を見上げると
そのふもとに建つ旧函館区公会堂が目を引く。
明快なブルーとイエローの色彩、シンメトリー様式がひときわ華麗な建物だ。

1907年(明治40)の大火で町の復興を果たさなければならなかった函館だが
この区公会堂は当時の5万8千円という巨額な費用にによって建てられたという。
そのうちの5万円は豪商の相馬哲平が出資した。

その後、何度か修復をかさねて現在のすがたになったが、
焼けた函館の再興のために惜しみない情熱をかけた相馬哲平によってそのすがたを今にとどめている。
設計は小西朝次郎氏
1974年(昭和49)に国の重要文化財に指定された。

大食堂(1階)
当時の洋風建築では天井は部屋の格に合わせて作られるほど重視されるものだったという。
木材が縦、横、斜めと組み合わされている。


応接室(1階)


貴賓室(1階)
明治44年に大正天皇、大正11年に昭和天皇が行幸の際に使用された部屋。
壁や天井は英国製の壁紙、椅子の布地はすべて絹が使用されている。


貴賓室の折上式天井の飾り。
シャンデリアはアカンサスの花をモチーフにデザインされている。
円形の中心飾りも花の優雅さが彫刻されているように立体的。


大広間(2階)
中央奥に演壇がありピアノ演奏などが出来るこの大広間は
畳260枚分という広さで、窓も多くとても明るい。床が鏡のよう。


中央バルコニー(2階)
函館港を見渡せるバルコニーは開放感と季節を味わえる場所。
左右へと広がっていくような手すりが柱とともにアクセントを添えている。


近鉄 「宇治山田駅」 三重県伊勢市

2015-08-20 | 近代建築

伊勢神宮への玄関口である近畿日本鉄道の宇治山田駅。
皇族や政府要人の伊勢神宮参拝の時は、この宇治山田駅を利用するのがしきたりだという。

様式美を感じさせる駅舎の前には黒塗りタクシーが控えている。
一瞬、英国の風景のようだと思ったが
スパニッシュ様式の建築で、テラコッタやスペイン瓦が使用されているとか。
昭和6年(1931)開設、設計は久野節氏。



壁画の装飾、外灯、窓枠、鋳物の飾り、どれも素晴らしい。



模様のある柱も堂々たる姿



優美な正面玄関入り口



レリーフも優美



多くの人々の離発着を見守ってきたコンコース



正面を入った内側から天井を見る。
瀟洒でエレガントな照明と八角形の窓。



74年の歴史を持つ、その時間を思いながら構内で周囲を見回した。
ここ宇治山田駅には過去の多くのドラマが眠っているに違いない。
ゆるやかな波紋のように静かな時間が私を包んだ。