日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

デスノス詩集 堀口大學 訳

2010-09-29 | 

Desnospoeme  
     
      どうどうめぐり 

    一心に走りつづける僕の道
    廻れ右 向きを変えれば別の道
    ひたすら真向きに走りつづけるが
    行きつく先は知らぬ土地
    どうどうめぐりをつづけても
    空はいつしか変わってる
    昨日少年 今日大人
    人間世界の不思議さは
    ばらはばらでもこのばらは
    ほかのばらとは別のばら


詩人、放送作家であるロベール・デスノス(1900年~1945年)は、眠りながらにして夢に見た情景を
デッサンに描いたり詩を書き、新しいイメージの詩的世界を開いたことにより「眠りの人」としてシュルレアリストの一員になった。
しかしその後アンドレ・ブルトンと決別したデスノスは公的な場へと活動を移していった。

この「デスノス詩集」は子供の絵本に載るような詩、心から望む恋人の存在、人生や季節の流れ、
そしてドイツ・ナチスへの抵抗が書かれている。
私が読みたかった詩は本書に掲載されていなかったが、よく知られているのは「蟻」、
そして最愛の妻ユキへの想いを綴った「最後の詩」だが、この「どうどうめぐり」は彼の境遇を思えば
その暗示ともいえる詩である。
デスノスの最後は有名な逸話として残っているが、どこにいても毅然とした態度を崩すことはなかった。
戦争によって抑圧され、自由を奪われた人々に博愛の精神で接したデスノスの半生がかいま見える詩集である。

1978年 彌生書房


田中一村 アダンの魂

2010-09-28 | 絵画

Issontanaka
田中一村。1984年であったか。当時、花を習っていた師匠から
「すばらしい画家がいる」とその名を初めて聞いた。
日曜美術館「黒潮の画譜-異端の画家田中一村」の放送は大きな衝撃を与え、
展覧会には目をうるませて一村の絵を見ている人もいた。
歴史に一人の日本画家が登場した瞬間であった。
あれからはソテツやクロトンの葉、ダチュラの花を見ても一村を思い浮かべることがしばしばであった。


今回は千葉美術館開催なのでやはり千葉時代までの作品が多かった。
農村の夕暮れ、働く人たち、春に咲く梅、紅葉の葉。そして襖に描かれた植物、細帯に咲く小花など。


幼いときから天才と呼ばれながら絶望と世の矛盾に苦しんだ一村は奄美に移り住んだ。
奄美の風景が有名だが今回の展示作品にも奄美以前から南国を思わせる絵が何枚か描かれている。

映画「アダン」では、わずかな家財と一村を乗せたトラックが奄美の道を走りぬける。
そして風景のあちこちを指さして一村が叫んだ。
「あれは何ですか!あれは何ですか!」 新天地、奄美は富や名誉に渦巻く世を避け、
描きたい絵だけを自分のために描いていく最後の地であった。
鳥が鳴いていればスケッチをしながら森の中まで追いかけて行き、時には地獄と向き合うような形相で絵筆を握る。
絵に対峙する一村は風雅を尊び、体に流れる血のままに画布に向かう人であった。


墨で描かれた黒い椰子の鬼気迫る陰影、象徴的なアカショウビンの鳥、クワズイモの一生を
一枚の中に描いた魔力的な明暗。
やはり奄美の絵はわしづかみにする魅力を秘めている。
一村が心の到達を果たした充実の時間で描かれたからだろうか。


その頂点ともいうべき作品『アダンの海辺』 大胆な構図でアダンがくっきりと描かれている。
この絵は閻魔大王への土産と言っていたという。絵に「一村」の署名と朱印はなかった。
アダンが一村の魂にもたらしたものは、絵を描いて清められてゆく心の原風景だったのかも知れない。
自分だけの絵に没頭できた奄美は一村を満たした充実の月日だったと思う。


ぎりぎりで何とか見ることが出来た一村展。
千葉時代の多くの作品も含めて一村は感傷と憧憬の念を抱かずにいられない画家である。

写真は美術館入口の1階、旧川崎銀行ホールの柱にチラシを置いて。


神楽坂界隈

2010-09-21 | まち歩き

街を歩きながら懐かしさを感じた神楽坂。
いくつもある路地を入れば家の中から三味線の音が聞こえてくるような雰囲気はあまり変わっていない。
しかし街は日夜すがたを変えてゆく。かつては花街として賑わった街も少しずつ高層ビルが増えている。

  

街中は思ったより人が多い。
TVドラマの舞台になった為に訪れる人がふえたという。
神楽坂は尾崎紅葉、泉鏡花が住んでいたこともあった。
鏡花の住居跡を探して細い道を三往復もしたがみつからなかった。「この辺ですよ」と地元の商店の人が教えてくれた。
町の地図には住居跡と出ていても現地には当時の場所を示す看板もない。鏡花が歩いたかも知れない道を辿ってみた。

写真、料理屋の店先は涼の粋な演出。右は毘沙門天「善國寺」


風-に関するEpisode 龍膽寺 雄

2010-09-18 | book

Kazeryutanji
表紙の絵はデ・キリコの「街の神秘と憂鬱」
郷愁を感じさせるが、音のない静かな不気味さを秘めている絵である。
この絵のような情景の中、物語は淡々と、そしてロマンチシズムが序々に昇華して進んでゆく。
1976年 奢�廟都館


廃港の町に立つ木馬館。その前にある三角広場では子供たちが影踏みをして遊んでいる。
ここには地形の関係で旋風がたびたび吹くが
その風はここだけの世界をつくる気流となって街に流れていた。

キラキラ回る風見鶏。ゆったりと飛ぶ軽気球。古びた六角塔と空。
廃れた広場に風が吹けば夢が生まれる。しかし風のない夜は妖しく危険な予兆をはらんでいた。


『名人伝』 中島敦 大志の果てに

2010-09-13 | book

Nakajimaatusi 
現在私たちが親しんでいる中島作品は、彼が32歳から33歳までのたった2年間に
発表された短編だけである。そのため読める作品は非常に少ない。
しかし、とりわけ文字をいつくしんだ中島敦の文は難しい漢字にとまどうこともあるが、
その緊張感からは不思議なことに端正な心地よさも感じるのである。

あらすじ
紀昌は弓の名人を志し、名手・飛衛に学び厳しい試練を経たのち、同格の腕前まで上達した。
もう飛衛から学ぶものがなくなった紀昌は
嶮しい山に超人的な腕をもつ老隠者がいることを知らされる。
老人は、空を飛ぶ鳥を素手でいとも簡単に射落とした。紀昌は慄然とした。
自分ごときは児戯の腕であると。
「不射の射を知らぬとみえる」老隠者は言った。

老人のもとで九年の修業を終え、山を降りてきた紀昌はまるで別人の顔をしていた。
負けず嫌いの鋭い顔つきは木偶(でく)のように無表情になり、そのままやがて年月は経っていった。
老人となった紀昌はある日、弓を見てその名前と用途を質問する。
かつて自分が大志をいだいて使っていた品物を忘れてしまったのである。

紀昌は弓の名人になることだけに生き、山の修行ですべての目的を達成した。
弓が何であるのかわからない紀昌のすがたは
目指していた死に物狂いの精神から解放された果ての、真の名人の姿であったのか。


画集 「Chain Ring」 青木陵子

2010-09-10 | 絵画

1chain

2chaine


青木陵子の描く絵には、細い線に風を乗せ
夢で見たような情景が次から次へと紡がれるように描かれている。

絵の具は無心であり、思いのままに線と色が交わり、離れ
そして広がってゆく。架空のようでもありどこかで見た遠い記憶のような気もする。


青木陵子◆1973年に兵庫県生まれる。京都市立芸術大学大学院にビジュアルデザイン科修了。
数々の展覧会に参加。最近はギャラリーでの個展も開催。

時に、体の中に風を通したいと思う。そんな時に手に取る一冊でもある。


洋書 『詩人の血』 ジャン・コクトー

2010-09-07 | Jean Cocteau

コクトーは1930年に『阿片』を発表したのち、かねてより関心のあった映画制作に着手した。
コクトーの初の映画作品となった『LE SANG D'UN POETE』(詩人の血)である。上映は1932年。本書はそのシナリオで上映からおよそ16年後に発行された。
1948年 フランス マラン社 限定2900部の340番台

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この映画はコクトーと親交のあったシャルル・ノワイユ子爵夫妻から
数百万フランの制作費を支給をされ、表現、および内容は自由という
寛大な条件で作ることができた。

私が『詩人の血』で試みたのは、詩を検討することです、とコクトーは言い
芸術的なことを考えずにイメージの喚起を映像にしていったと語っている。

出演者はほとんど演技の経験がなく、彫像(女神)は写真家で有名なリー・ミラーが
偶然、バー「屋根の上の牡牛」に居合わせたことから決まった。
詩人役はチリ身のエンリケ・リベロ。雪合戦の子供たちは大道具で働く子に出演させた。
出演者の中でひときわ異彩を放つ黒の天使はフェラル・ベンガ。ジャズダンサーだという。


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「詩人の血」はコクトーの後の作品に揺曳してゆくテーマが集約されているともいえる前衛作品であるが、映画制作には資金、検閲、出演料の重責があるが、この映画においては「自由だった」と述べている。


ジャン・コクトーのメダル

2010-09-03 | Jean Cocteau

 

ジャン・コクトーの横顔が彫られたブロンズ製のメダル。
フランス 1961年
製作者  Josett・HERBRT‐COFFIN (1908年~1973年)
直径 6,6cm  厚さ0,4cm

製作したジョセット・アルベルトは多くのメダルやレリーフ、オブジェなどを手がけるフランスの女性作家だが
このメダルが何かのシリーズとして作られたものか詳細は不明。
手に持つと、ずしりと重い。
コクトーの顔は多くの写真に残されているが、立体像として身近に見ることが出来るこのメダルはやはり愛着がわく品でもある。


9月 長月

2010-09-02 | 日常

Nagatuki 
容赦ない暑さのまま9月になった。
旧暦の古称、長月は陽が沈むのが早く、夜が長くなる「夜長月」から由来する。

夜空が少しずつ静かになる季節に変わろうとしている。
そして残暑の色も、ゆっくりではあるが黄金色になってゆくのだろう。

この暑さが秋の気温になるのはいつなのか。
恵まれた四季の移ろいは、近頃人を待たせる。
それでも暦は確実にひとつの季節を見送り、かぎりなく繰り返されてきた
初秋の表情を見せようとしている。

水底の石さへ照らす日を受けて川の面さらす蜻蛉むれ飛ぶ  
                    石榑千亦(いしくれ ちまた)