日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

草迷宮 泉鏡花

2018-03-09 | 泉鏡花

手毬が、手毬が流れる、流れてくる、拾ってくれ (本文より )



川に流れてきた手毬を拾った葉越明は
幼い時に母から聞いた手毬唄をもういちど聞きたいと
母への思慕を胸に旅を続け、三浦の秋谷(あきや)にたどり着いた。

怪異と魔界に棲む妖艶な美女。
そして狂おしいほどの母への憧憬に彩られた鏡花の小説だ。

旅をする小次郎法師が、秋谷邸(やしき)の回行を依頼され、
その途中に寄った茶屋で老婆から聞いた怪異な話で物語は進んでいく。

その秋谷邸は何人もの死者が出たため長い事空き家になっていたが
そこに泊まることになった葉越明と小次郎法師。
魔界への入り口、秋谷邸の黒門。

泊まったその晩に次々と起こる奇怪な出来事は
さながら夢魔の迷宮であり
そこに棲む菖蒲(あやめ)が悪左衛門の取り次ぎによって現れる。
丑月丑日の丑時にゆくえが知れなくなった菖蒲。

彼女こそ物の怪を操る女性であり
葉越の幼なじみでもあり、
最後に悲しみのうちに葉越を救う妖しの女性であった。

夢かうつつか。
手毬の糸がほどけるようにゆるゆると
あるいは絡むようにぎりぎりと
迷宮から迷宮へと複雑に交錯する鏡花文学「草迷宮」。

櫻草 泉鏡花

2016-02-05 | 泉鏡花

橋口五葉がアールデコ調のデザインで描いた表紙は泉鏡花の『櫻草』。
鏡花が30代から40代にかけて執筆した小品集で
エッセイと短編を収めて大正2年(1913年)に発行された。



幼い時に母の墓参りに父と行った思い出の「夫人堂」から始まり、
鏡花文学に欠かせない水にまつわる描写や、
旅に赴いた折りの風景の語りは空想世界へと誘われるように心地よい。

そして巷の人間を個性豊かに描く「廓そだち」「人参」「銭湯」や
今でも営業を続けている金沢と荒川区の老舗菓子店が登場する
「あんころ餅」と「松の葉」など、
その人間模様はユーモラスであり、今も変わらない感情をとらえる鏡花の視線は
さりげない日常をみつめている。

女房の恐怖心と得体の知れない子供二人が不気味な「鰻」、
また、柳田國男の「遠野物語」に触れながら
鏡花が知る地方の怪談を紹介する「遠野の奇聞」や
日本画家・鰭崎英朋と古書店をめぐったエピソードも
「昔の浮世絵と今の美人画」で描いている。

そして「畫の裡(えのうち)」は鏡花の幻想的な異界にのみこまれる作品で
短いながらも、めくるめく展開で一瞬まぼろしを見たような錯覚に。

この『櫻草』は28篇の作品が収められているが
スペースの都合なのか不思議なことに5篇が目次に載っていない。

古書店で購入した古い本なのであまりきれいではなかったが
何度もページをめくったりしながら
本がさらに傷むのではないかと思いながら読み終えた。
中島敦も絶賛した泉鏡花の世界。
その夢幻の果てにたどりつくのはいつなのか。


生誕140周年 泉鏡花展 神奈川近代文学館

2013-11-19 | 泉鏡花

Kyokaten
泉鏡花の生誕140年を記念して~ものがたりの水脈~をテーマとして開かれている鏡花展。
耽美で怪異的な夢幻作品を多く生んだ鏡花の生涯を
遺された原稿や手紙、愛用品などで追っている。

鏡花は明治6年(1873)11月4日、
石川県金沢市に彫金師の父・清次と能楽師の血をひく母・すずとの間に誕生。
本名 泉鏡太郎

明治15年(1882)、鏡花が9歳の時に母すずが他界し、
その死別は鏡花文学のテーマとして深く影響していくことになった。

そして母と同じ名前で芸妓であったすずと神楽坂で一緒に暮らしたが
尾崎紅葉に叱責され二人はいったんは離れたが、紅葉の死後、生涯を共にした。

写真は明治36年(1930)、30歳の鏡花

2kyokaten 
尾崎紅葉(1867~1903)

鏡花は紅葉の作品に感銘し、文学への道を歩むきっかけともなった。
明治27年、父・清次も他界し、意気消沈の末に自殺まで考えた鏡花に
紅葉は激励の手紙を送っている。

「汝の脳は金剛石なり。金剛石は天下の至宝なり」

金剛石とはダイヤモンドのこと。
鏡花にとって師と仰ぐ紅葉の言葉は苦悩から引き上げられ
胸に沁みた言葉だったに違いない。

写真は鏡花がかつて所蔵していた品で
紅葉亡き後、毎朝両親の仏壇を拝む前に手を合わせていたという。


鏡花の原稿
左は「龍潭譚」(りゅうたんたん) 幻想小説の始まりともなった作品(1896年)
右は「夜叉ヶ池」 鏡花作品の最初の戯曲(1913年)

4kyokaten 5kyokaten 
















鏑木清方画 「高野聖」より 明治37年(1904年)
鏡花が描く女性は、成しえなかった思いに沈み
あるいは異界で魔を秘めながらも人間の真実を問いかけてくる。



鏡花は「この現世以外に一つの別世界といふようなものがある」と自ら言っている。
別世界とは単にまぼろしや虚妄ではなく
人間界の不条理を鮮やかに問いただす領域である。
鏡花はその異界を幻想的に描き出す。

7kyokaten


婦系図(前編) 1908年 春陽堂
装丁 鰭崎英朋 口絵 鏑木清方・英朋

館内には鏡花本も多く展示されていた。
当時の鏡花の本はいつ見てもその美しさにためいきが出る。




8kyokaten


鏡花の筆記用具


初期の頃、原稿の執筆は毛筆であったがペンも用いるようになった。
展示の原稿などもペン字が多かった。
革製のケースに「MARUZEN」の文字が見える。





9kyokaten 
ポスターとチラシの絵は
金子國義氏の「國義ゑがく-私の鏡花世界」を用いている。
題字も金子さん。

文学館へ行ったのは11月4日。
鏡花の誕生日であった。鏡花は酉年であり
その向い干支が兎で鏡花は兎の品をコレクションしていた。

それにちなみ、4日に兎の品を身につけていくと記念品が提供された。
記念品はふたつのバッジ。
140年の文字がバッジに記されていた。


泉鏡花 旧居跡 東京都新宿区・千代田区

2013-04-07 | 泉鏡花

文学を志して上京し、尾崎紅葉の門を叩き、後に日本文学史に鏡花世界を確立させた
泉鏡花。東京にある3ヶ所の居住跡を訪ねた。

1kyoka_p

 


新宿区南榎町22番地

明治32年(1899年)鏡花26歳の時にここへ転居。4年間ここに住んだ。
この年には『錦帯記』『湯島詣』などが出版された。





案内板はアパートのそばに立てられている。
番地を頼りに行ったが、住宅街で目標物がなくたどり着くまで一苦労。


当時の南榎町の鏡花の家

             
 新宿区神楽坂2丁目22番地

明治36年(1903年)鏡花30歳の時に南榎町から転居。
硯友社の新年会で知り合った神楽坂の芸妓・すずと同棲をしていた住まいがこの場所であった。

後に同棲を尾崎紅葉から叱責され、すずは泉家から出て行ったが
紅葉がこの年の10月に亡くなり、すずを正式な妻として39年まで住んだ。

北原白秋は明治41年(1908年)同じこの地に1年間住んでいた。

2kyoka_p_pb



神楽坂にある東京理科大学の入り口脇にこの案内板と碑が立っている。
学生が何人も門から出てきた。

前にここを訪ねた時は工事中であり
何度も通ったがわからなかった。昨年設置されたという。









3kyoka_p

 

 
千代田区六番町5番地

明治43年(1910年)鏡花37歳の時に六番町に転居。
ここを生涯の住まいとした。
この年には『歌行燈』『国貞ゑがく』を発表。
映画「通夜物語」も封切られた。








3kyoka_p_p




この茶色のレンガタイルのマンションが目印。
1階入り口に案内板が立っているが
見過ごしてしまいそうにさりげなく立っている。







鏡花が生涯住んだ当時の六番町の家。
この鏡花の家の向かいには有島武郎・生馬邸があり里見が住んでいた。


「化鳥 夫人利生記」 泉鏡花

2012-02-28 | 泉鏡花

Kacyo

化鳥
少年・廉(れん)の独白でつづられた小説。
橋銭で生計をたてて母とふたり暮らす廉は、
学校の先生から人間は獣よりも優れていると聞かされるが、
彼と母は人と自然は同じものだという心を持っている。
豊かなイメージで人や自然を見る廉は、
目で見えるものでなく心で人と動物を同一化する。

ある日、川に落ちて流された廉を助けてくれたのは
「翼のはえたうつくしい姉さん」だと母から聞かされる。
母が彼に語るイメージも美しい。
翼のはえた姉さんを探しにいく廉。
彼が追い求め、心の中にまどろんでいたその翼の天女は廉の永遠の存在であった。

夫人利生記
主人公・樹島は摩耶夫人像を見に蓮行寺へ向かうその道すがら、うつくしい女に出会う。
寺には安産祈願のために赤子を抱いた沢山の母親の写真があった。
その中にみつけた先ほどのうつくしい女の写真を思わず盗んでしまう。
その時、幼い頃の雛にまつわる体験がよみがえる。

そして摩耶夫人像をあつらえる樹島が仏師に頼んだ禁断の願い…。
出来上がった像には母の面影がくっきりと刻まれていた。

うつくしい女性は母へとつながる。
その胸のうちはまぼろしの中でうろたえ、憧れゆえにゆらゆらと燃えているかのようだ。

泉鏡花が書斎に置き、信仰した摩耶夫人像を依頼した時のことをもとに大正13年(1924)に書かれた小説。


泉鏡花記念館 金沢 尾張町

2012-01-10 | 泉鏡花

念願の泉鏡花記念館へ行ってから一ヶ月が経とうとしている。
みぞれや雪、冬の雨は冷たかったけれど、天候の変化は金沢をけぶるような情景に姿を
変えていた。

1kyoka 2kyoka
記念館の表門と玄関

展示室には多くの初版本が並ぶ。黒い壁に鏡花本の装丁美が際立ち、貴重な初版本のほとんどを知ることができる。
そして鏡花を育てた金沢と鏡花のかかわりや創作活動の紹介など。
こじんまりとした記念館だが、気持ちを静かにして鏡花に触れることができる現代の異空間である。




3kyoka_2

久保市乙剣宮(くぼいちおつつるぎぐう)

「久保市さん」と呼ばれる記念館のすぐ近くにある神社。鏡花は子供時代にここで遊んでいた。
明治9年(1878)、現在の宝泉寺近くから移築された。明治25年の大火で類焼したが、これを機に向きを西に変えて現在に姿をとどめている。

   あそびなかまの暮ごとに集ひしは、
   筋むかひなる 懸社乙剣の宮の境内なる
   御影石の鳥居のなかなり。
        「照葉狂言」より

4kyoka





久保市乙剣宮の鳥居脇にある鏡花の句碑。鏑木清方筆で「泉鏡花出生の地」と刻まれている。
句は

      うつくしや鶯明けの明星に




5kyoka

神社の左へ行くと「暗がり坂」がある。
カーブのある階段はひっそりとして日が落ちる頃には物の怪を感じる場所だったという。
鏡花はこの階段を何度行き来したことだろう。

   心得ないものが見れば、坂とは言はず
   穴のような崕(がけ)」

と鏡花は述べているが、この界隈は細い路地が迷路のように筋を引き、道の向こうがまるで未知の場所であるかのように謎めいているところでもある。
鏡花のほの暗い幻想は、幼い記憶にこの坂で感じた神秘があったと思わせる坂である。


6kyoka 



滝の白糸像

「義血侠血」に登場する水芸の主人公は、ここ浅野川のほとりで卯辰山を背に今も川の流れを聞いている。








7_kyoka

浅野川にかかる「梅の橋」

 河は長く流れて向山の松風静に
 渡る処、天神橋の欄干に凭れて

と「義血侠血」に描かれた浅野川は鏡花の作品に多く登場する。
後方は卯辰山、天神橋はこの梅の橋の一つ上流側にある。



8kyoka 
        

       鏡花のみち

梅の橋と天神橋の間が鏡花のみちになっている。滝の白糸碑はこの二つの橋の中間に建つ。





金沢に今も息づく泉鏡花の原風景。それは悲しい女たちが巷の灯りに涙をかくし、橋のこちらとあちらに異境を生んだ浅野川の流れであった。

「鏡花水月」と恩師の尾崎紅葉に示したところ、「泉鏡花」と名づけられた彼にとって水の存在は大きな意味を持つ。浅野川を歩き、橋を渡ってひととき鏡花に会ってきた。


「山吹」 泉鏡花の舞台

2010-05-25 | 泉鏡花

1992年、渋谷パルコ劇場で上演された鏡花の「山吹」は主演に鰐淵晴子、演出・中村哮夫、美術・朝倉摂で、大正アールデコの時代ともいえるシンプルな装置に、人間の中にある魂の境界を描いた作品である。

Butaiyamabuki 山吹が咲く春の修善寺。
洋画家・島津の前に現れた謎の美女は小糸川子爵夫人・縫子であった。
小糸川家とうまくいかず出てきた縫子は島津を追ってきたと言い、もう家には戻れないので一緒にいてくれと頼む。 しかし島津は縫子を知らず、どんなことがあっても生きるようにと説得して立ち去ってしまった。


そばのよろず屋で酔いつぶれている老人・藤次は静御前の繰り人形に仕える身である。藤次は若い時に何度も女を不幸にした過去を持っていた。  
彼は自分の罪を傘でぶって折檻くれるよう縫子に懇願する。やぶれ傘で何度も叩く縫子。


そして、これからもずっと自分に折檻して欲しいと願う。再び現れた島津に縫子はともに生きることを頼むが島津は煮えきらずに答えない。幸福は望めず、叶わないと悟った縫子は老人とともに生きることを決意し、「世間へよろしく…さようなら」と、老人と手をとりあって島津の前から去って行った。


ひとり残った島津はつぶやく。「魔界か?これは、夢か?いや現実だ。おれの身も、おれの名も棄てようか…。いや、仕事がある」


この物語には魔界はなく現実の中で話は進む。
現実へ別れをつげた魂が魔界なのかもしれない。藤次は静御前よりも美しい女に折檻によって罪がほろぼされることを長い間待ち望んでいた。行き場のない縫子も、世間から離れたところにこそ真実に生きられることを知る。
共通の意識がひとつとなる表現は鏡花がえがく究極の愛である。そしてラストの島津のことば 「いや、仕事がある」は、笑ってしまうせりふでもあるが大きな意味を持つ。
負った罪の折檻に耐え、見事に人形を操る老人のほうが人間界の男よりも「仕事」をしていると言えるからである。

配役
糸井川縫子(子爵夫人)◆鰐淵晴子
辺栗藤次(人形使)◆坂本長利
島津正(洋画家)◆佐古雅誉


「海神別荘」 7月歌舞伎座

2009-07-25 | 泉鏡花

           

坂東玉三郎の美女、市川海老蔵の公子による「海神別荘」
天野喜孝の美術で海底の宮殿・琅�釦殿(ろうかんでん)は珊瑚の宮殿である。
多くの財宝と引きかえに父は娘の美女を波に沈めた。                   

海底の魔界に輿入れした美女は、黒騎士団に護られて水中を進んでゆく。7gatukabukihiru

  <私の身体はさかさまに落ちて落ちて沈んでいるのでしょうか>

白いコスチューム姿の玉三郎は水中でまばゆいばかりに美しい。
水が揺らぐハープの音色、揺れる光。
すべてが水の中でゆらめいている幻想に誘われる忘れがたい場面である。

宮殿に着いた美女は公子が支配する魔界に慣れることが出来ず人間の未練を残している。
自分が無事であることを故郷に知らせたいと公子に願い出るが公子はそれを認めない。
泉鏡花は、ここで公子の台詞を借りて「己の存在の意味」を持たせている。
自分が在る、それが存在する意義であると。

蛇身となった美女は故郷に落 胆して海底に戻るが、悲しみの極地の果て、
公子の高潔な精神に自分が殺められる幸福にたどりつく。
この作品は鏡花の美しい言葉が随所にちりばめられていながら
清冽な魔界と邪悪な人間界の対峙がくっきりと描かれている。

公子の純粋さ、高潔さを美女が理解したことによって二人は心が一つになり結ばれる。
剣を手に玉三郎と海老蔵が向かい合う姿は気品に満ち、
別世界に存在する清らなる鏡花のふたりである。

海老蔵は姿が美しい。しかし好青年ふうな言い方が一本調子に聞こえてしまう海神であった。
水の揺らぎに響くことを思えば納得できる表現ともいえるかも知れないが。
玉三郎は自分の存在の不安におののくような心の内部を繊細に演じる。
幻想世界に生ける財産ともいえる存在であり、完成された演技を水の魔界で見ることが出来た。


「天守物語」 坂東玉三郎

2009-07-12 | 泉鏡花

        ここはどこの細道じゃ 細道じゃ                                                                                                    女童(めのわらわ)の歌が茜の空に流れる。歌舞伎座が泉鏡花の魔界に転じる瞬間である。
鏡花が描く愛は試練を超えなければ得ることはできない。
玉三郎は極限の美と哀しみを、市川海老蔵はひとすじの純粋さを演じる。

Tensyu_k 播州姫路・白鷺城の天守閣には美しい魔性の富姫が住む。
猪苗代から妹の亀姫が鞠つきをするために天を駆けて会いに来た。
 姉妹の絆は花びらがこぼれるように美しい。
亀姫の土産は猪苗代城主の首であった。
亀姫へのお礼に富姫は姫路城主が大切にしている白鷹を亀姫に贈る。

そこへ白鷹がいなくなった咎によって若き鷹匠・姫川図書之助が
天守閣を見届ける命を受けてやってきた。
富姫は図書之助の言葉から潔さと清らかな心を見てとり図書之助を帰してあげる。
その帰り、大入道に雪洞(ぼんぼり)の灯りを消された図書之助は、火を乞いに再び戻ってくる。
天守閣へ来た証として富姫は姫路城主の兜を与えるが、この兜のために賊と疑われ
三度天守閣へ戻ることになった。
図書之助の勇ましさ、清々しさに心惹かれた富姫は彼をかくまう。                                      

しかし追手に異界の象徴である獅子の目を射抜かれ、
二人は視力を失ってしまった。愛する人の姿を見ることができない。
<千歳百歳(ちとせももとせ)にただ一度、たった一度の恋だのに>
二人の悲しみは深い。
しかし名工・桃六によって獅子の目は回復し二人は再び光を取り戻した。
幾多の試練は終わり至高の愛によって結ばれる。

魔界と人間界が夢幻的に交錯し、鏡花が示す美と醜は定めがたい心情の綾から生まれるものであることを
玉三郎が気高く演じる。幻想に棲む天守の貴女(きじょ)はひとときの夢を与えてくれる。


泉鏡花の紫陽花

2009-06-23 | 泉鏡花

        <うつゝに見ゆるまで美しきは紫陽花なり>                  

『森の紫陽花』(明治34年)で、泉鏡花は彼がもっとも愛した花を明暗の中に描いている。
花の一部が幻のように浮かび、また陰に沈む。翳りの中に紫陽花を淡く咲かせる鏡花の描写である。



『紫陽花』(明治29年)では、夏、氷を売りに歩く少年が腰元を伴って
通りかかった貴女(きじょ)に呼び止められ
少年は鋸で切った氷を差し出す。しかし鋸についていた煤(すす)で氷は黒い。
「きれいなのでなくっては」 貴女の要求に再び鋸を引くが、氷は何度切ってもきれいにならない。
2ajisai
氷をいくつも無駄にした少年が貴女の望みに応える一心不乱。
そこには困惑をおぼえながらも望みに叶おうとする苦しい少年の心が動き続ける。
「さ、おくれ、いいのを」 せがむ貴女の手を引っぱり
紫陽花が咲いていた小川へ着いた少年は氷を川の水で清めた。
 
氷は美しい透明になり輝く水晶のようだ。
貴女は自分のわがままを少年に詫び、小さくなった水晶の氷をのどに含む。
<うっとりとした目で少年の肩を抱く>貴女。
少年の清浄な心が貴女ののどを通った瞬間であった。
そしてそこに咲いていた紫陽花の色は貴女の顔をさびしく浮き上がらせる。
鏡花が描いた貴女はどんな運命であったのか。


躑躅

2009-05-11 | 泉鏡花

泉鏡花の短編、「竜潭譚」には満開の躑躅(つつじ)が多く描写されている。
その色彩の鮮やかさと、ただならぬ量感が妖気をおび、
躑躅という植物が見えない恐怖あるいは幽玄な美しさを生み出している。

Tutuji

路の左右、躑躅の花の紅なるが、見渡す方(かた)、見返る方、いまを盛りなりき。

行く方(かた)も躑躅なり。来し方も躑躅なり。山土のいろもあかく見えたる。

両側つづきの躑躅の花、遠き方(かた)は前後を塞ぎて、

        日かげあかく咲込めたる空のいろの真蒼き下に、

        彳(たたず)むのはわれのみなり。

        目もあやに躑躅の花、ただ紅の雪降積めるかと疑はる。

                                                                      泉鏡花 「竜潭譚」 より抜粋


躑躅の路。行けども行けども帰る家は近くならない。
姉にだまって出てきた悔恨が少年の心を不安にさせる。
途中でみかける鮮やかな蟲は躑躅の奥から現れた美女の化身だったのか? 
不思議な一夜。 物語のラストは夥しい量の水で町は水没する。
現実と夢想のぎりぎりを描いた泉鏡花の作品。

花言葉◆燃える思い、情熱                                              
他に使用した花◆パンジー                                                                  

 

 


「海神別荘」 泉鏡花の舞台

2009-01-26 | 泉鏡花

辻村ジュサブロー(寿三郎)の人形芝居で、泉鏡花の「海神別荘」が1980年、銀座・博品館劇場で上演された。
鏡花に運命的なものを感じているというジュサブローの脚本、演出、美術により、人形に鏡花のいのちが吹き込まれた舞台となった。

Kaijin

           Kaijintitle

    磯の千鳥は 舞うのである

    ゆったりと浪にも誘はれず 

    風にも乗らず ひと処を

Kousi_yoko

 

今宵は海底の琅釦殿(ろうかんでん)へ、陸から美女が輿入れの日。 
美女の父は娘を公子へ嫁がせることを条件に金銀財宝を受け取り、娘を海底に捧げた。
輿入れの様子は海底の魔鏡に写しだされ、公子はそれを見ながら家臣と人間界の話をする。
八百屋お七の火刑では、お七は愛の想いを遂げて本望のはず、なぜそれが刑罰なのかと公子は言う。

やがて琅釦殿へ到着した美女は、公子から贈られた宝玉で飾った自分の姿を
死んだと思っている父親や村人に見せたいので陸へあがらせて欲しいと懇願する。
「もうあなたは人間ではない。蛇身なのだ。あなたは栄耀が見せたいのだな。
人は自己、自分で満足せねばならん。人に価値をつけさせてそれに従うべきではない」と論するが、
聞き入れない美女は陸にあがる。

そこで見たものは、公子から贈られた財宝で新しい家を建て
、妾と暮らす浅ましい父の姿。
そして、自分の娘と知らず蛇を見た父親や、村人は自分を殺そうとする。
悲しみで海底へ戻ってきた美女に「悲しむ者は殺す」と言い放つ。
ついに公子の心を知った美女が言う。

「私を斬(き)る、私を殺す、その、顔のお綺麗さ、気高さ、美しさ、目の清(すず)しさ
、眉の勇ましさ。はじめて見ました、位の高さ、品の可(よ)さ。もう、故郷も何も忘れました。早く殺して。」
美女がこう言った瞬間、人間が持つおろかな精神が消えた。
刃の痛みなく、公子の高潔な精神によって美女は生まれかわったのだ。同じ心になった二人は永遠の愛を誓う。

舞台の最後に登場する雛壇。雛とは哀しみであり苦しみである。
人間のすべての「かげり」を形にしたもの。それを祝い、流すことによって生きる詫びをしているのです。(辻村ジュサブロー)

         さぁ いつの頃か 人は雛を流しける   

辻村ジュサブローは、この作品で文化庁芸術祭演劇部門で美術賞を受賞している。
鏡花の世界を作りあげた舞台には、ジュサブローのほか11人の人形遣いによって演じられた。
その中には若き日の堀浩史も参加している。

声の出演、平幹二朗(公子)、吉田日出子(美女)、坂本長利(僧都そうず)、阿部寿美子(語り、女房、侍女) 
また、場面に合わせた音楽効果も注目に値するものであった。

♪YOUGBLOOD(WAR)  プロローグの美女輿入れのシーン

♪天国と地獄(VANGELIS)  美女が陸から海底へ戻る場面と、ラストでふたりが結ばれるシーン