日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

映画 私の20世紀

2020-06-15 | 映画

       雪の街、いつしか眠りに落ちた2人の少女は運命の星に導かれ


エジソンの白熱電球の発明によってまばゆい光に
人々が酔いしれる1880年のある日、双子の女の子が誕生した。
名はドーラとリリ。



孤児になったドーラとリリは通りかかった2人の紳士に
それぞれ引き取られ別の運命をたどることになる。

その20年後、成人した2人はまったく違う数奇な人生を歩んでいた。
ドーラは女詐欺師、リリは気弱な革命家として。

そして1900年の大晦日、
オリエント急行で紳士とディナーを楽しむドーラと
人がひしめく三等席からリリが降りたブダペスト。

ドーラは変わらずに詐欺を繰り返し
リリは仲間の元へと向かった。

そしてリリの前に現れた謎の男Zが2人を同一人物と思い込み
運命のいたずらによって彼は翻弄される。

モノクロの濃淡で映し出される映像は
光も闇も魔法をかけたファンタジーのようで
星が語り、動物が身の上話を始める。
パブロフの犬は開放され、どこまでも走り続けた。
それまでの抑圧から解き放たれ、新しい20世紀に向かうように。

男Zはやがて鏡の迷宮へ入っていった。

男を惑わす詐欺師となったドーラ


街中に爆弾を投げようとするリリ


20世紀はマッチから電球へ、ロバから汽車へ
伝書鳩から電報へと新しい科学の発展に湧き立つ
新時代の幕開けでもあった。

ドーラとリリを演じたセグダ・オレーグは
2人を生んだ母親の役も演じ3役をこなした。

謎の男Zを演じたオレーグ・ヤンコフスキーは
ロシアのタルコフスキー監督の
「ストーカー」「鏡」「ノスタルジア」に出演し、
どの作品でも寡黙な演技が印象的だった。


「ボヘミアン・ラプソディ」のクリスマスカード

2018-12-24 | 映画

今月の22日(土)に観に行き、入場した時に配られたカード。
上映大ヒットを記念してのクリスマスカードとのこと。



カードの裏にはフレディ・マーキュリーの言葉が書かれていた。

今回は2度目の鑑賞で、最初に観た時よりフレディの孤独と生きることの苦悩、葛藤が
より身に詰まされたが、父やグループとの和解から
クライマックスの「ライブ・エイド」のコンサートへと移るシーンには安堵する思いがした。
映画の幕を閉じる曲「show must go on」は
フレディの遺言のような曲に思え、
亡きフレディの才能をもう見ることも聴くことも出来ない寂しさを感じて映画館を出た。


映画 「ボヘミアン・ラプソディ」

2018-11-14 | 映画




カリスマ的存在だったフレディ・マーキュリーの生涯を軸として
ロックグループ・クイーンが歩んだ道と、ほとばしるようなサウンドが次々と流れ、
映画でありながらライヴのような感覚を味わえた「ボヘミアン・ラプソディ」。

あれほどまで深かったフレディの孤独。
その闇はなかなか明るくはならない。
それでも音楽への情熱は絶えることなく燃え、
身をけずるように歌い続けたフレディ・マーキュリー。

映画のラスト。
圧巻のあの有名なライブエイドのコンサートに鳥肌が立つ思いがした。
ボヘミアン・ラプソディーの和訳が出た時
泣くまいとこらえていたものが崩れてしまった。

この公開を何か月も前から楽しみにしていたが
音楽に身を捧げた天才の姿、家族、そしてクイーンの偉業を
感動的に描いた映画といえる。

先週まで渋谷駅の井の頭線通路に流れていた宣伝movie。
 


映画「ベニスに死す」 美の幻影と恍惚と

2018-10-25 | 映画

ルキノ・ヴィスコンティ監督の三部作のひとつに挙げられる「ベニスに死す」は
公開されると同時に名作として人々のこころに刻まれた。
20代の時にテレビで見て深く感動し、今もその素晴らしさは胸を打つ。




物語の全体に流れるマーラーの交響曲第5番「アダージェット」が
感傷的に、またベニスと人生の黄昏時にも似た世界感へと導く。

そしてこの作品がヒットした要因は
タージオを演じたビョルン・アンドレセンの類まれな美貌が作用していることは
確かで、本当に美しい。

当時15歳だったアンドレセンの北欧系の美しさは
現代の美少年とは又違い、どこか頽廃的な雰囲気を漂わせている。

舞台は1911年のベニス。
こころの傷を負った老作曲家アッシェンバッハは静養のためベニスを訪れる。
そこで同じホテルに滞在していたタージオの美貌に彼は一瞬で目を奪われた。
美に出会ってしまったのだ。



タージオを目で追い、声をかける訳ではなく
ただ遠くから見つめるアッシェンバッハの片思いにも似た感情。
そんな彼の視線を感じながら、
他意はない視線や微笑みを見せるタージオ。

ベニスには疫病が蔓延していた。アジアコレラであった。
アッシェンバッハはタージオの母にすぐにホテルを発つよう進言する。
そして初めてタージオの髪に手を触れる。
いとおしさとタージオの幸せを願って。

姉妹とともにベニスを発ったタージオを追い
化粧をしたアッシェンバッハは荒廃したベニスの街をさまよう。
そうしてタージオを追い、疲れ果てて座り込んでしまったアッシェンバッハに
何故かこみあげてくる笑い。
それはタージオともう2度と会えない悲しみ、我を忘れてタージオを追った日々、
化粧をするまでになってしまった自分。
そんな自嘲の念から出た笑いなのか。

終末へ向かい、砂時計の砂がするすると音もなく落ちていく―。

人影もまばらになったホテルの浜辺で
疫病に感染し、弱った体をデッキチェアに身を沈めるアッシェンバッハのそばには
陽光きらめく波間にタージオが立っている。
しかしアッシェンバッハの頬に、化粧で髪を染めた黒い液体が流れ、
タージオの姿を追いながらも命尽きてしまう。



素のままで美が備わっているタージオの若さ。化粧で美しく見せるアッシェンバッハの老い。
人間の悲哀を感じずにはいられない。


この作品はトーマス・マンの小説「ベニスに死す」を映画化したもので
原作の主人公は小説家だが、ヴィスコンティは作曲家のマーラーをモデルに制作した。
時代設定もマーラーが没した1911年になっている。

アッシェンバッハを演じた名優ダーク・ボガードの演技は
神経を病みながら、美を前にしてうろたえ、心乱れる心理が絶妙だった。

そして特別出演のシルバーナ・マンガーノの
気品と貴族の優美さを感じるエレガントさは目を引く。
ヴィスコンティ自身の母をイメージしたという。

ビョルン・アンドレセンはこの映画の後、
日本で彼が出演した映画を目にすることはなかった。
しかしこの「ベニスに死す」に出演しただけでも名優と言えるのではないだろうか。
彼の美しさを映像に焼きつけたヴィスコンティの手腕によるとはいえ、
この若かりし頃の美しさは彼だけのものであるはずだから。

マーラーの調べにのせて究極の愛と死を耽美的に描き、
伝説になりつつあるこの作品。
きらめく光の中で一番大切なものを目にとどめて命尽きた作曲家は幸せだったのではないかと思う。 

映画 屋根の上の女

2018-01-18 | 映画
光、リヒト、ライト、ルミエール、北欧の光はヨーロッパで一番美しい。(作中より)

白夜の国、北欧の光はおぼろであり、移ろい、揺らめき、消えてゆく。
それはやわらかであり、ミステリアスな光でもある。
そんな光がふたりの女性を照らしながら、ショッキングなラストへと向かってゆく。




第一次世界大戦前夜のストックホルム。
田舎から出てきた内気な少女リネアは写真館で仕事をはじめた。
隣には写真家の女性アンナが住んでいた。

暗いかげを秘め、エキセントリックで意志が強そうなアンナは
リネアとは容姿も性格も正反対の女性だが、ふたりはすぐに親しくなり
スタジオでお互いをモデルにして写真を撮り信頼を深めてゆく。
この撮影シーンは、レオス・カラックス監督の「ボーイ・ミーツ・ガール」を
思い出させる。

ガラス乾板を見るリネア。


ある夜、屋根から現れたジプシー・サーカスの男ウィリー。
アンナの恋人であった。
三人の何の違和感もない不思議な関係。
それは光のようにゆらめいている。
ウィリーが三人のアメリカへの旅を提案したが
その旅費を得るため、アンナが逃れてきた元の夫に彼女の居場所を教えてしまう。

激怒したアンナはウィリーと口論の末、誤って彼を殺してしまった。
すべては崩れ去った。うろたえるアンナ。
しかしリネアは冷静沈着に屍を布に包んで始末する。

まだ動揺するアンナと冷静なリネアは屋根に上がった。
そしてウィリーの死体を満身の力を込めて煙突の中に投げ込む。
これですべてが終るはずだった―。

しかしアンナが思いがけない行動に出た。
ウィリーを投げ込んだ煙突の中に突然、自ら身を投げてしまうのだ。
翌朝、ひとりになったリネアは
アンナのカメラを持って何事もなかったかのように街を去っていった。

非常事態で逆転するふたりのクライマックスに至るまで
光を自在にとらえた美しい画像で物語は進む。
青い月の光、雷鳴で一瞬照らされる室内、ガラス乾板の陰影、
そしてシャッターを切るマグネシウムの光など。

光が織りなす映像美の中、
変わりゆく現在の時間の流れと
写真に収められた永遠に変わらない時間をとらえた北欧映画だった。

1989年 監督:カール=グスタヴ・ニクヴィスト

映画 「74歳のペリカンはパンを売る」

2017-11-03 | 映画

東京・浅草にあるパン屋「ペリカン」。
食パンとロールパンの2種類しかしか作らないという異色で
老舗の「ペリカン」のドキュメンタリー映画。1週間前に見に行った。



74歳というのは創業1942年(昭和17)から数え
映画の製作にとりかかった時の年数で名づけられたのだと思うが
今年は75年目にあたる。

朝8時の開店には行列が毎日続く。
近くなら並べるが、食べたくなった時は
いつも予約で買いに行く。

「自分に10の力があったら100を作らずに1を作る」という
2代目の渡辺多夫(わたなべかずお)さんのスタンスから始まり
以来2種類のパン作りを守り続けているのだという。

映画は2代目の時から手伝っているパン職人、
製造機の整備をする人、お店で働くスタッフなどの姿を追い、
現在4代目の店長である渡辺さんの仕事風景が映される。

パンはどうですか?と常連らしき男性にインタビュー。
「べつに、ふつう」というような答え。
しかし「言葉は語るけれど物は言葉なしで語る」と
素晴らしいコメントが返ってきたのが印象的だった。
(正確な言い方は記憶があいまいだが)

生地を作り、形にして、窯に入れーー
焼き上がったときには
食べて幸せになれる味がいつのまにか入っている。

ペリカン直営のカフェが今年8月にオープンした。
2度行ったが予約が多すぎて2度ともあきらめた。
多くのファンが求める
――変わりゆく時代の、変わらない味――


映画 「LA LA LAND」 そしてテレビのアカデミー賞

2017-02-28 | 映画



若き日に描いた夢。
それは挫折を味わい、失望を繰り返しながらも夢に向かっていく時期にめぐり合った恋さえ
思うようにならなかった青春への懐かしさとほろ苦さを残す映画「LA LA LAND」。

アメリカのロサンゼルスが舞台。
道路は車の渋滞でその車から皆が出てきて歌い踊るシーンから始まる。
この街は夢を叶えようとする人々が集まる街。
女優を目指すミア(エマ・ストーン)もカフェで働きながらそんな夢を追う女性だった。

ある日、ふとピアノの音色に引かれて場末の酒場に入ったミアは
そこでピアノを弾いていたセバスチャン(ライアン・ゴズリング)と出会う。
彼も自分でジャズの店を持ち、そこでピアノを弾くことを夢みていた。

お互いの夢を尊重しながら愛し合うようになり、セバスチャンと暮らすようになるが
店を持つために夢とは違う音楽でお金を稼いでいる彼と意見が合わずミアは実家へ帰ってしまう。

月日は流れ――、女優になったミアは夫とバーへ入る。
そこでピアノを弾いていたのは、自分の店を持ったセバスチャンだった。
客席にミアを見つけたセバスチャンは、ふたりの思い出の曲を弾き始めた。
ミアの頭をめぐる夫ではないセバスチャンと自分の現在の姿。
しかしそれは叶うことのなかった愛の淡い幻想でしかなかった。

まだ31歳という若きデイミアン・チャゼル監督が色彩豊かに歌とダンスを織り込み
血が熱くなるようなジャズの音やタップダンス、バラードも含め
現代でありながらどこか郷愁を感じさせる映画だった。

個人的にはプラネタリウムの星の中で舞うふたりや
「パリのアメリカ人」を思わせるラストの群舞のシーンが気に入っている。
ライアン・ゴズリングの多才な演技も印象的。


そして帰ってきてテレビで見たアカデミー賞。
主演女優賞、監督賞、美術賞、撮影賞など6部門でオスカー像を獲得した「LA LA LAND」。
最後の「作品賞」で「LA LA LAND」が呼ばれ
最高に盛り上がったと思ったら大失態が映し出された。
「LA LA LAND」ではなく、手違いで本当の作品賞は「ムーンライト」だと発表された。

テレビの前であっけにとられてしまったが
主演女優賞のエマ・ストーンは「ムーンライト」は賞に値する作品だと言ったという。
前代未聞のハプニングだったが
チャゼル監督が描いた夢を追う人々への熱いエールともいえるこの作品は
明日を信じて進む情熱がかけがえのないものだと語っているようだった。

映画 「血とバラ」

2016-10-31 | 映画

化学万能の現代に、古くから伝わる霊魂の世界を織り込んで
吸血鬼の物語をロジェ・バディム監督がレ・ファニュの小説「カーミラ」をベースに
耽美的に描いた映画作品。




イタリアの丘に建つカーンシュタイン家の城には
結婚を控えたレオポルド伯爵と婚約者のジョージア、
そしてレオポルドに恋心を寄せる従兄妹のカーミラがいた。
祖先は吸血鬼の一族だったというカーンシュタイン家にあるミラーカの肖像画は
カーミラにそっくりだった。
(ミラーカにカーミラ。ややこしい)

はるか昔、吸血鬼一族をほろぼす農民に襲われたカールシュタイン家で
ただひとり生き残ったのがミラーカで、恋人が墓地にかくして助けたという。

レオポルドとジョージアの婚約パーティが開かれ、花火が打ち上げられたが
ドイツ軍が埋めた地雷が爆発したため墓地が崩れてしまった。
誘われるように墓地の地下に下りたカーミラは封印されていた棺が開くのを見た。
その時からカーミラに霊魂が乗り移った。

血を求めるカーミラは、召使いの少女が森の中を帰るそのあとを追った。
映画の中で一番怖く、又一番美しいシーンだ。
白いドレスのカーミラが歩くシーンは抒情的で、
ハープの音色が恐怖ともの悲しさを誘うシーンでもある。

そして温室でカーミラがジョージアの血を吸う有名なシーン。
バラのトゲで血が出たジョージアに近寄るカーミラ。
危険な香りがするシーンで、レズビアン的要素がただようと聞くが
実際に見るとそんなことを感じさせない。
ヴァディム監督がふたりの女性を最も美しく描いたように気品あるシーンだ。

レオポルドへの想いはカーミラを次の行動に移す。
寝ているジョージアにカーミラが襲った。ジョージアは奇妙な夢を見る。
この夢の場面はモノクロだが
カーミラの胸から流れる血だけが赤のカラーになるのは
ヴァディム監督らしくシュールで印象的だ。
目覚めたジョージアの首にはふたつの歯の跡が――。



レオポルドへの叶わぬ愛に絶望したカーミラは
さまようように庭を歩くうち、墓地を破壊する爆風に飛ばされ
柵の杭に落ちて衝撃的な最期を遂げた。

レオポルドとジョージアが飛行機で新婚の旅に発った。
しかしジョージアでありながら彼女には霊魂が宿っていた。
500年も生きていたミラーカの霊魂が。

大女優と結婚し、その時の夫人を主人公に映画を撮るバディム監督だが
この「血とバラ」は2番目の夫人となったアネット・ストロイベルグを
遂げられぬ愛に悲嘆する女性として切なく描いている。
かなり昔に確かNHKの放送で見た時に魅了された「血とバラ」。
この名作も日本でぜひDVD化して欲しいと思う。

映画 リリーのすべて

2016-03-30 | 映画

今から約80年前に実在したリリー・エルベの実話をもとに
トム・フーバー監督が映画化した作品。
当時はまだ理解されない性同一障害に苦しんだリリーを
感動的なまでに支えた妻ゲルダの深い愛によって
リリーとなって生きることが出来た生涯を描いている。

 

1928年、デンマーク。
風景画家のアイナーと肖像画家で、アイナーの妻・ゲルダは
お互いに絵を描いて生活をする仲睦まじい夫婦だった。
ある日、ゲルダから急遽モデルを頼まれたアイナーは
靴下をはき、白いドレスを当てた時、
自分の中に潜んでいた女性に目覚め、うちふるえるのを感じた。

アイナーは密かに女性の服を身に着け
娼婦館に行って女性のしぐさまで研究して次第に
「女性リリー」に近づいていく。

ある日アイナーが男性とキスをしているのを見たゲルダは
彼を問い詰めるが
リリーとして生きたいアイナーの思いは揺るぎないものになってしまった。
ゲルダの苦悩は深く、「アイナーに会いたい」と、リリーに訴える。
また自分の体と心が一致しないリリーの心も葛藤に苦しんでいた。

しかしリリーは妻に対して変わらずに優しく接していたし
ゲルダもリリーを理解するようになり、
共に試練の道を歩いていくようになった。

リリーは女性になるために
まだ誰も試みていない困難な適合手術をうけるためドイツへ向かう。
笑顔で見送るゲルダ。
しかし二度目の手術は成功せず、ゲルダに見守られてリリーは天国へと旅立った。

予告編でこの作品を知り、ぜひ見たいと思っていた。
監督は「レ・ミゼラブル」「英国王のスピーチ」などを手がけたトム・フーバー監督。
主演はエディ・レッドメイン、その妻ゲルダにアリシア・ヴィキャンデルが演じた。
画像は絵画のようであり、当時のデンマークの画家、ヴィルヘルム・ハンマースホイの作品から
フィーチャーして製作された。

実際にスクリーンで見ると、やはり秘められたものを
見るようでドキドキしたが
本当の自分になるため、次第にリリーとなっていくアイナーの
ひたむきさは悲哀を感じ、涙をさそう。
そして未亡人となった妻ゲルダは生涯リリーの絵を描き続けたという。


映画 「FOUJITA」 パリに愛された日本人画家

2015-12-17 | 映画



フランスで「乳白色の肌」と称賛され、エコール・ド・パリの
寵児となった日本人画家・藤田嗣治。

時代の状況が現在とは大きく異なる狂乱の1920年代のパリと
戦時下の1940年代の日本を背景に
フジタの栄光と孤独、平穏な暮らしなどを
オダギリジョー演じるフジタによって
現実の中にイメージを織り込み、ストーリーを持たずに作られた映画。
この作品は伝記映画でも記録映画でもなく
小栗康平監督がとらえ、波乱の時代を生きたフジタの姿である。

パリで成功したフジタは
華やかで充実した日々を送る。
ドンゲン、キスリング、スーチン、ザッキンらと同時代にあり、
酒場や仮装パーティに出入りし、自由を謳歌する。

夜の酒場のシーンは
「モンパルナスのキキ」とユキ(本名リュシー・バドゥ)も
とびきりの個性があるにもかかわらず
物足りない存在になってしまい
酒場の雑多な雰囲気に欠け、狭い一角で撮り終えたようなシンプルさは
彼らの有頂天ぶりがうまく伝わって来ない。

女装したフジタが日本の花魁を見せる「フジタ・ナイト」に興じる彼は
妻ユキに「バカをするほど自分に近づく」とつぶやく。
アナーキーな流れに身をまかせて生きるパリのフジタは
光に包まれながらもどこか虚ろに思える。

一転して1940年代の日本。
パリの時代と変わって濃密な描写で日本とフジタを描いていく。
人々の暮らしが伝説や習慣、自然を共にして生きていた時代。
戦争のさなかにあっても日本の美はフジタを癒しただろうと思う描写。

「決戦美術展」にフジタの作品「アッツ島玉砕」が展示され、
横に国民服のフジタが立っている。
人々が賽銭を入れるのを見たフジタは、画が人の心を動かすのを実感した。
「乳白色」とはまるで違う現実の残酷さを描いた「アッツ島」は
後に藤田嗣治からレオナード・フジタへと変わる運命を暗示するようだ。

そして疎開先の農村での5番目の妻・君代夫人との穏やかな生活。
ここでもフジタの絵画への思い、フランスと日本の違いなどを彼がどう感じたのか
心情的なものが描かれる訳ではない。
コラージュのように現実とイメージを重ねて描かれたフジタから
彼の喜びや悲しみ、孤独などを
私たちがすくい取ることを求められる映画なのだ。

物語はつながりを持たないままラストに向かった。
一瞬現れる2体の西洋人形と、
戦死した兵士のそばに流れる川の中に「サイパン島同胞臣節を全うす」の絵。
そしてノートル・ド・ラ・ペ礼拝堂をカメラはゆっくりと回っていく。
群衆の中に描いたフジタの自画像がクローズアップされるこのシ-ンで
フジタの「祈り」のようなものに胸を突かれるような思いがした。
日本と西洋の間を猫のようにしなやかに生き、
栄光と失望を静かな祈りで生涯を終えたフジタという人物像が
ここで深く胸に入り込んでくる場面である。

CGによって幻想的な描写に仕上げられているが
その時々のフジタの姿を象徴的に、
また動乱の中をふたつの国で生きた画家の悲哀と矛盾、
画業への情熱が根底に流れている新しいタイプの美術映画なのだと感じた。
暗い色調の中に過去の時間を、
そして対極に描いた光と影から藤田嗣治の偉大な輝きを見いだす思いがした。


映画 「ボーイフレンド」

2015-07-22 | 映画

  

ケン・ラッセル監督が1971年に製作したミュージカル映画「ボーイフレンド」
その主役として出演しているのが
「小枝」という意味で名づけられたツィギーで、1960年代に細身で
キュートなモデルとして大活躍した。
テレビで見たこの映画のセットの豪華さとツィギーの可愛らしさ、
タップダンスの素晴らしさが印象的だった。

物語は1920年代後期、イングランドはポーツマスの劇場。
観客はまばらで出演者のほうが多いくらいのわびしさ。
しかし幕が上がった舞台は、チャールストンのダンスあり、
ふんだんに見せるタップダンスがあり、ハリウッド映画の見せ場でもある群舞ありと
ケン・ラッセル監督の意気を感じるシーンが満載だ。

主人公ポリー(ツィギー) は劇団の雑用係をしているが、主演女優が怪我をした為に
ピンチヒッターとして急遽出演することになってしまった。
そこへハリウッドでは有名な監督スリルがキザないでたちで客席に姿を現した。
最初はおぼつかなかったポリーだがそのうち主演女優を凌ぐほどになっていく。
相手役のトミーに想いを寄せているが、彼の本心がわからないポリーは
不安とさびしさでいっぱい。
そんなポリーに優しく接してくれたのは同じ劇団のマダム・デュポンネという女優だが
彼女は、ポリーに会いに来た父親の昔の恋人だった。再会を喜ぶふたり。
そして劇団のもうひとりのホープ、トミーはタップダンスの才能を持つ孤児だったが
キザな監督スリルが長年尋ねあぐねていた実の息子だった。
ポリーの恋人トミーも実は貴族の御曹司で、ポリーもまた資産家の跡取り娘だったとお互いに打ち明け、
ふたりの恋は実を結ぶ。

内容は出来過ぎなくらいの偶然性のおかしさを感じつつも
全体に漂うアールデコ時代の雰囲気と、
監督がツィギーを何とか説得して出演させただけあって彼女の魅力を存分に引き出している。

又、現在はアメリカ演劇界の演出家でもある若きトミー・チューンのタップダンスが
織り込まれているのもうれしい。
衣装は監督の夫人であるシャーリー・ラッセル。

ケン・ラッセル監督の他の映画は「マーラー」と「ケンラッセルのサロメ」しか
見ていないが、実在の人物を映画化したことが多かった異彩ともいわれた監督の
遺した作品は興味が尽きない。


映画 世にも怪奇な物語

2013-06-29 | 映画

怪奇小説の巨匠、エドガー・アラン・ポーの悪夢とも幻想ともつかない物語を3人の代表的監督が描いたオムニバス映画。
原作がポーである上、出演者はジェーン・フォンダと弟のピーター・フォンダ、アラン・ドロン、ブリジット・バルドー、テレンス・スタンプという
一流の顔ぶれが集結した恐怖映画といえる。

Yonimokaiki
「黒馬の哭く館」
中世の館に住む令嬢フレデリック(J・フォンダ)は莫大な遺産を継ぎ
気まぐれで退廃的な毎日を過ごしていた。
近隣に住む青年ウィリヘルム(P・フォンダ)に森で助けられ
館に招待するが拒絶される。
自尊心を傷つけられた彼女はウィリヘルムの馬小屋に火をつけて復讐をする。
しかし愛馬を助けるためウィリヘルムは死んでしまった。
それを聞いてフレデリックは動揺する。
そして館に入ってきた一頭の黒いあばれ馬。
フレディックはなぜかこの馬に惹かれ、それからはいつの時も黒馬と一緒に過ごした。
 ある夜、落雷によって平原が一面火事になった。
フレディックはひときわ暴れる黒馬の背に乗り、燃えさかる火の中を疾走していった。
(ロジェ・ヴァディム監督の他の作品は「素直な女」「血とバラ」など)



「影を殺した男」
冷酷で高慢なウィリソン(A・ドロン)は幼い時から残虐な行為を繰り返してきた。
女性を医学の実験台にして体にメスを入れたり、賭博場で知り合った美しい女(B・バルドー)にいかさまで勝ち、
ムチを打ったりの非情ぶりは異常であった。
そんな時にいつも現れて餌食になった相手を助ける自分とうりふたつの男。悪に対する善。
ウィリソンは何かと自分の邪魔をする男が目障りになり
とうとう彼を刺してしまう。
半身がなくなれば生きることは出来ない。
鐘が鳴り響くなか、鐘楼からウィリソンは身を躍らせた。
(ルイ・マル監督の他の作品は「死刑台のエレベーター」「地下鉄のザジ」など)

「悪魔の首飾り」
俳優トビー・ダビット(T・スタンプ)は新作映画のためローマに来た。
神経症的な彼はまわりのものすべてが雑音に聞こえ落ち着かない。
疲れきった彼は会場を飛び出し、映画出演の報酬である新車のフェラーリに乗って街を暴走する。
霧が立ちこめる橋の前まで来た時に現れた白いボールを持った少女。
不気味な彼女はローマの空港にも現れていた。
霧の中から白いボールが呼んでいる。
トビーは吸い込まれるようにその橋に向かって猛烈なスピードで走り出した。
(フェデリコ・フェリーニ監督の他の作品は「道」「甘い生活」「そして船は行く」など)


耽美でありながら死と恐怖が潜んでいる3作品だが、「黒馬の哭く館」は詩情がただような映像が美しい。
「影を殺した男」のアラン・ドロンはサディスティックな性格がぴったりで
ドッペルベンガーをテーマにルイ・マル監督が簡潔に表現している。
そして「悪魔の首飾り」の恐ろしさは鮮烈で、白い少女が脳裏に焼きつく。
テレンス・スタンプの神経症的な役は彼以外には考えられないハマリ役といえる。
テレビで見た「コレクター」の異常性格者のスタンプが恐くて仕方がなかった記憶がある。
フェリーニ監督の例の人工的な装置も、流れるような映像もどこか虚無的ではかない。


映画 ピクニックatハンギングロック

2012-02-12 | 映画

                                    物事はみな 始まり そして終わる
                                    定められた時に 定められた場所で・・・

Picnic

1900年2月14日、オーストラリアのバレンタイデーはやわらかな陽光に包まれていた。
この日、寄宿制女子学校アップルヤードカレッジの生徒たちは
郊外の岩山ハンギング・ロックへピクニックにでかけたが、
そこから数名が忽然と姿を消した。

ゆらめくような青春を描きながら、ヴィクトリア朝の繊細な画面の中に
底知れない恐怖が潜んでいる映画だ。
岩山へ行った少女たちが眠りからさめた時、彼女たちが無言で申し合わせたように
靴下を脱ぐ不思議なしぐさ。
運命の空気がながれる。そして岩山へ入っていく少女たち。

2picnic
神隠しにでも遭ったようなこの不思議な現象は、
なぜ消息を絶ったのか原因は解明されないままであるが
映画の中では示唆的なことばがいくつも散りばめられている。

岩山は謎の事件をもたらしたが、青空を背に150万年来の姿であいかわらず不気味にそそり立つ。
まるで人為の及ばないものを秘めているかのように。

この事件からアップヤードカレッジは次第に窮地に追い込まれ
校長は岩山へ登って自殺する。

偶然と必然がこの世には存在する。それは私たちが意識しない日常で交錯しているものだ。
そしてはかり知れない謎は現在もあり
運命の杖は地上に人間がいるかぎり振られ続けているのかも知れない。

少女期の輝くような神秘性、アップヤードカレッジの校長の厳格さと苦悩、
そしてパンフルートとピアノの音色が物語を陰影ある絵画のように仕上げている。

          オーストラリア1975年製作 監督 ピーター・ウェアー


8個の窓 ジェーン・バーキン

2011-06-23 | 映画

Wonderwall
写真は映画「wonde rwall」のパンフレット。
ジェーン・バーキン初主演の映画で1968年に製作された。
まだバーキンはイギリスにいてセルジュ・ゲンズブ-ルと出会う前のことである。

内容は、アパートに住む研究一筋のコリンズ教授が壁に開いていた穴から
隣に住むペニー(ジェーン・バーキン)という女の子の部屋を覗く。
そこに見えたのはサイケに彩られたミステリアスで耽美な世界だった。


 

特別なストーリーがあるわけではなく、ペニーはモデルであり、
部屋がスタジオになっているので次々とバーキンの変身が現れる。
1960年代のサイケデリックといえば色の洪水が無限にデザインを創り出した特異な時代であった。
バーキンは本当に魅力的で時代が変わっても永遠の女の子を演じている。

この映画を日本初公開の時に渋谷で見たがどの映画館だったか思い出せない。。
ただ'60年代の彼女主演の映画、というだけで
すぐに映画館に行ったのを思い出す。

Bookret_birkin音楽担当はビートルズのジョージ・ハリスン。
摩訶不思議なイメージに仕上げている。

その後、ジェーンはパリに渡りセルジュ・ゲンズブールと劇的な出会いをする。
彼によってジェーンは彼女のもつ魅力をさらに開花させ「青い炎の妖精」となった。

二人のショットは雑誌にたびたび掲載され、洗練されたカップルのイメージを強く打ち出した。
その後二人は別れてお互いが別のパートナーと一緒になったが、
時が経った今、ゲンズブールにとってもバーキンにとっても短い青春期の
忘れられない大切な相手であることは間違いない。
私にとって、二人で一人と思っているゲンズブールとバーキンはやはり永遠である。


映画 「アリア」 デレク・ジャーマン

2010-03-24 | 映画

DEREK JARMAN/ "ARIA" (Please watch in HD!)

 

アリアはオペラなどに含まれる旋律的な独唱曲のことだが
1987年のイギリス映画「アリア」は10人の監督がそれぞれ選んだ1曲で、
愛、死、運命、真実などを描いたオムニバス映画。

その中の第9話 デレク・ジャーマンによる、ルイーズ<シャルパンティエ>は、
老プリマドンナが最後のカーテンコールに立ち、若き日のかがやく恋の喜びを回想する。

舞い降りる紙吹雪、きらきら光る波、さざめく花…。

監督デレク・ジャーマンの8ミリフィルム撮影は
過ぎ去った向こうにあった幸せの日々を黄昏のように描き出す。
確かにあった幸せ、真実だった日々を。