日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

長谷川潔展 生誕120年記念

2011-06-27 | 絵画

己を律しストイックな精神で画業に生きた版画家・長谷川潔。
気になる画家であり、静謐な作品を1枚でも多く間近で見たいと横浜美術館にでかけた。

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長谷川潔は27歳で渡仏し、89歳で亡くなるまでフランスに定住した画家。

写真の発達などにより、当時忘れられていたマニエール・ノワール(黒の技法。英語でメゾチント)をよみがえらせた。
しかしそれは単なる黒の明暗ではなく、日本でいわれる「墨の五彩」を用いて長谷川潔独自の漆黒を生み出した。

それは神秘的ともいえる静けさであり透明感をも感じさせる。
そして漆黒の絵にも時間が存在するのだ。
午前、夕暮れという具合に黒の時間に違いがある。
同じようでありながら違う黒を見る思いがした。
上は「草花とアカリョム」(1969年)

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戦争が始まってもフランスにとどまった彼は、散歩の途中ある一樹をじっと見ていると
その樹木が人間の目鼻立ちと同じように「意味」を持っていることに気がついたという。

そして美は黄金比率にあり(レオナルド・ダ・ヴィンチの人体図で有名)
植物の美もバランスによって成り立っていることを深く感じる。
何の不思議もなく存在する植物と人間は友であり上でも下でもない、
すなわち万物は同じだと啓示にも似た体験をした。

右は「竹取物語」-仏訳(1933年)
7年の歳月をかけて描かれたという。彼の絵にフランス人は日出る国の美に想いを馳せたことだろう。

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己を律した人らしく銅板に引かれた線は狂いのない緻密さで仕上げられていた。
それは線と呼吸との一致。
一木一草を厳しく描き彼は神を表そうとした。

描かれているそこには暗示的なものがいくつもある。
鳥は自然観察者としての自分、ペーパーウエイトは歴史、というふうに。

草花を描いた絵にはジャンボ・タンポポが多く見られる。
美術館ロビーに実物の綿毛が展示してあった。
直径10センチほどもある大きさだ。

静謐な絵は沈黙しているようであった。
しかし描かれた向こうから長谷川潔は己の精神が見た神を今も語っている。

上は「花瓶に挿したコクリコと種草」(1937年)


愛宕神社の千日詣り

2011-06-24 | 神社仏閣

Atagosennitimairi
6月23日・24日は芝の愛宕神社の千日参りの日。境内ではほおずき市も開かれる。

千日詣りとはこの両日に参拝すれば千日のご利益があるとされる。
社殿前に大きな茅の輪(ちのわ)があり、
そこをくぐると商売繁盛、無病息災のご利益があるのでいつも行列が出来る。

東京のほおずき市は浅草が有名だが発祥は愛宕神社からであり
「千日詣りくぐり」も江戸時代から続いている。

愛宕神社といえば、ここの急勾配の長い階段は「出世の階段」といわれることで有名だが
江戸時代、三代将軍家光がここに咲いていた梅の花を所望した折り、
曲垣兵九郎が馬でこの階段をみごとに昇り花を献上したことに由来する。

そして明治維新前、江戸城攻撃の西郷隆盛を勝海舟が愛宕山に案内して眼下にひろがる民家を見せ、
町が猛火に包まれる愚かさを説いたことでも有名である。

                写真は茅の輪をくぐる頭上にあたる


8個の窓 ジェーン・バーキン

2011-06-23 | 映画

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写真は映画「wonde rwall」のパンフレット。
ジェーン・バーキン初主演の映画で1968年に製作された。
まだバーキンはイギリスにいてセルジュ・ゲンズブ-ルと出会う前のことである。

内容は、アパートに住む研究一筋のコリンズ教授が壁に開いていた穴から
隣に住むペニー(ジェーン・バーキン)という女の子の部屋を覗く。
そこに見えたのはサイケに彩られたミステリアスで耽美な世界だった。


 

特別なストーリーがあるわけではなく、ペニーはモデルであり、
部屋がスタジオになっているので次々とバーキンの変身が現れる。
1960年代のサイケデリックといえば色の洪水が無限にデザインを創り出した特異な時代であった。
バーキンは本当に魅力的で時代が変わっても永遠の女の子を演じている。

この映画を日本初公開の時に渋谷で見たがどの映画館だったか思い出せない。。
ただ'60年代の彼女主演の映画、というだけで
すぐに映画館に行ったのを思い出す。

Bookret_birkin音楽担当はビートルズのジョージ・ハリスン。
摩訶不思議なイメージに仕上げている。

その後、ジェーンはパリに渡りセルジュ・ゲンズブールと劇的な出会いをする。
彼によってジェーンは彼女のもつ魅力をさらに開花させ「青い炎の妖精」となった。

二人のショットは雑誌にたびたび掲載され、洗練されたカップルのイメージを強く打ち出した。
その後二人は別れてお互いが別のパートナーと一緒になったが、
時が経った今、ゲンズブールにとってもバーキンにとっても短い青春期の
忘れられない大切な相手であることは間違いない。
私にとって、二人で一人と思っているゲンズブールとバーキンはやはり永遠である。


すてきな窓 セルジュ・ゲンズブール

2011-06-21 | まち歩き

Gainsbourg うつむきかげんのゲンズブールの写真が貼られた窓。でかけた折りに見かけた。
彼がいなくなってもう20年になる。

挑発的な行動、スキャンダラスな歌、暴力、派手な女性関係。
これほど手を焼く男性もそうはいない。それなのに今でも人気は衰えない。

1960年代、妻であったジェーン・バーキンとのコンビは世界を席巻した。
今やお互いを抜きに片方を語ることは出来ないほど二人の仲は当時の若者たちの憧れであった。
ゲンズブールの歌はどこかデカダンな雰囲気があり、声の響きが魅力であった。

ナイーブで優しいのに数え切れないほどの悪徳?を重ね、
不良であり続けたゲンズブール。
その下には誰よりも淋しがりやの顔があり、自分への不安があったのではないだろうか。
天国でもきっとお酒とたばこを離さずにピアノを弾き、歌っているのかもしれない。


尾崎翠 モダンガールが放つプリズム

2011-06-16 | book

大正、昭和ひと桁の時代から現在の私たちに尾崎翠は感覚の矢を放ってくる。
読んでいると、尾崎翠という水槽の中で自分が藻のようにゆらゆらさせられ、
水槽にさまざまな色のプリズムを彼女が当てているかのように思えてくる。



「こおろぎ嬢」のうぃりあむ・しゃあぷと、ふぃおな・まくろぉど嬢の
ドッペルゲンゲルを和歌で結ぶしゃれっ気。
「初恋」の意表をつくラストや、耳鳴りが主役の「新嫉妬価値」の意外性。
「アップルパイの午後」はまるでフランス映画のワンシーンのようでもある。
そして話題になった「第七官界彷徨」では、二助が研究する蘚(こけ)の恋愛を軸に
兄弟、従兄弟それぞれのほのかな恋愛を描いている。
しかし、どの作品にもそこには尾崎翠がひそんでいる。

「地下室アントンの一夜」で、一人の詩人の心によって築かれた部屋であると地下室を表現した彼女は
自分の中に見る他の自分、あるいは物が人になったりする発想を心の部屋で綴っていたのだ。
目にするあらゆるものが自分と同化するような感覚で。

形あるもの無いもの、男性女性のどちらでもないもの。見えるもの見えないもの。
それらを超えて書かれた作品から、今も尾崎翠は澄んだ多面体に彼女自身をいくつも反射させている。


1914年の夜 アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ

2011-06-11 | book

 

レマン湖畔のホテル。夕暮れが山々を紫色に染める宵。
舞踏会が開かれている。
「私」はレリアに恋をし彼女と踊ったワルツに酔い、幸福なひとときをバルコニーで思い描く。

1914年の夜の音楽と宴のざわめきの中で、レリアへの憧れを「私」が独白で語っていく。
ただそれだけの短編である。
有閑階級のある一夜のようだが、この物語には、けだるくも恍惚とした時間の中、
すぐに始まる第一次世界大戦前の不安と幸福の崩壊をはらんでいる。

1914年6月、ボスニアのサラエボでオーストリア=ハンガリーの皇太子フェルドナンド公夫妻が
市内を視察中に銃撃によって暗殺された。
犯人はオーストリア領から独立を望んでいたセルビア人の青年であった。
これにより7月、オーストリア=ハンガリー皇帝フランツ・ヨーゼフがセルビア王国に宣戦布告。
第一次世界大戦の始まりであった。

この本の時期は戦争が始まる直前のつかの間の静けさの時であり、
だれもがサラエボ事件がこれからもたらすであろう抜き差しならない現実を予感している。
これはその前の短い幸福に酔いしれる刹那的な宴の模様である。

1979年 奢�廟都館 生田耕作 訳 装丁 アルフォンス・イノウエ


ハニーサックル(オレンジ)

2011-06-06 | Flower



初夏になると小さいながら鮮やかな色で咲くハニーサックルは甘い香りがただよい、
この名前も花の蜜を蜂が好むことから由来する。
つる性なので自在に枝分かれしながら伸びるのでイギリスなどでは生垣によく見られるという。
光と水をたっぷり吸い込んで多くの花をたわわに咲かせるハニーサックルは
女性を飾るアクセサリーのようだ。


小網神社 日本橋

2011-06-04 | 神社仏閣

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約500年以上前に稲荷大神を主祭として創建された小網神社。
「強運厄除」の総本社として、
また「銭洗い弁天の社」として多くの人々から拝されてきた。

強運厄除けにご利益があるといわれる由縁は
第二次世界大戦の時に、小網神社のお守りを持って戦地へ出征した兵士が全員生還したこと、
そして昭和20年の東京大空襲の際、当時の社殿をはじめ境内の建物すべてが奇跡的に
戦火をまぬがれたことと伝えられる。
強運に恵まれ厄が祓われるよう願をかけに参拝する人は平日でも絶え間なく訪れているようだ。

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鳥居を入ると左側に「銭洗いの井」があり、お金を清めることができる。
財運を授かることができる弁財天、そしてもう一人の神様、
福を招き長寿のご利益があるとされる福禄寿の社として知られる。

江戸城を築いたことでも有名な太田道灌もここに詣で、土地を寄付し、
小網山稲荷院万福寺と名づけたことから、現在の「小網町」という町名が生まれた。
町名はこの神社から発祥したといえる。

小さな小さな神社だが、緑に囲まれた境内にいると、強くて慈悲深い空気に包まれる。
そんな気がして立ち去りがたい思いにとらわれた。

右の写真はまゆの中に入っているおみくじ。