日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

ハマスホイとデンマーク絵画展 東京都美術館

2020-03-20 | 絵画



デンマークの画家ヴィルヘルム・ハマスホイの絵画展を昨年から待ちわびていた。
感想が今頃になってしまったが、開幕翌日の1月22日に見に行った。


上のフライヤーの絵は
「背を向けた若い女性のいる室内」1903~04年。
ハマスホイの代表作で、
額縁と、蓋が閉じられたピアノの上に置かれたパンチボール、
そして背を向けたの女性の三位一体のような調和と画家のまなざしを感じた。

「画家と妻の肖像」1892年

1891年に画家仲間のイーダと結婚したハマスホイ。
以後、室内画に登場するモデルとして欠かせない存在であった。

「クレスチャンスボー宮廷礼拝堂」1910年

沈んだ色彩にただよう瞑想的で詩情あふれる礼拝堂。

「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」1910年

両開きの扉の向こうでイーダがピアノを弾いている。
イーダはピアノが得意だったようだという。

「カード・テーブルと鉢植えのある室内、ブレズゲーゼ25番地」1910~11年

ハマスホイ晩年の作品。
限られた色彩と簡素な設えが生む造形美。

ハマスホイが描くグレートーンの室内は静まりかえり
ストイックでありながら、わずかな光による陰影の美が心に残った。


この展示会ではハマスホイの作品以外に
デンマークの「黄金時代」と呼ばれた当時の作家たちの絵も展示されていた。

「きよしこの夜」ヴィゴ・ヨハンセン 1891年

19世紀末のデンマーク絵画を代表する作品のひとつ。
ヒュゲ (心地良い、くつろいだ) の様子を
輝くツリーを囲んで母と子や友人たちが歌い踊る団らんを描いた温かな作品。

「夕暮れ」ユーリウス・ポウルスン 1893年

はっきりとした輪郭はなく全体がぼやけ
たそがれる光が揺れてゆくような旅情的な風景。

ハマスホイの作品の展示が思ったより少なかったが
描いたのは日常の部屋なのに圧倒的な印象で迫り
研ぎ澄まされた空気感は
慎み深く、まるで沈黙しているかのようだった。

2016年に公開された映画「リリーのすべて」の画像は
ハマスホイの絵画からインスピレーションを得て色彩が決められた。

1月21日(火)から始まり3月26日(木)までの会期だったが
コロナウイルスのため3月13日(金)で閉幕している。

ハマスホイ展のロビーで


ギュスターヴ・モロー展 サロメと宿命の女たち

2019-05-31 | 絵画

神話や聖書から数々の作品を描いた幻想画家ギュスターヴ・モロー展を
「パナソニック汐留美術館」へ見に行った。
今回は「宿命の女たち(ファム・ファタル)」がテーマ。
男性を破滅へと導く女性たちから、神話の世界へと引き込まれる絵画展だった。




「出現」 1876年

あまりにも有名な踊るサロメに宙に浮かぶ洗礼者ヨハネの首。
実際にはあり得ないこの状況は
モローがサロメに見たファム・ファタルを魅惑的に描いている。

新約聖書に登場するサロメは、母ヘロディアと父ヘロデ王・ピリポとの娘。
しかし母はヘロデ王の弟アンティパスと結婚したことをヨハネに咎められる。
アンティパス王はサロメが踊ってくれるなら望むものを与えると言うが
母はヨハネを消すためサロメに「ヨハネの首を」と言うように焚きつける。

サロメがヨハネの首を所望し、盆に首を置くというストーリーは
オスカー・ワイルドの創作でその印象が強く残ってサロメが語られている。

「デリラ」


旧約聖書に登場するするデリラ。
神殿を怪力で破壊できるサムソンを裏切り、陥れるデリラ。
ポーズはリラックスしているがこれから起こる運命が
サムソンを悲劇へと導くような気配。


「セイレーンと詩人」


ギリシャ神話に登場するセイレーンは水のある所に棲む怪物。
女性に姿を変え、美しい歌声で航行する船を沈没させ
人を死に至らしめる。
絵はセイレーンの罠にかかり死した詩人が描かれている。


「エウロペの誘惑」 1868年


ギリシャ神話に出るエウロペはフェニキアの王女。
古代ローマの詩人オウィディウスの詩集「変身物語」から着想したこの絵は
彼女への思いを遂げようと
妻ヘラに悟られぬよう牡牛に変身したゼウスと見つめ合っている。
このエウロペ(Europe)がヨーロッパの語源と言われている。


「一角獣」1885年


貞節の象徴である一角獣は伝説上の幻獣。
純潔な乙女にだけおとなしくなると伝えられる。
豪奢な衣装、白い肌、純潔を表す百合の花。
宮廷的な雰囲気がただよう1枚で
未完の作品だが、楽園を思わせる抒情性にあふれている。


「妖精とグリフォン」 1876年頃

ここは洞窟なのだろうか。
座る妖精を守るように囲む青い羽のグリフォン。

グリフォンは伝説上の怪獣で
頭は鷲、体はライオン、そして羽を持つ恐ろしい獣と言われるが
モローは椅子の背にラピスラズリ、羽も青で仕上げ
妖精の白い肌が際立って幻想的でさえある。


モローの内面世界に生きる女性たちは
処女性と残忍な魔性を秘めたミステリアスな存在として描かれている。
神話や聖書の中に生きる男女の多面性を
絵筆で作り上げた夢幻の世界だった。


「小原古邨展」魅惑の花鳥画 茅ヶ崎市美術館

2018-11-02 | 絵画

水をはねて飛ぶ魚、枝に羽を休める鳥、静かに咲く四季の花々。
生けるものの表情をいきいきと描いた日本画家・小原古邨(おはらこそん)の作品展を
神奈川県の茅ヶ崎市美術館へ見に行った。




今回の規模が国内で初公開となる小原古邨の絵画は
実業家・原安三郎がコレクションしたものでその作風が海外で人気を得ながら
日本では知られていなかった。

描かれたのは明治後期。
作品はまるで日本画のようでありながら実際は版画であり、
当時の職人による高い技術で
細部にいたるまで精緻に刷り、抒情的な作品に仕上がった。

枝垂れ桜につがいの雉


藤に金魚


紫陽花に雀


蓮に雀


月に秋草


雪松に大鷹と温め鳥(ぬくめどり)
 
暖をとるために鷹の足元には捕らえられた小鳥がいる。
翌朝、鷹は小鳥を逃がし、暖めてくれた恩に報いるため
小鳥が去った方向には狩りに出ないという。
自然界に生きる鳥も恩を持ち合わせていることを知った感動的な絵。

雪中の松に鶯


藁囲いと水仙に茅潜(かやくぐり)


踊る狐


キャプションに詳しい制作年は記されておらずすべて明治後期の記載だった。


眠りから覚め、古邨の絵が長い時を経て今私たちの前に。
透明感のある作風は典雅でシンプル。
細い線は筆で描いたように見えてすべてが版画。
高い技術に感嘆するばかりだった。
20世紀初頭の日本のエデンを見る機会に恵まれたといえる。


大回顧展「没後50年 藤田嗣治展」東京都美術館

2018-10-17 | 絵画
エコール・ド・パリを代表する日本人画家で
「乳白色の肌色」により一世を風靡し、画壇の寵児となった藤田嗣治。

国内・海外の複数の所蔵品から代表作を集め
フジタの日本初公開作品も展示するというこの大回顧展を見たのは8月半ば。
東京はすでに終了しているが、見たままになっていたので今頃の記録になってしまった。

 

フジタは大正2年(1913)、27歳の時に絵画へのさらなる探求のため単身パリへ出発した。
日本とまったく違うパリの空気に触れ、
翌年にはピカソと会い、自由な価値観を持つ文化に触れて
日本で使用していた絵具を全部捨てたという有名な逸話が残っている


「キュビスム風静物」1914年 ポーラ美術館蔵

渡仏した翌年の作品。
そのころ大きな影響力を持っていたキュビズム風に描いた卓上の品々。
ひとつの物を様々な角度からて捉え、一作品としている。


「ドランブル街の中庭、雪の印象」1918年 個人蔵

渡仏してすぐの頃、多くの風景画を描いていた。
パリの灰色の風景はフジタを魅了したのだろうか。
モノトーンによる風景画が多く残る。


「私の部屋、目覚まし時計のある静物」1921年 ポンピドゥー・センター蔵

白い下地に細い線で描く技法を初めて完成させた作品。
サロン・ドートンヌに出品して好評を博し、本格的デビューとなった記念すべき出世作。
日本で描いていた外光派の描きかたは姿を消して
のちまで続く「藤田技法」を感じることができる。


「エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像」1922年 シカゴ美術館蔵

当時パリに暮らしていた裕福なアメリカ人女性。
20年代はフジタにセレブリティの人々から相次いで肖像画の注文が入った。
背景には銀箔が使われている。
優雅で格調を感じる作品。


「タピスリーの裸婦」1923年 京都国立近代美術館蔵

鑑賞する人が1番多かった作品。
白い肌に愛らしい顔とポーズが若さを感じる魅力的な作品。

9月にEテレで放送された日曜美術館「知られざる藤田嗣治~天才画家の遺言」では
イラストレーターの宇野亞喜良さんがゲスト出演したが
この絵に描かれている輪郭の外側にあるぼかしの技法と
背景の「ジュイ布」の精密な描きかたを語っていた。

フジタの描くカーテンやテーブルの布、衣装の模様など
作品からすれば脇役なのだけれど
緻密に描かれている模様に以前から関心を持っていたので
宇野さんのお話はとてもうれしかった。


「猫のいる自画像」1927年 三重県立美術館蔵

この頃は自画像を多く描いているが白と黒に薄くぼかしを施し、柔らかな印象。
硯や面相筆も描かれ日本的技法を表現したアトリエ風景。


「メキシコの母子」1933年 個人蔵

1931年からフジタは新天地として中南米へと2年間の旅に出た。
パリとは違う土地の風俗と色彩。
異郷の人に向けたフジタの暖かいまなざし。


「裸婦 マドレーヌ」1934年 大阪・リーガルロイヤルホテル蔵

中南米から戻った翌年に描いた裸婦。
うねる髪が肩にかかりカーテンを背に美しい横顔。
このポーズは20年代からフジタが好んだスタイルだという。

第二次世界大戦後、帰国していたフジタは再び日本を後にした。
パリに戻る前に1年間アメリカに滞在している。


「カフェ」1949年 ポンピドゥー・センター蔵

フジタといえばこの「カフェ」が最も有名だろうか。
アメリカで制作したものだがパリの風景を思わせる。
外に建つカフェも「マドレーヌ」の店名が。
額もフジタのお手製。


「家族の肖像」1954年 北海道立近代美術館蔵

おかっぱ頭が白髪になったフジタ68歳の時の自画像。
背後には父・継章88歳の肖像。そして君代夫人が17歳の時の肖像。
父はフジタの絵画を理解し、資金面で支えてくれたことにずっと感謝していたという。
そして最後までフジタと人生を共にした君代夫人。
君代夫人が最後まで大切にしていたという作品。

1959年、フランスにあるランスの大聖堂でカトリックの洗礼を受け、
以後「レオナール・フジタ」とサインするようになった。


「礼拝」1962-1963年 パリ市立近代美術館蔵
 
カトリックの道へと進んだフジタはキリス教主題の絵画を多く描いた。
天使から冠を戴くマリアの左に修道士のフジタ。
そして右には君代夫人が。
フジタの後ろには二人が住んだヴィリエ=ル=バクルの家も。
信仰と夫妻の絆を感じる素敵な絵。

波乱に満ちた生涯を送った藤田嗣治の大回顧展。
「私は世界に日本人として生きたいと願う。」と言ったフジタ。
今はランスの礼拝堂で君代夫人とともに眠っている。

最近、フジタが残した肉声のテープが発見されたという。
亡くなる2年前に録音したものだが
いつかこの録音機の展示や肉声を流した展示会があることを願っている。


没後50年 藤田嗣治 本のしごと展 目黒区美術館

2018-06-08 | 絵画

目黒区美術館で開催の「本のしごと」展を見てきた。
藤田が1913年(大正2)に渡仏したフランスでは挿絵本の隆盛を極めていた時代だった。
パリ画壇で評価を得て、エコール・ド・パリの代表的画家として活躍した藤田嗣治。

今回はパリと日本で発表した挿絵本など約100冊近い「本のしごと」とその中の挿絵、
そして葉書や絵画、オブジェ、陶器などを展示していた。

澤鑒治(さわけんじ)宛の葉書 1905年6月26日

筆まめだった藤田らしく絵も入れて。


藤田が初めて手掛けた挿絵本『詩数篇』より 1919年

詩の作者はフランス文学者で社会科学者の小牧近江で
鹿島茂著『パリでひとりぼっち』ではパリに留学中の日常が描かれている。


『モンパルナスの芸術家たち』1929年

モンパルナスの人々混じって藤田自身が中央に。
作者はジョルジュ・ミシェル。
日本版は『もんぱるの』と題されて1932年(昭和7)に発行された。


『モンパルナスの夜と憂愁』1929年

作者はルシアン・アレシー。序文も藤田が担当。


『イメージとのたたかい』の表紙見返しに描いたペン画。

作者は劇作家のジャン・ジロドゥー。
藤田とジロドゥーのイメージが美しく重なり、このレイアウトは秀逸とされた作品で
藤田もこの本に愛着を持っていたという。


『魅せられたる河』より 1951年

作者はルネ・エロン・ド・ヴィルフォス
藤田の65歳の誕生日を祝して発行されたという。


ランス大聖堂に藤田が眠ってから50年。
「本のしごと」だけでも膨大な作品を見ることが出来た展覧会だったが
彼が没して50年経った現在も、
こうして日本とフランスの文化を伝えてくれる。
それはともにパリの香りと日本の抒情性に彩られている。

金子國義 「夢の中」 展 FUMA CONTEMPORARY TOKYO

2018-04-29 | 絵画




最終日の昨日、何とか見に行くことが出来た金子國義さんの個展。
1960~70年代の油彩画中心の作品が展示されていた。
ほとんどの作品が初めて見る絵だったので
1点ずつ丁寧にゆっくりとー。
そんな時間が「夢の中」で過ごしているように感じた作品展だった。

弓型のくっきりした眉と大きな瞳の少女たち。
大人のような少女たちは林檎を持ったり、あるいはリボンが絡んだり。
特に印象的だった絵は「サド侯爵夫人」。
気高くたたずむ夫人の姿に漂うデカダンスの香り。

そして金子さんの部屋を再現したようなコーナーが2階に。
何枚かの絵、壁に貼られた数々のスナップ写真や貝、
ジャン・コクトーの本、絵の具など。
映画「ヴェニスに死す」でビョルン・アンドレセンが着用したセーラー服を
金子さんが所有していたのは有名だが、今回初めて見ることが出来た。

会場ではグッズも販売していた。
ポストカードやタイツ、メモ帳、マスキングテープなど。


そして黄ばみ始めたこんな記事を大切に保存しておいた。
1984年。今から34年前のクリスマスが近い頃。
金子國義さんのお宅で開かれるドリーミング・パーティの招待記事。
今思えば夢のようなプライベートな企画。
金子さんの部屋で冬の宵を共に過ごせる極上のパーティだったに違いない。


誕生した地で「草間彌生 ALL ABOUT MY LOVE 私の愛のすべて」展開催

2018-04-22 | 絵画

草間彌生さんの故郷、松本で魂の軌跡をたどる展覧会が先月から始まった。
昨年の国立新美術館の「わが永遠の魂」展を見たが
ここ松本では壮大ともいえる草間さんの誕生から今まで手がけた作品までを紹介している。




松本駅前も草間さんの横断幕が。
街をあげてこのイベントに力を入れているのを実感。



水玉が乱舞する松本市美術館の正面

こうでなくては!とわくわくする水玉の外観。


正面の脇に咲く巨大なオブジェ「幻の花」

この巨大な花のオブジェはここでしか見られない。
圧倒的で生きているかのような存在感。


「大いなる巨大な南瓜」2011/2017年

自宅の畑でかぼちゃを見た時に底知れぬエネルギーを感じたというかぼちゃ。
草間さんのかぼちゃはどの作品も偉大な力を持つ。


作品「わが永遠の魂」の数々

約半数が日本初公開作品だという。
現在もこのシリーズの製作を続けている草間さんのその時々の魂の表現。


「自画像」1972年 (コラージュ)

不思議な花のまわりを蝶が飛ぶ。
いつか大輪の花を咲かせる未来へと向かおうとした70年代の草間さんご自身なのか。


ふるさとに帰りたい」2016年

極彩色が多い中でピンクとブルーの淡い色調が優しげで気に入っている。
信州の風は澄み、ふるさとはきっと自分を包んでくれる場所。


「人生の最大の夢を見たとき」2017年 初出品作

うねる模様の連続と色彩の対比がすてき。


「傷みのシャンデリア」2011年

ミラールームの四方に広がり続けるシャンデリアがキラキラと。
足元が危うくなりそうで壁にぶつかるのではないかと思った不思議な迷宮。


「真夜中に咲く花」2014年

壁に付けられたバルーンのオブジェ。
目を引く飾り方だった。


「ヤヨイちゃん」と「トコトン」2013年

階段脇に仲良く立っている。
階段のステップにはトコトンの足跡が貼られていた。

幼い草間さんを襲った病は水玉や網目、花が迫ってくるという苦しい幻覚だった。
自分で制御できない恐怖から逃れるにはまだ幼く、
絵筆に救いを求めなければならないほど切羽詰まった状況から草間彌生の生涯続く闘いは始まった。

病や周囲の無理解と闘い、走り続けて創作してきた長い年月は
「世界のKUSAMA」と称される日本が誇るビッグアーティストを誕生させた。
芸術に身をささげた草間さんの芸術は
水玉と同様に永遠に輝く唯一無二のもの。

     7月22日(日)まで

熊谷守一 生きるよろこび展 国立近代美術館

2018-03-14 | 絵画
50代後半から外へ出ない月日が30年。
仙人という異名を持つ個性的な熊谷守一は、
若い頃より目に見える光の不思議から光学を、そして色彩学、遠近法なども追究し
「物の持つ性質」を絵に表現していった画家。
 
ランプ 1910年(明治43)頃
光と闇をテーマにしていた初期の頃の作品。
 
向日葵と女 1924年(大正13)
荒いタッチを特徴とした頃の作品。
向日葵と女性の生命力がみなぎるような絵。

湯檜曽(ゆびそ)の朝 1940年(昭和15)

朝日の黄色と明るい赤が風景を満たしている。
山は緑に、日が射した山は黄色に。

赤い線の輪郭は守一の作品の大きな特徴になっている。
それは背後から光が物を縁取ることに由来するためだという。
その手法はそれぞれの色を際立たせ
対象物の性質がよりリアルに見えてくる。

水仙 1956年(昭和31)
コップの中で水により屈折する水仙の茎。
そしてコップを光の加減でプリズムのように描いた視点が特徴的な守一作品。

豆に蟻 1958年(昭和33)

守一の庭にいた蟻を観察して描かれたのだろうか。
蟻は左の2番目の足から歩くことを知ってから絵を描いたという。
庭の地面に顔をつけて、蟻を追って。

猫 1965年(昭和40)

猫を飼っていた守一は猫が動きを変えるたびその骨格の変化を
幾何学的に描いた。守一の代表作品の1枚。

宵月 1966年(昭和41)

青い空に半月。木の幹と3枚の葉がシルエットのように黒く。
月の高さは季節やその年によって変わるが
1996年の月は低かったので
この位置で月が見えたのではないかといわれている。
単純ながらも冴えた空気を感じる美しい絵。

特別出品
長谷川利行 熊谷守一像 年代不明

守一と長谷川利行が交友関係にあったことをこの出品作で初めて知った。
貧しく、絵を描くキャンバスもなく
箱の蓋や段ボールに絵を描いていた長谷川利行。
彼の作品は滅多に見られないので
この1枚を見られたことはうれしかった。

熊谷守一は岐阜の裕福な実業家の家に生まれ
東京美術学校を主席で卒業したが
結婚してから貧しい生活の中、子供の死に遭いながらも
苦難を乗り越え
57歳の時に家を建てた頃より絵が売れはじめた。
昼は妻と囲碁を楽しみ
夜の8時頃から部屋で絵を描く生活だった。

澁澤龍彦のアヴァンギャルド展 Bunkamura Gallery

2017-12-10 | 絵画

今日までの開催だった「澁澤龍彦のアヴァンギャルド」展を見てきた。
  -異端から生み出される聖なるものー
この副題に違わぬ作品の数々が並ぶギャラリーは
聖と魔をカクテルで混ぜたような酔いがただよっていた。

金子國義:作「澁澤龍彦氏の肖像」

会場に並ぶ作品は、澁澤が日本に紹介した海外の作家や
彼が見いだした作家、また親交のあった作家の絵画やオブジェが並んでいた。

澁澤といえばマルキ・ド・サドとフランスの画家バルテュスを思い浮かべるが
展示されている作家たちの錚々たるメンバーのすばらしさ。

ハンス・ベルメールの細い線、バルテュスの「眠る少女」、
レオノール・フィニのリトグラフ入りの箱に収められた大型限定本。
「O嬢の物語」も。
ピエール・モリニエ、ポール・デルヴォー、フリードリヒ・シュレーダー
ルネ・マルグリット、マン・レイなどシュルレアリズムの作家たち。
ビアズリー、金子國義の油絵、四谷シモンの人形とオブジェ、
山本六三のエッチング、横尾忠則が赤とブルーの色彩で描いた絵、
細江英公の写真、合田佐和子、野中ユリのデカルコマニー、etc…。

そして宇野亜喜良さんの作品もコラージュ画やペン画など。
「QXQX」は手帳、ポーチやミニタオルなどの販売コーナーも。


澁澤龍彦没後30年の企画として開催された今回のアヴァンギャルド展。
最終日ということもあってか多くの人が訪れていた。
妖艶で幻想にみちた作品を見ることが出来た貴重な展示会だった。


やわらかいカーテン

2017-11-24 | 絵画

小窓にフリルのカーテンに囲まれた部屋で
ロッキングチェアに座る老婦人。

美しい肖像写真のようで雑誌から切り取って保存していた。
婦人の名はグランマ・モーゼス。
本名をアンナ・メアリー・ロバートソン・モーゼスというアメリカの画家で
農村の普通の主婦だった彼女は
70代になってから絵を描くようになった。

5人の子供を育てながらバターやポテトチップス、メープル・シロップなどを作り
農場の経営を助け、健康のために仕事から離れてからは
身近な風景や年中行事などの絵を描いていた。
 
「オールド・ホーム」 1961年

101歳まで生きたグランマ・モーゼス。
この絵は亡くなった年に描かれた風景。

ロッキングチェアに座り
静かな時間を過ごしているこの写真は
大地とともに生きたグランマ・モーゼスに
薄いカーテンがやわらかく囲み印象的。

生誕120年 東郷青児展 抒情と美のひみつ

2017-11-15 | 絵画

洋画家・東郷青児(1897-1978)の画業を前衛の時代から
1950年代末までの作品を通して
洗練された「東郷様式」と呼ばれる女性像によって
永遠に変わらない美の表現を示した損保ジャパン興亜美術館での作品展だった。
(東京の会期はすでに終了)



幼い時から見た青児の絵はいつも身近にあり
(我が家にあった菓子缶、包装紙、箱、絵はがき等)
私にとって親しみを感じる画家であった。

最初に見た時は自分が幼かったこともあり
マネキン人形のような絵だと思ったが
どこかもの哀しくロマンチシズムあふれる絵に惹かれた。

パラソルさせる女 1916年

初期の頃の作品。
モザイクのようなパーツを組み合わせた中心に女性の顔。右上にパラソルが。
ステンドグラスにしたいようなデザイン。

雑誌「ホームライフ」の表紙 1939年


雑誌をはじめ本の装丁や包装紙など
時代の寵児だった青児は多くのデザインを手がけた。
ジャン・コクトー「怖るべき子供たち」、谷崎潤一郎「卍」など。
「怖るべき子供たち」の原画を見られたのは嬉しかった。

そして1940年には画家・藤田嗣治と
京都・丸物百貨店で対の壁画を共同制作している。
2人の絵が並んで展示されていた。


若い日の思い出 1968年
 
グッズ売り場で購入したポストカード
婦人像 1936年
1930年代に描いたシンプルで麗しい絵は
当時どれほどモダンに見えたことだろうか。
 
淡い色彩をぼかし、無垢に、そして時にはミステリアスに。
油絵とは思えないなめらかで繊細な描き方に見入ってしまった。
青児の乙女は今もなお永遠であり懐かしい。
 
京都の喫茶店「ソワレ」で購入したグラス。
2個で1組のうちの1個。

恋する女の子たち 内藤ルネ

2017-10-30 | 絵画

日本の「kawaiiカワイイ」は今や外国の女の子にまで人気があり
その日本の「カワイイ」文化を生み出した元祖ともいうべき内藤ルネ。



軽やかでヴィヴィットな色彩の女の子の絵はおしゃれで
当時、少女たちの間で大ブレイクした。



この本は小さなものだが外箱に収められていて丁寧な作りが
乙女ゴコロを魅了する。
どこで購入したのか思いをめぐらせたが
後ろの見返しに友人の名前が書いてあり、頂いたのだと思い出した。

出版は現在の「サンリオ」の前身「山梨シルクセンター」。
少女の絵からインテリアに至るまで
「カワイイ」をつらぬいたルネさんのミニ詩画集。

葛飾北斎 冨嶽三十六景 奇想のカラクリ

2017-10-27 | 絵画
パスポートのスタンプ欄に葛飾北斎の絵が起用されることになった様々な富士の絵。
江戸後期の代表的浮世絵師・北斎の冨嶽三十六景に10点を加えた全46景と
彼の娘である葛飾応為の「吉原格子先之図」を同時に展示する太田記念美術館の展覧会は
見逃せない機会で楽しみにしていた。



日本各地から見た富士山を描いた冨嶽三十六景。
江戸時代には富士への信仰、憧れ、又は楽しむ山として全国から人々が富士山へと向かった。
日本人のこころの中に存在する富士。

北斎の絵は人気を博し、10枚が追加され全46景となった。
最初の36景は「表富士」、後の10景は「裏富士」と呼ばれる。

全46景の所々に隠された北斎のからくり。
絵をみてすぐにはわからない風景に北斎流の美の視点で描いている発想が面白い。
そして静けさや風、時刻の変化、音までを見る者に与える描写。
見応えのある展示会だった。


世界の愛好家をとりこにした「神奈川沖浪裏」

しぶきを散らしながら大胆にせりあがった波。
横浜市神奈川区あたり沖のダイナミックな表現。
遠くの富士に対して手前で荒れ狂う海は躍動的で魅力ある代表作。

三十六景の中で唯一の雪景色「礫川雪ノ且」

且は「旦」の彫り間違いだという。したがって「こいしかわゆきのあさ」と読む。
小石川は現在の東京・文京区。
一晩降り続いた雪で、あたり一面銀世界の朝。
女性たちが茶店から冠雪の富士山を眺めている冬の情景。

「甲州三坂水面」

緑の木々が裾野に広がるここは現在の山梨県の河口湖あたり。
富士山は夏の姿を描いているが
湖面に映る富士は、左にずれているし雪を頂く冬の姿だ。
少しばかりの理不尽も平気で描いてしまう北斎の個性が光る。

「遠江山中」

遠江は現在の静岡県西部地方。
画面を斜めに横切り誇張された大きな角材が目を引く。
しかしこの角度で作業するのは達者な職人でもすべり落ちる危険がある。
そんな不安は無用とばかりの豪快さ。

「東海道品川御殿山ノ不二」

江戸湾のすぐ近くに位置する品川の御殿山。
桜は満開。人々が花見に興じているその向こうに富士山が。
しかし御殿山から正面に湾を見おろした時に富士は見えず
海岸まで降りなければ富士山を裾まで見ることは出来ない。
北斎は絵筆を動かしながらきっと心の中でつぶやいただろう。
「こう見えたらいいな」。

そして葛飾応為が描いた肉筆の「吉原格子先之図」。
吉原遊郭にある「泉屋」で「張見せ」の情景を
花魁の華やかな明るさと、中を見る男性客を闇に沈めた絵。
提灯の灯りで明暗がぼやけ、さらに幻想性を増している。
待ち望んだ応為の作品だった。

日本の浮世絵は世界で唯一のもの。
葛飾北斎と応為の作品を同時に観賞できたこの展覧会。
偉大な文化の一端に触れられた一日だった。

コロンバン原宿本店 そして藤田嗣治の絵

2017-10-24 | 絵画

原宿にでかけてゆっくりしたい時に入る喫茶店「コロンバン」。
赤いテントと通りをながめられる大きなガラス窓が特徴で
原宿がどんなに変わろうとここの空気は変わらずに存在している。



1924年(大正13)創業。
日本で初めてフランス菓子を提供し、考案したお菓子では数々の賞を受賞している
今やこの店名を知らない人はいないほどの老舗洋菓子店だ。

ここ原宿本店サロンには藤田嗣治が描いた6枚の人物画が飾られている。
藤田がかつてコロンバンのサロンを飾った名残りの6枚。

創業者の門倉國輝は藤田と同時期にフランスで修行をした知人だったことから
銀座6丁目のサロンの天井画を藤田に依頼。
1935年(昭和10)6枚の絵が彼によって制作された。

店内に飾られている藤田が描いた6枚の天井画の1部


その後1975年(昭和50)天井画6枚は迎賓館に寄贈され
「銀座コロンバンの壁画」として現在も展示されているという。

店内の時計の下には藤田の「エッフェル塔」が飾られている。
コロンバンのために描いたオリジナルの絵。
晴れやかな空にエッフェル塔。
そして緑がさわやかに茂るパリの風景だ。

今回は秋のお菓子、スイートポテトとキャラメリゼを注文。


デコレーションケーキとお菓子の製造がデザインされたコロンバンの看板


時代をさかのぼり、当時銀座のサロンで食事をした人々。
そのざわめきはきっと音楽のようであったのだろう。
藤田が天井に描いた女性たちのその下で。

外観の写真2枚は6月に撮影。

小茂田青樹 「夜露」

2017-09-16 | 絵画

漆黒の背景にアザミ、露に光る蜘蛛の巣、そして並ぶどくだみの花。
それぞれのモチーフが妖しげに組み合された作品「夜露」。



埼玉の川越に行った時にこの絵のポスターが目を引いた。
「小茂田青樹展」を開催していた島根県立美術館へ行き、
展示の最終日に見ることが出来た。

異空間のような絵「夜露」1931年(昭和6)は
6図からなる連作「虫魚画巻」の中に収められているが、
実際は右側にもうひとつ蜘蛛の巣がある横長の作品。

「四季草花図」夏季 1919年(大正8)

金銀砂子におおわれた萩と朝顔。萩は優雅に。朝顔は可憐に。六曲一双の屏風。

「松江風景」1920年(大正9)

松江に1年間住んだ青樹。川の広がりから見た静かな松江の風景。

「緑雨」1926年(大正15)

雨に濡れて水滴が落ちる芭蕉の葉。
あたりは靄のようにけぶり、蛙は雨に喜び、柘榴の花が咲く初夏の絵。

「梅花朧月」1932年(昭和7)

青樹の絶筆となった作品。
淡い朧月夜。黒い梅の枝はくっきりと伸び、
かすかに開いた白梅は発光するように浮かびあがっている。

「夜露」のうちわ

展覧会開催中に前売り券を購入しておくと入場の際にもらえたうちわ。
島根に行く前に近所のコンビニで前売り券を購入して楽しみにしていたグッズ。

島根県立美術館は宍道湖のほとりに建つ。
湖の向こうに沈む夕日を一望できる場所としても有名。
日没に合わせて閉館するという心にくい配慮もされている。



小茂田青樹(おもだせいじゅ)
大正から昭和に活躍した日本画家。
1891年(明治24)川越に生まれ、1908年(明治41)に画家を志して上京。
「安雅堂画塾」に入門。同日に速水御舟も入門している。
お互いに切磋琢磨しあった仲だったという2人は年齢も近く、
後の時代になってみれば、まるで運命のめぐり会いのようでもある。
青樹の澄んだこころが見つめた絵は
どこか儚く穏やかな面影を残していた。