日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

椿 魅了しつづける花

2010-03-31 | Flower

Cacy 
春のきざしを告げる花、一輪の姿そのままに落下する椿は、
落ちた場所がどこであっても、そこにひとつの情景を生みだす魅力をもつ。
アスファルト、水の上、苔の上…。

自然には神が宿っていると信じられていた古来より神聖、吉祥、高雅を象徴する花として
大切に育てられ、和歌に詠まれ、茶席で客人を迎えてきた。

そしてチューリップは平和の使者。
戦いに勝った国と負けた国が結ばれる時、野辺に美しく咲いていた。


この写真はデジカメが出る以前の古い写真だが、椿の枝をいただき
、そっと配置したがやはり花びらがはらりとくずれた。
絞りの椿の名は、唐錦(からにしき)と春の台。


水仙 The Daffodils ウィリアム・ワーズワース

2010-03-26 | Flower

イギリスの詩人ウィリアム・ワーズワースが湖水地方のアルズウォータ湖畔で見た黄水仙はDaffodils
孤独な心に喜びをよみがえらせる存在として胸に深く残った花である。

                       「 水仙 」 The Daffodils 

丘や谷間のうえ 高く漂う
ひとひらの雲のように さびしく さまよった。
そのとき ふいにこの目に見えた ひと群れの
いや、大群の 黄花水仙が、
みずうみのほとり 森の葉かげで
そよ風に ひらひらと踊る姿が。

 

銀河で ひかり またたく
星くず さながら はてしなく
水仙の花が のびていた みずうみの
入江沿いに つきることなく。
一目見ただけで 数知れぬ水仙が
勢いよく 頭(うなじ)ふりふり 踊っていた。


みぎわの波もおどったが、よろこびの
深さで、きらめく波も 水仙にはおよばなかった。
これほど 陽気な仲間にかこまれて
詩人(うたびと)も 心はずまずには いられなかった!
ひたむきにみつめたが、考えだに及ばなかった
この眺めの いかばかり 心を豊かにしたかを。


今も ときどき さびしく ぼんやりと
寝椅子にねていると、孤独のよろこびの
心の目に ふいに 水仙が閃きうつるのだ。
すると わたしの心も よろこびに溢れて
水仙の花とともに 踊りだす。

                       訳 松浦 暢




群生して風にゆれていた黄色の水仙は視覚イメージとなってワーズワースをなぐさめ、幸せをもたらした。
約半年にも及ぶイギリスの冬は厳しく長い。
早春の中で見た水仙は閉ざされた心に見い出した銀河の光であった。


映画 「アリア」 デレク・ジャーマン

2010-03-24 | 映画

DEREK JARMAN/ "ARIA" (Please watch in HD!)

 

アリアはオペラなどに含まれる旋律的な独唱曲のことだが
1987年のイギリス映画「アリア」は10人の監督がそれぞれ選んだ1曲で、
愛、死、運命、真実などを描いたオムニバス映画。

その中の第9話 デレク・ジャーマンによる、ルイーズ<シャルパンティエ>は、
老プリマドンナが最後のカーテンコールに立ち、若き日のかがやく恋の喜びを回想する。

舞い降りる紙吹雪、きらきら光る波、さざめく花…。

監督デレク・ジャーマンの8ミリフィルム撮影は
過ぎ去った向こうにあった幸せの日々を黄昏のように描き出す。
確かにあった幸せ、真実だった日々を。


御影公会堂 神戸市東灘区

2010-03-22 | 近代建築

神戸の昭和モダニズム建築のひとつ、御影公会堂は東灘区の石屋川と国道2号線が交差する角に、幾多の歴史を越えながらも流れる時間を忘れたように静かにたたずんでいる。

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昭和8年(1933年)、白鶴酒造の七代目社長・嘉納治兵衛の寄付などにより建てられた。
当時、白鶴酒造は厳しい経営状態であったが治兵衛はそれを建て直し、
また暖かい協力をしてくれた市民への感謝としてこの公会堂を建てた。

設計は清水栄二。阪神エリアに優れた建築を多く残した人物であり、関東大震災ののち、
耐震について研究をしていたという。
地上3階、地下1階のこの御影公会堂も地盤に1メートルのコンクリートを敷いた基礎工事で建てられたため、昭和20年(1945年)の大空襲と、平成7年(1995年)の阪神淡路大震災にも耐え抜いた。

 

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 どこを見てもまるで映画に出てくるシーンのようであり、外界を忘れる時間がここにある。 係りの方の話によると、壁の塗装も剥がれ窓枠も傷んでいるが、何回か映画の撮影に使われたり、かつては結婚式も執り行われ何百人分もの料理がここで作られていたという。

 

 

 

  

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御影公会堂はアールデコ様式を取り入れ「みなと神戸」から船をデザインして建てられた。
屋上の避雷針は船のマストをデザインしたものだという。
2階の角の部屋はカーブに沿ったいくつものガラス窓が往時のモダンさを偲ばせ、天井もカーブの断層が美しくデザインされていた。

野坂昭如の名作「火垂るの墓」では、昭和20年の神戸大空襲で焦土と化した中、この公会堂だけは姿をとどめていたシーンが描かれている。
良く晴れた外では、黄色の素馨(ソケイ)の花が公会堂に寄り添うように咲いていた。


神戸 残照を胸に

2010-03-20 | まち歩き

新幹線から降りた新神戸駅のホームに見えた山は、
旅がはじまる新しい空気を運んできたように心地よく、午前の光は待ち望んだ神戸の旅をいっそう輝くものに変えてくれた。

 

布引の滝から足取りをたどって。


日本料理店「黒十」ののれん



湊川神社 


勝海舟・海軍操練所跡のモニュメント 


初めて味わった「にしむら」の珈琲



香雪美術館入り口         以前から行ってみたかった御影公会堂
 

須磨寺の庭園(源平の合戦)
                                             

 

下の4枚は、その時のことがいくつも呼び覚まされる、そんな思い出の画像であり、
旅行風景となって心に残る体験を得ることができた写真。



 




そして、写真はないが、ケーキの「フロインドリーブ」の本店や、「いすゞベーカリー」の前を通り、
フラワーロードを散策し、神戸税関、メリケンパーク、ハーバーランド、三宮神社をめぐった。
電車の中から見た明石海峡大橋、孫文記念館、モダン寺の風景も忘れられない風景である。

今回訪れた神戸は1泊2日の短い旅だったが風景を心に刻んで歩いた。


矢車草 静かに淡く

2010-03-14 | Flower

  

「星の花」「薄片の花」の別名をもつ矢車草。
空に泳ぐ鯉のぼりに付いている矢車に似ていることからこの名前がついた。

女神フローラを信じ、神殿に矢車草の花輪を毎日捧げていた若者チアヌスは
ある日半分しか編んでいない花輪を抱いて麦畑の中に倒れていた。
これを聞いたフローラは嘆き、この花を「チアヌス」と呼ぶことを命じたという。
アメリカでは「独身者のボタン」とも呼ばれ、又ドイツの国花でもある。

この矢車草は鮮やかな青であったが、日が経つにつれ退色して淡いラベンダー色になった。
はなびらを落とさずこの姿を見せてくれた矢車草。


舞台 「変身」 カフカ

2010-03-09 | アート・文化

ある朝、奇妙な夢から目覚めると、グレゴール・ザムザは自分が一匹の巨大な虫に変わっているのに気がついた…。
カフカの作品を数多く演出してきたスティーブン・バーコフの「変身」が森山未來主演で上演されている。

 

Kafkahensinグレゴールはベッドから起き上がろうとした。ところが虫になった体は思うようにいかない。
いつも通り出勤することも出来ず、部屋から出て来ない彼を不審に思った家族は
突然の現実に驚愕する。

家族の生活は一変するが、グレゴール自身は自分の運命をどこか冷静に受け止めている。
家計の支えだったグレゴールの代わりに家族はそれぞれ働きはじめた。

だんだん自分への関心も薄らぎ、いいようのない孤独を感じるが
ある日、父親の投げたリンゴがグレゴールの背中に当たり、リンゴの腐敗とともに
絶望の中でグレゴールの息は絶えてゆく。家族は新しい環境へと希望をいだいて…。


森山未來がグレゴールの虫の動きをどう演じるか期待した舞台であったが、声は張りが良く、虫となった動きは
まさに虫そのものであった。
舞台装置で組まれたパイプに動いたり止まったりしている演技はパフォーマーとして
優れた表現力でカフカの世界を演じている。
グレゴールの心理に影響を及ぼす永島敏行は仕方ない父親役を好演。
そして母親役の久世星佳は、姿を見た瞬間バーコフの演出に適した役者だと思わせる。
非日常を求めて劇場へ行った甲斐を感じた貴重な個性である。
出演する誰もがその人物に思える個性が光り、動作音も含め質の高い舞台であった。

ストイックな演出で人間の原点を浮かびあがらせ舞台に代えるスティーブン・バーコフ。
何年か前にテレビで見たカフカの「審判」もバーコフの演出にカルチャーショックを受けた。
6日の初日に見たため、バーコフ氏の姿を仰げたことは思いがけない喜びである。
「変身」はカフカが書いた当時と今も変わらないテーマであり、誰もがグレゴール・ザムザになり得る可能性はある。
私たちも又、自分では気づかない時に虫の姿になっているのかも知れない。

          テアトル銀座で3月22日(月)まで


「美女と野獣」 クリスチャン・ベラールの美術

2010-03-07 | Jean Cocteau

映画「美女と野獣」で美術を担当したのはジャン・コクトーが厚い信頼を寄せていたクリスチャン・ベラール(1902年~49年)であり、
ジャン・マレーの野獣のメークをはじめ各場面のシーンはベラールの才能によって中世紀の耽美な世界を具現化した。
又コクトーの細かい指示に応え、理想的な映像に仕上げたカメラマン、アンリ・アルカンの存在も大きい。

 



 





 クリスチャン・ベラールは画家であり、美術、衣装なども手がける一流デザイナーであった。
コクトーとは1925年、南フランスのホテルウェルカムで出会いコクトーが高く評価していた人物である。
パリのペール・ラシェーズ墓地にラディゲの隣に眠っている。
(本作品の時の衣装はマルセル・エスコフィエ)

エディット・ピアフ右の髭の男性がクリスチャン・ベラール。


美女と野獣 ジャン・コクトー

2010-03-06 | Jean Cocteau

手折った1本の薔薇がある家族の運命を変えた――。ジャン・コクトーが映画の初作品 「詩人の血」 以来、
15年ぶりに手がけた「美女と野獣」はルブランス・ド・ボーモン夫人の原作からイメージして現実から虚構の世界へと
行き来する幻想を夢のような映像美で作りあげた。 1945年 製作

La_belle_et_la_bete
老いた商人が夜の森で道に迷い、まぎれ込んでしまった城で末娘ベルのために手折った
一輪の薔薇。それは折ってはいけない禁断の薔薇であった。
野獣は自分の薔薇を折ったつぐないとして娘の一人を城へ寄こすことを条件に商人を家へ帰す。

心優しいベルは身代わりとして城へ行くが野獣の姿を見て
怖ろしさのあまり気を失ってしまう。
しかし優しいこころを持つ野獣にベルは少しずつ気持ちを開いてゆく。

そんな中、城にいるベルが鏡の中で見た現実は病の床に臥す父の姿であった。
家へ帰してくれるよう懇願するベルに野獣は一週間で戻ることを約束させる。
戻った家では二人の姉がベルから盗んだ城の鍵で、ベルの兄リュドヴィックとベルを愛するアヴナンが
野獣を殺そうと城へしのび込むが
アヴナンは彫像が放つ矢に射られ倒れたその瞬間、野獣の姿に変わってしまった。

Bellesatuei 同じ頃、城へ戻り心配してベルが見た野獣は死の間際に苦しむ姿であった。
ベルを恋しながら息を引き取ろうとしている野獣を介抱する美しいベルの心により
野獣は気高い王子の姿に変わった。
野獣の悲しみは終わり、ふたりは天上の王国へと空高く飛翔してゆく。

ここに登場する城館は、国有財産管理局が50ほど紹介してくれた中のひとつで
トゥールにあるラレー城で撮影された。
コクトーをはじめ、ジャン・マレーや他の出演者の健康上の問題、天候との折り合い、
資材や機材の予定延期、電力の制限などが絡み困難な行程であった。
しかしコクトーがこの映画に込めた思いは、我々が大人になり失ってゆく大事なものを呼びさますものであった。
「このお伽噺を信じてほしい」 「あの少年時代の信頼感と素直さを取り戻すことが必要なのだ」の言葉を残している。

クリスチャン・ベラールの舞台美術は荘厳な中に美をちりばめ、ジョルジュ・オーリックの音楽が
神秘的に物語を進行させる。
そしてジャン・マレーとジョゼット・ディの美しいコンビがこの映画を永遠のものにした。

「美女と野獣」を初めて見た時はDVDはもちろん、まだビデオもなかった時代であり、テレビ画面で見た白黒フィルムの映像美は私にとって初めてのファンタジーであった。
後に映画館のスクリーンで見たあの時間、私も異次元に迷い込んでいたような気がする。

           右の写真は「美女と野獣」を撮影中のジャン・コクトー