日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

3人が語るジャン・コクトー

2009-11-28 | Jean Cocteau

コクトーの生涯に深くかかわり、詩人の知られざる素顔を知るキャロル・ヴェズヴェレール、
エドゥアール・デルミット、ジャン・マレーの3人が愛と敬意を込めて在りし日のコクトーを語る。 

YouTube: ジャン・コクトー  ---  1/x


キャロル・ヴェズベレールはジャン・コクトーの芸術を支えた美貌のフランシーヌ・ヴェズベレール夫人の
一人娘であり、南フランスの夫人の別荘サント・ソスピール荘で7歳の時にコクトーと出会い、
生活を共に過ごした。
著書に『ムッシュー・コクトー(東京創元社)』『LES MURS DE Jean Cocteau (Herme社)』がある。
コクトーの作品と心の支えであったジャン・マレー、養子になり家族として一緒に過ごした
エドゥアール・デルミはすでに世を去っている。デルミのコメントは大変めずらしい。
この画像がYouTubeからずっと消えないことを。

菊 なお香り

2009-11-22 | Flower

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 世や人のうつりなど知らぬげに

 細い茎をしならせて今も咲いている残菊。

 風に揺れて頼りない。

 それなのにどんな姿であっても失わない気高さ。

 

菊は学名で「黄金の花」の意味だという。
ヒンドゥー教では吉兆の花として祝いの儀式には欠かせない花として用いられる。
数え切れない種類の菊に彩られた秋も終わりを告げようとしている。


映画 「THIS IS IT」 マイケル・ジャクソン

2009-11-20 | 映画

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誰も見たことのない彼に逢える

マイケル・ジャクソンのリハーサル映画「THIS IS IT」のポスターにこう書かれている。
チームはファミリーであり、愛でひとつのステージを創ってゆくと言うマイケルの姿は胸を打ち、感動的である。
神が与え給うた稀代な才能は映像の中で永遠にその姿をとどめ伝説を生んでゆく。

画像はシネマトゥデイ様よりお借りしました
http://www.cinematoday.jp/movie/T0007922   


小説 「怖るべき子供たち」 東郷青児 訳

2009-11-17 | book

画家・東郷青児はフランスから帰国した後、絵を描くかたわら翻訳を始めた。
青児訳によるジャン・コクトーの「怖るべき子供たち」が白水社から最初に発売されたのは1930年(昭和5年)のことである。
本書はその45年後の1975年(昭和50年)に同じ白水社から刊行された。

 

 ポールに雪球を投げたダルジュロスはポールの生と死を支配する。
この物語では、ダルジュロスに酷似した少女アガートと結ばれない絶望に
ポールは死んでしまうが、それはダルジュロスを仰ぎ見るような憧れをいだいたコクトー自身をポールに投影させ
ダルジュロスがコクトーにとって美の絶対的存在であることを示している。

美の特権は素晴らしいものである。美は美を認めさせないものにさえも働きかけるのだ (東郷青児 訳)

美の特権は絶大である。美はそれを認識しない人びとの上にも働きかける (鈴木力衛 訳)

美の特権には、限りがない。美は、その存在を認めない人々にさえ、働きかける (高橋洋一 訳)

                                                                                                                                     
そしてエリザベートとポールが放心状態で「出かける」夢想の世界こそが二人の愛であった。
しかしそこに近親相姦的なものは存在しない。コクトーが描きたかったのは世俗を超えた愛の美しさである。
ポールの愛は共有世界が崩壊するはじまりであった。
ポールとアガートを引き離しジェラールをもあざむくエリザベートが守りたかった愛は悲劇で終わることしか出来ない愛であった。

伏目がちな横顔に詩情をただよわせてたたずむ女性を描いた東郷青児。
誰もがわかる絵でありながらもそこにはロマンチシズムがあふれている。
本書には右のエリザベートの肖像画を含め11枚のデッサンが収められている。


小説 「恐るべき子供たち」 鈴木力衛 訳

2009-11-14 | book

1929年、ジャン・コクトーは2度目の阿片中毒の治療で入院中にこの作品を17日間で書き上げた。
「阿片」とほぼ平行して書かれ、作品の中にも阿片の片鱗が見え隠れする。
出版されるや高い評価を得たこの作品は、愛とその破壊を描いたコクトーの代表作である。1957年 三笠書房

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コクトーにとって少年時代に知ったダルジュロスは
美の衝撃を与えた人物として決定的存在となっていた。
この作品にも彼を登場させ、雪球を胸に当てられたポールの運命を大きく支配する。
ひとつの部屋で姉エリザベートとポールはお互いをののしりながらも、そこは二人だけの
聖域であり、共有できる夢想世界を持っていた。

しかし幸福はもろく永遠ではない。ポールの級友ジェラールと、エリザベートが知り合った
無垢な少女アガートが来たことによってその幸福は少しずつ悲劇へとすがたを変えてゆく。

エリザベートが結婚したミカエルは不慮の事故死を遂げ、その広い屋敷に4人は暮らすが
部屋は神秘であり、孤独であり、精霊が運命を動かすような作用を果たす。
ここの描写は物語を悲劇へと誘引する要素としてイメージされたコクトーの美意識を感じることができる。

ダルジュロスに似た少女アガートを愛したポールの気持ちを知ったエリザベートは
その危機感を残酷な行動へ変えてゆく。
そしてダルジュロスがもたらした黒い毒球でポールは死に、エリザベートのピストル自殺でふたりだけの行き詰った愛は
彼女が倒れたときに恐ろしい音を立ててともに倒れた屏風の上に終わりを告げる。


レオノール・フィニへのメッセージ ジャン・コクトー

2009-11-13 | 絵画

彼女の登場人物は、彼女の用いるわずかな技巧を証拠だてる死人の頭部やスフィンクスの容貌を表している。

この超自然はすべて自然である。

彼女が魂の劇場から引き出すものらのほかに、人は、別の役者も別の舞台装置も想い描くことはできまい。

    ジャン・コクトー 1972年「幻想と愛の世界 フィニー展」カタログより


(下の動画はこの展示会とは別のものです)


クリームのような菊

2009-11-12 | Flower

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古くから多くの愛好家が新種を生み、慈しんで育てられてきた菊は
奈良時代に遣唐使によって渡来した。
香り高くいつまでも咲いていることから「千代見草」(ちよみぐさ)という別名もある。

ぬれてほす山路の菊の露のまに

いつか千年(ちとせ)を我はへにけん

      「古今和歌集」 素性法師

MEMO◆古典三菊…嵯峨菊・伊勢菊・肥後菊                 


夕暮れの変幻 

2009-11-09 | まち歩き

Yugure
 

     背後の光は暗い

   一瞬見たものは記憶なのか 

       未来なのか





シルエットは北海道庁旧本庁舎
空を見上げたらエドガー・アラン・ポーが描く情景のようだった。
この「赤レンガ庁舎」は1888年(明治21年)に米国風ネオバロック様式で建てられた。
時を重ね、めぐりめぐったいくつもの朝と夜にたたずみ歴史を刻んでゆく。


詩集 『数字7』 Chiffre Sept ジャン・コクトー

2009-11-07 | Jean Cocteau

1952年夏、コクトーはサント・ソスピール荘で詩集 『数字7』 を書き終えた。
詩人であり、コクトーと親交があった本書の出版人であるピエール・セゲレスの要請により着手した。
1952年10月 フランス セゲレス刊 限定1900部の320番台

Chiffre_sept
L'homme epris de haine, enfievre de se battre

Sous ce chiffre qui fait et qui defait les rois,

A sa glebe attache, fldele au chiffre quatre,

Accumulait la colere du chiffre trois.

王たちを作っては壊す この数字の名において

たがいに戦うことに熱狂し 憎悪に心奪われた

人間は 自分の耕した土地につながれ

数字4に忠実で 数字3への怒りを重ねていた。

                           小浜俊郎 訳


7という数字は秩序、成就された周期、一時代の象徴とされ、
3(天)と4(地)の重ね合わされた総合的なすぐれた価値を持つものだという。

言葉は詩人により個人的な意味をもって表されることがある。
ここに収められている詩は、神話や実存した人物、錬金術の要素などに
コクトー自身の言葉のイメージが折り重なって書かれ、死を意識した詩人の外界との厭世感が描かれている。                         

      この数字はいつも奇跡をもたらしてくれるのだ(コクトー)

参考文献 「評伝ジャン・コクトー」 秋山和夫 訳 筑摩書房
季刊詩誌「無限」 特集ジャン・コクトー

 


戯曲 『ルノーとアルミード』 ジャン・コクトー

2009-11-03 | Jean Cocteau

韻文劇 『RENAUD ET ARMIDE』 はコクトーが阿片治療後に初めて書いた作品で、
たった4人の登場人物がドラマに緊迫感を与え劇的な恋愛を描いている。
1943年3月 フランス ガリマール社出版 限定1500部のうち非売品121部の90番台


 
魔女アルミードは、一国の王であるルノーを愛するあまり魔法をかけ幻想の庭に誘い込んだ。
ルノーもアルミードを恋して名を呼び続ける。
しかし愛と王の責務の板ばさみで苦悩するルノー。
魔女が人間を愛することは許されない。つかのまの愛は消える運命にあった。
愛するルノーを国に帰すアルミードだったが
最後に、触れてはならない唇にルノーがくちづけをした瞬間アルミードの命はついえてしまう。

この作品はコクトーがジャン・マレーのために書き下ろし、フランス座で上演する予定であった。
コクトーはマレーにコメディ=フランセーズの特別オーディションの約束を受けるよう進言するが、
このことが思わぬ波紋を呼ぶ。

この頃、女優マリー・ベルがマレーをコメディ=フランセーズに推薦していたが
支配人が入団拒否をする。マレーとベルの芝居にオーディション会場の満場一致で
入団が決まりはしたものの、以前から映画出演が決まっていたマレーは撮影が終わるまで休暇願いを出す。
しかし映画は中止になり、コメディ=フランセーズに戻ったマレーだったが「ここは出入り自由の場所ではない」と
復帰を拒否され、結局コクトーが望んだマレー主演は実現しなかった。

参考文献
「ジャン・コクトー全集 第7巻」 ルノーとアルミード 諏訪 正 訳  東京創元社
「評伝ジャン・コクトー」  秋山和夫 訳 筑摩書房
「美しき野獣」 ジャン・マレー   石沢 秀二 訳 筑摩書房


アザミ 多くの神話に咲く花

2009-11-01 | Flower

愁いをふくんだ姿で咲くアザミはトゲを持つことから多くの神話が生まれた。
姿はひっそりとしているが自己を守る気高さを秘めている花でもある。

Azami

<創世記>より エデンの園には2本の木があった。
「生命の木」と「善悪の知恵の木」である。
神から禁じられていた知恵の木の実をイヴが食べたため神は怒り、
アダムとイヴをエデンの園より追放し、罪の報いとして二人が歩く呪われた地から
アザミと茨を生じさせた。

<マタイ伝>「あなた方はイバラからブドウを、またはアザミからイチジクを
集めるだろうか」の言葉がある。真実を見分けることをいう。

北欧神話では雷神トゥールにドイツアザミを捧げた。
このアザミは「稲妻の植物」と言われ、魔よけの意味を持つとされる。

また、スコットランド13世紀の頃、ノルウェーから王城を攻められた時
周囲に咲いていたアザミのトゲで兵士たちは退却したため
スコットランドは救われ、以来、救国の花として国花にもなった。

トゲは悪しきものばかりでなく、邪悪なものから守ってくれる魔よけとして認識されている。
ヨーロッパではアザミが沢山咲いている野原の夢をみると、うれしいことが起こる前兆だといわれる。

          いとしき花よ 汝はあざみ

          心の花よ 汝はあざみ

          定めの道は果てなくも

          香れよせめて 我が胸に           「あざみの歌」より