日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

宮沢賢治展 山梨県立文学館

2019-11-27 | book

今月の24日までだった宮沢賢治展へ行ってきた。
詩人、童話作家、そして「雨ニモマケズ」で知られる賢治の世界観を
時代を追って知る展示会だった。



1896年(明治29)、岩手の稗貫(ひえぬき)群里川口村(現在の花巻市)に
名門・宮沢家の長男として生まれた賢治は
37歳という若さで亡くなっている。
その間に創作した詩や童話の数の多さには目をみはるものがある。

この展示会では有名な「雨ニモマケズ手帳」を
今回は複製ではなく、実際の手帳をを期間限定で公開していたが
私は日程の都合で見ることが出来なかった。




展示されている写真や実際の原稿で注目していたのは
学生時代に知り合い、賢治作品に多大な影響を与え
共に理想の農業を志した親友「保坂嘉内」への手紙であった。

名作「銀河鉄道の夜」のカンパネルラとジョバンニは
保坂嘉内を想定して書かれた。

文芸同人誌「アザリア」の仲間と。(大正6年10月30日)
後列の右が賢治、左が保坂嘉内。


しかし「アザリア」に載せた保坂の散文により彼は学校を退学処分になり
故郷の山梨に戻った。
その後ふたりの親交は手紙のやりとりとなった。

保坂への手紙。1921年(大正10)12月(推定)

この頃、農学校の教師を始めた賢治。
学校の様子や創作に励んでいることなどが書かれている。


「決別の朝」の原稿。
結核で妹トシが世を去った悲しみと克服しがたい苦悩に満ちた詩。



賢治生存中に刊行された本は2冊。28歳の時だった。
『春と修羅』と『注文の多い料理店』(共に1924年)





保坂嘉内が描いた電信柱の絵にインスパイアされたのだろうか。
賢治が描いた「月夜のでんしんばしら」

原画は戦災により焼失したという。

他に展示されていたのは
小岩井農場や「イギリス海岸」と賢治が名づけた北上川の写真、
理想郷の舞台であった花巻市のイーハトーブとした風景写真、ヴィオラとバイオリンなど。

幼い頃より鉱物に親しみ、関心は文学、法華経信仰、農業、
宇宙や測量、音楽にまで及ぶとほうもない才能は作品の中にちりばめられ
自然と一体となって生きた賢治の人気は今も衰えない。

短編集 「咲けよ、美しきばら」 H・E・ベイツ

2018-06-05 | book

イギリスの作家 H・E・ベイツ(ハーバート・アーネスト・ベイツ)という作家がいたことを
この本を手にして初めて知った。
ベイツは1926年に「二人の姉妹」で文壇にデビューし、
その後、戦争小説のシリーズで世界的に知られる作家になったという。

10の短編小説「咲けよ、美しきばら」は
まるで絵画の風景のようにイギリスの田舎に生きる人々を抒情的に描いている。

そしてベイツの目を通して登場する女性たちは
優しく優雅な存在として、
又、どの物語にも人間が持つ素直な感情があり
人間への愛情と理解をもってベイツが描いたイギリスの人々である。

全編の中から印象に残った作品を。

「クリスマス・ソング」
 楽器店で働くクララに、かすかな記憶でクリスマス・ソングが何の曲か
 聞きにきた青年とクララとのわずかな時間に生まれた暖かい心の交流。

「軽騎兵少佐」
 ホテルに宿泊する夫婦が見かける礼儀正しい少佐は、
 後からくる妻を日々待ちわびるがその妻は夫婦の思う期待とは違って…。
 
「水仙色の空」
 主人公を不思議な勘で察知する女性コーラ。
 彼女と農場を持ち、結婚を夢みた青年は
 コーラがふたりのために他の男性からお金の工面をしたことに嫉妬し、殺人を犯してしまう。
 年月を経てコーラを訪ねるが、応対したのはコーラの娘だった。
 彼女に自分の名前も名乗れない主人公。
 幸せを求めながらも狂ってしまった運命の皮肉。
 
「田舎の社交界」
 社交パーティに訪れた友人の姪。霜におおわれたような白さの彼女がその夜を
 楽しむ姿に、新鮮な感動で胸を躍らせる中年紳士のクレヴァリング。
 
「風に舞うもみ殻」
 誰からも愛される妹と畑で働く孤独な姉。妹を訪ねてきた青年に
 自分でも説明のつかない冷淡な態度をしてしまう姉の哀しさ。
 
「咲けよ、美しきばら」
 ボーイフレンドの母親に引き止められて朝方まで帰らない娘を心配し、
 夜露に濡れるばらの茂みに身を隠して帰りを待つ父親の心理。
 
「テルマ」
 ホテルで働くテルマ。森に行くのが好きな彼女は
 顔なじみの男ファーネスと過ごした森の一日が忘れられず、
 数々の男と同じように森で過ごすが、最初の感動を取り戻すことは出来なかった。
 ひとり森で若き日を回想するテルマ。
 それが元で病に倒れた彼女の孤独。

ベイツの読みやすい物語の進行とともに
目に浮かぶような風景と、花の描写が多いことが特徴としてあげられる。 

そして、ここに描かれているのは様々な女性の姿であり
永遠に変わらない人間の感情を再認識させられる物語でもある。
善良で、時には愚かで、
そして悲しく、また愛すべき人間の不滅の姿でもある。

  1967年(昭和42) 音羽書房  (訳) 大津栄一郎

夜会服 三島由紀夫

2017-03-24 | book
夜会服。
この魅惑的な響きは女性が特別な夜を過ごす夢のような時間を感じさせる言葉だ。
三島は夜会服にとりつかれた瀧川夫人が周囲に及ぼす波紋を絢子(あやこ)を通して描いていく。
そしてその夜会服がどれほどの意味を持つかを。



物語は、各国の大使を務めた夫を亡くした瀧川夫人が
乗馬クラブで製薬会社の社長令嬢・絢子を見初め、自分の息子・俊夫と結婚させる。
節度をわきまえた聡明で美貌の絢子。
そして俊夫は非のうちどころのない完璧な男性であった。
俊夫は母の夜会好きに嫌悪感を抱いていた。
結婚によって母から離れ、新しい生活がスタート出来るはずだったが
2人には常に瀧川夫人の影がつきまとう。
母と夫の間で中立を保つ絢子は揺れ動き、
いっぽう俊夫は上流階級に生まれた運命に孤独を感じている。

宮様や各国の大使夫人が出席する晩餐会やパーティ。
気の抜けないそうした会合を無事に成功させなければならない任務。
瀧川夫人はそのために一流の仕立てで夜会服を新調する。
しかし俊夫はそれを理解できない。
それでも続けなければならない瀧川夫人に広がる孤独。
それは夜会服に隠された夫人の心の闇だった。

かなり前に古書店の棚で目についたこの本。
痛みが激しく買うのをためらったがカバーが宇野亜喜良さんの絵だったので
購入し、今でも大切にしている。

1967年 集英社

リヴァトン館 ケイト・モートン

2017-03-02 | book

何も考えず物語に没頭したい、そんな心境で読みたいと手にした「リヴァトン館」。
600ページの長編小説で、細かな描写が淡々と綴られていくのに
途中で止められないほど文章の構成が魅力的だ。
そして多くの伏線によって、起こりうる出来事の予感を感じさせる展開も素晴しい。



老人福祉施設で暮らす98歳のグレイスにリヴァトン館で起きた出来事を映画にしたいと依頼があり、
そこから彼女が封印してきたリヴァトン館の真実が明かされていく。

物語は20世紀初頭のイギリス。
グレイスの母がそうであったようにグレイスもリヴァトン館に侍女として働くことになった。
ハンナと4歳下の妹エメリンの姉妹を中心に貴族階級の一家の日常が描かれる。
古めかしい因習の中でハンナは自由を渇望していた。
ある日グレイスがふと立ち寄った秘書学校で、外出していたハンナと偶然出会ったことで
ふたりの「秘密」を共有したハンナとグレイス。
しかしこの「秘密」が後に大きな悲劇を生むことになってしまう。

時間軸を現在と過去に交錯させて物語は進み
グレイスが永い間自分の胸に閉じ込めてきた1924年のあの悲劇がよみがえる。
暗い湖に打ちあげられる花火の下で起こった出来事が。

ハンナがやっとみつけた自由。
しかしエメリンが求めた愛もまたハンナと同じものだった。
ハンナは自由を捨て、妹を選んだことによって手に出来るはずだった自由を失ってしまう。
ほんの小さな「ゲーム」と「秘密」の食い違いによって…。

物語は戦争をはさみ、リヴァトン家に働く厳格で秩序正しい使用人の描写や
献身的に仕えたグレイスの出生の秘密なども織りまぜ、
華やかさと誇りにみちた貴族の崩壊がゆっくりと進んでいくのが痛ましい。
哀感と重厚さが残る小説だった。

訳 栗原百代 ランダムハウス講談社

着物文化の一端を知る「谷崎潤一郎文学の着物を見る」展

2016-06-26 | book

女性崇拝作家といえる谷崎潤一郎の小説『細雪』をはじめとして
作品に登場する女性が装う着物を
アンティークの着物から再現した展示会を弥生美術館で見た。



展示は「細雪」から始まり、他に「痴人の愛」「春琴抄」「猫と庄造と二人のをんな」「蓼喰う虫」「秘密」などから
登場する女性の着物を再現している。

「細雪」は旧家・蒔岡家の四姉妹を描いた長編小説だが
この作品は映画や舞台で上演され
着物の華麗さも鑑賞する大きな要素となっていた。

展示は当時をほうふつとさせる着物や帯に、花々や蝶が大きく大胆に描かれ
鮮やかな色彩で仕立てられている。
そして、半衿、帯締め、帯留めなど自由な組み合わせで楽しんでいたことが伺える。
それでいて今見ると、どことなくただよう頽廃の匂い。

「細雪」の中で着物の描写はそう多くはないが
その中から華やかな生活を思わせる印象的な文がある。

    父が全盛時代に染めさせたこの一と揃いは、三人の画家に下絵を描かせた日本三景の三枚重ねで
    一番上は黒地に厳島、二枚目は紅地に松島、三枚目は白地に天の橋立が描いてあるのであった。

ここは長女の鶴子が婚礼の時に着た着物を
四女の妙子が「雪」の舞を披露するために、「天の橋立」着るという設定だが
なんとも贅沢で富裕階層の生活が垣間見える一文である。

耽美で悪魔的な女性は谷崎にとって理想の女神であり
彼を作家として突き動かす原動力であった。
そんな女性の美しさを各作品から抜粋し、谷崎文学を着物によって蘇らせた作品展だった。


スペードの女王 プーシキン

2014-07-15 | book

   

Pusikin















スペードの女王
冬のペテルブルグ。青年士官ゲルマンの野望は
トランプの数字に翻弄され、やがて自滅へと向かう謎の物語。

ゲルマンが憑りつかれたカードの数字「3」「7」「1」

それは、トランプの賭けに勝つ秘法を切望した彼によって息を引き取った伯爵夫人が
亡霊となって現れ、ゲルマンに告げた数字だった。

「3」と「7」は成功。しかし張ったはずの最後のカード「1」は消え
スペードの女王に変わっていた。
カードの女王は戦慄のほほえみをゲルマンに投げかけた。
人生のすべてを失ったゲルマンは精神病棟へと・・。

   ねがわくは神、われが心を狂せしめたもうことなかれ(プーシキン)


ベールキン物語
「スペードの女王」と一緒に収録された5篇の短編。
「その一発」は決闘を描いたものだが、士官は相手に傷を負わせず
心理的苦悩を与える。
士官に残された一発は良心を問う音となって壁に打ち込まれた。

行く手を阻む吹雪によって将来が変わった「吹雪」と
自分を隠しながらも状況の成り行きで思わぬ結末を迎える「贋百姓娘」の人生の皮肉。
そして親の悲哀がにじむ「駅長」、「葬儀屋」の軽妙なユーモラス。

ロシアの牧歌的情景、その裏側に澱むたそがれのようなほの暗さに
胸騒ぎを感じながら読み進めたのは久しぶりのような気がする。
「スペードの女王」はオペラ化されているが
チャイコフスキーの歌劇は1902年、
ウイーンにてグスタフ・マーラーの指揮によって上演されたという。

             岩波文庫 神西 清 訳


海に住む少女 ジュール・シュペルヴィエル

2014-01-16 | book

生と死を合わせ鏡のように描いた奥に人間の普遍的感情がただようシュペルヴィエルの短編集。
それは時に切なく、そして時に哀しく滑稽に。

Uminisumu
大西洋の海に浮かぶ町に一人で住む「海に住む少女」
町が浮かんでは波の下に沈む。
父の強い思いが蜃気楼のように少女を出現させては波間に消していく。
なす術のない少女の孤独。

強い思いがゆえに意味を失った習慣を続ける青年を描いた「牛乳のお椀」
競馬の騎手がやがて馬になってしまう「競馬の続き」
美しい音色のような声を持つ少女が
普通の声に戻った時の涙は寂しい胸のしずくだった「バイオリンの声の少女」
人の強い思いはもうひとつの不条理な世界を生む。

「セーヌ河の名なし娘」は、セーヌで溺死した少女が死んだ後に
悪意によって水底に引き止める者たちから逃れ
本当の安らぎの死へと向う過程が描かれている。
そして影になった死者たちが集う天上で、ひとつの箱から得られた力が
希望を感じさせる「空のふたり」。
「飼葉桶を囲む牛とロバ」は、イエスの誕生に立ち会った牛が
自分の角で周囲の者を傷つけるのではないかと負い目を感じている。
旅立つイエスたちとの切ない別れ。
その夜、牛の犠牲的精神は祈りとなり、天空に座す星となった。

冒頭、インクも吸い取り紙も乾かず、
葉も砂糖も水をしたたらせることから起こる大洪水を描いた寓意が
壮大なこの世の始まりへと引きつけていく「ノアの箱舟」


詩人ならではのファンタジーを織り込みながら、心の中にある思いは国や時代が変わろうと
不変であることをシュペルヴィエルはまるで童話を書くように描いている。
人間とは哀しい生きもの。
それでもそこにすがりながら幸せを探していくのだ。

              2009年 光文社発行 訳 永田千奈


薔薇の回廊 アンドレ・ピエール・ド・マンディアルグ

2013-11-02 | book

表紙が黒のメッシュ地で、中のページがピンクの紙で仕上げられたマンディアルグの短編。
パリの地下鉄を舞台にエロティックでありながらスリリングな幻想を描いたこの作品は
谷崎潤一郎を記念して書かれた。

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薔薇色のワンピースを着た美少女フローラは切符一枚を手に
パリのメトロを巡ろうと思い立つ。
彼女にとってメトロは地上の雑踏とは違った気分を味わえる別の世界であった。

ホームへの人気のない動く歩道に乗ったフローラ。
ポスターの文字が目に入ったと思った時
彼女の運命は日本人によって時空を越えようとしていた。
序々にスピードを増していく歩道と
フローラへの予告のように文字を変えていくポスター。

フローラは自分が開放される心地良さを感じるようにそのスピードに身をまかせていた。




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挿画は山下陽子
5点のコラージュがピンクの紙に収められている。
迷宮へ入り込んでいくようである。
そして造本はアトリエ空中線のセンスで造られた。


2012年10月 エディション・イレーヌ社発行
翻訳 松本完治


マクロプロス事件 カレル・チャペック

2013-06-25 | book

Makropulos 










あなた方はここにいる。そしてわたしは途方もなく遠くにいます。
――すべてのものから離れて――三百年の彼方に――   (本文 エミリアの台詞より)

チェコの作家カレル・チャペックが描いた寿命の問題と死によって救われる女性の物語。

コレナティー弁護士事務所では依頼人グレゴルの100年にもわたる裁判をかかえていた。
グレゴル家対プルス男爵家の遺産相続問題であったが
裁判の決着がつくこの日、形成はグレゴルに不利であった。
不利なグレゴルに必要な100年前の先祖の血縁関係と相続を証明する遺言書。
それを探さなければならなかった。

そこへ30歳位の美貌のオペラ歌手エミリア・マルティが訪ねてきた。
新聞でこの裁判を知ったと言うが
はるか昔のグレゴル家とプルス家のことを詳しく知っているようだ。


当時、プルスの曾祖父であるヨゼフ・プルス男爵は遺言を残さなかったため、従兄のプルス家が相続した。
それに異議を申し立てたのはグレゴル家で
男爵は生前フェルディナント・グレゴルに領地ロウコフを譲ったと主張する。
しかしプルス家は、男爵が死に際で語った相続人はマッハ・グレゴルであり
フェルディナントではないと反論し長い間争ってきた。
マッハ・グレゴル。
実はエリアン・マック・グレゴルという女性オペラ歌手でプルス男爵の愛人であった。
そしてフェルディナントこそ彼女の息子であった。


コレナティ弁護士から説明を聞いたエミリアはプルス男爵の名を聞くと親しげにペピと呼び
その遺言書は黄色の封筒の中にあり、今のプルス家の棚にしまってあるはずだと言う。
衝撃的なエミリアの言葉にグレゴルは喜び、魅惑的なエミリアに夢中になり愛してしまう。


果たして黄色の封筒はエミリアの証言通りプルス家から出てきた。
しかしプルスはフェルディナントが男爵の息子であることを証明できなければ
封筒を渡さないと言う。

場は移り、エミリアのもとに少し頭のおかしい男ハウクがやってきた。
彼は50年前に恋したジプシーの娘エウヘニア・モンテスとエミリアが生き写しだと思い訪ねてきたのだ。
エミリアもハウクとまるで恋仲であったように同じ口調でふたりは会話を始めた。

ハウクが喜んで帰って行った後、そこにいたプルスは自分の家の引き出しに封筒があり
一緒に「E・M」という頭文字の手紙があったと告げる。
「E・M」のイニシャルはエミリア・マルティ、エリアン・マック・グレゴル、エウヘニア・モンテスに当てはまり
さらにはエリナ・マクロプロスにも当たると思いがけない言葉をエミリアに言う。


マクロプロス。
エミリアは強い衝撃を受ける。その名こそプルス男爵との間に生まれたフェルドナントの
出生届に記されていた母親の名であった。
プルスはロウコフの学長からフェルディナントの戸籍謄本を手に入れていたため
マクロプロスの名を口にしたのだ。
エミリアは「E・M」と書かれた封筒を売って欲しいとプルスに訴えるが
渡さないというプルスを誘惑し、一夜を共にしたプルスは封筒をエミリアに渡すことにした。


一夜明けたホテルにコレナティ弁護士やヴィティーク司法書士、グレゴルが来てエミリアのサインと
1836年に書かれたフェルディナントの出生届が同じ筆跡であることを指摘し
その出生届は偽造文書ではないかと疑う。
彼らはエミリアへ尋問することにした。そしてエミリアが語り出した驚くべき真実。

エミリアの本当の名はエリナ・マクロプロス。1585年生まれで337歳。
彼女の父ヒエロニムス・マクロプロスは16世紀末の皇帝ルドルフ2世の侍医であった。
皇帝からの命で不老不死の薬を調合し、娘であるエリナを実験台にした。
しかし皇帝は300年生きられたことを証明できる長寿の人間がいないということで父を詐欺師として処刑した。


昏睡状態から覚めたエリナは父の処方箋を持って逃れ
名前をその時代によって変え生きのびてきたという。
そしてエリアン・マックグレゴルの名の時にヨゼフ・プルス男爵と出会い
フェルディナントを生み、父のメモを男爵に預けた。
エミリアを愛してしまったグレゴルは彼女の曾曾孫だったわけである。

とほうもなく長く生きてきたエミリアにも死期が近づいていた。
しかし死が恐くなりその処方箋を再び試みようとしたが
時の流れの中で自分の魂は死に、愛する者たちが死んでしまい、
倦怠感の中でこれ以上生きていく意味があるだろうか。

人生は短いからこそ美しく意味があると言い、
300年生きられる父のメモを周囲の者に渡そうとしたが誰も受け取らない。
エミリアを敬愛する娘クリスティナがそれを受け取り
処方箋をろうそくの火にかざした。
エミリアの不死は終わりを告げた。
悲しい秘密を抱え、
運命ともいうべき「E・M」で生きてきた気の遠くなるような337年だった生涯が。

                                 1998年 八月社発行 田才益夫 訳


石の花 バーヴェル・バジョーフ

2013-05-07 | book

ロシアのウラル地方を舞台に、孔雀石が持つ神秘に惹かれた石工と山に棲む精霊との不思議な物語。
緑とも翠ともつかない美しい孔雀石。現世と幻の世が妖しく交錯して語られる。

1isinohana
ひとりの若者、ステパンの前に現れた「山のあねさま」は
この世で見たこともない孔雀石の服を身につけていた。
鉱山を支配する孔雀石の精だった。
宝石に誘われて自分のもとへ来るかと試したがステパンは応じない。
その強い意志に感心した孔雀石の精は
暮らしが楽になる条件と宝石箱を与えた。
美しい細工がほどこされた数々の装飾品が入っている宝石箱。
その後、ステパンはナスターシャと結婚するが
幸せは続かず彼は若くして死んでしまう。

時は流れ、宝石箱はステパンの娘であるタニューシカの手に。
たったひとりの美しい少女にだけ合う装飾品。
美しさを放ちながら魔法の宝石箱は次々と不幸をもたらした。

2isinohana
そして二人目の若者、孤児のダニールシコは
孔雀石の細工師として不思議な才能を備えていた。。
孔雀石の模様を生かしたものを彫りたいと日夜思いつづけるダニーロがある日聞いた不思議な話。

孔雀石の山で聖ヨハネの日に咲くという「石の花」
それは世にも華麗な石の花で不思議な光を放っているという。
ダニーロは自分を育ててくれた老人ポロコーピィチといいなづけのカーチェシコを残し
その「石の花」を見に森へと入って行った。

ダニーロを待つ冷たい孔雀石の精とカーチェシコ。
精霊にどちらかを選ぶよう迫られたダニーロは
美を求めながらもこの世に生きる人間であった。
悲しい結末に終わった精霊はふたりを祝福し、石に化身した。


この物語は作者の孔雀石への限りない愛にあふれ
また数々の石を幻想的な風景として取り入れている。
そしてベリューキンの絵が民話にふさわしく牧歌的に飾っている。

1979年 童心社 訳 島原落穂


夜間飛行 サン・テグジュペリ

2013-03-10 | book

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夜間飛行

郵便飛行がまだ黎明期であった頃。
南米のブエノスアイレスからパタゴニア、チリー、パラグアイに
郵便物を空輸するパイロットと、この物語の主人公で、航空会社の支配人リヴィエールの
過酷でありながらも任務を遂行する精神を描いた一夜の物語。

夜間のフライトは命がけである。
悪天候になると、山が波のようにうねり、風は大空を台無しに、
そして霧は方向を狂わせる魔物となって操縦士に襲いかかる。
空中での緊張感、孤独、疲労困憊。


支配人のリヴィエールはそんな彼らを愛しながらも自らを律し、
冷徹に厳格に離発着の完璧と操縦士のありかたを彼の信念によって徹底させる。

   自分は何者の名において、彼らをその個人的な幸福から奪い取ってきたのか?

リヴィエールは市民的幸福をふっと考える。
しかし優しさによって永遠なるものを途切れさせるわけにはいかない。
何事にもたじろがない精神を保ちながらも、リヴィエール自身もまた孤独であった。


パタゴニア線の操縦士ファビアンは闇の中で逆巻く暴風と戦っていた。
上下する機体、感覚のなくなった手で握る操縦桿。届かない無線。
その気流を突破しようとするが闇と風は容赦なく彼を襲う。
そしてとうとう見えた光。それは満天にかがやく星。
それが罠であることを知りつつファビアンは上昇する。
帰ることの出来ない静かなそのきらめきへ向かって。

そして応答のないファビアンを案じ、苦悩するリヴィエールであったが絶望の中であっても
前進する足を止める訳にはいかない。次の飛行を続行する。永遠をつくるために。



南方郵便機

『夜間飛行』と一緒に収められているこの小説は、主人公のジャック・ベルニスの友人が語るという物語で
サン・テグジュペリ自身の体験が色濃く投影された処女作品。

アフリカ・サハラ砂漠の奥地カップ・ジュビーからフランスへ郵便飛行するベルニスは
自分の幸福をさまようように探し求める。
航空士として空で飛ぶ満足をおぼえながらも、幸福の泉としてジュヌヴィエーヴを愛する。
空の幸福と地の幸福。
自分を理解しない夫を持つ彼女もまたベルニスを愛する。
もう一度会いたい気持ちでジュヌビエールを訪ねるが
彼女は細い息の中で別の世界へ行こうとしていた。地の幸福がベルニスを引き裂く。

そしてジュピーからの飛行。
砂漠の砂は風に巻かれ、太陽の熱は空気を澱ませる。
カサブランカとダカール中間のサハラ砂漠に飛行機のトラブルで不時着したベルニスは
救出されたフランス軍小屯地で老軍曹と出会う。
その後飛び立ったベルニスは消息を絶った。

ラスト、物語を語った友人は砂漠でベルニスに呼びかける。

    君が尋ねていたあの埋もれた宝物は、あれほど君が憧れていたあの宝物は、
    ここにあったのか!
    君はいやが上にも身軽になった。気ままに飛び去る魂よ!

そして無線からの通信。
「郵便物は無事、直ちにダカールへ向け空輸せり」

新潮文庫 訳 堀口大學
表紙のカット 宮崎駿


マドゥウモァゼル・ルウルウ ジイップ作

2012-08-15 | book

 
とびきりお転婆でとびきり利発な少女・ルウルウの物語。
プパ(パパをこう呼ぶ)をハラハラさせる乱暴な言葉遣い。
でもルゥルゥは古い因習や気取った人物を既成の概念ではなく自分の目で価値を決めていく。 

献辞は与謝野晶子、美しい装丁は堀内誠一という贅沢な本だが、
全体にはじけるようなルゥルゥを風刺を利かせながら生き生きと描いている。

作者のジィップは、フランスのKoetsoalの館に生まれ、伯爵の娘だったという。
この本を雑誌で知り、神保町の古書店でみつけた時のうれしさは
「もう森へなんか行かない」の本を歩いて探した時と同じくらい格別だった記憶がある。

1973年5月再販発行 薔薇十字社 訳 森茉莉                


本・その周辺 串田孫一 (古通豆本58)

2012-07-30 | book

Mamehon



古書店でこの豆本を目にした時、多くの本が並べられている中で
大切な物のように置かれていたのが印象的だった。
ディスプレーが上手な古書店。
良い本があるかも知れない…。そんな気持ちで行った時に
気に入った一冊とめぐり合えるのはひとしおの喜びがある。

詩人であり、随筆家でもあった串田孫一が本にまつわる自身の思いを綴っている。
(表紙のカットも串田孫一自身の手彩)

本との出会いから始まり、手作りの本を初めて手にした思い出、
造本の魅力に惹かれた時代、そして印刷への関心、特装版が出来るまでの過程へと話は進む。
読み返したり、同じページを何度も読める読書の道草。
そして最後は刊行された日記類の中から、盲目の筝曲師「葛原匂当」(くずはらこうとう)に触れ
簡略された一言、二言の日記の奥にある大切なものと56年間書き続けた匂当への敬意で終わっている。

「古通豆本」(こつうまめほん)は、「日本古書通信社」が昭和45年(1970)から
平成14年(2002)まで全141冊を刊行した豆本シリーズ。

串田孫一の本への愛着は、著者だからという衒いもなく本を愛する一人の読者として
本に関わるすべてに共感や疑問を自然に語っている。

昭和58年5月 日本古書通信社 発行       (写真をクリックするとほぼ実物大)


宮沢賢治が伝えること 世田谷パブリックシアター

2012-05-31 | book

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2011年3月、東日本大震災が破壊した被害は計り知れず
今もその傷跡は消えることなく続いている。

宮沢賢治の誕生は明治29年(1896年)。
甚大な被害により死者2万人にものぼった「明治三陸地震津波」があった年。
そして亡くなったのは昭和8年(1933年)。
岩手・秋田に直下型地震のあった「陸羽地震」の時であった。
東北を襲った悲劇と賢治の生と死。

この朗読会は宮沢賢治のことばを通して「鎮魂と復興への新たな思い」から主催された。
宮沢賢治が自然と一体となりことばで表した悲しみや苦しみ、
喜びを私たちがひととき舞台のイーハトーブで過ごした時間である。

朗読は木村佳乃、山本耕史、段田安則の三人。

マリンバの演奏で幕が開く。さわやかな風、葉ずれの音、水の流れだろうか。
注文の多い料理店、春と修羅、林と思想、よだかの星、稲作挿話、ポラーノの広場、
永訣の朝、雨ニモ負ケズ、そして短歌など・・。

作品によって演じわける三人の朗読は宮沢賢治の鼓動を私たちに伝える。
その声の響きは自然と人の生命感にあふれている。
賢治が岩手の自然に吹き込んだ命である。
そして霧のようにただよう悲しみと孤独。
人間がかかえる途方もないこの宿命をイーハトーブの風とともに宮沢賢治のことばが胸に迫ってくる。
それはきらめく銀河の空から聞こえる復興への静かな願いでもあるかのようだ。

舞台の背景である青いスクリーンに写しだされた宮沢賢治のことば

                      世界がぜんたい幸福にならないうちは
                      個人の幸せはあり得ない


サラサーテの盤 内田百間

2012-04-09 | book

暗闇に何か形あるものがぼんやり見えると、それが何であるのかはっきりと正体をつかみたくて目をこらす。
しかし形はやはりぼんやりしている。
そんな掴みどころのない暗闇でゆらゆらと浮遊する感覚にとらわれる内田百間の短編集。

Hyakken 
サラサーテの盤
いつも同じ夕刻に「私」を訪ねてくるのは亡くなった友人・中砂の妻おふさ。
夫が貸していた物を返して欲しいとやって来る。
一度目は字引、二度目は参考書。そして次はサラサーテのレコード。
「私」の家に上がらず土間に無表情で立つ彼女は
「返して欲しい」だけの思いつめた様子が異様である。

レコードにはサラサーテが「チゴイネルワイゼン」を演奏中に言った
意味不明の言葉が録音されていた。
その言葉を聴いた瞬間、おふさは我が子に呼びかけ激しく泣き出した。
録音されていたサラサーテの声はおふさにとって
何かの意味を持つものだったか。

鈴木清順監督の映画「チゴイネルワイゼン」はこの作品を元に作られた。
難解な場面もあったが清順監督のイメージを強烈に織り込んだ個性の強い映画で印象的である。

本書には他に9編の短編が収められている。
「亀鳴くや」は芥川龍之介との交流、
「実説艸平記(じっせつそうへいき)」は森田草平との交流とその人柄が書かれている。

他はどれも10ページ前後の短編ばかりだが、登場する女性は奇妙な人ばかりだし、
動物は本当は人間なのか?
自分も他人も生きているのかそれとも冥界からやってきたのか?
百間の不気味な迷路にはまり込んでしまう1冊である。

                                          昭和58年(1981) 六興出版