あなた方はここにいる。そしてわたしは途方もなく遠くにいます。
――すべてのものから離れて――三百年の彼方に―― (本文 エミリアの台詞より)
チェコの作家カレル・チャペックが描いた寿命の問題と死によって救われる女性の物語。
コレナティー弁護士事務所では依頼人グレゴルの100年にもわたる裁判をかかえていた。
グレゴル家対プルス男爵家の遺産相続問題であったが
裁判の決着がつくこの日、形成はグレゴルに不利であった。
不利なグレゴルに必要な100年前の先祖の血縁関係と相続を証明する遺言書。
それを探さなければならなかった。
そこへ30歳位の美貌のオペラ歌手エミリア・マルティが訪ねてきた。
新聞でこの裁判を知ったと言うが
はるか昔のグレゴル家とプルス家のことを詳しく知っているようだ。
当時、プルスの曾祖父であるヨゼフ・プルス男爵は遺言を残さなかったため、従兄のプルス家が相続した。
それに異議を申し立てたのはグレゴル家で
男爵は生前フェルディナント・グレゴルに領地ロウコフを譲ったと主張する。
しかしプルス家は、男爵が死に際で語った相続人はマッハ・グレゴルであり
フェルディナントではないと反論し長い間争ってきた。
マッハ・グレゴル。
実はエリアン・マック・グレゴルという女性オペラ歌手でプルス男爵の愛人であった。
そしてフェルディナントこそ彼女の息子であった。
コレナティ弁護士から説明を聞いたエミリアはプルス男爵の名を聞くと親しげにペピと呼び
その遺言書は黄色の封筒の中にあり、今のプルス家の棚にしまってあるはずだと言う。
衝撃的なエミリアの言葉にグレゴルは喜び、魅惑的なエミリアに夢中になり愛してしまう。
果たして黄色の封筒はエミリアの証言通りプルス家から出てきた。
しかしプルスはフェルディナントが男爵の息子であることを証明できなければ
封筒を渡さないと言う。
場は移り、エミリアのもとに少し頭のおかしい男ハウクがやってきた。
彼は50年前に恋したジプシーの娘エウヘニア・モンテスとエミリアが生き写しだと思い訪ねてきたのだ。
エミリアもハウクとまるで恋仲であったように同じ口調でふたりは会話を始めた。
ハウクが喜んで帰って行った後、そこにいたプルスは自分の家の引き出しに封筒があり
一緒に「E・M」という頭文字の手紙があったと告げる。
「E・M」のイニシャルはエミリア・マルティ、エリアン・マック・グレゴル、エウヘニア・モンテスに当てはまり
さらにはエリナ・マクロプロスにも当たると思いがけない言葉をエミリアに言う。
マクロプロス。
エミリアは強い衝撃を受ける。その名こそプルス男爵との間に生まれたフェルドナントの
出生届に記されていた母親の名であった。
プルスはロウコフの学長からフェルディナントの戸籍謄本を手に入れていたため
マクロプロスの名を口にしたのだ。
エミリアは「E・M」と書かれた封筒を売って欲しいとプルスに訴えるが
渡さないというプルスを誘惑し、一夜を共にしたプルスは封筒をエミリアに渡すことにした。
一夜明けたホテルにコレナティ弁護士やヴィティーク司法書士、グレゴルが来てエミリアのサインと
1836年に書かれたフェルディナントの出生届が同じ筆跡であることを指摘し
その出生届は偽造文書ではないかと疑う。
彼らはエミリアへ尋問することにした。そしてエミリアが語り出した驚くべき真実。
エミリアの本当の名はエリナ・マクロプロス。1585年生まれで337歳。
彼女の父ヒエロニムス・マクロプロスは16世紀末の皇帝ルドルフ2世の侍医であった。
皇帝からの命で不老不死の薬を調合し、娘であるエリナを実験台にした。
しかし皇帝は300年生きられたことを証明できる長寿の人間がいないということで父を詐欺師として処刑した。
昏睡状態から覚めたエリナは父の処方箋を持って逃れ
名前をその時代によって変え生きのびてきたという。
そしてエリアン・マックグレゴルの名の時にヨゼフ・プルス男爵と出会い
フェルディナントを生み、父のメモを男爵に預けた。
エミリアを愛してしまったグレゴルは彼女の曾曾孫だったわけである。
とほうもなく長く生きてきたエミリアにも死期が近づいていた。
しかし死が恐くなりその処方箋を再び試みようとしたが
時の流れの中で自分の魂は死に、愛する者たちが死んでしまい、
倦怠感の中でこれ以上生きていく意味があるだろうか。
人生は短いからこそ美しく意味があると言い、
300年生きられる父のメモを周囲の者に渡そうとしたが誰も受け取らない。
エミリアを敬愛する娘クリスティナがそれを受け取り
処方箋をろうそくの火にかざした。
エミリアの不死は終わりを告げた。
悲しい秘密を抱え、
運命ともいうべき「E・M」で生きてきた気の遠くなるような337年だった生涯が。
1998年 八月社発行 田才益夫 訳