日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

コクトーのグリーティングカード

2009-06-30 | Jean Cocteau

ジャン・コクトーのデッサンによる2つ折のグリーティングカード。
1957年前後 ニース France・ois Wahol 社発行  非売品限定50部



シンプルに描かれた線であるが、顔の表情はおだやかで美しい。
コクトーにとってデッサンを描くことは心の解放の時であり、
広げた画用紙に湧くがごとく何枚もの絵を描き続けるコクトーが線にいのちを宿らせる
無上の時間であった。
アルシュ紙版。


詩人の血 ジャン・コクトー

2009-06-27 | Jean Cocteau

コクトーが映画製作を手がけた最初の作品 「詩人の血」 は ジャン・コクトーという詩人の内部を画像で見ることができる映画である。
コクトーの叙情は「目に見える自分の血と見えない血によって」(コクトー)視覚化された。1930年 製作

Sijinnoti_2
詩人は多くの表現を持つ。
コクトーはそれを詩人の手についてしまった喋る唇にイメージした。
ふり払っても唇は手から離れない。詩人はメッセージを持ってるからだ。
彫像は女神となって詩人に啓示を与える。
     「鏡の中に入るのです」
詩人は鏡の中に飛び込み、異世界の断片に入ってゆく。


鏡の向こうはホテルの廊下。それぞれの部屋から詩人が見たものは、死と再生のカーボーイ、
阿片を吸う影、叱られた少女が天井へ逃げてゆく様、両性具有者が試みる絶望的な交感の果てに訪れる死の危険。
そして詩人に死の啓示が響いた。
少女が天井に張りつくシーンは自分を非難する世間から逃れたコクトーの心理のようでもあり、
手の届かない天井は彼が行った場所を意味するアレゴリーとも言える。

Sijinnoti_make

雪合戦のシーンになり、「恐るべき子供たち」の描写と重なる。
メルヴィル監督による「恐るべき子供たち」の 映画製作はコクトーがこの作 品を書いた後であり、実験的に行った映像とも言えるだろう。
雪球が少年の運命を変える。胸に衝撃を受けた少年は血を流し地面に倒れてしまった。


そのまま劇場の舞台になり、礼服の詩人と彫像がトランプのゲームをしている。
ハートのエースがなければ詩人は彫像に負けてしまう。
詩人は死んだ少年の胸からエースの札を抜き取るが
黒人の守護天使によって少年に返されてしまった。
ゲームに負けた 詩人はピストルで自殺する。勝利した彫像は竪琴と地球儀を持って闇へ消えてゆく。


映画は、煙突が崩れ、倒れるまでの一瞬の夢の出来事である。
単純なトリック撮影でありながら技法を超えた表現の美しさは画像の光と影から流れでてくるようである。
そして彫像は女神であり、ギリシャ神話に存在する芸術をつかさどる9人のミューズと
詩人コクトーがいつも対峙していた心理を描いている。コクトーの血が作った「詩人の血」である。

   右の写真は詩人役のエンリケ・リベロにメイクをするジャン・コクトー


クローサー・トゥ・ヘブン

2009-06-25 | 

   青Kumonagareruい空からは

   雨が降り

   涙を知らぬ目からは

   滝のように涙が溢れ出る

   答えてくれ

   本当のことを

   これは現実なのか

   それとも 愚か者の楽園なのか

                                                 あんなにも気ままに
 
                          吹き荒れる風

                          みんな君や僕より

                          天国に近いんだね

                          もっと近くまで

                          のぼりつめたいよ                                                                                                                                                                                                                                                                   
The Alan parsons Project 「Gaudi」 Closer to heaven より抜粋
訳詞:野中茂子                                              

 


泉鏡花の紫陽花

2009-06-23 | 泉鏡花

        <うつゝに見ゆるまで美しきは紫陽花なり>                  

『森の紫陽花』(明治34年)で、泉鏡花は彼がもっとも愛した花を明暗の中に描いている。
花の一部が幻のように浮かび、また陰に沈む。翳りの中に紫陽花を淡く咲かせる鏡花の描写である。



『紫陽花』(明治29年)では、夏、氷を売りに歩く少年が腰元を伴って
通りかかった貴女(きじょ)に呼び止められ
少年は鋸で切った氷を差し出す。しかし鋸についていた煤(すす)で氷は黒い。
「きれいなのでなくっては」 貴女の要求に再び鋸を引くが、氷は何度切ってもきれいにならない。
2ajisai
氷をいくつも無駄にした少年が貴女の望みに応える一心不乱。
そこには困惑をおぼえながらも望みに叶おうとする苦しい少年の心が動き続ける。
「さ、おくれ、いいのを」 せがむ貴女の手を引っぱり
紫陽花が咲いていた小川へ着いた少年は氷を川の水で清めた。
 
氷は美しい透明になり輝く水晶のようだ。
貴女は自分のわがままを少年に詫び、小さくなった水晶の氷をのどに含む。
<うっとりとした目で少年の肩を抱く>貴女。
少年の清浄な心が貴女ののどを通った瞬間であった。
そしてそこに咲いていた紫陽花の色は貴女の顔をさびしく浮き上がらせる。
鏡花が描いた貴女はどんな運命であったのか。


雨を待つ紫陽花

2009-06-21 | Flower

紫陽花が咲く場所には特別な空気が流れる。
しめりを含んだ空気を水として紫陽花が吸う青い空気である。

 

現在一般的に呼ぶアジサイは、ガクアジサイを母種として生まれた品種であり
もとの名前は「あづ(集)」「さ(真)」「あい(藍)」で
「あづさあい(集真藍)」が「あじさい」に変化した。
又アジサイの異名で「四葩(よひら)」 とも言われた。


花びらに見えるのは本当は萼(がく)で「装飾花」 と呼ばれ、
1879年にイギリスの園芸家が日本のアジサイを持ち帰り品種改良によって現在の紫陽花が誕生した。

辻邦生『花のレクイエム』 紫陽花の章では、紫陽花を愛した母の想いは
主人公の胸をよぎり、紫陽花が母娘の人生を静かに象る花として描かれている。 

  森駈けてきてほてりたるわが頬をうづめむとするに紫陽花くらし  寺山修司

  昨日今日あすとうつらふ世の人の心に似たるアジサイの花  佐久間象山


馬車道

2009-06-16 | まち歩き

Tailbasya Basyamiti
追憶が 長い火つけ棒を持った點火夫の

姿となって 過ぎてきた街路に ひとつづつ

ブルーの燈火(あかり)をとぼしてゆく

やがて燦(かがや)きの列はユニゾンで哀愁をうたひ

                        山本一宏 詩集 「雨の山手」 馬車道 より

     Tailgasutou         

横浜・馬車道の最初のガス灯は1872年(明治5年)に
イギリスのシェフィールドパーク内のものと同じガス灯が立てられた。


葉守の神が宿る木 柏

2009-06-15 | Flower

Kasiwa 波型に囲まれた柏の葉は造形的であり
15~20mにも達する木の姿はひときわ美しい。

昔、穀類を食す時に木の葉を敷いて調理することを「炊ぎ葉(かしぎは)」と呼び
そこから「柏」と名づけられた。

また、神社での礼拝作法で柏手を打つのは、柏の木に「葉守の神」が
宿ることに由来するという。
葉は秋になると枯れるが落葉せず、翌年の春に新芽が出るまで留まっている。

葉は役目を果たし終えるまで神に守られて一生を終えるのだろうか。
そんな思いで木を見上げれば、葉が濃く淡く重なる緑に神聖な空気が躍っているようだった。                                                    


CD ノートルダム・ド・パリ

2009-06-13 | 音楽

フランスの文豪ヴィクトル・ユゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』をミュージカル化した舞台から
16曲を抜粋したCD。
このミュージカルはパリで空前のロングランを記録したが英語圏の国で上演した際に発売されたもので
セリーヌ・ディオンのスペシャルレコーディングも加わっている。

Notredamudeparis 1482年、フランスのノートルダム大聖堂を舞台に、ジプシー

の娘エスメラルダに恋ごころを抱く大聖堂の鐘つき男カジモド、

副司教フロロ、親衛隊の隊長フェビュスの、エスメラルダを

めぐる三人の男が愛と憎しみのはてに悲劇の運命をたどる。

・エスメラルダ…広場でタンバリンを手に歌い踊る彼女は
男を虜にするエキゾチックな魅力に輝いている。フェビュスに宿命的な愛を感じている。

・カジモド…醜い容姿のため孤独な半生を送っているノートルダム大聖堂の鐘つき。
自分を助けてくれた副司教フロロに恩を感じている。
エスメラルダに純粋な恋ごころを抱くがフロロの陰謀を知り、怒った末に鐘楼から彼をつき落とす。
フロロによってカジモドは究極の犠牲へと引き込まれる。

・フロロ…ノートルダム大聖堂の副司教。
エスメラルダへの恋により聖職者としての理性を失ってゆき
悲劇の発端をつくってしまう。

・フェビュス…王室親衛隊の隊長。
裕福な家庭の婚約者がいるがエスメラルダの魅力にまどわされる。
結局婚約者のもとへ戻るがフロロの嫉妬により命をおとす。

                          CDのテキストを参考に書きました


Notre Dame De Paris (Belle) - English Subtitles and Multilanguage Description

 


戯曲 「オルフェ」 ジャン・コクトオ

2009-06-09 | Jean Cocteau

堀口大學の訳により、一幕の戯曲 「オルフェ」 の単行本として1929年(昭和4年)に出版された本。
300ページの前半は戯曲の 「オルフェ」、後半はコクトーのデッサン集が収められている。
絵の多くはコクトーの初期のころの画風で、人間の動きを楽しんで描いたようなコクトーの絵を見ることができる。 
1929年  第一書房 1500部限定で発行

Orufye Cocteauurutobizu
「マダム・ユーリディスは地獄から帰っておいでになるでしょう」
これは言葉じゃない。詩だよ、夢の詩だよ、死のどん底に咲きいでた一輪の花だよ。

       詩人オルフェの台詞  第一場より

1927年に 「オルフェ」 が再演された時はコクトーがウルトビーズ役で出演した。
背負っている硝子は天使の羽根を表しているという。


ギリシャ神話をコクトーの詩に変え、それを戯曲という立体にした作品であるが
鏡という出入り口による冥界への境界は生と死を隔てる象徴として幻想空間を生んだ。
そして死神を登場させることによって神話の軌跡はコクトーの神話となった。


戯曲 「オルフェ」 ジャン・コクトー

2009-06-08 | Jean Cocteau

生と死の世界を行き来して妻ユーリディスを取り戻す詩人オルフェの幻想的な戯曲は、
1925年、ホテル・ウェルカムに宿泊していたコクトーに
さまざまな幻影があらわれ、そのイメージから一気に書き上げた一幕物の戯曲。
1976年4月 青銅社発行(堀口大學 訳)

Orphee オルフェは妻ユーリディスの話も耳に入らず馬が発する言葉に夢中になっOrphee_butaiている。Orphee_image
そんな妻の悩みを親切に聞くウルトビーズは、硝子屋に姿を変えた天使であった。

オルフェは時の詩人であり、当然そんな彼に敵対する者もいた。
アグラオニースもその一人であった。
アグラオニースの策略によりユーリディスは死神に冥界へ連れ去られてしまう。

悲嘆にくれるオルフェに、鏡を通れば死の世界で妻に会えるとウルトビーズは助言した。
オルフェは鏡を通る。
無事に妻を現世へ連れ戻し、再び元の生活が戻ったが
お互いの顔が合ったら冥界へ返されるという掟があった。
しかし、 ひょんなことで顔が合ってしまいユーリディスは一瞬のうちに消えてしまった。

その頃オルフェを恨む集団に彼は襲われオルフェの首は落ちてしまう。
オルフェの首が気がついた所は暗い冥界…。
しかし愛するユーリディスが待っていた。
舞台は昇天し、ウルトビーズの案内でふたりが鏡の中から出て来る。

二人の信頼を得たウルトビーズを迎え元の生活がまた始まった。

ギリシャ神話を現代によみがえらせるコクトーの詩人たらしめる作品として代表される作品であるが、
さらにオルフェの運命に悲劇性を持たせている。
しかし暗さや重さは感じられない。古典を自己の神話に仕上げたコクトーの感覚が光る作品である。

  右の写真は1926年、フランス芸術劇場の舞台とスケッチ


ハルシャギク

2009-06-06 | Flower

Harusya
こぼれ種からも簡単に咲くハルシャギクは

華奢な姿ながら丈夫できれいな色彩が目を引く。

ある建築事務所の壁の前、

くもり空の下で風にゆらゆらそよいでいた。

キク科 西アメリカ原産

花言葉◆陽気、上機嫌


Vocabulaire(用語集) ジャン・コクトー

2009-06-04 | Jean Cocteau

このブログに紹介しているジャン・コクトーの洋書やフランスの製品は、
コクトーに関して惜しみない協力をしてくださる方のお陰でコレクションが実現しました。
日本だけでは知り得ないコクトーの作品を手にできることは大きな喜びです。
深い感謝を込めて、これからも少しずつコクトーの作品をここへ紹介してゆきたいと思います。

詩集『Vocabulaire 用語集』 は1922年に出版された。
レイモン・ラディゲが『肉体の悪魔』を書いたのちのことである。
文学上での他者との相違から自己を見出すコクトーに、自己の中から見出したものを作品に
するようラディゲはアドバイスをしている。
それによってコクトーは自身との対峙が始まる過渡期であった。
1922年3月 フランス ラ・シレーヌ社 限定1110部の950番台

 

Vocabulaire

   
          A FORCE DE PLAISIRS

  Souvenirs de campagne, ah! Iaissez-moi tranquille;

  De la rose du soir ne soyes pas le chancre.

  J'ai le vertige en haut des maisons de ma ville,

  Mon ombre se repand de moi comme de I'encre.


  学校時代の思い出よ! 僕にはもうかかわりあうな

  夕空のばらを損なう疵(きず)とはなるな 

  僕は今 生まれた市(まち)の屋上で目まいがしている

  僕の影はインクのように流れ出る 僕の中から

                                                    用語集「嬉しいことも」 より抜粋


人間の持つ虚と実を書いた詩が多く、その側面からはコクトーが心に負った傷が垣間見えるようである。
人間の愚かさへの皮肉、死を身近に感じている心境が表れている。


「人でなしの女」

2009-06-02 | 映画

フランスの巨匠マルセル・レルビエが1923年に製作した映画 「人でなしの女」 は
アールデコスタイルの美術が結集され、20年代に関心が高まった科学技術と近未来への無限の夢を
映像へ神秘的に焼きつけた芸術的作品といえる。

Panhuretto
世に名高い歌姫クレール・レスコーはその魅力で多くの男性を虜にするが
気まぐれな彼女は誰のものにもならない。

ハンサムな若きエンジニア、エイナール・ノールセンが
彼女に恋心を打ち明けるが冷淡に拒否され、彼は車を走らせ崖から転落。Norusen

衝撃を受けたクレールに見知らぬ男が訪ねてきた。
彼女を案内したところは最新の粋を集めた実験室であった。
ノールセンは生きていた。
その実験室では自分の歌が映像と音によっ世界中に流れる。

Saron_2 機械に夢中になったUtahime彼女はノールセンにうちとけていく。
しかしノールセンに嫉妬した男によって彼女は毒蛇に噛まれて死んでしまう。
悲しみにくれるノ ールセンは「危険な実験」によってクレールを蘇らせた。
二人は真実の愛に結ばれる。

      Kyubizumu        

印象に残るのは80年前の映画にもかかわらずSaisei
現在見ても新鮮な衝撃を受ける画像である。
アートシネマとも呼べるこの映画に参加したアーティストは大変豪華であり
彼等の作品を堪能できる映像が連続して一作品になっている。

この映画は製作中から注目を浴び、エリック・サティやニジンスキーがセットを見に訪れたという。

◆監督 マルセル・レルビエ
「エル・ドラドオ」 「ラ・ボエーム」「ポンペイ最後の日」など。
◆美術/室内装飾 アルベルト・カバルカンティ
 映画作家、美術監督           
◆実験室/字幕 フェルナン・レジェ
 キュビズムの作家                     
◆建築物 ロベール・マレ=ステヴァン
 アールデコの代表的建築家                
◆家具 ピエール・シャロー
 20~30年代の偉大な家具デザイナー 
◆衣装 ポール・ポワレ
 10~30年代に活躍したファッションデザイナー
◆共同脚本 ピエール・マッコルラン
 「霧の波止場」などを書いた作家
◆音楽(オリジナル)ダリウス・ミヨー
 ジャン・コクトーとも縁が深い「6人組」の一人