日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

「高野聖」 泉鏡花 

2011-02-28 | book

明治33年、泉鏡花が「新小説」2月号に発表した『高野聖』は、旅人である「私」がひとりの僧侶に出会い、共にした旅の宿で僧侶が「私」に語った不思議な体験談である。

Kouyahijiri   
飛騨から信濃へ抜ける天王峠。迷った僧は二本に分かれた道に出た。
まっすぐの本道に対して左側の道は近道であるが
命を落としかねない危険な道であった。
その道に入った薬売りを助けようと僧は後を追うが、蛇の死体を見たり雨のように降る蛭に襲われる。
そこを抜けた先にあった一軒の家には
この世のものともいえない美女が白痴の男と暮らしていた。

旅で疲れた僧を女は親切にもてなし、川でその疲れを洗い流すよう案内した。
そこでの体験は夢ともうつつともつかないものであった。
鏡花が描く清冽な川の水は妖しの水に変化する。


その夜、女のそばから聞こえてくる動物たちが動いている音や影に恐怖を覚え、僧侶は呪文を唱えて夜を明かした。
翌朝、僧は出発するが女と一緒に暮らしたい煩悩に襲われる。
そこへ女に仕える親仁(おやじ)に会い、女は淫心で近寄る男を動物に変える魔性を秘めていたことを知る。

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聖職者である僧侶は人を救う身として薬売りを助けるために危険に身をさらし、
美女の親切を受けながらも心は清廉であった。
女性への俗の思いを持たず、美しいものとして象徴した気持ちが
旅僧を人間の姿のまま帰したのであった。
俗のものではない中に存在する人間の心。
鏡花が求めた美はここにこそあるのではないだろうか。



「高野聖」の最後の結び。
<ちらちらと雪の降るなかを次第に高く坂道を上がる聖の姿、あたかも雲に駕して行くように見えたのである。> 

幽玄境をさまようような耽美な文をちりばめ、不思議な体験をした旅僧を高潔な姿として鏡花が描いた後姿である。 

           画は鏑木清方の「高野聖」 昭和24年 雑誌「苦楽」表紙絵           


岡本太郎が好きだった色

2011-02-26 | 絵画

Rougeptale
今日は岡本太郎の生誕100年。
絵筆を通して生きるすべてを色彩に表わした画家・岡本太郎は
古代への関心からすでに人間の根源的なものは宇宙との交流であることを認識していた。
既成の概念を超えて独自の芸術を生み出した
岡本太郎の色に対する思いを知る一文である。

私は幼い時から、「赤」が好きだった。赤といっても派手な明るい、暢気な赤ではなくて、
血を思わせる激しい赤だ。後年、私は原色、とりわけ赤をよく使い、
その点で抵抗もあったが、幼な心にすでに惹かれていたのだ。

   岡本太郎『美の呪力』古代メキシコとの出会い=血と太陽より

NHKで本日放送した「TAROの塔」で、母かの子は幼い太郎の前で自分の顔に赤い絵の具を塗った。
激しいかの子は自分の顔がどう見えるか太郎に問う。
燃えているようだと言った太郎に、かの子は言う。
「私には血に見える」赤は母と子にとって絆を示す色であったのか。


第一阿房列車 内田百間

2011-02-21 | book

用があるわけでもなく大阪まで行く。一等車に乗るため借金をして。でも行けば帰って来なければならないという用事ができる。
このようにユーモアに富んだ内田百間の思考が随所にあふれ、独特な人柄と型破りの旅に引き込まれる一冊である。

Aboressya
一緒に旅をする「ヒマラヤ山系」は、話しかけても「はあ」と
気乗りしているのかいないのかわからない返事なのだが、国鉄職員の「つて」を使って
百間の面倒を何かとみてくれる。
さながらドン・キホーテとサンチョ・パンサの珍道中のようだ。

あわてて走って列車に乗り込むくらいなら2時間あとの列車まで待つのもいとわない。
自分流の気ままな旅の哲学があるのだ。
しかし明治生まれの紳士然とした気質が品を崩さない。

往年の名列車「はと」に乗った内田百間は
特別うれしそうでもなく口を固く結びカメラに納まっている。
なんとも微笑ましいこの写真をみるたびに、百間がヒマラヤ山系と
お酒を酌み交わしながら車窓を眺める姿を想像するのである。


酒井抱一 琳派の華 畠山美術館(前期) 

2011-02-17 | 絵画

江戸琳派の創始者・酒井抱一(1761年~1828年)の生誕250年を記念して開催された作品展の前期を見に行った。
酒井抱一の作品はまれに1~2点を見られるだけなので前後期に分かれているものの一堂に見る機会があるのは恵まれた機会といえる。

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四季花木図屏風







満開の桜を右側に大胆に配し、地に春夏秋冬の花々が咲きそろう屏風。
山吹、すみれ、鯛釣り草、苧環(おだまき)、山百合、牡丹、芥子、りんどう、水仙。そして、ななかまどの紅葉…。
江戸の四季を彩っていた花が鮮やかながら楚々と咲いている。

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富士見業平図

 





抱一が敬愛していた尾形光琳の掛け軸から、伊勢物語の第九段「東下り」を抱一が自分流に描いた絵。
従者がたなびく雲のほうを振り返っている。
比叡山を二十ほど積み上げたようにと描写された富士の高さを見ているのか。
上部の文字は抱一自身が書き入れた本文。

抱一の掛け軸「十二ヶ月花鳥図」は1月~6月が前期の展示。
それぞれの月の花に必ず鳥が描かれている。2月は菜の花と雲雀。春のおとずれを感じる淡い色調の一幅。

そして、本阿弥光悦の「扇面月兎画賛」。右側に大きな月。咲く萩の中で兎はうれしげに飛び跳ねているように見える。
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月の金箔と地の緑。左右に分かれた構図は天と地を結ぶ自然界とも言える。
月の中には「新古今和歌集」の恋歌が書かれている。


抱一以外の作品は、尾形乾山の焼き物、抱一が下絵を描いた1点を含む印籠の工芸など、
小規模ながら江戸琳派を静かな木立ちの中で味わえた一日であった。

        生誕250年 酒井抱一 -琳派の華- (前期 )1月22日~2月17日

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畠山記念館入口

 


美女と野獣 LA BELLE ET LA BETE パンフレット

2011-02-15 | Jean Cocteau

映画「美女と野獣」のフランス版パンフレット。
黒の表紙に赤と青の「B」が印象的であり、オレンジの紐で綴じられた本体は8ページの構成。
内容はジャン・コクトーの序文とテキスト、J. Jacquelによる絵が2枚、映画スタッフの
一覧などが記載されている。
フランス 1946年 
アンドレ・ポルヴェ発行(本作品のプロデューサー)

このパンフレットの配布の詳細は不明だが、当時の公開初日、あるいは試写会で招待客、
プレス関係者に配られたのではないかと思われる。 

Bellpamphlet 

ぼくは燃えあがる薔薇を撮る。それだけだ。
映画は内に秘めていたものを次々と外に送り出していた。軌道を航行していた。きらめいていた。

           ジャン・コクトー『美女と野獣 ある映画の日記』より


ラナンキュラスな時間

2011-02-11 | Flower

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春を満たして咲くラナンキュラス。
可憐な表情は
成長をねがう熱い手に守られて育った。
たっぷりのはなびら
たっぷりの重み
言いたいことがある、とばかりに
可憐な顔がせまってくる
生け手にとって、てごわい花ラナンキュラス

 

 
 

   今日は久しぶりに雪が降った。
   音を吸い込んで静けさを残して降る雪。
   追いかけて降る小雨に
   シャリシャリと頼りなげに雪が消えていく。

使用した花
三色のラナンキュラス、ダイヤモンドリリー、白妙草、カーネーション、チューリップの葉