明治33年、泉鏡花が「新小説」2月号に発表した『高野聖』は、旅人である「私」がひとりの僧侶に出会い、共にした旅の宿で僧侶が「私」に語った不思議な体験談である。
飛騨から信濃へ抜ける天王峠。迷った僧は二本に分かれた道に出た。
まっすぐの本道に対して左側の道は近道であるが
命を落としかねない危険な道であった。
その道に入った薬売りを助けようと僧は後を追うが、蛇の死体を見たり雨のように降る蛭に襲われる。
そこを抜けた先にあった一軒の家には
この世のものともいえない美女が白痴の男と暮らしていた。
旅で疲れた僧を女は親切にもてなし、川でその疲れを洗い流すよう案内した。
そこでの体験は夢ともうつつともつかないものであった。
鏡花が描く清冽な川の水は妖しの水に変化する。
その夜、女のそばから聞こえてくる動物たちが動いている音や影に恐怖を覚え、僧侶は呪文を唱えて夜を明かした。
翌朝、僧は出発するが女と一緒に暮らしたい煩悩に襲われる。
そこへ女に仕える親仁(おやじ)に会い、女は淫心で近寄る男を動物に変える魔性を秘めていたことを知る。
聖職者である僧侶は人を救う身として薬売りを助けるために危険に身をさらし、
美女の親切を受けながらも心は清廉であった。
女性への俗の思いを持たず、美しいものとして象徴した気持ちが
旅僧を人間の姿のまま帰したのであった。
俗のものではない中に存在する人間の心。
鏡花が求めた美はここにこそあるのではないだろうか。
「高野聖」の最後の結び。
<ちらちらと雪の降るなかを次第に高く坂道を上がる聖の姿、あたかも雲に駕して行くように見えたのである。>
幽玄境をさまようような耽美な文をちりばめ、不思議な体験をした旅僧を高潔な姿として鏡花が描いた後姿である。
画は鏑木清方の「高野聖」 昭和24年 雑誌「苦楽」表紙絵