日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

今も香りを残して  MITSOUKO

2009-09-30 | 日常

Mitsouko 












フランス・ゲラン社 MITSOUKO(ミツコ)のオーデトワレのボトル

最初は香水を使っていたがオーデトワレのほうが使いやすく、丸く平たいこの形も気に入っていた。
 ラベルのデザインは発売する年ごとに微妙に違っている。

ミツコは、調香の天才といわれたゲラン社の3代目ジャック・ゲランによって1919年に誕生し
「ミツコ」という名はクロード・ファーレルの『ラ・バタイユ(戦闘)』のヒロインから命名された。

作者のファーレルとジャック・ゲランは親交があり
ヒロインであるミツコへの親愛を込めてこの名香が生まれたといわれる。                                                                                                                                                                                                                                                                           ガラスの蓋を開ければ、オークモス(苔)の香りがほのかにたちのぼる。
森林へ誘うような残り香である。                                                            


阿片 ジャン・コクトー

2009-09-28 | book

阿片はそれ自らが一つの季節だ。だから、阿片を喫む者は季節の変化を気にしない。彼はまた風も引かない。
ただ、阿片が変わったり、分量が変わったり、用いる時刻が変わったり
すべて阿片の晴雨計に影響を与えるものだけしか気にしない。

                        ★
                      すべてはスピードの問題だ(阿片はつまり絹のスピードだ)
                                                    ★ 
        解毒治療の直後こそ、最もいとわしい、最も危険な時期だ。
       この時、人は穴のあいた健康と深いさびしさを抱いて生きている。

                                                                                                                      Ahen
1928年12月、ジャン・コクトーは2度目の阿片解毒治療のため
サン・クルーの療養所に入院した。
この本を開けば人間ではない人間のデッサンが目に飛び込む。阿片のパイプを連想させる
おびただしい量の管の集積で人間が描かれている。
そして治療の苦痛を思わせる悲痛な表情は、絶叫であり慟哭である。
コクトーは入院中に日記のようなメモを書き始めた。
それが『阿片』という1冊になったのだが、文中で彼は阿片を擁護し、肯定している。
            
ラディゲの死によって服用したとされるが、おそらく占領下時代から吸っていたと思われ、
ラディゲの死で公になったといえる。断片的に書かれた記録は、どんな時でも自分を
表現せずにいられないコクトーらしく、阿片が詩人にもたらす幻想、自己の回想、文学、
芸術論、そして次の仕事への意欲へと当時のコクトーの胸のうちを
聞いているような入院記録といえる。

          コクトオに阿片と愛を競わせし青年よわれの頬も燃ゆるも (春日井 建)


この後も阿片を常用してゆくコクトーだが、阿片は彼にどんな楽園の地であったのか。
いずれにしてもコクトーが美よりも早く走ったスピードと絹のスピード(阿片)は、彼自身の中で均衡を保ち、
詩人の欠くべからざる友となったのだろう。


ライステリア

2009-09-26 | Flower

Raisuteria 
 
  ルビー色の房が揺れるライステリア。

  かぼすを散らし

  縞模様のククミス・プロフィタルムを集めて
  
  みた。

  白の器にオレンジの光が反射する。

  光は弱まり少しずつ影が濃くなる季節。


コクトーとカルティエのリング

2009-09-23 | Jean Cocteau

Cocteaucartie
ジャン・コクトーが愛用したカルティエの三連リングは
二人の友情から生まれた名作で現在も高い人気を保持している。

3代目当主ルイ・カルティエとコクトーの出会いはコクトーがロシア・バレエとの関係から
交友を広げ始めていた第一次世界大戦(1914年~1918年)の後期あたりと思われる。
ルイ・カルチェはロシアと中国の民話に登場する3つの輪の話からヒントを得、
トリニティ・リングを考案。
その試作品を詩人に見せたところコクトーは大変気に入り
ラディゲと自分用に2つ注文した。
トリニティとはカトリックの教義として、父・子・精霊の「三位一体」を意味する。
こうしてカルティエのトリニティリングは1924年に誕生した。

また1955年、コクトーのアカデミー・フランセーズ会員の剣を製作したのも
カルティエであり、カルチェが手がけたアカデミー会員の剣の中でも最高の剣といわれている。


「カルチェは巧妙な魔術師だ。ちりぢりになった銀色の月のかけらを、太陽の金色の糸の上にそっと落とさずに並べることをやってみせる」 (コクトー)

         ELLE JAPON 創刊200号記念 ジャン・コクトーの世界 より


芝大神宮例大祭 だらだら祭り

2009-09-21 | まち歩き

今年も東京・芝大神宮祭りが行われた。芝大神宮は、平安時代の寛弘二年(1005年)に創建され
天照大御神、豊受大神の二柱を主祭神として祀られた1000年の歴史を持つ社である。
江戸幕府の篤い保護の下、大いににぎわい「関東のお伊勢さま」といわれ人々から信仰を集めてきた。

SibamaturiodoriSibaiutiwa



例大祭は毎年9月11日~21日まで長きにわたって行われるので「だらだら祭り」とも呼ばれている。





 

 

Sibamaturiobi




東京の郷土玩具として千木筥(ちぎばこ)があり、千木は 千着に通じ、衣服が増え良縁に恵まれて幸福にすごせるとして、「生姜」と「千木筥」はこの祭りの縁起物になっている。
それを帯にデザインした粋な着物姿。



Sibasyouga




当時は周辺で生姜を栽培しており、目に効能があるとされて売られていた。
例祭では市が立ったため「生姜祭り」とも呼ばれている。
Sibamaturikami







Sibamikosi


 

 

           


毛糸玉のような

2009-09-19 | Flower

 

写真は「房鶏頭」の花。
羽毛のようにふわふわに見える。
古くからある赤の鶏冠状(トサカケイトウ)のものと違う品種の鶏頭が
色も豊富に多く出回っている。

鶏頭は十分な日当たりがないと育たない。       

正岡子規は、子規庵(東京・台東区)の庭に鶏頭の種をまいたが
(森鴎外からもらったもの)
育たず気落ちしてしまったが、翌年芽が出て大切に育てたという。
そして子規は鶏頭の絵も描いている。

現在も子規庵では鶏頭が育てられているが、明治三十三年に詠んだこの句は
病身の時で花のそばへ行けなかったこともあり様々な解釈によって議論を生んだ句である。

              鶏頭の十四五本もありぬべし


光と風と夢 中島敦

2009-09-18 | book

昭和17年(1942年)、筑摩書房の創業三十周年を記念して出版された本で
初版3000部のうち1500部が限定本として発行された。No.540番台                               

Nakajimaatushi 狐憑
遊牧民によって弟を殺されてからシャクは幻惑と妄想に憑かれ、
言葉となって誰に語るともなく語り始めるようになった。
にとって不吉な存在として彼は処分されるがそれは一人の詩人の喪失であった。
言葉が人間に及ぼす魔力を描いた古代スキタイ人の物語。

木乃伊
古代エジプト。墓所捜索隊に加わったパリスカスは地下の墓所で
一体の木乃伊に自分の姿を見る。
前世の自分と現在の自分が向き合っている。魂は死なず。

山月記
授業で扱われる有名な作品。人間が虎になる話に衝撃を受け、
10代でまだ未熟だった私は中国大陸という得体の知れない寂寥感のようなものと
李徴の絶望が胸に重くのしかかり、数日この作品が頭から離れずにいた。

文字禍
古代アッシリア。文字に宿る精霊が人間を翻弄する。
文字は線の組み合わせ。
そして形になった文字には意味があり、そこに存在する影は人間が簡単に
太刀打ちできるものではない。中島敦の文字への洞察に感嘆する作品。

斗南先生
伯父である中島端をモデルに書いた三造シリーズの1作。
伯父に振り回される三造のとまどいが手にとるような描写である
。生前の伯父をあまり愛せないでいた自分が見た、貫くように生きた伯父との回想。

虎狩
主人公は実際に虎狩を体験するのだが、このタイトルは差別を扱った深いテーマが含まれている。
主人公の親友だった趙大煥は朝鮮人であったが、ひと際大きい彼はどこか達観しているような風貌に見えた。
それを目障りに思う上級生から嫌がらせや暴力を受けるが趙大煥は抵抗しない。
その後、趙大煥はいつのまにか姿を消した。
十何年経って二人は街で行き会うが主人公は誰だか思い出せない。
しかし趙大煥は会った瞬間からかつての親友をわかっていた。
 かすかな再会で趙大煥は雑踏に消えた。

光と風と夢
「宝島」「ジキルとハイド」のスコットランド作家ロバート・ルイス・スティーブンソンが
療養のためサモアに移り住んだ南洋の物語。
島は英・独・米の三国に支配され島民は不安の生活を強いられている。
スティーブンソンは皆から手厚い待遇を受けながら、三国から島民を助けられない苦悩と
作家としての悲嘆がつづられている。
脳溢血でスティーブンソンはこの世を去る。
老酋長が赤銅色の頬に涙を流しつぶやいた。   
  「トファ(眠れ)!ツシタラ」(ツシタラはサモア語で物語を語るひと)

中島敦は33歳で早逝したが、動物と人間が不思議に関わる幻想譚、高雅な文体は
今読んでも読書の楽しみを与えてくれる。


白曼珠沙華

2009-09-16 | Flower

Sirohiganbana
各地で彼岸花が次々と咲き始めた。
別名を「曼珠沙華」とも言うが、曼珠沙華とは法華経に出てくる梵語であり
赤い花を意味する。

彼岸花の名前が出てくるのは江戸時代になってからだが
はるか以前から日本に咲いていたという説もある。

建築や生活道具類、能装束などに昔から多くの草花が描かれてきたが
彼岸花が文様として目にするのは明治からである。

神を畏れ、流れる雲や風に人々が何かの予兆を感じていた昔、
彼岸のころに咲くこの花を模様に描くことに抵抗を感じたからであろうか。

白彼岸花は、「鐘馗水仙(しょうきずいせん)」との交種によって咲いたといわれる。
群生する彼岸花を目にすれば、その幻想性にただ立ちつくすばかりである。

他に使用した花◆鶏頭、アワ、木苺の葉


ダンサー 森山開次

2009-09-13 | アート・文化

Moriyamakaiji 










9月11日(金)NHK「スタジオパーク」に出演した森山開次。
彼のダンスを最初に見たのは2005年の「眠らない音」であった。
詩人の心のイメージとして登場した森山開次のダンスは息を呑むほど美しく
しなやかに踊る身体からは詩がこぼれ、歌が流れていた。

彼のダンスはアメリカとイギリスで高い評価を得ているが、体と踊りは同義語だということばに
少しも気負いはなく、しなやかさはダンスだけでなく
彼自身の踊りへの姿勢そのもののようにも感じられた。
そしてどこまでも暖かい人である。

スタジオでは日本ユニセフから「世界手洗いの日」のダンスを要請されたその振りを披露した。
手だけが踊るのに、泡とたわむれる楽しさを生き生きとしたパフォーミングに変えた。

自分を表現する森山開次の創造の世界。
和洋を問わず耽美なダンス表現をこれからも見せてくれることと思う。

         写真は「スケリグ」のチラシより


山ごぼう

2009-09-10 | Flower

Yamagobou

1枝からいくつもの房をつけて緑から黒紫色に変わる山ごぼう。
成長する過程で茎も同じ色の変化をする。


現在、日本各地で自生しているのは「洋種やまごぼう」で
明治初期に渡来した帰化植物。


根にはアルカロイドを含む毒性があるという。
黒紫色の実は色落ちするため取り扱いに注意を要するが
英名の ink  berry という名もここから由来する。


インクという言葉を愛した詩人  ジャン・コクトー、寺山修司


スピリッツ・オブ・ジ・エア

2009-09-09 | 映画

アレックス・プロヤス監督「スピリッツ・オブ・ジ・エア」は
オーストラリアの乾いた砂漠と圧倒的な大空を心に残す映画であり
明るい大地に哀感がにじむ作品である。1989年放映

Spirits_of_the_air 砂漠の中、1軒の家に足の不自由な兄フェリックスと妹ベティは父の遺言で
この場所を離れずに暮らしている。
歩くことが出来ないフェリックスは模型の飛行機を毎日造り
いつか山を超えて飛び立ちたいと夢みている。

しかし妹は父の言葉を守りこの場所にずっといるつもりだ。
ある日、北へ逃亡しているスミスという男が現れ
ここから出たいと思っているフェリックスと意気投合し
二人はベティの反対にもかかわらず自家用飛行機を作りはじめる。
飛行機は出来上がりいよいよ出発というその時、
フェリックスは行かないと言い、スミスだけが北をめざして飛び立った。
フェリックスのあきらめの叫びと涙は太陽の光と風に消える。

兄の飛翔と妹の閉塞。そして土地への思考を持たない第三者である逃亡者の
奇妙なバランスで物語は進む。
妹の個性と場違いにもみえるコスチューム、多くの十字架などが
この映画の美術的要素をさらに強くしている。
そして風のような音楽はこの映画の心象風景となって胸を打つ。

                ああ
        飛行機
        飛行機
        ぼくが
        世界でいちばん
        孤独な日におまえはゆったりと
        夢の重さと釣り合いながら
        空に浮かんでいる       

                                          
                寺山修司 「飛行機よ」 より抜粋
 

海芋という花

2009-09-08 | Flower

Ycoller


江戸末期に渡来したオランダ海芋(かいう)という名を持つカラーの花。
写真は黄色であるが原種は白。
メガホン状になっている部分は花のように見えるが「仏炎包」であり
中にある棒状の部分が花である。


他に使用した花◆ネリネウンジュラータ、アマランサス、アルストロメリア、ドラセナの葉

     
   


オリジナル陶器展ポスター ジャン・コクトー

2009-09-03 | Jean Cocteau

Ceramiquesposter
フランス 1994年12月~1995年2月に開催されたコクトー・オリジナル陶器展のポスター。
写真に使用されているのは「ヘルメス」と題された直径30cmのプレート。

コクトーが陶器を始めたのは1957年頃で
翌58年から多くのプレートを手がけ、300点以上の作品を残している。

ヘルメスはギリシャ神話で商業、契約、神々の使者など色々な役割を持った神。
竪琴を発見し、美しい音色を奏でる神でもあった。
翼のついたサンダルを穿き、また翼のついた金の杖を持っているため
すばやくどこへでも飛んでいけると伝えられる。
コクトーの絵にも赤い線で翼が描かれている。

ヘルメスは太陽系の「水星」にあたり、太陽のすぐそばに位置することと
その敏捷さから伝令役をつとめた。