日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

和朗フラット 港区麻布台

2015-07-29 | 近代建築

六本木から外苑西通りを東京タワー方向へ歩き、
飯倉片町の交差点近くにあるイタリアンレストラン「キャンティ」を曲がると
ほどなくして見えてくる「和朗フラット」。
そのたたずまいは街の景観がどう変わろうと、そこで時を止めているかのようだ。

 2号館側の全景

昭和11年(1936) に建てられたのでもう80年にもなるが
現在残っているのは1・2・4号館の3棟。この辺り一帯は「スペイン村」と呼ばれた。
設計は上田文三郎氏。

松の木がある中央が1号館と2号館の入り口で手前が1号館。


1号館
 

2号館 窓の形や大きさが部屋によって違うデザインに工夫されている。


4号館は塗り替えが済んで間もないのか新しい感じ。ミモザの木が植えられている。


 

メディアにもたびたび登場している和朗フラットは
ここに住む皆が和やかに、という意味を込めて名づけられたという。
80年前の当時としては斬新な洋館、最新の設備で整えられ、
アーティスト達が多く住んでいた。
戦火をくぐり抜け、歴史を刻みながら今も憧れの場である和朗フラット。


映画 「ボーイフレンド」

2015-07-22 | 映画

  

ケン・ラッセル監督が1971年に製作したミュージカル映画「ボーイフレンド」
その主役として出演しているのが
「小枝」という意味で名づけられたツィギーで、1960年代に細身で
キュートなモデルとして大活躍した。
テレビで見たこの映画のセットの豪華さとツィギーの可愛らしさ、
タップダンスの素晴らしさが印象的だった。

物語は1920年代後期、イングランドはポーツマスの劇場。
観客はまばらで出演者のほうが多いくらいのわびしさ。
しかし幕が上がった舞台は、チャールストンのダンスあり、
ふんだんに見せるタップダンスがあり、ハリウッド映画の見せ場でもある群舞ありと
ケン・ラッセル監督の意気を感じるシーンが満載だ。

主人公ポリー(ツィギー) は劇団の雑用係をしているが、主演女優が怪我をした為に
ピンチヒッターとして急遽出演することになってしまった。
そこへハリウッドでは有名な監督スリルがキザないでたちで客席に姿を現した。
最初はおぼつかなかったポリーだがそのうち主演女優を凌ぐほどになっていく。
相手役のトミーに想いを寄せているが、彼の本心がわからないポリーは
不安とさびしさでいっぱい。
そんなポリーに優しく接してくれたのは同じ劇団のマダム・デュポンネという女優だが
彼女は、ポリーに会いに来た父親の昔の恋人だった。再会を喜ぶふたり。
そして劇団のもうひとりのホープ、トミーはタップダンスの才能を持つ孤児だったが
キザな監督スリルが長年尋ねあぐねていた実の息子だった。
ポリーの恋人トミーも実は貴族の御曹司で、ポリーもまた資産家の跡取り娘だったとお互いに打ち明け、
ふたりの恋は実を結ぶ。

内容は出来過ぎなくらいの偶然性のおかしさを感じつつも
全体に漂うアールデコ時代の雰囲気と、
監督がツィギーを何とか説得して出演させただけあって彼女の魅力を存分に引き出している。

又、現在はアメリカ演劇界の演出家でもある若きトミー・チューンのタップダンスが
織り込まれているのもうれしい。
衣装は監督の夫人であるシャーリー・ラッセル。

ケン・ラッセル監督の他の映画は「マーラー」と「ケンラッセルのサロメ」しか
見ていないが、実在の人物を映画化したことが多かった異彩ともいわれた監督の
遺した作品は興味が尽きない。


そこはユートピア 喫茶 「カド」 墨田区向島

2015-07-14 | まち歩き

花街の名残りを今も残す墨田区の向島。
近くには往時を偲ばせる料亭や足袋の店などもあり、空にはスカイツリーが聳える。
そんな街の一角にある「カド 季節の生ジュース くるみパン」と書かれた喫茶店。
是非行ってみたいと思っていた場所だった。




ドアを開けて中に入った瞬間、息をのむような装飾に目を奪われる。
現実を忘れそうな別天地。思わず店内を見回してしまった。
オープンしたのは昭和33年。
 

この店の設計は、現在のオーナーのお父様が親しくしていた作家・志賀直哉の弟で
建築家の志賀直三によるものだとか。
直三がロンドンに留学中に見たヨーロッパの雰囲気で、と設計を依頼したという。
徹底した装飾と美的センスにはやはり圧倒する力がある。

天井の薔薇は現在のオーナー自身が描いたもの。
創業当時は梅の花だったという。
肖像画を囲むシャンデリアと薔薇。
 


何枚も飾られた絵画や凝ったレリーフ。独特の雰囲気がただよう。
 

店内は大正、昭和と時間の違う品々が一緒に飾られているが
ここではひとつとなって呼吸をしている。
そして床に敷かれた黒い石はスペイン製のもので、オーナーが日曜日の閉店後から
月曜日の定休日をはさみ、火曜の開店までに貼り終えたというすごい腕前。


薔薇が描かれた黄色のテーブルは意表を突く個性的なデザイン。
形も不定形でゆるやかなカーブで造られているのが素敵だ。


活性生ジュースはリンゴ、パセリ、グリーンアスパラ、アロエ、
ハチミツなどを混ぜたセロリの味。 新鮮な味が体に流れる。
そして「くるみパンの茄子とモッツァレラチーズのサンドイッチ」
ジュースもサンドイッチもお勧めの味だった。
 


「カド」での短い時間。
異空間の中で胸にめぐったのは、月の光がこぼれる森や
緑色の泉、そんな情景が浮かぶようなユートピアの場所だった。
今でもこのような場所が存在することのうれしさ。
そしてとっておきの時間を持てた幸せ。


評論 「雄鶏とアルルカン」 ジャン・コクトー

2015-07-05 | Jean Cocteau

昭和11年(1936) に山本文庫から発行された翻訳本。
文庫本で市松模様というのがめずらしくて購入したが、80年前のものなので
紙はすっかり焼けている。しかしこれも大切にしている1冊。 佐藤 朔 訳



芸術のあらゆる分野を駆け抜けたジャン・コクトーが
作曲家エリック・サティを擁護し、アフォリスムの形式で書いた音楽論。

この書のタイトル「雄鶏」はサティであり、「アルルカン」は雑多な色彩の姿から
ワーグナー、ドビュッシー、そしてそれまでの装飾音楽を指している。
サティの「梨の形をした3つの小品」をピアノの連弾で聞いたコクトーは
音符から装飾をそぎ落としたような音楽に、胸につらぬくものを感じたようだ。

親子ほど歳も離れ、環境の違う二人が音楽を通して交友関係が始まり、
お互いに親しい友情を抱いてはいたものの
性格の違いから誤解が生まれることもしばしばであったが
コクトーはサティに対して反対の立場を公にしたことは一度もなかったという。
そしていかなる時もサティを擁護し続けた。

★パリでは皆が俳優になろうとする。見物人で我慢する者はいない。舞台の上は大混乱だが、観客席はからっぽだ。
★サティ対サティ。サティを崇めることはむずかしい。なぜなら神として祀られるような手がかりをほとんど与えないことが、まさしく、サティの魅力の一つだからだ。
★伝統は時代ごとに変装する。けれども公衆はその眼つきを知らないから、仮面の下にある伝統をけっして見つけはしない。   
                            (本文より)

音楽は「日々のパンのように」身近なものであり、
芸術の変化や装った芸術の下にある不可視のものを汲みとれる力を、と
コクトーは後に続く若者に呼びかけている。

この「雄鶏とアルルカン」は作曲家ジョルジュ・オーリック(6人組のひとり)へ献辞されているが
知性と教養を備えたオーリックにコクトーは感嘆したという。