日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

MUSEE JEAN COCTEAU ジャン・コクトー美術館

2009-04-30 | Jean Cocteau

Cocteaumozaiku ジャン・コクトー美術館 MUSEE JEAN COCTEAU は
コートダジュール地域圏のアルプ・マルティーム県の東、マントンにある。
モナコとイタリア・リビエラ地方の中間に位置し、
イタリアとの国境に近い町、レモン祭りの町としても知られている。
マントンは「芸術と歴史都市」に指定された場所であり、
温暖な地としてヴァカンス期にいっそうの別天地と化す町は「フランスの真珠」ともいわれる。

地中海の風に吹かれて建つジャン・コクトー美術館は、17世紀にモナコのオノレⅡ世により
町を守る要塞として建てられたが、いつの頃からか廃墟になったままであった。
晩年のコクトーは教会などの装飾に心血をそそいだが、
この美術館はコクトーが手がけた最後の修復となった。

小さな城砦は、地中海で洗われたといわれる石で
牧神パーンや南フランスの恋人たちのモチーフがかたどられている。
この石の装飾は入口や内部の床にもあり、開放的な雰囲気を与える。
2階の小さな窓から見える地中海の青い海は、詩人が描いた絵のドラマと城砦を永遠にみつめているかのようだ。


ジャスミン幻想

2009-04-27 | Flower

Jyasumingensou4月10日のあの庭を再び見たくて出かけた。

輝いていた花たちは姿なく、葉は傾げ、たわみ、地に伏せていた。

暗緑色の侘びの向こうに淡いピンクの躑躅がひっそりと咲いている。

その庭の囲いに、たわわと群れる羽衣ジャスミン。

金色の西日がジャスミンのすそを照らし、風景がきらきらしていた。

 


フランソワの薔薇 ジャン・コクトー

2009-04-24 | Jean Cocteau

詩集『フランソワの薔薇』は、日本では数少ないコクトーの限定本のうちの1冊であり、
ページごとに大きさを違えた造りでシンプルな装丁が美しい詩集。
森開社 (高橋洋一 訳) 1975年発行 普及版500部のうち340番台。

けれど、僕の鼻が嗅ぎ、僕の眼が見るのは

おまえ達の仲間でも選り抜きの薔薇で、

それこそ真紅に彩られた薔薇。

               「フランソワの薔薇」 第一部より抜粋

 

タイトルの「フランソワ」とは、コクトーの親友フランソワ・べヌルアールのことで、
芸術的な本を出版するべヌルアール社を興した人物である。コクトーの『ムネ=シュリーの肖像』を出版している。
この詩集は第一部が薔薇賛歌、第二部はフランソワに捧げた詩で構成されている。
印刷術を学んだコクトーは、印刷機や刷られる紙をも詩に描いておりフランソワへの敬意が伝わってくる詩集である。

「べヌルアールは心から印刷機械、紙、インクを愛するので、彼が印刷して造る本には魂が込められている」 コクトー


poesie graphique Jean Cocteau

2009-04-23 | Jean Cocteau

Poesie_graphique 「ジャン・コクトーのデッサン集」 1987年 フランス

小説、舞台、映画、教会の壁画用デッサンをはじめ、
リトグラフ、パステル画、手紙に描いた挿絵、ジャン・ジュネのサインのあるデッサンまで
コクトーの作品からセレクトされたデッサン集。


クレマチス

2009-04-21 | Flower

Kurematisu
写真の純白の花は、鉄線の仲間でクレマチスモンタナ「スノーフレーク」
モンタナの種類は花に芳香があり、
蔓性の性質で成長も早く塀などにこぼれるように咲く。

Clematis(クレマチス)はギリシャ語でclema(つる)から名づけられた。
鉄線は茎が鉄の線に似ていることに由来する和名。
シーボルトは150年前に日本から鉄線を持ち帰り
オランダにクレマチスを花咲かせた。
今でもアルスメア郊外の家々は色々な鉄線が咲き、タペストリーのように彩られているという。

複数の花器を提供してくださったM様、今日この言葉を伝えたいです。
本当にありがとうございました。

花言葉◆精神的な美、旅人の喜び


オーストリア皇妃 エリザベート

2009-04-20 | アート・文化

「日没なき帝国」といわれたハプスブルグ家に、16歳で皇帝フランツ・ヨーゼフのもとへ嫁いだ美貌の妃
シシィことエリザベートは孤独を埋めるため人生の大半を旅に費やした。

この時のヨーロッパは各地で革命、独立運動の不穏な空気のさなかにありフ ランツ・ヨーゼフは政務に追われていた。
ハプスブルグ家の伝統を重んじるしきたりは厳しく
宮廷になじめないエリザベートの苦悩は結婚と同時にはじまることになる。

二人に幸せが訪れたかにみえた子供の誕生も姑ゾフィが教育することになり、またゾフィとの確執、
そして勤勉なフランツが国事に精励する日々は
孤独なエリザベートを旅から旅への放浪の妃へと変えていった。Elifranztu
しかし皇帝は「愛するシシィ」と旅先のエリザベートに多くの手紙をしたためている。 

1889年、息子である皇太子ルドルフがマイヤーリンクの狩の館でマリー・ベッツェラと
心中するという不幸な事件が起こった。
リベラルなルドルフとの政治的見解の差と、彼の個人行動で皇帝の逆鱗にふれた4日後であった。

シシィは息子を失った悲しみに、以後没するまで喪服を着ることとなり悲しみは深まるばかりであった。
そしてふたたび旅へ。
旅、それはエリザベート自身が生きるために呼吸ができるかけがえのない時間であった。
そして1898年 、彼女に最後の運命が待っていた。

旅先のレマン湖のほとりでイタリア人の無政府主義者ルイジ・ルケーニの凶器が彼女を襲う。
悲嘆にくれたフランツ・ヨ-ゼフはエリザベートへの祈りを日課としてゆく。               

王位継承者のルドルフを失ったオーストリア・ハンガリー帝国は
次の継承者に決定していたフェルディナンド皇太子がサラエボでセルビアの秘密組織に暗殺され、
これに対してフランツ・ヨーゼフはセルビアへの宣戦布告文書に署名した。
これが原因で第一次世界大戦につながり
ヨーロッパ最大のハプスブルグ帝国の栄光は幕を閉じることとなった。

ジャン・コクトーの映画「双頭の鷲」は
この劇的な最期を遂げたエリザベートに着想を得て制作された。(映画1947年)


貝母百合

2009-04-18 | Flower

Baimoyuri
貝母百合(ばいもゆり)は、
江戸時代・享保三年に清の商人が幕府に献上したことが始まりといわれる。                      

フリチラリアの一種でユリ科。中国原産。

球根の形が二枚貝に似ていることからこの名前がついた。
葉の先が蔓となって巻きつく習性や、花の内側にある美しい臙脂色の網目模様は
自然が作りだす魔力のようである。

四国には「小貝母」が自生し、名前通り草丈が10~20cmと短く色は茶緑色。
野生の趣きがあり風に吹かれて生まれたように神秘的だ。

花言葉◆努力、威厳                                                                  他に使用した花◆ダイヤモンドリリー(白) 、ゲイラックス


CD 「the opiates」

2009-04-16 | 音楽


スウェーデン出身のアーティスト 「Tomas Fainner & Anywhen」
(トーマス・フェイナーとエニィフェン) によるCD。
タイトルの opiate はopium (阿片、鎮痛剤) の形容詞。

ジャケットはセシル・ビートンが撮影した阿片を吸うジャンコクトーだが
禁断の密室を感じさせる危うさにみちている。

セシル・ビートンは 「sir」 の称号を持つ英国王室付き写真家でフ
ァッション業界でも著名なフォトグラファーとして知られる。
この写真はコクトーの長い指が光に浮かび
彼の虚無感をとらえながらも妖しく静かな品性がただよう。

ヴォーカルのトーマス・フェイナーの声は素晴らしく、
霧がたちこめる森の中へ導かれるような詩情を感じる。
ゆったりとした退廃的・厭世的なバリトンの歌声は非日常の時間を与えてくれる。

(写真はジャケットにプリズムのような色が写っているが模様の反射のためで、実際はモノクロ)


北園克衛の菫

2009-04-15 | Flower

詩人・北園克衛の詩には「菫」が多く登場する。花としての表現はもとより色彩、あるいはイメージとして菫が千変万化する。 

Aosumire    菫よりも軽く
   緑の靴の光る間も               「ピアノの太陽」

   僕は菫の花瓶から朝の水を飲む 
   Bonjour cher ami!
   窓を展くと青天がゐた        「JABOT」

                         詩集 『若いコロニー』 より抜粋 


詩のオブジェともいえる北園の詩は幻影が瞬間的に過ぎゆき、
また浮かぶ。
その個性は視覚的な鮮やかさが残像となり不思議な感覚に誘引される。

北園克衛◆きたぞのかつえ(1902~1978)詩人。三重県出身。
前衛詩人と呼ばれる。機関誌 「VOU(バウ)」 を主宰し、没年までに160部を発行した。
詩にとどまらず 美術など他のジャンルにも足跡を残している。
又レイモン・ラディゲやポール・エリュアールの作品の翻訳もした。    


チューリップ 平和を願った時に

2009-04-13 | Flower

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オスマントルコが勢力を誇っていた16世紀。
トルコに敗れたローマ帝国は、トルコとの和平の使者として
ギスラン・ド・ビュズベックを任命した。
コンスタンティノープルへ(現在のイスタンブール)向かったビュズベックは
道に咲いている美しい花に心を奪われ、通訳に花の名前を訊ねたところ、
「ターバンと似た花?」と通訳が言ったのを花の名前と勘違いをしたため
「チューリパン(ターバンのこと)」が「チューリップ」になったという。
 ビュズベックが持ち帰ったチューリップはヨーロッパに広まることとなった。

その後チューリップ愛好熱はオランダで高まるが、第二次世界大戦の頃
オランダはナチスの侵攻により特に手痛い打撃を受ける。
被害に遭って土の中で生きていたチューリップの球根は飢えをしのぐ希望の食料となった。 
オランダは、戦禍を救ったチューリップを重要な産物に指定した。

オランダには2ヶ月だけ開園する(今年は3/19~5/21)キューケンホフ公園がある。
チューリップをはじめ春の花々に彩られた広大な風景は春の宇宙といえる。

使用したチューリップ◆クィーンオブナイト()、マリリン(ピンクと白)、
ウィローサ(赤と白・八重)  花言葉◆博愛、魅惑、思いやり


植物が輝く庭

2009-04-10 | Flower

         光がはじけるような午後、散歩をして出会った庭。

      

          
露が宿る庭。ここには澄んだ空気が流れ植物が輝いている。
草花たちは何を夢みているのだろう。
整えられていない庭では、いのちを謳歌する姿もその一生を終えた残骸さえも美しい。

 


花祭り

2009-04-08 | Flower

うららな春、風が吹けばさくらは舞い、ひかりは躍る。
今日は釈迦の誕生を祝う花祭りの日である。
春爛漫、釈迦の誕生仏を花で飾り甘茶を捧げる。

 

花祭りは灌仏会(かんぶつえ)とも言い、小堂を花で飾り、
甘茶で満たした水盤に釈迦が誕生した時の立姿の像を安置する。
参拝者は竹の柄杓で甘茶を像に3回注いで拝み、釈迦の誕生を祝う。

        「天上天下唯我独尊」

(てんじょうてんげゆいがどくそん)。釈迦が生まれた時の言葉である。 
「あまねく一人一人の命は尊いものである」の意味だという。


 
釈迦の足の裏には様々な模様があり、千輻輪 (せんぷくりん) と呼ばれる輪の模様が有名だ。
仏はどこへでも行ける車輪をあらわしている。



釈迦誕生、無憂華(むゆうげ)の花の下に座ったマーヤーに花々は咲き乱れた。


Le POTOMAK (ポトマック) JEAN COCTEAU

2009-04-07 | Jean Cocteau

『ポトマック』はジャン・コクトーが25歳の時に書いた処女小説。
この本がはじめて世に出たのは1916年であるが写真の本は1926年のものである。
コクトーは1916年版に「趣意書」を新たに加え決定版として1926年に刊行した。
訳者の澁澤龍彦も25歳の時に写真と同じ決定版から翻訳をした。
 フランス・ストック社出版、限定550部の400番台。
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「燃えている僕の過去から、僕は何ひとつ救い出そうとはすまい」

この小説は音楽家ストラヴィンスキーに捧げられている。
コクトーがストラヴィンスキーから受けた衝撃は、サロンに出入りする
優雅な詩人である自分から自己変革をとげねばならない大きなきっかけともなった。
小説は散文詩、寓話、アネクドット(秘話、逸話) 、手紙という形式で成り立っている。Potomakdessin

コクトーが描いた64枚のデッサンに登場するモルティメ夫妻は、コクトーの感情、観念、あるいは潜在意識であるかも知れない。
その夫妻にぴったり寄り添ったり、夫妻を食べてしまうウージェーヌたちは過去の消失、未来への飛翔の精神となって夫妻に何件もの改造をほどこす。

   「ウージェーヌたちが僕の心に喚び起こすようなものを、
    僕は今までに見たことがあっただろうか?」

苦悩の中で研ぎ澄まされたコクトーの思考はあらゆる事象に目が向けられ、それは死生観にまで及ぶ。
当時のコクトーの心情が溢れ出てくるような小説であり、闇の中から光を見出す可能性と情熱の小説でもある。
作家の坂口安吾は若き日にこの『ポトマック』を愛読したという。