日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

定本 薔薇の記憶 宇野亞喜良

2018-10-28 | 宇野亜喜良



1968年から2013年までの45年の間に
宇野さんが書いた「定本 薔薇の記憶」は
今まで歩んできた様々な記憶に彩られたエッセイ集。

冒頭は『俳句四季』よりイラストとともに12句が紹介されている。
魔境に棲める少女や王。

そして仕事をはじめ、美術、映画、風景、出来事などを
詩人のまなざしのように見つめ
時にはそこに秘められている哀しみも見いだしている。
また時にはユーモアの視点が光ったり。

うつろう季節や風景から
何かを掴み、イメージを広げられる宇野さんの美意識。
同じ情景を見て、何を感じるのか、感じないのか、
それが個性を作っていくのだと、読み終えて改めて感じさせられる。

少年時代の体験も含め
宇野さんがたどってきた時代の空気。
私たちが知り得ない文化を幅広い知識と感性で語っている。

そしてここに書かれている「ステンドグラスへの郷愁」は
1983年から2年間にわたって発売されたAD ARCHITECTURAL DIGEST JAPAN
(アーキテクチュラル・ダイジェスト・ジャパン) に
確か15回の連載で、宇野さんが日本各地のステンドグラスを紹介していた。
クオリティの高いインテリア雑誌だった。
毎号買っていた訳ではないが宇野さんのその切り抜きは
今も大切に保存している。


映画「ベニスに死す」 美の幻影と恍惚と

2018-10-25 | 映画

ルキノ・ヴィスコンティ監督の三部作のひとつに挙げられる「ベニスに死す」は
公開されると同時に名作として人々のこころに刻まれた。
20代の時にテレビで見て深く感動し、今もその素晴らしさは胸を打つ。




物語の全体に流れるマーラーの交響曲第5番「アダージェット」が
感傷的に、またベニスと人生の黄昏時にも似た世界感へと導く。

そしてこの作品がヒットした要因は
タージオを演じたビョルン・アンドレセンの類まれな美貌が作用していることは
確かで、本当に美しい。

当時15歳だったアンドレセンの北欧系の美しさは
現代の美少年とは又違い、どこか頽廃的な雰囲気を漂わせている。

舞台は1911年のベニス。
こころの傷を負った老作曲家アッシェンバッハは静養のためベニスを訪れる。
そこで同じホテルに滞在していたタージオの美貌に彼は一瞬で目を奪われた。
美に出会ってしまったのだ。



タージオを目で追い、声をかける訳ではなく
ただ遠くから見つめるアッシェンバッハの片思いにも似た感情。
そんな彼の視線を感じながら、
他意はない視線や微笑みを見せるタージオ。

ベニスには疫病が蔓延していた。アジアコレラであった。
アッシェンバッハはタージオの母にすぐにホテルを発つよう進言する。
そして初めてタージオの髪に手を触れる。
いとおしさとタージオの幸せを願って。

姉妹とともにベニスを発ったタージオを追い
化粧をしたアッシェンバッハは荒廃したベニスの街をさまよう。
そうしてタージオを追い、疲れ果てて座り込んでしまったアッシェンバッハに
何故かこみあげてくる笑い。
それはタージオともう2度と会えない悲しみ、我を忘れてタージオを追った日々、
化粧をするまでになってしまった自分。
そんな自嘲の念から出た笑いなのか。

終末へ向かい、砂時計の砂がするすると音もなく落ちていく―。

人影もまばらになったホテルの浜辺で
疫病に感染し、弱った体をデッキチェアに身を沈めるアッシェンバッハのそばには
陽光きらめく波間にタージオが立っている。
しかしアッシェンバッハの頬に、化粧で髪を染めた黒い液体が流れ、
タージオの姿を追いながらも命尽きてしまう。



素のままで美が備わっているタージオの若さ。化粧で美しく見せるアッシェンバッハの老い。
人間の悲哀を感じずにはいられない。


この作品はトーマス・マンの小説「ベニスに死す」を映画化したもので
原作の主人公は小説家だが、ヴィスコンティは作曲家のマーラーをモデルに制作した。
時代設定もマーラーが没した1911年になっている。

アッシェンバッハを演じた名優ダーク・ボガードの演技は
神経を病みながら、美を前にしてうろたえ、心乱れる心理が絶妙だった。

そして特別出演のシルバーナ・マンガーノの
気品と貴族の優美さを感じるエレガントさは目を引く。
ヴィスコンティ自身の母をイメージしたという。

ビョルン・アンドレセンはこの映画の後、
日本で彼が出演した映画を目にすることはなかった。
しかしこの「ベニスに死す」に出演しただけでも名優と言えるのではないだろうか。
彼の美しさを映像に焼きつけたヴィスコンティの手腕によるとはいえ、
この若かりし頃の美しさは彼だけのものであるはずだから。

マーラーの調べにのせて究極の愛と死を耽美的に描き、
伝説になりつつあるこの作品。
きらめく光の中で一番大切なものを目にとどめて命尽きた作曲家は幸せだったのではないかと思う。 

大回顧展「没後50年 藤田嗣治展」東京都美術館

2018-10-17 | 絵画
エコール・ド・パリを代表する日本人画家で
「乳白色の肌色」により一世を風靡し、画壇の寵児となった藤田嗣治。

国内・海外の複数の所蔵品から代表作を集め
フジタの日本初公開作品も展示するというこの大回顧展を見たのは8月半ば。
東京はすでに終了しているが、見たままになっていたので今頃の記録になってしまった。

 

フジタは大正2年(1913)、27歳の時に絵画へのさらなる探求のため単身パリへ出発した。
日本とまったく違うパリの空気に触れ、
翌年にはピカソと会い、自由な価値観を持つ文化に触れて
日本で使用していた絵具を全部捨てたという有名な逸話が残っている


「キュビスム風静物」1914年 ポーラ美術館蔵

渡仏した翌年の作品。
そのころ大きな影響力を持っていたキュビズム風に描いた卓上の品々。
ひとつの物を様々な角度からて捉え、一作品としている。


「ドランブル街の中庭、雪の印象」1918年 個人蔵

渡仏してすぐの頃、多くの風景画を描いていた。
パリの灰色の風景はフジタを魅了したのだろうか。
モノトーンによる風景画が多く残る。


「私の部屋、目覚まし時計のある静物」1921年 ポンピドゥー・センター蔵

白い下地に細い線で描く技法を初めて完成させた作品。
サロン・ドートンヌに出品して好評を博し、本格的デビューとなった記念すべき出世作。
日本で描いていた外光派の描きかたは姿を消して
のちまで続く「藤田技法」を感じることができる。


「エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像」1922年 シカゴ美術館蔵

当時パリに暮らしていた裕福なアメリカ人女性。
20年代はフジタにセレブリティの人々から相次いで肖像画の注文が入った。
背景には銀箔が使われている。
優雅で格調を感じる作品。


「タピスリーの裸婦」1923年 京都国立近代美術館蔵

鑑賞する人が1番多かった作品。
白い肌に愛らしい顔とポーズが若さを感じる魅力的な作品。

9月にEテレで放送された日曜美術館「知られざる藤田嗣治~天才画家の遺言」では
イラストレーターの宇野亞喜良さんがゲスト出演したが
この絵に描かれている輪郭の外側にあるぼかしの技法と
背景の「ジュイ布」の精密な描きかたを語っていた。

フジタの描くカーテンやテーブルの布、衣装の模様など
作品からすれば脇役なのだけれど
緻密に描かれている模様に以前から関心を持っていたので
宇野さんのお話はとてもうれしかった。


「猫のいる自画像」1927年 三重県立美術館蔵

この頃は自画像を多く描いているが白と黒に薄くぼかしを施し、柔らかな印象。
硯や面相筆も描かれ日本的技法を表現したアトリエ風景。


「メキシコの母子」1933年 個人蔵

1931年からフジタは新天地として中南米へと2年間の旅に出た。
パリとは違う土地の風俗と色彩。
異郷の人に向けたフジタの暖かいまなざし。


「裸婦 マドレーヌ」1934年 大阪・リーガルロイヤルホテル蔵

中南米から戻った翌年に描いた裸婦。
うねる髪が肩にかかりカーテンを背に美しい横顔。
このポーズは20年代からフジタが好んだスタイルだという。

第二次世界大戦後、帰国していたフジタは再び日本を後にした。
パリに戻る前に1年間アメリカに滞在している。


「カフェ」1949年 ポンピドゥー・センター蔵

フジタといえばこの「カフェ」が最も有名だろうか。
アメリカで制作したものだがパリの風景を思わせる。
外に建つカフェも「マドレーヌ」の店名が。
額もフジタのお手製。


「家族の肖像」1954年 北海道立近代美術館蔵

おかっぱ頭が白髪になったフジタ68歳の時の自画像。
背後には父・継章88歳の肖像。そして君代夫人が17歳の時の肖像。
父はフジタの絵画を理解し、資金面で支えてくれたことにずっと感謝していたという。
そして最後までフジタと人生を共にした君代夫人。
君代夫人が最後まで大切にしていたという作品。

1959年、フランスにあるランスの大聖堂でカトリックの洗礼を受け、
以後「レオナール・フジタ」とサインするようになった。


「礼拝」1962-1963年 パリ市立近代美術館蔵
 
カトリックの道へと進んだフジタはキリス教主題の絵画を多く描いた。
天使から冠を戴くマリアの左に修道士のフジタ。
そして右には君代夫人が。
フジタの後ろには二人が住んだヴィリエ=ル=バクルの家も。
信仰と夫妻の絆を感じる素敵な絵。

波乱に満ちた生涯を送った藤田嗣治の大回顧展。
「私は世界に日本人として生きたいと願う。」と言ったフジタ。
今はランスの礼拝堂で君代夫人とともに眠っている。

最近、フジタが残した肉声のテープが発見されたという。
亡くなる2年前に録音したものだが
いつかこの録音機の展示や肉声を流した展示会があることを願っている。