アベ・プレボオ原作 「 マノン・レスコオ」 久晃堂 刊
アミアンを去る日が決まった。それがもう一日早かったら!私は汚れない身で両親の家へもどれたであろうものを!
学業を優秀な成績で卒業した17歳の若者、シュバリエ・ド・グリューは、明日故郷へ帰るという日に
魅惑的な女性マノン・レスコーと出会ったことにより破滅へ向かい、
マノンを愛するあまり悪に手を染めていく。
マノンはシュバリエを愛しながらも、虚飾の生活が捨てられず三度の不貞でシュバリエを裏切るが、
シュバリエはそれでもなおマノンの愛を得たいがために賭博、詐欺、脱獄を重ねてしまう。
逃亡の果て、砂漠で力尽きたマノンが息絶えて二人の転落は終りを告げる。
シュバリエの行状に苦悩した父はすでにこの世にない。
どんな時にも理解を示してくれた友の救いで物語は終わる。
アレクサンドル・デュマ 作 『椿姫』では、アルマンがマルグリットに贈った本が
この「マノン・レスコー」であることが書かれている。
アルチュール・ランボー 「地獄の季節」 より
『幸福』は俺の宿命であった、悔恨であった、身中の虫であった。
幾時(いつ)になっても、おれの命は、美や力に捧げられるには巨(おお)き過ぎるのかも知れない。
身も魂も奪われて、
何をする根もなくなった。
ああ、季節よ、城よ。
この幸福が行く時は、
ああ、おさらばの時だろう。
小林秀雄 訳 岩波文庫
反逆の詩人、ランボーは青春の通過点で、憂鬱、反抗、憎悪、そして憧れと幸福が、奔流するがごとく詩を書き連ねた。
10代の詩でありながら若き天才となったランボーは、現在までに数多の詩人を生み出したといえるだろう。
「この世のものにあらざりしランボー、その眼力この世の見かけを破壊しつくしたランボー、そして一歩一歩その足もとから新しい世界の生まれ出でたランボー」
(モーリャック)
使用した花◆ラナンキュラス、スカビオーサ
1972年 スイス映画 ダニエル・シュミット監督 「今宵かぎりは…」
年に一日だけ、召使のため主人と主従関係が入れ替わる祝祭の日。
召使は食卓につき、貴族は晩餐の準備をする。深夜12時までの宴である。
この映画にストーリーはなく、この日のため、館に来た旅芸人が披露する劇中劇で映画は進行する。
「ボヴァリー夫人」ラストの臨終のシーンや、
サンサースの「白鳥」の音楽で踊る官能的なサロメ、それを見る男と女の噛みあわない恋、
女の歌う今宵の愛などの、一幕もので場面をつなぎ、その合間に主従混合のシーンが入る。
台詞はわずかにあるものの、感情を排した映像に、宴の華やぎはなく、
沈黙的であり、全体を退廃でつつむ陶酔の世界である。
今宵こそは 与えておくれ 希望の光
今宵こそは 見せておくれ 愛のしるしを
今宵こそは 歌い明かしたい 君のため
日本での、この映画の上映は製作年より14年後の1986年である。
シュミット監督の日本公開は「ラ・パロマ」(’74年)が先であった。
クリスマスは、christ(キリスト)のmas(ミサ)であり、12月25日はイエス・キリストの生誕祭だが
歴史をたどれば、宗教観の争い、政治的背景、暦にもとづく祝祭などが絡みあい、12月25日がクリスマスと決まるまでには
複雑な経緯があった。欧米ではこの時期になると、どの家庭でもツリーやリースを飾り、部屋にモミをあしらい、
クリスマスには教会へでかけてキリストの誕生を祝う。
リースは環であり、終わりがないことから永遠を表し、
常緑樹を使うのも日本の松と同じで、やはり永遠の象徴としてモミの枝を使うようになった。
本来、枝を環にするのは豊作の願いや祈りのものであり、
クリスマスに限らず、蔓や実のついた枝を環にしてドアにかけていたといわれる。
地下深くに息をつめて、巨大な薔薇の根の尖端がしなやかに巻きついてくるのを待つほどの倖せがあろうか。
うずくまり、眼を瞑って、その触手のかすかなそよぎが次第にきつく厳しい裸身をいましめてゆく、栄光の一瞬。
TANTUS AMOUR RADICORUM (すべての 愛を 根に! )
中井英夫「薔薇への供物」 薔薇の夜を旅するとき より
花器提供M様
薔薇を偏愛する男と女は、薔薇園が閉鎖され自動車教習所に変わる前に、
最後の誇りとばかりに咲ききそう薔薇たちに会いにくる。
二人が考えた“過去からの弾丸”。
それは開所式の日、出席者の胸につけられたバラ(造花)に薔薇(生花)を撃ち込むという復讐だった。
そして、フラウ・カール・ドルシュキーと名づけられるはずだった孤高の白き薔薇を幽界へ送る。
薔薇作家、中井英夫が迷宮と神秘の世界へ誘う短編。
「それに指が長くて表情に富んでいると皆からお賞めにあずかる手とを備え、背は高くもなく低くもなく、
細く痩せた胴体の上から、僕は無愛想な顔をあちこちに向けているわけだ」
「ぼく自身あるいは困難な存在」 ぼくの身体について より
多くの芸術を生んだ手として、大きく、細く長い指のコクトーの手は有名である。
手をモチーフとして作品にした写真も多い。1962年には右手の手形も残している。