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日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

もう森へなんか行かない エドゥアール・デュジャルダン

2010-05-29 | book

Morihenankaikanai


物語のすべてが「内的独白」ですすめられるこの本は、1887年、パリで発行された当時はさして注目されず、
「埋もれた文学」の憂き目に二度もあったが 『ユリシーズ』 の著者ジェームス・ジョイスはこの本にいたく感動し、
初めて目にした1903年から十数年後の1917年にはデュジャルダンへ熱いメッセージを送っている。

内容は、学生のダニエル・プランスが女優レアに恋をし、恋の夢を思い描く。
彼女のためにお金を与え、馬車でデートをするがレアはダニエスほどの気持ちはなく、
次のデートの約束をしながら彼はレアに二度と会わない気持ちになって物語は終わる。
現在でもどこかにあるような出来事だけのことだけである。

しかしこの本の魅力は、内容よりもむしろデュジャルダンの「書き方」である。
読点「、」の多用が不思議な魅力を放ち、読者にことばを訴えかけてくる。
Mori_sasie
「かなたの空気の美しさ、影、うれい、風情、夜の美しさ、暗い灰色の空にあちこち宵が入り混じり、そこに点々とみえる星、水玉みたいに、ちいさく揺れて、しずくのような星、‥‥‥」 (本文より)


「内的独白」なので書かれているのはダニエスの「現在の意識」である。読みはじめれば四月のパリの夜をダニエスと一緒に歩き始め、パリのかぐわしい春、宵の魅惑などを体感することにもなる。

刊行されたものの埋もれてしまい、ジョイスの『ユリシーズ』により浮上し、その後また忘れ去られて
1960年代にフランスのヌーヴォー・ロマンの台頭期という文学状況で再浮上した経緯をもつ『もう森へなんか行かない』は青春のほろにがさ、
やるせなさを記した小ロマンといえるだろう。

原題は 『Les lauriers sont coupes』 で 『月桂樹は切られて』 だが、
英訳のこのタイトルに変えたのは詩的感応が濃いとの出版社の意向により英訳版にしたという。
どちらも青春の切ないはかなさを思わせるタイトルである。

1971年 都市出版社 鈴木幸夫・柳瀬尚紀(訳)


バラード神戸 田中良平

2010-04-05 | book

街は歴史とその場所の個性を織り交ぜながら変身をとげていく。
そのいっぽうで変わらないまま時をとどめている場所がある。本書には男女の出会いと別れ、
その背景に「神戸」だけが放つ香りをただよわせ、神戸生きた人々の悲哀と感動が描かれている。

Balladekobe
第一編 メリケン波止場
戦争から起きた苦悩が生んだ愛は尊い志をも生んだ。
永い時間をかけて果たした誠意はメリケン波止場にむかって真実の声を叫ばせた。

第二編 天女たちの美術館
神戸松蔭女学校の60年後の同窓会。
小磯良平のただひとりの弟子だった女流画家が師と自分のための美術館を建てるまでの
敬愛の念、そして「斉唱」のモデルになった当時の乙女たちの思い出。

第三編 光芒
バー「木犀」のマダム梨花を軸に、人間の存在を基とした建築に生涯をかけた男と
バーに通う広告制作マンとの沁み入るような心の交流。

第四編 G線のめぐり逢い
お互いに干渉をしない割り切ったつきあいをしていた男女が別れ、
30年後に三宮の喫茶店「G線」で再会する約束をするが神戸は震災に遭う。
その中で手を尽くして届けられた感動の約束。

第五編 愛しのホテル
神戸オリエンタルホテル。そこに勤務したホテルマンが見たホテルの記録と、震災で体験した
「もてなす心」の深い意味。そして震災とともに終えた波乱の旧ホテル。

神戸の情緒、空気が感じられればという期待でこの本を手にした。
時間を現代と過去にスライドして先人たちが作った神戸の文化も描かれていたのが印象的であり、
やはり憧れてやまない気持ちで本を閉じた。


夢先案内猫 レオノール・フィニ

2010-02-16 | book

猫の名前は何と言うのだろうか?この問いで私の頭の中はいっぱいだった。
私はまさに時機喪失のなかにあった。動物のそばでは、とりわけ猫と対面しているときは、人間のほうがどことなくぎこちなくなっていく自分を感じるものだ。(本文より)
1980年 北島廣敏 訳 工作舎

Loneiropompe
女流画家レオノール・フィニが愛してやまない猫をモチーフに、「人格を持つ」対象として神秘で官能的な夢物語を小説にした。
「私」の前に現れた猫は、「私は夢先案内人だ」と暗示的なことばを言い、
変装して玄武岩の顔像を盗むよう指示する。
フィニが常に主題としているスフィンクスが謎をなげかけるような導入である。

そこから始まる「私」の迷宮のような旅。
夢と現実の描写を追ってゆくと、まるでフィニの絵画の中を遊泳するような錯覚に陥る。
そしてフィニにとって猫は崇高で絶対的存在であることが至るところから読み取れる。
猫が「にゃーお」と鳴いた瞬間、ジェリコー、ゴヤ、マネ、ラファエル、ルノアール、モロー、ピカソ…と
実際に絵画に描かれた猫が動き出す幻想は、画家であるフィニの美学が溢れて魅惑に満ちている。
終章の館での祝祭はさながらきらめく魔術であり、異彩を放つ幻想である。

 

 


グラン・テカール(大胯びらき) 山川 篤 訳

2010-01-22 | book

われわれの人生地図は、その上をただ一本の大きな道が走っているだけの地図ではない。
それは広げるにつれて、新しい小路が、あとから、あとから現れるように巻かれた地図である。われわれは道を選んだつもりでいるのだが、実際は、選んでなんかいやしないのだ。(本文より) 1953年(昭和28年) 近代文庫

Grantekaru
主人公ジャックは、心に描く美の理想から自分は離れているタイプだと思っていた。
エレガンスを持ち合わせながらもジャック自身はまだ自分の位置が確立できないでいる。

下宿先の友人から紹介されたジェルメーヌは、富豪のパトロンを持つ踊子で
その美しさにジャックは恋ごころを抱く。
二人は愛し合うが、彼女は奔放でありジャックの友人ストップウェルに心変わりしてしまった。

悲しみのあまりジャックは自殺を試みるが一命をとりとめ、
目覚めた彼は自分が負った苦い思いをかみしめる。
ジェルメーヌのような女性が存在すること…、そして自分の存在価値…。

「大胯びらき」とはバレエ用語で、開脚して床につく状態をいうが
本書に登場する大胯びらきはジェルメーヌが踊るカンカンのことである。

大人へと目覚める青春の不安定期にうまく調和をとれぬもどかしさ。
そして同時におとずれる投げやりと、いい加減さに身を投じて味わう敗北感には主人公だけの悲しみがある。
それでも広げた地図の小路をどこまでも歩いてゆくのである。


夢十夜 夏目漱石

2010-01-06 | book

漱石の小品集 『夢十夜』の他に『文鳥』『永日小品』 が収められた1冊。
どの作品も淡々と綴られるが、その行間から垣間見えるのは心の明暗が浮き沈みする漱石の姿である。1986年 岩波文庫

Yumejyuya 『夢十夜』
第一夜の話に咲く真っ白な「百合」
この漢字の二文字に秘められた衝撃的な幻想はただただ美しい。

第三夜は背中の軽さが重みに変わる恐怖の夢物語であり、第六夜は名品の永久性を謎のように、
第八夜はとらえどころのない白日夢のような幻想が描かれている。

『文鳥』
鈴木三重吉に勧められて飼うことになった文鳥への細やかな観察の中に
「菫ほど小さい人」に対するいとおしさが滲む。
「淡雪の精」と感じた漱石が心なぐさめられ、過去の女性と重ねあわせた短くも、ぬくもりある文鳥との日々。

『永日小品』
漱石の意識の作品とも言えるこの小品集は日記を読んでいる感覚を起こさせる。
「元日」のバツの悪さはほほえましくもあり、「火鉢」の寒さは現代の便利性からは遠い明治の気温がある。
英国時代の郷愁に満ちた「霧」「昔」「クレイグ先生」。 
そして漱石が渇望したであろう「暖かい夢」など25篇からなるこの小品集は、どの章からも素直に湧き上がる心情が描かれている。

ペンをさらさらと走らせたような自然な語りではあるが、それは彼の秘密であり告白でもある。
漱石が心で見た日常は人間のすべてに通じる自然な感情をしみじみと描いている。


「クリスマス・ソング」 H.E. ベイツ短編

2009-12-24 | book

「きっと、本当はクリスマス・ソングではないんです。そんな曲なんですが、本当はそうじゃないんです。つまり、むしろ、聞いているとクリスマスを想い出すような歌なんです。」 (本文より)

Candrenight
クリスマス・イブの日、楽器店で声楽を教えるクララのもとに店を閉めた後に訪れた青年は
ある曲のレコードを探していた。
クララが2,3 曲ピアノを弾くと、青年が知りたいと思っている歌はシューベルトの曲とだけわかった。
しかし曲名が判明しないまま青年は帰った。
気が進まないクリスマスパーティにボーイフレンドのフレディが誘いに来ても
クララはシューベルトの曲が頭にめぐる。
でかける間際に又青年が引き返して訪れ、曲のことばを少し思い出したという。

          秘めやかに 闇を縫う わが調べ…

聞いたクララはその歌のレコードを青年に渡す。内気な青年はクララに感謝を述べ、うれしそうに帰った。

「私はとても感謝しています。本当に良いクリスマスでありますように」


秘めやかに 闇を縫う
我が調べ
静けさは 果てもなし 来よや君
ささやく木の間を 洩る月影
洩る月影
一目もとどかじ たゆたいそ
たゆたいそ

         シューベルト 「セレナーデ」  訳詞 堀内敬三

H.E.ベイツが描いたこの短編には特別なクリスマスがあるわけではない。
ささやかな気持ちの交流から生まれた暖かいクリスマス・イブの夜が描かれている。


小説 「怖るべき子供たち」 東郷青児 訳

2009-11-17 | book

画家・東郷青児はフランスから帰国した後、絵を描くかたわら翻訳を始めた。
青児訳によるジャン・コクトーの「怖るべき子供たち」が白水社から最初に発売されたのは1930年(昭和5年)のことである。
本書はその45年後の1975年(昭和50年)に同じ白水社から刊行された。

 

 ポールに雪球を投げたダルジュロスはポールの生と死を支配する。
この物語では、ダルジュロスに酷似した少女アガートと結ばれない絶望に
ポールは死んでしまうが、それはダルジュロスを仰ぎ見るような憧れをいだいたコクトー自身をポールに投影させ
ダルジュロスがコクトーにとって美の絶対的存在であることを示している。

美の特権は素晴らしいものである。美は美を認めさせないものにさえも働きかけるのだ (東郷青児 訳)

美の特権は絶大である。美はそれを認識しない人びとの上にも働きかける (鈴木力衛 訳)

美の特権には、限りがない。美は、その存在を認めない人々にさえ、働きかける (高橋洋一 訳)

                                                                                                                                     
そしてエリザベートとポールが放心状態で「出かける」夢想の世界こそが二人の愛であった。
しかしそこに近親相姦的なものは存在しない。コクトーが描きたかったのは世俗を超えた愛の美しさである。
ポールの愛は共有世界が崩壊するはじまりであった。
ポールとアガートを引き離しジェラールをもあざむくエリザベートが守りたかった愛は悲劇で終わることしか出来ない愛であった。

伏目がちな横顔に詩情をただよわせてたたずむ女性を描いた東郷青児。
誰もがわかる絵でありながらもそこにはロマンチシズムがあふれている。
本書には右のエリザベートの肖像画を含め11枚のデッサンが収められている。


小説 「恐るべき子供たち」 鈴木力衛 訳

2009-11-14 | book

1929年、ジャン・コクトーは2度目の阿片中毒の治療で入院中にこの作品を17日間で書き上げた。
「阿片」とほぼ平行して書かれ、作品の中にも阿片の片鱗が見え隠れする。
出版されるや高い評価を得たこの作品は、愛とその破壊を描いたコクトーの代表作である。1957年 三笠書房

Osorubekikodomotati
コクトーにとって少年時代に知ったダルジュロスは
美の衝撃を与えた人物として決定的存在となっていた。
この作品にも彼を登場させ、雪球を胸に当てられたポールの運命を大きく支配する。
ひとつの部屋で姉エリザベートとポールはお互いをののしりながらも、そこは二人だけの
聖域であり、共有できる夢想世界を持っていた。

しかし幸福はもろく永遠ではない。ポールの級友ジェラールと、エリザベートが知り合った
無垢な少女アガートが来たことによってその幸福は少しずつ悲劇へとすがたを変えてゆく。

エリザベートが結婚したミカエルは不慮の事故死を遂げ、その広い屋敷に4人は暮らすが
部屋は神秘であり、孤独であり、精霊が運命を動かすような作用を果たす。
ここの描写は物語を悲劇へと誘引する要素としてイメージされたコクトーの美意識を感じることができる。

ダルジュロスに似た少女アガートを愛したポールの気持ちを知ったエリザベートは
その危機感を残酷な行動へ変えてゆく。
そしてダルジュロスがもたらした黒い毒球でポールは死に、エリザベートのピストル自殺でふたりだけの行き詰った愛は
彼女が倒れたときに恐ろしい音を立ててともに倒れた屏風の上に終わりを告げる。


金閣寺 三島由紀夫

2009-10-26 | book

昭和25年(1950年)、金閣寺の見習い僧侶によって炎上した実際の事件をもとに
三島由紀夫は主人公・溝口が「私」という一人称で独白するかたちで小説にした。
主人公が見る金閣寺の心象風景は抒情に満ち官能的で美しい。この格調高い文体が三島の31歳の時に
書かれたことに感嘆する。 

 

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父から金閣ほど美しいものはこの世にないと聞かされてきた主人公は
吃音(きつおん)の障害があるため外界との接触が少なく、自己の中で成長する。
そして自分とを隔てる美の象徴として彼の目は金閣寺のみにそそがれてゆく。
やがて金閣は自分自身となり、醜い自分が焼き滅ぼされる時は金閣も焼失する、という考えに至る。
屈折した感情が、自分の運命を金閣と同一にするという狂気を生んだ理論ともいえる。

少年時代に自分を裏切った有為子と母の暗い過去。
そして内翻足の友人・柏木もまた現実を荒々しくかげろうのように生きている男だった。
金閣寺の住職を約束されながらも序々に深まる老師との溝。

こうした暗さと、鬱々とした気持ちが混濁した人生の中で生まれた呪いは、世間から遮断されている自分を
解放することだった。
金閣に火を放ったあと、彼はゆっくり煙草をくゆらせ「生きよう」と思う。                                         

 


カフェ・ド・フロールの黄金時代

2009-10-07 | book

著者クリストフ・デュラン=ブバルは、フランス「カフェ・ド・フロールの」最盛期を築き、名経営者であったポール・ブバル氏の孫である。
店に訪れた人々のエピソード、祖父の経営でひときわ輝いたカフェ・ド・フロールを語り、
そこに様々な人生があった黄金期の時代へ導いてくれる。1998年 中央公論社

Cafe_flore

1884年。カフェの建物に記されている年号である。
作者の祖父ブバル氏は1938年にフロールのオーナーになった。 
青年の頃はカフェレストラン「 屋根の上の牡牛」で働いていたという。

ここに訪れたアポリネールは毎日のように訪れては友と議論を交わし、前衛機関誌「ソワル・ド・パリ」を発行していた。
そして詩人のフィリップ・スーポー、また後にはアンドレ・ブルトンもフロールを訪れている。

時代は戦争をはさみフランスは激しく変化している。
若者たちは夢を語り、新しい芸術を創っていくエネルギーに満ちていた。
文化の華は開きサンジェルマン・デ・プレはその中心地となってゆく。

ピカソも古くからフロールに来ていた一人であり、サルトルとボーボワールが2階を
自分達の応接室のようにしていたという有名なエピソードをはじめとして
画家、詩人、音楽家、舞踊家、映画関係者、評論家、編集者、政治家、
そして他国の王女…と名が知られる人々がここでくつろぎ潤う時間のながれに身を置いていた。

そしてブバル氏の経営を支えたギャルソン(ボーイ)、パスカルは有能な従業員で
教養と節度ある人物であり全顧客から絶賛され、周囲の信頼を得ていた。
時を経て、のちに彼からの感動的な手紙でブバル氏はパスカルとの永遠の別れを知る。

マスコミは、時代を作る地としてサンジェルマン・デ・プレを取り上げ、フロールの店先では映画の撮影も多くなっていく。
ジャン・コクトーの映画「オルフェ」の詩人のカフェはこのフロールをモデルとし、ルイ・マル監督の「鬼火」もここで撮影された。

時代と人は動き続ける。
フロールは1968年の5月革命の喧騒を聞き、有名・無名にかかわらず多くの人々が去来し、
思いがけない事件や忘れらない出会い、ドラマがここに舞い込んだ。
ブバル氏は、自分の時代に心地よいテーブルを求めてやってきた客への愛着を胸に1985年、次のオーナーへこのメゾンを任せた。

伝統の慎みと栄光の輝きを多くの人々にもたらした「カフェ・ド・フロール」は、精霊(人間をさす)が
そこに入れば誰もが王子であり、友人であると著者は最後に結んでいる。


阿片 ジャン・コクトー

2009-09-28 | book

阿片はそれ自らが一つの季節だ。だから、阿片を喫む者は季節の変化を気にしない。彼はまた風も引かない。
ただ、阿片が変わったり、分量が変わったり、用いる時刻が変わったり
すべて阿片の晴雨計に影響を与えるものだけしか気にしない。

                        ★
                      すべてはスピードの問題だ(阿片はつまり絹のスピードだ)
                                                    ★ 
        解毒治療の直後こそ、最もいとわしい、最も危険な時期だ。
       この時、人は穴のあいた健康と深いさびしさを抱いて生きている。

                                                                                                                      Ahen
1928年12月、ジャン・コクトーは2度目の阿片解毒治療のため
サン・クルーの療養所に入院した。
この本を開けば人間ではない人間のデッサンが目に飛び込む。阿片のパイプを連想させる
おびただしい量の管の集積で人間が描かれている。
そして治療の苦痛を思わせる悲痛な表情は、絶叫であり慟哭である。
コクトーは入院中に日記のようなメモを書き始めた。
それが『阿片』という1冊になったのだが、文中で彼は阿片を擁護し、肯定している。
            
ラディゲの死によって服用したとされるが、おそらく占領下時代から吸っていたと思われ、
ラディゲの死で公になったといえる。断片的に書かれた記録は、どんな時でも自分を
表現せずにいられないコクトーらしく、阿片が詩人にもたらす幻想、自己の回想、文学、
芸術論、そして次の仕事への意欲へと当時のコクトーの胸のうちを
聞いているような入院記録といえる。

          コクトオに阿片と愛を競わせし青年よわれの頬も燃ゆるも (春日井 建)


この後も阿片を常用してゆくコクトーだが、阿片は彼にどんな楽園の地であったのか。
いずれにしてもコクトーが美よりも早く走ったスピードと絹のスピード(阿片)は、彼自身の中で均衡を保ち、
詩人の欠くべからざる友となったのだろう。


光と風と夢 中島敦

2009-09-18 | book

昭和17年(1942年)、筑摩書房の創業三十周年を記念して出版された本で
初版3000部のうち1500部が限定本として発行された。No.540番台                               

Nakajimaatushi 狐憑
遊牧民によって弟を殺されてからシャクは幻惑と妄想に憑かれ、
言葉となって誰に語るともなく語り始めるようになった。
にとって不吉な存在として彼は処分されるがそれは一人の詩人の喪失であった。
言葉が人間に及ぼす魔力を描いた古代スキタイ人の物語。

木乃伊
古代エジプト。墓所捜索隊に加わったパリスカスは地下の墓所で
一体の木乃伊に自分の姿を見る。
前世の自分と現在の自分が向き合っている。魂は死なず。

山月記
授業で扱われる有名な作品。人間が虎になる話に衝撃を受け、
10代でまだ未熟だった私は中国大陸という得体の知れない寂寥感のようなものと
李徴の絶望が胸に重くのしかかり、数日この作品が頭から離れずにいた。

文字禍
古代アッシリア。文字に宿る精霊が人間を翻弄する。
文字は線の組み合わせ。
そして形になった文字には意味があり、そこに存在する影は人間が簡単に
太刀打ちできるものではない。中島敦の文字への洞察に感嘆する作品。

斗南先生
伯父である中島端をモデルに書いた三造シリーズの1作。
伯父に振り回される三造のとまどいが手にとるような描写である
。生前の伯父をあまり愛せないでいた自分が見た、貫くように生きた伯父との回想。

虎狩
主人公は実際に虎狩を体験するのだが、このタイトルは差別を扱った深いテーマが含まれている。
主人公の親友だった趙大煥は朝鮮人であったが、ひと際大きい彼はどこか達観しているような風貌に見えた。
それを目障りに思う上級生から嫌がらせや暴力を受けるが趙大煥は抵抗しない。
その後、趙大煥はいつのまにか姿を消した。
十何年経って二人は街で行き会うが主人公は誰だか思い出せない。
しかし趙大煥は会った瞬間からかつての親友をわかっていた。
 かすかな再会で趙大煥は雑踏に消えた。

光と風と夢
「宝島」「ジキルとハイド」のスコットランド作家ロバート・ルイス・スティーブンソンが
療養のためサモアに移り住んだ南洋の物語。
島は英・独・米の三国に支配され島民は不安の生活を強いられている。
スティーブンソンは皆から手厚い待遇を受けながら、三国から島民を助けられない苦悩と
作家としての悲嘆がつづられている。
脳溢血でスティーブンソンはこの世を去る。
老酋長が赤銅色の頬に涙を流しつぶやいた。   
  「トファ(眠れ)!ツシタラ」(ツシタラはサモア語で物語を語るひと)

中島敦は33歳で早逝したが、動物と人間が不思議に関わる幻想譚、高雅な文体は
今読んでも読書の楽しみを与えてくれる。


白狐あやかしの伝説 わたなべまさこ

2009-08-29 | book

江戸時代に歌舞伎で初めて上演されて知られることとなったと言われる「九尾の狐」は
もともと中国の『山海経』という書物から日本に伝来し、妖狐伝として広まった。

九尾の狐は白面金毛(びゃくめんきんもう)、九本の尾を持ち、絶世の美女に姿を変え
時の皇帝に取り入って悪事をはたらき国家転覆を図る。
その妖力は強大であり何千年も生きたといわれる。

Byakkoayakasi
「華陽夫人」天竺編
古代インド、マガタ国の屯天沙朗(じゅんてんしゃら)大王の妃、華陽夫人に
偽りのとがを図り、自分がその座について
息子の班足太子(はんそくたいし)をも誘惑して
親子を対決にまで落とし入れるが大僧正に正体を見破られ天をとび中国へ向かう。


「姐妃(だっき)」 中国編
殷の国、紂王(ちゅうおう)の妃になるが第一夫人の玉縁を落とし入れ、
すでに禁止されている刑で処すよう紂王に強要。
酒池肉林の宮廷と化し、これに嘆いた忠臣・太公望が周の国の武王に救いを求め
周軍に攻め入られて殷は陥落。
ついに正体を表した妖狐は雷鳴とどろく中を日本に向かう。


「玉藻の前(たまものまえ)」 日本編
天平七年、遣唐使船に少女として現れる。泰清という若者と夫婦として暮らすが
宮中に入り鳥羽法皇(とばほうおう)の愛姫となる。
その頃から法皇は病に臥すことが多くなった。 陰陽師・安倍泰親に物の怪であることを見破られ
祈祷に負けた妖狐は栃木県の那須野に逃げ殺生石(せっしょうせき)となって生き延びる。


そして、わたなべまさこのオリジナルを加えて妖狐物語は終わる。
「藻(みずも)よ、お前が本当に妖狐なら…姿をあらわせ! もういちどお前に会いたい」
切ないラストが描かれている。
妖艶な女に化け悪をなす妖狐を書いていくうちに、哀れにも悲しいさがを感じ
救いをもたせたかったと作者は述べている。


f 植物園の巣穴 梨木香歩

2009-08-18 | book

確かなものなど何もない。人はいつでもぎりぎり人の形を保っているのである。一寸揺すられれば異形の正体を現す。(本文より)

Fsyokubutuen
ここには多くの植物が繁茂する。それは湿気を含んだ空気となって陰影ある不思議な風景を作り出している。

f 郷に転任してきた園丁の佐田はある日、椋(むく)の木の巣穴に落ちてしまう。
深く落ちたそこは異界であり、異形のものたちとのゆらゆらした交流のうちに
「ふたりの千代」を探し、「過去の意識」を取り戻す道行が始まる。

話のすじは、佐田の意識や夢、体験が現実と夢想のように境界が交錯してはたゆたい、
また水のながれに身をまかせて読むように淡々としている。
しかし描かれているのは死であり、取り返さなければならない自分の過去の意識である。
坊との別れは切ない。
佐田は閉じてきた過去の意識と向き合うことによって家族のやすらぎを得ることができた。

 「f」 というアルファベット
タイトルの f は作者の意図があったか定かではないが f は「1/f(えふぶんのいち)」と言って
「揺らぎ」を意味する。人間の心理にそよ風や小川のせせらぎなどが心地よい効果を与える揺らぎであるとされる。
本書全体に漂う掴みがたい意識と道行はまた「揺らぎ」でもある。


パリでひとりぼっち

2009-03-06 | book

         「パリでひとりぼっち」 鹿島茂(著) 講談社

それにしても、どうしたらいいんだろう? 昨日から何度も口にしたこの独り言がまた口をついて出ました。(本文より)

Paridehitoribtti 1912年7月、パリのアンリ4世校に籍をおいていた「コマキ・オオミヤ」は、
送金をしてきた父親が行方不明になり、授業料滞納のため放校処分になって
一人パリをさまようことになった。

コマキの所持品は父がくれた時計とわずかなお金。
唯一の身元保証人はヴァカンスで2週間の留守でその間を何とか生きていかなければならない。

友人を頼ってやっと仕事に就けても、それは今までコマキが知ることもなかった過酷なものだった。
そんな中でも娼婦ベルトがコマキを気にかけて助けの手を伸べるが、
泊まるところがなくなったコマキはゾーンと呼ばれる貧民街で暮らすことになった。
そこで知り合ったアンナとクロード姉弟との心の通いあいはつらい日々の彼を助ける。

やがて身元保証人が早めに帰ったことによってコマキは身柄を引き取られ、
1年後に父親の友人の世話で日本大使館で働くことになった。


この小説の主人公、コマキ・オオミヤは実在した「小牧近江(こまきおうみ)」のことである。 
彼はこの後パリ大学に学ぶが第一次世界大戦が始まり多くの日本人が帰国した。
 小牧はパリに残ったがもうひとり残っていた日本人がいた。画家志望の藤田嗣治である。
小牧が日本を離れる際、ふたりは友情の証として共作の小冊子『ケルク・ポエム』(1919年)を出版したという。
小牧は郷里の秋田に戻り、「種蒔く人」を創刊。戦争の無残さから平和を訴え、常にコスモポリタンであり続けた。
 藤田は個展を開いたのち、パリ画壇に画家としてデビューを果たした。