1月31日にジョン・ウェットンが逝去した。享年67歳。
以前から癌を患い闘病生活を送っていたという。
様々なバンドに在籍したジョンであるが、一番売れたのは紛れもなくエイジアであり、
ジョンの死を報じる記事の見出しにも「エイジアの・・・」という件が多くあったように
思う。エイジアは私が洋楽に夢中になった時期に登場したグループでラジオでも曲が頻繁に
かかっていた。初来日公演の際にジョンは抜けていたので見に行くわけでもないのだが
「あんなに売れているのに、なんで辞めたのだろう」なんて思ったものだ。
その頃はわからなかったのだが、当時の体調の状態が良くなく解雇であったことを後に知り
驚いたものだ。
ジョンのソロはほとんど知らないのだが、個人的に一番印象に残っているのはキング・
クリムズンでの活動である。『LARK'S TONGUES IN ASPIC』から『RED』に至るアルバムや
後に大量に聴くことができたライブ盤での迫力ある歌や、ビル・ブラッフォードやロバート・
フリップという強者と亘り合って一歩も引かなかったベース・プレイの強力な様は圧巻で
あった。謹んで冥福を祈りたい。
ふと、ボズ・バレル、グレッグ・レイク、そしてジョン・ウェットンと70年代の
クリムズンのボーカリストだった人が3人も亡くなっていることに気付く。現在もソロで
活動中のゴードン・ハスケルにはもう少し長く人生を楽しんで欲しいと思う。
77年のフェリーさんの来日公演は夢のような面子でしたね。そうそう、ベースはジョン・ウェットンさんでした。時に
コーラスをつけながら男らしい力強さの魅力を発揮していました。クリスさんも若くて格好良かった。今思えば、
メンバー紹介の時に写るアン・オデールのショート・カーリーが可愛かった。(笑)
「ウェットン、マンザネラ」はこの10年後なんですね。
ジョンウエットンさんと言えば、1977年のブライアン フェリーさん
との来日公演ですね。
クリスさんは、勿論ですがジョンウエットンさん
かなり格好良かった。黙々とリズム刻む感じが、
セッション職人的でした。
好き放題??やってるように見えたクリスさんとは、
対照的でそこがまた、惹かれました。
このバンド、フェリーさんのメンバー紹介の時、
荒野の7人をみてる感じで、メンバーの凄さに
鳥肌ものだった事を思い出します。
ご冥福をお祈りします。
「LSRK'S・・・」、動と静の対比が素晴らしい盤だと思います。ジェイミー・ミューアの存在は長年T.レックスの不思議な謎に悩まされ続けていた身にとっては理解できたつもりでいます。そんなに凄い演奏をしているとは思えないのにブラッフォードやフリップが起爆剤的存在として評価しているのでやっぱり凄いのでしょうね。
「RED」ではゲスト扱いでしたが、クロスのバイオリン、
好きです。
「Red」はもちろんなのですが、わしゃ高校時代の体験からどうしても「LARK'S TONGUES IN ASPIC」ですな。
暴力と静寂、貴品と下品、その振れ幅のダイナミズムが音楽の楽しみを増してくれました。
ここにかかせなかったのが、しゃらくせいギターとドラムスを押さえつけてくれる大強力なジョン・ウェットンの
ベースと、その真意をつかみきれないジェイミー・ミューアのパーカッション、そして突然空いた間を色づける
デヴィド・クロスのバイオリンかしら。
とにかく、ジャケの表情と相まって、怖い盤でございました。
ジョン・ウェットンに合掌です。、南無阿弥陀仏。
楽曲の魅力と何とも言えない切迫感というか緊張感が
「RED」を特別なものにしている気がします。裏ジャケの
レッドゾーンまで振り切れたメーターの針も印象的です。
この時期のクリムズンは見たかったと思います。
ジョン・ウェットンのボーカルはジャック・ブルースと同じく
米国産ではないことが容易にわかる(ような気がする)
英国のボーカリストだと思います。
やはり、キング・クリムゾン、やはり「RED」ですね。
インプロでのぶっといベースでのブラッフォードとの絡みはスリリングでした。(以前にも書きこんだのですが、そこにマイルスのトランペットが入ったらいいなと想像してしまいます。)
少し湿った歌も良かったなぁ。
生で見たかったですが叶いません・・。
R.I.P