山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

蕎麦屋について

2024-09-27 18:57:01 | 読書

福田和也氏が「東京の流儀」でそば屋について書いています。(「心伸びやかになる蕎麦屋」)
ここで出てきたのが、「神田のやぶ」「室町の砂場」「銀座のよし田」です。
私はどれも行ったことがありません。
ウェブ検索してみたところ「神田のやぶ」が、なかなか広くてきれいなお店で誰でも食べられるようなので、行ってみたいなと思いました。

それで、夫に話してみると、「神田のやぶ蕎麦はとっくに無くなった」などというのです。
サイトがあるんだから、お店がないなんてことはありません。9月はナスの冷やしそばが季節の特別メニューになっていておいしそうだなと思いました。

しかし、なんで夫が「もうない」などと言ったのかと思い、調べてみたところ、神田の藪そばは、2013年2月19日に、それまでのお店が火事で焼失してしまったのでした。
そういえば、当時のニュースで、老舗のお蕎麦屋さんが火事で焼けてしまい、伝統の味をひきつぐ濃縮つゆである「かえし」も失ってしまった、という内容を聞いた記憶があります。
その後のことは知らなかったのですが、翌年の10月20日に、再建した新店舗で営業を再開したのだということがわかりました。そうすると、もうすぐちょうど10年になるようです。

新しい店舗は、耐火・耐震性の鉄骨作りだそうです。以前の古い建物は1923年築の数寄屋造りで.東京都の歴史的建造物に指定されていたようですが、古さゆえに天井の配線がショートしたのが出火原因だったようです。怪我人などはいなかったそうでよかったです。

焼失した建物はそのとき築90年だったということになりますね。
2014年に再開したときに社長は70才だったそうですが今は80才ですね。

福田和也氏のこの文は、2004年ころから書かれているので、このときはまだ火事にもならない古いお店だったわけですね。

とにかく、現在は建て直されたお店で、伝統の味が引き継がれていて良かったです。

・・・

別の話ですが、このあいだ立憲民主の原口さんがユーチューブで話していたのですが、最近、長野の老舗そば屋「戸隠そば」が倒産したんだそうです。原因は新型コロナによる業績悪化だということですが、400年も続いてきた老舗がなくなるのは本当に残念なことです。

だから神田の藪そばが健在なのは嬉しいです。
東京はそれなりに人間が多いから大丈夫ってことなのか、やはり人口減少・一極集中だと地方の伝統を守ることは難しいのかもしれません。

・・・

次に「室町の砂場」ですが、これはウェブ検索するとのれんのかかった由緒ありそうなお店が載っていて、ちょっと入りにくいかな?と感じたりしました。こちらも行ってみたいです。

「砂場」という名前のお蕎麦屋さんは色々なところにあり、のれん分けされたものかもしれません。
そういえば「藪そば」の店も多数あり、こちらは黒いそばですが、一方「更科」は白い蕎麦の店という程度の認識はあります。私はどちらかというと黒いそばが好きです。

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それから最後に「銀座のよし田」ですが、こちらはどうも大衆的なお店で、日本蕎麦という形にとらわれないお店のようです。コロッケ蕎麦が売り物なのだとか。
ウェブで検索すると、ぐるなびなどにも出てきます。

福田氏が書いているところによると、ここで資生堂の福原さんにも会ったとのこと。福原さんて誰?と思って検索してみると資生堂の福原義春社長のことでした。
この方は2023年8月30日、つまり1年くらい前に逝去されていました。

また、福田和也氏は、諸井薫も、よし田が好きだと書いていて、実は諸井薫によし田そば屋を教えてもらったのだそうです。
ここでも「諸井薫」って誰?と思って検索してみたら「本多光夫」の別名だということがわかりました。本多光夫という名は知っていますが、作家・編集者・エッセイストの場合の名前で、諸井は文筆家としての名前だとのこと。作家・エッセイストは文筆家ではないのでしょうか?区別がわかりません。

この方は、2001年に逝去されていますが、諸井さんのお葬式のときに、よし田の人たちが参列されていたと、福田氏が書いてありました。

そば屋について色々と思いを巡らすことも楽しいです。

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私は日本蕎麦がかなり好きです。
それで、この頃思うことなんですが。多くのファミレスだのチェーン店だの、各種の外食産業では、最近はやたらにポイントだのライン登録だの面倒くさいことが多すぎます。

だから、そんなものが関係のないお店に食べに行きたいんです。
そうすると、お蕎麦屋さんというのは、結構昔ながらの個人のお店が多く、会員登録とかそんなことがないのが良いのです。
お蕎麦屋さんっていうのは、支店とかグループ会社ではなく、「のれんわけ」でしょう。
そういうお店がずっと残って行ってほしいと思うのですけど、そうなると家業を引き継ぐ跡取りが必要なのかもしれません。

でも、ぜひ現代のようなパネル注文やロボットによる配膳やセルフレジなんかではなくて、人間に注文して、人間が作った昔ながらの日本蕎麦を食べたいなあと思うのです。

「てんや」なんかで天ぷらそばを食べていますが、今後は普通のお蕎麦屋さんに行くのを増やそうと思います。

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福田和也氏の印象

2024-09-27 05:35:28 | 日記2024

昨日借りて来た「東京の流儀」を読み始めた。まだ本当に最初の部分である。

この本は、散歩・街歩きのことが書いてあるようだ。私も一応東京に40年以上住んでいるし、この人と同じ世代(現在にて60代前半)なんだから、かなりの共通性を持ち合わせていることになる。

ところが、読み始めてびっくりしたのは、どうしたって自分より10才以上は年上なんじゃないかというイメージなのである。

例えば、中華の店に関する部分では、
「戦後の小津安二郎の作品には、笠智衆や中村伸郎と言った中年男たちがつどう料亭や、座敷のトンカツ屋とともに、場末のラーメン屋が点景として出てくる。零落した漢文の教師である、小澤栄太郎が、娘-杉村春子に追いつかわされているところに、加藤大介がタンメンを食べにくるような。」

この古い俳優たちを知っているのは、彼が昔の文芸作品を研究しているからなんだろう。それとも子供のころから、映画などをよく見ていたのだろうか。

私が知っているのは、笠智衆と小澤栄太郎と杉村春子だ。杉村春子は文学座の公演でよく見た。
笠智衆は私が子供の頃にはすでにおじいさんだったと記憶している。杉村春子も私が演劇に没頭していた高校の頃から70代くらいのすごい年齢で、その時すでに日本史の教科書に載っていたので驚いたのだった。

その笠智衆が中年男であった戦後の作品というのを、自然に知り得るのは、私たちよりももっとずっと上の世代ではないか。やはり過去の文芸作品を研究している人ならではの視点なんだろう。

過去のことを研究している人は、自然に人生を熟達した人のような雰囲気を醸し出すのだろうか。

この人の概要をウェブで見ると「保守派論客の文芸評論家」という言葉が出てくる。昭和天皇に関する著書もあるようだけど、やはり実際の一般同世代人に比べると、ちょっと古めかしい印象を受けるのであった。

現代人は、むしろ戦後の日本に郷愁を抱くよりも、コロナ前の日本に郷愁を抱いてしまうのが自然だ。杉村春子や小澤栄太郎なんかすっかり忘れ去られているのではないだろうか。

しかし、同世代の男性が結構古めかしいと感じたのは、今年故郷の高校の同窓会に行ったのだが、そのときに昔野球部だった同級生が、地元の史跡的建物に関して、延々と歴史を解説し始めたのがとてもジイサンぽかったのだ。
この人って、昔は野球のことしか考えてないような少年だったイメージだが、その建物が大正時代に資産家の別邸として建てられ、その後旅館になって文壇人たちが泊まりにきたとか、さらにその後…などという経緯をかなり詳しく知っているらしく、解説してくれたのは驚いた。
年を取るとそういうことになるのだろうか。

そういえば、私も最近は、昔の建物(城跡や旧庁舎)や昔の街道などに興味を持つようになったのも年のせいなのかもしれない。

「東京の流儀」が書かれたのは今から20年くらい前のようで、それならば、時代的には確かに古い感じがするのはあたりまえ。
それにしても20年前は、著者はまだ40代前半だったのだから、こんな年配者みたいな文を書いていたらずいぶんと年寄り臭い気がする。

40代なんてまだまだ若者ではないか。

この人は、1989年に「奇妙な廃墟」を刊行し、1993年に「日本の家郷」で三島由紀夫賞を受賞。
私は1989年に次女を出産。当時はひたすら子育てと家事に従事。
それが20代の終わりから30代初めの頃の人生。

・・・

この人は文芸評論家っていうよりも「東京の流儀」に関しては、エッセイストって感じである。
自分よりずっと年上(昔の人)のような印象を受ける。
文は面白い。
理解・共感はできる。
今後も色々読んで行きたいと思う。

私は人生をサボっていた分、精神年齢が低く、よく言えば若そうなので、これからも身体が元気なうちは、色々なことに興味を持って、コロナ後のへんてこりんな世界を生きていくことになる。

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