山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

あさり

2018-03-13 23:45:01 | 日記2018
半世紀以上も生きているのに、「あさり」が今、旬だということを初めて知った。
2月~4月だそうだ。
あさりなんか1年中同じだと思っていた。

アサリは滅多に食べないのだが、そういうことなら食べてみようかと思って買ってきた。

いつも、なかなか砂抜きがうまくいかないのだが、分量をきちんと測って塩水を作ればよいそうである。

これまでは、適当に塩を入れてなめてみて、自分の記憶にある海の水の塩辛さ程度にしていた。
しかし、それでは、たまたまうまくいくこともあれば、うまくいかないこともあった。

今回、調べてみると、水300ccに対して、塩10g弱程度にすればよいそうだ。
そして、あまり深くしてはダメなのだそうだ。

そうやってみたのだが・・・

全然アサリが出て来ない。
暗くするために、蓋をして、台所の端のほうに置いてみたが、出てきたのは1~2匹であった。

ネットで調べると2~3時間おくという。
これでは、夕飯には間に合うわけがない。

かといって、24時間もおいてはいけないそうである。

このままでは、台所の片隅のアサリのことなんかすっかり忘れてしまいそうだ。
数日経って気がついたら腐っていたなんてことになりかねない。

最近、本当に記憶がなくなってしまうのだ。

これは、今夜中になんとかせねば。
寝るころには、砂を出しているにちがいない。

しかし、やはりダメだった。

そういえば、水をなめてもみなかったけど、なめてみればよかったなあ。

こうなったら、砂はもうよい。

私は、朝が弱いので、朝料理をするなんてことは無理だから、夜のうちに調理をしてしまおう。

ということは、アサリの酒蒸しを作りたかったのだけど、もうみそ汁でいいわい。

結局、口をぎゅっと閉じたままのアサリを火にかけて、みそ汁を作った。

あさりたちよ、ゴメンネ。

残酷だなあ。だからアサリ料理はあんまり好きじゃないのだ。

でも、ボンゴレとかも食べたいけどね。

砂を抜いてないけど、たぶんそんなじゃりじゃりじゃないんじゃないかな。

もう歯磨きをしたあとだったから、味見も何もしてない。

明日の朝、食べるのを忘れませんように。
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あれが出てくればこれが無くなる

2018-03-13 21:23:06 | 日記2018
放送大学の試験のときに、教科書が行方不明になり、結局試験勉強ができず、単位を落とした。

あの、教科書、どこに行ったんでしょうね。
まさか、ロマンスカーの座席の網のポケットに入れたまま置いてきたのでは?
なんて思っていたのだけど、

先日、あっけなく発見したのです。
なんと、椅子の足元の床の上にピタッと置いてあったのでした。

そこは、いつも座っている椅子と衣装ケース(ハイビスカスの植木鉢を入れているもの)の間で、あまりにも真下にあって気がつかなかったのでした。

それに、上に何かが載っていたのかもしれない。
なんかわからないけれど、色々と片づけていたら、そこにあったのでした。
そこは、何ヶ月も掃除機をかけることさえしなかったのだ・・・。

まあ、今さら出てきたところで、もう勉強はしません。

さて、それは良いのですが、
それの代わりに行方不明になったのは、昨年のスケジュール帳です。

このスケジュール帳には、車の点検の日程が書いてあったのです。
4月の予定です。

それから、半年に1度受けている目の検査の日程も書いてあったのです。

というか、それらの予約票が、表紙に挟んであったのです。

いったい、どこに行ってしまったのでしょう。

どこかそこらへんにあるはずなんですけどね。

全く、だらしないからダメだなあ~。

それに、今年のスケジュール帳、なぜかいつも間違えて来年のところに日程を記入してしまうのです。

来年の1~3月までの月予定のページがあるのですね。

それで、日付と曜日が今年とは1日ずれているのですが、なぜか懲りずに何度もそこに書き込んでしまうのです。

もう・・・来年のカレンダー、載せなくていいから。

これって、年度区切りで手帳を買う人がいるので、予備として3月まで載っているのかな。

たしかに、昨年のは、年が明けてもしばらく使っていたのでした。新しい手帳があるのに。

そして、やっと新しい手帳を使い始め、いい加減、今年の予定を転記しなくては、と思っているのですが、いざ、やろうとしたら、昨年の手帳が消えてます。

どこに行ったんだ~~~~


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目が痛い

2018-03-13 00:30:15 | 日記2018
仕事で、いつもより細かい文字の文書を点検していたせいか、目の奥のほうが痛くてしょうがない。

御老体だ。

結局、20歳のころに初めて就職したときと同じ仕事を今でもしている。

あの当時、あの会社は私にこの仕事を教えてくれた。

それが、今でも役にたっているのだ。

別の会社で教わったことを、今の会社で生かしているというのは不思議な感じがする。

私も、今の会社も、「教わり得」だったということだ。

じゃあ、最初の会社は「教え損」だったのかな?

社員を教育して手放すってこと。

今、若い社員を育てることのできる職場って少ないと思う。

出来上がった人を採用して、ばりばり働かせて儲けている会社と、育てるだけ育てて逃げられちゃう会社があるような気がする。

育てているだけの会社は報われないよね。
でも、すごく重要なことをしているのだ。

今の会社も、若い正社員を育てていると思うけど、結構1人前になるかならないかのうちに辞めてしまう人も多いなと思う。

私は、ある部分では過去の会社で身につけたスキルを使って仕事をしているけれど、今の会社で身につけたこともある。
パソコンなんかは今の会社だ。

育ててもらっているし、貢献もしていると思う。

あ、「目が痛い」というタイトルなのに内容が変わってしまったな。

目が痛いから、もう寝よう。
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