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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

引っ越し先は
https://ask0065.hatenablog.com/です

お盆はいつまで

2017-08-18 23:27:41 | 日記2017
お盆というのは、13日から16日までだと思っていたのだが、まだお盆休みだったりする。

今日、ウォーキングをしていたら、ホンダのディーラーがあった、
みると、以前並んでいた展示車が1つもなく、透明の建物の中は人の姿もない。
あれっ?移転しちゃったのかあと思った。
まだ、物品は片づけてなくカウンターの上のものなどはそのままになっていた。

この場所だと売れなかったのかなあと思い、一体どこに移転したのか、何か書いてあるかなと思って入り口に回ってみた。

すると、お盆のため、18日まで休業しますと書いてあった。
なんだ、閉店したんじゃなかったのか。

数日休業するだけで展示車がすっかりなくなるもんかと驚いたけど、たしかに、それらは建物の中ではないので、いたずらされたりする可能性もあるから、車だけどこかに移動してしまったのだろう。

それから、またさらに歩いていくと、日産のディーラーがあった。こちらもまた営業してなかった。

お盆休みって長いんだなあと驚く。

ちなみに、私の会社はお盆休みはなく、普通の土日祝日だけが休みである。
ただ、有休休暇を取って帰省する人などがいるし、関係会社がお盆休みになるため、仕事の量は減っていた。
でも、今週になって、私の仕事は結構あった。
だから、昨日あたりには、お盆なんかすっかり終わっていると思っていた。

でも、世間のお盆休みは、この土日が終わるまで続いているのかもしれない。

実家の母がお盆前に買い物をしたが、その配送日が未だに決まっていない。
お盆が明けないと本社だか手配部門だかが動かないからだそうだ。
配達日がいつになるかは、お盆が明けてから連絡するとのことだったが、お店からは何の連絡もないそうだ。
私は、お盆明けは17日かと思っていたが、そうではなかったらしい。

いったい、いつになることやら?

お盆がない会社もあるのに、お盆休みが延々と続く会社もあるので驚く。

私は、お盆がストレスになってきた。
お盆を理由に、いろんなことが滞る。

この非効率的な数日間をなんとかしてほしい。
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耐えられない不快感

2017-08-18 21:50:40 | 日記2017
この頃、生理的不快感を強く感じるようになった。

熱い。熱すぎる。自分が熱い。
自分が燃える石炭のようになっているのである。
ホットフラッシュでしょうか?
いや、顔だけでなく体中が過熱しているようだ。
体中がカイロ。電熱器。ストーブ。

そして、気温も確かに暑い。
さっき、耐えかねて冷房を入れようと思ったときに、
部屋の温度は29.1℃、湿度75%

今、数分経って、28.9℃、73%
汗が流れ落ちる。

昨日はちょっと涼しかったけど、また暑くなった。
空は曇っていた。相変わらず日照時間はほとんどない。

今日はウォーキングをした。
片道1時間くらいかけて友人に会いに行った。そしてまた歩いて帰ってきた。
途中はポケモンをやっていたので、10分くらい余計にかかった。

そうしたら、足が筋肉痛でたまらない。
スニーカーではなく、サンダルで歩いたからだろうか。
以前は、同じだけ歩いて何ともなかったのに、今日は足も身体も疲れ果てて、寝込んでしまう。
帰宅後、一休みしてから夕飯を作ったので、9時過ぎてしまった。

足首と足の裏に湿布を貼った。そうしたら、すーっとして気持ちがよかったのだが、そのうちこの「貼り付き感」がすごく鬱陶しくなってきた。
特に足の裏は耐えられない。そして、程なくはがして、足首に移動させた。

この頃は、肉体的不快感が半端ではない。

髪の毛が伸びて鬱陶しくて気違いになりそうだ。
やっとカットした。

昔は、こんな不快感は無かったような気がする。


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「趣味の食卓」(中島義道)

2017-08-18 06:34:27 | 読書
中島義道という人の単行本「人生、しょせん気晴らし」を開き、最初の“「自由な生き方」という気晴らし”から読み始めると、その中の最初のエッセイが「趣味の食卓」である。

この本の題名が気に入って選んだものの、この1つ目のエッセイでいきなり嫌気がさす。

「陶磁器には特別の思い入れはない。」という一文から始まるこのエッセイは、陶磁器についての特別の思い入れを書いているのである。
まずは、ぐいのみに関しての条件を書き連ねている。大きさ・厚み・色。
萩と唐津で買ったものが気に入っているという。

「陶磁器一般のよさは、あまりわからない。」と書きながら「どんな器でもいいわけではない」そうで、「妻の母が茶道の教授なので、家には義母からもらったあるいは妻がなじみの骨董屋で買ってきたさまざまな主に唐風の食器があるが、私はその中で気に入ったものを選ぶだけである。」

こういう人間って、一般庶民からは嫌われるタイプだと思う。

さらに、「6年来ウィーンに家があるので、自然に向こうの陶器も集めることになる。」と始まり、ウィーンの陶器の話、それらのデザインの話となる。

「だが、彼の地で一番気に入っているのは(わが国にはほとんど紹介されていないが)以上の陶器よりはるかに庶民的ではるかに安価なグムンデンである。」

「(わが国ではほとんど紹介されていないが)」ここが鼻に付くわけである。
紹介されていないのは事実であろうし、それが高価な高級なものではないにしろ、こういう話し方をする人って、やはり庶民から嫌われると思う。

こういう人は、こういうタイプの人同士で友達になるのだろう。

つまり、一部で謙遜しながら結局自慢ですか?と感じるような言葉が、ちりばめられているのだ。

とはいえ、この人の境遇は本当にこういうものなんだから、本人としては、別に自慢じゃないんだろう。
ウィーン郊外の自宅で、萩や唐津のぐいのみに久保田や八海山などの日本酒をついで飲み、ロイヤルコペンハーゲンの皿に蟹味噌を載せてつまみにし、「ずれ」を楽しむのが趣味だそうだ。

まあ、そりゃ、楽しいかもしれないね、と今やっとこの最初のエッセイを一通り読んでみて思った。

昨日は、途中でうんざりして読むのをやめて“「読書」という気晴らし”のカミユのところに飛んでしまったのだ。

若い時に、何でも抵抗なく読書ができたのは、今のような格差意識ややっかみがなかったからなのだろう。
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