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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

引っ越し先は
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高校時代の記憶

2022-04-08 00:41:02 | 読書

この頃、年を取ったせいか、昔のことを思い出す。

最近は、たまたま図書館で「巴里に死す」を見つけて読み始めたのだが、もしかしたらそれがきっかけかもしれない。

東京に越してきてから住んでいた家のそばに、天理教のお寺があった。(あれはお寺というのかな?)
芹沢光治良の「人間の運命」では、天理教のことが書いてあるという記憶があったので、なんとなく意識してその前を通っていたが、今思うと、一度もそこに出入りする人々を見たことはなく、そして、私の人生の中で天理教の人には会ったことも話したこともない。
全く存在感がない宗教だった。ただ、そこに建物があり、門に「天理教」と書いてあったことだけを覚えている。

あれは、私が20代の頃で、高校を卒業してからはまだ数年しか経っていなかったのだ。だから記憶も新しかったのだろうけど、それ以来、天理教に関する物事に遭遇したことは一度もない。

天理教はともかく、「巴里に死す」を読んでいると、主人公の伸子が結核でスイスのサナトリウムで療養している。あの時代は、結核をそうやって治すしかなかった。特に治療法もなく、寒いところでなぜか窓を開けっぱなしにしている。冷たいきれいな空気を吸っていると良いということだったのか。そして、治る人もいたし治らない人もいた。が、治らない人も多く、不治の病と言えた。

結核は人に感染するが、感染した人が急に亡くなるわけではないし、感染しない人もいたようだ。感染しても慢性的に病状が進んで行き、重症にならなければ快復するが、数年のうちに次第に悪化していくとほぼ助からない。恐ろしい病気ではあるが、今の新型コロナほど厳重に隔離などはしていなかったようである。

結核患者が妊娠したら、堕胎したほうが良いと考えられたのは、患者の体力が消耗してしまうからで、子どもが感染するからということではないようである。生まれたあとも、母親が育てることはできず、人に育ててもらうのは、子供への感染を避ける意味もあるものの、母親が自分の結核を治すことに専念しないといけないからだろう。

それで、「巴里に死す」を読んでいたら、スイスのサナトリウムの場面で、私はトーマス・マンの「魔の山」を思い出していた。あの本は文庫本でものすごく厚い本だった。それを夏休みかなんかにかなり読み進んだものの、結局最後までは読まなかったと記憶している。

しかし、あの「魔の山」は何で読み始めたんだろうか?と思う。

それで、今回「巴里に死す」の後ろについている大江健三郎の芹沢光治良についての文を読んでいたら「魔の山」のことが書いてあった。やっぱり連想するのが当たり前なのだろう。

それから、「巴里に死す」の中で伸子が、ジイドの「狭き門」のことを書いているが、その前から、私は「伸子」の精神が、ジイドの「狭き門」の主人公女性と共通していると強く感じていた。

私はジイドの「狭き門」も読んだことがあるが、なぜそれを読んだのかも不明である。これは実家に世界文学全集があったのだが、読まなかったものも多々あるなかでどうしてもこれを選んだのだろう。

当時私は芋蔓式読書法をしていて、読んだものの中に出て来た小説を読み、またそれに関連した小説を読むと言うのをしていたのだった。

私は「巴里に死す」を読んだ記憶は全くないが、ここから芋蔓に「魔の山」や「狭き門」が出てくるのだ。まさか「巴里に死す」を読んでいたわけではないとはおもうのだが・・・。

あ、そうだ。今回はそのことを書くつもりではなかったのだ。

私は当時、2階の自室の窓際の屋根の上にクロッカスの球根を1つ育てていた。そのクロッカスには「シルビエ」と言う名前を付けていた。クロッカスは紫で白い線のある花を咲かせた。ふっくらとした花びらを開き、中には黄色いめしべとおしべがあった。その姿は神秘的だった。

私は当時、ハンサムな同級生にあこがれていた。その人は色白で彫りが深く小柄で、西洋人の少年のような容姿だった。私は心の中で彼を「美」と呼んでいた。

そして、なぜかそのクロッカスをその少年として見ていた。そのクロッカスになぜ「シルビエ」と言う名前を付けたのか記憶がないのだが、なぜかクロッカスの記憶とともに「魔の山」を連想するのである。

しかし、魔の山の主人公は「ハンス」というらしいし、その人に私があこがれるわけでもない。シルビエというのは一般に女性の名前らしいが、私はなぜか少年の名前として、それを花につけたのであった。テレビにでも出て来た少年から名前を取ったのかな?

「シルビエ」でウェブ検索すると、人の名では「シルヴィ」というのが出てくるが「シルビエ」はあまりない。「シルビア」というのは女性のなまえでよく聴くが、私は「シルビエ」と記憶している。

クロッカスが咲くのは春休みなので「魔の山」を読んだのは冬休みか春休みだったのかもしれない。

これらのことは、実家の天袋にある昔の日記を見ればわかりそうだが、もはや太った老婆には、天袋に登ることは不可能かもしれない。

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高校時代の思い出

2022-03-23 23:52:10 | 読書

私の人生のうち、一番楽しかった学校生活は高校だった。
高校では、演劇部にいた。演劇部で親友もできた。演劇があったから高校が楽しかったのだろう。

演劇は総合芸術である。高校生のころ文学にも目覚めた。その当時は読書もよくした。

演劇部の顧問は、大学を卒業したばかりの新任の女性の先生だった。私たちと7~8歳くらいしか違わないのだ。
その先生は現国の先生だったかな?古文の先生だったかな?授業でも教わったように記憶している。

演劇をしている人間である私たちは、一種の「あくどさ」や「野蛮さ」があると感じていた。
しかし、この先生にはそういうものがいっさいなく、「灰汁」が足りないのだった。
演劇をするタイプの人間ではないね、と思っていた。

それは悪い意味ではなく、何の嫌味もない先生で、顧問として私たちをよくサポートしてくれた。
先生は、ものすごい偏差値の高い国立大学を出ていた。その受験科目の多さにびっくりして、相当優秀なんだなと思ったけど、先生は和やかでやさしく謙虚であり、プライドの高さなどはみじんも感じさせなかった。容姿もそこそこきれいだった。

卒業式の日は、参列して一連の内容が進んで行ったが、特に悲しくはなかった。

そうして退場するときに、この先生の姿が目に入った。なぜか急に涙があふれてきた。
私たち卒業生は、胸にピンクの造花をつけていた。

今でも記憶に残る一瞬。
胸にピンクの造花を付けた自分が、演劇部の顧問の若い女性教師に見送られて、胸が熱くなった。
それは演劇部の仲間もみんな同じ思いだし、先生にとっても初めての教え子だったんだということを実感した。

普段は何も感じなかったのに、そこで初めて、先生と自分たちの絆を感じたのだった。

・・・

今、私は「巴里に死す」という小説を読んでいる。
この作者は芹沢光治良である。「巴里に死す」という題名は、なぜかあまりにも有名だと思っているが、その内容については知らなかった。この題名を知ったのは高校時代に違いない。

そして、演劇部の顧問のその先生は、当時「人間の運命」を読んでいた。
これは10巻くらいあったような気がする。おそらく先生は全部読んだのだろう。
私も真似して読み始めたが、たぶん2~3冊くらいで挫折したような気がする。

これを今から読んでみるかな?

「巴里に死す」についてみていたら舞台は1920年代のパリの話だそうだ。
なんと、今から100年も前のことだ。書かれたのは1943年だそうだ。

手記には主人公の心理が書かれていて、ああそういえば、高校の頃は、こういう心理描写みたいな文が好きだったなと思い出した。

恋愛は精神を高めるものでなくてはならず、人は常に向上心を持たなくてはならない、と若いころは想っていた。

しかし、今は、向上心などみじんもなく、何かおいしいものを食べたいとか、楽しいことはないかとか、そんなことばかり考えて生きている。

病気をしないで長生きしたいとか、安全に暮らしたいとか、そういうことを求め、精神の向上などはどこかに忘れ去ってしまっていたのだ。

日常にまみれ、ただ生きてるだけのオバサン(ばばあ)になってしまった。

先生はどうしているかな?もう70歳に近いかな?
先生は、私たちの卒業後まもなく教師を辞めて結婚されたそうである。お子さんもいる。
ご主人の転勤で海外で暮らしたりもしたそうだ。

この小説が書かれたのは今から80年も前だが、私が高校生の頃はまだ33年くらいしか経っていなかった。

「人間の運命」だって、当時はそんなに古い長編小説ではなかったはずだ。書かれてから10年も経ってなかったようだ。

今、あのころ読みそびれた本を読み始めるなら、半世紀も元に戻って、高校時代からやり直すって感じである。

 

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漱石山房記念館

2021-10-03 23:14:37 | 読書

本日は、早稲田にある「漱石山房記念館」に行ってきました。

この記念館の存在を知ったのは、なんと、昨日だったのです。

東村山ふるさと歴史館の中で、偶然パンフレットを見つけたのでした。

そこに、この記念館で「夏目家の人びと、漱石の家族」というテーマ展示を10月3日までやっていることが書いてあり、なんとそれは今日までではないかということで、出かけて行ったのでした。

(ああ、このタイミングは本当に不思議だ・・・)

ここは、夏目漱石が実際に住んでいた家があった場所だそうです。

そして、漱石の人生・作品・活動・漱石を取り巻く人たちのことなどが、わかりやすく展示されていて、とても良い場所でした。

パネルの説明をいちいち読むのは大変なものですが、こちらでは無料で音声ガイドを貸してもらうことができ、大変便利でした。

・・・

私は学生時代、夏目漱石のゼミに入っていて、漱石のことを一通り研究したつもりでしたが、今では大部分忘れているし、そもそも20歳程度の若者が漱石の人生や作品の中に著していることについて、どれだけ理解していたんだろうかと思います。

漱石の家族には、奥さんのことくらいしか目を向けなかったように思います。
また、住んでいた場所が東京なのに、ゆかりのある地域を歩いてみるようなこともしませんでした。

文学散歩をすればよかったなと思いますが、当時はそんなことも思い浮かびませんでした。

今日の展示をみて、漱石が末っ子で小さい時に養子に出され、それからまた実の親のところに戻ってきたりして複雑な境遇だったことや、自分の娘を幼くして亡くしたことなど、今まで気にも留めていなかったことに気が付きました。

新聞社に入社したのは、連載小説を書く仕事のためであり、社員になって小説を書くって、今ではそんなことはないだろうと思います。

漱石が小説を書いた期間は、11年間だったかな?人生のごく一部の時期であり、たったそれだけの期間に、あんなにたくさんの作品を書いたのはすごいと思いました。

また、漱石は、絵にも興味があり、本人が描いた絵もあり、かなり上手でした。

それから、猫のみならず犬や文鳥なども飼っていて、動物好きだったようです。

そして、植物も好きで、庭には色々な樹木が植えられていたそうです。

記念館の外観。現代風の建物ですが、元の家の雰囲気を思わせるような部分もありました。

ここに住んでいたんだな~と思います。

建物のわきに、漱石公園があり、銅像がありました。

裏には猫の墓が。13回忌だかに建てたそうです。

これは、途中の道で撮ったもの。

この記念館は、数年前にできたそうです。建物も新しいです。

もし私の学生時代にここがあったら絶対に来ていたはずです。
地下に漱石関係の書物がたくさんあり、閲覧できるようになっていました。
昔にはなかった書物もあり漱石研究はさらに進んでいるんだなと思いました。

また、復刻版や漫画・絵本などもあり見るだけでも楽しいです。

40年以上も前には、同じゼミの友人と一緒に駒場の近代文学館に通って漱石関係の本を調べていた記憶があります。
今日の展示では、横浜の近代文学館に漱石関係の資料がたくさんあることがわかりました。
(駒場は無くなったんだっけ?)

・・・

漱石は49歳でなくなり、今考えれば、40代なんて、まだ若者じゃないかと思います。

漱石よりも10年以上も長く生きている私です。

人生の中の2年間くらい、漱石の作品を読みまくっていた時期がありましたが、何も覚えていないんだから、もう一回読み直して復習したほうが良いなと思いました。

今読まないと、もう一生読まないかもしれませんものね。

きっと若い時には気づかなかったことに気づくことがあると思います。

 

 

 

 

 

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藤原正彦

2021-09-17 09:56:48 | 読書

何週間も前から藤原正彦氏の「知れば知るほど」というエッセイ集を読んでいる。

読めばそれなりに面白いのだが、個々のエッセイを読んでは止まっているため、なかなか最後まで読み終えない。図書館の返却期限が過ぎているので、早く読まねば。

全部読んだら、読書記録として読後感を書こうと思っている。

ところで、今日読んだところは「ベートーベンのコーヒー」というエッセイだ。
コーヒーの内容はともかくとして、ここに「父が直木賞をもらい・・・」という文言があった。

えっ?父って誰?

藤原正彦という人は、以前から数学者だとは知っていたし、新聞や雑誌などで、この名前を目にしていたこともあり、なじみがあった。しかし、直木賞を取った人の子どもだったとは。

調べてみると、父親はなんと「新田次郎」ではないか。

これって常識? 知らなかったのは、私だけかな?

そして、母親は「藤原てい」。この人の名前も知っている。

両親が作家なんだから、文才があるのは血筋かもしれない。

新田次郎の本名は藤原寛人というそうだ。

藤原正彦は、数学者がたまたま文を書くのが得意でエッセイを書いたり、人生相談の答えを書いたりしているのかと思ったら、この人、文を書くプロってことでいいんじゃないか?

とまあ、今回ここに書きたかったことは、

藤原正彦は、両親が有名な作家の息子だったってことを、私が初めて知って驚いたということです。

 

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96才の大学生(歌川豊國)

2021-08-28 11:15:19 | 読書

「96歳の大学生」という本を読みました。

著者の歌川豊國という人は、明治36(1903)年2月3日生まれで、尋常小学校しか出ていなかったですが、93歳のときに高校に入り、卒業して、96歳で近畿大学に入学したということです。

この本は、大学生になったときに書かれたものでした。

代々続く浮世絵師の一門に生まれ、子供のころから浮世絵の技術を身に着け、その後戦争や時代の変化につれて様々な仕事をしてきたということです。

明治生まれなので、明治天皇崩御・乃木将軍夫妻の殉死、米騒動、関東大震災などの実際の体験や記憶があり、江戸時代のことさえも年上の人から聞いていたりして、歴史の先生よりもよくわかっていたりします。明治から平成に至るまで、世の中を全部見て体験しているということになります。

そして、90代になってからは、妻の介護や自分の勉強や浮世絵の仕事などを精力的にこなしており、本当にパワーのあるおじいさんです。

人は何歳になっても意欲と好奇心を失わず、健康に留意しつつ、目的達成に向かって生きていくべきだということが書かれていました。

・・・

私は60代の大学生で、もう老域に達していると思っていたのですが、90代になってからもこんなに意欲を持って前進できることを知り、私なんてまだまだ若いなと思ったのでした。

ところで、この本は平成11年(1999年)に書かれており、今は2021年なので、当時96歳だった著者の方が、今現在、存命であるわけはありません。

96歳で大学に入学された著者は、近畿大学法学部を卒業されたのだろうか、と調べてみました。

すると、2000年11月11日に亡くなられていることがわかり、残念ながら翌年(大学2年の途中)で終わっているということがわかりました。

しかし、97歳まで生きられたということでもすごいことではあります。ご本人の願いは、大学・大学院を卒業し130歳まで生きたいということでした。

歌川豊國という浮世絵師のことをネットで検索すると、1代目から7代目など、同じ名前の人がいてわけがわかりません。これは歌舞伎役者のようなもので、その流派の人が同じ名前を代々継いでいくのでしょう。この人の本名は、本の中の記述によれば豊春というようです。
代々同じ名前では区別がつかないので、個人の名前のほうがわかりやすいなとは思いました。

著者の方は6代目豊國で、その息子さんが7代目になっているようです。

浮世絵は、版画の摺り方の技術は伝統を継承するために、文化庁が補助金などを出しているそうですが、肝心な原画を描く浮世絵師の育成には何もされていないのが問題だとのこと。
確かに、原画を描く人が続くことが大切だと思いました。

・・・

人生は目標を持ってそれに向かって活動していかなくては、何も達成されない。
この人は、大学卒業という目的は達成できなかったけれど、こうやって著書を残してくれたので、多くの人が人生観を学ぶことができます。

感謝したいと思います。

 

 

 

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「心臓突然死からの生還」(高松健)

2021-08-22 00:43:23 | 読書

「心臓突然死からの生還~アメリカで受けた手術体験~」(高松健)という本を読みました。

実は、昼間から、この本について書こうと奮闘しているのですが、詳細を書いていると非常に大変で、これはもううまくまとまらないからかやめておこうという結論に至りました。

本当に大雑把に言えば、この方は、アメリカに仕事で赴任中に起こった心臓病を、アメリカの高度な心臓外科手術や的確な処置によって乗り越え、次々に起こる危機を数年にわたって克服し、無事日本に帰国したということです。

その間の出来事や治療方法、手術内容などが詳しく記されており、心臓病治療がどういうものであるのか、またアメリカの医療制度の日本との違いなどが、よく分かりました。

特に、医療保険が無いという点で、アメリカでは驚くべき金額の医療費が請求され、それを適宜支払うことによって医療行為が行われる、逆に言えば支払いができなければ医療行為は受けられないということで、その状況を知ることができました。

治療を受ければ、各医師やスタッフからそれぞれに請求書が渡されて払うことになるし、病院は1日も早く退院して、点滴や注射は自宅で患者が自分でするなども、やはり医療保険制度がないことで、日本とは違う状況となっています。

この人は、医療を受けるにあたり、英語力や経済力もあったことから、医師の説明を受けコミュニケーションをしっかりとり、また職場や近所の知人や妻などの協力のもと、良い治療体制が整えられて、困難な心臓病を乗り越えて来ることができたようです。

このような体験記は貴重なものであり、この本の巻末には知人医師の解説や感想なども書かれていました。また、奥さんの手記もところどころに入っており、ご本人のみならず周囲に関わる人の視点での記録も読むことができました。

難しいバイパス手術や、ICD(植え込み式除細動器)の役割り、ICDに起きる誤作動や、植え込みに伴う感染問題と対策など、心臓病治療が一筋縄ではいかないことがよくわかりました。

・・・

幸い、私にも私の周囲にも心臓の悪い人はいないのですが、冠動脈などが詰まらないように、食べ物や生活習慣にも気を付けたいものです。

なぜ、この本を読もうと思ったかといえば、以前、放送大学で「循環器の健康科学」というオンライン授業を受講したことがあり、少し関心があったからでもあります。

オンライン授業は教科書がないので、今となってはどんなことを勉強したのかよく覚えていないのですが、心臓は心房・心室などの血液の動きの仕組みは、なかなか難しくて理解できにくいものでした。

今回読んだ本で、心房細動は危険ではないが、心室細動は血液を送り出すポンプの役割を失うことで、即、命が危険な状況だと知りました。

放送大学では、運動が大切であり、心臓病になった人が治療後に運動を続けるか続けないかで、予後に大きな違いあるとのこと。運動を続ける人は健康を保てるということを習った記憶があります。1人で運動を継続することは大変なので、そういうプログラムのある場に継続的に参加することが有効だと言っていたと思います。

・・・

人は有益な情報収集をするとともに、周囲の人々と連携して歩んで行くことが重要ですね。

・・・

今回読んだこの本の著者である高松健氏は、著者略歴によれば、三洋化成工業の米国法人社長だった人です。

1999年に最初の心筋梗塞から闘病が始まり、2002年に退社。2006年にこの本が発行されています。
1937年生まれなので、御健在であれば84才ですね。
心臓バイパス手術(2001年)の時に、バイパスに使われた血管2本のうちの1本は動脈ですが、もう1本は静脈を使っており、静脈は動脈より長持ちしないとのことでしたので、それから20年経過した現在は、どうなられているか心配です。

この人の著書には、「少年期~レクイエムと初恋と~」というのがあるようなので、こちらも読んでみたいと思います。

 

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「獄中で聴いたイエスタディ」(瀧島祐介)

2021-08-11 23:23:59 | 読書

昨日この本の読書感想文を途中まで書いたのだけど、挫折しました。

色々書こうとすると、細部を再確認しなくちゃいけなくなり、難しいことに気づいたのです。

例えば、この瀧島祐介という著者は、犯罪を犯して警視庁に留置されていたときに、大麻所持で逮捕されたポール・マッカートニーといっしょになり、そこで、イエスタディを歌ってもらうという体験をしたのですが、それがどういう状況でそうなったのか・・・というのをこのブログを読んでくださる皆さんに説明しようとすると、なんかすごく長くなってしまうのです。

ですから、そういうことは全部省かないと書けないということがわかりました。

簡潔明瞭に書くと言うのは難しいことですね~

・・・

瀧島祐介という人は、元ヤクザで、ポール・マッカートニーよりも3歳くらい年上になります。拳銃の密輸のことで仲間の裏切りにあい、その人を銃殺してしまい、懲役15年になりました。

それ以前にも驚くような極道な行いを繰り返してきた人でした。

その人が、留置所でポール・マッカートニー(37歳)と言葉を交わし、歌を聴かせてもらい、また、サインももらったことで、それを心の支えとして長い懲役刑を終えてシャバに出た後、更生することができたということです。

ポール・マッカートニーは、日本で留置されていたときの体験談として、刺青を入れたヤクザと交流があったことを話しており、著者のことを記憶していることがわかりました。

それで、ヤクザから足を洗った著者は、ポールに合いにデンマークまで行こうとしますが、公演が中止になったりし、やっと日本の公演を聴きに行けたのがポールが71歳、瀧島が74歳の時でした。

公演のあとも一言お礼が言いたいとポールとの接触を試みますが、会うことはできず、著者がポールの車に向かって横断幕を見せ、ポールがそれを見てくれたかもしれなかった、ということです。

著者は、日雇いの仕事や農業などをして暮らしています。

ここで、この瀧島という人が自分の人生とポールの人生を並行して、よく考えたりしています。

それぞれに、様々な人生の岐路や出来事がありました。(これもとても重要な内容ですが、書くときりがないので割愛します。)

著者が更生するのには、ポール・マッカートニーとの出会いも重要でしたが、著者を逮捕したときの警察の人の助けや助言、また妻や友人の助けもあったおかげだということです。

・・・

この本が出版されたのは2015年で著者は76歳だそうで、今現在は2021年なので82歳。御健在であってほしいですね。

ポール・マッカートニーについては、私は、ビートルズの一員ということしか知らなかったのですが、イエスタディを作ったのは彼であり、これは失恋の歌ではなく、母親が突然亡くなってしまったことを歌っているのだと聞いたことがあります。

ビートルズの中ではポール・マッカートニーとジョンレノンの2人が甲乙つけがたく音楽の才能が有ったと言われていますが、ジョン・レノンは早くに亡くなってしまい、晩年まで音楽活動やその他の活動を続けてきたことでは、ポールが一番活躍してきたと言えるでしょう。

ビートルズのことは、あまり知らないので、これから色々知っていきたいと思います。

・・・

この本を読もうと思った理由は、瀧島祐介氏という人が、最近私がyou tubeでよく見ている動画の懲役太郎=懲役猫太郎と似ていると思ったからです。どちらも獄中経験のある元ヤクザで更生した人だからです。

また、放送大学で「ビートルスde英文法」という科目を履修してビートルズにも興味を持っていたため、2つの興味をミックスして満たしてくれる本でした。特に、ポール・マッカートニーについては、色々と知ることができて良かったです。

 

 

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「辞めたいと思っているあなたへ」(木村盛世)

2021-08-01 18:29:33 | 読書

木村盛世さんというのは、テレビに時々出てくる感染症の専門家です。元厚生省の人で空港の検疫官などもしてきました。

この人は、初めて見たときに、「ずばっと意見を言っていて、態度がでかい人だな」と思ったことがあるのですが、夫が言うには「意外に正しいことを言っていて、いい人なのだ」とのことで、「へえそうなのか?」と思ったことがあります。

この人がyou tubeで新型コロナのワクチンについて話しているのをたまたま見たところ、長期的副反応等わからないことはわからない、とはっきり言っていたので、嘘のない人だなと感じました。

you tubeでの他の動画では、日常的には明るく楽しいイケイケおばさんみたいな感じであり、イケメンの若い医師といっしょにワクチン接種の仕事をしてきたなどという動画もありました。

それで、この人の著書でも読んでみたいと思いました。

著書は何冊かあり、最近は新型コロナについての新刊も出しているようです。また、以前のものでは、「厚生労働省崩壊」や「厚労省と新型インフルエンザ」という著書もあるようでした。厚労省に関するものでは、以前のものであっても現在の厚労省の体質の問題点も見えてきそうです。それで、どれでもいいから読んでみようと思って図書館で探してみました。

すると、そこにあったのは「辞めたいと思っているあなたへ」という2011年に発行された本だけでした。

この本を読む人は、おそらく仕事を辞めたいと思って悩んでいる人ばかりでしょう。あまり多くの人が読んだ形跡もなさそうでした。

私は仕事を辞めたいとは思っていないので、普通ならこのようなタイトルの本を今選ぶはずもないのですが、とにかくこれしかなかったので、この人の著書を読んでみようと思って、これを借りて読んだのです。

・・・

この本が書かれたときは、木村さんはまだ厚生省に勤めていた時で、元々厚生省の体質とは肌が合わなかったようです。組織内の意見とは違うことを言うと阻害されたり、本を出せば嫌がらせをされたり、厚労省から空港へ左遷されたりと、色々悩むことが多く、ついには精神科にかかるような状態になってしまいました。

ただ、厚労省がこの人を必要としていないわけではないし、辞めたからと言ってすべてがバラ色の状況になるわけではない。組織を内部から変えるのは大変なことだが、だからといって異質な人が出ていけば良いというものでもない。

組織になじめず悩みを抱えている人は、仕事以外に打ち込めることを見つけたり、自分の味方をみつけたり、心の持ち方や生活習慣など、様々な対処方により、抑うつ状態から抜け出す方法がある。
また、人生の問題は職場だけではなく、家庭や様々なことがあり、人はみなそういう中で生きている。

実体験をもとに、対処法などが書かれていました。医師としての肉体や精神に及ぼす科学的説明も織り交ぜてわかりやすいものでした。

それは、大変参考になりました。

なによりも、読み始めたときから感じたことは、文体が簡潔でわかりやすく、読みやすいものでした。

・・・

これを読んで、私自身も自分が組織の歯車であることを感じ、それが組織の中での存在理由であることを感じました。以前は意見を言って摩擦を起こしたこともあり、現在は妥協して適当にうまく働いていると感じます。摩擦が発生したときは、組織にも問題があり、自分にも未熟さや自分本位な部分があったと思います。会社では、最近私が文句を言わなくなったと思っているかもしれません。

こんなアラカンはもうやめてくれてもいいのだけどと思われているかと思いますが、それでも利用価値があるので、居ても問題はないとして雇用を続けていてくれるのでしょう。

完璧な組織というのはないし、それに対して馴染めない人を内包することによって、その組織は、少しずつ変化することもあるのだと思います。

確かに自分の職場を見ていても、新しいことを提言する人などが居て、その人の意見を取り入れたり却下したりしつつ変化したり進化したりしていると感じます。

・・・

もし、仕事での居心地が悪すぎる人は、趣味などを見つけて居心地のよい場所を他に見つけるのが良いと思うし、とにかく物事を一面的に見ないで、多様性をもって対処したほうが良いということかなと思いました。

 

 

 

 

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図書館へ

2021-05-15 18:53:41 | 読書

1か月近くも返却を延滞している図書館の本を返しに行くことにした。

2冊のうちの1つは1日で読み終えたが、もう1冊が半分くらいで止まったままなのだったのだ。これをなんとか読み終えてから返そうと思っていたが、どうにも後半が進まなくなった。

この本の著者は80代の方であり、人生経験などを書かれているのだが、やはり私には、老熟しすぎていると言える。いくら人生の師とはいえ、大部分の道を歩み終えた人の語ることを、これからまだ色々行動したいと思っている自分が参考にするのは、いかがなものか?

そうだ、何も今無理に読むことはなかろう。あと10年後でも良い。

そんなわけで、とにかく2冊を返しに行った。そして、次に借りる本を探した。

この頃、気になっているのは「万願寺」のことである。先週、日野に一里塚を見に行ったのだが、その地名が「万願寺」というものの、「万願寺」というお寺はない。

では、どこか別のところにあるのだろうかと思ったが、秋田や京都にも地名はあるみたいだが、寺がない。寺の名としては「満願寺」という字ならあるのかもしれない。

なんでもいいから「万願寺」にちなんだ本でも借りようかという思い付きで、図書館の機械で検索してみたが、画面に出てきた本と「万願寺」という言葉の関係性さえ今一わからず(タイトルではない)、しかも行った図書館には無いようなのであきらめた。

その他に「一里塚」なんてのを検索してみたが、そんな題名の書物はなかった。

著者でもタイトルでも、単にその言葉が入っている本であって、内容は何でもよいのだ。
縁があったということで借りようとしたのだが、残念ながらなかった。

それでは、書棚を眺めながらインスピレーションで本との出会いを決めよう。

「道」、自転車に乗っている少年の絵。よしこれだ。

まずは小説を1つ選んだ。

2冊目が全然決まらない。ぐるぐると図書館の中を回る。
ルポルタージュや随筆。随筆ってそんなに重要なことは書いてないもんだよなあと思う。

あっ「知覧」という文字の入ったタイトルの本を見つけた。
「知覧」という地名が九州にあるということは、「知覧茶」で、つい最近知ったことだ。
日本の名前じゃないような名である。

ということで、「道」と「知覧」の入った題名の本を選んで帰ってきた。

さて、これらの本は読み終えることができるかどうか?

 

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「岡野薫子」さんの著書

2021-04-22 23:27:07 | 読書

今、「この世は一度きり」という本を読んでいる最中である。

この頃、自分が還暦を過ぎてから、余生について考えることが多くなった。

特に、実家の母が89歳になり、もうすぐ90歳になろうとしていることからも、人の寿命ということをよく考えるようになった。母と自分との年齢差は30年もないので、これからの30年なんか、きっとあっという間なのだろう。残された人生を有意義に生きなくてはいけないなあと思い、図書館では、このような本を借りてくることが多くなったのだ。

ところで、この本の著者である「岡野薫子」さんという方について、本の裏表紙を見てみると、1929年生まれであり、wikiで調べると、現在は92歳で、御健在である。

ああ、うちの母よりも年上だけど、健在でよかったと思ったのだ。

それから、裏表紙のプロフィールを読んだら、なんとこの人は「銀色ラッコのなみだ」の作者なのだった。

私は小学生のときに「銀色ラッコのなみだ」を学校の図書館で借りて読んだことを覚えている。今では内容をすっかり忘れてしまったのだが、当時はかなり感銘を受けた本だったと思う。

そして、当時、図工の授業で自分が読んだ本の場面を版画にして描くというのがあったのだった。そのとき、私は、船の上で男の人が銀色ラッコを抱き上げている絵を版画にした。

きっとその場面で感動したのだと思う。

ところが、実は、私は当時「ラッコ」というのがどういう動物なのか見たこともなかった。
海の中にいるアザラシのような動物だろうとは思ったが、アザラシとは姿も習性も違うことは知っていた。海に仰向けに浮かんで貝を抱いたりするのだというのは、その物語の中で知ったことである。

それで、船の上でラッコを抱いている人と、ラッコの顔はその人のほうに後ろ向きになっているように描いたので、まるで何かにくるまれた赤ん坊のようになってしまった。その版画を見て、それをラッコだと判別できる人は皆無だったに違いない。

私がこの本を読んだのは1970年くらいだったと思う。ラッコについては図鑑でも見ればわかったことかもしれない。ちなみにこの作品ができたのは1964年らしい。

そして日本で本物のラッコを見ることができるようになったのは、今調べると1982年だったようだ。静岡県の水族館「三津シーパラダイス」で初めてラッコの飼育が始められ、その時はかわいいラッコの姿がテレビでも大々的に紹介され、私は初めてラッコの姿を見たのであった。

それまでは、世間ではラッコという動物については、ほとんど関心が持たれていなかったと思うが、それによって誰もが知るような人気のある動物になった。
私は子供のときに本を読んだことがあるなあと思い出していた。

その後、日本の色々な水族館で飼育されるようになったが、今また数が少なくなり、ラッコは自然界でも絶滅危惧種になっているそうである。

「岡野薫子」さんが、昔、こんな物語を書いてくれていて、それを子供だった自分が読んでいたという偶然は驚きであった。

この人の書いた本によって育てられ、そしてまた今人生の道標としてこの人の著書を読もうとしているのだ。

本の裏表紙には、またこの人の著書として「ヤマネコのきょうだい」が載っていた。この本も知っている。私が物心ついたころから実家にこの本があったのである。それは5歳年上の姉のために買ったものであろう。

だから、きっと自分も読んだと思うのだが、内容は覚えていない。

「ヤマネコのきょうだい」も「銀色ラッコのなみだ」も「岡野薫子」さんの著書だったんだ、と今初めて知ったのだった。

岡野薫子さんは、「銀色ラッコのなみだ」でサンケイ児童出版文学賞、NHK児童文学奨励賞・動物愛護協会賞を受賞し、「ヤマネコのきょうだい」で野間児童文芸推奨賞を受賞している。その他にも自然と人間をテーマにした作品を書いているそうだ。

うちの家族は昔から動物が好きだったので、自然にこういう本を選んで読んでいたのだと思うが、還暦になってまた同じ人の著書に偶然に出会い、そのことに気づいたというのは、ステキな出来事だなと思った次第だ。

 

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「淳 jun 」(土師守)の読後感

2021-04-13 14:48:11 | 読書

土曜日に図書館から借りて来た本を、日曜に読み終えました。

これは、1997年に起きた神戸連続児童殺傷事件の被害者「淳君」のお父さんの手記です。

この事件は、当時日本中を震撼させ、誰もが知っている事件ですが、私は自分の子供が同年代ということもあって、より一層ショックを受けた事件でした。

この度、この本を開いてみると、まず淳君の0歳~8歳までのカラー写真が載っていて、それは目のぱっちりしたかわいい男の子でした。

上には3歳違いのお兄ちゃんがいて、2人目は女の子が欲しいと思っていたので、小さいときは赤っぽい服を着せたりしていたそうです。

淳君は少々言葉の遅れがあり、軽度の知的障害があったそうですが、明るく心の優しい少年で、普通の子供と同じように日常生活を送っていたそうです。

水泳が好きで、機関車トーマスが好きで、歴史もののテレビドラマが気に入っており、それから歌も好きでした。

淳君は1986年2月10日生まれだったことがわかりました。我が家の長女は1985年11月生まれです。淳君と同じ学年だったということがわかりました。

そういえば、うちの子供も3歳からプールに通っており、小さいときは機関車トーマスが好きでよく見ていました。絵本も買いました。全く同年代です。
うちの娘は今35才です。淳君も生きていたらそんな年齢になっていたということです。

淳君が突然行方不明になったのは、6年生の時の5月24日でした。おじいちゃんの家に行くと言って出たきり帰ってきませんでした。

それから家族は睡眠も食事もできない状態で、血眼になってあらゆるところを探し回りました。警察や学校関係・近所の人・親戚の人も必死に探しましたが何の手掛かりもなくその後2日が過ぎました。

ある日突然自分の子供が行方不明になって、消息がわからないなんて、家族は本当にいたたまれないと思います。それでも、まだどこかで見つかるという希望はありました。

しかし、27日に殺人事件の犠牲になっていたことが判明しました。(詳細は残酷すぎて、とてもここに書けるような内容ではありません。)

それからしばらくは犯人を逮捕することができませんでしたが、その年の8月に近所に住む少年Aの犯行であることが証明され逮捕に至りました。

少年は、以前から淳君と知り合いで、カメの好きな淳君にカメを見に行こうと言って誘い、犯行に及んだということです。(淳君は以前自宅でカメを飼っていましたが、ほどなく死んでしまったので、少年Aの家で飼っているカメを見に行ったことがあるそうです。)

当時、加害者の行った無残な行為については、誰もがショックを受け、それが14歳の少年の犯行だったことにも驚きと恐怖を覚えました。こんな不気味な事件はいまだかつてなかったと思います。

当時、一般人はそういう恐れだけがあって、毎日テレビの報道を見ていたと思います。

その時、被害者の家族の立場になって物事をどれだけ考えることができたでしょうか。

かわいそう、気の毒だ、とは誰しもが感じたことですが、それよりもこの異常な犯人像に関心が向けられて、毎日テレビにくぎ付けになっていたと思います。

殺人事件が発覚してからは、警察の動きがより激しくなり、マスコミも押しかけてきました。
土師守氏によれば、犯人がわからない時点では、警察は家族のアリバイまで精密に調べたそうですが、それは一貫して公正なものであり、あくまでも真実をつきとめるためのものだったということです。また、自宅に待機してくれた警察は、買い出しやマスコミ対応もしてくれたということでした。土師氏は警察に対してはこの手記の中で感謝の気持ちを綴っていました。

一方、マスコミというのは、容赦なく私生活に踏み込んできて、ある時は親を犯人扱いにしたり、いきなり車の前に立ちふさがって写真を撮影したり、我が子を亡くしたばかりの親にマイクを向けたりと、あまりにもひどい行為を繰り返しました。

また、週刊誌などには事実とは違うことが、さも事実のように書かれたそうです。
また、被害者の住所氏名が公開され、家族の職業や勤め先までもが世に知らされたので、一般人からも心無い電話や手紙が来たりしました。

この手記を読んで、事件の被害者になった家族は、大切な家族を殺されたというだけでも。耐えきれない苦しみの中に置かれているというのに、さらに個人情報が暴露され、有ること無いことを全国に発信され、そのマスコミの攻撃とも戦わなくてはならないという状況を本当に気の毒に思いました。

また、事件についてですが、犯人が人の命を奪い、こんなに重大な事件を起こしておきながら、未成年ということで、罪の償いも刑の執行もないのはおかしいのではないかということです。誰も責任を取らないということになります。

犯人本人が14歳で責任能力がなく、少年が更生して将来生きていけるように、名前も伏せられて配慮される一方、被害者側は個人情報が暴露されてどこに行っても何年経っても人々の注目に置かれます。

犯人が未成年で責任が取れないからといって、犯人の親が取るわけでもないです。

犯人の家族は、それはそれで自分たちのことで大変でしょうけど、犯人である息子のことを心配する気持ちが大きく、自分たちの育て方が悪かったのかと息子に対して償いの気持ちをもったりしているようです。
そうすると、命を失わされた被害者のことは、二の次になっている感が否めません。

土師守氏は、病院に勤める放射線科の医師であり、事件に際して仕事を休んだり、休職中の患者さんの手配をしたり、また仕事に復帰するなど、仕事の面でも大変な対応をしなければなりませんでした。

淳君の遺体確認のときには、母親にはとても見せられない姿で、父として医師としてその役割を果たしたというのが印象に残りました。

残されたお兄ちゃんに対する気配りや、助け合う親戚など、当事者が書いていることなので、よく理解できました。

私は、この本の中のシーンで印象に残ったものがあります。

それは、息子の淳君を失ったあとで、筆者がNHK連続ドラマ「あぐり」を見ていると、母親のあぐりが「じゅーん、じゅーん」と息子を呼ぶ場面があり、まるで自分の息子の淳くんのように感じたそうです。

「あぐり」は吉行淳之介さんのお母さんの話です。漢字も同じ「淳」なんですね。

ああ、そういえば、子供が小さいころ、我が家でも「あぐり」を見ていたなあと思いました。

それから、淳君は「つばさをください」という歌が大好きだったそうです。この歌は筆者の土師守氏が若いころに流行した歌ですが、その歌をどうして淳君が知っているかというと、小学校の音楽の教科書に載っていたからだそうです。

私も、土師守氏と同様に、自分が小学校の高学年の頃にこの歌が流行って知っていたと思うのですが、これが自分の子どもの世代に、小学校の教科書に載っているとは知りませんでした。

あの歌は私も好きな歌でした。

淳君は6年生の5月に亡くなってしまいました。

その時の小学校の校長先生が、偶然にも土師守氏が小学校の時の担任の先生だったそうです。それは、事件をきっかけにしてお互いに思い出しわかったことでした。

そして、3月になり小学校の卒業式が行われましたが、淳君も卒業生として名前が呼ばれ卒業証書を授与したそうです。しかし、他の子供が受け取るときと違って本人の返事の声がなかったのが、やはり悲しい現実でした。淳君の学友が代わりに受け取ってくれたそうです。

そうして、卒業式に淳君の好きな「翼をください」が合唱されました。

こういうエピソードは、当事者の方が書いたことであればこそで、けっして他人には書けないことだと思いました。

この手記は新潮社の出版でした。

・・・

この事件について、当時の子供が大人になるような年月を経て、事件全体のことをもう一度振り返ったり、加害側のことも考えたりしますが、被害者の方のことも決して忘れてはいけないし、知らなかったことや、マスコミによって印象付けられていた嘘の報道なども、正しい認識をし直さないといけないと思います。

そしてまた、今現在も様々な情報がマスコミによって発信されています。
今現在は、新型コロナのことや、小室圭さんのことなどしきりに報道されていますが、それが本当に真実といえるかどうか、惑わされないようにしたいと思いました。

・・・

結局、どうしても長々しく支離滅裂になってしまいましたが、読後感として残しておきたいと思います。(今日書いたものは4月12日に書いた「淳 junを読んで」の続きとなります。)

 

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「淳 jun」を読んで (序)

2021-04-12 07:44:55 | 読書

この本は、1997年に起きた神戸の児童連続殺傷事件の被害者「淳君」の父親である土師守氏が書いた手記であり、事件の翌年に出版されている。

私は今年の2月に、たまたま図書館で「少年Aを生んで」という、この事件の加害者家族の立場からの状況を綴った本を見つけて読んだところだった。

その時に、被害者となった土師淳君ともう一人の女児のご家族も手記を出していることを知り、いずれはそれも読むべきだと思っていたが、それを読むのは気分が重くなりすぎると感じ、進んで行動には移さなかった。

しかし、昨日図書館で無意識に借りる本を探していたところ「淳」という背表紙が目に入ったのである。著者名が「土師守」であったので、被害者「土師淳」君のお父さんの手記であることがすぐにわかり、この本を借りることにした。

借りた夜から読み始め、翌日の午前中には読み終えた。それは、「少年Aを生んで」を読んだときとほぼ同じ早さだった。

事件は世間に知られているように想像を絶するような残酷なものであった。
小学校6年生の土師淳君は、ある日突然行方不明になり、家族や周囲の人が血眼になって探し、警察も全力を尽くしたが、結局無残な姿となって発見された。

そして、犯人は以前から淳君と交流のあった近所の中学3年生だったことが判明した。

この犯人Aの異常さは世間にも知られているところである。

しかし、この本では犯人A自身に関しては、あまり詳しくは記されていない。ただ、淳君が3年生のころにAからいじめを受けており、殴られたりして小学校に行きたがらなかったことがあったという。加害者・被害者という関係性が以前からあったのだった。

だが、加害者側(Aの母)は、自分の息子が暴力をふるってけがをさせたことを知っても、誤りもしなかったというし、土師守氏の手記によれば、この母親の言動は淳君行方不明から犯人発覚までの間にも常識を外れた面が目立っていたとのことであった。(淳君不明のとき、土師家の電話番に来てたまごっちで遊んでいた。買い物を手伝うと言ってやって来て刑事が何人来ているかを詮索。お通夜の時に淳君の母親に心無い言葉を発言。等)

これは、「少年Aを生んで」でも、母親の存在や育て方が少年Aの人格形成に大きく影響していたのではないかということで一致していると感じた。

「淳」では、不思議に父親については何も言及されていなかった。関わりがなかったので、どういう人かも知らなかったからなのだろうか。

「少年Aを生んで」の内容と「淳」を時系列で照らし合わせれば、同じ時に被害者と加害者がどのような状況に置かれ何を思っていたかがわかるわけだが、手元に本がないのでそれができない。

被害者側は、加害者の家族が息子のしたことに気づかなかったはずがないのではと思っているが、Aの家族は本当に気づいていなかったようだった。

事件の真相発覚後、淳君側では、加害者側から謝罪の一言もないと憤っているが、加害者側が土師さん側に謝罪したい気持ちが無かったわけではなく、しようにもできない状況だったという事情が「少年A」のほうには記されていたと思う。

そして、それには加害者側にも被害者側にも、とにかくマスコミが四六時中押しかけてきて、それから逃れるために何も身動きができない状況が続いていたということだ。

また、知らない人間からの嫌がらせや暴言などもひどかったという。

事件を種に、容赦なく個人の中に立ち入ってくるマスコミは全く非道なものだと思う。

土師氏は本の中で「蹂躙する」という言葉をよく使っていたが、まさしくそうである。

今回「淳」を読むときには、2か月前に読んだ「少年Aを生んで」の内容を思い浮かべながら読んだので、どうしても先に読んだ記憶が下地になっての印象が生まれた。

その点では、白紙状態で読んだ場合とは違っていたかもしれない。

ここまで、つらつらと思うことを書き始めてしまったのだが、重要なことはまだほとんど書いていない。本当は「淳 jun」の内容だけに対しての読書記録を書くべきだと思い、実際書くべきことや、思うことも多々あるが、多々あるがためになかなか簡単には書けない。

これ以上は、長くなってしまうので、改めて別の記事に書き直すことにする。



 

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図書館へ

2021-04-11 00:38:55 | 読書

前回図書館で借りた本が、3週間近くも返却期限を過ぎていた。
3冊はエッセイの単行本で、1冊は料理雑誌だ。
エッセイのうち2冊は、半分以上は読んでいるのだが、その先がなかなか進まず、気が付けば週末になっているという状態だった。

なんとか1冊だけでも読み終えて返したいと思い、今日は午後から読書を始めたが、とにかく早く読み終えようと気が急くばかりで、内容が全くアタマに入らないのである。

1冊読み終えたら、読後感想くらいは書いておきたいものだが、これではとても無理だ。
思い切って返却することにした。
延長して借り直してくることもできるが、そのうちの1冊は前回も延長したので、いいかげん恥ずかしいなと思うのだった。

・・・

図書館に着き、4冊を普通に返却した。
再度借り直すならば返却時に言わないと、すぐには本棚には戻らないから借りることはできなくなる。

内容が嫌いだったわけではないので、未練があるが、まあいいや、いつでも借りられるし‥と思って返した。

・・・

そして、次に借りるものを探す。
何の当てもない。図書館での偶然の出会いに任せることにしている。

この頃は、料理のレシピとエッセイを借りることが多い。
料理雑誌コーナーを見ると、貸出不可の新刊以外には、めぼしい内容のものはなく、借りるのはやめた。

次に、普通の書棚に行き、小説なども一通り題名を眺めて歩いたが、やはり長編は無理なので、短編集かエッセイのようなものに興味が向いた。

どうも毎回欲張ってしまい、絶対に読めないのに3冊以上も借りたりしてしまう。
そうしてやっぱり読めずに返すことになる。

同じ間違いを繰り返さぬよう、1冊だけ借りて、それを読み終えたらすぐに次を借りればよいではないかと思う。

しかし、今回も2冊を選んだ。

私はどうもフィクションには気合が入らない。小説などは絵空事だ。どうせ人が作り出した架空の物語である。

今、私が求めているものは、人生の中の還暦という年齢で、何か教えを受けたいのである。
自分にとっての水先案内人のような人が欲しいのである。
それは、その人の日常生活や考え方、生き方などが書いてあって、なるほどと共感できる内容に遭遇したいのである。

ところが、なかなかそういう内容のものには出会えないのであった。
そういう本はとてもたくさんあるのだが、自分にぴったりの筆者というのはなかなか見つかるものでははないと感じている。

だが、本は何万冊もあり、きっとどこかに私が求めるものがあるに違いない。
だから、図書館での本との偶然の出会いを期待しているのだ。

そうやって、興味のあるタイトルや思い当たる著者などの本を棚から取り出してパラパラめくり、、一部分を読んでみたりして、ピンとこないもの、ちょっと違うなと思うものは本棚に戻した。

1冊エッセイを選んで、1冊は、ある事件の被害者の手記を選んだ。

また頓挫するかもしれないので、具体的な本については、読み終えた場合に書くことにする。

・・・

今日は、自分が読みかけた本を読み終えたい、というけじめは達成できなかったけど、図書館の滞納は解決できた。

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“「少年A」この子を生んで… 父と母 悔恨の手記” 読書録

2021-02-06 23:32:54 | 読書

図書館の棚の中に、ふとこの本をみつけて借りて来た。

「少年A」とは、1996年に起きた「神戸連続児童殺傷事件」の当時14歳だった犯人のことである。
この事件は、いまだかつてない猟奇的な殺人事件であり、さらに犯人が中学3年生だったということで、今でもその当時の衝撃は忘れることができない。そして、1999年に、この本が出版されたが、当時は特に読もうとは思わなかった。

図書館のこの本は、年数も経ってはいるものの、確かに多くの人に読まれたであろうページの汚れや乱れが見受けられた。

この本を手に取ってみて、それがその少年の父母の手記であることに注目した。そんなに自分と変わらない年齢のはずであり、親としての心境はどんなに辛いものなのだろうかと思った。

そして、昨夜から今日の昼までに一気に読み終えた。

この少年は、私の子供よりも3歳年上であり、この少年の下に2人の弟がいたことがわかった。そうすると、うちの子たちは、この家の下の子たちと同じくらいの年代である。

そして、殺された児童たちもまた、同じような年齢だったので、当時は他人事ではなく感じたのも当然だ。

少年の両親は、少年が起こしていた事件について、その犯行の前にも後にも、少年Aには、その気配や普段と変わった様子さえまるでなかったために、全く気付いていなかったということだ。殺害された少年淳君は、末の弟の友達だったそうだが、まさかAがしたとは思いも及ばなかったという。

しかし、Aは小6の時に万引きをしたことから始まり、中学になってからは、次第に暴力などの問題を繰り返すようになり、友達にケガをさせたりしたため、母親は何度も学校に呼び出されて対処したりしていた。そして、児童相談所に通ったりしており、最後の事件を起こす頃には不登校となっていたそうだ。あとになってみれば、予兆は確かにあったと言える。

動物を殺したり物を万引きしたりは親の知らないところでエスカレートしていた。

精神異常ではないというが、精神的な歪みがあったことは確かである。

人の痛みを察することができなかったり、人や動物の命を物体としてしか捉えられないなど、生まれながらにしての異常性もあるだろう。知能指数が70で正常範囲とはいうものの、これはちょっと低めであり、成績も悪かったそうだ。そのため、何らかの思考回路の欠如などがあったかもしれない。

また、Aは母親が好きなのに、強い憎しみも抱いているという部分では、年子で弟が生まれて母親の関心が弟にむけられたこともあり、小さいうちから愛情不足になっていたと考えられる。

そして、Aが弟をいじめると、母親が「自分より小さい子を虐めてはいけない」と言って、お尻を叩いて叱ったという。小さいころはそういう日常が続いていたそうだ。祖母はAに対して優しかったが、祖母が亡くなった後、Aはさらに疎外感を感じたのかもしれない。

さらにAには、直観像素質の力があり、目で見たものを像としてそのまま記憶してしまう能力がある。自分の興味のあるものであれば、書物のページの文章をそのまま記憶してしまうし、写真なども記憶できるのであろう。私が思うには、このような場合、ホラー映画や残虐シーンなども一般人より強く脳裏に焼き付いてしまうので、子どもの時代にそういうものを見ると悪影響があるかもしれないと感じた。

色々なことが重なって、不幸にもひどい事件を起こすことに至ってしまい、残念なことだ。

この事件を機に、弟たちは両親から離れて遠くで暮らしたり、両親も戸籍上離婚したりなどして、もう同じ場所で普通に生活を続けることはできなかった。

両親は、なぜこんなことが起きてしまったのか、どうしたら良いのか、どうしたら加害者側として償えるのか、というところで何も解決されないままこの本は終わっている。

・・・

その後、少年はどこまで更生できたのか。懲役は13年であり、府中の関東少年院に収監されていた。その後東北のほうに移送されたりもしたらしいが、出所して既に12年が経っているそうだ。

出所後も世間に取り上げられたことがあった。それは少年Aが「絶歌」という本を大田出版から出すという問題だった。その収入を少年Aが得ると言うことの問題、また犯行を犯したAの本質は変わっていない等の情報が飛び交っていた。
そして、現在のAの姿などという記事も週刊誌に出たりしていたようだ。

今回読んだ本の中には、事件直後、自宅に押しかけるマスコミのことが書かれていた。
家族は、そういうマスコミに恐怖を感じ、すべてやり過ごさないといけなかった。
この本は「文芸春秋」社のものである。
その印税は被害者への補償にしたとのことである。

少年Aの出所後の姿が撮影され、それを載せていた週刊誌は、「週刊文春」である。
これも文芸春秋社の出版物であり、それは事件後に容赦なく押し掛けたマスコミの態度と変わらないように思える。
マスコミは、いったい何を伝えようとしているのだろうか。

この事件については、被害者(淳君・彩香ちゃん)のご家族の手記の出版物もあり、その人たちの発信も読まなければ、いけないように思った。

しかし、この事件に関する内容を読めば、少なからぬストレスがのしかかってくるのはわかっているので、読むのには覚悟がいる。

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償いの流儀(神護かずみ)

2020-09-27 11:19:10 | 読書

「償いの流儀」(神護かずみ)という小説を読みました。

これは、たまたま図書館の新刊コーナーで見つけたもので、小説名も作家名も全く知らないものでした。新刊の小説ってすごく人気があると思うので、すぐに誰かが借りてしまい、リクエストしてもなかなか回ってこない物が多いと思います。新刊コーナーには、あんまり面白くなさそうな専門書などが残っていることが多いので、小説があるのは意外でした。ちょうど届いたばかりだったのかな?

私は世事に疎いので、現在の世間の情報にはついていけない人間です。たまたま、この新刊本をみつけたので、だったら借りてみようかなと思いました。

また、ざっと著者の概要を見てみると、1960年愛知県生まれ、國學院大学卒業後、花王に35年勤務。1996年デビュー。……

ということで、私と同じ年齢のオバサンだと言うことを知り親近感を持って読んでみようと思ったのです。

それで、数日間すごし、はっと気づくともう返却日が過ぎている!あわてて読み始め、一晩で読み切った次第です。

・・・

これは、なかなか面白かったです。読んでいるうちに、これってサスペンスなのね、推理小説だったのね、と気づきました。

テレビドラマ化したり映画化したらどんなに面白いことでしょう。

そういえば、この作者の神護かずみさんって、昨年江戸川乱歩賞を取ってるんだからやっぱリそういう分野ですよね。それに、この本の表紙も黒っぽい怪しげな絵だし、タイトルも犯罪のイメージが強いわけで・・・

何も考えずに借りてきた自分がどんだけ鈍感なんだか。

まあ、とにかく、物語の展開を知りたくて、どんどん読み進まなくていられなくなる作品でとても楽しめました。

「神護かずみ」さんをgoogle検索してもwikiが出てこないです。Wikiに載ってるかどうかわかりませんが、それほど有名ではなく、人気作家ってわけではないんでしょうね。

でも、なかなか面白かったので、江戸川乱歩賞を取った作品「ノワールをまとう女」も読んでみたいなと思いました。

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