山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

「岡野薫子」さんの著書

2021-04-22 23:27:07 | 読書

今、「この世は一度きり」という本を読んでいる最中である。

この頃、自分が還暦を過ぎてから、余生について考えることが多くなった。

特に、実家の母が89歳になり、もうすぐ90歳になろうとしていることからも、人の寿命ということをよく考えるようになった。母と自分との年齢差は30年もないので、これからの30年なんか、きっとあっという間なのだろう。残された人生を有意義に生きなくてはいけないなあと思い、図書館では、このような本を借りてくることが多くなったのだ。

ところで、この本の著者である「岡野薫子」さんという方について、本の裏表紙を見てみると、1929年生まれであり、wikiで調べると、現在は92歳で、御健在である。

ああ、うちの母よりも年上だけど、健在でよかったと思ったのだ。

それから、裏表紙のプロフィールを読んだら、なんとこの人は「銀色ラッコのなみだ」の作者なのだった。

私は小学生のときに「銀色ラッコのなみだ」を学校の図書館で借りて読んだことを覚えている。今では内容をすっかり忘れてしまったのだが、当時はかなり感銘を受けた本だったと思う。

そして、当時、図工の授業で自分が読んだ本の場面を版画にして描くというのがあったのだった。そのとき、私は、船の上で男の人が銀色ラッコを抱き上げている絵を版画にした。

きっとその場面で感動したのだと思う。

ところが、実は、私は当時「ラッコ」というのがどういう動物なのか見たこともなかった。
海の中にいるアザラシのような動物だろうとは思ったが、アザラシとは姿も習性も違うことは知っていた。海に仰向けに浮かんで貝を抱いたりするのだというのは、その物語の中で知ったことである。

それで、船の上でラッコを抱いている人と、ラッコの顔はその人のほうに後ろ向きになっているように描いたので、まるで何かにくるまれた赤ん坊のようになってしまった。その版画を見て、それをラッコだと判別できる人は皆無だったに違いない。

私がこの本を読んだのは1970年くらいだったと思う。ラッコについては図鑑でも見ればわかったことかもしれない。ちなみにこの作品ができたのは1964年らしい。

そして日本で本物のラッコを見ることができるようになったのは、今調べると1982年だったようだ。静岡県の水族館「三津シーパラダイス」で初めてラッコの飼育が始められ、その時はかわいいラッコの姿がテレビでも大々的に紹介され、私は初めてラッコの姿を見たのであった。

それまでは、世間ではラッコという動物については、ほとんど関心が持たれていなかったと思うが、それによって誰もが知るような人気のある動物になった。
私は子供のときに本を読んだことがあるなあと思い出していた。

その後、日本の色々な水族館で飼育されるようになったが、今また数が少なくなり、ラッコは自然界でも絶滅危惧種になっているそうである。

「岡野薫子」さんが、昔、こんな物語を書いてくれていて、それを子供だった自分が読んでいたという偶然は驚きであった。

この人の書いた本によって育てられ、そしてまた今人生の道標としてこの人の著書を読もうとしているのだ。

本の裏表紙には、またこの人の著書として「ヤマネコのきょうだい」が載っていた。この本も知っている。私が物心ついたころから実家にこの本があったのである。それは5歳年上の姉のために買ったものであろう。

だから、きっと自分も読んだと思うのだが、内容は覚えていない。

「ヤマネコのきょうだい」も「銀色ラッコのなみだ」も「岡野薫子」さんの著書だったんだ、と今初めて知ったのだった。

岡野薫子さんは、「銀色ラッコのなみだ」でサンケイ児童出版文学賞、NHK児童文学奨励賞・動物愛護協会賞を受賞し、「ヤマネコのきょうだい」で野間児童文芸推奨賞を受賞している。その他にも自然と人間をテーマにした作品を書いているそうだ。

うちの家族は昔から動物が好きだったので、自然にこういう本を選んで読んでいたのだと思うが、還暦になってまた同じ人の著書に偶然に出会い、そのことに気づいたというのは、ステキな出来事だなと思った次第だ。

 


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