ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

13/03/13 ノートの裏表紙に描いた絵が本に載ってる忌野清志郎

2013-03-13 23:50:12 | 美術・本

「猫と薔薇、演劇、旅ファン」のhitomi様の記事でご紹介されていた忌野清志郎の『瀕死の双六問屋』(小学館文庫)をさいたま市図書館のHPでネット予約し、中央図書館に回してもらっていたのを仕事帰りに浦和駅に下車して借りてきて読み始めている。

Wikipediaの忌野清志郎の項はこちら
私の洋楽歴はカーペンターズ→クイーン、キッス、レッド・ツェッペリンとすすんでいき、ディープ・パープル、ジャニス・ジョプリンなども聞いていた。しかしながら、あまり日本のバンドは聞いていなかったので、RCサクセションもほとんど聞いていない。
1980年頃の「雨あがりの夜空に」の頃は「変な歌を歌うヤツ」くらいにしか思わなかった。ところが、洋楽のヒット曲に日本語詞をつけたアルバム『COVERS』の発売中止以来、面白いミュージシャンだと思うようになった。反原発の歌詞がついた曲があったため、発売元の東芝EMI(親会社が原子炉メーカーでもある東芝)がきちんとした説明もなく発売できないとしたのだ。
その後、「君が代」法制化の頃にはロックの曲調で歌い、またまた話題になっていたものだ。

2006年に喉頭癌を切らずに治し、2008年に日本武道館の『忌野清志郎 完全復活祭』で元気な姿が報道されて嬉しかったものだが、その後再発して2009年に亡くなってしまった。

映画やTVドラマに俳優として出演したのも観ている。2005年の「妖怪大戦争」のぬらりひょん役、2008年の「たみおのしあわせ」の変な男役(笑)ホント、変な存在感が活かされた男の役だったっけ。

さて、『瀕死の双六問屋』は雑誌『TVブロス』に隔週で連載したコラムをまとめたものだった。
一話は文庫本で3ページ、毎回1つずつお気に入りのアルバムの紹介がついている。

第18話「五十年以上も戦争の無かった国に生きている」から、以下を引用。
「人びとはかくも過去の史実に翻弄されるものなのであろうか。しかも百年以上も法制化されていなかった旗や歌をなぜ今法制化しようとしてるのかもわからん。五十年以上もの間、戦争の無かった国は世界でも珍しいのだ。その点だけでも日本はすばらしい国ではないか。百年でも二百年でも戦争なんかするべきではない。そろそろ戦争で儲けたい奴が出てきているのか?なにしろ不景気だからな。軍需産業はそうとう儲かるらしいからな。なぜ今法制化したいのだ?俺が歌ってやろうか?」
実にまっとうだし、最後の感覚がロックンローラーらしくて実にいい。私は野中広務を尊敬しているが、国旗と国歌の法制化をしたことについては残念にも浅慮にすぎたと思っている。
アルバムの『COVERS』、聞いてみようかなぁ。

この本にはコラムだけでなく、本人の書いたイラストや4コマ漫画も掲載されていて、それがまたうまいのに驚く。
Wikipediaの記事によると「小学生時代は漫画に熱中し、自作の漫画を近所に住んでいた吉田竜夫(タツノコプロの設立者)に見てもらったこともあったという。納得。サイケデリックな衣装も漫画をやる人のセンスだと思うとよくわかった。

そして、冒頭の写真。一番最初に出てきたイラストの右端だが、なにやら文字やらマークやらがあるのでよく見て驚いた。「CO・OPリボンノート」とあり、生協の環境マークと「再生紙(古紙パルプ70%)使用」とあった。

中学の頃に聞いたとのだと思うが、フォークソングにこんなのがあったのを思い出した。
♪「大学ノートの裏表紙に さなえちゃんを書いたの (中略)でも鉛筆で書いたからいつの間にか消えたの (中略)もう会えないの もう会えないの 二度と会えないの」♪
うーん、キヨシローもノートの裏表紙なんかに絵を描くんだ。それも埼玉県浦和市に本部があった生協のノートだよ。うーん、ご家族が生協の配達かお店を利用していたのを使って描いたのかなぁ??イラストの中に妻子が登場していたりするんだよね。

同じく生協の利用者で「CO・OPリボン」シリーズ商品を使ったことがある私にとって、急に親近感が増してしまった。「リボン」は「reborn」(再生)っていうことだったっけ。もうこの「CO・OPリボン」シリーズは改廃されてしまったけれどねぇ。
よし、やっぱりアルバムの『COVERS』、今度TSUTAYAで見つけてみようかなぁ。