ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

12/09/17 秀山祭大歌舞伎昼の部「寺子屋」「河内山」

2012-10-08 13:11:43 | 観劇

9月の秀山祭は、8月末の染五郎の事故による休演で大きく配役予定を変えての上演となった。千穐楽夜の部の「道成寺」だけアップしていたが、昼の部と夜の部をそれぞれ書いておこう。
冒頭の写真は新橋演舞場のロビーにあった初代吉右衛門の写真パネル。左は河内山宗俊、右は武智光秀。

【菅原伝授手習鑑「寺子屋」】寺入りよりいろは送りまで
今回の主な配役は以下の通り。
松王丸=吉右衛門 武部源蔵=梅玉
戸浪=芝雀 千代=福助 園生の前=孝太郎
涎くり与太郎=種之助 下男三助=錦吾
春藤玄蕃=又五郎

せっかく寺入りからの上演だったのに、12月の日生劇場と11月の明治座のチケットの先行予約日と重なったのもあり、大幅に遅刻(^^ゞ松王丸が首実検で源蔵宅に入るところにようやく間に合った。
吉右衛門の松王丸の義太夫に乗った台詞と所作がこれまでよりも畳みこむような気迫に満ちている。菅丞相の若君の御身代わりになるように送り込んだ息子を源蔵が首打つように追い込み、時平から共に遣わされた玄蕃の目を気遣いながらの首実験。又五郎、芝雀も吉右衛門の気迫に乗せらているし、梅玉の源蔵はその気迫を柔らかく受けとめる。「でかした」「菅丞相の首に間違いない」「源蔵、よく討った」という台詞から大見得まで、引き込まれて息がつまるようだ。
松王丸が暇をもらって下手より退場、又五郎の玄蕃が本当に憎々しく花道を引っ込むと、源蔵宅では緊張が溶けるが、千代の登場で再び緊迫化。小太郎の母の口封じをしようと源蔵が斬りかかると手文庫で受け止めて全てを悟り、「お役に立ててくださんしたか」の言葉にはっとする源蔵夫婦。
「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん」の短冊をつけた松を投げ込んで松王丸が再登場する。
そこからの松王丸の長台詞に泣かされた。菅丞相の恩に報いたくても現在仕える時平からの命令にも逆らえず、若君菅秀才を討たせなければならない。源蔵に御身代わりにできる子があればそうするだろうが、子のない夫婦のもとに自分の子を送りこんだという件に、初めて源蔵も同志として信じていたのかと思い当った。松竹梅は単なるお目出度いことの象徴というのではなく、「歳寒三友」ということで「清廉潔白」という文人の理想を顕すものだという(朝ドラの「梅ちゃん先生」のきょうだいの名前の由来の説明で私も初めて知った次第)。三つ子の兄弟の名前にない「竹」を武部源蔵につけていることに意味があるというのを最近何かで読んでいたが、松王が同志として意識していたことが今回初めてわかってドラマがさらに大きくなった。そこまでイメージを広げることができたのは、まさに吉右衛門の芝居がいいからだ。

千代の嘆き悲しむ姿に吉右衛門が見せる松王の優しさに、この夫婦の愛情がにじんでいる。源蔵と戸浪の夫婦ともども、菅丞相に忠義を尽くす二組の夫婦、忠義のために死んでいった小太郎と桜丸がくっきりと浮かび上がった。菅秀才に母の園生の前を引き合わせ、小太郎の野辺の送りをする幕切れ。
丸本歌舞伎の様式と重厚なドラマを堪能させてくれる吉右衛門の松王丸は、まさに円熟の境地であろう。染五郎の休演から観ることができたというのも複雑な思いだが、吉右衛門の至芸を見ることができたことを有難く受け止めよう。

【天衣紛上野初花「河内山」】
今回の主な配役は以下の通り(こちらは元々の配役)。
河内山宗俊=吉右衛門 松江出雲守=梅玉
後家おまき=魁春 和泉屋清兵衛=歌六
高木小左衛門=又五郎 宮崎数馬=錦之助
腰元浪路=米吉 北村大膳=吉之助
近習大橋伊織=松江 同 黒沢要=歌昇
同 米村伴吾=種之助 同 堀江新六=廣松
同 川添運平=隼人

茶坊主でありながら無頼漢に混じって無法を働く河内山宗俊。近くは仁左衛門の「河内山」を観ているが、上州屋質見世の場面がどうにも悪党っぽさが薄かった。
吉右衛門はその辺りも実に雰囲気が出る。TVドラマでも演じている「鬼平犯科帳」の鬼平は、旗本の庶子に生まれたために若い頃にぐれて放埓を極めていた過去を持つという人物で、軽みを効かせた人物造形が絶品。その軽さが出せるのが前半の河内山の魅力だと思う。
上野寛永寺の法親王の使僧に化けた朱の衣姿で松江邸に乗り込む。播磨屋・萬屋の若手も揃う家臣団に秀山祭の芸の継承の意味を強く感じる。このところ、米吉の娘役を続けて見るがふんわりと可愛らしいのがいい(この浪路では殿様も執心するだろう)。
家老の高木小左衛門を又五郎、近習頭の宮崎数馬を錦之助というのも、お家を必死で支える忠臣コンビでよい。一方、松江候をたぶらかす奸臣の北村大膳は弟子の吉之助だったが、なかなか強面を効かせてよい感じだ。確か鬼平シリーズにも出ていたはずで、一門で盛り上げているというのも秀山祭ならではだ。

上品そうに御使僧を演じながら、松江侯を追いつめ、浪路を実家に戻す確約をとる。賄賂をとって内々にすますという駆け引きも面白く、可笑しみのある場面も随所にある。
首尾よくいって、帰り際の玄関先、まさに「とんだところに北村大膳」に、高頬の黒子で正体を見顕わされるが、ガラリと江戸っ子風の啖呵で開き直る。
茶坊主は寺社奉行の管轄なので、勝手に処分はできないはずで、松江のお家から大金を騙りとった罪人だと突きだせば、松江侯の行状もあらいざらいしゃべるがどうするんだと居直る。「悪に強きは善にもと・・・・・・」という名台詞も聞きごたえたっぷり!。
高木小左衛門が賢慮をみせ、御使僧として帰ることになった花道で、松江邸を振り返り「馬~鹿めぇ」という一喝。最後に松江出雲守も悔しそうに見送る姿での幕切れ。身分のある人間が非道なことをするのをやっつける芝居は、江戸っ子の溜飲を下げたことだろう。こういうドラマは「必殺シリーズ」など、現代人をも楽しませる。
秀山祭、昼の部は、時代物、世話物いずれの吉右衛門の芸を堪能できて大満足。
                
夜の部の「時今也桔梗旗揚」も近々アップしたい。できるかな(^^ゞ