ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

11/11/01 ドキュメンタリー映画「チェルノブイリ・ハート」で思い知らされたこと

2011-11-07 00:59:51 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

渋谷に行く用事のあるついでに、ヒューマントラストシネマ渋谷で観ようと思っていた映画の上映時間が変更になっていた。がっかりしつつもその日の上映スケジュールをチェックしたら、2003年第76回アカデミー賞短編ドキュメンタリー賞受賞作品「チェルノブイリ・ハート」が同様の時間帯に入っていた。さらにちょうどこの日、マリアン・デレオ監督が来日してのトークショー付き企画ということがわかったので急遽観ようと決定。日本でも映画の完全ガイドブックが出版されたので、その宣伝のための来日ということのようだった。
映画のパンフレットと並んでいたガイドブックは監督のサイン入りで値段もそんなに変わらなかった。トークショーの後のサイン会まで残ると帰宅が遅くなるので、映画が始まる前にガイドブックを買って着席!
予備知識もあまり仕入れずに観たので、映画を観ただけではちょっとわかりにくかった。映画に出てくるレポーターの女性が監督じゃないかとか当初は誤解してしまった。映画の冒頭と最後に出てくる監督のメッセージの表現も詩の引用だったりしてちょっと感覚的だったということもあって、左脳人間の私からすると理解しにくい印象あり。
しかしながら観終わってすぐにガイドブックを読み始め、買って正解だったと確信した。前半は映画の内容のあらましを説明と台詞と映画の映像写真で見せ、後半の撮影記録=メイキングノート部分も合わせると実に奥行き深く理解ができた。

冒頭の写真はガイドブックの表紙。以下、アマゾンの「チェルノブイリ・ハート: 原発事故がもたらす被害の実態」の商品の説明より引用。
<内容説明>チェルノブイリ・ハートとは、“穴のあいた心臓”、“生まれつき重度の疾患を持つ子ども”の意味である。ベラルーシでは現在でも、新生児の85%が何らかの障害を持っている。1986年4月26日、旧ソビエト連邦(現ウクライナ)のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で爆発事故が起き、国際評価尺度レベル7に達した。
放射性降下物はウクライナ、ベラルーシ、ロシアを汚染した。原発から北東へ約350キロ以内に、高濃度汚染地域「ホット・ゾーン」が約100ヶ所も点在し半径30キロ以内の居住は禁止されている。映画は、ホット・ゾーンの村に住み続ける住民、放射線治療の現場、小児病棟、乳児院の実態に迫る。
<「BOOK」データベースより>
1986年に起きたチェルノブイリ原発の大惨事から16年後、国土の99%が放射能で汚染されたベラルーシ。この国の乳幼児死亡率は他のヨーロッパ諸国に比べて3倍も高く、肢体不自由で生まれた子どもは事故前に比べて25倍、内臓に明らかな異常をもって生まれてくる子どもが大勢いる。今なお続く放射能汚染の重篤な健康被害を映し出したドキュメント。

合同出版の商品詳細から以下を引用。
<作者紹介>マリアン・デレオ
2003年第76回アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門でオスカー賞を受賞後、2006年にさらなる追加撮影を敢行し、被爆被害の実態に迫る。監督は、エミー賞2回など受賞経多数。
<目次>
日本のみなさまへ
ChapterⅠ チェルノブイリ・ハート
ChapterⅡ ホワイト・ホース
ChapterⅢ 撮影記録
 1 廃墟となった街
   チェルノブイリ・プリピャチ・
   里帰りツアーに同行して
 2 セシウム姉妹
   被曝するということ
 3 ベイビーハート
   ミンスクにて、開胸心臓手術に立ち会う
解説 崎山比早子(元放医研主任研究員)

映画「チェルノブイリ・ハート」の公式サイトはこちら
私が監督と間違えた女性は、アイルランドを拠点として活動するNPO法人「チェルノブイリ子どものプロジェクトインターナショナル」の創設代表者のエイディ・ロッシュ。病気や障害で苦しむ子どもたちの人道的医療支援活動等をしていて、マリアン監督はそれに同行して撮影したのだ。その時の作品が前半の「チェルノブイリ・ハート」。
チェルノブイリ原発の従業員とその家族が住まわされていた街がプリピャチで、2006年に一時里帰りツアーがあり、そこに同行したのが2つめの短編「ホワイト・ホース」のようだ。
原発事故後の現実をどれほど知らなかったかを思い知らされた。

「遺棄乳児院」という言葉に驚くが、要は奇形児・障害児として産まれて親に捨てられた子ども達の施設なのだ。そこである程度大きくなると精神病院の小児病棟に移されている。十分な予算もなく、とりあえず収納されて死ぬのを待たれているわけだ。
産科病棟では健常児の出産風景と保育器の中の障害児たちの対比。医師が健常児の生まれる割合が10~20%というのにショックを受けた。そしてどの施設の医師たちも放射線の影響があると思うと予想以上に明言するのにも驚いて、いろいろ考えた。
そうか、原発をつくって放射性物質を飛散させたのは当時のソ連政府であり、今は独立したそれぞれの国の政府とは別なので、本当のことが比較的言いやすいのだろうと思いつく。

事故直後は補償金が出されていたエリアも汚染のレベルが下がると補償金は打ち切られ、子ども達に奇形や障害が出ても、その因果関係は認めずに積極的な治療を国家責任でしてもらえることはない。
人道的な援助ということでヨーロッパやアメリカの支援団体が重篤な子どもには手術をしたりしているのだ。心臓手術をするアメリカ人医師は国際小児心臓基金代表ということで、アメリカで仕事をしてチェルノブイリの子ども達の治療も行っている。
患児の両親からまるで神様に感謝するように感謝されてとまどっている姿がまた象徴的だった。

【アフタートーク】
マリアン監督は自分でしゃべるのではなく、質問に答えるようにしたいとのことで、客席で挙手された方の質問に答えていった。通訳は映画とガイドブックの翻訳者の中村英雄氏。
残念ながら質問は脱原発運動に取り組んでいる方がフクシマの原発事故に関連して質問しているような感じで、監督は自分が答えられないことには答えられない、わからないと慎重に回答していたので、質問者には物足りなかったかもしれない。私にはドキュメンタリー映画の監督にそんなこと聞くなよと思えるものがほとんどだった。
監督が「世界からすべての原発を無くすことは非現実的だと思う」と発言したことは、実にアメリカ人の普通の感覚なのだろうと納得。そういう方がこのようなドキュメンタリー作品を作ったことに意義があるのだと思えた。
そして、旧ソ連邦の国々の民主主義のレベルの低さから非人道的な状態が放置されているのであって、日本は違うはずと、他人事のように思っているのは大間違いだろう。日本でも許容値を決めてそれ以下なら害はないという考え方が公けのものになってしまっているので、十数年後に現れるだろう障害については国として補償してくれるとは思えない。広島・長崎での被爆者援護のレベルの低さをみれば推して知るべしということだ。
とにかく、このままではまずいということ!!

12/17から同じヒューマントラストシネマ渋谷で「第4の革命 エネルギー・デモクラシー」を上映すると主催者から案内があった。ドイツの「脱原発」がなぜ実現したのかということがわかるようなドキュメンタリー映画らしいので、運動的な視点で考える機会をもつには、そちらの映画を観なくてはと思った。是非観たいものである。