パピとママ映画のblog

最新劇場公開映画の鑑賞のレビューを中心に、DVD、WOWOWの映画の感想などネタバレ有りで記録しています。

プーと大人になった僕★★★★

2018年09月15日 | アクション映画ーハ行

世界中で愛され続けるA・A・ミルンの児童文学『くまのプーさん』に登場するプーさんの大親友クリストファー・ロビンのその後を映画化したファンタジー・ドラマ。大人になり仕事に追われるクリストファー・ロビンが、プーさんや森の仲間たちと奇跡の再会を果たしたことで、忘れていた大切な何かを思い出していく姿を描く。主演はユアン・マクレガー、共演にヘイリー・アトウェル、ブロンテ・カーマイケル。監督は「ネバーランド」のマーク・フォースター。

あらすじ:少年クリストファー・ロビンは“100エーカーの森”で親友のプーやその仲間たちと楽しい毎日を送っていたが、やがてロンドンの寄宿学校へ転校することに。“きみのことは絶対に忘れない”と固く誓ってプーと別れたクリストファー・ロビン。月日は流れ、大人になった彼は妻のイヴリンと娘マデリンとともにロンドンに暮らしていた。しかし仕事が忙しくて家族とはすれ違いの日々が続いていた。そんなある日、なぜかロンドンで途方に暮れていたかつての親友プーと驚きの再会を果たす。森の仲間たちのもとに戻れなくなったプーの頼みを聞き入れ、一緒に“100エーカーの森”へと向かったクリストファー・ロビン。ピグレットやティガーら森の仲間たちとも再会でき、少年時代の懐かしい日々を思い出すクリストファー・ロビンだったが…。

<感想>あの「くまのプーさん」の後日譚。クリストファー・ロビン少年が、今は大人になり会社の上司から無理難題を命じられ、週末の約束していた家族旅行をキャンセルするハメになり公園で頭を抱えていたクリストファー。そんな彼の背中に懐かしい声が、振り向くとそこにいたのはクリストファー前に、あのプーさんが現れたのですね。大都会のロンドンを舞台に、彼らの新しい物語が繰り広げられる。英国人作家A・A・ミルンが生み出し、ディズニーのアニメーションで世界的人気キャラクターとなったくまのプーさんの初の実写化です。

大人になったクリストファー・ロビンは、仕事に追われるビジネスマン。ウインズロウ商事の旅行カバン部門の能率化部として、毎日オフィスで仕事に没頭している。少年時代に持っていた好奇心や想像力をすっかり忘れてしまっている。彼を演じるのは、ユアン・マクレガー。優しくてしっかりものの専業主婦・妻のイヴリンには「シンデレラ」のヘイリー・アトウェル。想像力豊かな9歳の娘のマデリンには、ブロンテ・カーマイケル。

原題は「クロストファー・ロビン」と、主人公の名前をそのまま。タイトルバックは本の形式を模していて、ページをめくるように始まっていきます。プロローグでは原作の「プー横丁にたった家」のエンディングが再現されていました。この映画では、そこまでが第1部であり、以降が第2部という構成になっている。架空の「クリストファー・ロビン物語」みたいなものがあって、この映画によって彼の成長物語が完結する、という設定になっていた。だから、ラストも本の終わりみたいになっていたのも嬉しい。

その第2部では、本題のストーリーに入るまでの“スリストファー・ロビン物語”が、物凄いペースで描かれていく。短いセットを積み重ねて、余計な説明やセリフも入れずに、短い字幕と俳優の演技だけで見せるのは上手いと思いましたね。

確かに、寄宿学校へ入れられて、突然、両親の死で家長の重責が来て、イヴリンとの出会いと恋、妊娠中の妻を残して戦場へと。そして妻と娘との感動の再会と、就職という出来事の数々までを数分でみせちゃうのだから。

それに、プーさんとの久々の再会、「森の仲間たちが見つからないんだ。一緒に探して」と頼まれるも、自分はもう大人で仕事に行き詰って困っているのに。そんなぬいぐるみのプーと遊んではいられないのだ。仕方なく、彼はプーを抱いて、あの“100エーカーの森”へと向かったクリストファー。

 

真っ赤な風船が欲しいと言うので買ってあげて、列車に飛び乗るのだが、昔と変わらない森の中で、大きな樹の洞穴の中へ入るプーの後を追いかけて、懐かしいあの“100エーカーの森”に出て来る。

そこでは、仲間たちと再会できて喜ぶクリストファーだが、仕事を思い出して慌ててロンドンへと戻るのだが、その時、大切な書類を森へ置き忘れてしまう。プーと仲間たちは、森を飛び出してロンドンへと向かう。その時に、クリストファーの娘のマデリンと出会い、一緒に父親の会社へ書類を届けに行くことに。

母親は、娘がいなくなり慌てて駅まで行くと、ぬいぐるみを抱いた娘が列車に乗っていくのを見つける。母親は車でロンドンへと追いかける。

“100エーカーの森”は、原作者が小説を書く際にモデルにしたイーストサセックスにある本物の「400エーカーの森」に実際行って撮影したそうです。

見どころはリアルに言えば、プーさんやお調子者のティガー(トラ)、心優しい臆病な子ブタのピグレット、おっとりとしてお人よしなロバのイーヨーなど。

なんてったてぬいぐるみたちが、まるで生きているかのように動き回ることかなぁ。これは最先端のコンピューター・アニメーション・テクノロジーの成果なのだそうです。その土台となっている手作りのぬいぐるみたち。アニメとはひと味違うぬいぐるみ感と言うか、存在感が半端ない。

そこには「抱き心地のよさ」など細心の注意が払われており、俳優たちも実際にぬいぐるみと触れ合うことで大きなインスピレーションを得られたそうです。

実際に彼らは実物大のぬいぐるみが作られて、動きや立ち位置を決めるために使用されたそうです。それを忠実に再現したから、たとえCGでも微妙に滑らかな動きを見せることなく“ぬいぐるみ”が動いているように見えているんですね。「100歳になっても君のことは忘れない」と誓ったけれど、クリストファー・ロビンの方は、生きるのに必死で、すっかり忘れている。でも、プーはそのまんまなのよね。というのも切ないです。仕事と人生と家族に関しても、かなりグサッとくるセリフがいっぱい出て来るので、そこにも注目です。

人世で大切なものは何だろう?・・・と考えさせてくれる映画。仕事中毒で家族サービスを忘れているお父さんに観て欲しいですよね。

エンドロールでも、森の仲間が海の保養地の行って、サングラスをかけて太陽に当っている様子が見られるよ。

018年劇場鑑賞作品・・・180  アクション・アドベンチャーランキング

 

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バトル・オブ・ザ・セクシーズ★★★・5

2018年09月02日 | アクション映画ーハ行

1973年に世界が注目した女子テニスの現役世界チャンピオンのビリー・ジーン・キングと、元男子チャンピオンのボビー・リッグスによる性別を超えた世紀の一戦の知られざる舞台裏を、「ラ・ラ・ランド」のエマ・ストーンと「フォックスキャッチャー」のスティーヴ・カレルの共演で映画化した実話ドラマ。監督は「リトル・ミス・サンシャイン」「ルビー・スパークス」のヴァレリー・ファリス&ジョナサン・デイトン。

あらすじ:全米女子テニス・チャンピオンのビリー・ジーン・キングは、女子の優勝賞金が男子の1/8であることに反発し、仲間たちともに“女子テニス協会”を立ち上げる。世の中でも男女平等の機運が高まる中、幾多の困難を乗り越え、女子だけの大会の開催にこぎつけるビリー・ジーン。そこへ55歳の元世界王者ボビー・リッグスが対戦を申し込んでくる。男性至上主義を恥じることなく、女子選手を小馬鹿にするボビーは、ビリー・ジーンとの対決で再び脚光を浴びようと目論んでいた。そんなボビーの挑発に、一度は対戦を拒否するビリー・ジーンだったが…。

<感想>時代はウーマンリブが産声をあげた60年代後半から、70年代前半を舞台に、テニス界で起こった象徴的な事件を描いている本作。男女平等はもちろんだが、そこにゲイ・レズビアンを含む幅広い多様性への期待を盛り込んでいることも見逃せません。

当時はまだ女子テニスは日本では、メジャーなスポーツではなかったはずで、ビリー・ジーン・キング夫人の名前を知ったのがこの映画である。まさか、映画の中で描かれたキング夫人とボビー・リッグスとの対戦があったこともです。

ですが、三拍子そろった映画であることには変わり有りません。男性至上主義の元テニス選手と、女子テニスのチャンピオンの男女対決という実話。特に、エマ・ストーンらの俳優陣の役作り。冴えない髪型にほぼスッピンで洒落っ気のないメガネ。テニスウェアを着ても若い女性プレイヤーらしく華やかさはなく、性別も年齢も不詳な感じが悪いのだ。

もっと面白くなってもいい作品なのですが、ビリー・ジーンが夫を持ちつつ、ツアーを重ねる中で、同性とのランデヴーを楽しむ恋愛模様は、女性解放運動とそのイデオロギーが、スポーツ選手の私生活に与えた影響としては新鮮に映りました。レズの相手の美容師の女の子が可愛らしくて良かった。

なんでトッププレイヤーがそんな滑稽とも思える試合をしたのか、今回はこの映画を観てその背景やら、結果としてそのことによって興行としての女子テニスが盛り上がるきっかけとなったと知り、いささか驚きました。

ボビー・リッグスなど女性プレイヤーたちを見下したり、その要求を拒絶する業界幹部の男性たちは、現在の視点からみればへんくつな悪役にすぎないが、当時にしたらむしろそれが当たり前で、常識的な立場だったとも言える。

男性と同じ労働や条件で、性的な平等を求めるリブの声は、同性である女性たちからもあざ笑われることが珍しくなかった。

ビリー・ジーン・キングが男性との異性間マッチを受けて立つ心持も、冷めた視点から引いてみたら、それは滑稽にも映るような試みかもしれないが、彼女の中にも「会心の一撃」をもたらすことだと想像する。

これまで男性優位な社会において、さんざん理不尽な差別や侮辱にさらされてきた一人の女性として、この一見は、見世物小屋のようなショーの誘いをうけることも、避けては通れなかったのだろう。

それが結果として自分たちにマイナスをもたらすことになったとしても、やらずにはおれなかったと思う。だから彼女は必死に戦った。そのおかげで、女性プレーヤーたちの可能性も広がり、女性の運動の背中を押すことともなったからなのだ。

ですが、本作でのビリー・ジーンの同性愛関係についての描き方は、物足りなかったはずです。多分ビリー・ジーン自身もこの時点では、同性愛に肯定的だったとは想像しにくい。何故ならアメリカでは同性愛は、この試合の4年前にやっとストーンウォール事件(ゲイバーを襲撃した警察に対して、女装のゲイらが抵抗をし、暴動にまで発展したこと)で、表沙汰になったばかり。

現在のようなLGBTの運動の規模とは、レベルの異なる小さなカウンターパワーにすぎなかったのだから。また、レズビアンであることは、まだ大方の当事者にとっても恥ずかしいし、受け入れがたい属性だったはずです。事実、彼女の男性と結婚をしていて、「夫人」となっていて、カミングアウトをするのも離婚後だったというから。

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ヒトラーを欺いた黄色い星★★★・5

2018年08月29日 | アクション映画ーハ行

第二次世界大戦下のベルリンでナチスの迫害を逃れ終戦まで生き延びたユダヤ人たちの驚きの実話を、実際の4人の生還者たちへの取材をもとに再現した実録サバイバル・ドラマ。監督はドキュメンタリーを中心に活躍するクラウス・レーフレ。

あらすじ:1943年6月、ナチスの宣伝相ゲッベルスは、ベルリンからユダヤ人を一掃したと宣言した。しかし実際は約7000人のユダヤ人がベルリン各地に潜伏しており、そのうち約1500人が終戦まで生き延びた。そんな中、ユダヤ人の青年ツィオマは、咄嗟の機転で収容所行きを免れる。そして潜伏生活を送りながら、ユダヤ人のために身分証の偽造に精を出す。その他ドイツ軍将校のメイドに雇われた女性ルート、ヒトラー青少年団の制服で素性を隠し、反ナチスのビラ作りを手伝うオイゲン、髪を金髪に染めて監視の目を逃れるハンニを加えた4人のユダヤ人に焦点を当て、彼らがいかにしてホロコーストを生き延びることが出来たのか、その過酷なサバイバルの行方を、本人たちのインタビューを織り交ぜ解き明かしていく。

<感想>1933年、442万人の人口を抱える大都市ベルリンには、16万人ものユダヤ人が暮らしていた。ヒトラー政権の誕生により、ユダヤ人は職業や住居などを奪われ、やがては強制収容所へと移送されて生存権まで剥奪されてしまう。

第二次大戦のベルリン。そこで身分を偽って潜伏生活を送るユダヤ人の心情からとらえられた街並みの映像が美しい。暗くて、閉鎖的だが、どこか艶っぽくて現実感を欠いた世界観がそこにはある。本作では実際に生き延びることができた4人がカメラの前で語り、その真実を俳優たちがドキュメンタリー・ドラマになっている。

ドキュメンタリー監督にとって、最大のジレンマは過去の出来事を自分のカメラで撮影できないことだ。本作の監督はTVドキュメンタリー畑の人らしい。ベルリンの潜伏して生き延びたユダヤ人へのインタビュー部分と、劇映画のパートを組み合わせた大胆な構成にしている。

そうすれば、過去の事象を微細なディテールに至るまで映像で表現できるからだ。とはいえ、TVの再現ドラマを見慣れていることもあってか、特に斬新な手法にも感じられなかったのは、観る側がそういう映画に麻痺しているからなのか、とも思った。

この映画が描く、ユダヤ人が戦時下のベルリンに潜伏して生き延びた事実も、今まで知らなかったことで、実際に生き延びた人たちに敬意を払いたいです。

当事者が語る極限化での生存は、存在すること自体が許されなかった事実を併せて、今更ながらに戦慄します。

語りべと、再現ドラマで構成しており解りやすいのですが、語りべだけで通した方が、むしろ生存者の本質に触れたのではないかと思ったのだが、・・・。

両親を病気で亡くし、一人っ子だったため孤児となるが、ゲシュタボの手から逃れたの彼女を救ったのは、かつての母親の友人だったドイツ人女性であり、髪の毛を金髪に染め、名前を変えて生きるための手筈をしてくれた。次に出征を間近に控えた青年との出会いがあり、それによって青年の母親との接点ができ、この家族の元へ引き取られることになる。そして、彼女と青年の母親は、いつしか本当の母娘のような絆で結ばれてゆく。

彼女がホロコーストを体験せずに済んだのは、幸運だったと統治を振り返る。そしてまた逆に、もし両親が生きていたら、私は今ここにいなかっただろうとも。彼女の周りのユダヤ人は、みな虐殺されたのだから。その言葉の意味は重いと感じた。

そのころのユダヤ人の女性たちは、ドイツ人の戦争未亡人を装って映画館に出かけるのだが、中には、ドイツ国防軍の将校にメイドとして雇われることも。

ラストのソ連兵に攻め込まれることは、彼らにとって救いであると同時に、痛みを伴うこと。自分たちの町でありながら、憧れの場所を舞台としたスリリングなサスペンス映画における、キーアイテムは身分証でもあるのですね。

潜伏中の少年がその偽造に生きるモチベーションを見出すエピソードを始め、命を脅かすそれが別の誰かを助けるお守りにもなるのだと、感じました。

本作の何よりも貴重なことは、生還者たちの生の声や、記憶をひもときながら見せる微細な表情を克明に収録できていることにある。終戦から73年もが経過した今、ナチスの時代、ホロコーストの記憶を語る生き証人は年々減少してきて、存命の方々もかなり高齢になっていた。

映画を観て、知らなかったことを教わる場合が多いのですが、ここ数年、続々と公開されるナチス・ヒトラーを扱った作品からは、とりわけ多くを教わったと思いますね。

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ペンギン・ハイウェイ★★★・5

2018年08月17日 | アクション映画ーハ行

「夜は短し歩けよ乙女」「有頂天家族」などで人気の作家・森見登美彦による日本SF大賞を受賞した小説をアニメーション映画化。短編「陽なたのアオシグレ」「台風のノルダ」を手がけたスタジオコロリドの第1回長編作品となり、「陽なたのアオシグレ」の新鋭・石田祐康が監督、「台風のノルダ」の新井陽次郎がキャラクターデザインを担当する。テレビドラマ「バイプレイヤーズ」などで知られる北香那が、声優初挑戦でアオヤマ君を演じ、「鉄コン筋クリート」「花とアリス殺人事件」などで声優経験のある蒼井優がお姉さん役を務める。

あらすじ:毎日学んだことをノートに記録している勉強家の小学4年生アオヤマ君は、通っている歯医者のお姉さんと仲良し。お姉さんも、ちょっと生意気で大人びたアオヤマ君をかわいがっていた。ある日、彼らの暮らす街に突然ペンギンが現れる。海もないただの住宅地になぜペンギンが現れたのか。アオヤマ君は謎を解くべく研究を始めるが、そんな折、お姉さんが投げ捨てたコーラの缶がペンギンに変身するところを目撃する。

<感想>原作は未読です。画像が素晴らしくて、内容もファンタジーとSFものを合わせたような物語になっていた。小学4年生のアオヤマくんの忘れられないひと夏の冒険を爽快感あふれた映像美で魅せている。

夏休みというと、海水浴に連れて行ってもらった記憶があるが、すぐ傍に太平洋があるので、一人では行ったことないが、何しろ波が荒いので大人と一緒でないとダメだったみたい。

この主人公のアオヤマ君は、海も遠く水族館もない街で暮らしており、ある日のことペンギンが現れて驚き付いていくも見失ってしまう。そこにおっぱいの大きなお姉さんが現れて、自販機の中のコーラを選んで取ろうすると、何とペンギンが現れるのだ。まるで魔法にでもかかったみたいな。

街中に突然、何十羽ものペンギンが現れて、好奇心旺盛で研究が大好きな彼の心に火を付けてしまう。その後、ペンギンたちが歩む道の先にある不思議な場所、そこへ行くには森の中へと入る。薄暗い森の中を抜けると広い原っぱが現れて、そこには大きな気球みたいな水風船がドドン~と居座っていた。

彼の大好きなお姉さんは、歯科病院で働いている女性で、アオヤマくんの憧れの女性でもあり、何しろ彼女が自販機の中から突然コーラを投げると、ペンギンが現れるという現象に驚く。どうやら、このお姉さんとペンギンたちは、何か関係があると疑い、それに原っぱの大きな水の風船=海が気になって来る。

謎と謎が繋がり始めた時、研究は街全体を巻き込む事件へと発展していくわけ。つまりだ、お姉さんはどうみても人間ではないようだし、原っぱの大きな水球は、海ではないのだ。

本当に可愛いペンギンたちのヨチヨチ歩き姿と、眼にも止まらぬ水中(川やプール)での泳ぎっぷりというか動きだ。そんなペンギンの動きのギャップが、心地のよいテンポを生み出しているのだ。不思議に思ったのが、ペンギンは海水で泳いで、餌は魚なんですけどね。ここでは、あまりそんなことは関係ないようであります。

もちろん、海へ行ったことのないアオヤマくんは、大好きなお姉さんと電車に乗って海へ海水浴に行くことになるのですが、電車の中でお姉さんが体調を崩して具合が悪くなり、結局海へは行けなくなってしまう。

海への憧れと、そこはペンギンが急に出て来て、原っぱには海みたいな大きな水球があるという、まったく不思議な光景であります。これは少年の冒険物語というよりも、少年が大人になってから回想しているような感覚があります。だから、憧れの歯医者のおっぱいの大きなお姉さんとの交流が、少年にとっては男の子として大人になる階段を、一歩上がったような気分になっているのでしょうね。

私の好きなシーンは、森の手前は光が差し込んで綺麗な緑色なんだけれど、その奥は暗くて、その風景が何故かすごく印象に残りました。全体的に色がすごく綺麗で、人物以外の所に目を向けても、屋根の色や家の形も可愛くて、ペンギンや原っぱの大きな水球とか、好きなシーンがいっぱいあってぐっと持っていかれました。

原っぱの大きな球体のことで街中が大騒ぎになり、謎の海と生物を研究するため気象学、生態学の専門家が大勢集まってきて球体の周りを取り囲んでいる。可愛くて楽しいだけの物語ではなくて、思春期を迎えた男の子が、憧れのお姉さんを前に自分の気持ちと葛藤し、最後には切ない想いをするという。

後半部分で明らかになる世界の広がりや不思議な現象、未知との遭遇というのは、自分が子供の頃に抱いた感動にも通じるところが、ある気がしてならなかった。いやはや、水球が壊れて大水が発生し、街中が大洪水になり、何故かしら、大震災の津波襲来のような感じもした。

街中の人たちが、床上浸水被害を受けて、ここのところ日本でも大型台風による大洪水が起き、田畑や家が流され、泥だらけになった様子が毎日のようにTVで放送されるので。この夢のような水球が、まさか大洪水を起こすなんてことは、考えてもみなかったことで。

それでもラストでは、お姉さんが宇宙人で、ペンギンの背中に乗って、宇宙船で飛んでいく風景にあっけにとられてしまう。SFみたいなストーリーになっても、でも、その謎は解き明かされないまま終わってしまう。大人になってから「あれはなんだったんだろう?」って思うのは、記憶のズレみたいなものかと思いましたね。

宇多田ヒカルの「Good Night」が、胸に迫る切なさを表しているようで、シンプルながら力強い歌詞が、ノスタルジックな一面を感じさせる作品の世界観を彩っていて大変良かったです。

 

018年劇場鑑賞作品・・・161アクション・アドベンチャーランキング

 

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BLEACH★★★・8

2018年07月24日 | アクション映画ーハ行

久保帯人による『週刊少年ジャンプ』を代表する大ヒット・コミックスを「曇天に笑う」の福士蒼汰主演で実写映画化したアクション・エンタテインメント大作。死神に代わって悪霊と戦う高校生・黒崎一護の活躍を、最新の映像技術を駆使した迫力のバトル・アクション満載に描き出す。共演は杉咲花、吉沢亮、真野恵里菜、MIYAVI、長澤まさみ、江口洋介。監督は「GANTZ」「アイアムアヒーロー」の佐藤信介。

<感想>マンガの実写化には、ついシビアな目線で観てしまう。原作が未読なので、何も知らずに鑑賞したのが良かった。私たちが生きる現代を舞台にしていながらも、そこはスタイリッシュなキャラクターや、「死神」・「虚」といったファンタジーがすんなりと溶け込んだような、独特の空気感を持つ作品でした。

平凡な日々を送っていた一護が、死神の力を手に入れ、「誰かを助けたい。困っている人たちを護りたい」と思うようになっていく。映画の中でも、一護が大切な人を護る決断をしたのは、家族を助けるため。しかしその裏には、幼少期に目の前で母を悪霊・虚(ホロウ)に殺されたトラウマがあった……。

「もう誰も失いたくない」という強い思いが、一護を駆り立てる!一護役の福士蒼汰が心身共に“死神の器”に成長していく様子が、丁寧に描かれているので、ついつい応援したくなります。

悪霊・虚(ホロウ)のこのデカさ、この強さ、とんでもない! どうやってこんなバケモノに立ち向かうのか?なぜ一護は、“死神”になることを決めたのだろうか? そもそも死神とは一体何者なのだろうか? 数多くの疑問が浮かぶ。しかし彼の究極の決断の裏には、ある“大事件”とのちの“仲間”との運命的な出会いがあったのです。

その“変化”が見る者の共感を呼び、思わず彼を応援したくなるはず。一護の隠れた才能は、幽霊が見えることだった。 一護のように霊感の強い人間を捕食し、力を得る悪霊・虚(ホロウ)は、彼の存在を知って自宅を急襲する。

未知のバケモノに驚く間もなく、家族もろとも大ピンチと化するも、どこからともなくやってきた謎の少女・朽木ルキア(杉咲)は、死神の力を一護に披露する。悪霊・虚(ホロウ)と同じくして一護の前に現れた謎の少女・朽木ルキア(杉咲花)は、自身が「悪霊・虚(ホロウ)を唯一倒せる存在」=死神と名乗る。

ですが、戦闘中にルキアは一護をかばい、致命傷を負ってしまう……。まさに絶体絶命!・・・突然訪れたピンチ、だが迷っていても家族もろとも死ぬだけ! 運命を受け入れるんだ一護よ。最早一刻の猶予もないことを知ったルキアは、死神の力の譲渡を提案するわけ。一護に力を分け与えて、瞬間的に死神にさせ、悪霊・虚(ホロウ)と戦わせる作戦だった。しかし、ミスったら2人とも即死亡の大バクチ……どうする一護くん。

だが、ルキアが死神の力を全部奪われてしまい、戦えなくなるという新たな問題が発生する。 一護はルキアの代わりに“死神代行”の役目を依頼されるも、「普通の高校生活に戻りたい」と拒否する。

しかしそこへ、さらなる強大な悪霊・虚(ホロウ)、おきてに背いたルキアを処罰するためにやってきた死神など、強大な敵を前に、一護は再び剣を取る。その“真意”は一体!?

“死神”になった一護の前に、次々と強敵が出現するのだ。 休む間もなく次の戦いが幕を開けるのだが、一護とルキアの賭けは無事成功し、見事に悪霊・虚(ホロウ)を撃破。

それに、死神と因縁を持つ“滅却師(クインシー)”石田雨竜役の吉沢は、弓の扱い手で一護を助ける。かっこいい吉沢亮のクインシーに惚れ惚れするはず。

一護を演じた福士蒼汰さんは、細マッチョでありながらも、かなりハマり役でした。それと、ちょっと気合が入り過ぎていて頑張りすぎた、ルキアを演じた杉咲花さん。

阿散井恋次を演じた早乙女太一さん、朽木白哉を演じたMIYAVIさんは、さすがの迫力でカッコよかった。

一護の母親の長澤まさみは、ほんの少し冒頭で登場して、息子を守るために悪霊・虚(ホロウ)に殺されてしまう。それなのに、父親は事故に遭ったと言うのだ。

父親には江口洋介で、のんきなサラリーマンで、世の中でそんな大変なことが起きているなんてことは知らぬ存ぜずなのだ。こんなのってあり!

人間への力の譲渡は、死神の間では死罪であるために、ルキアは反逆者として、他の死神から追われる羽目になるわけ。相手は超格上の兄弟であり、一緒に育ったのに戦わなければならないのだ。

今更後へは引けない決まり事。「俺を本物の死神にしてくれ」と、命を救ってくれた恩に報いるため、一護は“本物の死神”になることをルキアに告げ、特訓を始める。そして、強敵へと挑んでいくのだ。斬魄刀(ざんぱくとう)」を担いだ福士が登場するのに驚く。

なにしろデカイ刀なのだ。こんなデカイ刀を振り回す力なんてあるのか。暫くはルキアがバッテングセンターのボール打ちを特訓する。そして、チャンバラの稽古も、それだけの訓練で、強大な悪霊・虚(ホロウ)のグランドフィッシャーに勝てるのだろうか?・・・、そして、おきてに背いたルキアを処罰するためにやってきた死神兄弟。

時を同じくして伝説の悪霊・虚(ホロウ)・グランドフィッシャーが出現し、街は大混乱の巻き。ついつい、笑ってしまったCGのグランドフィッシャーのモジャモジャ君に呆れてしまう。蚤や蜘蛛みたいなのもいたしね。

このままではクラスメイトにも危険が及んでしまうし、死神の力があれば、 「この力があれば、みんなを護れる」、一護の目に迷いはもうない。今こそ、真の“能力”を解放し、剣を振るえとばかりに、勝てるはずもない敵と戦う一護なのである。

結局、最後には一護の力が尽きてしまい、これでは死神のまま消えてしまうのはダメだと思ったルキアが、一護と刀を差し違えて元の高校生に戻してやる。これで終わったわけではないと思うので、是非とも続編を頼みます。

原作に最大のリスペクトを捧げた監督の戦略勝ちとも言える本作では、ファンタジー作品だからこそ、逆に作品のベースとなる現代の風景を徹底的にリアルに描ききること。そのために、フルCGで制作される映画(特に漫画原作もの)が少なくない昨今においては珍しく、多くのシーンがロケで撮影されていることだろう。

バス・ロータリーでの大乱闘も、セットを組みダイナミックに壊しながらの撮影だったということからも、そのこだわり様が分かって来るはず。このリアリティを追求した映像と、現代のCG技術が織りなすリアルと、ファンタジーのコントラストが、そしてキャスティングの妙が渾然一体となることに成功していると思いますね。

018年劇場鑑賞作品・・・145アクション・アドベンチャーランキング

 

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フジコ・ヘミングの時間★★★・5

2018年07月19日 | アクション映画ーハ行

 世界的なピアニストのフジコ・ヘミングの活動を追い、人間性や音楽性、知られざるエピソードに迫る音楽ドキュメンタリー。ワールドツアーに挑むフジコに密着し、彼女の演奏を収めると共に、両親とのエピソードや聴力の喪失といった数々の苦難、猫との暮らしなども紹介する。監督は、映像監督・演出家でミュージックビデオなどを手掛けてきた小松莊一良。

あらすじ:ピアニストとして世界を舞台に活躍し、多くの人を魅了しているフジコ・ヘミング。ワールドツアーでパリ、ニューヨーク、ブエノスアイレス、ベルリン、京都を巡るフジコに密着し、リサイタルでの演奏をカメラが捉える。さらに、ハーフへの差別や貧しい留学生活、聴力の喪失といった困難を乗り切り、夢を追い続けるフジコの人間性に迫る。

<感想>ミニシアターでロングラン上映をしているので、気になって鑑賞した。前から彼女のことは知っていたが、世界各国での音楽家として活躍していることも知っていた。しかし、有名なコンクールで優勝をしたことは聞いていない。2016726亡くなった、有名なピアニストである中村紘子さんのピアノリサイタルには2度ほど行きました。もちろんCDも何枚か購入して持っています。

1999211日にNHKのドキュメント番組『ETV特集』で「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が放映されて大きな反響を呼び、60代後半にして一夜にしてシンデレラとなったピアニスト:ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ。60代後半でブレイクした遅咲きのピアニスト、フジコ・ヘミング初のドキュメンタリー映画です。80代になった今でも現役で、世界中を精力的に演奏活動を続ける彼女の魅力とは。

こう言っては何ですか、ピアニストとしてのフジコ・ヘミングへの世間の評価や関心は、その演奏技術よりも彼女自身のキャラクターやドラマチックな半生に対する生きざまに対する興味の方が強いときてる。

期せずして訪れた成功に喜ぶよりも、彼女の皮肉な微笑みで対している彼女を見て、相当な地獄の中で生きてきたのだと思った。本作ではその生活の優雅な部分の代償である苛烈さも撮られていた。

彼女の鍵盤を叩きつける農婦のようなごつい手、音楽でも言葉でもなく、フジコ・ヘミングの何気ない仕草が、彼女の人柄を感じさせていた。

例えば、道端の浮浪者に小銭をくれてやる優しさや、花屋の店先で鉢植えから落ちた花を鉢にもどしてやる姿、あるいは歩道を嬉しそうにはしゃいで、父親と歩く子供に向ける眼差しとか。

スウェーデンの父との別離、母親からの厳しいピアノレッスン。ハーフへの差別、貧しいドイツ留学生活、聴力の喪失などの苦難を乗り越え、夢を諦めなかった彼女の人間性と音楽に対する意気込み。

遅咲きのピアニストではあるが、毎日の練習時間を6時間とし、常にコンサートの曲は暗譜をして、譜面を見ないで弾いているのだ。両方の耳の聴力を失くしてからは、自分の感性と子供のころに弾いた曲を思い出しながら、演奏曲に強弱をつけて、その曲を自分流に解釈してアレンジをし、弾いて聞かせているのも素晴らしかった。

パりでの生活に密着取材、そこには愛ネコの“ちょんちょん“がいる。かなり高齢らしく、後、何年生きられるか分からないというのだ。自分もそう、80歳を過ぎても、世界を飛び回り演奏を続けている彼女のタフさは、どこからきているのだろう。

彼女と家族を日本に捨て置いたスウェーデン人の父親が、デザインして描いたポスターを見て、まぁ、こんなものを作れるんだから、彼も悪いだけの人間じゃなかったと思う。と心に父親の面影を見ている。弟がいるのだが、日本で俳優をしているのだ。

映画の中では、たくさんのピアノ曲を弾いてくれる。中でもラストの、リストの曲で「ラ・カンパネラ」は圧巻でした。「ラ・カンパネラは誰よりも自信がある。魂を込めて引かないといけない曲だから、ごまかしがきかない」と豪語する、彼女の生きざまを教えてくれる。

日本には京都と母親が遺してくれた家を始め、ニューヨーク、パリ、ドイツなど、彼女が持っている家が数件ある。自分の今までの苦労を、その家を残して回るという楽しみを、「人生とは、ゆっくりと時間をかけて、私を愛する旅」だと自身を語る、彼女の過去と現在とを並列させることで生まれるモンタージュ。それに加えて、何気ないインサート映像を挟むことによって、フジコ・ヘミングの人柄を浮かび上がらせようと試みている映画でもあります。

 

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パンク侍、斬られて候★★★

2018年07月09日 | アクション映画ーハ行

芥川賞作家・町田康が執筆した、江戸時代が舞台の人気小説を映画化。規格外の能力を持つがいいかげんな侍である主人公・掛十之進には綾野剛がふんし、自らがまいた種で起こる騒動に翻弄(ほんろう)されるさまが描かれる。『謝罪の王様』などの宮藤官九郎が脚本を手掛け、『シャニダールの花』で綾野と組んだ石井岳龍監督がメガホンを取る。共演は、北川景子、東出昌大、染谷将太、浅野忠信、渋川清彦、國村隼、豊川悦司ら。

あらすじ:江戸時代とある街道で、自らを「超人的剣客」と豪語する浪人・掛十之進(綾野剛)が突然、巡礼の物乞いを斬り捨てる。彼は、この者たちがこの地に恐るべき災いをもたらすと言い放つ。黒和藩の家老・内藤は、掛の語る新興宗教「腹ふり党」の脅威を利用して政敵を陥れようと企むのだが、・・・。

<感想>江戸時代を舞台に、隠密ミッションをめぐって繰り広げられる10人の男たちの腹の探り合いと、1人の女をめぐる恋の行方、そして謎の猿将軍が明かす驚がくの真実を描き出している。とここまで面白そうになってましたが、違うんですね。最後には、主人公の十之進さえも“騙される”という予想外の展開と、江戸時代でありながら現代風の口調で紡がれる滑稽な会話劇に続き、後半では猿と人間による壮絶な大合戦が壮絶であります。

「シン・ゴジラ」の特技統括を務めた特撮監督の尾上克郎が手がけた合戦シーンは、CGで、多い時では1カットに1億匹の猿、3000人の人間が映り込むことがあるという。

それに超人的剣客にして適当なプータロー侍の主人公・掛十之進を、綾野剛が演じているのが最高でした。共演には北川景子、東出昌大、染谷将太、浅野忠信、永瀬正敏ら豪華実力派俳優陣が集結しており、さらに物語の鍵を握る猿将軍・大臼延珍(デウスノブウズ)を、永瀬正敏が特殊メイクで演じていた。

主人公の掛をはじめ、様々な濃いキャラクターたちが縦横無尽に活躍し、人と猿と腹ふり党の合戦があり、と非常に欲張った映画だと豪語する石井監督の言葉通り、映画の仕上がりは前代未聞の作品に出来上がっていた。

“将軍の格好をした猿”の名前は、大臼延珍(デウス・ノブウズ)。メイクアップアーティスト・JIRO氏による特殊メイクを施されて同役を演じた永瀬正敏。なおかつナレーションをしていたことは、ネタバレ禁止って何故?

これが実は宮藤官九郎の独自の工夫であるらしく、大きな意味があると言うのだ。しかしだ、そんなに巧く機能していないようだった。と言うか、パンクがオリジナルのロックの活気リバイバル戦略として、チンピラさを意識的に演じたメタなものなのだと言うことと、この物語全体が登場人物を突き放した語り手に語られていないように見えたから。

浅野忠信さん演じる茶山半郎の初登場シーンでは、全部浅野さんのアドリブだそうです。顔になにやらいろいろと線を描き、まるでキチガイの風体ですから。黒子2人は、黒人の俳優さんみたいな、でも流暢に日本語でセリフを喋るし、その横では染谷将太の侍が、冷静にセリフを言っているし、そして最後には裸になり、腹ふり党信者になり踊り出し、本当にカオス状態。訳が分からない。

それでも全編に渡って、フトドキでふざけていて、不真面目であるけれど、狂った態度に狂った騒動があちこちに、世界の現実や世間のデタラメが透けて見えるもんだから、もう面白いったらなかった。

宮藤官九郎の脚本も原作にノリノリであり、とんでもなく自由奔放であった。だから演技陣の真面目な怪演もワクワクとさせるし、各キャラのなりふりも超リアリズムで度肝を抜いているのだ。天下分け目のヤラセの大暴走に、猿まで加わっての大迷走。それに、北川景子のキャラも珍しくぶっ飛んでいて、最後には親の敵討ちを決めていて良かった。

新興宗教とやらは、ふんどし一丁で、ハラボテの腹に丸を書いて、何も考えずにただただ酒を飲み遊び呆けて、腰ふりダンスで踊れば楽しいと言う世の中では、財政も困窮しているし、どうやって食べて暮らしていけるのだろう。

それもこれも、内藤と犬猿の仲にある次席家老・大浦主膳を失脚させるために利用しようと考えた策略。その計らいは見事に成功…その後、“腹ふり党”が既に存在しないという事実を知った内藤は、黒和藩に転がり込んだ掛(綾野剛)にとんでもない事を命じる。

嘘のでっち上げ騒動が、政略に不満を持つ民衆たちの大騒動となり、始終がつかなってしまうという話なのだ。それもこれも、殿様が我が藩の一大事ゆえにと、自分がその猿と民衆の合戦に出てゆくものだから、殿様だろうがこてんぱんにやられて殺されてしまうのだ。こんなのってあるか、呆れてモノも言えなく、バカバカしくさえ思う。観ていて、殺伐としていて、楽しくないのだ。

だから、そんなに観客には好評でもなく客数が少ないし、余りと言うか笑いどころ満載と言うほどでもなく、内容的には白けていましたね。

 

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ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー★★★・5

2018年07月05日 | アクション映画ーハ行

「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」に続く「スター・ウォーズ」スピンオフ・シリーズ第2弾。「スター・ウォーズ」シリーズの中でも屈指の人気を誇る銀河最速のパイロットにして愛すべきアウトロー、ハン・ソロの若き日に焦点を当て、伝説のヒーロー誕生までの知られざる物語を描き出す。主演は「ヘイル、シーザー!」「ハリウッド・スキャンダル」のオールデン・エアエンライク。共演にウディ・ハレルソン、エミリア・クラーク、ドナルド・グローヴァー。監督は「ビューティフル・マインド」「ダ・ヴィンチ・コード」の巨匠ロン・ハワード。

<感想>本作が描くのはハン・ソロの知られざる過去。現代的にはシリーズ1作目「新たなる希望」の約10年前に当たる。それはつまり銀河帝国による圧政下の時代。銀河一のパイロットを目指すハン・ソロは帝国のアカデミー出身だったという驚きのエピソードも明かされる。「スター・ウォーズ」シリーズ屈指の人気を誇る“愛すべき悪党”ハン・ソロ。彼はいかにして銀河最速のパイロットになったのか。ルーク・スカイウォーカーやレイアに出会う前の、若き日の彼に何があったのか?シリーズ屈指のモテ男としても知られるハン・ソロ。「帝国の逆襲」における、レイアとの「愛してる」「知っているさ」というやり取りは、余りにも有名だが、今回はレイアとの前に恋に落ちていたとされる幼馴染の美女キーラとの関係も明らかにされる。

「フォースの覚醒」でも重要な役割を担ったハン・ソロの愛機ミレニアム・ファルコン。これはもともと悪友ランドの持ち物だったが、それがハン・ソロの手に渡る経緯も今回見どころとなる。先端部分の形状が今までに登場したファルコン号と少し異なる点にも注目したい。

ハン・ソロにとって幸運のお守りとなっているのが、鎖で繋がった2個のサイコロ。最初は「EP4」のミレニアム・ファルコン号のコックピットの場面で映し出されるが、後に「最後のジェダイ」でも、ハン・ソロを象徴するアイテムの一つとして登場した。このサイコロのおかげで、ランドからファルコン号を勝ち取ったとされているのだが?・・・。

若きハン・ソロという大役を射止めたのは「ヘイル、シーザー!」で脚光を浴びたオールデン・エアエンライク。ハン・ソロの幼馴染の女性キーラには、「ターミネーター:新起動/ジェニシス」のエミリア・クラーク。そして、ハン・ソロを導く師ベケットには「スリー・ビルボード」のウディ・ハレルソン。

それに、ハン・ソロの悪友としてお馴染みのランド・カルリジアンの若日を演じるのは、グラミー賞受賞アーチストで俳優のドナルド・グローヴァー。監督は「ビューティフル・マインド」でアカデミー賞監督賞を受賞した巨匠ロン・ハワード。また、「スター・ウォーズ エピソード5/帝国の逆襲」からシリーズに携わっているローレンス・カスダンが本作でも脚本を担当している。

「スター・ウォーズ」史上に残る名コンビ、ハン・ソロとチューバッカ。二人の友情の原点も今回明らかになる。チューイを演じたヨーナス・スオタモは「気安く何でも言える二人の関係の始まりを見ることになるよ。あと、観たことも無いチューイも見られるかも」って気になるよね。

「スター・ウォーズ」に欠かせないのがR2―D2やC-3PO、BB-8など個性的で魅力的なドロイドたち。今回は中心キャラクターとしてシリーズ初となる女性型ドロイドの“L3-37”が登場する。ランドの相棒であり、「自分で自分を組み立てた」という設定になっている。

「スター・ウォーズ」のファン、さらにはハン・ソロのファンとして、観たかったシーンのオンパレードであり、まさにお腹一杯になる。

ランドとの賭けごことや、ミレニアム・ファルコン号との遭遇など、過去シリーズではセリフだけでしか語られなかったものが、ここでは映像となって観ることができるのだから。

何て言っても注目は、相棒チューバッカとの出会いと絆の深まり。シリーズ初めてのハンが、ウーキー語を話す場面では、思わず吹き出しそうになった。

一方で、彼らがファルコン号のコックピットに初めて並ぶシーンでは、胸が熱くなってしまった。さらには、命を救い、救われる、そんな展開を目の当たりにすると、この二人が切り離せぬ関係であることが良く分かる。

銀河系高速ミレニアム・ファルコンの速さを象徴するセリフとして、有名なのが「EP4」でのハン・ソロの「ケッセル・ランを12%で飛んだ」というフレーズ。ケッセル・ランというのは、惑星ケッセルの航路のことで、バーセクトは距離を表す言葉。これがどれだけ速いことを示している言葉なのか、本作でついに明らかになる。

強盗団ベケットのチームに加わったハン・ソロとチューバッカは、莫大な金を生む仕事に挑むことになる。その仕事は不測の事態で失敗に終わるが、強烈なカリスマ性を持つベケットを、ハン・ソロは師のように仰ぐようになる。

豪雪の惑星を走る列車でのガン・アクションのシーン、この特急列車は帝国軍の特殊車両のようで、ハンとチューバックがストームトルーパーらしき帝国軍兵士と激しく戦闘するシーンも見られる。列車に積まれているお宝を強奪するために、車両の連結部分を切り離すのもスリル満点だ。まるで西部劇のガンマンのようだ。強盗団を相手に対峙するシーンもあり、この場面だけみたら西部劇そのもの。

仕事に失敗をしたベケットたちに、依頼主である犯罪王のドライデン(ポール・ベタニー)は最後のチャンスとしてある任務を与える。ちなみに、幼馴染のキーラは、ドライデンとも恋仲のよう。

その任務には、危険な航路ケッセル・ランの横断が不可欠であり、そこで、彼らが“銀河系最速の船”を持つ男のもとへと向かう。それが、ハン・ソロの悪友としてお馴染みのランド・カルリジアンの持ち船である、ファルコン号なのだ。その時ハン・ソロは知らなかった。自らを待つ運命の出会いを、そして、その先にある想像を絶する大冒険を。

とにかく、「スター・ウオーズ」ワールドのヒーローの多くはジェダイ騎士だが、ハン・ソロはそうではない。フォースを使うには俗っぽすぎる。人として良い面も、悪い面も、強い面も弱い面もある。ジェダイには禁じられている恋もする。多くの観客を惹きつけたのは、そんな人間性があったのではないだろうか。

でも、これ1本では、正直のところ消化不良な部分が多いし、その解決編は続編にでも期待するしかないのかもしれない。

 

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ブリグズビー・ベア★★★・5

2018年07月03日 | アクション映画ーハ行

アメリカの人気バラエティ番組「サタデー・ナイト・ライブ」で活躍するコメディ・ユニット“GOOD NEIGHBOR”のメンバー、カイル・ムーニーが脚本・主演を務め、同じくメンバーの一人、デイヴ・マッカリーが監督を務めた異色のハートウォーミング・ドラマ。赤ちゃんの時に誘拐され、外の世界を知らずに育ち、大人になって突然解放された青年が、初めての世界に戸惑いつつも、周囲の優しさに支えられてある願いを叶えるべく奮闘していく姿を心温まるタッチで描き出す。共演はカウンセラーのクレア・デインズ、誘拐犯人のマーク・ハミル、ヴォーゲル刑事にグレッグ・キニア。

あらすじ:両親と小さなシェルターの中で平和に暮らしてきた25歳の青年ジェームス。彼の楽しみは、子どもの頃から毎週ポストに届く教育ビデオ「ブリグズビー・ベア」を見ること。ところがある日、警察が来て、両親だと思っていた2人が、赤ちゃんだった彼を誘拐した犯人だと判明する。突然外の世界に連れ出され、本当の両親と高校生の妹と一緒に暮らすことになったジェームス。何もかもが初めてで、戸惑うばかりだったが、何よりもショックだったのは大好きだった「ブリグズビー・ベア」が、偽の両親によってつくられていたため、2人の逮捕によって新作が見られなくなってしまったこと。その事実をどうしても受け入れられず、自ら「ブリグズビー・ベア」の映画版をつくり、シリーズを完結させると決意するジェームスだったが…。

<感想>「ハンソロ」を降板したマーク・ハミルが、ダークサイド側の父親として出てる作品。とてもいい感じで、演技派でありこれからもマーク・ハミル出演の映画があることを願います。どちらかと言うと「ルーム」と似ているような、しかし、この映画が救いなのは、ジェームズを誘拐した夫婦が、ジェームズに愛情を注いで育てたことであり、そこは、時々邦画の「万引き家族」を思い出しますね。これは、本当は子供が大好きだけれども、子供を持つことができない夫婦の不幸から生まれる物語。

25年間の穴倉生活で得たことは、偽の父親が自主制作映画の「ブリグズビー・ベア」の楽しさにつきる。勉強よりも、毎日父親が創ってくれたアニメを観ては、楽しさや哀しみ、悪いこととか等を学び、規則正しい生活を送ってきたこと。それが、少しも嫌で苦にならなかったジェームス。

本当の両親と妹との生活も悪くはなかったが、どうしても彼には「ブリグズビー・ベア」の続きが見たかったのだ。偽物の父親が捕まってしまい、続編が見られなくなってしまったので、自分で撮影して映画を作ろうと考える。

実際には、本当の両親には、普通の子供のように学問や習い事とかを、これから学ばせようと考えていたのに。息子が誘拐犯に洗脳されてしまい、食事や身の回りのこととか、実の親が教えてあげようとすることが出来ない寂しさ。

カウンセラーのクレア・デインズによると、彼の好きなように生活を送ることが大事だと。現在の親も同じように、子供に習い事や躾を厳しくするのは、あまり好ましくないと思うようになる。自分が子供時代にさせられなかったことを、親は子供に押し付けることがある。

とにかく、25年もの間、穴倉生活をした子供とは思えない、少し幼児性が残っており、自分のやりたいことを頑固にやり通したいのだ。つまり、「ブリグズビー・ベア」の映画製作を、元父親がしていたように、自分もやってみたいと思うようになる。

それにしても、学校でも虐め似合わずに、というか、一人での生活が長かったので、虐めとかに会っても動じない素直ないい子なのだ。ただ、本当の親にしてみれば、25歳にもなって子供じみたぬいぐるみのアニメを制作するのに夢中になるのが、虚しく感じるのだろう。PCの使い方も知らなかったみたいだし、これからもっと高等科の勉強でもさせて、結婚も考えておこうと思ったに違いない。

女子の問題は、学校で今時の女子の方が進んでいるので、心配なかったようだ。悪い人にも騙されずに、学校の友人たちもジェームスのアニメ作りを手伝う優しさがある。ラストの上映会には、あの悪者の声優には絶対に元の父親でなければ成り立たないのだ。確かに世間からみれば、元の父親は悪者だけれど、この物語の悪者での悪役は“サン・スナッチャー”だけだろうに。

始めての世界観に、刑事のグレッグ・キニアの優しさと、ジェームスの映画製作にも協力を惜しまない。みんなが、ジェームスをバカにしないで素直な気持ちで、彼に接して映画を一緒に作ることに専念するのが素晴らしかった。

ジェームスが地下室で暮らした25年間、毎日の楽しみや希望を持ち、生きる糧となったのは、父親の作った「ブリグズビー・ベア」だったから。誰にでもある人生にとっての何かは、それは人それぞれだろうが、私には映画が一番の憩いだ。

 

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ビューティフル・デイ★★★

2018年06月30日 | アクション映画ーハ行

カンヌ国際映画祭で脚本賞と男優賞の2冠に輝いたクライム・ドラマ。ジョナサン・エイムズの同名小説を「少年は残酷な弓を射る」のリン・ラムジー監督、「ザ・マスター」「インヒアレント・ヴァイス」のホアキン・フェニックス主演で映画化。闇社会での人捜しを専門に請け負う孤独な元軍人の男が、組織に掠われた少女を救出する中で思わぬ陰謀に巻き込まれていくさまと、心が壊れてしまった少女との間に芽生える絆の行方をスタイリッシュなタッチで描く。共演はエカテリーナ・サムソノフ、ジュディス・ロバーツ。

あらすじ:元軍人のジョーは行方不明者の捜索のスペシャリスト。トラウマに苦しみ、自殺願望を抱えながらも、危険な汚れ仕事で生計を立て、年老いた母を世話していた。ある日、警察沙汰にしたくない州上院議員から、10代の娘ニーナを売春組織から取り戻してほしいという依頼が舞い込む。さっそくハンマー片手にニーナが囚われている娼館に乗り込み、無事少女を救い出すことに成功するジョーだったが…。

<感想>あの超・実力派にして超・個性派であるホアキン・フェニックス、本作では大きなトラウマを心に抱える、捜索・暗殺のプロを演じ切った、こん身の姿から目が離せない。

ジョーが自殺願望にさいなまれるのはなぜなのか。幼少時の父親からの壮絶なる虐待、過去のトラウマがフラッシュバックする。

セリフが少ないし、寡黙な殺し屋というと、「レオン」を思い出すが、それとも違う人物像であり、アカデミー賞に3度ノミネートされた確かな演技力の持ち主が、カンヌ国際映画祭で男優賞を受賞した。

死の誘惑に取り憑かれた凶暴な男が、ブロンド美少女を性的虐待から救出する構図は、余りにもハードボイルドの典型に収まっているが、少女を演じたエカテリーナ・サムソノフは、きっとワシコウスカや、ファニング姉妹の後釜を継ぐスターになると思いますね。

孤独な「一人」と「独り」が対峙する、二人のシーンが印象的でした。ジョーが年老いた母親と銀食器を磨くシーン。

彼が母親と暮らしているが、意外と母親には優しい言葉を投げかける。その母親が、自分の仕事の敵に殺されたことに腹を立てて、キッチンで死にかけた男(幼児性虐待の州知事)に、まるで獰猛なオオカミのような凄みで悪党どもに襲い掛かる。

何ともはや、セリフではなく中年太りのフェニックスの後ろ姿から物語っているようだ。リン・ラムジー監督の圧倒的な緊迫感と斬新な手法で描かれる攻防は、見る者を驚かせる。

少女が監禁されている建物に乗り込み、一歩一歩進んでいく主人公をカメラがとらえ、緊迫感が高まっていく。だが、その後何が起こるのかをズバリとは映さない。説明的な描写は可能な限り排除しており、観客の想像力を搔き乱させる情報だけを映し出し、「そこで何が行われていたのか」を見ている観客に感覚として痛烈に伝えるのだ。この先鋭的な演出力に戦慄を覚える。

それに、音響効果も相俟ってか、ノイズのノコギリの音のような不快な音が奏でられ、この映画を作り上げるための完璧な一部となっているのにも驚かされた。それが、世界的人気を誇るロックバンド“レディオヘッド”で、サウンドの中核を担う、ギター担当のグリーンウッドが、濃厚なサウンドを作り上げているのである。

緊張と不安がかき立てられるシーンでは、神経を逆なでするノイズが、不協和音のように鳴り響き、犯罪組織に迫るとともに、重低音が主人公の鼓動を表現するかのように高まっていく。「ファントム・スレッド」で第90回アカデミー賞作曲賞ノミネートを受けていて、この物語との一体感が強烈すぎるくらい盛り上げるのには重要な役割である。

優しさやユーモアがほの暗い灯の中で、孤独な人間の心に満ちた怒りは哀しみへと変わっていくのだ。このシーン、静かな変化に息を潜めて観るのは辛いが、ラストシーンが素晴らしかったので良しとしよう。ジョニーと助けた少女ニーナの迎える朝は、最後に残る気配までが、タイトル通りの美しさだった。

 

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フロリダ・プロジェクト 真夏の魔法★★★・5

2018年06月26日 | アクション映画ーハ行

前作「タンジェリン」で注目を集めたショーン・ベイカー監督がフロリダの安モーテルを舞台に、社会の底辺で生きる母娘の厳しくも愛おしい日々を優しく見つめた感動ドラマ。やんちゃな6歳の女の子が、過酷な現実の中でも周囲の大人たちに守られて伸び伸びと暮らしていく姿を、次第に浮かび上がるアメリカ社会の矛盾とともにカラフルな映像美で描き出していく。主演は天才子役と高い評価を受けたブルックリン・キンバリー・プリンスと演技初挑戦のブリア・ヴィネイト。共演に本作の演技でアカデミー賞助演男優賞にもノミネートされたウィレム・デフォー。

あらすじ:“夢の国”ディズニー・ワールドのすぐ隣にある安モーテルに流れ着いたその日暮らしのシングルマザー、ヘイリーと6歳の娘ムーニー。無職のヘイリーが滞在費の工面に頭を悩ませる一方、ムーニーは同じモーテルに暮らす子どもたちと一緒に、周囲の迷惑も顧みずにイタズラし放題の冒険に満ちたキラキラの毎日を送っていた。管理人のボビーは、そんなムーニーたちのやんちゃぶりに手を焼きながらも、優しく見守っていくのだったが…。

<感想>この映画は、夢の国「ウォルト・ディズニー・ワールド」リゾートがすぐそばにありながら、その華やかさとは全く縁がない世界の話。今から、50年以上も前に、ウォルト・ディズニーはフロリダ州オーランドに、第二のディズニーランド、しかも単なるリゾート施設ではない、実験的未来都市を作るつもりで土地を購入した。計画半ばでウォルトはこの世を去り、最終的に彼の志とは異なる形になったものの、1971年、世界最大級のリゾ-トが完成。以来、ウォルト・ディズニー・ワールドは、リゾ-ト施設として未だに世界最高の入場者数を誇るという。

今年のアカデミー賞でタイトルを聞くまで、そういう映画の存在も知らなかったのだが、世界にその名を轟かせるこの夢の国のごく近い距離にありながら、その華やかさとはまったく縁のない世界を描いた傑作でもあります。

舞台はディズニー・ワールドへとやってくる観光客を目当てに建てられたモーテル群。近くには高速道路が走り、確かに需要はありそうに見えるが、実際のところ、モーテルを利用しているのは、殆どが職なしか、金なし、他に行き場のない人々たち。

主人公のヘイリーとムーニー母娘が、その日暮らしをしているのも、そんなモーテルの一つ“マジック・キャッスル”だ。紫いろの魔法のお城で暮らす子供たちは、したたかである。通りすがりの観光客や大人に小銭をねだれば、アイスクリームを食べられるからだ。友達みんなで一つのアイスでも、一緒に食べればそれも楽しいおやつタイム。車にツバを吐いて遊び、近所の空き家を探検し、挙句に果てには放火までする。

元気いっぱいやりたい放題の子供を放っておくしかないほど、大人たちの生活は汲々としている。モーテルは宿泊施設なので、無期限に住むわけにはいかない。それでもいったん入ったら、これ幸いと出て行く人もいない。追い出したくとも、ヘイリーとムーニーのような、他に身寄りもなく生活の手立てもなさそうな母娘が相手となると、並みの神経ではとても邪険には扱えないし追い払えないのだ。

タイトルの“プロジェクト”には、「低所得者向け公共住宅」とか、「貧困地域への支援活動」という意味があるらしい。まさにこの「モーテル」が「フロリダ・プロジェクト」そのものなのだ。まさにフロリダ独特のパステルカラーを使って表現している、とても巧い演出効果である。それに、花火に虹とくればなおさらのこと。

毎日の食事は、食堂の残り物や、教会の支援がなければ暮らせず、家賃を捻出するためにインチキな香水を観光客に売りつける。ヘイリーが娘と生きてゆくために取った手段は、モーテルの部屋に観光客を売春でおびき寄せることだ。それこそが彼女から娘を取り上げる理由になってしまう。そんなこと、充分に分かり切ったことなのに。

この映画が、是枝裕和監督の「誰も知らない」を参考にしたところがあるそうですが、児童福祉局が介入してヘイリーとムーニーは、引き離されることになります。この映画はドキュメンタリーなのか、生意気で小憎らしい子供たちの下品な言葉使いとか、子供たちと大人のやりとり、言葉や動きのすべてが、そこに暮らしている時間が溢れて寒気がするほど。

監督が実際にその場所で、自分の耳、眼で見聞きして来たそのままを、どういう手段でかスクリーンに映しだしたものを見せられているという感じになっている。そんな彼女たちにも頼りになる人がいないわけではない。モーテルの管理人ボビーがその人で、演じているウィレム・デフォーがぴったりのハマリ役でした。

彼自身も大した力があるわけではないが、大きな頼もしい安心感を母娘に、観ている観客にも与えてくれる。ですが、彼にも出来ないこともある。それは、別のモーテルに住んでいるアシュリーという友達、娘がジャンシーと言って、ムーニーと仲良しである。アシュリーはファミリーレストランで働き、残り物をヘイリー親子に分けて上げている。

だが、ヘイリーが売春をしてしまい、そのことが自分の娘の教育上に悪いことと知り、警察へ電話をして児童福祉局から局員たちが調べにくる。ヘイリーは、自分のしていることが、その内に警察に知れることとなり、娘と離れて暮らすことを考えていたに違いない。ある日の朝は、二人で立派なホテルに忍び込み、モーニング・バイキングをたらふくご馳走になる。

そして、児童福祉局の人たちが娘のムーニーを迎えに来ると、ムーニーは直ぐに隣のモーテルの親友ジャンシーの元に行き、ムーニーが初めて涙を見せる場面に、それを見たジャンシーがとっさにムーニーの手を掴んで、高速道路の向こう側にある「ディズニー・ワールド」へと二人で手を繋いで入って行くのでした。そこには、綺麗な虹が出ていてこれからの未来を祝福しているようにも見えましたね。

これが英国映画なら、福祉行政の谷間の出来事として描き、時には母親に対して厳しい処断を下すところだが、そこには最大限個人の自由を認めるアメリカのこと。法に触れないかぎり、モーテルに住む人々、中でも子育て中の母親に暖かい手を差し伸べるのだ。

最後の魔法の在りかを見つける子供たちも素晴らしいが、この母親の芯の強さには驚き返す言葉もない。安易な成長を拒否するかのようにひたすら娘に愛をそそぐその頑固一徹さはどこから来るのか。そこに管理人のウィレム・デフォーも、びっくりの移民の底力を見せつけられたような気がした。

ショーン・ベイカー監督の全編iPhoneで撮影した映画「タンジェリン」は、まだ観ていないので、これからDVDで鑑賞したいと思っています。

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羊と鋼の森★★★・5

2018年06月16日 | アクション映画ーハ行

第13回本屋大賞に輝いた宮下奈都の同名ベストセラーを「orange-オレンジ-」「四月は君の嘘」の山崎賢人主演で映画化した音楽青春ドラマ。一人前の調律師を目指して楽器店に就職した主人公が、個性豊かな先輩調律師たちや高校生姉妹をはじめとする仕事先で出会う人々との交流を通じて、何度も迷い悩みながらも逞しく成長していく姿を描く。共演は鈴木亮平、上白石萌音、上白石萌歌、三浦友和。監督は「orange-オレンジ-」の橋本光二郎。

あらすじ:北海道の山奥で育った高校生の外村直樹は、たまたま学校のピアノの調律現場に立ち会い、その音に生まれ故郷の森の匂いを感じて魅了される。音楽の才能もクラシックへの興味もなかった外村だったが、このとき出会った調律師・板鳥宗一郎に憧れ、自分も調律師になることを決意する。やがて調律の専門学校を卒業した外村は、めでたく板鳥と同じ楽器店に採用される。そして先輩調律師・柳伸二について調律の仕事を一から学んでいく。そんな中、対照的なピアノを弾く高校生姉妹・佐倉和音と由仁と出会い、改めて調律の難しさと奥深さを実感していく外村だったが…。

<感想>山崎賢人主演と言うので鑑賞しました。彼が高校卒業後の就職が決まっておらず、その後に学校に来たピアノの調律師と出会い、何故かピアノの音と、自分が住んでいた故郷の森の中がすんなりとピアノの音と重なり合って行くところから、彼がピアノの調律師を目指して成長していくことを描いている。たった、一つのピアノの音が、自分の心の声に寄り添い、故郷の森の中を彷徨う。外村直樹がピアノの調律をする時に、彼が森の中に分け入るシーンが描かれるのですが、この森の新緑のシーンが幻想的でとても良かったです。とても美しい映像で、丁寧な描写が素晴らしいのですが、何より印象的なのはピアノの“音”でした。

ピアノの演奏シーン以外で、音が流れる事はほとんどなく、ピアノの鍵盤を叩く音から、調律中の動作の音とか、新緑の森を直樹が歩く音。小さい時からピアノを習っていた私でも、ピアノの調律師になりたいとは考えたこともなかった。この主人公は、ピアノに触れたこともなく、ピアノを弾いたこともないのに、よくぞピアノの調律師という職業を選んだと思いましたね。

しかし、森で囲まれた家で育った青年がピアノの調律師になり、先輩たちの調律を学びながら、たくさんのピアニストと心を通じ合い、苦悩や葛藤、挫折を味わい、仲間に支えられながら成長していくヒューマンドラマとなっていた。

先輩の鈴木亮平が演じる柳が、とても親切に教えてくれるし、優しいし、外村がピアニストから悪口言われても、フォローしてくれる関係性も良かった。

仕事先で、ピアニストを目指す双子姉妹を、東宝シンデレラの姉妹女優・上白石萌音と上白石萌歌が演じているのも良かった。

姉妹でも、姉の萌音は気難しいような、ピアノの練習を何度も練習する物静かで神経質な性格であり、優しい静かな音楽を好む。

妹の萌歌はと言うと、明るく元気な性格で、ピアノを弾く時も元気があるので鍵盤を強く叩くような性格で、飛び跳ねるような曲が好き。だから、姉妹が一緒に惹いているグランドピアノは、そのどちらにも合うように調律しなければならない。これは本当に難しいと思う。ピアノを弾く人によって、鍵盤の叩き具合や、優しくなでるように引く人もいるので。

それで、この姉妹からのピアノの調律師として、文句が出て来る。コンクールに向かって練習している姉妹にとっては、自分たちの家にある練習のピアノの音が狂っているのでは、練習にはならないからだ。

だから、誰にでも合うように調律するためには、三浦友和演じる調律師・板鳥宗一郎のようにならなければならない。まず、耳が良くなければならない。それと自分でも、あるていどはピアノを弾ける力があることです。

また、外村が独り立ちしての最初の家、位牌が二つ置いてあり、犬の首輪を青年が持っているのですが、青年が暫らく弾いてなかった埃だらけのピアノ。それを調律する彼が、またその青年がこのピアノを弾いてみたくなったことを考えて調律する。ここはセリフを少なくして、音楽の力で見せるから、泣かせるシチュエーションでしたね。

ラストで先輩である柳に扮していた鈴木亮平の、結婚式場のピアノの調律を頼まれ、そのピアノを弾くのが姉の萌音だと言うこと。ピアノコンクールで失敗をしてしまい、演奏がうまく弾けなかったことから挫折をして、ピアニストを断念してしまったらしい。その彼女がまた、ピアニストとして演奏をして羽ばたく姿が見れたことに感激しました。

楽器店の店主でもある三浦友和さん演じる、調律師・板鳥宗一郎が、有名な一流ピアニストのコンサートで弾く、グランドピアノを調律するところでは、何度もそのピアニストが細かく要望を板鳥に伝える。それに応えて、ピアノの足の向きを変えたりし、又は弦のビスを強く締めたりしてピアノを調律するコンサートチューナー

北海道の美しい景色に、ダイヤモンドダストなど、そしてまた選曲が良かった。1曲1曲が登場人物の設定や、エピソードに合わせた曲が流れていて、物語のピアノの調律の話と上手く合わせているところも。またテーマ曲「The Dream of the Lambs」を久石譲が作曲して、辻井伸行が演奏していたなんて、素晴らしい。

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ファントム・スレッド★★★★

2018年06月08日 | アクション映画ーハ行

「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」のポール・トーマス・アンダーソン監督とダニエル・デイ=ルイスが2度目のタッグを組み、1950年代のロンドンを舞台に、有名デザイナーと若いウェイトレスとの究極の愛が描かれる。「マイ・レフトフット」「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」「リンカーン」で3度のアカデミー主演男優賞を受賞している名優デイ=ルイスが主人公レイノルズ・ウッドコックを演じ、今作をもって俳優業から引退することを表明している。

あらすじ:1950年代のロンドンで活躍するオートクチュールの仕立て屋レイノルズ・ウッドコックは、英国ファッション界の中心的存在として社交界から脚光を浴びていた。ウェイトレスのアルマとの運命的な出会いを果たしたレイノルズは、アルマをミューズとしてファッションの世界へと迎え入れる。しかし、アルマの存在がレイノルズの整然とした完璧な日常が変化をもたらしていく。第90回アカデミー賞で作品賞ほか6部門にノミネートされ、衣装デザイン賞を受賞した。

<感想>1950年代のイギリスのクチュールの世界は、一人の男性が中心となって多くの女性に囲まれて仕事をするという形をとっていた。お針子さんたちが、手仕事をすべてやっていて、ドレスを作り上げていく、奇妙な世界だと感じたのだが。日々いろいろなクライアントがアトリエにやって来て、仕立て屋/デザイナーとどのように付き合っているかなどにも興味がそそられたし、クライアントはレイノルズを賛美し、彼もクライアントを美しく着飾り喜ばせようと願うのだ。特に、オートクチュールの仕立て屋、レイノルズ・ウッドコックのモデルになったようなクチュールのデザイナーがいたというのだ。

それは、クリストバル・バレンシアガ、クリスチャン・ディオールなどであり、彼らには共通点があったし、異なる点もあった。だから誰かをモデルにしたというふうには言えないという監督。

レイノルズはとても変わった男だから、鋳型を特定の誰かからとったというわけではない。多くのポール・トーマス・アンダーソンの映画がそうであるように、本作はキャストの演技があるからこそ生まれる深みが、見応えの一つでもあります。3ケ月の撮影の間、可能な限りその役になり切り、可能な限り深く役柄の心理に迫る、というその鍵ともなるメソッド・アクターとして、定評のあるダニエル・デイ=ルイスの成りきり演技が見事に映えていた。

今回も彼は役作りに厳しく極端だったという。それがダニエルとの仕事の方法なんだと受け入れるしかないと言う監督。それは主人公のウッドコックがそうであるような、規律ある生活を送るからで、そうすることでが演技に役立ち反映されるのだ。

このベテラン俳優を相手に、ヒロインであるカフェのウエートレス、アルマを演じるのは、ルクセンブルクの若手女優ヴィッキー・クリープスである。彼女の演技は、ディ=ルイスの完熟した演技とは対照的に初々しく新鮮で、演じるキャラクターに並行した関係にあるように思える。アルマはクチュール界の大物ウッドコックに最初は圧倒されつつも、次第に心を開き彼を魅了していく。

主人公が屋敷の中で無力化されていく映画は「レベッカ」とか「ガス燈」とかあるけれど、ここで囚われの身になるのは男の方である。自己中心の完璧主義者で、こういう人間性は思い当たるところもあり、不安を掻き立てるのだ。

それに、彼の仕事に異常な関心を持ち、結婚もしないで見守る姉のレスリー・マンヴィルも優雅でリアルである。だが、このゴシックロマンふうな映画で怖いのは、あどけない顔で登場し、時間の経過とともに男の性格まで変えていくヴィッキー・クリープスなのだ。

映画を通して二人の関係は予想もつかない方向へと転換していく。アルマは、おどおどしているのか、ずるがしこいのか、どちらなのかはっきりしない。それとも単に可愛らしいだけの女性なのか。その不確かなところが、その後にゆっくりと、彼女のパワーが紐解かれていく。彼女には、彼が想像した以上の力があると睨んだ。

明らかに彼女はヨーロッパのどこからかやってきた移民で、戦時中には悲惨な目に遭っているのが想像できる。口うるさい英国人の仕立て屋なんかより、ずっと難しい人間的な苦難に遭遇してきたはずだから。

彼女にとって彼は、容易に対応できる小さな問題でしかなかったのだと思う。そんな彼女の生い立ちから考えると、彼女は事実上あの家の中で最強にして最高に賢い人間なわけだ。どんな高貴な人と一緒にいたとしても、・・・。彼女にはどこか、それを超えたものがあるから。

最初は、ウッドコックが支配的であったかに思えた恋愛関係の、バランスが崩れるところに、この映画の緊張とスリルがある。逆に恋愛の在り方は古典的で、ベッド・シーンはない。それは二人の関係の神秘を壊すからだろうか。

意外な結末の鍵として、毒が登場する。それは、ベルギーのプリンセス・モナのウエディングドレスの仕事を受注した時のこと。アルマはレイノルズを独占したいのか、飲み物に毒キノコ混ぜて飲ませ、彼はモナのウエディングドレスの裾と胸のレースに、その毒キノコを吐きます。

その後に、彼を看病して医者を呼ぶという姉のシリルを追い出して、一人で看病する。徹夜でお針子さんたちを使い、総出で手直しをするアルマ。朝には、王妃のウエディングドレスが見事に出来上がってました。

それから、アルマがレイノルズと姉のシリルが、自分を追い出す相談をしているのを盗み聞きして、またもや彼の食事に毒キノコを入れて自分の思うままにしようとする。レイノルズはもしかして、アルマが毒を食事に入れたことに感づいていたのだが、しらぬふりをして毒入り食事を食べるレイノルズ。

そして、今度こそ医者を呼ぶのですが、前にその医者に怒鳴りちらしたせいか、妻が食事に毒を入れたことは気づかれなかったのだ。その後に、アルマが子供が授かり乳母車に子供を乗せているシーンが映し出される。

美しい女性と優雅なドレスが、目を奪うクチュールの世界もさることながら、ロンドンのジョージー王朝スタイルのタウンハウスや、カントリー・コテッジ、田舎の風景など本作に醸し出す独特の空気が、これまた魅力的であります。

そして、ポール・トーマス・アンダーソン監督の映画には、音楽が大きな比重を占めているが、本作の音楽を担当したのが、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」以来、彼の映画音楽を担当してきたジョニー・グリーンウッド(レディオヘッド)が、織りなす格調高い音楽であります。

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ピーターラビット★★★

2018年05月31日 | アクション映画ーハ行

ビアトリクス・ポターによるイギリスの名作絵本「ピーターラビット」をハリウッドで初めて実写映画化。ビア役は「ANNIE アニー」「X-MEN:アポカリプス」のローズ・バーン、マグレガー役は「スター・ウォーズ」シリーズのドーナル・グリーソン。CGで描かれるピーターの声を「ワン チャンス」「イントゥ・ザ・ウッズ」のジェームズ・コーデンが担当し、デイジー・リドリー、マーゴット・ロビーら人気俳優が声の出演で参加。「ANNIE アニー」「ステイ・フレンズ」のウィル・グラッグ監督がメガホンをとった。

あらすじ:たくさんの仲間に囲まれ、画家のビアという優しい親友もいるウサギのピーター。ある日、ビアのお隣さんとして大都会のロンドンから潔癖症のマグレガーが引っ越してくる。マグレガーの登場により、ピーターの幸せな生活は一変。動物たちを追い払いたいマグレガーとピーターの争いは日に日にエスカレートしていき、ビアをめぐる恋心も絡んで事態は大騒動に発展していく。

<感想>世界一有名なウサギであるピーターラビットが、初の実写映画になった。今の映像技術が可能にした“リアル”なウサギのフサフサ感や、モフモフ感は違和感なく実写部分と融合しているのだ。まるで実写アニメーションとでも呼びたい精密さだった。

縦横無尽に走り回り、ウサギならではのスピード感はもちろんの事、キレッキレのダンス&歌まで披露するんですからね。表情豊かなピーターたちに恋をすること必至ですよ。

トレードマークの青いジャケットを着て、毎日仲間と大自然の中を走り回る野生のウサギ、ピーター。彼が亡き母の面影を重ねるように慕っているのは、心優しい人間の美女、ビアだった。ローズ・バーンが演じてとても良かった。

だが、大都会ロンドンからビアの隣へと引っ越して来たのは、動物嫌いのマグレガー、ドーナル・グリーソンが演じているが最初は意地悪な男と思っていた。

 

しかし、ビアと恋に落ちたことで、動物嫌いを克服するようになる。でも、ピーターVSマグレガーの壮絶なるアクションバトルは、観ていてここまでやるのかと、まるで動物虐待をしているような感じであまり心地よいものではなかった。

バトルアクションとラブロマンスをミュージカル仕立てにしたとあってか、アメリカ映画のお家芸へのアダプテーションには、さらに驚きましたね。

チャップリンとデイズニーを足して2で割ったような、スラップスティック・コメディのネタが次々と惜しみなく投入されている。

潔癖症の男と、心優しきウサギの理解者であるビアとのロマンスも。派手なドタバタ騒動を繰り広げて、それを丸く収める結末にサプライズはないが、周辺の動物キャラが面白くて最高。

映像ならではの情報量と色彩の豊かさ、声の演出による違和感はぬぐえないが、ピーターのいたずらっ子な気質がやんちゃなお調子者っぽくデフォルメされていて、絶妙にチャライ雰囲気がキャラクターデザインの目つきにも表れていたり、ご機嫌なエンタメになっていて笑えました。ウサギ同士の感情伝達“おでこ合わせ”の意味を始めて知りました。

おまけで、エンドロールの後に後日談があります、急いで帰らないように。

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ハッピーエンド★★★

2018年05月16日 | アクション映画ーハ行

「白いリボン」「愛、アムール」の鬼才ミヒャエル・ハネケ監督がイザベル・ユペール、ジャン=ルイ・トランティニャン、マチュー・カソヴィッツはじめ実力派キャストを起用し、崩壊寸前のブルジョワ家族が織りなす愛憎模様を綴った群像ドラマ。3世代が暮らす豪邸を舞台に、心を閉ざした13歳の孫娘と死に取り憑かれた祖父との出会いをきっかけに、家族それぞれが抱える秘密や闇が次第にあぶり出されていくさまを、シニカルな筆致で描き出す。

あらすじ:フランス北部の港町カレー。風光明媚な海岸沿いの瀟洒な大邸宅に3世帯で暮らすロラン一家。隠居した家長のジョルジュはもっぱらどうすれば死ねるかを考える日々。一方、家業を継いだ娘のアンヌは精力的に仕事をこなしていた。アンヌの息子ピエールは専務職を任されていたがビジネスマンとしてはナイーヴ過ぎる面があった。アンヌの弟トマは医師として働き、若い妻と再婚していた。そんな中、トマの前妻が急死し、彼女と暮らしていた13歳の娘エヴがロラン家にやって来る。しかし冷め切った心で世の中を見つめるエヴは、父親にさえ心を開こうとしなかったが…。

<感想>ミヒャエル・ハネケ監督作品には、毎回驚かされる。本作品でも、日常の中の究極の哲学的メッセージを込め、人の心を震わせるそのマグニチュードは巨大であります。5年ぶりの新作ですが、パルムドール二冠の監督となれば、予算の確保など、どこ吹く風ではないかと第三者は考えがちだが、それがヨーロッパの共同プロデュ-サーが、大赤字が出るのではないかと大いに懸念をしたために5年のギャップが出来てしまったというのだ。それに、主人公の女性役が、体重が120キロもある肥満の女性ということで、相応しい女優が見つからなかったというのだ。

それに、物語の舞台がフランスのドーバー海峡に面したカレー。ここは世界に悪名をなす“ジャングル”という難民キャンプのあった街として知られる。ヨーロッパ大陸を横断し流れ着いた難民がイギリスに密航できずに出来上がった巨大なキャンプの町。撮影当時はあったそうで、現在は撤去されている。カレーは、難民問題の象徴のようなところなのだ。

監督は移民問題について描こうというわけではない。この屋敷で働く移民の人たち。我々の移民に対する姿勢として、その形で監督なりに移民問題に触れている。人々の無知や無関心について触れたのは、今回が初めてではないと言う。

それに、高齢で認知症の父親には、「愛、アムール」で親子を演じたジャン=ルイ・トランティニャンが演じているし、その娘のアンヌ・ロランをイザベル・ユペールにして、親子役で再共演。豊かな中産階級の家族を描くドラマに仕立て上げている。

 

そして「少女ファニーと運命の旅」で主人公の妹を演じたファンティーヌ・アルドゥアンが、重要な役割を担う13歳のエヴに抜てきされた。

家族を崩壊した医者のトマである弟には、マチュー・カソヴィッツが扮している。他にもアンヌの息子ピエールには、フランツ・ロゴフスキが。

「ハッピーエンド」という逆説的なタイトルの裏には、身勝手で無知蒙味な我々という中産階級に対する怒りが込められていると言うのだ。一代で財を成した富裕層一族に於いて、後継者として采配を振るうのがアンヌをイザベル・ユペールが演じている。知性をそなえた伝統的な金持ちの令嬢ではなく、野心的な単身成り上がりのキャリア女性でもなく、中産階級の知恵を蓄える女でもない。

ユペールの役どころが掘り下げられる作品ではないのだが、しらを切り続けることで、家族の運営をつつがなく見せかけることに長けたアンヌは、無関心によって水面下の惨劇を支えるオールドミスと言う役どころでもある。

一見平穏そうなスクリーンの雰囲気のせいで、その怒りは見逃されがちですが、工事現場で事故が起こるというシーンが間接的にそれを象徴している。(コンクリートの壁が崩れ落ちるというアクシデント)

タイトルの「ハッピーエンド」とは、もちろん一般的な意味での幸福なエンディングなど用意されていない。それどころか、観客を呆然とした境地に陥れたまま、映画はまるで何事もなかったかのように静寂の海と地平線を映し出して終わる。この「非情さ」がハネケ映画の特徴のひとつと言えるだろう。

本作の核となるのが、現代のSNS社会におけるディスコミニュニケーションであります。冒頭での洗面台で寝支度をする女性。無防備なその姿をスマートフォンの縦長の画面が捉えている。女性は撮られていることに気づいていない。夜の暗がりに身を潜める観察者の正体も定かではない。彼女の一連の行為、歯磨きにうがい。ブラッシング、排泄、消灯と、それは毎夜繰り返されているのだろう。そのことが、画面下に現れるバルーンメッセージで暗示されるからだ。

そこには彼女の行動が、一足早く書き込まれる。まるで先を読み、自分の予想を確認しているようだ。何のために?・・・もちろんエヴが母親を殺すために。これが映画の冒頭であります。視線は暴力を刺激する。いや視線こそ暴力なのだ。その暴力の行使を、その行使からもたらされる快楽を、観る者も共有せざるを得ないのだ。ですが、本作ではこれまでの犯罪映画とは違った感触がある。スマホの軽便さによるものなのか。それとも別の何かによるのか。

やがて、観察者の正体は幼い少女、エヴ(ファンティーヌ・アルドゥアン)であることが明らかとなる。しかしこの映画は、恐るべき子供の凶行を描こうとするものかといえば、そうではない。先に挙げた映画の犯罪者はいずれも性的欲望に支配されているが、エヴの透きとおるようなその視線は、その重苦しさとは無縁である。むしろ彼女自身も死に憑かれていることが、その後の自殺未遂の騒動で明らかとなるからだ。

彼女は祖父の家に迎え入れられことで、少しづつ変化が訪れる。最初の夕食の時に、彼(ジャン=ルイ)は孫娘の存在が「妙な気分だ」とこぼすのだ。エヴが母親を薬で殺したことに気が付く祖父。実は、自分も妻を殺しているからだ。

この老人は突然失踪したり、拳銃の調達を理髪師に頼んだりと、奇行を見せ始めるのだ。だが映画は、二人の決定的な対決を繰り延ばし、いくつかのプロットを・・・建設現場での事故や、強い母(イザベル・ユペール)によって抑圧された息子ピエール(フランツ・ロゴフスキ)の家庭劇などをたどっていく。

そして二人の経過は、自殺未遂騒動と、エヴの退院後にジョルジュの書斎で果たされる。長回しのよるワンシーン・ワンショットが多用される中、切り返しが効果的に駆使されている。

老人から少女へと、隔世遺伝のように継承されていく死の欲望。自らの深い淵を覗き込むように、あるいは鏡の虚像を見るように、彼らはお互いを見据える。無情とも言える静けさがあたりを支配するのだ。わたしたちを取り囲むこの世界も、そしてわたしたち自身も、その真ん中は、空っぽだ。

最後に、老人と少女は海へと向かう。終末後の世界に残された生存者のように。澄んだ海の青さの中で演じられるのは、当然ながら視線と死が交錯する遊戯でもある。老人は車いすごと海の中へと消えてゆく。少女はそれを止めることなく後ずさりをしながら眺めている。そこへ、慌てて駆けつける娘のアンヌ・ロランたち。映画はそこで終わってしまう。

この映画の中では、SNSが重要な役割を果たしています。エヴのSNSの投稿は、どこかで誰かに発見されるかもという思いがあるからだろう。

018年劇場鑑賞作品・・・88アクション・アドベンチャーランキング

 

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