パピとママ映画のblog

最新劇場公開映画の鑑賞のレビューを中心に、DVD、WOWOWの映画の感想などネタバレ有りで記録しています。

オオカミは嘘をつく ★★★

2015年02月28日 | アクション映画ーア行
クエンティン・タランティーノが絶賛したことで注目を浴びた、イスラエル発のサスペンススリラー。少女暴行事件の容疑者、彼への復讐(ふくしゅう)を画策する被害者の父、強引な手口で事件を調べる刑事の思惑や感情が交錯しながら、事件の思わぬ真実が浮かび上がる。メガホンを取るのは『ザ・マッドネス 狂乱の森』のアハロン・ケシャレスとナヴォット・パプシャド。『フットノート』のリオル・アシュケナージを筆頭に、イスラエルの実力派俳優が出演する。二転三転する展開に加え、鮮烈なバイオレンス描写に目を奪われる。
あらすじ:イスラエルのとある森で、少女がむごたらしく暴行された果てに殺される事件が起きる。その容疑者として浮かび上がったのは、中学校で宗教学を教えているドロール(ロテム・ケイナン)。刑事のミッキ(リオル・アシュケナージ)が責任者として彼の尋問にあたるものの、証拠がなく釈放されてしまう。さらに行き過ぎた取り調べが何者かによって録画され、動画サイトにアップされてしまったことでミッキは交通課に異動になってしまう。しかし、ミッキはドロールが犯人だと思っていて……。

<感想>冒頭で真っ赤なワンピースを着た少女と、もう一人デニムのシャツの少女に、男の子の3人でかくれんぼをしているところから始まる。隠れる場所は廃墟の家で、赤いワンピースの少女は洋服ダンスの中へ隠れる。もう一人の少女は庭にある土管のなかへと、鬼は少年でなんなく土管の少女を先に発見した。そして二人で廃墟の建物の中へと、洋服ダンスを開けると少女はいなく、赤い靴が片方だけあった。赤い靴を残して少女は消えてしまったのだ。

それから、両親へ連絡、警察が動く。そしてイスラエルの警察官の一人が、目星をつけた男を真犯人と決めつけて、メガネをかけた真面目そうな中学教師の男が捕まり、上司が止めてもビルの廃墟で拷問の取り調べが始まる。

自分は犯人ではないと言い切る教師。それでも、執拗に暴力で痛めつける刑事4人。それを、中学生がケータイで撮影し、ユーチューブで流して大騒ぎとなる。
ところが、森の中で少女の首なし遺体が発見され、そこへ少女の父親が駆け付けてキチガイのように犯人を追いかける。

弱弱しくあるべき殺された少女の父親である被害者が、非情な加害者へと転じていく過程では、少女の父親が迎えに行くところを、秘書の女と浮気をしていて娘を迎えに行かなかったというのだ。その父親も、被害者なのだが、怒りが頭に登って警官が犯人と決めた教師を、山小屋の地下室へ閉じ込めての拷問は、見ていて惨たらしく手の骨を金槌で叩いて折り、足の爪をペンチで剥ぐのだ。この辺までは、見ていてまさかこの教師が犯人ではなく、他にいるのではと、これでは冤罪で捕まり拷問されて後はどうするのだろう、なんて考えてしまった。

そこに、その祖父までもが加勢して、孫を殺した憎き犯人と、バーナーで教師の胸をジリジリと焼くのだ。言うことが「暫く肉を喰ってないので、バーベキューみたいないい匂いがする」なんて笑う。最後には、その教師の首をノコギリで切断するのだが、娘の頭は何処へ隠したのか居場所を聞かない内に殺してしまう。

だから、事件を眺める角度も変わり、その凄惨度も格段にエスカレートしていく。だが、そこにいた警官の娘が行方不明になる。それもバレエ教室の帰りに。確か、教師が地下室でバレエの衣装を着た少女に、誕生日のケーキを食べさせているシーンが映し出されていた。もしかして、やっぱり殺されてしまったのか。やっぱり教師が犯人で間違いなかったというわけ。
もう一人の警官も、署長に言われて教師の家まで行き、家探ししたが何も出なかったというが、地下室を調べもしないで、どうしようもない警官たちである。これでは、殺された少女の父親も、本気で犯人を拷問するのは仕方がなかったのではと思う。

これは、単なる謎解きサスペンスではなく、増悪と暴力への衝動が、どんな形でオオカミを生むのか、諷刺と皮肉の効いたユーモアがあるように感じた。しかしながら、拷問のシーンはえげつない。

ドツボにハマった連中がさらなるドツボに沈んでいく展開である。それなりにクセのあるキャラクターも悪くはないのだが、拷問をしようとするとケータイ電話が掛かって来て取り止め。それが何度もですよ、何だかテンポが鈍くて乗りきれずにつまらなくなってくる。
タランティーノ監督が絶賛している作品は、確かにハズレがないのだが、これはちょっとダメかなと言う感じがした。
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リトル・フォレスト 冬・春★★★

2015年02月27日 | ら行の映画
『重力ピエロ』などの森淳一監督が、「海獣の子供」などで知られる五十嵐大介の人気コミックを実写映画化。都会で生活することに挫折して故郷の山村に戻ってきたヒロインが、四季折々の恵みをもたらす一方厳しさも見せる大自然の中で自給自足の生活を送りながら、再生していく姿を描く。主演は『アナザー Another』『桐島、部活やめるってよ』などの橋本愛。収穫した旬の食材を使って作る素朴な料理の数々も見どころ。
あらすじ:都会から東北の小さな山村・小森に帰郷したいち子(橋本愛)は、自ら農作業に励み収穫した作物や、山菜、木の実など四季折々の恵みを使って日々の食事を作る生活を送っていた。冬は雪に覆われるなど自然の厳しさに改めて直面するも、生きるために食べ、食べるために自分で作るシンプルな暮らしを通じ、自分の生き方を見つめ直していく。
<感想>漫画家・五十嵐大介の同名コミックを、「春」「夏」「秋」「冬」の4部作として実写化し、「夏・秋」(前編)、「冬・春」(後編)の2編にわけて劇場公開する「リトル・フォレスト」の四季四部作の終幕である。

テレビもないし、コンビニだってない。誰もケータイ手にしてないし、娯楽と言えば本を読むことと、自家製のお菓子作りです。それを『アナザー Another』の橋本愛が、農村で手作り生活をするのが、今回は、何やら楽しくなって心地よくなってきたりして。
冬からスタートしたので、一面銀世界の田舎の風景ですが、雪かきをしないと家の前が雪で埋もれてしまう。ですが、屋根の雪下ろしをするまででもないみたい。薪ストーブの上で、焼き芋やいたり、お湯をかけてコーヒー飲んだり、炬燵もあるけど、隙間風がはいるようなボロ屋の民家では、風が強いと隙間風が入り込んで寒そうですね。

それでも、クリスマスには自家製のケーキを焼いてくれたことを思いだし、見よう見まねで自分も焼いてみる。甘酒を入れた小豆の赤と、ほうれん草の緑色の長方形のケーキが結構よく出来ているのだ。それに、黒米を入れた生地にかぼちゃの黄色い生地のパンケーキも美味しそう。
幼い頃の思い出では、お正月に、村の人たちが御餅を搗いていろんな味付けをする。いち子は納豆餅が大好きだという。自分でも家で餅つき機で、餅をつき砂糖をたくさん入れた納豆餅に、餡子もちと雑煮を作って食べる。でも、誰か一緒に食べてくれる人がいたら楽しいのに、殆どがいち子一人の食事です。
春になり、愛ちゃんが畑に立ち土を耕して苗を植えて、草取りをする。それに、春の山を歩き、芽吹いたタラの芽やわらびに、ふきのとう、しどけ、こしあぶらなどを取り、それを仕込んで山菜の天ぷら料理を作る。出来上がった天ぷらを美味しそうに食べる愛ちゃんのほころんだ顔がいいですよね。

そういったシンプルな行動に、その意味や目的を加えたりせずに、ただ彼女の日常として淡々と撮っているからだろう。しかし、若い女性が畑仕事だなんて、良く体を動かして働くのに感心した。キャベツの紋白蝶の話には、害虫だから殺してと言った母親の教えが良く分かる。キャベツの葉にツブツブの緑毛虫の卵がいっぱい付いて、それを必死になって取る愛ちゃんの仕草に感心したり。ちなみに、キャベツのパンはまずそうで、かきあげの天ぷらはいいかも。

母親が家を出て、娘のいち子が都会から逃れて実家の田舎に移り住んで、娘に早くから根本的なサバイバル・スキルを仕込んだうえで、一家解散したのだ。小出しにされていた人物の関係の決着に驚くことは特にはない。生命に直結した健やかさがエロチックでもあり美しくて強い。
ですが、主人公の愛ちゃんの旺盛な食欲の描写が前作よりも減退した分、映画としての魅力も下降ぎみになっているようだ。冬越えをするための薪割りや、凍み大根、干し柿作り、お汁粉やパンの中へ入れるための小豆を畑で作る手間のかかる作業、雪の下への貯蔵野菜、冬は外が雪が積もって買い物に行けないので、自家製の野菜の塩漬けや、すいとん汁を作ったりして過ごす。

食と生活を丁寧に描くことに徹すればいいものを、母親からの手紙で失踪の理由が明かされるかと引っ張っていき、それが何も描かれてないので肩すかしをくらってしまう。
それに、母親と同じように、田舎の暮らしに嫌気がさしたのか、いち子も田んぼも畑も放り出して、家を出ていき都会で暮らすのだ。
街のスーパーで働くいち子が、米や畑で野菜を作っていたのを持っていき、そこへ手弁当を持ってお昼を食べていると、男の友達ができて、次の日にその男の弁当も作り持って行ったのに、その男が陰で手作りのマフラーとか弁当とかいらないと、言っているのを聞きガッカリして落ち込むいち子。

田舎では、幼馴染の男がいち子の家に始終顔を出して、いくらか気をもたしているようにも取れたのだが、その彼に素っ気ないいち子の終盤の展開も、だからと言うことでもないが、その男は自分の親友と結婚してしまった。ラストで、いち子の夫となる男を見せないで、結果だけを提示だけでは、何だか寂しくもありましたね。

それでも季節は動き、彼女自身もいまの自分に飽き足りなくなっているのが垣間見れ、畑や山の風景も、作られる食べ物も、都会人が憧れる農村ライフのいいとこ取りだが、ラストが田舎に落ち着くようで、村祭りのお神楽の踊りが良かったですよね。
季節をまたぐ度に、少女から大人へと変貌する女優たちを、美しい自然を背景に眺めるスケッチとして見れば申し分ないと思います。
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シェアハウス・ウィズ・ヴァンパイア★★★

2015年02月26日 | アクション映画ーサ行
現代の社会で一緒に暮らしているヴァンパイアたちの日常をモキュメンタリータッチでつづるホラーコメディー。それぞれに個性豊かなヴァンパイアたちが織り成す愉快な暮らしぶりや、共同生活の行方を描く。これまでのヴァンパイア映画にはない異色の設定が評判を呼び、トロント国際映画祭など各国の映画祭で観客賞を受賞した。ニュージーランド航空の「壮大すぎる機内安全ビデオ」に携ったタイカ・ワイティティと『メン・イン・ブラック3』出演のジェマイン・クレメントが監督を務め、ヴァンパイアも演じる。
あらすじ:ニュージーランドのウェリントンで共同で暮らしている4人のヴァンパイアは、楽器を演奏したりダンスしたり、時々郊外のパブでハメを外したりと自由気ままな日々を過ごしていた。そんなある日、8,000歳のピーター(ベン・フランシャム)がうっかりかんでしまった大学生のニック(コリ・ゴンザレス=マクエル)も彼らの仲間に。さらに、ニックが人間の親友スチュー(スチュー・ラザフォード)をシェアハウスに連れてきたことから騒動が巻き起こり……。

<感想>ニュージーランド発のヴァンパイアもの映画。「ショーン・オブ・ザ・デッド」と「ハングオーバー!」シリーズをごった煮したようなそんな感じ。
面白そうなので観賞したのだが、意外に地味で怖くないのだ。普通は、人間を襲って生き血を吸うシーンとか、人間がヴァンパイア退治をするアクションとか期待したのだが、実にそんなに派手にアクションするわけでもなく、人間を襲って生き血を吸うシーンでもそんなにグロクないし、パーティでゾンビたちも出てくるのですが、凶悪な恐ろしいゾンビではなくおとなしいんですね。ヴァンパイアが生き血を吸ったあとの人間の死体をむさぼり喰らうわけだから、そんなシーンは見せません。

そのヴァンパイアたちが、同じ家に棲んでいるのですが、初めは長老のピーターが、拷問好きな串刺し公ヴラド(862歳)の生き血を吸って仲間にしたのが初めで、一緒に住みその後も同じように、5年も経った皿洗い当番や血を吸うときはソファの下に汚れないように新聞紙を敷くこと。などあれやこれやとルールを決めたがる世話好きのヴィアゴ(379歳)と、16歳の時にヴァンパイアになったために、ずっと反抗期の問題児のディーコン(183歳)といったヴァンパイアが増えて行ったみたいです。

ですが、ここに住んでいるのは、ピーター繋がりのヴァンパイアたちで、日中はもちろん寝ていますが、夜になると起きだして来て、夜な夜な音楽会をしたりして楽器を演奏する。
そこへ、「トワイライト」と町中で叫んで歩く新参者の大学生ニック(大学生に見えない)という人間が入り込んで一緒に住み始める。何しろ危険がいっぱいの吸血鬼屋敷に潜入すれば、襲われる危険もあるわけでそんなことおかまいなしのニックは、ゆるゆるで楽しくて一緒にここに住みたいと居座ってしまった。

片手にビデオカメラを持ち、みんなの生活を映して行くのですが、鏡に姿が写らないヴァンパイアは、お互いにファッションチェックをし合ったりと、持っている衣装はどれも年代もので舞踏会にでも着ていくようなクラシックなものばかり。

朝日を見ると身体が焼けて溶けてしまうので、パソコンの画面でその動画を見て感動するシーンなんかは、ちょっと泣けてきます。処女の写真も出せるのか?と、それに昔、惚れたカトリーヌと結婚しようと舟で逢いにきたのに、会えずに自分はヴァンパイアになってしまった男が、人間の彼女だから老婆になり老人ホームに入っているカトリーヌに会いに行くところも、通りから彼女のいる窓を見上げる年の取らないヴァンパイアが哀れでした。
それが、長老のピーターがニックを噛んだことで、ニックもヴァンパイア仲間になり一緒に仲良く暮らすことになるわけ。ところが、ニックの人間の友達でIT関係の仕事しているスチューを家に連れて来たことで、やっぱりお腹が空いているヴァンパイアたちは、そこへ人間がいるのだからどうしても生き血を吸いたくなる衝動に駆られます。そのシーンは殆どコントのような喜劇で面白おかしく笑いがあります。
そのスチューが町中でヴァンパイア屋敷のことをしゃべってしまい、人間のヴァンパイア・ハンターが真昼間にやってくるのです。それも一番長老のいる部屋ピーターのところへ、地下で石版の棺の中で寝ているピーターは、忍び込んだ人間により太陽が差し込み、体中火が付いて大騒ぎ、声を聞きつけて皆がピーターのところへ行くと、窓から太陽光線が差し込んでみんなも焼け死んでしまうので、ピーターを助けることが出来なかった。

ピーターは焼けて溶けてしまい、ヴァンパイア退治の男は石版が倒れて来て下敷きになり死んでしまった。ピーターの弔いでもするのかと思いきや、6月6日6時に開催される、仮装ヴァンパイアたちの大聖堂へ行こうと、ですが、その人間のスチューもヴァンパイアたちと一緒にへ連れていくんですから、危険極まりない。
もちろんヴァンパイア・クラブへ入るのもお約束の、招かれないと中へ入れないということ。そこには、仲間の元カノのもいるし、まだ未練たっぷりの様子。みんなでスチューを庇いつつも、そこから逃げ出さないとヤバイことになる。
外へでると、今度はオオカミ族の男たちに囲まれて襲われてしまう。敵の狙いはやっぱり人間のスチューで、気の毒に餌食になってしまうんですね。

ところが、スチューもオオカミ族に咬まれたことで、オオカミ族の仲間になってしまうということで、目出度しな終わり方でした。それに、人間の女のジャッキーも、ヴァンパイアの男ヴィアゴに惚れてしまい、血のこびりついた食器洗いや風呂場を掃除する仕事を引き受ける。ですが、彼女も最後は願いが叶ってヴィアゴにヴァンパイアにしてもらいます。
主演の二人が脚本・監督を兼任し、台詞はほとんどアドリブだというから驚きですね。B級路線だけれど、面白いからいい。
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悼む人 ★★

2015年02月25日 | あ行の映画
人気作家・天童荒太の直木賞受賞作を基に、何の関わりもない死者を悼むため全国放浪の旅をする男性と、彼をめぐる人々が織り成す人間模様を描いたドラマ。2012年に上演された舞台版に携った堤幸彦がメガホンを取り、脚本も舞台版に引き続き大森寿美男が担当。主演は『横道世之介』『武士の献立』などの高良健吾、夫を殺した罪を背負いながら主人公と行動を共にするヒロインを、原作のファンだという石田ゆり子が演じる。
あらすじ:不慮の死を遂げた死者の追悼を目的に、全国の旅を続けている坂築静人(高良健吾)。そんな彼の行動を疑問に感じる雑誌記者の蒔野は、その真意を暴くべく静人の周囲を調査する。一方、過去に殺した夫の亡霊につきまとわれる奈義倖世(石田ゆり子)は、出所後に訪れた殺害現場で静人と出会い、彼の旅に同行する。

<感想>原作は未読だが、「深い哀しみが広がる世界に、いてほしい人」と作家・天童荒太は言うのだが、・・・その願望が強いゆえにリアリティを持ったのかもしれない。ですが、映画でリアルに見えたのは、椎名桔平演じる雑誌記者のトップ屋である。彼は自分の父親が愛人のことろへ走り、母親は一人アパートで亡くなり、自分たちを捨てた父親が死にぎわに息子に逢いたいというのだ。反撥する息子の椎名桔平。恨み辛みもあるが、最後の際に一目息子に詫びたいと思ってのことだろう。
そして、未成年の売春婦の女を取材するも、その中学生に人生のうんぬんを説いても無駄というもの。反対にその中学生のバックの男たちに、殴打され穴に埋められてしまう椎名桔平。だが、その少女が警察に電話をしてくれたおかげで、命が助かるというエピソードも何だか白々しく感じた。

そんなのは、主人公である高良健吾演じる“悼む人”を引き立てる存在に過ぎないのだが。役者たちは確かに熱演している。中でも「悼む人」に扮する高良健吾は、彼がこれまでに演じてきた罪深き人の贖罪を背負っているような重みがあり、心に沁みわたる感じがする。
それでも、悼む人が、それでリアリティを持ち得たかといえばそうではないと思う。疑問なのは、悼むという行為ではなく、不特定多数の死者を、彼が言うように憶え続けられるか、ということなのだ。

んなことは、自分の親兄弟や、親戚の叔父伯母、そして友達とかいうなら何かにつけて思いだし墓参りをしたりするのだが、他人の死を悼むということは、とうてい永遠に憶え続けることは不可能である。
しかし、感動ものとして呼びかけているのなら、この映画はどうにもそのような類ではないと感じるからだ。息子が普通ではなく学校で虐められ、そして死に至った子供の母親の痛切な願いや、心に深い闇を持った人たちがたくさん登場するが、その一つ一つを掘り下げていくには、繊細さが欠けるようだ。彼らや彼らの周囲には何でもない日常があったのではないか。少し内容が空極すぎるかもしれない。

死者達を悼んで歩く青年は、実のところ無力で、彼らを成仏させる能力を持っていないばかりか、その無念の声を聴き取るわけでもない。そういうヒーリングパワーと無縁な彼が煩悩だらけのワケありカップル、夫の亡霊につきまとわれる奈義倖世(石田ゆり子)と旅をするシーン。3人の緊張関係の行き着く先がスリリングで、見事なオチを形成しているのだ。まさか、死にたいという夫を殺して、静人に纏わりつく女と、最後には情でも感じたのか肉体関係を結ぶとは、所詮男と女、これいかに。
若い静人が、煩悩だらけでは肝心の「悼む人」として、不慮の死を遂げた死者の追悼を目的に、全国の旅を続けるには、先に仏門の世界へ入り坊さんにでもなり行脚するのが理想ではないかと思った。

姉の貴地谷しほりが、妊娠をして相手が子供の父親ではないと言い張り、自分一人で産み育てることを決心するあたりは、現在の女性らしく頼もしいと思ってしまう。母親が死に、新しい命が誕生する自然の仕組み。

静人の母親の大竹しのぶの演技は実に見事であった。こういう末期癌患者の演技は難しいのに、息子の静人が仕事を辞めて死者達の冥福を祈る旅に出たのも、このような両親がいればこそで、自分の親の死に別れに立ち会うことが本当ではないかとも。

静人のしていることには反対はしないが、亡くなった見知らぬ人たちを「悼む」という行為は、自分の傲り高ぶり自己満足に過ぎないのではないかと。亡き生前に、誰に愛され、愛されていたかを記憶し、その人の“生”を尊ぶ。彼なりの儀式をする仕草は、どこかの宗教の祈りのような感じがしてならない。
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深夜食堂 ★★★★

2015年02月24日 | アクション映画ーサ行
安倍夜郎の人気コミックを基にしたテレビドラマの劇場版。繁華街の一角にあるこぢんまりとした食堂を舞台に、その店主と客たちが織り成す人間模様が展開する。監督はテレビドラマ版も手掛けている『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』などの松岡錠司。食堂のマスターにふんする『秘密』などの小林薫を筆頭にオリジナルキャストが集結、高岡早紀、多部未華子、田中裕子ら実力派が新たに加わる。人情味にあふれた物語はもちろん、おいしそうな料理の数々にも目を奪われる。
あらすじ:ネオンの光がまばゆい繁華街。その路地裏でマスター(小林薫)が営む小さな食堂「めしや」に、誰かが骨つぼを置き忘れていく。さまざまな憶測が飛び交う中、新しいパトロンを探している最中に隣り合わせになった年下の男に惹(ひ)かれるたまこ、毎晩のように店に現れては常連客のあけみに会いたいと騒ぐ謙三、無銭飲食したのが縁となって住み込みで働くことになったみちるなど、クセありワケありの者たちがマスターの作る素朴な料理に舌鼓を打ちながら涙と笑いに満ちたドラマを繰り広げていく。

<感想>深夜のTVドラマ、毎週火曜日に放送されるので楽しみに観ております。東京の繁華街の片隅にある“めしや”。夜12時ごろに暖簾が出るこの店には、マスターが作る素朴な味といこごちの良さを求めて、夜な夜な客がやって来る。主人公の寡黙なマスター役の小林薫の絶妙な演技をはじめとして、愉快な常連客に、ワケありな客を演じるのは個性的な俳優たち。
パチンコ帰りにやってくる忠さん(不破万作)に、ゲイバーの小寿々(綾田俊樹)、ヤクザの竜ちゃん(松重)の注文はタコ型に切ったウンィンナー炒め、それに子分のゲン。お茶漬けシスターズは、梅とタラコと鮭を注文する女性たちまでフル来店だから、ドラマシリーズからのファンにも満足ですよ。

今作では、4つの物語りが“めしや”の春夏秋冬とともに展開する。故郷を追われた女、震災で全てを失った男のやるせない心情。常連客も総出演して、マスターの私生活も垣間見れますから。いつも気にしながら店を覗く交番のおまわりさんに、オダギリジョーが、さりげなく演じて可笑しさがいいですね。

今夜も常連客で賑わう“めしや”、マリリンが客席で見つけた妙な忘れ物、それは「骨壺」をネタに、様々な憶測が飛び交う深夜の食堂、というか居酒屋である。
まずは、「とろろご飯」みすぼらしい女がめしやで食い逃げをする。翌日その女が訪ねて来て、昨日の食事代を支払う金がないので「働かせてくれ」と戻って来た女、暫く面倒を見ることに。丁度、マスターの右手が腱鞘炎なのか痺れがきて包丁が握れなくなる。彼女が包丁を研ぐのを見て、2階へ住み込みで手伝ってもらうことに。その女、みちるを演じたのが多部未華子。

故郷の新潟、親不知で自分の店を出す夢を抱えて悪い男を頼って上京し、持っていたお金を持ち逃げされ、無一文になり飛び出して、マスターのめしやに辿り着いたというわけ。「とろろご飯」はそのみちるにとって未来の思い出のご飯なのだ。すり鉢で山芋をすり、だし汁を注ぎながらとろろ汁みたいにする。ご飯は、土鍋で一人前を七輪で炊くから、これは上手いわけだ。
そのみちるを探して、ヒモの男が現れ、金ずるのみちるを連れて帰ろうと必死だ。それにはさすがのマスターもひと肌ぬぐのだ。

被災地のボランティアのあけみを追いかけて、福島から出てきた健三(筒井道隆)。津波に奥さんがのまれて亡くなり、生きる希望を失い掛けていたところへ、ボランティアのあけみが東京から来て、カレーライスを炊き出してくれた。絶望の中で食べたカレーライス。それは、あけみにカレーライスの作り方をおしえたのがめしやのマスターであり、追いかけて来て“めしや”で同じカレーライスを食べて、よけいにあけみが恋しくなる。二人で手首に願い事をして付けた赤いミサンガ、これが切れたら願い事が叶うというのだが、優しくしてくれたあけみに恋焦げれて勝手にそう思っているだけ。
丁度東京であけみも上司と不倫をして別れ、ボランティアへでもいけば気が張れて自分の人生も変わるだろうと。ストーカー男の健三はあけみに夢中で、東京へ来て土方の日雇い仕事をしながらあけみへプロポーズをして、福島へ連れて帰ろうと考えていた。
しかし、彼女の方は、全然その気が無くて、しつこく付きまとわれて迷惑そう。諦めきれない男が、めしやで酒浸り。仲に入るマスターも、男女の恋には何故か感知しない。大の大人同士のことだもの、二人で解決するのが賢明だと思っての事だろう。


そして、卵のせナポリタンのお話では、これまでお手当を貰い生活をしてきたたまこ(高岡早紀)。そのパトロンが亡くなり、当てにしていた遺産も無く、めしやで知り合った若いはじめ(柄本時生)といきなり同棲し始めることに。彼女が注文するのが、鉄板の皿に卵焼きがのった上に、ナポリタンが乗せてありご馳走に見えますね。

それに、新橋の料亭の女将(余貴美子)も常連客の一人で、どうやらマスターに惚れている様子。一番のメニューは甘めの玉子焼きで、ゲイバーの小寿々やいろんな客が好んで注文する。もちろんみつるも上手に卵焼きを作ってくれる。
それに、あの骨壺はどうしたのかというと、半年もの間マスターが2階で御線香を手向けて弔ってやらねばと、だが、その後に一度は警察の一時預かりにしたものの、引き取りに行き近くのお寺へ供養してもらう、心優しいマスター。

ですが、その骨壺の中身は砂浜の砂で、どうして骨壺をこの店へ置き忘れていったのかが判らない。そのお骨の主が現れた。土下座をしてあやまる女に田中裕子が演じていて、この二人はよくTVで共演していたものだ。どうやら夫が愛人の元へ行き、亡くなって骨を引き取ったらしい。それでも、昔は愛した夫で、甲子園の土を骨壺に入れて一緒に埋葬してくれと頼まれたと言うのだ。しかし、よく半年もの間夫の骨壺をめしやに忘れて、まぁ引き取りに来たからいいものを、とんだお話だこれは。
ラストは、外は雪でハロウインの日だというので、みんな仮装してやって来る。ドラキュラや、ガイコツとか派手な格好して誰が誰だかすぐ分かるのが笑える。
そこへ、新橋の女将の店で修業中のみちるが、重箱に煮しめを作って持ってくる。みんな家族のように和気合い合いとして、マスターの気配りと腕前に客たちが毎晩のように通って来るのだ。やっぱり、TV版も映画版も、どちらも味わい深くて、ほっこりとしてくるから不思議だ。
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娚の一生 ★★★★

2015年02月23日 | アクション映画ーア行
「月刊フラワーズ」掲載の西炯子のベストセラーコミックを実写映画化した大人のラブストーリー。過去を引きずり幸せをつかめずにいるキャリアウーマンと、恋愛を拒んできた50代の大学教授が出会い、奇妙な共同生活を通じて心を通わせていく。才色兼備なのに不器用なヒロインに榮倉奈々、50歳を過ぎても独身のままでいるモテ男に豊川悦司。主演の二人とは、それぞれ『余命1ヶ月の花嫁』と『やわらかい生活』でタッグを組んだ廣木隆一監督がメガホンを取る。
あらすじ:キャリアウーマンとして仕事に忙殺されながら、心が締め付けられるような恋愛をしていた堂薗つぐみ(榮倉奈々)は、祖母が亡くなった後に東京から田舎の一軒家に引っ越してくる。そこへ彼女の祖母を慕っていたという大学教授・海江田醇(豊川悦司)が現れ、強引につぐみの家に住み込むようになる。当初は親子ほども年の離れた海江田のアプローチに困惑するつぐみだったが、少しずつ距離が近くなっていく。

<感想>タイトルの感じが気になって調べてみたら、「めおと」ともいうそうな、何だそうなのか、もう初めっからこのカップルは年の差婚で結ばれる運命だったのか。大学教授の52歳の男と、30過ぎで不倫して男と別れて祖母の家へ駈け込んで来た女。
お互いに少しひにくれているような感じがするのだが、母屋と離れで男女が暮らし、食事と洗濯は女がするという設定なので、女性が料理がまぁまぁ上手いと男の胃袋を掴むというか夫婦として成立するみたいです。

どうやらその大学教授は亡き祖母の恋人だったような、肉体関係はあったのかは語られていないが、男の方が祖母の生徒で恋心を抱いて通って来たらしい。
始めはツンケンと女の方が男に対して喧嘩腰の様子だったのだが、男が亭主関白のように、朝飯の茶碗を「メシ」と差し出す仕草は、若い娘に対しての気恥ずかしさもあり、わざと威張っているようにさえ見えた。
そんな男に反発しながらも、相手のペースに従う女の榮倉奈々が可愛らしい。ここのところ、ぐんぐんと女優力の上がって来ている榮倉奈々がいい。

大学教授役の豊川悦司は、頼りがいのある男として最高の男っぷりを見せていて、彼女の足の指を舐めるシーンでは、観ていてドキドキだけど、こんなふうに攻めてくる男って、女性はみんな弱いよね。これでは、30過ぎの結婚願望が強まる年齢の女性には気が気ではない。豊川悦司さんの普段のさりげなく佇んでいる姿も魅力的だし、浴衣を着たトヨエツもカッコいいです。
一緒に住んでいるつぐみだけでなく、母親や村の男たちもつぐみが帰ってきたことで、なんだか落ち着かなく毎日のようにだれ彼と様子を見に顔を出す。

母親が、様子を見に来て、離れに住んでいるとはいえ、結婚を急いでいる娘の相手には、年齢的には年の差があるが、それでも経済的にも申し分のない男で、上手くまとまれば好都合というわけ。それが、つぐみの母親に、海江田がはっきりと娘さんと結婚したいと申し出るのだから。帰り道の母親の足取りの軽いことと言ったら。鼻歌交じりでスキップして帰るのだ。
そこへ、突然遠い親戚の女の息子が家に置き去りにされている。二人はどうしたものかと、警察へ連絡して女の居場所を調べて、帰すようにと。すると、海江田は1週間も過ぎて音沙汰なしでは、この男の子は捨てられたんだという。

だが、家で暫くの間面倒を見るにしても、躾けがなってない男の子。海江田は食事の作法も厳しく躾けて、するとご飯を食べないで、すねてしまい部屋へ行ってしまう。こういう子は、甘やかしてはダメだと、これから待ち受けている将来のためにも、厳しく叱らないとダメだというのだ。これも一理ある。ですが、二人でその男の子の洋服を買いに町へ出るのには、感心しました。
男の子は、母親が絶対に迎えに来てくれると、強く思っていて、電車が駅に着くたびに母親の足音を聞くように待っているのだ。そして、急にその子供がいなくなる。驚いて二人は、探し回るのだ。結局は迎えに来たけれど、お礼という言葉もなく、最近の若い母親の典型的な生き方を目にしてしまった。
だが、つぐみには、会社の妻子のある上司と不倫をしていて、相手が離婚をしてくれなくて、結局は自分の恋愛の過ちを認めて田舎へ逃げてきたのだ。だから、どうも男に対して、また騙されるのは嫌だと嫌悪感を抱いている。

いくら大学教授でも、結婚して子供もいる年齢だし、そのことをはっきりと言わない海江田もずるいと思う。ですが、事情があって、実は本当の両親はいなく養子に貰われて、資産家の育ての母親が京都にいるらしい。その母親が亡くなったという手紙が来て、つぐみを京都の実家へ連れて行く海江田。これは、つぐみと結婚するという意思表示ですよね。

ラスト近くで、東京から不倫した男、向井理がやってくるのだが、そこでトヨエツの足のキックが飛ぶのだ。そして、二人は殴り合い格闘する。軍配はトヨエツで、向井は気絶というか脳震盪で気を失ってしまう。その時、つい、つぐみが、昔の男の向井の身体を気遣言って病院へと運ぶのだ。家へ帰るとトヨエツは、嫉妬に怒り狂い何処かえ行ってしまう。

それでも、夜に台風で嵐になり、つぐみが一人暮らしの老婆のところへ行き、背中に老婆を背負い大嵐のなか真っ暗な道を歩いて転び、そこへトヨエツが帰って来て、老婆を替わりに背負ってくれる優しさに惚れた。

背の高い二人が、浴衣を着て歩いている姿のかっこいいことといったら、脇を固める友達の安藤サクラも演技が上手いので、これまた贅沢ですね。
徹底して男目線の話なのだが、各々のエピソードの語り出しが全て唐突で、そのぶっきらぼうさが味わいになっており、物語設定の説明不足もむしろいい塩梅に仕上がっているとみた。
実際には、こんなに風に目出度く終わるラストは昨今珍しいと思う。開けた縁側のある田舎暮らしというのも中々環境にいいし、これだけでも作品の評価が上がるというもの。
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デビルズ・ノット ★★★

2015年02月22日 | アクション映画ータ行
むごたらしい児童殺人と冤罪(えんざい)としか思えぬ容疑者逮捕で話題となった、ウエスト・メンフィス3事件を映画化したサスペンス。犯人と断定された若者たち、その逮捕に疑問を抱く探偵など、さまざまな者たちの姿を通して事件の全貌に迫っていく。メガホンを取るのは、『スウィート ヒアアフター』のアトム・エゴヤン。『英国王のスピーチ』などのコリン・ファース、『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』などのリース・ウィザースプーンやデイン・デハーンらが顔をそろえる。彼らの妙演はもちろん、複雑怪奇でおぞましい事件の内容にも息をのんでしまう。

<感想>先週末に観賞したのだが、1993年、アメリカのアーカンソー州ウエスト・メンフィスで、3人の幼い男の子が忽然と姿を消し、その夜、両親たちの通報を受けた警察が捜査を開始する。だが、翌日の午後、彼らは変わり果てた姿となって発見される。現場は「ロビンフッドの森」と呼ばれる緑地を流れる泥で濁った川で、3人の子供たちの遺体が発見されたのだ。
それは、全裸に剥がれ、靴ひもで手足を縛られ、屠殺される動物のような格好で水の底に沈んでいた。頭蓋骨は陥没し、体中に無数の切り傷やひっかき傷があった。一人の男の子は性器の皮を削ぎ取られていた。その惨たらしい状況からみて、警察は地元の「サタニストの関与」を疑い、1か月後に、10代の少年3人が容疑者として逮捕される。

主犯格とされた18歳のダミアン・エコールズは死刑判決を受け、その親友である16歳のジェイソン・ボールドウィンに、警察に重要証言をもたらした17歳のジェシー・ミスケリー・Jr.は、それぞれ終身刑を言い渡された。
10代のオカルティストによる残虐非道な儀式殺人というセンセーショナルなニュースに、人々はおそれおののき、怒りと悲しみに打ち震えたのである。
ですが、事件発生から3年後、ケーブルTV局HBOで放映されたドキュメンタリーでは、さらに大きな衝撃を全米にもたらしたのです。

犯人として逮捕された3人の罪が、すべて司法当局の憶測と、でっちあげによる「冤罪」であることを示唆(そそのかす)していたからなのです。
というのも、ダミアンとジェイソンは、メタルミュージックやホラー映画が好きで、いつも黒いTシャツを着ていて、周囲にの大人たちから白い目で見られているだけの、ごく普通のティーエイジャーだった。それに、ジェシーはIQが低く、事件当時はアリバイがあったにもかかわらず、警察の長時間の尋問により、判断力を奪われ、偽の証言を引き出されたことが明らかになったのだ。

そして、裁判では、地元警察と検察による悪質な印象操作が徹底的に行われた。あるときは、ジェイソンの自宅そばの池から、都合よく見つかった凶器のナイフを証拠品として提出し、そのナイフは、刃の形状と遺体の傷跡が合致しなかった。それに、怪しげなオカルト専門家を招いてダミアンの落書き帳を分析させるなど、陪審員に偏ったイメージを巧みに植え付けていったのだ。
結果、数々の反証が弁護側から上げられたにもかかわらず、非常な判決が下されたのである。誰がどうみても間違った結末だったといえる。

それから、冤罪を着せられた3人の少年たちを支持する運動が全米各地に広がり、やがて芸能人も彼らの支援に乗り出したのである。彼らと顔見知りだったアイスクリーム売りの青年には、デイン・デハーンが演じており、現場近くの女子トイレにいた血まみれの黒人男性など、不審な人物がいたにもかかわらず、警察はよく取り調べもしないのだ。
この映画は殺された事件の実話です。今から21年前、どこにでもいそうな感じのメタル好き、ホラー映画マニアの3人の少年が、地元で起きた凶悪殺人事件の犯人にでっちあげられた「ウエスト・メンフィス3」事件。彼らの釈放を求める長期に及ぶ闘いで、同事件を扱ったドキュメンタリーは4本にものぼり、満を持してのドラマ化されたのがこの映画です。

探偵のロンにコリン・ファースが演じているが、この人は3人の少年の冤罪はらしに奔走したのか、もう少しだけの出番で勿体ない演技で、どちらかというと、殺された子供の母親を演じた妊娠中の、デブったリース・ウィザースプーンの方が上手かった。本当の犯人を見つけることができなかった警察は?・・・
こんな不透明な題材を、よくぞここまで視覚化してくれたと思う。いかにも怪しすぎるヘヴィメタ信者の青年らを容疑者に仕立て上げ、真犯人よりも表向きの解決を望む共同体の、集団心理といった目に見えない社会的な意識の流れをとらえたドラマは、現実以上にリアルであるようだ。
それを裏付けるための、事件現場となった濁った川の不気味さ、そこに沈められた少年たちの手足を縛る靴ひもの描写などは、観るに堪えないほどの不快さと、猟奇的事件の結末が見えないことに苛立ちを覚える。
予備知識なしで見るなら、フィクションの結末がぼかされて終わるのに、納得のいかない苛立たしさが残る後味の悪さ。これは現実の事件を再現したものなので、冤罪事件への関心へと人を導くという政治的効果は十分に果たしていると思う。
実は、劇中でウィザースプーンの夫が怪しいと睨んだ。殺された息子が前夫の子供で、養父はあまり可愛がっていなかったようだ。映像の中で、この養父が真犯人のようなことが、母親であるパムから凶器のナイフを提示されるのだが、
後に犯人は、ほとんど示されているのと同じだが、警察はまだ真犯人を見つけてはいないようだ。養父の動機も不明なので、やはり不条理の時空に導かれるように思えた。最後まで曖昧なままで、どうにも腑に落ちないイライラ感が募って後味が悪くすっきりとしないのだ。
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アメリカン・スナイパー ★★★★

2015年02月21日 | アクション映画ーア行
アメリカ軍で最も強い狙撃手と呼ばれた、クリス・カイルの自叙伝を実写化したドラマ。アメリカ海軍特殊部隊ネイビーシールズ所属のスナイパーであった彼が、イラク戦争で数々の戦果を挙げながらも心に傷を負っていくさまを見つめる。メガホンを取るのは、『ミリオンダラー・ベイビー』などのクリント・イーストウッド。『世界にひとつのプレイブック』などのブラッドリー・クーパーが主演を務め、プロデューサーとしても名を連ねている。戦争とは何かを問うテーマに加え、壮絶な戦闘描写も見もの。
あらすじ:イラク戦争に出征した、アメリカ海軍特殊部隊ネイビーシールズの隊員クリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)。スナイパーである彼は、「誰一人残さない」というネイビーシールズのモットーに従うようにして仲間たちを徹底的に援護する。人並み外れた狙撃の精度からレジェンドと称されるが、その一方で反乱軍に賞金を懸けられてしまう。故郷に残した家族を思いながら、スコープをのぞき、引き金を引き、敵の命を奪っていくクリス。4回にわたってイラクに送られた彼は、心に深い傷を負ってしまう。

<感想>冒頭にて、建物の屋上で銃をかまえる米軍スナイパーの照準器が、向かい側の建物のから出てくる母親らしき女と少年をとらえる。「判断に任せる」という命令に、スナイパーは撃つのか撃たないのか、息詰まる数秒間の末に、不意に画面が反転する。それは、狙撃兵の少年時代に父親と鹿狩りに行ったシーンが映し出される。父親が言うのは、人間には「羊と狼に番犬」という種類がある。羊は虐められるし、番犬として家族を守るために狼と闘うと言うのだとも。
大きくなったクリスは、アメリカ海軍特殊部隊ネイビーシールズの隊員となるために、厳しい訓練を受け、その後結婚式と子供の誕生といった彼の半生の記憶が走馬灯のように次々トモンタージュされる。そして、イラクへと派遣されるクリスが冒頭のシーンに戻る。少年は手にロケット型手榴弾を持ち米軍部隊の方へ向かって走っていく。その少年をクリスが捉えて射殺する。

人は死の瞬間に一生の記憶を思い出すと言うが、それなら同じことが人の命を奪う瞬間に起こっても不思議ではない。殺すにせよ、殺されるにせよ、死の瞬間とは、誰にも経験できない不可知であり、人の全生涯を極限まで凝縮したぬきさしならぬ一点であるだろう。
引き金を引くのか、引かないのか、その時、空間は銃口と標的とを結ぶ一本の線へと。クリスが屋上から下の標的を狙うスナイパーであると同時に、そんな彼をさらに上から狙う謎のシリア人スナイパーを登場させることで、彼自身もまたいつ弾が上から降ってくるか分からない立場に置かれる。照準器ごしに人の命を弄ぶ、彼自身がそうであるスナイパーと言う存在を排除すべく、彼はもう一人の自分というべきスナイパーを追って上へと、階段を上っていく。この抜きつ抜かれつが、気が付けばいつものイーストウッド映画のスリル感なのですね。

とにかく主人公の狙撃兵クリスの腕は超一流で、1920mもの先にいる、敵である五輪で金メダルの保持者のシリア人スナイパーを、照準器の中で標的の身体に十字の印がピタリと重なる瞬間、敵を肉眼で捉え射撃するのだ。これが見事に敵の狙撃兵に命中するという快挙を遂げている。だからというわけでもないが、主人公クリスを英雄化していると思われるのも頷ける。まるで英雄なのか、悪人かで描いているようにも取られる。

それは、9.11後に間違った理由で戦争を開始したアメリカが、その後ブッシュ政権への支持、不支持でまっぷたつに分かれたことをも彷彿とさせるものでもある。ですが、この映画は、イラク戦争がどうのとかではなく、一人の狙撃兵クリスの葛藤を描いているのだ。ですが、ここで描かれている兵士の葛藤というのは、例えば少年や女性を目の前にしても、それをアメリカのために撃ち殺さなければいけない、という葛藤だったりする。
最終的に最も印象に残るのは、ロケットランチャーを手にした少年を狙撃するかしないかの瀬戸際で、クリスが神に祈る手に汗を握るシーンではない。迫りくる巨大な砂嵐の中で生きるか死ぬかの攻防戦を繰り広げるシーンでもない。
こういう戦地のシーンでは、80代半ばのイーストウッド監督が撮ったものとは思えないほど、本当に骨太で妥協のない肉体、精神とともにタフで研ぎ澄まされていなければ、形にできない映像ばかりである。

だが、本当に重要なのはクリスが戦地に行って帰って来る度に、変容していく家庭のシーンなのである。戦地で陰惨な光景を目の当たりにした彼は、家に帰っても近所から聞こえる工具の音にもビクつき、バーベキュー・パーティで可愛がっていた犬にも子供にじゃれ付いているだけなのに、子供を犬が襲い掛かっていると判断して恐怖の顔をして犬を殺そうとするのだ。
それは戦争のトラウマといった単純なものではない。戦地から帰ってきても、クリスの中では戦争は続いていて、特に彼ほどにその能力が戦地で、影響力を持つ人になってしまうと、家庭で平穏に日常生活を送っていることが、実際に戦地にいる人たちが生きるか死ぬかを左右してしまう。かと言って、永遠に戦地で米軍部隊を守る狙撃兵を続けることは、精神状態が不可能なのだ。
だから、クリスにとっては、戦争をしているアメリカという国に属している限り、戦地も帰国しての家庭もないのだ。何処に居ても、たとえ兵士を辞めても、彼の精神状態は殺し合いの螺旋に巻き込まれたまま逃れることが出来ないのである。

だから、戦地に行ったことのない家族には、本当の意味でそのことを理解することは出来ないと思う。帰って来て、家庭でのシーンでは、戦地のシーン以上に悲劇性が強い。イラク戦争の映画というと、ジェレミー・レナー演じる兵士「ハート・ロッカー」「ゼロ・ダーク・サーティ」でもそのような描写が描かれて、何度も戦地へと行く兵士の心情が描かれていた。
ラストのエンドクレジットの後半で、あまりにもさらっと無音で字幕スーパーが流れる結末こそが、もっとも大事な部分なのではないかと。160人の蛮人を射殺したクリス・カイルが、国民的英雄として葬送される映像に、遺体搬送車が通行する道路沿いには、無数の人々が押し寄せ彼を葬送している。
映画の中の銃声や地響きや物音などが印象的だっただけに、この無音は対照的でした。しかも、その前にクリスの短い人生が暗示されるだけに、観る側が胸につまされます。それは、結局戦争に勝者は存在しないということが。その末端で、正義のために葛藤した兵士たちこそが、その犠牲になるという残酷な事実を知らせている。
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嗤う分身 ★★★

2015年02月20日 | わ行の映画
ロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーの著書を、ジェシー・アイゼンバーグ主演で映画化した不条理スリラー。内気でさえない男の前に、見た目は全く同じながら性格は正反対のもう一人の自分が出現したことで、全てを狂わされていく男の姿を描く。監督はコメディアンとしても活躍し、長編監督デビュー作『サブマリン』が高く評価されたリチャード・アイオアディ、ヒロインに『イノセント・ガーデン』などのミア・ワシコウスカ。シュールな近未来的世界に、劇中歌として日本の昭和歌謡が流れる特異な世界観が異彩を放つ。

<感想>ドストエフスキーの「分身」は未読ですが、内容が常に夜か人工照明の室内で、葬儀のシーンも夜なのだ。画面の色調とレトロフューチャーな小道具、日本の歌謡曲の使用から、アキ・カウリスマキな空気感っぽくなるのかと思いきや、なんだかミラーボールのような日本の昭和歌謡をブチ込むことで、ストレンジな魅力を醸し出すのに成功しているようだ。
彼が働くオフィスは、大佐(ジェームズ・フォックス)なる人物が管理する不条理な暗黒社会。潜水艦内部みたいだが、役者たちはこのブラックユーモア劇を演じて楽しそうだ。
主人公の青年サイモンは、人付き合いが上手くて陽気なもう一人の自分の登場に翻弄される。しかし、社交的な分身の姿にオドオドした自分の情けなさを感じてしまう主人公のドラマは、ファンタジーとして面白いと思う。その不条理感と画面の雰囲気は、昨年の『複製された男』にも通じる世界で主人公のよるべなさに拍車をかける。
なりたい自分になれない話であり、無垢な状態を終えて図太く薄汚くなる通過儀礼の話でもあり、僕が僕であるために勝ち続けなければならない話でもある。

とりあえず、「ドッペルゲンガーもの」の王道といったところなのだが、望遠鏡で覗き、彼女・ミア・ワシコウスカの孤独を思いやるという設定は、まるで「裏窓」のような展開。証拠もないのに向かいの住人を殺人犯と決めつけて、ボロを出させようと嗅ぎまわる。だから、それなりの代償がもたされ、殺人犯と紙一重の存在にすぎないことも示される。
2役を演じるジェシー・アイゼンバーグは、同じ人間がテンションが低めな時と、調子に乗っている時とをさりげなさで演じ分けている。この微妙な温度差が、俺、俺の物語りへと自然に観る者を引き入れていく。
1977年生まれのリチャード・アイオアディ監督だからこそ、とにかく映像、美術に魅せられるが、ジュークボックスから流れる日本の歌謡曲「上を向いて歩こう」では驚かなかったが、ブルーコメッツの「草原の輝き」や「ブルー・シャトー」が流れてきたのには思わずびっくりさせられた。この場違いにも思える選曲には。他にもピアノによるシンプルな曲も。

物語は、労働者は単なる駒としかみなされない管理社会。要領の悪い男が、上司や同僚に酷い仕打ちを受け、思いを寄せるコピー係のハナ(ミア・ワシコウスカ)にも相手にされない。そんな彼が望遠鏡で覗いていたら、向かいのビルにいた男が飛び降りるのを目撃して以来、ただでさえ惨めな人生がさらに悪くなる。

そこへ、会社の新人として入社してきたジェームズは、サイモンと姿はうり二つだが性格は真逆。しかし、同僚たちは誰もそんなことを指摘せず、ジェームズはあっという間に会社に馴染み、サイモンの影がますます薄くなる。
しかも、ハナまでがジェームズに惹かれていき、サイモンは二人の仲を取り持つことに。さらに、ジェームズはサイモンに、お互いの適正を活かして時と場合によって入れ替わり、その場を上手くしのぐという作戦を提案する。

狡猾なジェームズのおかげでサイモンは、彼の悪だくみに巻き込まれる。サイモンはこのまま自分の分身のようなジェームズに、存在や人生を乗っ取られてしまうのだろうか。
ハナが倒れて病院へ運ぶと、妊娠していることが分かり、その父親がジェームズだということも。ところが、かれは父親としての責任を拒否して、そのことでも、他のことでも彼の存在が鬱陶しくなり、サイモンが消えるというか、ベランダから飛びおり自殺を図る。前に飛びおり自殺をした男は、コンクリート地面に叩きつけられ即死。そこへ来た刑事が、2階にある網の上に落ちてバウンドして地面に落ちれば命は助かったのに。という言葉を思いだし、サイモンが、その2階の網を目指して飛び降りる。
最後は、結局自分の意気地なさと心の弱さを見せつけるという、どうして自分に無いものを他人に求めるのか、誰と比較しても自分は自分だろうに。憧れる他人には成れないのだから。
ドンデン返しでぶんぶんと振り回されるようなカット割りで、まったく違う世界へと誘われて面白かったです。
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毛皮のヴィーナス ★★★★

2015年02月19日 | アクション映画ーカ行

その名が「マゾヒズム」の語源にもなったことで知られる、19世紀オーストリアの小説家レオポルド・フォン・ザッヘル=マゾッホの自伝的小説「毛皮を着たヴィーナス」をもとにした戯曲を、「戦場のピアニスト」「おとなのけんか」の鬼才ロマン・ポランスキー監督が映画化。
自信家で傲慢な演出家のトマは、オーディションに遅刻してきた無名の女優ワンダに押し切られ、渋々彼女の演技を見ることになる。がさつで厚かましく、知性の欠片も感じさせないワンダだったが、演技を始めてみると、役への理解もセリフも完璧だった。最初はワンダを見下していたトマも次第にひきつけられ、やがて2人の立場は逆転。トマはワンダに支配されることに酔いしれていく。ポランスキー監督の妻でもある女優エマニュエル・セニエがワンダ役を務め、トマ役には「潜水服は蝶の夢を見る」のマチュー・アマルリックが扮した。

<感想>80歳の監督ロマン・ポランスキー、さすがは料理の腕前が違う。サドと呼べば自動的にマゾと答える。SMプレイの趣味にも磨きがかかる。ヒロインのエマニュエル・セニエは、「赤い航路」を経てロマン・ポランスキー夫人になり、今じゃ貫録十分なアラフィフ美熟女である。
オーデションに遅刻してきた、ガサツでふてぶてしい無名の女優を絶妙に演じて、我儘極まる演出家のマチュー・アマルリックとのかけひき、二人芝居をスリリングに魅せている。クラシックなコスチュームと、黒いレザーのセクシーファッションと、

若い頃のポランスキーにそっくりなマチュー・アマルリック演じる舞台演出家は、マゾッホを原作に選らんだものの、自分がまさか女優とマゾの関係に陥るとは思わなかっただろう。オーディションを受けに来たエマニュエル・セニエには、知性のかけらもなく、下卑な女だったからである。それが次第に高慢な貴婦人に見えていくところが、サスペンスフルでいい。
このカップルが凄い。セットは劇場のみ。にもかかわらずこの映画はとても贅沢な作品だと思う。演出家と女優という「主従関係」は何時の間にやら二転三転、あろうことか男と女も逆転し、先の展開が読めないスリリングな舞台劇が展開します。

そして、お芝居と本気がごっちゃになって演出家トマを演じているのか、劇中の人物クシェムスキー博士なのか、それともマチュー本人なのか見分けがつかなくなってくるのだ。
つまりは演劇と実人生、現実と虚実の境界さだからぬ感じが、ファンタジーと現実が交錯し、境界線がぼやけていくところ。ポランスキーの根元にあるカルト的感性以外のものでは、撮られていないこの映像美は、サド・マゾ的反転のうちに、映画の中に演劇をとらえ返し、さらには演劇によって映画を艶めかしく息づかせている。
同時に、スタッフ&キャストの高度な技術なしには到底到達できないであろう。この二人のキャリァによって獲得できる境地を痛感しました。

舞台劇を映画化した傑作がまた一つ誕生した。その元は何でも、映画を創る決めたら、ひたすら続ける映画道を、と言われているようなそんな映画です。
ポランスキーが書いた脚本が皮肉たっぷりで、時にブラックユーモアに溢れていて秀悦。エマニュエル・セニエもマチュー・アマルリックも、それに応えての会心の演技に惚れ惚れする。終盤、アマルリックがポランスキー本人と二重写しとなり、そして観客はそこにセニエとポランスキー夫妻の関係を垣間見るようで微笑ましかった。
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フォックスキャッチャー ★★★

2015年02月18日 | アクション映画ーハ行
デュポン財閥の御曹司ジョン・デュポンが起こした殺人事件を映画化した実録ドラマ。ジョン・デュポンが結成したレスリングチームに引き抜かれた五輪メダリストの兄弟が、彼の知られざる姿を知った果てに悲劇に見舞われる。監督は『カポーティ』などのベネット・ミラー。『31年目の夫婦げんか』などのスティーヴ・カレルをはじめ、チャニング・テイタムやマーク・ラファロら実力派が共演する。彼らの鬼気迫る演技に圧倒される。
あらすじ:大学のレスリングコーチを務めていたオリンピックメダリストのマーク(チャニング・テイタム)は、給料が払えないと告げられて学校を解雇される。失意に暮れる中、デュポン財閥の御曹司である大富豪ジョン・デュポン(スティーヴ・カレル)から、ソウルオリンピックに向けたレスリングチーム結成プロジェクトに勧誘される。同じくメダリストである兄デイヴ(マーク・ラファロ)と共にソウルオリンピックを目指して張り切るが、次第にデュポンの秘めた狂気を目にするようになる。

<感想>実際にあった五輪金メダリスト殺人事件を描く実録もので、主人公のマーク・シュルツは1986年のロス五輪で、兄デイヴと共に金メダルを獲得したのだが、当時はスポーツ用品のスポンサーをつけることもアマチュア精神に反していると言われた時代で、収入がない。
安アパートで毎日インスタントラーメンを喰って暮らしている生活。このままでは、1088年おソウル五輪に行ける見込みもない。
しかし、世間は兄のデイヴばかり注目する。兄貴の方は身体が小さいけれど、関節技が得意なテクニシャンである。弟のマークには、チャニング・テイタムが、兄のデイヴにはマーク・ラファロが演じて、身体作りもばっちしで筋肉マンである。

落ち込んでいたマークのところへ、ジョン・デュポンという大富豪の屋敷に招待される。アメリカの化学工業コングロマリット。南北戦争の時代に火薬を製造して儲け、いわゆる「死の商人」全米有数の巨大企業に成長したデュポン財閥。分かりやすく言うとテフロン加工のフライパンでおなじみのデュポン社。
その大企業の御曹司のジョン・デュポンは、かつてキツネ狩りに使った「フォックスキャッチャー」という巨大な敷地を持っていて、そこでソウル五輪出場のためのレスラーを育成するから来てくれと言われる。敷地内には家もあり、家賃はタダだし、食費も全部出すから引っ越して来いと言われる。
冒頭で、その「フォックスキャッチャー」という巨大な敷地でのキツネ狩りが行われるシーンが映し出される。イギリス貴族や王室での娯楽ともいうべき贅沢な遊び。

とにかく、幼い頃から優雅な暮らしが身に付いて、ワガママ放題のお坊ちゃん。相続した財産で暮らし、戦車や機関銃にミサイルまで購入。広大な敷地には射撃場まであり、警察の人たちが射撃の訓練に来ている。もち自分も練習。ですが、慈善家でもあり、レスリングに並々ならぬ愛情を注ぐ野心家でもある。その背景には、頑固者で厳しい母親に認められたいという願望があった。

そんな大金持ちにスポンサーになるから屋敷の練習場を使えと言われると、貧乏人のマークは年棒2万5000ドルに心を動かされ大喜びをして、アパートを引き払いデュポンの屋敷へと引っ越してしまう。
最高の設備でトレーニングをして、自家用機で試合に行って、高い酒を御馳走され、コカインまで吸い、贅沢三昧。これでは、身体がデブって体重オーバーに。
ところが、デュポンが言うには、「子供の頃に友達がいなかった。運転手の息子で仲良くなり、親友が出来たと思ったら、彼は自分の母親からお金で雇われていた」と言うのだ。マークに君が初めての友達だよ、と言ってくれるのだが。

だが、マークはそこにいる条件に、毎晩デュポンのスパーリングの相手をしなければならない。深夜の豪邸で、バックを取り合う2人の男の荒い息遣いが聞こえる。
どうみても、いい歳している金持ちなのに、女っけが全然なくどうやら同性愛のことは暗示する程度だが、女に興味がないように見えた。母親は、レスリングを野蛮なスポーツだと毛嫌いして、息子に敷地内の「フォックスキャッチャー」を、レスリングの練習場に使用しているのが気に入らない。

母親は、乗馬が趣味で毎日のように敷地を乗り回している。試合にも出場し、品評会のトロフィーがたくさん飾られている。それに厩舎には名馬が数頭おり、競走馬もいるのだ。母親との趣味が合わず、息子は馬が大嫌いなのだ。年を取っても母親の呪縛から逃れられない彼は、自分が好きなレスレリングで金メダルをとり、自分の価値観を認めて貰おうとしたのだろう。

デュポン役には、スティーヴ・カレルというコメディ出身で、人の良い役ばかりだった彼が、特殊メイクで顔を変えて、性的に曖昧な大人子供の老人デュポンを怪演している。デュポンは、徹底的に無表情で、死んだ顔のようでもあり、心の均衡が壊れた時には、何が起こるのか得体のしれない人間でもある。
甘やかされて、外の現実を何も知らないまま育った男。独裁者であり、何でも自分の支配下に置きたいのだ。自分が思った通りに他人が動かなかった時に、怒りを爆発させ、言うことを聞かない人間は、屋敷を追い出すか、または銃殺ということもある。

マークを屋敷に呼び込んだのには、訳があったのですね。兄のデイヴを呼ぶために始めは弟をダシに使うという。兄は妻や子供のこともあり、この屋敷には来ないというマークだが、金と権力で今まで誰しもを服従させてきた男が、絶対に出来ないことはないと自負しているのに。

ところが、兄のデイヴも妻と子供を連れて、デュポンの屋敷にやってくる。そして、特訓が始まる。ですが、今まで自分の屋敷内での特訓は、選手たちがデュポンに気をつかってのことで、デイヴが来てからは彼の指導の方がずば抜けてオリンピックへのメダルを獲得する近道だと確信して、デュポンの指導を受けなくなる。それに気づいたデュポンは、次第にデイヴをやっかいもののようになり始める。
しかし、弟のマークは兄のデイヴに対して劣等感を抱き、兄から逃げて来たのに、また兄がコーチとしてあれこれと指図するのに嫌気がさしてくる。それに、デュポンの奇行にも苛立ちが。そして、屋敷から逃げ出すマーク。もちろん、ソウル五輪では敗退する。
だが、屋敷内で優雅に暮らすデイヴには、デュポンの暗い心までは読めていなかったようだ。作品の結末で、実際に起こった事件が起こるべくして起きたのだ。これは、誰が悪いということではない。デイヴがもっと早めに彼の気分や性格を見抜いていたら、こんなことにはならなかったのでは。
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福福荘の福ちゃん ★★★.5

2015年02月17日 | アクション映画ーハ行
女性お笑いトリオ「森三中」の大島美幸が、頭を丸刈りにし、体重を10キロ増量して、人のよい塗装職人の中年男性に扮し、映画初主演を務めたコメディドラマ。監督・脚本は「全然大丈夫」の藤田容介。共演に水川あさみ、荒川良々。はみだし者たちが集まるおんぼろアパート「福福荘」に暮らす塗装職人の福ちゃんこと福田辰男は、面倒見もよく、住人たちにも慕われている。しかし、恋愛には奥手で女性恐怖症のため、親友のシマッチがセッティングしてくれたお見合いもうまくいかない。そんなある日、福ちゃんの初恋相手で、女性恐怖症になってしまった原因でもある女性・千穂が、福ちゃんを訪ねて福福荘にやってくる。最初は千穂を突き放した福ちゃんだったが、次第に打ち解け、恋心が芽生えていく。
<感想>「森三中」の大島美幸さん、大好きです。TVの「イッテQ」を見て身体張っているなぁと思いながら、今回は頭を丸刈りにして塗装職人の中年男性に扮しての、コメディドラマということで観ました。いやぁ、期待どおりのキャスティングでした。なんてったて、目の付け所がすごい。女性が男性を演じるわけだから、そこにリアリティはないはずなのに、男が演じたらああはならないと思う。

冒頭で、下ネタのような男のあそこがでかい云々と言っているシーンでも、何の違和感もない。つまりは大島さん演じる福ちゃんは、オナベじゃなくて付くものが付いている男ですよという、観ている人に訴えているわけ。

ですから、この作品は、非常に巧みな人物配置によって全体が骨太の作品に仕上がっているのだ。中心は福ちゃんだが、その周りには荒川良々演じる友人と、水川あさみ演じる福ちゃんの初恋の人が配置されている。この二人は、他の登場人物に比べると比較的まともな人で、世間の常識も代弁している。
さらに、その外側には、北見敏之が演じる名カメラマン沼倉とか、古舘寛治など演じるちょっと変わったというか、あきらかにおかしい人々が登場する。さらには、外枠に位置するあきらかにおかしい人々の、台詞と描写が抜群に上手いのだ。
たとえば、北見敏之が演じる大物写真家の風貌や台詞まわしは、ストライクゾーンのギリギリからボールになる田中将大のスライダーのように、リアリティの限界がうまくついてくるのだ。

福ちゃんの部屋には、所狭しと自作の凧が飾られている。こういう味のある生活描写が本作のキモでもあります。働きもので仲間から福ちゃんと呼ばれている主人公。彼にはこどくな人間を幸せにする才能があった。それは福ちゃん自身が痛切な孤独を体験しているからなおだ。最初から美しい魂を持って生まれた人間などはいない。人の優しさは痛みや悲しみを経験して磨かれていくものなのだ。

福ちゃんに強烈なトラウマを与えた初恋の人・千穂(水川あさみ)も、一度はカメラを捨てた人生最大の挫折を経験することで、再会した福ちゃんの笑顔に美しさを見出す力を得るのだ。
昭和的ニュアンスで面白かったのは「どっきりカメラ」のシーンでは、中学生時代の福ちゃんが引っかかる。看板を持って出てくるシーンで、バックに叙情的な音楽が流れ、その後にダメおしの落ちもつく。福ちゃんの悲惨な想い出だ。その悪質な「どっきりカメラ」がトラウマになって、福ちゃんは女性が苦手なるけれど、あまり陰惨な印象はない。
それに、福ちゃんが柔道の達人になっている描写があって、その後の人生が間接的に描かれている。

やっぱり映画にはアクションがないとね。特にインパクトがあるのは、カレー屋のシークエンスで、死ぬほど辛いカレーを出すのに、水は絶対に出さないという不条理なエピソードのシーン。その店で、水を出す出さないのやり取りで、殺気に満ちた取っ組み合いした挙句、サーベルを持った店主の古舘寛治に追いかけられる。白昼の路上でサーベル振り回してのアクションへと傾れ込むシーンも、これが怖い。
大島さんは、焼き芋やアンパンの似合う小太りの三十男になりきり、人類の宝ともいうべき福ちゃん役を見事に演じて見せている。親友のシマッチを演じる藤田容介作品の顔ともいうべき荒川良々との相性の良さにも惚れ惚れするばかり。

ひたすら優しく、とびきりウェルメイドな人情喜劇でありながら、さらりと狂気を描く鋭さもあります。お遍路中もナイフを手放せない野々下君。だんだんと壊れていく隣人の野々下(飯田あさと)の人物造形は藤田容介の真骨頂でもある。

だが、そこにすら人間だから、おかしくなることもあるよ。という優しさが漂うのだ。キレもあり、毒もある最高に気分よく笑わせてくれて、なおかつ心温まるコメディ映画とは。
狂気を描くための丁寧な仕事の積み重ねが、最終盤の小さな傷害事件について、観客にまったく違和感を感じさせないほどのきれいな伏線となっている。
特に、冒頭から十分ほどの徳永ゆうきちゃんの使い方が素晴らしいと思う。それに、この映画は「寅さん」を彷彿とさせるかもしれませんね。「男はつらいよ」に代表される醜い男もののジャンルが日本映画にあるとするならば、この作品はその血筋をもっともにまっとうしていると感じた。
大島さんの演技を渥美清さんのそれと比較すると、いかにも褒めすぎたようだが、それだけ称賛に値する芝居を見せてくれていると思った。これは、シルバー世代にもアピールできる映画だと思いますね。
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フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ ★★.5

2015年02月16日 | アクション映画ーハ行
主婦が趣味で執筆しインターネットにアップした小説が評判を呼び、全世界でベストセラーとなった官能小説を映画化。巨大企業の若き起業家である男前のCEOと、恋愛未経験の女子大生の倒錯した恋愛模様が展開する。メガホンを取るのは、『ノーウェアボーイ ひとりぼっちのあいつ』の女性監督サム・テイラー=ジョンソン。CEOにファッションモデル出身で『マリー・アントワネット』などのジェイミー・ドーナン、ヒロインには『ニード・フォー・スピード』などのダコタ・ジョンソンがふんする。
あらすじ:平凡な女子大生アナ(ダコタ・ジョンソン)は学生新聞の取材のため、巨大企業の若手CEOのグレイ(ジェイミー・ドーナン)を訪ねる。誰もが心惹(ひ)かれてしまいそうな容姿でばく大な富を持つグレイは、「君のことを知りたい」と引っ込み思案で恋愛未経験のアナに興味を示す。次第に二人が親密になっていったある日、グレイの自宅に呼び出されたアナは衝撃的な契約を持ち掛けられ……。

<感想>原作は未読ですが、どうやら終わり方が続篇がありそうな感じで未消化状態。恋愛経験のない真面目な女子大生が、巨大企業のイケメンCEOの手ほどきで、SM世界に目覚めていくというエロ系のシンデレラストーリーである。

この過激な作品のヒロインに抜擢されたのは、母親がメラニー・グリフィスで、父親がドン・ジョンソンの娘ダコタ・ジョンソンなのだ。顔は父親似で、可憐な少女から大人になっていくような純真な感じの娘で、スタイルは母親似のスレンダー美人である。恋愛経験のない処女ながら、グレイから申し込まれたSMプレイのパートナーの契約を責められるも受けてしまう。それが、条件付きで。

そして若くして巨大企業の王子様を演じたのは、モデル出身のジェイミー・ドーナン。あらゆるものを自分の支配下に置かないと気がすまない性格。何処か北の国の将軍様に似ているようだ。それが、何ひとつとして不自由はないが、特殊な生癖の持ち主でもある。

女子大生アナにとっては、「プリティ・ウーマン」のような気分で、グレイに心惹かれていく。だが、グレイから飛んでもない契約を持ちかけられる。それは、ノーマルな恋愛の出来ないグレイとの3ヶ月間限定で、SMパートナーになるというものだった。
始めは昔見た、ミッキーロークの「ナインハーフ」のような、初めての男とのベットの後も、彼はピアノ演奏でムード満点だし、女性に対しての接しかたが優しくて最高。
女性をエスコートするのも紳士的だし、趣味もいいし、自家用ヘリやペントハウスの豪華なこと。これではどんなにお堅い女性でも落ちてしまうはず。

だが、高価で素敵なドレスや、高級車をプレゼントされて有頂天になっていると、契約書のSMプレイルームの残酷な道具類や、その手始めとやらも丸裸にしてお尻をペンペン叩くのはいいとしても、手足を縛っての拷問器具を使ったプレイには辟易した。これは、こういう同じ趣味の愛好者が好んでやるべきで、まだ恋愛経験の少ない女子大生には男を見る目が卑下してしまう。セックス恐怖症になってしまう。

どうやら、王子様のグレイは、幼少時代にそのようなSMプレイで幼児虐待体験がトラウマになっていて、現在でも育ての親というか、金を出しているパトロンがサドマゾの系統なのだろう。今でも相手をしているようだ。
だからって、自分のそういう生癖を好きな女性に強要するか?・・・契約書までサインさせるということは、SMプレイが過度になり女性がショック死するとか、首を絞められるとか、身体にアザや切り傷、打撲といった代償をその契約書によってグレイを訴えないということなのか。

だったら、娼婦と契約してお金で解決すればいいのに。普通の女性は、よほど年齢のいった女性で金に困っているか、割り切って3ヶ月くらいガマンしようという女がいるはず。
女性監督サム・テイラー=ジョンソンが、SMプレイを通して、現代人の恋愛観をどのように描くのかが注目されるというが、観ているとただのエロドラマではないか。
ただ、王子様のジェイミー・ドーナンの筋肉美と甘いマスクも良かったが、ヒロインのアナを演じたダコタ・ジョンソンのスレンダーな裸体に釘付けになってしまう。それくらい美しい身体でした。続きも二人の恋の行方に興味あるので観ます。
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マップ・トゥ・ザ・スターズ ★★★

2015年02月15日 | アクション映画ーマ行
『ヒストリー・オブ・バイオレンス』などで知られる鬼才デヴィッド・クローネンバーグ監督が、ハリウッドセレブの実態をシニカルに描いた人間ドラマ。ハリウッドでリムジン運転手をしていた脚本家ブルース・ワグナーが実際に体験した話を基に、富も名声も得た完璧なセレブ一家が抱える秘密を暴き出す。本作の演技で第67回カンヌ国際映画祭女優賞を受賞したジュリアン・ムーアをはじめ、ミア・ワシコウスカ、ジョン・キューザック、ロバート・パティンソンら豪華キャストの競演も見どころ。
あらすじ:セレブを相手にしているセラピストの父ワイス(ジョン・キューザック)、ステージママの母クリスティーナ(オリヴィア・ウィリアムズ)、人気子役の息子ベンジー(エヴァン・バード)から成るワイス家は、誰もがうらやむ典型的なハリウッドのセレブ一家。しかし、ワイスの患者で落ち目の女優ハバナ(ジュリアン・ムーア)が、ある問題を起こして施設に入所していたワイス家の長女アガサ(ミア・ワシコウスカ)を個人秘書として雇ったことで、一家が秘密にしてきたことが白日の下にさらされ……。

<感想>冒頭ではフロリダから18歳のアガサがハリウッドにやってきたところから始まる。一見天真爛漫に見えるが、よくよく見ると顔や手にヤケドの痕がある。そこへ、リムジン運転手のロバート・パティンソンがいて、彼の運転でハリウッド観光を始めるアガサ。彼女が先にリムジンを行かせたのは、かつて自分が住んでいた家の荒れ果てた跡地だった。

このリムジン運転手のロバート・パティンソンの役が、ブルース・ワグナーであり、実際に運転手時代の自分の体験したエピソードを織り込んで書き上げたのが本作なのだ。
アガサが次に行ったのが、落ち目のベテラン女優ハバナの邸宅へ。そこで個人秘書として雇われる。ハバナは70年代に謎の焼死を遂げた人気女優クラリスの娘で、幽霊のように出没する母親の幻影に悩まされていた。

セレブファミリーのワイス(ジョン・キューザック)一家は自己啓発メソッド本を売りまくっているセラピスト。で、母親は息子を子役としてブレイクさせたモーレツママ。でも、息子はドラッグ依存症。ワイスの顧客の一人に落ち目の大物女優ハバナ(ジュリアン・ムーア)がいて、若くして死んだ母親の幻影を消し去るためのセラピーを受けているわけ。

在りし日の母は、ハバナと同じく女優で、妖精のように美しい絶頂期に謎の焼死をしている。キャリア喪失の危機にある今、母への劣等感に苦しむ彼女の前に、手ごろな「奴隷」がやってくる。それが、ハバナの個人秘書志望の少女アガサなのだ。彼女は顔に火傷の痕があり身体にも長袖の服で覆っているが、腕にも火傷の痕が見える。

ハバナは焼死した母親の連想もあって、運命を感じたハバナはアガサを雇うことに。アガサもまた深い闇を抱えているのだが、そんなことには興味もないハバナは、言いなりになる道具として、また密かな増悪をぶつけるものとして扱うようになる。
トイレのシーンは、その主従関係が分かりやすいと思う。ドアを開け放したまま用をたしているハバナは、便秘のようでまだ使用中にもかかわらず、アガサを呼びつけて用事を言いつける。目を逸らそうとする彼女に、ハバナはアガサを犬と見ているようで、犬に排泄を見られたところで何にも感じない女である。
恐ろしいほどの下劣さを躊躇なく演じるジュリアン・ムーアに、残酷な女神の姿が重なって見えた。

アガサの家族とハバナとの関係は、「火」というモチーフで連結される。ハバナの母親は18970年代のカルト映画「盗んだ水」に出演し、若くして謎の焼死を遂げている。ハバナは、母親の演じていた「盗んだ水」のリメイク企画に、是非自分がヒロイン役を射止めようとやっきとなるのだが、実力不足や年齢的なものもあり、難しい状況なのだ。ハバナは、しばし母親の幻覚を目にして、その亡霊てきな母親から「あんた才能ない、あるのは中年太りの醜い身体だけ」とボロクソに罵倒されるほど、つまりは被害妄想で母親の呪縛霊から逃れられない。

そして、ワイス一家では、一人娘のアガサが、7年前に家に放火して、自らも全身やけどを負う。その時両親は旅行中で、弟のベンジーも被害者である。それで、キチガイの烙印を押されたアガサは、精神病院へ入れられていた。そして、18歳になり、両親の元へと帰ってきたのだ。
しかし、アガサは昔、弟と「結婚ごっこ遊び」で家に放火したわけ。それが、再び戻ってきたことで、「結婚ごっこ遊び」を繰り返して、神聖なる儀式の再開へと至る。どうやら、母親と父親は兄と妹で近親相姦の末に、子供たちが生まれたようだ。その因果が、姉のアガサを狂気に走らせてしまう。そして、アガサの精神状態が爆発すると、ハバナはその餌食になってしまう。アガサの母親クリスティーナも、自宅のプールサイドで火だるまとなって死んでしまう。
タイトルが、ハリウッドスターの住所を示した地図の話かと思ったら、身勝手な子役スターを巡るグロテスクな人間模様を描く内容だと分かってくる。

いやはや、開巻から早速いかにもな固有名詞が、台詞のなかで飛び交い始めるので、まさか本当にクローネンバーグ監督が、セレブ諷刺群像劇を撮ったのかと唖然としそうになってしまった。
ですが、妙に突き放した描き方にやがて背筋がゾクゾクし始めて来て、いよいよ突発的に暴力が発生するに至り、やっぱりこれはクローネンバーグ節だと納得した。
しかも、どいつもこいつもがいけ好かないと思っていたのに、病んだ登場人物たちの孤独と絶望が何時の間にやら沁みてくるのだ。スキャンダラスな外見を装った哀しくも切ないほどの神話でもある。
何かと異形にこだわるクローネンバーグ監督だが、ロバート・パティンソン演じた「コズモポリス」と本作を比べると、異形なシステムとそこに生きる人々を描くことに最近は執心まっさかりなのだと感じた。
とりあえず、虚栄、慢心、エゴが渦巻くハリウッドを舞台にした悲喜劇としては楽しめました。近親相姦メロドラマな展開や、CG感むきだしな焼死描写なども、ハリウッド的な俗っぽさ、または安っぽさを際立たせるようで悪くはない。
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プルーフ・オブ・ライフ ★★★

2015年02月14日 | DVD作品ーな行、は行
愛し合ってはいけない男女が危険な冒険を繰り広げるサスペンス。監督・製作は「ディアボロス/悪魔の扉」のテイラー・ハックフォード。脚本・製作総指揮は「アルマゲドン」のトニー・ギルロイ。出演は「ユー・ガット・メール」のメグ・ライアン、「グラディエーター」のラッセル・クロウ、「ハート・ロッカー」、「16ブロック」のデイヴィッド・モース、「ビーン」のパメラ・リード、「ボディ・カウント」のデイヴィッド・カルーソーほか。
あらすじ:国際的な人質事件を専門に扱うプロの交渉人テリー(ラッセル・クロウ)は、会社の要請で南米の国テカラへ飛び、反政府ゲリラに誘拐されたアメリカ人技師ピーター(デイヴィッド・モース)に関する事件を扱うことになる。だが身代金の交渉を進める前に、経営危機に陥ったピーターの会社が保険をキャンセルしていたことが発覚。テリーはいったん事件を離れるが、ピーターの妻アリス(メグ・ライアン)の哀願に心を動かされ、交渉人仲間のディーノ(デイヴィッド・カルーソー)と共にピーターを救い出すと誓う。そして無線による身代金の交渉が始まった。持久戦が続く中、やがてテリーとアリスの間に愛が芽生えはじめる。むろんそれは許されない感情。燃え上がる恋の情熱をストイックに抑えながら、テリーは不屈の粘り強さで人質交渉にあたり、自らの責任をまっとうするのだった。...
この当時、この映画の共演がきっかけでこのお二人さんが、お付き合いするのがマスコミで報道された。たいてい映画の宣伝によるでっち上げのラブロマンスなのだが、当人同士は本気で付き合っていたらしい。この後、メグは夫のデニスと離婚して、クロウとの仲は破局に終わった。

<感想>正月に、家に購入していたDVDの中から観賞したもの。この映画はというと、南米の反政府ゲリラに身代金目的で、夫を誘拐されたメグ・ライアン側の動きを軸にして描きながら、一方ではゲリラたちの金ずるとして殺されはしないものの、長期にわたってゲリラたちにジャングル中を引っ張り回される夫側のサバイバルも描かれ、つまり二本立て形式で進行するサスペンスである。

その間の接点となるのは当然、愛する夫を取り戻したいという願うメグ・ライアン。
夫の方も、愛する妻の元へ何としても帰るのだという強い意思で、過酷な扱いに耐えながら、逃亡する機会をじっと待っていた。
だが、異郷の地の南米で誰一人頼る人もいないメグ・ライアンは、人質交渉人を買って出てくれたラッセル・クロウをいつしか愛してしまう。国際的な人質事件のプロの交渉人ラッセル・クロウも、彼女の夫を救出するために行動を共にするうちに、メグ・ライアンを愛おしく思うようになるというわけ。

夫が誘拐されて取り乱している彼女に、当初、ラッセル・クロウは、「このゲームは強制的に参加させられる。だから感情は必要ない。あくまでもビジネスなのだ」と、いかにも私情は無縁という態度だったのに、・・・。でも男と女、一緒にいる時間が長くなれば、心も通うし、愛も生まれる。ましてや極限状態の妻の立場となれば、優しくしてくれる身近な男性に恋もするかもです。
この辺の二人の関係は、何者かに命を狙われるスターのサスペンスに、彼女を護衛するボディガードの恋を絡めて描いた、ケビン・コスナーとこの間亡くなったホイットニー・ヒューストンの「ボディガード」に似てもなくない。でもあのラブサスペンスの場合は、どちらも独身だった。互いにその気になりさえすれば、愛の障害になるものはなかった。
だが、本作では違う。メグとラッセルがどれほど愛しあっていても、二人の間にはゲリラに誘拐されたままの夫がいるのだ。二人の出会いもそもそも夫を助けるため。平常時に出会って恋をしたのであれば、たとえどちらかに配偶者がいたとしても結ばれることは可能だが、今はムリ。人道的にも許されないことだ。
二人が今やらなければならないのが、何をさておいても所在の分からない夫の救出。自分の本心を隠し、夫の救出に命を賭けるラッセルも、無事救出に成功してアメリカへと去っていくメグたちを、ラッセルが見送る空港でのラストは、まさに現代版の「カサブランカ」のように見えた。でも、クロウとボガードでは比較にならないよね。

デイビット・モース扮する夫が、南米で過酷な状況にあって、ラッセルに救出されたのだが、一瞬でも妻とラッセルの別れのシーンで、妻の視線の中に何事かを察知するという表情も見逃してはいけない。
しかし、夫が無事に戻ってくれば、大人の分別でそれも終わりとなるエンディングに、なるほどいつもラッセル・クロウにはドラマチックな悲劇が似合うイメージがある。だから今回もひよっとしたら夫を助けて自分は死ぬのかも、と思ったりした。
実際、この作品は、誘拐、身代金犯罪と戦うプロフェッショナルの交渉人、ラッセル・クロウの活躍と、交渉のスリル、いかに事件が解決されるかが題材の作品。なのですが、私には愛し合ってはいけない二人の純愛劇、夫の命を救うべき人物に惹かれていくメグと、彼女に思いをよせながら人質交渉をという任務を全うすることに命を張るラッセル。何だかサスペンス・アクションではなくただのラブロマンス劇になっているのが惜しいですね。
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