パピとママ映画のblog

最新劇場公開映画の鑑賞のレビューを中心に、DVD、WOWOWの映画の感想などネタバレ有りで記録しています。

マダムのおかしな晩餐会★★★

2019年01月24日 | ま行の映画

トニ・コレットとハーヴェイ・カイテルがパリに越してきた裕福なアメリカ人夫婦を演じるコメディ・ドラマ。共演にアルモドバル作品の常連ロッシ・デ・パルマ。監督は本作が長編2作目のフランス人女流監督アマンダ・ステール。

あらすじ:アメリカからパリに移り住んだアンとボブは、セレブな友人たちを招いて豪華なパーティを開くことに。ところが手違いで出席者の数が13人となってしまう。不吉な数字に慌てたアンは、スペイン人メイドのマリアを“ミステリアスなレディ”に仕立て上げて席に座らせる。大人しくしているようにときつく言い聞かせたアンだったが、緊張したマリアはワインを飲み過ぎて下品なジョークを連発。ところが、それが大ウケですっかりマリアはパーティの主役に。あろうことか英国紳士のハートを掴んでしまう。相手は大事な取引相手で、今更正体を明かすわけにもいかず、忠告を無視して恋に突き進むマリアに苛立ちを募らせるアンだったが…。

<感想>パリの上流社会を舞台に繰り広げられるロマンチック・コメディ。原題は「Madame」で、映画の内容はメイドのマリアがマダムになるまでの物語である。使用人のマリアを演じているのが、背が高くて顔がでかい迫力満点の女優さんのロッシ・デ・パルマ。ラストがマリアに希望をもたせる感じでないのが面白くない。

主人公のマダム、アンの満たされない生活を送るセレブのマダムの毎日を映していて、その主人公には、あの「 ヘレディタリー継承 」で、恐ろしい顔芸を披露したトニ・コレットが演じている。彼女には富裕層の婦人には似つかわしくないと思った。

日本に比べて欧米では階級社会を意識する局面が、はるかに多いであろうことは想像に難しくはない。それが歴史でもあるから。ですが、その事実を露骨にに示されるとやはり複雑に感じてしまう。

米欧の金持ちが集まる晩餐会のシーンでは、ドロドロした光景や不倫への誘惑、貴族への憧れや移民への蔑視などが錯綜していて、彼らの浅薄さを笑うためのシーンのように見えた。

メイドのマリアに惚れた英国紳士のデヴィッドから求愛されるハメになるとは驚きものでした。そのロマンスが面白くて、見守っていると、マダムのアンがヤキモチを焼き、結局はマリアの素性をデヴィッドに教えてしまい、格差結婚はお終いになるのだ。

手違いに端を発したドタバタ喜劇のようだが、登場人物が出そろうと、後はお決まりのパターンで展開して、話が見えてしまうのが残念。メイドを始め、主人公夫妻など達者な役者を揃えているだけに、この不発は何だかもったいない。

ストーリーよりもむしろ、夫婦の邸宅になった贋造博物館などのビジュアルが目を楽しませてくれて良かった。

それでも、この富豪のアメリカ人夫婦は、憧れのパリに引っ越してきたという設定なので、富裕さは格段上だが、衣裳からインテリア、骨とう品や古美術品、晩餐会の食器るいなど、金ピカのゴージャスさがいかにもな雰囲気を作っていた点は評価できますね。

ですが、マリアをシンデレラに例えた演出とかも最高だったし、チェスの白黒を対比にプールサイドの人間模様などなど、女流監督アマンダ・ステールのセンスを感じました。

 

2019年劇場鑑賞作品・・・11  アクション・アドベンチャーランキング

 

 映画に夢中

 

 トラックバック専用ブログとして、エキサイトブログ版へ

トラックバックURL : https://koronnmama.exblog.jp/tb/30380021


女神は二度微笑む ★★★

2015年04月22日 | ま行の映画
インドで消息不明となった夫を捜す女性をヒロインに、失踪(しっそう)と地下鉄テロの二つの事件にまつわる壮大な謎を、多彩な伏線を張り巡らせて描いたサスペンス。イギリスで暮らすインド人女性が、インドへ行ったまま連絡が途絶えた夫を見つけるべく、妊娠中の身でありながら壮絶な捜索劇を繰り広げる。主演は、ボリウッドを中心に活躍しているヴィディヤ・バラン。監督は『アラジン 不思議なランプと魔人リングマスター』のスジョイ・ゴーシュ。謎が謎を呼ぶストーリーと衝撃の展開に驚かされる。
あらすじ:イギリス・ロンドンに暮らすヴィディヤ(ヴィディヤ・バラン)は、インドへ行ったまま行方不明となった夫のアルナブを捜すためにコルカタにやって来る。しかし、宿泊先や勤務先にアルナブがいた痕跡はなく、やがてアルナブに非常によく似た男が国家情報局に追われていることが判明。ヴィディヤは危険を冒してでも、アルナブの行方を捜そうとするが……。

<感想>最近のインド映画は、歌や踊りのないサスペンスもので、ヒロインが臨月の超タフな美人ときた。好き嫌いは別として、最後のどんでん返しにいたるまでの話を、過剰に詰め込み、民族色豊かなお祭りでクライマックスを飾り立てるのだ。

そして、舞台となるコルカタよりもカルカッタ、ムンバイよりボンベイの方が、未だに何だかエキゾチックな親しみがあるインドの地名呼称変更である。コルカタの猥雑な路地にサスペンスの網を張りめぐらせ、IT関係と祭礼が主人公のアイデンティティを、何重にも宙ズリにする作劇になっている。
ですが、日本でもあった地下鉄サリン事件のような、コルカタの地下鉄でも同じようなテロによる無差別に一般市民を巻き添えにするのはどうかと思う。赤ん坊を抱いた母親らしき女が、途中の駅で降りる時に鞄を忘れていく。中には、哺乳瓶にミルクが入っており、そのミルクが床に落ちて破裂して、サリンと同じ効力を発揮するのだ。

いやはや、むせかえるような群衆の表現に舌を巻いた。舞台のコルカタも一般道路ではなく、路地裏という未知な場所をよく撮影していて、これもサービス満点ですが、ややカットが速すぎて、じっくり観たいと思う観客にはちと欲求不満な感じがした。
もはや踊らないのではなく、ポリウッドの伝統とは画した地点で、撮られているようにすら見えるわけで、グローバルな人口流動が真に21世紀的な映画を生んでいると思った。これからのアジア映画はこの方角へと向かうのではなかろうか。

配役のヒロインのヴィディヤ・バランをはじめとし、殺し屋のメガネデブ、頭の上がハゲの保険調査員に、新人警官のラナの優しさもいい。臨月まじかのヒロインが探偵まがいの頭の良さで、奔走するシーンにハラハラさせられ、クライマックスのラストシーン、ヒンドゥの「戦いの女神」ドゥルガーを乗せた山車と、それを取り巻く赤白のサリーの女性の群れ。上手く逃げ延びるすべを知っているのだ。

途中で、どうして臨月まじかの女性が、夫を探しにこんな危ないことをするのか、と思ったのだが、ラストの種明かしになるほどと納得がいく。
後半の怒涛の展開がやってくるまでの長い時間に、薄々感じていたある伏線が、「やっぱり」という結論」に結びつくのが残念なきがした。しかし、ハリウッドリメイク決定なのも頷ける作品。いやはや、見応えがありました。
2015年劇場鑑賞作品・・・82映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

トラックバック (8)

マエストロ!★★★

2015年02月13日 | ま行の映画
漫画家さそうあきらが手掛けたコミックを基に、不況のあおりで解散したオーケストラの再起を若手コンサートマスターと謎の指揮者を中心につづる感動のドラマ。コンサートマスターに松坂桃李、指揮者に西田敏行がふんし、寄せ集めの演奏者たちが破天荒な指揮者を前に一転、復活のコンサートを目指し奮闘するさまを笑いと涙を交えて描き出す。メガホンを取るのは、『毎日かあさん』などの小林聖太郎。随所に登場するクラシック音楽のトリビアや、松坂と西田がそれぞれ挑む楽器演奏と指揮にも期待。
あらすじ:若手コンサートマスターの香坂(松坂桃李)は、不況の影響によって解散したオーケストラの再結成に携ることに。しかし、練習場に現れたのは再就職先が決まらない演奏家たちで、久々の音合わせもうまくいかず前途多難な雰囲気が漂う。そこへ怪しげな男、天道(西田敏行)が登場。天道による常軌を逸した指揮にもかかわらず、楽団員たちは自信を取り戻していき……。

<感想>最近では珍しく本格的な音楽映画が作られたことには、本当に嬉しい限りです。物語が奇をてらわずに中盤くらいまでは、シンプルに展開したのもよかった。
この映画では、若手コンマスの松坂桃李さん演じる香坂が主役だと思ったのですが、なにやら指揮者である西田敏行が扮する、偏屈で、口の悪い指揮者ぶりに驚いた。

クラシックの世界では指揮者はマエストロ、つまり先生とか達人とか呼ばれる習わしになっているようだ。この映画の中の西やんは、まさにスーパー・マエストロであり、何でも出来ちゃうのだ。そんな彼がどうして無名なのか、というのが一つの鍵になっている。
実は香坂君の父親も昔はコンマスを務め、マエストロには天道が、それが余りにも無鉄砲な指揮者で楽団員たちがマエストロに反感を持ち、演奏会の当日に楽団員たち全員が来なかったといういきさつもあった。

だから、松坂桃李君との因縁も含め、この映画の仕掛けが、実は天童が仕組んだことなので、後から考えるとちょっと狭っ苦しい世界観を感じさせるのが難ではあるようだ。
西やん扮する怪しげな指揮者が、実はすごい才能の持ち主であるようなのだが、ただ下品なだけの印象が強かった。どうしてこうなったのか?・・・

西やん扮するマエストロが、借金取りから追われており、妻はもうすぐ死ぬという設定の中、ボロイ廃工場跡での練習を始めることから、負け組楽団員とはいえ、どうしても彼らがプロのオーケストラのメンバーには思えない。

これは設定としてアマチュア・オーケストラにした方が良かったのではないか。その方が、庶民派アンサンブルのドラマとしてすんなり楽しめた気がするのでは。プロの楽団員たちが、解雇され働き口を探しながら食いぶちのためにアルバイトをしているというのに。構成は上手いのだがそういうルーズさがあるのが少し引っかかるよね。

だから、松坂桃李のコンマスを始め楽団員たちが、どうみても素人のような指揮者に反撥するという導入部などは、こういうお話の脚本通りなのだろうが、それでも白けることもなく、劇の展開に自然に身を委ねられたのは、音楽そのものを丁寧に観客に聴かせているからだと思う。

これほどまでに、「未完成」や「運命」を映画のなかで聴かせてくれる音楽映画も楽しい。ですが、コンサートシーンは壮大に見せていたが、展開にも違和感を覚えてしまい最後まで内容にノレずに、そう感じて観ていたら何と実はという、まるで韓国映画のお話でもあるかのような、お涙頂戴のラストには唖然。
そして、クライマックスの日が、余命幾日かの妻に聴かせてやりたいと、客席には誰もいなく妻ただ一人で、オーケストラが奏でる「未完成交響楽」の素晴らしさに暫く聞き惚れてしまいました。
確かに、マエストロの天道が言っていた「指揮者とオーケストラの決闘や」という意味はよく分かります。ですが、観客の聴き手にも感動を与えるオーケストラでなくては、指揮者とオーケストラが一つになり音楽を奏でるという。
クラシック音楽の演奏の素晴らしさと難しさに、奏者の人間模様が描かれたお得な映画になっていました。
2015年劇場鑑賞作品・・・24映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング


トラックバック (20)

真夜中の五分前 ★★.5

2015年01月05日 | ま行の映画
『GO』『世界の中心で、愛をさけぶ』などの行定勲監督がメガホンを取り、本多孝好のベストセラー恋愛小説を映画化したラブミステリー。美しい双子の姉と妹をそれぞれ愛した2人の男性と彼女たちが織り成す、切なくもはかない愛の物語を描く。『君に届け』などの三浦春馬が主演を務め、『ドラゴン・コップス -微笑(ほほえみ)捜査線-』などのリウ・シーシーが一人二役でヒロインを熱演。愛の迷宮に迷い込んだ男女の姿がやるせない。
あらすじ:上海で時計修理工として働くリョウ(三浦春馬)は、プールで見掛けた清楚(せいそ)な雰囲気漂うルオラン(リウ・シーシー)と出会う。リョウは知り合ったばかりの彼女に、ティエルン(チャン・シャオチュアン)と婚約中の一卵性双生児の妹ルーメイ(リウ・シーシー)への結婚プレゼントを選んでほしいと頼まれる。そのことをきっかけに二人は親しくなっていくが……。

<感想>正月休みで、ミニシアター上映の作品を観ようとやってまいりましたが、混んでいましたね。50席の館内もほぼ満員でした。全編静かな暗い雰囲気の映画で、途中で眠くなるくらいつまらないと言えば嘘になるけれど、主人公の三浦春馬くんの流暢な中国語や演技は上手かったと思います。
双子の役を演じたリウ・シーシーの演技は、初めは温和で静かな性格のルオランと、モデルをしていて女優の妹ルーメイが勝気でハキハキと意見を言う性格を使い分けていて、双子のイメージがはっきりとしていたので良かった。

舞台は上海、タイトルの「真夜中の5分前」というのは、亡くなってしまった主人公の前の恋人が、時計を5分間遅らせたまま生活していたそうで、「5分ぐらいなら世界に追い付けるでしょう」と、その暮らしに主人公が、今でも自分の部屋の時計を5分間遅らせているのだ。
映画の中ではリョウと親密になったルオランが、部屋に泊まってしまい時計が5分間遅れているのに気付いて不思議に思うシーンがあるからです。

仕事場の時計屋の2階で暮らしているリョウ。朝になり、ルオランが階下へ降りて行き朝ごはんの支度をしている老主人のいる台所に一緒に立つ。
そして、看板に美しいモデルとして映っているのが妹のルーメイ。妹を紹介され、その妹の恋人であるティエルンの豪邸へと。ですが、妹のルーメイが言うには、自分たちは入れ替わって自由気ままに楽しんでいると意味深な言葉を言うのである。ルーメイの婚約者ティエルンを演じたチャン・シャオチュアンは、台湾の俳優さん。
しかし、普通は双子とはいえいくらか表情とか性格も違うので見分けられると思いますよね。それが、モーリシャスへ旅行へ行き、そこで海難事故に遭い姉のルオランが亡くなったというのだ。美しい一卵性双生児の姉ルオランに恋をしたリョウなのだが、最後の方でいかにも助かったのが妹のルーメイであり、女優復活と婚約者のティエルンの前に姿を現す。

しかし、ティエルンが生き残ったのはルーメイではなく、姉のルオランだと言うのだ。リョウにどちらなのか見分けてくれと頼まれるのだが、妹のルーメイは金槌で泳げないというのに、何故海難事故で助かったのだろう。プールで泳ぎが達者なルオランと知り合ったリョウは、同じプールで一緒に泳ぐのだが、溺れてしまうルーメイ。それに、幼い頃にブランコに乗って、ブランコから落ちて頭を怪我したというルオラン。その時は、頭の怪我の痕を見せてはいない。しかし、リョウの目の前でその頭の怪我を見せたのは妹のルーメイなのだ。

ということは、つまり、生き残ったのはルーメイなのだが、性格がすっかりルオランのように静かな性格になってしまったというのか?・・・。ラストがミステリアスですが、つまりは事故の衝撃で、これは第三者の人物が出来たということになりそうな気がするのだが。
リョウは生き残ったのが、自分が愛したルオランと勘違いしてしまうシーン。彼女が自分が愛した女性なのか?、違うのかと、動揺するリョウ。野外の映画を見ている二人、1回目は、リョウが自然に彼女と手を繋ぐのだが、2回目は手を差し出しても繋ぐ気配がないのだ。

最後に見せる5分間のズレ、「現在を生きてみたいの、5分前でもない、5分後でもない今を」と言うルオランからの手紙。リョウがルオランにプレゼントした男ものの腕時計。古い教会で、双子の一人がその時計とロザリオを取り換える。ルーメイが姉のルオランからの形見として受け取ったロザリオ。
それが、また教会へ来る双子の一人。ロザリオをリョウからのプレゼントの時計と取り換える。その時計を返しにやってくる女は?・・・。時間は真夜中の12時である。つまりは、本当に生き残った女性は双子のどちらでもいいのでは、という意味なのかもしれませんね。この曖昧な終わらせ方も、女ごころを表している微妙な点ではあります。
2015年劇場鑑賞作品・・・2 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

トラックバック (9)

舞妓はレディ ★★★

2014年09月18日 | ま行の映画
『Shall we ダンス?』など数々の名作を手掛けてきた周防正行監督が、舞妓をテーマに撮り上げたドラマ。周防監督が20年前から考え続けてきた企画で、とある少女が舞妓を夢見て京都の花街に飛び込み、立派な舞妓を目指し成長していく姿を歌や踊りを交えて描く。主演は、半年に及ぶ選考とおよそ800名に上る応募者の中から選ばれた新星・上白石萌音。共演には長谷川博己、富司純子、渡辺えり、岸部一徳ら実力派がそろう。

あらすじ:古都・京都。お茶屋・万寿楽にある夜、絶対に舞妓になりたいと少女・春子(上白石萌音)が押し掛けてくる。春子は必死で頼み込むが、誰も相手にしようとしない。ところが偶然その様子を目にした言語学者の「センセ」こと京野(長谷川博己)が、鹿児島弁と津軽弁が混ざった彼女に関心を寄せたことから、晴れて万寿楽の仕込み(見習い)になる春子だったが……。

<感想>周防正行監督が最新作でミュージカルに挑戦。ヒロインはどうしても舞妓になりたいと京都に来た津軽弁を話す少女の春子。厳しい稽古で日本舞踊や三味線、礼儀作法を学ぶ春子だが、最大の壁は舞妓には必須の京言葉。
果たして春子は一人前の舞妓になれるのか?・・・本作はそんな春子の成長をミュージカルをたっぷり盛り込んで映し出す。お茶屋ファンタジーです。

しかし、これはもう「マイ・フェア・レディ」をベースにした映画と言っていいでしょう。ですが、監督はウディ・アレンの「世界中がアイ・ラブ・ユー」のように俳優自身が個性を存分に発揮して歌うというふうにしたかったそうです。もちろん振り付けは、パパイア鈴木が担当で、花柳流ではありません。
京野が春子のなまりを直そうと歌で教える場面も「京都盆地に雨が降る」という歌とか、「一見さんお断り」など花街の解説になる歌も入っている。

他にも、「Shall we ダンス?」の出演者の竹中直人に渡辺えりや、そうそう監督の奥様である草刈民代は、芸妓の里春を演じて客の高嶋政宏との掛け合いとか、百戦錬磨の恋へとつなぐなど、監督の奥様である草刈さんは、出番大目ですからね。何だか、故伊丹十三監督の映画には絶対に宮本信子さんが主演しているという定番でしたが、周防監督もしかり愛妻家であるので、奥様を綺麗に見せるシーンが多い、そうなんでしょうね。

そういっても、主役の春子を演じた新人の上白石萌音は、歌も踊りも台詞だって、これから映画に活躍することを期待できる女優さんになるでしょう。
ミュージカルということで、京都生まれのシンガーソングライターである、種ともこさんの力は大きいです。監督の書いた話し言葉やイメージを、京言葉や方言も活かしていることなど、きちんと歌える詩にしているのには感心しました。

舞妓や芸妓が仮装してサービスする節分のお祭りを、歌と踊りを交えて描いているシーンなど盛りだくさん。花街のお座敷でのシーンで、一番驚いたのは、草刈民代さんと田畑智子さんが、「しゃちほこ」と呼ばれる逆立ち芸を見たときです。舞妓さんというとおしとやかで優雅なイメージがあるのに、その舞妓さんが突然、足に着物を挟んで逆立ちですから。これは御座敷での余興で、お客さんを楽しませるためなんでしょうね。挟んだ着物が落ちたらそれもご愛嬌でしょうか。

岸部一徳が春子の夢の実現に一役かうことになる老舗の呉服屋社長を演じて、長谷川博己は、京言葉を研究する言語学者・京野を演じて、春子の方言を矯正し、京言葉を仕込む。

春子の“センセ”そして、東京育ちの“よそもん”として、春子の疎外感にそっと寄り添う人物でもある。
お茶屋のお母さんに富司純子、さすがに着物を着なれているので所作が美しい。それに、初恋の映画スターとの恋は、お母さんの富司純子さんの若い時の役には大原櫻子が歌って踊って上手いし、その憧れのスター俳優には、妻夫木聡さんが演じてました。

舞妓はレディ 舞妓はレディ 花となりましょう♪
舞妓はレディ 舞妓はレディ 明日に咲きましょう♪
ラストのシーンでは、みんなで小川にかかる橋を渡り、カメラが手前に向かって歩いて来る春子の姿にタイミングを合わせ、北野、京野がその両側にタキシードで並び、その他のキャストたちも全員入ってまさにミュージカル映画でしたね。
2014年劇場鑑賞作品・・・292 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

トラックバック (30)

めぐり逢わせのお弁当 ★★★★

2014年08月20日 | ま行の映画
インドの大都会ムンバイでは、家庭でつくった“できたて”のお弁当をオフィスに届ける配達サービスが充実していて、1日20万個のお弁当箱がダッバーワーラーと呼ばれる配達人5千人によって家庭とオフィスを正確に往き来しているという。本作はそんなムンバイのお弁当事情を背景に、めったに起きない誤配が縁で繋がった一組の男女が、そのお弁当を介して互いの心の隙間を埋めていく姿を心温まるタッチで描いたハートフル・ドラマ。出演は「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」のイルファン・カーンとニムラト・カウル。監督は、これが長編デビューのリテーシュ・バトラ。
あらすじ:ムンバイに暮らす主婦のイラ。すっかり冷めてしまった夫の愛情を取り戻そうと、お弁当作りに精を出す。ところが、その丹精を込めた4段重ねのお弁当が、なぜか早期退職を控えた男やもめ、サージャンのもとに届いてしまう。その日、お弁当箱は、きれいに空っぽになって帰ってきた。それを見て喜ぶイラだったが、ほどなく夫が食べたのではないと気づく。そこで次のお弁当には、きれいに食べてくれた見知らぬ誰かへのお礼の手紙を忍ばせるイラだったが…。

<感想>この作品は、前に観た「マダム・イン・ニューヨーク」も良かったが、インドの保守的な生活に甘んじる主婦の姿と、激動するインド社会の軋みを背景にした秀作であります。まずこれはムンバイ出身のリテーシュ・バトラ監督の長編デビュー作品である。
インドが舞台のインド映画でありながら、グローバルな匂いがバリバリと漂ってくるのだ。ボリウッドものに定番のコミカルダンスや、キンキラキンのゴージャスな感じは全然ないが、劇中で91年のポリウッド映画「サージャン/愛しい人」の主題歌が流れるも、本編自体にはミュージカル要素はない。
物語のこれにはびっくりでした。インドでは妻の弁当を会社に届けるプロの配達人が職業として成立しているなんて。それを題材にした企画の勝利でもある。
あり得ない弁当の誤配達。そこで手紙の交流が始まる。

主演が「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」のイルファン・カーンとヒロインは、舞台女優のニムラト・カウル。インドの女優さんは本当に美しいのに感心。夫に不信感を抱きつつ、まだ見ぬ男の心触れ合いに揺れる主婦役が見事だった。夫に届いた弁当は、サージャンの住む近所の弁当屋の物。弁当の中身がカリフラワーのカレー味が多いとは、気の毒に。もし間違って届かなければ、夫は妻の手料理で浮気も止めたのではないかと思うのですが。

ムンバイならではの弁当配達システム。600万分の1という確率の誤配送に気付きながらも、二人は弁当箱に短い手紙を忍ばせ、密かな交流をするのだ。それはSNSや出会い系などのコミュニケーションとは一線を画し、誰にも言えない孤独感を共有するものだった。
彼女には、自殺をした弟がおり、天井のファンを見続ける昏睡状態の叔父が2階に住んでいる。その叔父を介護しているおばさんが声だけの登場なのだが、彼女の悩みの相談に乗り、存在感がたっぷりあり傑作でした。

彼の方も死んだ妻が好きだったテレビドラマなど、二人が交わす文通に出て来るエピソードの一つ一つが凄まじい。彼女のお弁当の美味しさに驚く会計係の、定年退職が迫るのに、いつ逢えるのかと観客の方がドキドキしてしまう。
それに、サージャンの後任として若い男、ナワーズッディーン・シッディーキーが演じているが、始めは邪険にしていた彼が、若い男の生い立ち(孤児)を聞き同情して、仕事を教えて彼の家にまで招かれ、結婚式にまで参列することになるとは。

そして、時間のかかる弁当箱文通相手の二人が、ついに顔合わせることになるシーンでは、男が朝から身支度をして洗面所で、アゴヒゲを剃り自分から祖父と同じ臭いがすることにショックを受け、あろうことか電車の中では若者に席まで譲られるてしまう。

老いに直面した男は、後にあの彼女が待っているカフェで「水を飲むあなたを見ていた。君は若くて美しい。夢を見させてくれて感謝している」と悲しい手紙を送るのだ。待ち合わせのカフェでの彼女の画面に始まる三ショットの連鎖の残酷さ。その秀逸さに極上のメロドラマを見ているようでした。
最後に、彼女が娘を学校へ送り、自分は身支度をして駅へ向かうのだが、ブータンへ行きたいと夢見ていた二人の行く末がどうなることか、気になるところだが、これは観客の想像に任せるという終わり方であった。生活のワンシーンを鮮やかなドラマとして機能させる手腕が見事でした。

まるで巨匠監督の晩年の傑作のように、ツボを熟知したさりげない展開で攻めてくるのだ。「たとえ間違った電車に乗ったとしても、正しい場所に着く」という、哲学的名言が多くの心理を表しているようで、深く胸に染み入る作品でした。
2014年劇場鑑賞作品・・・271  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
トラックバック (11)

マダム・イン・ニューヨーク★★★★

2014年07月29日 | ま行の映画
英語ができず苦悩する主婦が一念発起して英会話学校に通い、コンプレックスを克服し生きがいを見いだしていく女性賛歌。英会話という小さなきっかけを通して人生の喜びを発見するヒロインの日々を、アクションやミュージカルといったこれまでのインド映画とは異なる語り口で描く。本作で長編デビューを飾る新鋭女性監督ガウリ・シンデーがメガホンを取り、数多くの出演作があるインドの女優シュリーデヴィが主演。
あらすじ:ビジネスマンの夫、2人の子供のために日々家事をこなす専業主婦シャシ(シュリーデヴィ)は、家族の中で唯一英語ができないことが悩みだった。ある日親戚の結婚式の手伝いを頼まれ単身渡米するも、英語が話せないためつらい思いをする。そんな時「4週間で英語が話せる」という英会話学校の広告を見つけた彼女は、身内に黙って学校に通い始めるが……。

<感想>とてもいい作品に巡り逢えました。それに驚いたのは、この映画を監督したのが39歳の新人女性監督ガウリ・シンデーだということ。これまでのボリウッド映画のイメージを変えた、歌や踊りの乱舞といった映画になっていないのに好感が持てます。脚本も彼女が手掛けているとのこと。もちろん少しは歌や踊りが入っているのですが、それが嫌味にならない。

良妻賢母型の耐える女性なんて、昔の日本の女性などもはや見当たらないので、映画のストーリーに、ちょっと違和感を覚えます。英語が話せないというだけで、母親を軽んじる、監督の面影を宿しているらしい生意気な長女の存在など、観ていて少し不愉快に感じた。
でも話が面白くなってくるのは、専業主婦シャシが姉の娘の結婚式の準備のため、1カ月もニューヨークへ滞在することになり、ふと眼にした広告をみて英会話教室で学び始めてからだ。彼女が女性としての誇りと自信を取り戻すお話になっている。

でも、インドで暮らすのに英語なんて必要ないのじゃないかしらね。それが違うんですね、シャシのようにインドの中産階級以上は、大半が英語のネイティヴスピーカー。
NYに着くと、カフェで注文しようとすると、早口英語でまくし立てる店員に、緊張してしまい言葉が出なくなる。後ろにはたくさんの人たちが行列しているし、英語で悪口言われても意味が判らないのでオドオドしてしまうばかり。冷たい視線が浴びせられるシャシ。
外国旅行をしてる方で、こんな経験したことある人って大勢いるのではないかしらね。私はメニューを指さして、1プリーズと頼みます。間違ってくることもありますが、それは仕方がないと諦めます。

しかし、、シャシは負けてはいません。「4週間であなたも英語が話せる」という英会話教室へ入校します。そこは英語を勉強しないと生きていけない人々の吹き溜まりで、それぞれが抱えている人生の大変さが胸を打ちます。
その中には、シャシがカフェで虐めを受けた現場に居合わせたフランス人の男性のロランもいて、何と彼はシャシに一目惚れなんです。忘れていたロマンスのトキメキに戸惑いながらも英会話教室へ通い続け、上達していくシャシ。
そして、姪っ子の結婚式の日に英会話教室の卒業試験もあるのですが、当日は結婚式に出すお菓子の”ラドゥ”を作らなければならないし、それが飛んでもないことになってしまうんです。息子がはしゃいでそのお菓子を床に全部落としてしまうのです。全て作り直しをしなければならず、卒業試験なんて行けないのだ。

ですが、姪っ子がシャシが英会話教室に通っている事を知り、当日の結婚式に教室のみんなを招待していたんですね。そして、結婚式が始まり、シャシがスピーチをする番が来ます。夫は妻は英語が話せないといい、自分が代わりにスピーチをしようとします。ですが、その言葉を振り切って、姪っ子のために素晴らしいスピーチを英語で話すのです。もうそれにはつい私も目頭が熱くなりました。もちろん、そのスピーチを聞いていた先生がシャシに卒業試験合格の証書を手渡すのです。とにかく、主人公のシュリーデヴィの美しさに惚れ惚れします。
2014年劇場鑑賞作品・・・253 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

トラックバック (17)

百瀬、こっちを向いて。★★★

2014年05月18日 | ま行の映画
作家の乙一が、中田永一という別名義で執筆したベストセラー小説を原作とした青春ロマンス。ひょんなことから、期間限定でカップルを装うことになった高校生の男女が次第に惹(ひ)かれ合っていく姿を見つめる。人気アイドルグループ、ももいろクローバーのメンバーだった早見あかりが初主演を務め、テレビドラマ「チーム・バチスタ2 ジェネラル・ルージュの凱旋」の竹内太郎が共演。思春期の真っただ中にいる者の心情をリアルかつ郷愁的に切り取ったタッチに加え、トレードマークの長い黒髪をバッサリと切った早見の姿にも注目。

<感想>冴えない同級生を嘘の恋愛で翻弄する早見あかりの初主演作。彼女のの印象がまだ19歳なのに、学校の屋上で寝そべってミニスカートからパンツ見えるんじゃないかとか、映画館のロビーでノボルが気分が悪くなり、映画を観ないでベンチでノボルに肩をかしてあげる所とか、顔が実に綺麗に撮れているところが大人の女っぽいのだ。
時として後姿から徐々に現れるサマは一種のスペクタルです。顔の輪郭が実に彫刻のように彫が深くて、見事な横顔の鼻と大きな目に唇など、百瀬ならぬ「早見、こっち向いて」と言いたくなる。

このところやたらに多い学園青春ものの定版パターンで、よくもまぁ同じ様な作品が次々と、アキレてしまう。本作も、回想形式にしているが似たようなキャラ設定で、またかと思ってしまう。ノボルが成長して小説家になって、母校に帰って来るシーンから始まり、大人のノボルは向井理が演じている。

偶然出会った神林親子と喫茶店でお茶をするところから始まる。宮崎先輩と結婚して子供が二人いるということで、中村優子が演じている。
お話はここから始まり一気に過去篇へと。つまり、百瀬と先輩の宮崎瞬が一緒に駅に居たところを同級生に目撃されて、噂になってしまった。それを打ち消すようにと、宮崎先輩から頼まれたパットしない相原ノボルが、恋人のフリをするように頼まれる。
百瀬は、男っぽくてサバサバしているところは、まだ少女のような本当の恋を知らないで初恋に憧れているようなところ。クールな一面は持っているけど、他にも様々な要素を持っている女の子。私だったら、他に彼女がいる男は好きにならないし、もし好きになっても諦めてしまう。二番手でもいいから好きな彼の傍にいたいなんてことは考えないですよね。
実はノボルには、宮崎先輩は命の恩人なのだ。宮崎の父親が亡くなった葬式の夜、自転車で土手を走っている時に誤って下へ転落し、脚を怪我して血だらけになり、そこへ宮崎先輩が通りがかって助けてくれたこと。

そういわれても奥手のノボルは、百瀬の言うがままで、図書館でノボルが勉強していると、彼女は恋人のふりをしてノボルの肩に頭を寄せようとする。ところが驚いてノボルは避けてしまう。そして、ノボルの家に行き、母親はびっくりしているのに、ノボルの部屋に行き、ダブルデートに着ていく服をクロ-ゼットの中の、段ボールからベッドの上に洋服をまき散らす。本当にサイテーな女なんですから。
それに、母親がいいですよね。普段おとなしい息子に彼女がいたなんて思ってもいなかったことで、得意のパイナップル入りのカレーライスを御馳走する。これは、ノボルの心の中までズケズケと百瀬は入り込んでしまったようです。これはもう、ノボルの初恋物語じゃないですか。
そして、百瀬が想いを寄せる宮崎先輩と神林徹子、ノボルと百瀬との4人でダブルデートへ。爽やかな青春の一コマに見えるけれど、4人の複雑な感情が交錯する恋愛サスペンス的なシーンでもあります。

デート中の4人は、恋人同士が一緒にボートに乗ると別れるという都市伝説が囁かれる公園の池でボートに乗ることになり、「宮崎と百瀬」、「神林とノボル」という組み合わせで乗ることを提案する神林先輩。彼女は、ノボルと百瀬は偽装カップルだということを気付いていたのかも。だから、帰りのバスの中で、宮崎にほうずきを手渡す。
ほおずきの花言葉は:心の平安、 不思議、私を誘って下さい、頼りない、半信半疑、欺瞞、 偽り。
花言葉を巡るミステリーというコンセプトが設定されているのだが、語り口に芸がなくこっちには伝わってこないのだ。ああ、そうなのって感じかな。
それに、子供っぽい百瀬に対して、神林徹子はすでに淡い口紅を塗っており、百瀬はリップなのだ。着ている洋服も神林は、呉服問屋のお嬢様で素敵なワンピースなのに、百瀬は兄弟が多い公団住宅に住んでいるから、シャツにミニスカートという普通の高校生って感じ。

ラストの朝日が昇る直前のシーンで、ダブルデートで百瀬もノボルも、ボロボロに傷ついてしまう。百瀬の家を訪ねたノボルと川の土手で、百瀬が「もう恋人ごっこの嘘は止めよう」と言う場面で、百瀬が涙を流して口を利かなくなり背中を向ける。ノボルが百瀬に、自分が好きになってしまったことを告白したい衝動にかられるシーン。タイトルどおりの「百瀬、こっちを向いて。」ですよね。演技はまだまだ未熟でも、早見あかりの存在は、魅力的だけにこれからに期待したいものです。
2014年劇場鑑賞作品・・・112 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
トラックバック (8)

メイジーの瞳 ★★★★

2014年04月27日 | ま行の映画
両親の離婚に翻弄(ほんろう)される少女の視点で家族とは何かを、『キッズ・オールライト』の製作スタッフが描くヒューマンドラマ。19世紀末のヘンリー・ジェームズの原作の舞台を現代に置き換え、多忙な両親に顧みられない少女が新しく両親のパートナーとなった男女との関係を築いていく姿を映し出す。ロックスターである少女の母親はジュリアン・ムーア。6歳の少女をオタナ・アプリールが演じ、アレクサンダー・スカルスガルドなどが共演。辛らつながらも温かな珠玉のストーリーに魅了される。
あらすじ:母スザンナ(ジュリアン・ムーア)と父ビール(スティーヴ・クーガン)が離婚し、共同親権を持つ両親の家を行き来することになった6歳の少女メイジー(オナタ・アプリール)。ロックスターであるスザンナは、再婚相手の青年リンカーン(アレクサンダー・スカルスガルド)に子育てを押し付けていた。メイジーは優しいリンカーンと心を通わせ始めるが、スザンナはそんな状況にいらついてしまい……。

<感想>離婚した両親のもとを行き来する6歳の少女が見た、身勝手な大人の世界とは?・・・6歳のメイジーの両親は離婚して共同親権を持つことになった。アートディラーの父親ビールはまもなくベビーシッターのマーゴと再婚。優しいマーゴをメイジーはすぐに受け入れた。

一方、ロック歌手の母親スザンナも若いバーテンのリンカーンと再婚。母親が留守の昼間は彼がメイジーの面倒を見てくれる。彼のこともだんだんに好きになるメイジー。
それでも本当はどちらも忙しく、自分本位。彼らが共に不在の時は、リンカーンとマーゴが交互にメイジーの世話をして、どちらも身勝手な伴侶に利用されているだけと気づいた二人は急接近していく。

ツアーに出たスザンナに置き去りにされたメイジーを加えた3人は、仲の良い本当の親子のように海辺の家で休暇を過ごすが、明日はみんなで船に乗ろうと約束していた夜に、突然母親のスザンナが娘を迎えに現れる。その時、幼いメイジーが取った選択とは?・・・。
ヘンリー・ジェームズの小説を現代ふうにアレンジして、スコット・マクギーとデーヴィッド・シーゲルのコンビ監督が描く新たな家族の形とは。驚いたのが百年後のニューヨークに舞台が移されているんですね。

味わい深いのは、確かに身勝手な離婚を決断する両親とはいえ、彼らが再婚する最大の理由がやっぱりまだ幼い娘メイジーのため、というあたりでしょうか。
これまでにも、子供の眼から両親や大人たちの身勝手さを描いた作品は多々あるが、6歳の少女メイジーの場合は、すでに苦労人のように見えてしまった。我慢強くて、しかも素直で、決して無いものねだりをしない。両親の喧嘩を見ては一人心を痛めている健気さが痛々しく感じました。

最も親らしくしてくれたのは、離婚した両親が便宜上再婚した義父母でした。という物語を、子供目線ではなく、子供を通した大人目線によって、大人の醜悪さを際立たせているような。子役のメイジーを演じたオナタ・アプリールちゃんの可愛いこと。
どちらも再婚相手がいい人で何だかホットします。でも観終わって心に残るのは何故か、クレイジーとしか言いようのない母親の、女性ロッカー歌手のジュリアン・ムーアなのだ。彼女の狂気と哀れさでもった企画だったような気がする。そして、父親には「あなたを抱きしめる日まで」のスティーヴ・クーガンが演じていて、ベビーシッターだった女性のマーゴと再婚したのに、相変わらず仕事の都合で家を空ける日が多い。

後半は疑似家族の物語のようで、実の両親と子供の関係が放置されてしまう。子供にとっては、本当の両親と暮らすのが一番なのだが、となると問題は、大人たちで、特に離婚する両親は大いに難ありで困ったものだが、メイジーは、両親の再婚相手にもしっかりと懐いて、結果としては万事受け身のメイジーが、自分を守ってくれる大人たちを仕分けしているような感じがしてならない。親にこだわらない人懐っこい子供のちょっとほろ苦い、お伽噺でもある。
その後はどうなるのか、どうにも気になる終わり方でしたが、本当の両親がメイジーを育てられないのなら、疑似家族でも幸せならその方がいいに決まっている。
2014年劇場鑑賞作品・・・94  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

トラックバック (14)

麦子さんと ★★★.5

2014年02月22日 | ま行の映画
『純喫茶磯辺』『さんかく』など独特なセンスで注目を浴びる吉田恵輔監督が、構想に7年かけたハートフル・ドラマ。納骨のため亡き母の故郷を訪れたヒロインが、町の人々との交流を経て母の知られざる一面に触れ、それまでとは違う母に対する思いを抱いていく。声優を夢見るオタク女子の主人公に、連続テレビ小説「梅ちゃん先生」が好評だった堀北真希がふんし、兄役に『探偵はBARにいる』シリーズの松田龍平、二人の母をベテラン余貴美子が演じる。
あらすじ:声優を目指して奮闘中の麦子(堀北真希)が、兄・憲男(松田龍平)と暮らすところに、かつて二人を捨てた母・彩子(余貴美子)が戻ってくるが、間もなく病のために、帰らぬ人となる。麦子は、納骨のため母がかつて青春を謳歌(おうか)した田舎を訪れると、町の人気者だった彩子に似ている麦子の登場に町の人々は活気づく。そんな彼らと交流するうちに、麦子は自分の知らない母の一面を垣間見ることになり……。

<感想>格別に何がどうした、というのではないけれども、吉田作品の人物たちは、みなどこか“やましげ”である。「机のなかみ」「純喫茶磯辺」「ばしゃ馬さんとビッグマウス」の彼や彼女たち。誰もが小さなズルしたり、隠しごとで話が転がって、亡き母の若き日と出会うことになる。
だが、日常的なディテールの達者さに比べ、ドラマの核となる部分は今回も曖昧で、それが物足りなく感じた。ズルズルと話が進んで、何となく収まって、日本人的なのだが。

この作品では、堀北が娘と若き日の母親の一人二役を演じていて、だから「同じ」ではなく「似ている」だけのはずだが、画面では過剰なまでに同一感を強調しているのだ。また、部分的ながらオリジナルのアニメを作っちゃう、という発想も楽しい。アニヲタと田舎町のアイドルを演じる堀北真希の魅力満載だが、この女優さんの素の部分が前者のキャラに近いんじゃないかと思わせてくれるところもいい。
長年音信不通だったは母親が、突然現れてからの騒動を始め、しかし不仲のままで母親は死んでしまう。だから、一緒に数日間過ごした日々は、母親に対して毒舌を吐き捨て、なんて乱暴な娘、感じの悪い教養のない娘だと思ってしまった。そう感じたのは、娘もそうだが、松田龍平演じる義理の兄である憲男も口が悪いのだ。ババァと吐き捨てるように言う。

母親は、自分たち子供を捨てて出て行ってしまい10年間音信不通だというのだが、毎月生活費を15万円も仕送りしてもらっているのに、なんて礼儀の知らない親不孝ものの子供たち。女が一人でラブホテルの掃除婦、スナックでのアルバイトなど、かけもちで働き子供たちにお金を送金する。体を悪くするのは当たり前だ。きっと病院へは行っていないのだろう。自分の死期が迫っているのを感じ取り、我が子の傍で幾日かでも一緒に過ごしたいと思ったに違いない。亡き母親の遺骨を持って、故郷まで納骨に行く娘。その若き母を知る故郷の人々を通して、母を描く間接話法が効果的で良かったですね。
80年代のアイドルに田舎町とくれば、朝ドラと比較する声もあろうが、本作の方が圧倒的に素晴らしい。これは堀北真希の代表作になると思う。生き別れの母との再会、死という王道の母子ものを、吉田監督が撮れば、安易な母子の和解を拒否して、母親の死も感傷が入り込む隙を与えないほど呆気なく描かれている。
若き母とうり二つだと故郷の人々が言う。母は歌手になりたくて親の反対を押し切って上京。だが、世間は甘くなかった。子供のいる男と結婚をして、娘の麦子を産む。その後、結婚生活はうまくいかなくて離婚してしまう。

母親の余貴美子、田舎町の麻生祐未ほか女優陣が総じていいです。故郷の同級生でタクシーの運転手の温水さん、そしてとどめの聖子ちゃんメロディ、最後まで引っ張る「赤いスイートピー」が流れる瞬間に、思わず涙がじんわりと滲みます。
2014年劇場鑑賞作品・・・43 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
トラックバック (11)

もうひとりの息子 ★★★.5

2014年02月01日 | ま行の映画
いまなお根深い対立が続くイスラエルとパレスチナの問題を背景に、それぞれの家族の間で子どもの取り違え事件が発生したら、という衝撃的な題材で描き出す感動の家族ドラマ。子どもの誕生から18年目にあまりにも残酷な事実を突きつけられた憎しみ合う2つの家族の動揺と、幾多の葛藤を重ねながら辿る選択への道のりをリアルな筆致で描き出す。監督は本作が長編3作目となるフランス人女性、ロレーヌ・レヴィ。2012年の東京国際映画祭では、みごとグランプリと最優秀監督賞の2冠に輝いた。
あらすじ:テルアビブに暮らすフランス系イスラエル人家族の18歳になる息子ヨセフ。ある日、兵役検査で両親の実の子ではないことが判明する。18年前、湾岸戦争の混乱の中、病院で別の赤ん坊と取り違えられていたのだ。しかも相手は高い壁の向こうに暮らすパレスチナ人夫婦の息子ヤシンだった。最初は事実を受け止めきれず激しく動揺するヨセフとヤシン、そしてそれぞれの家族たちだったが…。

<感想>イスラエル人夫婦とパレスチナ人夫婦の赤ん坊が、病院で取り違えられ、それが18年後にわかった、という話である。子供が取り違えられる話は、幾度も映画化されてきたが、取り違えがパレスチナ人とイスラエル人の間でおこったとなっては、普通に考えても丸く収まるなどありえそうにない。
宗教や言語、文化の異なる家庭で育ち、ある日突然「自分とは何者なのか?」という同じ問いに直面する2人の青年たち。
イスラエルのテルアビブに暮らすヨセフは、軍人の父と医師の母、妹との4人暮らし。両親がフランス系であるため、ヘブライ語だけでなく、家の中ではフランス語もつかっている。音楽が好きでミュージシャンになることを夢見ている彼は、兵役に就くために受けた検査で、自分が両親から生まれるはずのない血液型であることを知る。

一方、彼と取り違えられ、ヨルダン川西岸地区で育ったヤシンの母親はアラビア語だが、両親や兄、妹と離れて親戚の住むパリで学び、大学入学資格を得たばかりという設定。ヨセフ役を「リトル・ランボーズ」のジュール・シトリュク、ヤシン役をベルギー出身、若手俳優マハディ・ザハビが演じている。
ヨセフは、愛情あふれる、どちらかと言うと少し過保護な家庭で育って、まだ思春期を抜け切れていないキャラクターで、身体的にもちょっと子供っぽいあどけなさが抜けない感じの青年。
ヤシンは、早くから家族と離れて暮らし、パリに住んで学校に通い、バカンスだけ帰って来るという。社会生活に一歩足を踏み入れている大人の雰囲気のする青年です。そうした違いが、観ている側にもすぐに分かっていいですね。
ヨセフとヤシンが取り違えられていた、という事実は、それぞれに彼らを愛していた家族にも同様を与え、父親たちが自体を中々受け入れられない一方で、母親たちはすぐに自分たちがすべきことを理解して、手を取り合います。これは、女性が持っている特性だと思われます。大地に根ざし、真実に近く、人生に対しても本能ですぐに感じ取ることができる。母親ともなれば一層に、それが強まり、子供の為に自分を投げ出すことも可能でしょう。

アラブ人とユダヤ人という複雑な状況の子供を取り違え、二つの家族を個々の社会のメタファーにして、父、母、兄、妹と、それぞれに託す構成と名演が驚異的で、今の日本の姿にも重なっていく。まさに、昨年のカンヌ映画祭コンペ部門で見事に審査員賞を受賞「そして父になる」に匹敵するようでした。
18歳のヤシンとヨセフ。思いもよらない事実を受けいれていく1カ月。18歳という年齢はまだ、か弱くもろい年代で、本当の意味でのアイデンティティをようやく築き始めたところだと思います。取り違えという出来事がおこることによって、そんな年齢にある青年たちの、築きかけてきたアイデンティティが崩壊し、ゼロから作り直していかなければならないなんて。
ヨセフとヤシンの2人は、相手が生きてきた場所や家族を知るために、検問所を抜けてそれぞれの家を訪問して、出会いを重ねながら少しずつ親しくなっていく。そして、何よりも大切なのは当事者と言う眼が、想像するだけに胸がつぶれそうな苦悩を抱えつつ、最良の解決を目指して歩み出す。このお話を客観的にきちんとまとめているのに感心しました。

イスラエルとパレスチナという非常に近い存在でありながら、戦争をしている場所を背景とするこの物語に希望もメッセージはあるのだろうか?・・・。もっともホットな政治問題を、このような角度から捉えたことにも凄いと思った。未来は、若者に託していくものだと静かに語るレヴィ監督。当事者の声が聞こえる社会が、自立した社会だと再確認する。
女性監督のレヴィはフランス人だが、ユダヤ人でもあるのだ。この映画の公平さと監督の誠実さに感心しながらも、イスラエルとパレスチナの現実の難しさを改めて感じさせられました。
2014年劇場鑑賞作品・・・27  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
トラックバック (8)

ムード・インディゴ うたかたの日々 ★★★.5

2014年01月04日 | ま行の映画
作家やミュージシャンなどとしてマルチに活躍したボリス・ヴィアンの傑作小説を、『エターナル・サンシャイン』などのミシェル・ゴンドリー監督が映画化。肺の中にスイレンの花が咲く病にかかった女性と、彼女を救おうと奔走する青年の切なくも美しい愛を描く。カクテルを作るピアノや恋人たちを運ぶ雲など、原作の独創的な世界観をゴンドリー監督ならではの遊び心あふれるセンスで映像化。出演は、『タイピスト!』などのロマン・デュリスと『アメリ』などのオドレイ・トトゥ。
あらすじ:仕事をしなくても生活できる財産があり気ままに生きていたコラン(ロマン・デュリス)は、純粋なクロエ(オドレイ・トトゥ)と付き合うことに。その後、友人たちに見守られながら結婚した二人は幸福に満ちあふれた生活を送っていたが、ある日クロエが肺にスイレンが咲くという奇病に侵されてしまう。ばく大な治療費を稼ぐために仕事をし始めたコランの人生は徐々に狂い出し、クロエも日増しに弱っていき……。

<感想>フランスで半世紀以上愛されているボリス・ヴィアンの恋愛小説「うたかたの日々」を映画化したもの。この作品は、前から絶対に観たいと思っていたもので、4日から地方でも上映されて、早速観てまいりました。
ミシェル・ゴンドリー監督の独特な遊び心満載で大人の寓話ですね。お伽噺として楽しむには面白いと思います。ですが、内容よりもメランコリックなイマジネーションが表に出ていて、おかげでストーリー運びや登場人物の心理描写が中途半端になって、少し分かりにくいのが難点。

主人公のクロエのオドレイ・トトゥは、ちょっと年齢的に無理があるような、でも不思議ちゃん役はお手の物なので違和感はないです。それに、彼氏のロマン・デュリスも、金持ちのお坊ちゃんという役も「タイピスト」など、やっているので良かったです。特に上手かったのは、同居している料理人のニコラのオマール・シーが良かったですね。彼は前作の「最強の二人」での演技も良かったですしね。
でも、ボリス・ヴィアンの原作も摩訶不思議な物語ですが、ミシェル・ゴンドリー監督の偏執狂的な細工を施した演出は、イマジネーションとクリエイティビティの限界に挑戦しているようにも見えた。見たこともないものを作っているのはよくわかるのだが、個人的にはピンとこない部分があった。
大勢の人間がタイプをしているシーンは、この物語をタイプしているようにも取れた。うなぎが蛇口からにょろにょろと出て来るし、ガラスや鉄の食材や、カクテルを作るピアノも、他の動く食べ物やいろんなものが“チャップリン”の作品にあったのを見ているみたいな感覚でした。
家の中では鼠がペットのようにいろんなことをしているし、呼び鈴が蜘蛛のような動きで叩いても数が増えていく。窓からの日差しが白いゴムで、幾本もの日差しが差し込む様子も素敵。それに、コランの靴がガルルって唸るし、この辺りは楽しげに見てました。

クロエと知り合って、恋に落ちて雲のような乗り物でデートする。ダンス会場での二人は、足が伸びて不思議なダンスに驚く。結婚式も素敵だったし、ガラスで出来たリムジンもスケスケでいい感じだし、ですが、新婚初夜の晩にクロエの口の中へ、白い雪の精のようなものが入り、それが肺の中で育って睡蓮の花となるという難病だなんて。

そこからが、コランの人生が落ちていくような、家の壁にカビがびっしりと付いて、いかにも貧乏のどん底に落ちていくような描写が、前半の明るい色から薄暗い灰色に変わっていく様子も分かり安くていいと思います。
これは出来不出来とは関係なく、このセンスに乗れる人には、チャーミングで宝箱のような作品なのでしょう。様々な奇想天外さを盛り込みつつ、意外に骨組みは原作に忠実であるそうで、単純にここまでくると相性の問題なのだろう。やはり好き嫌いがあるのでは。タイトルにある「うたかたの日々」のように、最愛の妻に愛情を注いでも、難病ともなればそれはどうしようもないことなのだ。儚い夢物語を表しているんですね。
ですが、一方的にCGに偏ることなく、手作り感が映像の表現による視覚効果が素晴らしかった。物語が難病悲恋ものだけに、恋人のクロエの肺に睡蓮の花の蕾が根付くというお話は、少しニュアンスが違うが、邦画の「シャニダールの花」のよう。
原作に書かれた奇想天外な物語を、次々と視覚化してみせるスタミナと手腕には脱帽せざるを得ない。ですが、それらのアイディアの無意味さや無責任さ、そして意図された現実への敬意のなさなど。おもちゃ箱をかき混ぜたような子供っぽい残酷な想像力が、ゴンドリー監督にとってはボリス・ヴィアン小説が、格好の題材だったのだろう。
2014年劇場鑑賞作品・・・2  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング 

トラックバック (10)

マニアック ★★★.5

2013年08月15日 | ま行の映画
ウィリアム・ラスティグ監督による1980年の同名映画を、「ピラニア3D」のアレクサンドル・アジャ&「アーティスト」のトマ・ラングマン製作、「ロード・オブ・ザ・リング」のイライジャ・ウッド主演でリメイクしたサスペンススリラー。
ロサンゼルスで両親が経営していたマネキン店を継いだ青年フランクは、淫乱で残忍な母親に育てられたトラウマから、生身の女性を愛することができず、自分が修復したマネキンたちに愛情を注いでいく。やがてフランクは夜な夜な若い女性を殺害し、その毛髪を頭皮ごとはいで自分のマネキンにかぶせるという異常な行動に出始める。そんなある日、フランクの前にマネキンを作品のモチーフに使わせてほしいという女性カメラマンのアンナが現れ……。

<感想>1980年版の猟奇的サイコサスペンスのリメイクで、主人公の名前や猟奇性はほとんどオリジナル版のままだが、サイコホラーの恐怖度も時代と共に進化している。その痛さやサスペンスの密度は、この現代版の方が段違いに上だと感じた。
それは主人公役を「ロード・オブ・ザ・リング」3部作で全世界の老若男女のヒーローとなり、「ホビットの思いがけない冒険」でも、その品行方正な優等生的存在感を見せつけてくれるイライジャ・ウッド。
しかし、「シンシティ」で見せた怪演を確実に覚えているファンにとっては、彼がただの“いい子“なんかじゃないことは百も承知のはず。それもそのはず、彼はホラー映画専門の制作会社を設立するくらいの本格的なホラー・マニアなのである。
このところ、お行儀のよい芝居が続いた反動か、ついに自らの暗黒面を前面に押し出した狂気の演技で決めている。

イライジャが演じるのは、オリジナルではジョー・スピネリが小汚く演じたマネキンしか愛せない頭皮剥ぎ殺人マニア。KNBエフェクツの特殊メイクで描かれる強烈なバイオレンスの中で、イライジャは繊細かつ優雅なまでの圧倒的演技で、殺戮でしか愛を表現できない主人公の心情を表現。それは見る者に殺人鬼へのシンパシーを感じさせる域まで到達していると思った。
だが、何度も出て来る主観映像(鏡に映るイライジャ)が、観ているこちらの感情を殺人者側に同化させるような効果をもたらす。けれど、その変質的殺人は確かにおぞましいが、主人公のキャラクターにどこか哀れさを誘うものがあり、というか、まだ未熟なときに魂を傷つけられ、でも何がしか無垢なるものも残っているとでもいうような。
贔屓目は抜きにしても、主人公の人格形成を大きく左右した母親の存在が決定的で、そういう意味ではこの主人公は犠牲者でもあるのだ。男好きで薬中毒、溺愛と放置の繰り返しで、息子を育てたシングルマザー。よくある話だが、そういえば笑うしかないほどおぞましい快作中の「ムカデ人間2」の主人公も、息子を口汚く罵倒する母親と暮らしていた。予告編でしか見てないが。

そして、マネキン修復師という主人公の仕事。無機質な物体であるマネキンを、より完璧に仕上げるために、殺した女たちから剥ぎ取った毛髪を、頭皮ごとマネキンの頭にかぶせるというのだが、終盤で、何体ものそんなマネキンが置かれた彼のベッドルームの醜悪、不気味さはまさに悪夢そのまんまで、臭気すら漂う気分である。
「人間の身体の部分で唯一永遠なのは髪の毛だ」と、マネキン修復師のフランクが、一方的に妄想を募らせている女性カメラマンに言う。命が消えた肉体は、直ちに腐敗していくが、毛髪だけはそのままだということ。女性カメラマンを通して、美術界の俗悪ぶりを皮肉っているのも印象的。
そういえば、日本の「リング」シリーズの貞子の長い黒髪も、呪いと恐怖の重要な一部を担っていた。毒を飲まされた「四谷怪談」のお岩の髪の毛が、ゾロリと抜け落ちるのも、髪は女の命と言われているから、何故か恐怖映画には、女の髪の毛が付き物である。
2013年劇場鑑賞作品・・・252  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング
トラックバック (6)

モネ・ゲーム ★★★.5

2013年07月02日 | ま行の映画
犯罪コメディー『泥棒貴族』を、オスカー俳優コリン・ファースとラブコメの女王ことキャメロン・ディアス共演でリメイク。モネの名画の贋作(がんさく)詐欺をもくろむ男と天然カウガールの相棒、そしてターゲットの億万長者が珍騒動を巻き起こす。脚本は数々のヒット作を世に送り出したジョエル、イーサン・コーエン兄弟。監督は『終着駅トルストイ最後の旅』のマイケル・ホフマン。さらに『ハリー・ポッター』シリーズのスネイプ先生でおなじみアラン・リックマン、『ラブリーボーン』などのスタンリー・トゥッチが脇を固める。

<感想>そのタイトルどおり、印象派の巨匠であるモネの代表的な連作「積みわら」の“贋作”を使った詐欺計画を描いたコメディである。詐欺を仕掛けるのは、カタブツのサエない美術鑑定士ハリーと、天然カウガールのPJ。ハリーの相棒である親友の贋作者ネルソン少佐に、「カルテット!人生のオペラハウス」でレジー役が素敵だったトム・コートネイが演じて巧い。
ネルソン少佐に描いてもらった偽物のモネの幻の名画で、シャバンダーから15億円を騙し取ってやるはずだったのに、この詐欺計画のため、ハリーは一人の女性を抱き込む。第二次大戦末期、ナチス・コレクションを奪還した連合軍隊長の孫娘、PJ・プズナウスキー。テキサスの彼女の家に“幻の名画2が眠っていっというシナリアなのだ。後は、自分が本物だと鑑定すれば万事OK!

ところが用心深いシャバンダーは、そもそもハリーの話をまるで信用していない。PJの機転のおかげで何とか話は前に進むが、今度は頭のいい彼女にシャバンダーが熱をあげてしまう。日本人とのビジネスの場でも才能を発揮し、PJ本人もすっかり秘書気取り。
さらにシャバンダーは、ハリーを首にして有名鑑定士マーティン、スタンリー・トゥッチを雇い入れる。崖っぷちに立たされたハリーは最後の大逆転を狙って、シャバンダーの豪邸でのパーティにかこつけ、彼のコレクションルームへと忍び込む。てんやわんやのモネ・ゲーム、果たして勝利の女神は誰に微笑むのか?

「ノーカントリー」を手がけたジョエル、イーサン・コーエン兄弟は、ハリーとPJのキャラクターを好対照的に描きつつ、笑いと予想できないスリルを脚本に詰め込んでいる。もちろん、コリン・ファースとキャメロン・ディアスの相性もバッチリで、全てが真逆のキャラクターを演じる2人のミスマッチが楽しいですよね。
シャバンダーの勧めで超高級ホテルに泊まることになったPJに豪遊され、ハリーは全財産を使い果たしてしまう。彼は悔しさのあまり、ホテルの調度品である「明の時代の壺」を盗もうとするも、予期せぬピンチが彼を襲います。

そのシーンで、コリンはロンドンの高級ホテル、サボイでパンツ姿でうろうろ動き回る姿など、その間ホテルは通常営業されていて、その結果、コリンのパンツ姿を利用客が目にするという驚きのシーンも見られます。

それと、サーム・ワシントンが演じた「崖っぷちの男」のように、ホテルの窓の外へ出てのハラハラ演技もあります。
さらには、2人の詐欺計画のターゲットとなる億万長者のシャバンダーを演じるアラン・リックマン、の好演も見逃せませんよ。無礼で貪欲で、嫌味な男を絵に描いたような人物でありながら、目が離せなくなってしまう不思議な魅力を持った男をクールに演じている。その上、まさかのヌード姿も劇中で披露。

計画が上手くいかず焦るハリーが、贋作の鑑定場所シャバンダーの別荘へ行き絵を取り返そうとするが、セキリティが発動し、まさかのライオンが登場するとは、このピンチどうするの?・・・運よくPJに救われる。この時、シャバンダーが持っている本物の「積みわら」を失敬して、贋作と取り換えるすばやさに感心。もちろん、その本物は日本人に1000万ポンドで売りつけるとは。
ヴァーチャル絵画館より参照
それと、相棒の贋作者ネルソン少佐の描いた「積みわら」の絵の中にエリザベスの肖像が描かれているのには、さすがにお見事でした。ラストで、協力者のPJには、自分が大事にしていた印象派の画家“シスレー”の絵を上げましたよ。
スクリーンの隅々に仕掛けられた笑いのワナが心地よく、スタイリッシュなのにドタバタも楽しめる本作。豪華すぎるキャストに、コーエン兄弟の秀逸な脚本が加わって、未だかってないコメディ作品なのに、すべてに於いて贅沢さを感じさせているのも良かった。
2013年劇場鑑賞作品220  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

トラックバック (18)

真夏の方程式  ★★★★

2013年06月30日 | ま行の映画
東野圭吾の小説が原作のテレビドラマ「ガリレオ」シリーズの劇場版第2弾。とある海辺の町を訪れた物理学者・湯川学が、そこで起きた殺人事件の悲しい真相に直面する姿を、一人の少年との出会いを絡めて描く。テレビ版と前作に続いて福山雅治が主演を努め、子どもが苦手なのにもかかわらず、少年のために事件に挑む湯川を体現する。『妖怪人間ベム』シリーズの杏、ベテラン風吹ジュンら実力派が共演。科学技術と自然の共存という、劇中に盛り込まれたテーマにも着目を。
あらすじ:きれいな海に面した玻璃ヶ浦で計画されている、海底鉱物資源の開発。その説明会に招待された物理学者・湯川学(福山雅治)は、緑岩荘という旅館を滞在先に選ぶ。そして、そこで夏休みを過ごす旅館を営む川畑夫婦(前田吟、風吹ジュン)のおい、恭平と知り合う。次の朝、堤防下の岩場で緑岩荘に宿泊していたもう一人の客・塚原の変死体が発見される。図らずも事件に直面した湯川は、旅館廃業を考えていたという川畑夫婦や、夫婦の娘で環境保護活動に奔走する成実(杏)らと塚原の思わぬ因縁を知る。

<感想>テレビの「ガリレオ」シリーズのファンです。もちろん原作も読んでいます。前作の「容疑者X献身」から5年、今回は自然と人間の共存をテーマにしているとのこと。それに、子供嫌いな湯川の、人生初となる少年との交流が観たいというのもありましたね。原作とほぼ同じ内容でしたが、成美に気のある男友達が殺人に関与してたのがカットされてました。その他にもありますが、小説とすべて同じように映像化しないところも納得です。
さらには、舞台となる“手つかずの海“となる海辺の町が何処なのか(伊豆下田)?・・・その自然の海を「守る」というキーワードと、親子の情愛、大切な宝物を「守る」という意味合いも込められています。
海底資源の開発計画に揺れる美しい海辺の町、玻璃ヶ浦を舞台にした映画は、湯川が奇しくも暴くことになる不可解な殺人事件の真相が、過去の殺人事件にまつわるある人物の“嘘”と切実な想いを浮き彫りにしていくというもの。
愛する者を守るために、別の人物がさらなる罪を犯す設定は、前作の「容疑者X献身」の構造にも似ているのだが、・・・。が、しかし、前回と違って犯人が湯川の親友でもライバルでもありません。今回は、玻璃ヶ浦の宿、緑岩荘の川畑家の人たちや、川畑家の甥っ子の恭平という少年とは、たまたま出会っただけで、彼らに友情や同情を感じたわけでもなく、興味があるわけでもない。ただ、科学者としての使命が事件に向き合わせたようだ。
だから今作での湯川のアプローチは、より物理学者らしく科学者の所為から生まれたものだと思いますね。それに環境問題というデリケートなテーマについても、この映画独自の視点で描かれている。ラストで湯川と成美が素潜りして、海の中へと、それは本当に綺麗です。

湯川は、決して子供に優しく接しようと思ったわけではなく、電車で一緒だった恭平が、「理科は嫌いなんだよね」って言われる。湯川は嫌いというのは主観の問題で、湯川にとって関係のないことなのだが、朝食の時に「理科が何の役に立つんだよ」って言われ、カチンと来る。それはもう科学自体を全否定されたようなもので、聞き捨てならないのだ。そこで「科学の素晴らしさを教えてやる」と大義名分を付けつつ、ムキになって実験に挑むんですね。

恭平が、玻璃ヶ浦には海の底に水晶が沈んでいて、晴れた日には200m地点で、太陽光線にキラキラと反射してそれは綺麗だと。でも自分は船酔いするので見れないと言う。それではと、湯川博士が、陸にいながら200m先の海の中を見るという実験をする。ペットボトルをロケットに見立てて、釣竿にロケットを取りつけ、ボンベの圧力で飛ばし、岸壁から200m先の海へと。ペットボトルにケータイ電話を入れ、恭平の携帯に接続するようにする。恭平の携帯の画面に映る色鮮やかな魚の群れ、それは美しかった。
結果、戦わずして諦めがちな少年の心に火をつけるのですが、自分のケータイは水につかってダメにしたけれど、それ以上に恭平よりも、実験に夢中になっている湯川の姿が、童心に帰ったように喜ぶ顔が素敵でしたね。

そうそう、肝心の岩場の変死体事件ですが、さびれた海辺の町の警察では単なる酔っ払いが散歩に出て、足を踏み外して落ちたのだろうと。ところが、遺体の塚原という人は元捜査一課の刑事だったということで、東京の県警本部の「ガリレオ」の刑事メンバーが出揃うということになるわけです。相変わらずハイテンションの吉高由里子に、北村一樹の刑事コンビとお偉方。緑岩荘の川畑夫妻に前田吟と風吹ジュン、その娘の成美に杏、容疑者の仙波に白竜。

父親のベテラン俳優前田吟の演技と、母親の風吹ジュンの演技が自然で上手かったです。それに子役の恭平を演じた山崎光くんも頑張ってましたね。
冒頭で、ホステス殺人事件が映され、犯人の息を切らせて走る姿が誰なのか、男にも見えたのだが、観ているうちにこれは中学生の女の子だとわかり、その娘の犯行をもみ消すために実の父親が名乗り出て逮捕ということに。その事件を担当していた刑事が、玻璃ヶ浦の岩場で変死体となって発見される。それも解剖すると睡眠薬を飲み、一酸化炭素中毒という。

その殺人が一酸化炭素中毒というのに興味がわき、湯川が旅館の屋上に上がり、煙突の部分と下に置いてあった段ボール。それにヒントを得て、旅館の部屋の壁の亀裂とかを見て、意外な真犯人と旅館の経営者川畑家が抱える秘密を知ってしまうのです。
後半は、何故川畑が元刑事を殺さなければいけなかったのか。東京での川畑家族の生活とか、両親のなれそめにホステス殺人事件が映されます。

それにしても、いろんな問題があったとは言え、殺人を犯した中学生の娘を自首させないのが変ですよね。この娘は、誰かが自分の罪を被ってくれた。一生その罪を背負って生きてゆかねばならないのに。東京から玻璃ヶ浦に移ってからは、その事件のことを忘れてしまったかのようなそぶりだ。しかし、彼女の実の父親が玻璃ヶ浦出身と言う事を知り、自分の罪を被ってくれた事を知り、この美しい玻璃ヶ浦の海を守っていこうと決心したのだろう。
父親が自分に娘が似てないけれど、愛情が湧き実の娘として育ててきた。だからその娘のしたことを、いやもしかしてホステス殺しを妻が殺したのだと。犯人が逮捕されたのに、今更ほじくり返しに来た刑事が許せなかったのか?・・・だから殺したのだろうか。皆が貝のように口を閉ざして本当のことを話さない。愛する者を守るために!
最初が狂ってしまうと、もう後戻り出来ないのだろうか、この娘はまたもや一生涯、自分が犯した昔の殺人を背負って生きていくのだろう。それに、湯川が言っていた恭平の罪は、足の悪い川畑の言いつけで、屋上の煙突を段ボールで塞いだ。それが殺人の手助けをした罪と言えるだろうか。
刑事や探偵とは異なる科学者の生理に基づく、湯川の言動が際立ちます。「少年に最後に何を伝えますか」という、ある容疑者に自分の仮説を唱えるクライマックスでは、相手の気持ちを探ろうとか、ましてや事件を解決しようということには全く興味がありません。刑事ではない、科学者としての湯川の本質が見られます。
2013年劇場鑑賞作品・・・218 映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

トラックバック (29)