パピとママ映画のblog

最新劇場公開映画の鑑賞のレビューを中心に、DVD、WOWOWの映画の感想などネタバレ有りで記録しています。

わたしはマララ ★★★

2016年01月30日 | わ行の映画
2014年にノーベル平和賞を史上最年少で受賞した17歳の少女マララ・ユスフザイを、「不都合な真実」のデイビス・グッゲンハイム監督が取材したドキュメンタリー。パキスタンで学校を経営する詩人の父と文字の読めない母の長女として生まれたマララは、タリバンに支配された教育事情や暮らしについてブログに綴りはじめるが、ドキュメンタリーへの出演によって身元が知れ渡り、タリバンに命を狙われる身となってしまう。そして2012年、当時15歳だったマララと友人は、スクールバスで下校途中に銃撃され、頭に大怪我を負う。世界に衝撃を与えたこの事件を中心に、マララの生い立ちや父が彼女の名に込めた想いを明かし、普通の少女がなぜ教育活動家としての道を歩むことになったのか、その真相を描く。

<感想>女性が教育を受けられる権利を訴え続け、2014年に17歳でノーベル平和賞に史上最年少で輝いたパキスタン人女性、マララ・ユスフザイ。その生い立ちや素顔を本人はもちろんのこと、両親や周囲の関係者への取材を通して映し出したドキュメンタリーです。

第二次アフガン戦争の英雄マラライにちなんだ名前を持つマララ。女子が学校へ行くことを禁じるタリバン政権を批判するブログを書き続けた彼女は、15歳の時にタリバン政権の銃撃を受け、瀕死の重傷を負う。パキスタン北部、そこがタリバン政権の支配下におかれたことで、女の子たちは学校から追い出された。そんな状況を日記に書き、テレビでインタビューに答え学校へ通いたいと訴えたためにマララは殺されかけたのだ。

学校に行く子供が殺されたり、学校そのものが爆破されるという状態は、どう考えても正しいことではない。この事件がきっかけで世界にその名を知られたマララは、父親が希望し、字を読めない母親の悲願を叶えるために、マララは女性が教育をうけられるように訴え続けた。その数年間がインタビューとアニメーションで描かれている。

マララの一家も、一時は国内難民として故郷を離れなければならなかった。命を狙われ、実際に襲撃されたことで、一家はイギリスへと逃れて行った。しかし、映画の中では、「彼女は有名になりたいだけさ」という、マララに対する非難中傷などがあることも描かれていて、全部の人たちが賛成しているわけではないのだ。

もともと劇映画にする予定だったのが、マララ本人に会ってドキュメンタリーになったものだと言う。誰もが彼女のように声をあげられるわけではないという事実を強く感じました。力強く弁をふるうその姿が、彼女が代弁している少女たちやその現状と重なるのかどうかは、要は彼女を撮る側が、彼女の何を撮りたかったかが見えてこないのが残念。
ですが、国連でのスピーチの映像に涙が、「1本のペン、一冊の本、・・・」とてもシンプルな流暢な英語で話す言葉につい、胸が熱くなります。しかし、タリバンが何故、女子教育を憎むのかは分からないまま終わるのも惜しい。
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嗤う分身 ★★★

2015年02月20日 | わ行の映画
ロシアの文豪フョードル・ドストエフスキーの著書を、ジェシー・アイゼンバーグ主演で映画化した不条理スリラー。内気でさえない男の前に、見た目は全く同じながら性格は正反対のもう一人の自分が出現したことで、全てを狂わされていく男の姿を描く。監督はコメディアンとしても活躍し、長編監督デビュー作『サブマリン』が高く評価されたリチャード・アイオアディ、ヒロインに『イノセント・ガーデン』などのミア・ワシコウスカ。シュールな近未来的世界に、劇中歌として日本の昭和歌謡が流れる特異な世界観が異彩を放つ。

<感想>ドストエフスキーの「分身」は未読ですが、内容が常に夜か人工照明の室内で、葬儀のシーンも夜なのだ。画面の色調とレトロフューチャーな小道具、日本の歌謡曲の使用から、アキ・カウリスマキな空気感っぽくなるのかと思いきや、なんだかミラーボールのような日本の昭和歌謡をブチ込むことで、ストレンジな魅力を醸し出すのに成功しているようだ。
彼が働くオフィスは、大佐(ジェームズ・フォックス)なる人物が管理する不条理な暗黒社会。潜水艦内部みたいだが、役者たちはこのブラックユーモア劇を演じて楽しそうだ。
主人公の青年サイモンは、人付き合いが上手くて陽気なもう一人の自分の登場に翻弄される。しかし、社交的な分身の姿にオドオドした自分の情けなさを感じてしまう主人公のドラマは、ファンタジーとして面白いと思う。その不条理感と画面の雰囲気は、昨年の『複製された男』にも通じる世界で主人公のよるべなさに拍車をかける。
なりたい自分になれない話であり、無垢な状態を終えて図太く薄汚くなる通過儀礼の話でもあり、僕が僕であるために勝ち続けなければならない話でもある。

とりあえず、「ドッペルゲンガーもの」の王道といったところなのだが、望遠鏡で覗き、彼女・ミア・ワシコウスカの孤独を思いやるという設定は、まるで「裏窓」のような展開。証拠もないのに向かいの住人を殺人犯と決めつけて、ボロを出させようと嗅ぎまわる。だから、それなりの代償がもたされ、殺人犯と紙一重の存在にすぎないことも示される。
2役を演じるジェシー・アイゼンバーグは、同じ人間がテンションが低めな時と、調子に乗っている時とをさりげなさで演じ分けている。この微妙な温度差が、俺、俺の物語りへと自然に観る者を引き入れていく。
1977年生まれのリチャード・アイオアディ監督だからこそ、とにかく映像、美術に魅せられるが、ジュークボックスから流れる日本の歌謡曲「上を向いて歩こう」では驚かなかったが、ブルーコメッツの「草原の輝き」や「ブルー・シャトー」が流れてきたのには思わずびっくりさせられた。この場違いにも思える選曲には。他にもピアノによるシンプルな曲も。

物語は、労働者は単なる駒としかみなされない管理社会。要領の悪い男が、上司や同僚に酷い仕打ちを受け、思いを寄せるコピー係のハナ(ミア・ワシコウスカ)にも相手にされない。そんな彼が望遠鏡で覗いていたら、向かいのビルにいた男が飛び降りるのを目撃して以来、ただでさえ惨めな人生がさらに悪くなる。

そこへ、会社の新人として入社してきたジェームズは、サイモンと姿はうり二つだが性格は真逆。しかし、同僚たちは誰もそんなことを指摘せず、ジェームズはあっという間に会社に馴染み、サイモンの影がますます薄くなる。
しかも、ハナまでがジェームズに惹かれていき、サイモンは二人の仲を取り持つことに。さらに、ジェームズはサイモンに、お互いの適正を活かして時と場合によって入れ替わり、その場を上手くしのぐという作戦を提案する。

狡猾なジェームズのおかげでサイモンは、彼の悪だくみに巻き込まれる。サイモンはこのまま自分の分身のようなジェームズに、存在や人生を乗っ取られてしまうのだろうか。
ハナが倒れて病院へ運ぶと、妊娠していることが分かり、その父親がジェームズだということも。ところが、かれは父親としての責任を拒否して、そのことでも、他のことでも彼の存在が鬱陶しくなり、サイモンが消えるというか、ベランダから飛びおり自殺を図る。前に飛びおり自殺をした男は、コンクリート地面に叩きつけられ即死。そこへ来た刑事が、2階にある網の上に落ちてバウンドして地面に落ちれば命は助かったのに。という言葉を思いだし、サイモンが、その2階の網を目指して飛び降りる。
最後は、結局自分の意気地なさと心の弱さを見せつけるという、どうして自分に無いものを他人に求めるのか、誰と比較しても自分は自分だろうに。憧れる他人には成れないのだから。
ドンデン返しでぶんぶんと振り回されるようなカット割りで、まったく違う世界へと誘われて面白かったです。
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私の、息子 ★★★.5

2014年08月09日 | わ行の映画
子離れできない母親と交通事故で子供を死なせた息子との親子の葛藤を描き、第63回ベルリン国際映画祭にて金熊賞を受賞したヒューマンドラマ。監督は、初の長編作『マリア(英題)/Maria』でロカルノ国際映画祭審査員特別賞を受賞したルーマニアの新鋭、カリン・ペーター・ネッツアー。『4ヶ月、3週と2日』などのルーマニアを代表するベテラン女優ルミニツァ・ゲオルジウが、30歳を過ぎている息子に過度に干渉する母親を演じる。辛辣(しんらつ)かつ感動的に描写される母子の姿と、ラストに示される意外な展開が心に響く。
あらすじ:ルーマニアのブカレストに住むコルネリア(ルミニツァ・ゲオルジウ)は、30歳を過ぎてもしっかりしない息子バルブ(ボグダン・ドゥミトラケ)の世話を焼いている。ある日、バルブが交通事故を起こし、被害者である子供が亡くなってしまう。警察の上層部につてがあるコルネリアは考え付く限りの手段を駆使し息子を助けようとするが、バルブはそんな母親に対して怒りをあらわにする。

<感想>息子を溺愛する母親と自立できない息子をめぐる物語は、決して珍しくはない。しかし、カリン・ペーター・ネッツアー監督が切り拓く世界は、他のルーマニア・ニューウェーブの作品と同じように、この国の歴史や社会と密接に結びついているのだ。

裕福な建築家コルネリアの誕生パーティの場面から始まるのだが、それは各界の名士が集う華やかなパーティなのだが、彼女の一人息子バルブの姿はない。実は、コルネリアには、30歳を過ぎても道が定まらない息子が悩みの種になっている。そのバルブは親が与えた家で、シングルマザーの恋人カルメンと暮らし、母親の顔を見れば悪態をつき、実家に寄り着こうとはしない。

そんなある日のこと、バルブが交通事故を起こし、子供を死なせてしまう。そこで、コルネリアは人脈や賄賂などあらゆる手段に訴えて、息子の刑務所ゆきを回避しようと奔走する。
いい年をした息子に対して、絶対的な保護者として君臨する母親。このまるで共感できない人物の振る舞いの見事な演技から、目が離せなくなっていく。息子の交通事故の原因隠蔽の作業の過程のリアルさ。プロットは平凡なのに、台詞の切れが凄く、ルーマニアの特権階級の自意識を深くえぐる。

母親のケータイ電話の着信音が、バッハの「無伴奏チェロ組曲」で、状況によって場違いの音楽が響くのが、効果的に使われている。そういえば、母親と息子の対話から外れた息子の相方の、足音が刻むオフのリズムも絶妙な使い方をしている。
かつての社会主義国ルーマニアには、うんざりするような階級差別が存在していることが判り、そのひずみをしたたかに突いた展開と描写が、たいへん興味深く感じられました。
鏡の前に立ち、下着姿で肌の手入れをしていた母親が、その右手にビニールの手袋をはめて、息子の素肌を揉んでマッサージするという仕草。初老にさしかかった母親の腕や手は皺やたるみが出来ていて、親子の肌の触れ合いには、卑猥な何かを連想してしまいそうになるほど艶めかしく、グロテスクにねじれた親子関係を安易に示すのである。

母親を演じるルミニツァ・ゲオルジウが、エリートの尊大さと至らぬ息子を持った苦悩を、実にうまく演じている。低い声と口元がジャンヌ・モローを彷彿とさせ、貫録たっぷりなのだが、セレブ設定なのに、少しもゴージャスに見えないところが、逆にゆがみを際立たせていい。

これはまさに彼女の映画なのだと思いました。彼女の演じる母親を嫌な女だと思って見ていると、ラストの、事故で死んだ子供の両親の家を訪ねる場面で、至らぬ息子を持った母の苦しみがにわかに浮かび上がってくるのだ。
金だけが確かなものになり、賄賂がまかりとおる。事故の供述調書を強引に書き換えようとするコルネリアに、心情的な反感を持っていた警官が、いつの間にか持ちつもたれつの関係になっている現実は恐ろしい。だが、そんな母親の目の前に、大きな壁が立ちはだかる。見逃せないのは、事故の被害者家族が農民であること。母親と息子は悲しみに打ちひしがれた農民の夫婦とどう向き合うのか。それはルーマニアの未来とも深く関わっているからなのだから。
とてもよい演出だと思いました。
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わたしのハワイの歩きかた ★★.5

2014年07月06日 | わ行の映画
ハワイ・オアフ島を舞台に、毎晩パーティーに出掛けるヒロインのハイテンションな日々を、『図書館戦争』などの榮倉奈々を主演に迎えて描くコメディー。ハワイでの友人の結婚式の2次会を仕切ることになったヒロインが日本からハワイへ向かい、調査を口実にハワイの夜を満喫する姿を映し出す。ヒロインと共にハワイでハメを外す男女には、『ライク・サムワン・イン・ラブ』などの高梨臨と加瀬亮、『貞子3D』シリーズの瀬戸康史。監督を、『婚前特急』などの前田弘二が務める。開放的で爽快なストーリーとハワイの風景を楽しめる。
あらすじ:恋も仕事も普通の雑誌編集者の小山田みのり(榮倉奈々)は、ハワイで挙式をする友人の願いで2次会の準備をすることに。ハワイ特集の取材を口実に、さっそうとハワイに乗り込む。ハワイで金持ちとの結婚を夢見る吉村茜(高梨臨)と出会い、茜に連れられて夜な夜なパーティーに顔を出すみのり。さらには実業家の鎌田勉(瀬戸康史)や大富豪の息子・阿部知哉(加瀬亮)と出会い……。

<感想>ハワイには行ったことのない私が、ただの観光ガイド映画かと思ってみたら、それがいい意味で裏切られた。仕事も恋も頭打ちを感じた女性編集者・みのりが、無理やり通したハワイ取材にかこつけて、エイヤっとばかりに日本を脱出。そこで新しい出会いを通して自分を見つめ直し、新たな人生を歩みだすまでが描かれる。
しかし、取材も兼ねてハワイに来たみのりは、会社の経費でリゾートを満喫し、現実逃避している彼女だが、聞いてみればみのりは、会社の年下で結婚している男と不倫してたのだ。その男の妻が妊娠をしており、都合よく遊ばれていたというわけ。てっきり、バリバリのキャリア・ウーマンで、男なんて馬鹿にしているとばかり思っていた。そのこともあって、ハワイに憂さ晴らしに来たんですね。
ヒロインの“嫌な女か共感できるか”のギリギリラインは、前作「婚前特急」より和らいだが、建前を排除した潔いリアルな本音が詰った台詞に、思わずプっと噴出してしまった。みのりを演じる榮倉奈々が、そんな崖っぷち女子を体当たりで熱演。スタイル抜群でサバサバとした男の子みたいな性格で、それにドレス姿が綺麗だ。

観光ビザで来たのに、昼はアルハシャツ店で、夜はレストランでバイトをしながら、ハワイでセレブ婚を目指す茜に高梨臨、自称起業家の勉には瀬戸康史が扮して、若さゆえの無鉄砲と、可能性を感じさせるフレッシュな魅力を振りまく。
身なりは貧乏くさいが、御曹司の阿部知哉を演じる加瀬亮は、言わずもがなの熱妙な空気で屈折と繊細さを表現している。祖父の膨大な財産でハワイの別荘暮らし、いつもはボロ服でペットボトルや空き缶を拾ってゴミ掃除をしている。日本から遊びに来た若い男たちが、それを見て知哉にインネンをつける。たまたま居合わせたみのりが、助け舟を出して声をかける。
それが、まわり回って、ただ酒が飲めればいいと高梨臨に付いて行き、セレブパーティの席で彼と偶然出会う。何と彼は大富豪の御曹司だったのだ。

だが、みのりが友達気分で付きあい好きになったのは、自称実業家という男の鎌田勉(瀬戸康史)。この男が軟弱者でみのりには見ていられない。若いんだから失敗を苦にしたら何も出来ない。自分が思った通りにチャレンジしてみればと。お茶漬け屋を開いたが、全然客が入らないし、その店で寝泊まりしている。次はパイナップルのお酒を売ろうと、顧客を探しているのだ。お茶漬けをアメリカ人に売ろうと頑張っているのに、駄目だからと途中で止めるのは日本男子らしくないと、「屋台でも出して一から始めれば」とみのりがハッパをかける。まさか、それが実行に移して、ライトバンの移動茶漬け屋をするとは。草食男子系の彼を応援をしたいみのりが、そのままハワイに居ついてしまうのも分かる気がする。
加えて4人に負けない存在感を放ち、物語を滑稽だけど何かすごくイイ話に持って行く、茜一筋の本間ちゃん、宇野祥平の存在にも要注意。ハワイ在住の保険営業マンで、茜に惚れていて常に追い掛け回しては結婚を迫る。でも女に取り入るために顧客情報を流出させる男が「いいヤツ」っていう設定も倫理的に問題だと思います。

いかんせんハワイのイメージが、ステレオタイプなので、トレンディドラマ風に見えてしまうのが、チョイ勿体ないきがした。ここぞというところで流れる音楽が、大滝詠一の「337秒世界一周」であるのがいいし、最後の竹内まりや「アロハ式恋愛指南」の歌も、エンドロールの横の幸せカップル写真に添えていい感じでした。
締めはお約束通りとはいえ、有産階級と庶民の距離をさらりと示すあたりも悪くないです。
ですが、舞台がハワイというだけで、観ていて気分爽快なのだが、みのりの目的が「地元の人しか知らないような情報満載のデープな観光ガイド作り」だけに、知らなかった観光スポットが多数登場します。
本格ガイドブックのような楽しみ方もできるお得感も本作の魅力なんですね。アサイーボウルの美味しい「BOGART‘S CAFE」や、地元の人御用達の総菜店「Fresh Catch」を始め、安くて美味しそうなお店や絶景スポットの情報もたっぷり見せてくれます。
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私が愛した大統領 ★★.5

2013年11月10日 | わ行の映画
ニューディール政策などで有名な第32代アメリカ大統領フランクリン・デラノ・ルーズベルトの知られざる素顔に迫った伝記ドラマ。ルーズベルト大統領の一番の理解者として彼を支え続けた女性デイジーとの深い絆と、第2次世界大戦前夜の英国王ジョージ6世夫妻が渡米した際のエピソードの裏側を描く。小児まひの後遺症を抱えながらも4選を果たしたカリスマ大統領を、名優ビル・マーレイが演じ、激務のルーズベルト大統領が誰よりも信頼し心を許した従妹デイジーを、3度のオスカーノミネート経験を持つローラ・リニーが演じる。
あらすじ:1930年代アメリカ、多忙なフランクリン・デラノ・ルーズベルト大統領(ビル・マーレイ)は一番の理解者である従妹のデイジー(ローラ・リニー)と過ごすひとときが何よりの安らぎだった。1939年6月、ドイツとの開戦危機に備えアメリカの後ろ盾が欲しい英国王ジョージ6世夫妻が実家を訪問。歴史的なトップ会談が行われた夜、デイジーは思いも寄らなかった大統領の秘密に触れてしまう。

<感想>1933年に第32代米大統領の座に就任、重度の障害を抱えながらも12年間に渡って任期を務めたフランクリン・デラノ・ルーズベルト、通称FDR。彼の秘密の愛人だった女性の手記と日記を基に、彼と周囲の女性たちの関係と、米英の歴史の転換点となった出来事にスポットを当てています。
ここでいう第32代「米大統領」のフランクリン・デラノ・ルーズベルト。教科書にも出て来るあのニューディール政策を推し進めた大政治家である。
そのフランクリンが私生活で妻や母親、秘書以外に心を許したのが従妹のデイジーなのです。ポリオで下半身が不自由な上、日々の激務で疲れきった大統領の息抜きのおしゃべり相手にと、母親が呼び寄せたのだが、2人はすっかり意気投合して、次第に深い関係になっていくのです。
それは、毎日のように下半身の自由が利かないルーズベルトは、自分用に特別に改造した自動車で、従妹のデイジーをドライブに誘う。運転が乱暴なフランクリンの運転で、彼の秘密の花畑のある場所や、老後を過ごしたいと考えているお気に入りの別荘へと出かけるのですが、もちろん護衛の車も後ろからついてくるのですが、帰れ帰れと手で合図をして、もう、2人きりになってそれはロマンチックなムードになるのですが、奥さんがいるのに、これはひょっとして浮気ってこと。でも、奥さんとは別居していて夫婦生活はないようである。
それが後で分かることなんですが、秘書も人妻も過去に愛人として関係を持っていたということが明らかになり、デイジーもショックで少しの間、彼との関係を断るのですが、それでもこれだけ偉大な男だと、女としては選ばれた存在感で満足してしまうのでしょうね。

フランクリンは女癖が悪く、性に対してはお盛んな人だったのですね。まぁ、あの有名なケネディ大統領でさえ、マリリンとの浮気が公認になってましたものね。奥さんのエレノアも別居をして好きなことをしているようだし、それに家は母親の家で、マザコンのような、家の切り盛りも全部この母親がしている。
というわけで映画は、主にフランクリンの実家のあるニューヨーク州ハイドパークの美しい田園風景を背景に展開するのですが、とりわけ実家の白い壁に落ち付いた外見。部屋は壁紙が部屋別に、青やピンクとそれに合わせた色彩設計になっているのが目の保養になるでしょう。
そして、部屋の色彩に合わせて、ベッド、カーテン、鏡、花瓶、シャンデリア、食器、書棚…内装も家具も母親の趣味の良いものばかりで素晴らしいですね。

やはり興味深いのは、1939年に英国王ジョージ6世夫妻をそこに招いた時のエピソードが中心になっている。
英国は第二次大戦前夜に、アメリカの支援を取りつけるために、国王を送り込んだのですが、その国王と大統領の水面下の駆け引きがとにかく面白いんですね。英国王夫妻と側近たちを宿泊させるので、家の中はてんやわんやで、晩さん会などでは、食器が足らず近所の家から借りてきて、その食器を召使が壊してしまうし、食事を運ぶ給仕さんも緊張してか転んで転倒するというハプニングもあります。

「英国王のスピーチ」でみなさんご存じのことですが、吃音に悩むジョージ6世を、フランクリンは自らの小児麻痺を引き合いに出して、お互いにハンデのある人間として叱咤激励をします。アメリカ国民は大統領の足が不自由だということは知らないし、マスコミもそのことを知っていても公にしない。
それに、ピクニックを提案した大統領夫人のエレノアが、お昼の食事にホットドッグを出す接待にも、英国王のエリザベス妃が食べたことのない食事に自分たちをバカにしていると非難するのだが、国王はさすがに支援のこともあり、臆することなく1個や2個、いくらでも食べてやると豪語する。これが2国間の垣根を取り払うんですね。
このエピソードも含めてデイジーとフランクリンの秘話は、デイジーが残した手紙と日記が基になっているという。そのためか二人の恋愛の真実が、もう一つ鮮明に浮かび上がってこない嫌いもある。それはきっと、ロジャー・ミッチェル監督の配慮かもしれませんね。
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私は王である  ★★

2013年05月23日 | わ行の映画
韓国の歴史上もっとも偉大な王といわれる世宗大王が王位に就くまでの秘話を描く歴史ドラマで、二年の兵役から戻ったチュ・ジフン「アンティーク」が二役に挑戦している。共演は「ヨンガシ/変種増殖」のイ・ハニ、イム・ウォニ他ほか。監督は『先生、キム・ボンドゥ』『ラブリー・ライバル』のチャン・ギュソンで、初の時代劇となる。
あらすじ:十五世紀初頭の朝鮮、国王大宗は長男の度重なる問題行為を身かね、三男のチュンニョンを王位後継者指名する。だが、彼は博識ではあるが何事も人任せの温室育ちで、王になるきはなかった。
チュンニョンはある夜密かに逃亡しようとし、王宮を逃げ出した途端に若い男とぶつかってしまう。気を失ったその男ドクチルと着物を取り替えて、チュンニョンは夜の町へと消えてゆく。
チュンニョンを捜す護衛のヘグとファングは、ドクチルを応じだと勘違いするが、すぐに偽物だと気づき、ヘグは町へ王子を探しに、ファングは宮廷でドクチルの世話をすることになった。
世間知らずだったチュンニョンは、様々な民に出会い、政府の圧政や悪徳貴族の横暴にふれ、次第に王としての責務に目覚めていく。一方、ドクチルもまたかつての雇い主の娘スヨンが、中国への貢ぎ物になるところを助けたりするうち、即位式の日が近づいてくる。

<感想>史実の中で空白となっている王位継承から即位までの3か月間を描く歴史ドラマである。だが、先日公開になった、イ・ビョンホン主演の「王になった男」と同じような物語。あちらは替え玉という内容だったが、下層の者が良く似た王にすり替わる内容は同じなのでちょっと間延びした。

イ・ビョンホンに比べてといってはなんだが、笑いも子供っぽいし、偽王子を扱った映画が先に上映されているので、幼稚なコメディ要素を強めた本作は、残念ながら映画としての雅がない。テレビドラマのドタバタが見合う場面がきりもなく立て続きに、チュ・ジフンも異なる衣装で一人二役に見せているだけで演技力に欠けている。

さすがにイ・ビョンホンの演技力から異なる王と芸人の演じ分けを見てしまうと、これは貫録負けですね。豪華な衣装やセットは鮮やかだが、主人公たちの後先を考えない行動は、物語の上の配分が悪いし、道草をくい、調子外れなギャグも目立って鼻につく。

取り得と言えば、当時の朝鮮が中国の奴隷のようになっていたことがよく分かることぐらいですね。偉大な国王が改革する前の、封建的悪徳が許されていた時代の、愚かな貴族たちの暴力をネタにしたドタバタ喜劇。
この時代にこんな物があったらいいなぁ~というふでぺんなるもの。墨が竹の筒の中に入っていて押すと出て来るアイデア。大砲もイギリスやフランス輸入じゃなくて工夫して作った大砲は、コメディ要素抜群で、とんでもないところへと飛んできます。

現代が舞台でも韓国映画はやはり、階級の主題が好まれるけれども、だからこそ下ネタも含むトイレのギャグは同じだ。王に入れ替わった男が、お付の女性にお尻を拭いてもらって、複雑な表情を浮かべる話。それに下層階級に落ちた王子が、トイレをする時、いつもお付の者にお尻を拭いてもらっていたので、外でも家来のヘグに頼むという情けなさ。
それでも、どの辺で入れ替わるのかのかなぁ~と思っていたら、どうってことはなく入れ替わってしまった。「王になった男」のような、お尻にアザがあるとか、絶対に王子と分かる認証が欲しかったのに。
それでも、貧しい民の暮らしを見て、国王たるもの民を飢え死にさせるわけにはいかないと、それに下層階級の者は文字を書けないし、読めないのだ。このことも、自分が無類の本好きなので、子供たちに読み書きを教える世の中にしようと心がける王子の顔が清々しい。
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ワン・デイ 23年のラブストーリー  ★★★

2012年08月20日 | わ行の映画
お互いに惹かれ合いつつ友人でいることを選んだ男女の、23年に渡るある特定の日を切り取り二人の移り変わりを綴るラブストーリー。ヨーロッパを中心にベストセラーになっている同名小説を、原作者自ら脚本を担当し映画化。
監督は「17歳の肖像」が第82回アカデミー賞に3部門ノミネートされ脚光を浴びるロネ・シェルフィグ。「プラダを着た悪魔」「ラブ&ドラッグ」のアン・ハサウェイと「アクロス・ザ・ユニバース」「ラスベガスをぶっつぶせ」のジム・スタージェスが、男女の心の機微、時間の変遷を丹念に演じる。「サイダーハウス・ルール」のレイチェル・ポートマンによる音楽やエルヴィス・コステロによる主題歌が物語を彩る。

あらすじ:二人の出会いは1988年7月15日、大学の卒業式だった。真面目なエマ(アン・ハサウェイ)と自由奔放なデクスター(ジム・スタージェス)は、その日初めて言葉を交わした。意気投合した二人はお互い惹かれ合いながらも、そのまま恋愛に発展させることはなかった。エマは恋心を隠しつつ、デクスターとの友人関係を続けていく。
1989年には、エマはロンドンで暮らし始めていた。1990年、デクスターはパリを謳歌していた。1992年、二人きりで旅行に出かけた。1994年、家族とのトラブルに頭を悩ましたデクスターはエマに電話をするが、その時エマは別の人と会っていた。
1996年、久しぶりに会ったものの、思いがすれ違っていく。2000年、友人の結婚式で再会する二人。エマとデクスターは、すれ違いながらそれぞれの人生を歩んでいく。そして転機となる7月15日を二人は迎える――。(作品資料より)

<感想>友達以上、恋人未満――。男女の友情は永遠の命題である。一線を超えるか、愛しているからこそあえて友達で踏みとどまるか?・・・。人生には「もし」がないからこそ、その時々の選択にその後の運命が賭かっている。本作で描かれる男女の23年間を、あなたならどう見るのか?・・・。
妙にウマが合いながらも、恋人ではなく友達になることを選んだエマとデクスター。2人の23年という人生が、7月15日という1日だけを切り取って描かれていくのだが。もちろんラブストーリーです。

大きな瞳のハサウェイ、いつものコケティッシュで、スクール水着からチャイナドレス姿まで披露してくれる。裸で泳ぐシーンもあるが、「ラブ&ドラッグ」ほど全裸は見せない。
最終的には2人とも真実に辿り着くけれど、その行き方が異なります。それぞれの道を歩みながらも、常に互いの元へ戻って来る2人の関係は「愛の謎なのね」私にはこういう男女の関係には苛立ちさえ覚え、そのままずっと友達でいいのじゃないの、と思ってしまった。

だって、2人は恋人でも友人でもあって、お互いに大切な人なんだから。だから離れていても連絡をしあい、また逢いたくなれば戻って来る。何でもかんでも結婚という形で2人が一緒に暮らせば、また違った物語になると思う。
しかしながら本当は、エマはデクスターに友達宣言をされ、思いを封じこめることを決めたわけなのだが、心に痛みを抱えながらも、別れのない“絶対安定”を選んだその気持ちに共感する女子も多いのではないかしら。つまり強引に彼に会いに行き、自分から迫ってベットインするってこと。若いからね、それで一緒に住んでみて互いの性格の不一致とか、いろいろ問題があって別れることだってあるのだから。
しかし“友達”を隠れ蓑に、彼の全てを包み込むエマの愛の深さが、ラストの15分に衝撃と涙が待ち受けます。
最後がね、別々の人と結婚してもうまくいかない。やっぱり2人は愛していると確信して、離れたくないわけ。23年間ですよ、もうお互い45歳になっているのだから。充分年齢を重ねて人生の荒波も超えて(ということないか)。一緒になったからって、昔の2人とは違うと思うんだけどな。で、物語は悲しい結末で終わらせているのも、何だかピンとこないのよね。ハッピーエンドで終わらせないところが、いいのかもしれませんね。
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