パピとママ映画のblog

最新劇場公開映画の鑑賞のレビューを中心に、DVD、WOWOWの映画の感想などネタバレ有りで記録しています。

ハッピーエンドの選び方 ★★★★

2016年02月05日 | は行の映画
第71回ベネチア国際映画祭ベニス・デイズ BNL観客賞などを受賞した、人生の終盤に差し掛かった老人たちの最期の選択に迫るヒューマンドラマ。監督の実体験をベースに、命尽きる瞬間まで自分らしく生きようとする人々の姿をユーモアを交えて映す。ベテラン俳優のゼーブ・リバシュとレバーナ・フィンケルシュタインが夫婦役で出演。死に直面しながらもポジティブに生きる主人公たちの姿に勇気と元気をもらう。
あらすじ:発明が好きなヨヘスケル(ゼーブ・リバシュ)は、妻のレバーナ(レバーナ・フィンケルシュタイン)と共にエルサレムの老人ホームに住んでいる。ある日、彼は死の床にある親友マックスに、何とか自らの意志で穏やかな最期を迎えられる装置を発明してほしいと頼み込まれる。人のいいヨヘスケルはレバーナの反対にも耳を貸さず、新たな発明に挑む。

<感想>誰しもが老いるのは避けて通れない高齢化時代。どう人生を締めくくるかということ。つまり死を自分のものと受け止めて、どうハッピーエンドを迎えるかということなのだ。安楽死、尊厳死、老老介護の問題を、自分や周囲の人々の行く末を考えさせられ、ユーモアを含んだ温かみのある映画でもある。

尊厳死をテーマとする映画はこれまでもたびたび製作されてきたが、これほどユーモアを持って、客観的な眼差しで死を見つめた映画も珍しいのではないだろうか。
高級老人ホームの仲良し問題児グループといった老人たちが、はからずも「死の配達人」となることを余儀なくされる。発明マニアの老人が、そこで知り合った友人が延命治療に苦しんでいるのを見て、「自らスイッチを押して最期を迎えられる秘密の装置」を作ったという何ともはや突飛な設定であります。

ですが、設定はともかく、延命に苦しみ尊厳死を願う本人にとって、これは救いの手に違いない。現に秘密の装置を作った友人が尊厳死を実行して、その噂を聞きつけた人々から、発明老人ヨヘスケルに装置の注文が殺到するというブラックコメディ仕立てで展開する。そのあたりのユーモア感覚と虚実のさじ加減が絶妙であり、ついつい乗せられて見てしまった。
ですが、なんと発明老人のヨヘスケルの妻も尊厳死を望んだのはいいが、認知症の症状が現れて、・・・。中身は面食らうほどヘヴィネスで、随所に笑いがあるとはいえ、やはり笑っては見過ごせないところもある。

妻のレバーナが認知症で壊れていく過程の哀しさが際立っており、全裸になって皆の前に出てくるシーンでは、涙が出てきた。本人は恥ずかしさなど微塵もなく、健全な回りの人たちが唖然としてしまうから。
死にゆく側は納得して尊厳死を選べても、残された側はそれを許した後悔をどこかで抱えながら孤独に死を待つに違いないのだ。そんなアンハッピーをしっかりと伝えてくれている。

私の母親も75歳くらいから認知症になり、途中で肺炎や腎不全といった余命宣告を受けて、それでも心臓が強かったのか94歳まで長生きしてあの世に旅立ちました。ですが、最期の1年間は、延命治療のお世話になり、これも私が医師にお願いして延命治療をしたもので、最期の1ケ月は植物人間状態で意識もなく点滴だけで生き長らえた状態で、今日か明日かと、毎日病院通いを続け心労と睡眠不足で見守る家族も生きた心地がありませんでした。
国の事情を越えて、心を打つ人間存在の悲喜劇になっているのも良かったですね。国民的俳優と言われる主人公ヨヘスケルを演じたゼーブ・リバシュ、妻のレバーナを演じたレバーナ・フィンケルシュタイン他、アニタ・ローゼンたちは、馴染みは薄いが風格があり存在感があって良かった。

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はなちゃんのみそ汁★★.5

2016年01月14日 | は行の映画
乳がんで33歳の若さで亡くなった母が、5歳の娘と夫との家族の日々を綴ったブログを基にした同名ベストセラー・ノンフィクションを広末涼子と滝藤賢一の共演で映画化。娘役はオーディションで選ばれた新人、赤松えみな。監督は「ペコロスの母に会いに行く」の脚本を手がけた阿久根知昭。恋人・安武信吾との結婚を意識した矢先、乳がんが判明した千恵。それでも2人は結婚する。その後、抗がん剤治療の影響で難しいと思われていた妊娠が分かった千恵は、再発リスクを覚悟の上で産むことを選択する。こうして無事、はなが生まれ、家族3人の生活がスタートするが…。

<感想>このドラマは実話だそうで、がんとの闘いを通して、食べることの大切さを実感し、命を見つめた家族愛の物語です。とは言うものの、かなり医学的に疑わしい部分があった模様ですし、幼い子供に家事をさせるという、確かに母親は自分の命の短いことを悟り、我が子にせめて母親の想いというか、食事の作りかたを教え、洗濯物や掃除など家事全般を教え込みます。

まだ幼い5歳の女の子に、包丁を持つ手も怖いくらいで観ていてハラハラしました。それに、みそ汁は娘が作るのだとばかりに、母親が声高らかに命令します。彼女は自分の想いをすべて娘に伝授して死にたいと思ったのでしょう。

それにしても、途中で抗がん剤治療や検査を止める母親。そして食事療法に熱中して医療を拒否した母親が、玄米食と野菜中心の食事療法に徹します。ダメだとは言いませんが、がんにかかると残念ながら余命は決まっています。完治することはなく、おのずと死が身近に迫ってくるわけで、藁にもすがる思いで聞いてきた夫が、治療の途中で妻を連れて謎の医者・古谷一行の所へ連れて行きます。

彼の協力もあり、再発したがんはいったんは消滅するのですが、お金が1回につき10万円とか高額で支払ができません。玄米食と菜食に傾倒していく千恵と伊藤源十医師とは、金儲けだけの偽医者のようでもあり、がんが全身転移してしまうのです。確かに、治る見込みのない病気にかかると、誰でも藁にもすがる思いで、新興宗教や贋医者にかかってお金を吸い取られるということもあります。後で騙されたと後悔しても終わりですから。

この映画を見て、泣けるシーンは多いです。でも、幼い子供に料理をさせて自分のことを忘れないようにと、母親のエゴですよね。これは亡くなった後5年後くらいに、まだ若い夫には再婚という話もあるわけで、娘のはなちゃんにとっても母親のことは絶対に忘れることはないと思うので、一番友達と遊びたいのに、習い事もさせないで、母親の病気で学校から家へ帰り、家事をする幼い娘に涙が止まりませんでした。昔の貧しい家庭には、こういう子供に何でもさせる風習があったようですがね。
それでも、コメディふうにした映画では、乳癌患者の母親が、病気をいわば同伴者のようにしながら、家族と共にしぶとく生きた数年間を笑いを交えて描いているのもいいですね。クライマックの母親が、元コーラス部にいて歌が好きで、オリジナルの主題歌を熱唱する広末涼子に、演技が上手くなったなぁと感心しきり。
以前に観た夫婦フーフー日記にしろ、お涙頂戴の映画だとは言いませんが、リスクを承知の出産、子育て、女性の方がキモが座っているもの共通している。何故だか、食をめぐる映画でもあるはずなのだが、画面からは美味しそうな料理や、味付け匂い、みそ汁の熱さが伝わってこないのが惜しいですね。

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夫婦フーフー日記 ★★★

2015年06月03日 | は行の映画
妊娠直後の妻に悪性腫瘍が見つかった夫婦の育児と闘病生活をつづる実在のブログから生まれた「がんフーフー日記」を実写映画化。映画化に際し大胆な設定が加えられ、育児と仕事に孤軍奮闘するダンナの前に死んだはずのヨメが現れ、二人で共に歩んできた日々に思いをめぐらせ、少しずつ現実を受け入れていく過程を描く。夫婦役には、およそ10年ぶりの再共演となる佐々木蔵之介と永作博美。監督は『婚前特急』などの前田弘二、脚本を『永遠の0』などの林民夫が手掛ける。

<感想>ある夫婦の結婚、死別、ドタバタの423日間の実録闘病ブログの映画化です。主演は佐々木蔵之介&永作博美の顔合わせによる泣ける夫婦コメディになっています。実力派同士の掛け合いは、まるで夫婦漫才のようでした。
特に、死んだはずのヨメが幽霊となって現れ、シングルファーザーとなった夫、コウタと一緒に短い夫婦生活を振り返るという、ユニークな趣向となっている。愛する人と別れる辛さと、出会えたことの歓びがせめぎあう不思議な味わいのドラマに仕上がっているのだ。

大学時代に出会って、17年の間親友だった二人は、ユーコが福島の実家へ帰りお見合いをすると知り、コウタが急いで彼女にプロポーズをしようと福島行の夜行バスに飛び乗る。途中で、バスが大きく揺れて真っ暗になるシーンがある。もしや、ユーコではなくコウタのほうが事故で死んだのでは、なんて思ってしまった。

だが、二人は居酒屋で待ち合わせをして、即座に求婚するも、ユーコは待ってましたとばかりに喜ぶのだ。そして、入籍して、すぐに妊娠したことが分かるも、ヨメに大腸がん、悪性腫瘍が見つかるという危機に直面する。末期ガンであることが判明し、ですが無事男の子ペーを出産、抗がん剤の闘病生活に苦しみながらも、間もなくヨメはこの世を去る。その闘病生活の入院中に、ハンバーグが大好きなヨメは、大腸がんなのに美味しそうにハンバーグをパクつくのだ。本当に病人なのかと思うような、かぶりつきには元気があって宜しい。
ほどなくしてブログの書籍化の話が浮上し、子供を自分の実家の親に預けて、原稿執筆に現実逃避するダンナの前に、死んだはずのヨメが出現し……。

これは、夫コウタの前に現れているヨメの幽霊は、もしかして、コウタが現実逃避している彼が見ている妄想なのかも。いや、それよりも、ヨメが夫と息子のことを心配して、幽霊として現れあの世に成仏できないでいるからなのかもしれない。男手で赤ん坊を育てるだけでも超大変なのに、夫のコウタは収入も不安定で就労時間が不規則なフリーライター。
いつか自分の本を出すことを目指しているのだが、ヨメの闘病日記としてブログに書いているのを書籍化したいと出版社に持っていく。すぐにはOKも出るはずもなく、収入の道も夢も閉ざされて落ち込むコウタ。だから、死んだヨメは、心配で心配で、幽霊として出て来ては、コウタに叱咤激励の言葉を浴びせるのだ。生きていれば間違いなく、カカァ天下になっている。
それくらい、のらりくらりとしている夫を見ては、口の悪いヨメがミソクソにその小説の内容をけなすのだ。つまりは、内容が嘘ばっかり書いている原稿を見て、「そんなこと私は言ってないし」とか、「退院したヨメがペーを抱いて感激するシーン」とか、ヨメが実際に夫婦で言い合いしていることなんかは嘘で塗り固められているのだ。やっぱり、ヨメの演技で持っている作品のような、永作博美が上手いのだ。

ですが、夫にしてみれば、真実を書くよりも嘘で塗り固められている原稿の方が美化していて小説らしいと、それにヨメの汚い部分を書きたくなかったのかも。夫が頑張って手直しをして原稿を書き上げている姿を見ると、自然とヨメの幽霊は出てこなくなる。友達や両親の助けを得てのドタバタ奮闘記。
以前観た、落語家の夫に死なれて、ヨメが赤ん坊を抱えて苦労する「トワイライト\ささらさや」(14)でも、夫の大泉洋が妻のことを心配して、幽霊となって出てくる映画と似ているような気もします。
泣きどころという場面も少しはあったが、どちらかというと、夫婦の闘病奮闘記を描いたもので、赤ん坊を抱えてシングルファザーの夫は、これからどうするのだろう、なんて今後の事を心配してしまった。
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陽だまりハウスでマラソンを ★★★★

2015年05月27日 | は行の映画
妻と老人ホームに入居した元オリンピックのマラソン金メダリストの老人が、ベルリンマラソン完走に挑戦する人間ドラマ。高齢を言い訳にせず生きがいや目標を見いだそうとする主人公を、ドイツで人気の喜劇俳優ディーター・ハラーフォルデンがこの役のために9キロ減量し体当たりで演じた。『ラブ・アクチュアリー』などのハイケ・マカッシュらが共演。実際のベルリンマラソンで撮影されたクライマックスシーンは迫力満点。

あらすじ:元オリンピック金メダリストとして有名なランナー、パウル(ディーター・ハラーフォルデン)は、妻の病気を機に二人で老人ホームに入居する。70歳を過ぎても至って健康なパウルは、つまらないレクリエーションや規則に縛られるホームに嫌気が差し、再び走り始めることに。ベルリンマラソン完走を目標に頑張る彼の姿を見て、当初はあきれていた妻や入居者たちも応援するようになるが……。

<感想>先週ミニシアターで観賞したものです。老いてなお共同生活の人間関係に、気をもまなければならない現実を目のあたりにするのは辛いですよね。若かりし頃のプライドと、現在進行形の生と、精神的肉体的な衰えを同時に抱える負荷は重いが、どれも捨てることはできない。

それを貫き通そうとすれば、和を乱すことに繋がるという現象がリアルに描かれている。老人ホームでの生活で、まだまだ自分は若いと自負しているパウル。介護師たちに子ども扱いされて怒ってしまう。そのパウルが昔取った杵柄のマラソン出場を決意する姿に、果たして本当に大丈夫なのだろうかと心配。
しかし、走りを撮影するのにスローモーションを使うのは果たして正解なのだろうか。それによっての、視覚的体感的な効果は得られているのだろうか。
これは脚本の予定調和が撮影で増幅されているようだ。老人ホームで、主人公に対立する人たちが、最後はどうなるかが簡単に予測できてしまうからだ。

つまりショットが脚本の説明でしかないのだ。表情重視の切り返しに、特にダメなのは、死んだ妻が夫の目の前に現れるシーンである。夫の肩ナメで撮っていること。しかもあの照明じゃ、単に俳優が後ろに立っているだけ。
マラソンも主観移動のスピードが全然合ってないし、トラックに入ってからは、正面の後退移動で撮影しているのには、虚構と教えているようなもの。
併走していた大勢のランナーが一瞬にして消え去り、主人公がただ一人、観客の拍手の松競技場へと戻ってくる感動のラストシーンは、明らかに嘘の映像なのだが、映画の構成なのだろうか仕方があるまい。
それにしても、監督の狙いが功を奏している。印象が爽やかで、スポーツを描いているからでもあるが、家族関係が情緒的にならず、個人主義的であるからだろう。主人公のパウルと、妻のマーゴの夫婦愛がとても素敵で、妻の死も愁嘆場とはならない。

ドイツ人的な理性と言っていいのかもしれないですね。「終活」という言葉を最近よくTVでも放送されているが、見事な「終活」映画になっていると思います。
日本では、そうはいかないと思うので。「年を取っても自分のことは自身が決めることだ」と、しかしいつまでそう思っていられるのか。認知症にでもなったら、自分ではその状態は把握できないから。身近にいる夫や子供たちの世話にならないように。きっとそうなったら、老人ホーム行きかもしれない。誰にも迷惑をかけないで一人で生きていくには限界があるもの。身近で切実な要素が詰まった、しみじみと感慨深い作品でした。
以前観た人生はマラソンだ!」でもそうでしたが、年老いてのマラソンレースに参加することは、絶対に自分で決めてはダメですから、かかりつけの医者と相談の上で、自分の心臓と相談して走ってください。
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はじまりのうた ★★★★

2015年04月11日 | は行の映画
第80回アカデミー賞歌曲賞を受賞した『ONCE ダブリンの街角で』のジョン・カーニー監督が、同作に続いて音楽をテーマにして放つヒューマンドラマ。恋人に裏切られた失意を抱えながらバーで歌っていた女性が、音楽プロデューサーを名乗る男との出会いを通して思わぬ運命をたどる。主演は『つぐない』、『プライドと偏見』などのキーラ・ナイトレイと『キッズ・オールライト』などのマーク・ラファロ。キーラが披露する歌声や舞台となるニューヨークの街並みや、人気バンド・Maroon 5のアダム・レヴィーンの出演も見どころ。

<感想>超低予算映画の「ONCE ダブリンの街角で」(07)で世界的ヒットを記録した監督ジョン・カーニーによる、期待の新作である。ここでは、ニューヨークを舞台に音楽と恋愛をテーマにしている。

あらすじ:ミュージシャンの恋人デイヴ(アダム・レヴィーン)と共作した曲が映画の主題歌に採用されたのを機に、彼とニューヨークで暮らすことにしたグレタ(キーラ・ナイトレイ)。瞬く間にデイヴはスターとなり、二人の関係の歯車に狂いが生じ始め、さらにデイヴの浮気が発覚。部屋を飛び出したグレタは旧友の売れないミュージシャンの家に居候し、彼の勧めでこぢんまりとしたバーで歌うことに。歌い終わると、音楽プロデューサーを名乗るダン(マーク・ラファロ)にアルバムを作ろうと持ち掛けられるが……。
音楽プロデューサーを名乗るダンだが、かつては成功したが、今では妻と子供にも、自分の設立したレーベルにも見捨てられたのだ。ところが、ある日のことバーで歌う彼女の歌を聴いて、その才能に惚れこみ、一緒にアルバムを作ろうと、話を持ちかける。

ここまで聞くと、なるほど失職中の往年のプロデューサーが新人シンガーを見つけ、その才能に賭けるという業界ものの定番を、壊れた同士が意気投合してアルバムは成功し、二人も恋に落ちて愛でたしめでたしなんだろうなぁと、予想してしまうかもしれない。ですが、そう簡単には進まないんですね。
キーラが本作で初めて挑戦したという歌の素晴らしさ、さすがのアダム・レヴィーンの演技のうまさに、音楽の発表の仕方など、物語の結末まですべてが少しずつ、我々の予想をいい意味で軽やかに裏切っていくのですから。

ニューヨークの各所で次々に繰り広げる無許可ライヴ・レコーディングは臨場感たっぷりで、まさに「世界中がステージ」という感じで最高。街角で商業レヴェルの録音をやってしまおうという発想が、デジタル化が進行した映画撮影と二重写しになるのが面白い。近所の子供たちの騒音を止める苦労や、逆に深夜の屋上で近隣住民の苦情などが活写される。

主軸の三人を始め、キャスティングがよいが、とりわけキーラの自然体が見事に生かされているのだ。それでいて、これ見よがしに奇をてらっているわけでもなければ、ストーリーが重すぎるわけでもない。キーラの演じるグレタも前向きでモダンな感じがした。非常にチャーミングで、何とも愛すべき作品に仕上がっていると思います。楽曲もポップで切ないキラーチューン揃いで、路上レコーディングのライブ感が生き生きと再現されているのだ。それに、全身音楽人間をマーク・ラファロが好演していていい。

これが映画初出演となる人気バンド・Maroon 5のアダム・レヴィーンだが、ステージに立った時のオーラはやはり圧巻で、弾き語りは鳥肌が立つほどだった。
こんなにも幸福な後味を味わえる作品も珍しい。それは単純なハッピーエンドということではなく、そこにともなう痛みも含めて、サントラが欲しくなってしまう。
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フェイス・オブ・ラブ ★★★

2015年04月06日 | は行の映画
新鋭アリー・ポーシンが、自分の母親の体験を基に作り上げた不思議なラブストーリー。30年一緒にいた夫をなくした女性が、彼とうり二つの男性と出会って恋に落ちていく姿を追い掛ける。『キッズ・オールライト』などのアネット・ベニング、『ポロック 2人だけのアトリエ』などのエド・ハリスが、奇跡的な恋を織り成す男女を熱演。その脇を名優ロビン・ウィリアムズら、実力派が固めている。ロマンチックな展開に加え、ロビンの姿も胸に迫る。
あらすじ:ヒロインは、30年間連れ添った最愛の夫・ギャレットを突然の事故で亡くした女性ニッキー(アネット)。人生最悪の日から5年が経過し、夫と通った思い出の美術館に向かった彼女は、夫とそっくりな心やさしい画家のトム(エド)と出会う。久しぶりの恋の予感に胸を躍らせると同時に、楽しかった思い出がよみがえってしまうニッキー。亡き夫への裏切りかもしれないという思いや周囲の視線を気にして、なかなか新しい恋に踏み出せない彼女が選んだ方法とは。

<感想>演技派のアネット・ベニングと、エド・ハリスのベテラン俳優が初共演を果たし、不思議な縁に導かれる男女の情感豊かに演じたラブストーリーである。最愛の夫の面影を忘れられない未亡人は、夫に瓜二つの男を見かけて、積極的に近づいてゆく。
これまた俳優の魅力で、強引な設定を正当化しようという作品でもあります。観客には、手の内をさらけだして、映画は進行するわけだから、展開に驚くわけでもなく、その演技に感心したりシラケたりするわけだけれど。

愛する伴侶を亡くした者が、故人とそっくりな新しい恋人と付き合いだしたら、第三者はどう思うのだろうか。心理としては理解できても、恐怖の方が勝るのではないか。
ましてやそんな自分を止められない本人の恐れたるや。少女のような笑顔で恋人を待つ姿、一人娘のグチを聞く母の顔などニッキーが見せる豊かな表情にも注目です。全編を貫くアネット・ベニングの静かなわざわいで作品の輪郭は保たれてはいるが、愛と狂気のグレーゾーンをめぐる演出は、俳優に頼みにすぎていて、何だかラストが乱暴な感じがした。
実は、トムは末期癌で、それで愛する妻とも別れて残りの人生を謳歌していたのだ。そこへ、ニッキーが強引にアプローチするものだから、男冥利につきると付き合い始める。
エド・ハリスは、ニッキーの亡くなった夫のギャレットと、5年後に出会ったトムの一人二役に挑戦している。エド・ハリスというと、アクション作品で見かけるが、今作では幸せな結婚生活を送り、建築家としても成功して自信に満ちあふれていたギャレットと、離婚をきっかけに筆を折った繊細なトムを見事に演じ分ける。

そしてこの映画にも名優ロビン・ウィリアムズが出演しているのだ。演じているのは、ニッキーが暮らす家の向かいに住む男性ロジャー。伴侶を亡くした者同士として、冗談を言いながらもお互いに慰め合っている彼女のことをひそかに思っているという役柄だ。いつも、ニッキーのプールで泳ぐのが日課になっている。そこへ、ニッキーの亡くなった夫にそっくりの男、トムがプールで泳いでいるではないか。驚きと共に、嫉妬も少しあるようだ。
それに、もう一人トムを見て取り乱し、罵声を浴びせる娘がいる。母親の新しい恋人が、父親に瓜二つとは、これまた驚くし受け入れられないのが事実。

二人はそんな娘から逃げ出し、ニッキーが亡き夫との思い出の地、メキシコへ旅行することを提案し、仲良く出かけるが、そこでもニッキーの心には愛していた夫ギャレットを、トムに重ねて見つめるのだ。そこの海で溺れて死んだのだが、やはり目の前にいるのは夫ではなく、別人のトムなのに。女のエゴイズムの恐ろしさを見せるあたりが現代的ですよね。

メキシコの洋服店で、夫ギャレットが好んで着ていた白に青の、ストライブのスーツをトムに着せて思わずギャレットと名前を呼んで抱きつくニッキー。その気持ちは充分に観客にも伝わってくるのだが、トムにしてみればいい迷惑かもしれない。
メキシコの海辺で、ニッキーは夫を思いだして荒海へと入っていく。まるで自殺でもするかのように、それを止めるのがトムなのだが、二人の間にはすでに気まずい雰囲気が漂っていた。結局は、別れることになるのだが、ラストにトムの別れた奥さんからのハガキが届く。トムの絵の個展である。その個展で観たものは、なんとニッキーの水着姿に、そのニッキーを見つめるトムがいた。
トムにとっては、人生最後の恋だったのですよね。ある意味で、男の方が真面目に真実の愛を求めていたのかもしれませんね。
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振り子 ★★★

2015年03月27日 | は行の映画
世界的に人気のバンドMuseとのコラボでも話題になった、鉄拳の動画を基にした感動的な家族ドラマ。昭和から平成を時代背景に、経営する店の倒産や妻の病といったさまざまな苦難に向き合う夫妻の絆をつづる。中村獅童や小西真奈美が主人公夫妻を、彼らの学生時代を石田卓也と清水富美加が演じ、板尾創路、山本耕史、武田鉄矢ら多彩なキャストが共演。物語のモチーフとなる振り子時計の音や素朴で温かい登場人物たちの姿に、懐かしさがこみ上げる。
あらすじ:1976年、大介(石田卓也)とサキ(清水富美加)は出会った。それから時がたち、大介(中村獅童)とサキ(小西真奈美)は夢だったバイク店を経営していたが、店が倒産。間もなくサキが倒れてしまう。寝たきりになったサキに元気になってもらいたいと、大介は懸命に努力するが……。

<感想>ディズニーから依頼を受けるなど、パラパラ漫画家として広く名の知られる芸人の鉄拳さん。その代表作2012年に発表したパラパラ漫画を映画化したもの。大介の経営する店の倒産や、妻のサキの病といったさまざまな苦難に向き合う姿をつづる感動作。自身の実体験から生まれたというエピソードだそうです。

振り子が右と左で力を合わせて動き続け、それが夫婦みたいだ、というたとえもしっくりこないままで、振り子を揺らすのは重力の作用、下の方への力によるものじゃないのか。
だが、そう思えば途切れることなく、人間を下へ下へ、不幸へと引き続ける力を、揺れることでいなして動力を変えていくのが、振り子で喩えられ人間の生活かと、そんな気もした。
しかし、この物語では夫婦は時計の振り子と同じで、時を刻むには両方の力を合わせて振らないといけないということが、共同作業だという言葉が何度も出てくるので、夫婦関係と上手くリンクしているようですね。

しかし、仕事で何度も失敗する夫と、ひたすら夫を信じている妻と、その繰り返しばかりだ。繰り返しという意味では、なるほど振り子と同じじゃないか。
終盤のトリックも、取って付けたよう。全体に作りが安っぽいのも気になる。夫婦役に、夫の大介役を中村獅童、妻のサキ役を小西真奈美が演じているのですが、いささか2人の演技も普通で、シンプルなパラパラ漫画ならば成立する内容でも、実写なら単なる年代記になってしまう。

古い風俗を描くことは、紋きり型の古めかしい見せ方に甘んじることではないのだから。夫をいつも励まし応援し続けるサキの姿は、本当に女の鑑であり、サキの大切さに気づかないのも正直観ているこちらはイライラさせられました。
「お金がなくたっていいじゃない。死ぬわけじゃあるまいし」というサキの台詞に、でも貧乏は辛いよ、心までくじけそうになるもの。

ベタなお涙頂戴的な映画にさせまいとする演出と、主演の中村獅童の演技で持っているようで、それにしても、よしもとの芸人絡みの映画に、毎度出てくる女性像を見る度に、演じる女優が気の毒になってくる。

随所に武田鉄矢、鈴木亮平、中尾明慶などたくさんの豪華キャストが出演しています。まぁ、中でもお父さん役の武田鉄矢と研ナオコは最高でした。
原作者である鉄拳がメイクなしで登場するところもあるそうで、私には気がつかなかったです。
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博士と彼女のセオリー ★★★★

2015年03月16日 | は行の映画
車椅子の物理学者スティーヴン・ホーキング博士の半生を描いた人間ドラマ。将来を嘱望されながらも若くして難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症した彼が、妻ジェーンの献身的な支えを得て、一緒に数々の困難に立ち向かっていくさまをつづる。監督は、第81回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞受賞作『マン・オン・ワイヤー』などのジェームズ・マーシュ。ホーキング役に『レ・ミゼラブル』などのエディ・レッドメイン、妻ジェーンを『あなたとのキスまでの距離』などのフェリシティ・ジョーンズが演じる。

<感想>まずは、天才物理学者であるスティーヴン・ホーキング氏を演じたエディ・レッドメインが、第87回アカデミー賞主演男優賞に輝いたことにおめでとうといいたい。実話なんですねこれは、本作を観るまでは、彼の私生活や心の在り方には、殆どイメージがわかなかった。

1963年にケンブリッジ大学で出会ったスティーヴンとジェーン。キュートな理系男子と聡明な女子学生は、一目惚れにも近いテンションで恋愛に突入する。その勢いは、彼の研究にもひらめきをもたらすのである。だがそんな絶頂期にまさかの病気、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症し、余命は2年と宣告される。

そこからが凄いのだ。鬱状態のスティーヴンに対し「皆で力を合わせて病気と闘おう」と、全く怯まず強気なジェーン。そんな彼とためらいもなく結婚し、伴侶、介護者として、そして3人の子供を育てて、人生を進めていく。26年間を共にした。
その後、円満に離婚して、ジェーンはホーキングの介護に協力しながら実質的な第二の夫となっていたジョナサンと再婚して、ホーキング博士は、エレインというベテラン介護師が世話をすることになるという。気付けば既に、余命宣告の時など越えてしまっていたのだ。
病気の進行と闘いながら、ブラックホールの特異点定理やホーキング放射など、世界にその名をしらしめる偉業を成し遂げ、現在72歳ながらも、彼が研究に身を捧げていることをこの映画で知るのが事実だろう。

恋愛と介護は両立しない。恋愛という物語が、恋とも友情ともつかない人と人との結び合い、もたれ合い、思いやりの日々が、特別大きな波乱や愁嘆場もなく進行していく。その間のスティーヴンは杖から車いすへ、電動車椅子へ、そして肺炎を併発して発生装置を装備した最新の車椅子へと乗り換えていく。

障害と闘う人の姿をコメディアンに例えるのは失礼かもしれませんが、杖をついて歩く姿がどこかチャップリンのようにも見えた。何となくそう見えたのだが、銅像に抱かれている姿が「街の灯」そのままだし、声を失ったスティーヴンが機械の声を得て、ラストのスピーチはサイレント期の声のないコメディアンだった「独裁者」の演説の映画記録を呼び起こしたからである。
そして、車いすにとって大敵なのは階段なのに、いやだからこそというべきか、この映画は階段にとことんこだわるのだ。

若きホーキング博士が、2階から背中でずり落ちてくる階段。幼い息子が階段の遊び場で見下ろしているシーン。父親が、車いすを無理に引きずり上げる庭の階段では、昔は身障者に対しての住宅事情もなく介護する人たちの苦労が忍ばれる。
ホーキング博士のメガネをジェーンがスカートで拭くのが、妙に女っぽくて、何だったか思い出せなくて、そういえば後からのエレイン介護師も、彼のメガネをスカートの裾で拭いていたっけ。

ラストのスピーチ会場での、前列の女性が落とした真っ赤な1本のペン。「2001年宇宙の旅」では、1本のペンを浮かせるだけで無重力を表現したが、この映画では1本の赤いペンの落下で、ホーキング博士の全人生を表現しているかのように見えた。あのとてつもない時間論を立ち上げた男は、1本のペンを拾ってあげられない男だったのだ。

スティーヴンとジェーンの長いラブストーリーは、気高くも美しいと同時に、一般の恋愛同様に、いやそれ以上に果てしなく困難な道であったことも描かれています。博士にそっくりだといわれたという、エディ・レッドメインの繊細な演技が光る作品です。難しい肉体表現だけではなく、博士の熱意も楽観的思考も、気取りのないチャーミングさも、あますところなく見せてくれているので、受賞は間違いなかったでしょう。
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不機嫌なママにメルシィ! ★★.5

2015年02月14日 | は行の映画
『マリー・アントワネット』、『イヴ・サンローラン』などのギョーム・ガリエンヌが、自らの半生を描いた戯曲を映画化。裕福な名門家庭に生まれ母親に女の子のように育てられたギヨームが、さまざまな苦難を経て本当の自分の姿を見つけ出していく。初監督となる本作で母と自身の一人二役に挑み、セザール賞5部門で受賞するなど高く評価された。『いつか、きっと』などのアンドレ・マルコン、『マリー・アントワネットに別れをつげて』などのダイアン・クルーガーが看護師のインゲボルグ役で共演している。
あらすじ:3人兄弟の末っ子として生を授かったギヨーム(ギョーム・ガリエンヌ)は、母親(ギョーム・ガリエンヌ)から女の子のように育てられた。エレガントな母をまねて女らしくふるまい、周囲からゲイだと思われていたが、息子を男らしくさせたい父(アンドレ・マルコン)が強制的に入学させた男子校ではいじめに遭い、イギリスの学校に転校するも男子生徒に失恋。そんな人生に疑問を抱いたギヨームは、本当の自分を探す旅に出るが……。

<感想>フランスの演技派俳優であるギョーム・ガリエンヌが、脚本・監督・主演と女装をして母親と息子の一人二役を演じる自伝的戯曲の映画化である。
何ともすごい才能である。子供の時から女性に惹かれていたという、いわばガリエンヌ自身の年代記のようなお話になっていて、この領域に興味のない私にはストーリーに没頭できなかった。ですが、それなりに興味深くは拝見しました。しかし、客観的に本作とガリエンヌを評価する気はない。「イヴ・サンローラン」で、イヴを支える役を演じていたのを観て、あの作品での彼の演技は大変しっかりとして良かったと思う。ですが、どうもすぐにはこの映画の彼の二役とは結び付かなかった。

肉体的・精神的な面から多様なセクシュアリティが認められつつある昨今には、タイムリーな描き方かもしれないが、男性が女性を演じる面白みも、母子の二役を兼ねる意味も、ちと手ぬるいように見えた。

確かに主人公のギョームが、変にカリスマ性のある母親から女の子のように育てられるうちに、仕草、声色、空気まで嬉々として母親の真似をするようになる。成長するにつれ、異常なほど腕をあげ、母親と母親の物真似をする息子の両方を演じる技術には、唖然とさせられるが、それが家族までもが見間違えだすとは。

ある夏スペインを旅行すると、地元の人たちから「女の子みたいな踊り方ね」と馬鹿にされる。するとギョームは飛び跳ねて嬉しがる。「ママが喜ぶよ!!」この異様過ぎる笑顔が、観客には大いなる謎で、「どうして女の子になるとママが喜ぶの?」を提示するのだ。
そして、ナヨナヨする息子を怒る父親の視点。案ずる祖母の視点。自分たちの平穏な生活のために見てみぬふりをし続ける兄二人の視点。

れに、馬鹿にする学友たちの視点って、ちょっと中年太りの高校生って変ですから、呆れたナルシストだと言い切る精神科医の視点。
という、周りをぐるりと囲む“他者の視点”を借りて何とか自身を客観視しようとするギョームがいる。
物語は、ギョームがあの手この手で自分の性的アイデンティティを探す旅になっているが、「僕は同性愛者の男でも女の子でもない。異性愛者の男なのだ」「ママは僕が他の女を愛するようになるのを恐れて邪魔をしていた」と。最終的にはそれを発見しましたと言われても、だから何なのかという感じは否めない。
そこまでに至るコメディを楽しめばいいとしても、思いのほか下ネタに始終するフレンチ流のギャグは、なかなかに敷居が高いようだ。
冒頭で、白い能面のような化粧をしたギヨームと「世阿弥の写真」を繰り返し映す、スクリーンで孤軍奮闘する彼の姿は、おそらく日本の「お能」のイメージをしているのだろう。最後の「僕は女に恋をしたので、女と結婚をするよ」というオチだけは、まだ心が現実に着地していないに感じました。

一人二役なので、母親と息子が似ているのが当然なのだが、モデルとなる母親が魅力的に見えないので、母親のようになる息子の努力がコメディにしかならないのだ。つまりは、近寄って見たら悲劇だが、引いて見たら喜劇だというタイプのコメディを、自分の恥ずかし体験を笑い飛ばして楽しませる、そのセンスが素晴らしいと思う。
過保護で甘ったれたナルシズムを売りにしているのに耐えられず、シーンの最後を曖昧にしたまま、舞台へと引き戻す、演劇と映画のもたれ合う作劇が最悪である。ただし、祖母役のフランソワーズ・ファビアンはさすがに上手く場を引き締めてくれて良かった。
このテーマはギョームが死ぬまでずっと続くものだし、これからも長い時間をかけて自分で解決する問題なのだろう。
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ぼくを探しに ★★.5

2014年11月06日 | は行の映画
『ベルヴィル・ランデブー』や『イリュージョニスト』がオスカー候補になったシルヴァン・ショメ監督が、初の実写に挑んだ心温まるファンタジー。両親を失ったショックで言葉を失った主人公が、不思議な力を持つ女性と出会うことにより人生の転機を迎える姿を写す。主人公を『美しき棘』などのギョーム・グイが演じ、魔法使いのようなマダムを『最強のふたり』などのアンヌ・ル・ニが好演。シュールかつ多彩な映像と、奇想天外な物語に夢中になる。
あらすじ:幼少時代に両親がこの世を去って以来、言葉を発することができないポール(ギョーム・グイ)は、伯母姉妹に育てられる。ダンス教室を営む二人はポールをピアニストにすることに夢中で、彼は過去の記憶を心の中に秘めながら孤独な毎日を淡々と過ごしていた。そんなある日、彼はひょんなことから同じアパルトマンで生活しているマダム・プルースト(アンヌ・ル・ニ)と出会い……。
<感想>ミニシアターで上映していた、このフランス・パテ映画のマークは、ニワトリのモビールが揺れるシルエットだが、映画の中でも部屋の中で気球や天使などのモビールが吊るされている場面があり、言葉の話せない主人公が、自分の過去を探して母親の夢を見るというこの映画は、観る人を選ぶ作品だということが分かります。

主人公が言葉を話せなくなった原因が、実は両親と住んでいた部屋の上に、伯母さん姉妹が住んでおり、でっかいくて古いグランドピアノが置かれていて、それが両親の頭上に落ちて来て死んでしまった。事故だと言われてみればそうだけれども、まだ赤ん坊だった主人公には、ショックだったに違いありません。

両親が亡くなった後は、その伯母さん姉妹がポールを引き取って育てたわけ。
主人公ポールがピアノを弾き、伯母さん姉妹がダンス教室を開いている。そんな毎日なのだが、ある日、階段にレコードが落ちていて、それを階段のところにある狭い扉に入っていく盲目の老人。

後を付いて行き、その扉を開けると、部屋の奥には、観葉植物や、野菜を育てている部屋があった。鏡で太陽の光を反射させて育てているのだ。そのマダムは、失われた記憶を呼び覚ます不思議な力を持ったハーブティーを淹れて飲ませてくれる。すると、赤ん坊のころに戻って両親がプロレスで稼いでいた場面が映し出される。

文字どおりハーブ茶とマドレーヌに導かれて辿る記憶の奥底への旅。そこには、両親のプロレスもからむとなると、フランスのある種のインテリを個人的に想像してしまう。しかし、茶葉が脱法ハーブな代物じゃないかと心配してしまうくらいに、ポールも盲目の爺さんも気を失ってしまうのだ。

主人公ポールの伯母姉妹、一人はベルナデット・ラフォン。彼女は本作が遺作となった。ですが、その衣裳や室内を埋め尽くす緑、チェリーの扱いなど、監督の独特な感性を感じさせる細かいところがあります。
でも、音楽が重要なモチーフになっている。楽団のようなカエルみたいなキャラクターが、ギターやドラムを奏でながら歌っているシーンがあり、ファンタジー的な作品でもあり、ミュージカル的シーンもあります。

本格的にピアノの先生についてのレッスン、そこでチェロ奏者の中国女性と出会い結婚するのですから、あんなに中国人を嫌っていたのに。
ラスト近くで、主人公がコンクールでピアノを弾くシーンも感動的であり、その後優勝するも、指をピアノの蓋に挟んで弾けなくなるなど、映画なのにカットつなぎにリズム感というか運動神経が不足していて、中々映画が弾まないのが惜しいところ。

それに、グランドキャニオンはまるで絵のような感じで、実写であっても実写感に乏しい場面が多いのだ。ピアノが弾けなくなり、ウクレレを簡単にマスターしてしまい、ハワイにまでウクレレのコンクールに出場するというラストにも、コメディチックな描き方でアニメで撮っても良かったのではと思ってしまった。
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ふしぎな岬の物語 ★★★

2014年10月14日 | は行の映画
人気作家・森沢明夫の小説を基に、のどかな里で小さな喫茶店を営む女店主と、店に集う人々との心温まる交流を描いた人間ドラマ。日本映画界を代表する女優・吉永小百合が『八日目の蝉』などの成島出監督と共同で、映画人生で初めて企画に挑戦。主演の吉永とは初共演となる阿部寛、『おとうと』などの笑福亭鶴瓶、『ストロベリーナイト』シリーズなどの竹内結子ら実力派が脇を固める。原作のモデルとなった喫茶店が実在する千葉県明鐘岬を中心にロケを敢行した景色も魅力。

<感想>吉永小百合さんの企画&主演による味わい深い豊かな人情劇です。それは実在する千葉県明鐘岬の喫茶店“岬”がモデル。撮影は店舗のそばにオープン・セットを建てて行われたが、出演者たちは同店に通って癒されたというから、一度機会があったら行ってみたいもんですね。
物語の展開は、隣に住む甥っ子の浩司さん(阿部寛)と一緒に船に乗り小島の石清水を汲みにいく毎日から始まり、店主の悦子さんがいれるコーヒー(ドリップコーヒー)を目当てにやって来る、近所の不動産屋のタニさん(笑福亭鶴瓶)、そして、漁師の徳さん(笹野高史)と突然出戻って来た娘のみどりさん(竹内結子)。その人たちの他にもフラリと訪れるお客たちの心を和ませていた。私も悦子さんの真似をして「美味しくなぁれ、美味しくなぁれ」と呪文を唱えてコーヒーを入れてみようかしらね。
中でも若い父親(井浦新)と幼い娘が、虹を見るために岬を訪れて、店の虹を描いた絵を見つける。虹は幸せを運ぶをいう話があるが、母親が亡くなり娘はその虹の橋を渡って母親が天国へ逝ったと思い込んでいる。

主人公である吉永小百合さん、年を重ねても美しさは変わらず、マドンナ的存在感でスクリーンを包み込みます。そして、笑福亭鶴瓶さんが演じている不動産屋のタニさんは、悦子さんが大好きで自分から結婚を申し込む勇気がない。そうこうしている内に、タニさんが大阪へ転勤になる話が舞い込む。本当は悦子さんにも一緒に大阪へ来て欲しいのに、言い出せないまま一人大阪へと行ってしまう。

それに、漁師の徳さんは、末期の胃癌で余命宣告を受けるも、丁度娘のみどりが帰って来て入院することに。看護する娘に、父親として結婚に反対していたが、離婚して帰って来た娘を温かく迎え入れる。そのみどりを追いかけて東京からやってきた元夫に対して、タニさんがヤクザの親分風に、浩司はチンピラ風になり元夫を脅すのだ。それに、徳さんが娘に生命保険を残して亡くなるとは、最後に悦子さんの甥っ子である浩司と一緒に喫茶店“岬”をやるようで良かったですね。
甥っ子の浩司は、自分に都合のいいように嘘をつき暴れん坊である。でも優しい心を持っていて、この岬には灯台がなく、岬の沖で沈没した船で亡くなった人たちを偲んで、毎晩のようにカンテラを振り、岬を通る船に安全航海を促しているのだ。

そんな話の中に、お見合いツアーでようやく嫁を得た常連客、春風亭昇太の結婚式がある。お嫁さんは東京から来た小池栄子で、村の人たちが参列する。ですが、この結婚は上手く行かず、嫁には堆肥の匂いが我慢できないらしく、離婚すると東京へ帰ってしまう。まぁ、このお話は無くても良かったかもです。

それに、嵐の夜に泥棒が店に入り、現金を出せと包丁を突き刺す男。悦子さんは、現金はレジにあるそのお金だけで、値打ちのあるのは夫が描いた虹の絵だけだと言う。その時、泥棒が悦子さんが大事にしていた水色のコーヒーカップを落として壊してしまう。それは、あの親子が置いていった物。泥棒は悦子と話をしている内に、自分のやっていることがバカバカしくなり心を入れ替えるのだ。

まぁ、そういうドタバタがあり、悦子さんが何となく寂しそうに見えたのが、あの夫が描いた虹の絵を欲しいと、若い親子が訪ねて来た時からなんです。その絵を欲しがっているのは、きっと大阪へ行った不動産屋のタニさんだと思うんです。その絵を追い掛けて、大阪の自分の所へ来てほしいと願っているのではないかしらね。まさか、大切にしていた岬の虹の絵を、親子に渡してしまうとは、思ってもみなかった。

しかし、ある夜のこと、悦子さんが鍋の火をかけたまま考え事をして、火事になってしまい、甥っ子の浩司も駆け付けても火事は消し止められず、それが大事になり全焼という結果に。でも、すぐにその隣にプレハブの喫茶“岬”をオープンさせました。
賑やかだった岬の喫茶店へ来る常連さんたちには、中学教師の吉幾三に、医者の米倉斉加年さん、お寺の和尚の石橋蓮司さん他、賑やかな脇役俳優さん達。
そんな、岬にある喫茶店の主人である悦子さんと、お客さんたちの交流を描いた暖っかい物語です。9月に行われた第38回モントリオール世界映画祭で、審査員特別賞など2冠を受賞というのも嬉しいですよね。
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ぶどうのなみだ ★★

2014年10月12日 | は行の映画
「しあわせのパン」の三島有紀子監督と主演の大泉洋が再び北海道を舞台に贈るドラマ。父が遺した小さなワイナリーを継いだ兄弟とそこに現われた謎の女性が織り成す不思議な交流の行方を綴る。共演は「WOOD JOB!(ウッジョブ)~神去なあなあ日常~」の染谷将太とシンガーソングライターで演技初挑戦の安藤裕子。
あらすじ:北海道・空知。父が遺した葡萄畑と小麦畑を継ぎ、静かな暮らしを送る兄弟のアオとロク。弟ロクが小麦畑の手入れに精を出すかたわら、兄のアオはワイン作りに励む日々。“黒いダイヤ”とも呼ばれる葡萄ピノ・ノワールの醸造を繰り返すも、なかなか理想のワインには到達できずに苦しんでいた。そんなある日、キャンピングカーに乗った女性エリカがいきなり現われたかと思うと、畑のすぐそばで穴を掘り始める。しかも、その不思議な魅力で町の人々とすぐに打ち解けてしまうエリカ。そんな謎の闖入者に警戒感を募らせるアオだったが…。

<感想>三島有紀子監督と主演の大泉洋さんの「しあわせのパン」、とても好評でよかっただけに、つい期待して観てしまった。全然ダメとはいかないものの、やはり二匹目のどじょうはいなかった。
舞台が北海道なのは前作と同じで、今度はワイン作りに必死に頑張る青年を大泉洋さんが演じていました。彼はどんな役にも真面目に取り組み、そこから何となく可笑しみのアル演技力とでもいいましょうか、笑いが込み上げてくるものが感じます。それがとっても好きです。
しかし、この映画の中からは、そんな笑いは感じられず、背一杯にアオという青年、麦の生産農家なのに家を出てオーケストラの指揮者になる。だが、難聴になり指揮者を断念して故郷へ舞い戻り、ワインを作るようになる。

葡萄を育てる土壌は、難しいですよね。それに気候も。霜が降りると葡萄の実が死んでしまう。寒さに弱いんですね。北海道の土地や気候に的しているのか、それでも、ワインを作っているところがあり、そこでロケして撮影したのでそれが活かされているようです。
観るべきところは、北海道の風景でしょうか。都会のように密集した住宅もなく、青い空に広々とした大地が広がって、特に葡萄畑に黄金色に輝く麦畑は本当に美しいです。でも、冬景色はあまり映さないので、雪の多い北海道の冬は長いですよね。「しあわせのパン」では、雪の北海道が上手く活かされて映っていました。真っ白に積もった雪の夜に、お月様が綺麗でしたね。

そこへ、若い美人のエリカがやってきて、男兄弟の心をざわつかせます。不思議な魅力を持ったエリカさん、アンモナイトを探して日本中を旅しているという。丁度、兄弟の畑の横に大きな穴を掘り始め、大泉洋ちゃんが警察へ電話をします。

そして来たのが、警察のアサヒさん=田口トモロヲ。美人のエリカさんのお酒と料理を振る舞われて、すっかり虜になってしまったアサヒさん。それに郵便やさんまで、リリさん=リリィさんに、床屋のミウラ=きたろうさんまで、みんなエリカさんの魅力にすっかりのぼせてしまったようですね。
謎めいたエリカさんを演じているのは、安藤裕子さん。アオの作ったワインを試飲して土臭いといい、中々味の分かる女性です。もちろん得意のギターと歌も披露してくれます。

“葡萄のなみだ“という、冬越えした葡萄の木が、春になり木の芽がめぶくころに葡萄の木から雫のようなものがポタリと落ちるのがそれ。見たことがないので興味がありますね。それに、「黒いダイヤ」と呼ばれるピノ・ノワールのワインも飲んでみたいです。葡萄を収穫して、それを絞った後に樽の中で発酵し始める音がとても印象的でした。

エリカの作る料理も、焼トウモロコシにバターを塗って、羊のソテーにグリーンサラダ、デザートまでありましたね。劇中で出演者たちが楽隊となって演奏するシーンも楽しいです。
弟のロクを演じた染谷くん、兄に出て行かれて寂しかったのでしょう。兄弟はどんなことがあっても仲良く暮らすこと。亡くなった父親には、大杉漣さんが写真と兄弟が小さかった頃の回想劇で出てきます。それと、モフモフしたワンコが可愛い。
最後が結婚式なので、もしかしてアオとエリカの結婚式かと勘違いしてしまった。床屋のきたろうとリリィさんの結婚式だったんですね。でも、とても幸せそうでした。きっと、アオとエリカさんも一緒になれるかもです。
これは、テレビドラマでも良かったかもです。お客さん本当に少なかったです。
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プロミスト・ランド ★★★

2014年09月20日 | は行の映画
『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』のマット・デイモンとガス・ヴァン・サント監督が再び手を組んだ社会派ドラマ。新たなエネルギー源として注目を浴びるシェールガス革命を背景に、脚本と製作もこなすマット演じる大手エネルギー会社の社員が、ガス採掘権を買収すべく訪れた田舎町で住民との交流を通じ、自身の人生を見つめ直していく。共演には『お家(うち)をさがそう』のジョン・クラシンスキーや、オスカー女優のフランシス・マクドーマンドら実力派がそろう。
あらすじ:寂れた田舎町のマッキンリーを訪れた大手エネルギー会社の幹部候補スティーヴ(マット・デイモン)。そこには良質のシェールガスが埋蔵されており、不況に苦しむ農場主たちから安値で採掘権を買収する交渉のため同地に来たのだった。住民を簡単に説得できるともくろんでいたスティーヴだったが、思いも寄らぬ障壁が立ちはだかり……。

<感想>脚本兼主演のマット・デイモンとガス・ヴァン・サント監督が、三度目のタッグを組んだ社会派ドラマ。天然ガス事業に対する企業と、地元住民の意識の隔たりと、ガスの採掘権の交渉者の情熱と葛藤をリアルに描写している。

見ながら、何だか米国流の資本主義って本当に悪いのか、と思ってしまった。それにしては、悪いと言う描き方が、昔から殆ど深化してないように感じられた。それが不思議でならない。
シェールガス開発をめぐるお話だが、開発のマイナス点は深く描かれず、開発、掘削会社の資本主義的な欺瞞のみが描かれる。それなら何十年も前から描かれてきた資本主義悪玉説から、一歩も進んでいないのではないか。

ちょっとズルしているなぁ、という印象は残る。シェールガスの採掘をめぐる重々しい環境時事問題を扱っているにしては、筋の動かし方がお伽噺的になっているようだ。
出世街道を走り順風満帆だったスティーヴ。田舎街へ入る直前に、わざわざポンコツ車とネルシャツに着替えて、住民に親近感のアピールを図るエネルギー会社の社員。それでいて、タグを切らないまま着てしまううかつさが、傲慢にして憎みきれない人柄を強く刻みつけている。
特別な説明もないのに、彼らがどんな人間で、これからどんなことが起きようとしているのか、自然と把握できるのだ。脚本家としてもマット・デイモンがやっぱり上手い。実際の交渉員と接したことがなくても、違和感を覚えさせない説得力の演技に感心した。

最終的には田舎が吸い取るという映画で、その意味ではやはりⅠ本のプロットが走っている。主人公の心の中で、おカネと力の価値観がぐらつき、虚偽から誠実さと自己尊厳、グローバルからローカリティの獲得、といった運動が起こるのだ。

で、その運動は、綺麗に、説得力をもって描かれているだろうか?・・・スティーヴの脱落には十分なドライヴがあるだろうか。しかし、田舎にやってきて、スティーヴたちの邪魔をする環境活動家のダスティンが、まさか自分の会社からの派遣とは、一生懸命に会社のためにと、地域の暮らしを良くしようと考えてのことなのに、会社からの命令で反対運動をするとはどういう料簡なのか。

だから、自分も田舎生まれの育ちで、農業をやっていてダメにしてしまい手放した苦い経験があるだけに、目の前に大金をちらつかせても、昔から住んでいる土地は手放すことはできないのだ。
それと、住民との対話集会で、スティーヴが劣勢に立った瞬間に、さりげなく背後に見える星条旗も悪くない。まずは、ハル・ホルブルック演じる、超エリートのスーパー老人、マサチューセッツ工科大を卒業し、その知見と弁舌と人情をもって、グローバルの倫理をぐらつかせるのだ。

もう一人は美人なのに人懐っこくて、清純なのに胸のボタンが一つ外れている小学校教師のアリス。「カンパニー・メン」で、ベン・アフレックの奥さん役を演じていた、ローズマリー・デウィット。本当に美しくてこんな田舎の教師にはもったいないと思った。ラストでスティーヴをローカルな生へと招くところが出来すぎのような気もしたが、二人の恋愛もほんわかでいいのだ。
特に、鳥のさえずりと、庭の緑色と、白い柵と、午後の光を浴びた子供たちのソフトボールに、小さな女の子が売る25セントのレモネードが、甘酸っぱい郷愁を誘っていていい。
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2つ目の窓 ★★★

2014年09月17日 | は行の映画
『萌の朱雀』でカンヌ国際映画祭カメラドール、『殯(もがり)の森』で同映画祭グランプリを受賞した鬼才、河瀬直美が放つドラマ。奄美大島に暮らす16歳の少年少女と周囲の大人たちの姿を通じて、自然と人間との共存や命について描かれる。主演は、オーディションで抜てきされた村上淳の息子である村上虹郎と『あぜ道のダンディ』などの吉永淳。その脇を杉本哲太、松田美由紀、渡辺真起子ら実力派が固める。壮大で深淵なテーマをはらんだストーリーに加えて、奄美大島の自然を余すところなく捉えた映像も胸を打つ。
あらすじ:奄美大島で生活している16歳の界人(村上虹郎)と同級生の杏子(吉永淳)。ある日、島の人々の相談を受けるユタ神様として生きてきた杏子の母イサ(松田美由紀)が、難病で余命わずかなことがわかる。杏子を励ましながらも、神と呼ばれる者の命にも限りがあることに動揺する界人。そんな中、恋人のいる母・岬(渡辺真起子)が醸し出す女の性に嫌悪感を抱いた彼は、衝動的に幼少期に別れた父のいる東京へと向かう。久々に父子一緒の時間を過ごして島に戻った界人だが、岬の行方がわからなくなったという知らせが飛び込んでくる。

<感想>映画は奄美大島を舞台に、少年少女の恋、そして少女の母であり島のシャーマン的存在であるユタの死が描かれているため、次の世としてあの世をイメージする題名なのかと思えばそこまで単純ではないようである。
少年少女の成長の物語でもあるし、生命が生まれた海を一番と考えると陸が二番目という意味もあるようですね。
物語そのものは倫理的に組み立てられていて、分かり安かった。死にゆく母(松田美由紀)も、奄美の長老亀次郎(常田富士男)の「人は誰でも死ぬんじゃ」という台詞も、若い二人、界人と杏子を優しく見守り、命の繋がりの大切さを説いている。
そんな明快なメッセージを艶やかに見せているのは、木々や海を映し出すカメラだが、それだけだと、予定調和に終わりかねない世界に、唯一、違和感をもたらすのは、怪獣が吠えるような工作機械が、木々を噛み砕くショットであろう。

波も風もその媒介者であり、そして人間も。だから「セックスしようね」という話で、真理を本能的に体得しているのが主人公の少女である。少年はいつもタジタジで、つまりこれは、女による男への性教育映画なのだろう。
昔っから、河瀬直美作品の少年少女の瑞々しさときたら凄かったが、今回の主演二人にも目を見張ってしまった。実の父親で、しかも設定まで大きくかぶる村上淳との共演、という難役を演じたこれが俳優デビュー作となる界人役の村上虹郎もたいしたものだが、杏子役の吉永淳にいたっては、濡れた髪の毛の毛先の跳ね方までカンペキに見えた。

そして、何よりも河瀬監督の幼年ならぬ幻想の時代への視点のブレのなさ。奄美大島は、監督の母方のルーツの地である。自分のルーツを確認して再構築するというか、この先自分はどうやって命を繋げていくんだろうと言うことを考えているのではないかと。
界人が夏祭りの晩に、海辺で壮年の男の溺死体をみつける。その男の背中一面に彫られていた龍の刺青が、波に洗われユラユラと蠢く光景を何度も頭の中でリフレインする。物語が進むにつれ、界人の頭の中を占める刺青のイメージは、二人の男の存在から想起されていることが明らかになる。

一人は離婚して、今では東京で離れて暮らす実の父親。何故かというと、東京の父親の部屋には、刺青の図案らしきイラストがあちこちに貼られていて、どうやら、父親は刺青の彫師でもあるようだ。その父の背中にも手の込んだ彫り物の刺青があり、界人と父親が銭湯にいく場面でちらりと映される。
もう一つは界人がどこかで垣間見た、母親が情を交わした男の背中である。この男が海で溺死した男なのか、別れた父親なのか、または違う男なのかは説明がない。父の背中を知らずに育った子供の心もたなさ、捨てられた子供が、捨てた親をどう受け入れるのか。

そして、もう一人、親に捨てられる不安に怯える同級生の杏子だ。こちらの母子を引き裂くのは肉体の別れ、死である。杏子の母は余命を宣告され、娘の心は乱れる。自らの生を確かめるかのごとく、界人との肉体の交わりを求め、彼を困惑させる。10代のほとばしるような性と生を鎮めるかのように海に飛び込み、界人の身体にまとわりつく。
溺死の男の背中の筋彫り、そしてまだ女としての性の交わりなど、それに神話的な嵐など。沖縄をさらにミニマルな奄美の三味線の音に包まれて、生と死とともに、この映画の記憶さえ混濁としていく。
特に気になったのは、長老が若い二人に生と死を感じさせるためなのか、祝祭で使う山羊の屠殺に立ち会わせ、山羊の喉にカミソリの刃を当てて、肉体から生が抜けていく行程を見せるシーン、これは気分が悪くなってしまった。
甘口のラストは、ブルック・シールズよりも杏子の吉永淳の、ストレスフリーな泳ぎが素晴らしいく綺麗に映って見えた。
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パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト★★★

2014年08月19日 | は行の映画
超絶技巧で有名な伝説的バイオリニスト、ニコロ・パガニーニの破天荒な人生と、彼の人生を変えた2人の人物との出会いを描く伝記ドラマ。スキャンダルが絶えない異端児パガニーニを、欧米で圧倒的人気を誇る天才バイオリニスト、デイヴィッド・ギャレットが演じる。監督は、『不滅の恋/ベートーヴェン』などのバーナード・ローズ。共演には『リンカーン』などのジャレッド・ハリス、『僕と彼女とオーソン・ウェルズ』などのクリスチャン・マッケイらがそろう。
あらすじ:1830年のイタリア、並外れた才能を持ちながらも不遇の日々を送るバイオリニスト、パガニーニ(デイヴィッド・ギャレット)の前に突如現れたウルバーニ(ジャレッド・ハリス)は、彼を著名なバイオリニストにしてみせると約束。ウルバーニはさまざまな手段を用いて名門劇場での公演を成功に導き、パガニーニは一躍富と名声を手に入れる。成功後も放蕩(ほうとう)生活を送る彼のもとに、ロンドンデビューの話が舞い込む。

<感想>伝説のバイオリニスト、ニコロ・パガニーニのスキャンダルに彩られた生涯を描いている。音楽映画に必要なのは贅沢な感じであるが、豪華なオペラハウスなど、本作はその条件を満たしているといっていい。
ニコロ・パガニーニは19世紀のロックスターという設定で綴られる、酒と女と麻薬と敏腕ビジネスマネジャー、そして、一番大事なスパイスとなる純愛と並んだ、つまるところディヴィッド・ギャレットの壮大なるプロモーション映画でもあると思います。

彼を主役に持って来て、演奏そのものが華麗に見せているのが最高。この映画は、ディヴィッド・ギャレットのバイオリン演奏によるシーンが圧巻であり、彼がニコロ・パガニーニに、乗り移ったかのような演奏シーンは素晴らしく、この役はディヴィッド・ギャレットあっての映画だと言える。
ともあれ楽器を自分の肉体の一部のように扱えることの素晴らしさに目が眩む。画的には、新進国であった当時のアメリカと、爛熟したヨーロッパの対比が興味深かったです。

主要舞台の霧深いロンドンの街も、一服の絵になっていて、二時間あまりの上映を退屈させません。確かに、パガニーニとウルバーニとの関係が、現代のロックスターと悪賢いマネージャーとの関係に、なぞらえすぎているということもあろうが、ケン・ラッセルに献辞を捧げているだけに、タイムズ誌の生意気な女性記者に至るまで毒気があって魅力的だと感じた。

女性遍歴が最後の恋路を邪魔したように描かれているが、シャーロットとの恋は、娼婦を相手に遊ぶパガニーニには不釣り合いのようで、結局はウルバーニの邪魔が入り、二人の恋は実らなかった。パガニーニがシャーロットに贈った「アリア」は、美しい恋の歌で2人の心情を表しているようで物悲しい曲でもありました。
そのことで、パガニーニとウルバーニの間に亀裂が生じて彼をクビにしてしまうことで、パガニーニ自身の首を絞める結果となる。結局は天才ヴァイオリニストと言われても、営業はできない男。次第に財産も底をつき、アヘンや麻薬中毒で体を蝕み、若くして死に至ることに。

しかし、この映画は、違う点で観賞することも出来ます。冒頭からデイヴィッド・ギャレットによるヴァイオリンの演奏に耳をかたむけて、しばしの間堪能するのも良いかと思います。
その演奏テクニックには、まさにパガニーニが乗り移ったかのように技巧も巧く、弦が1本1本と切れていき最後の1本で演奏する凄まじさは言葉になりません。これは、もちろんのこと奏者デイヴィッド・ギャレット自身が、すごいということを証明していると思います。
そのキャスティングの妙がこの作品の唯一の見所であり、脚本のまずさなどはこの際忘れてしまってもよいと思っても、何故だか彼が悪魔的超絶技巧を体得しえたのか、そのところが描かれてなく飛ばされているのが腑に落ちなかった。
2014年劇場鑑賞作品・・・270  映画(アクション・アドベンチャー) ブログランキング

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