パピとママ映画のblog

最新劇場公開映画の鑑賞のレビューを中心に、DVD、WOWOWの映画の感想などネタバレ有りで記録しています。

なまいきチョルベンと水夫さん★★

2014年09月12日 | な行の映画
スウェーデンの児童文学者アストリッド・リンドグレーンの「わたしたちの島で」を基に、牧歌的な島で展開する子どもたちと動物たちの交流を描く人間ドラマ。手つかずの自然が広がる美しい島を舞台に、そこで生きる人々の喜怒哀楽を笑いを交えて映し出す。大人さえやり込めてしまう主人公を演じる子役のマリア・ヨハンソンの好演や、アザラシやウサギなどさまざまな動物たちをこよなく愛し、共存しようとする子どもたちの姿に心打たれる。
あらすじ:活発な少女チョルベン(マリア・ヨハンソン)は、風光明媚(めいび)なスウェーデンの避暑地ウミガラス島に住んでいる。彼女は愛犬水夫さんといつも一緒で、夏をこの島で過ごすスティーナ(クリスティーナ・イェムトマルク)やペッレ(ステファン・リンドホルム)とも仲良しだ。ある日、チョルベンはヴェステルマン(マンネ・グルンベリエル)さんにアザラシの赤ちゃんをもらい大喜びするが……。

<感想>可愛いとは言い難い主人公のオデブちゃん。チョルベンの魅力的なキャラ、そして隣の少年二人(双子?)ペッレ一家の人物像がユニークです。
そして、海の向こうからヨットに乗ってやってきた水夫の王子様。白馬に乗った王子様のように白い帆のヨットに乗り、ペッレ家の長女マーリンとの恋の描写には、もう一工夫して欲しかった。水夫のペーテルさんをカエルの王子様だと信じている子供の倫理の方が面白く、彼がマーリンと恋に落ちて結婚することを願っている子供たち。
そして、犬とアザラシ、狐に羊と、動物の活用ぶりが目覚ましいんです。動物たちの愛らしさに媚びない撮り方も最高に良かった。

主人公のチョルベンが飼っている犬(名前は水夫)は、羊やウサギを狐から守る役割をしているのだが、まさか本当に狐が出て来るとは、夜に仔羊が襲われ、ウサギのヨッケも襲われる。気の毒に、チョルベンの犬の水夫が犯人だと大人たちが決めつけ、猟銃で始末しようとするのだ。まさか狐が泳げるとは思ってもいなかった。海の中をスイスイと泳いで行く狐を、人間の猟銃に撃たれないように見送る幼い女の子が可愛らしい。

それと、アザラシの子供をモーゼと名付けてチョルベンが貰うのだが、子供たちは可愛らしい子供のアザラシに夢中になり、小さな池を作ったり餌の小魚を上げたりして可愛がる。ところが、このアザラシをくれた叔父さんが、ヨットに乗ってやってきた男ペーテルに、アザラシは研究機関に高く売れると聞きチョルベンにアザラシを返してくれと言うのだ。子供たちがアザラシを漁師の小屋に隠すのだが、直ぐに見つかってしまいアザラシは叔父さんの手に渡ってしまう。

それからが、子供たちでそのアザラシの売値のお金を稼ぐ逞しさが見られる。新聞配達や、このウミガラス島へ避暑に来る観光客の荷物を運ぶ仕事も、家の掃除にお手伝いをしては小銭を貯めて、何とかオジサンにアザラシを売らないように頼むのだ。でも、最後はアザラシとの別れのシーン、海へ返してあげる子供たち。
ヒロインの女の子は小太りだし、友達の幼い女の子は歯が抜けていて男の子みたいだったりして。お芝居だって上手いのか下手なのか良く分からない。平気で海の中へ服を着たまま落ちたりするし、泥水の中にも落ちる。寒さを感じさせないのがいい。まぁ、それでも子供たちの溢れんばかりの生命力が眩しい。

現実と夢がまだ自由に混じり合う世界に生きている子供たちが、世の中を知っていく美しさ、ワンカットの中で、少女の表情の変化のみで、ことの展開をみせてしまうシンプルな演出の力強さもいい。
そこから、小さな漁村に子供たちや大人も混ぜて、問題が起こったりする。いかにもデジタル映像のようで、スェーデンの夏はこうなのだろうと思いたくなるほど、まるで絵画のような風景など色彩が美しいのだ。

北欧ならではの日没の地平線に、人影が行き交うロングショットが効果的に描いているのがいい。それに、空気のせいなのか、あるいは水のせいか、とにもかくにも色彩が澄んでいるのが美しい。
「長くつ下のピッピ」や「ロッタちゃん」で知られる児童文学作家の、スウェーデンの有名な女性作家である、ストリッド・リンドグレーンの原作で、内容は分かり安く気持ちがいい。ただし、これはあくまでもお子様向きで、つまりは、子供向けの童話のようなもの。子供たちも大人たちも、個性の描き方が分かり安く標準的ですね。50年前の作品とは思えない違和感のなさにもびっくりしました。
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野のなななのか ★★★.5

2014年06月07日 | な行の映画
『その日のまえに』『この空の花 長岡花火物語』などの大林宣彦が、北海道芦別市を舞台にしたドラマ。92歳で亡くなった家長の葬儀で顔をそろえた一族が、ある女性の来訪を契機に家長の知られざる過去を知る姿を描く。ベテランの品川徹、『赤い月』などの常盤貴子をはじめ、安達祐実、村田雄浩、松重豊ら実力派が結集。日本人の生き方を見つめたストーリーに加え、大林監督ならではのノスタルジックなタッチにも注目。
あらすじ:北海道芦別市で古物商を経営する元病院長の鈴木光男(品川徹)が、3月11日の14時46分に逝去。92年に及ぶ人生の幕を閉じる。告別式と葬儀の準備をするため、鈴木家の親族が故郷である芦別に集結。大学教授の冬樹(村田雄浩)、原発職員の春彦(松重豊)、看護師のカンナ(寺島咲)ら、光男の長男、次男の子どもたちが久々の対面を果たしていると、清水信子(常盤貴子)という女が訪ねてくる。やがて、彼女を通して1945年に起きた旧ソ連の樺太侵攻で光男が体験した出来事を彼らは知る。

<感想>ある男の戦争体験を通して、現代の日本再生の正しき道を示そうとする大林宣彦監督による人間ドラマである。芦別という古里の過去と現在を語る物語でもあるのだ。芦別の町を訪れた少女は、観光案内よろしく炭鉱跡を初めとする観光地を紹介してゆき、それだけならごく当たり前の観光映画とも見えるのだが。
炭鉱の全盛期のように機関車が走り抜ける、ですが同時に炭鉱跡での戦争時の戦死者の遺骨発掘作業も描かれているのだ。現在の中には過去が埋まっており、すべての過去は同時に起こっているというわけ。とにもかくにも、時制の混乱きわまりないのだ。

92歳で死ぬ老人の物語で、樺太での敗戦記を伝える役割だけど、何故か「大震災の3.11」の14時46分で死んでいるのだ。それに爺ちゃんの時計も14時46分で止まっている。この映画の樺太と東日本の大震災は無縁だが、総論としては繋がっているようです。更には、広島、長崎、ビキニ環礁と福島原発とも結びついてゆくのだから。これはそういう、エッセイ・ムービーなのだ。
ですが、過去と現在は同時に起きている。ここには多くの現在が存在する。北海道芦別市で、「星降る文化堂」を経営する元医師、鈴木光男の死から物語が始まる。同居していた孫娘のカンナ。その死を知って訪れるかつて病院で働いていた信子らの前で、光男の過去が明かされていくのだが、その語りは極めて奇妙なものであった。

自制は自由自在に、現在といくつもの過去、第二次世界大戦から現在に至るまでの幾つもの時代を飛び回る。視点人物はくるくると目まぐるしく変わり、信子や光男が一人称でナレーションをする。死の床の光男はその世話をするカンナと会話を交わす。あるいは、初七日の法要の席でかつての友人と語り明かす。死者が回想をしているわけではないし、観客に向かってナレーションとして語られるわけでもないのだ。
時空間もきわめて曖昧な中で、あたかも死者と生者が同じ世界にいるかのように描かれる。やがて語られる光男の終戦時の出来事。青年期を演じる光男とその恋人、いや想い人と言うべきか、綾野というヒロインが画面に並び、一礼をする。観客に向かって芝居は始まりを告げると、死後の光男がナレーターとして事件を語るのである。光男は誰に向かって回想をしているのだろう。そしてこの事件はいったい何時、起こっているのか?・・・それは特別な時間である。

爺ちゃんの恋物語の中で、綾野さんという美人の女性が出て来て、大学の同級生と綾野を同時に好きになり、結局、1945年に爺ちゃんが樺太に行った時に、日本は8月15日に終戦を迎えたのに、北海道では9月5日まで続いていたなんて、知らなかった。樺太を領土とするために旧ソ連軍が攻撃してきて、綾野を旧ソ連軍の兵士が暴行するところを鈴木光男が見つけて、その兵士を殺して綾野も殺してくれと懇願するので殺してしまったというのだが、その綾野に似た看護婦の清水信子が光男が描いていた裸婦像のモデルとなっているようだ。

綾野を演じた安達祐実の美しさと、常盤貴子の美しさが実によく似ているシーンが出て来る。光男は綾野の裸婦像を描きたかったのだが、死んでしまってから現れた信子に、綾野の姿を見つけて重ねて描いているようにもとれた。それと、綾野と信子が好きだった中原中也 の 「山羊の歌」の本と、 更にその中の 「夏の日の歌』」を巧みに引用しているのが印象的でした。

大林映画と言えば、音楽も重要です。最初から最後まで楽団がどんちゃかどんちゃかと、いかにも主人公の一生を祝っているような、49日までは冥途に行かないというから、せめてこの世に居る間でも楽団で賑やかに送ろうというのだろうか。
それに台詞が棒読みのように聞こえ、あれはそういう演出をわざとされているのか、そのおかげで普通よりも早いテンポの台詞でもよく聞き取れました。
気になったのが映像の中で、真っ赤な色彩が目立っているのだ。まずは、電気スタンド、光男が描いた裸婦像の身体に血のような線が、それに風景の道が赤く描かれ、大学教授の冬樹の靴下の赤、曾孫の赤いコートなど、たくさんの赤い色が目立っていた。それは想い人が流した赤い血の色かもしれない。

92歳で死んだお祖父ちゃんと、その下は、その孫の世代と曾孫まで出て来るのだけど、その間のお祖父ちゃんの息子、すなわち孫たちの親は誰も出てこないのだ。何故だかみんな、物語上は都合よく死んでいる。ちょうどそこの時代が団塊の世代に当たるわけで、戦争を語れない世代というわけなのだ。だからなのか、戦争を語るこの映画には出番がないということか。
なななのかとは、「四十九日」のことで、まだ現世で彷徨っていた死者たちが「なななのか」を終えると、決然とその行く先を定める日のことなのだ。しかしだ、亡くなった爺ちゃんだって、冒頭で死んじゃって、以降は登場しないのだろうに。死んだ爺ちゃんだって喋りたいだろうと、結果は出ずっぱりの主演という語り部になっていた。いやはや、長時間の上映に疲れも吹っ飛ぶような、凄まじい映画でした。
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ネブラスカ ふたつの心をつなぐ旅 ★★★

2014年02月28日 | な行の映画
『ファミリー・ツリー』などのアレクサンダー・ペインがメガホンを取り、頑固な父と息子が旅を通して家族の絆を取り戻す様子を描くロードムービー。大金が当選したという通知を信じる父とそれを怪しむ息子が、モンタナからネブラスカまで車で旅する途中に立ち寄った父の故郷で、父の意外な真実に遭遇しながらつながりを深めていく様子を映し出す。父と息子の役には、『帰郷』などのブルース・ダーンと『最凶家族計画』などのウィル・フォーテ。不器用だけれど憎めないキャラクターや、本作でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞したブルースの演技に魅了される。
あらすじ:100万ドルが当たったという通知を受け取ったウディ(ブルース・ダーン)。それはどう見てもインチキだったが、徒歩でもモンタナからネブラスカまで金を受け取ろうとするウディに息子のデイビッド(ウィル・フォーテ)が付き添うことに。こうして始まった父と息子の4州をまたぐ車での旅。途中、立ち寄った父の故郷で、デイビッドは父の意外な過去を知ることになる。

<感想>主人公のウディ役を演じたブルース・ダーンが、カンヌ国際映画祭男優賞を受賞した。作品自体も批評家に絶賛されているしで、今年のアカデミー賞にノミネートされている。内容が、常に老いを題材にしたコメディを撮り続けてきたアレクサンダー・ペインが遂にやってくれました。
今までの作品は、「アバウト・シュミット」(02)、「サイドウェイズ」(09)、「ファミリー・ツリー」(11)などですが、今回の映画はモノクロで、舞台は中西部のモンタナ州。息子のデイビッドが家電販売店で働いているのだがまだ独身で、疎遠だった父親が「貴殿に100万ドルを贈呈します」と書かれたネブラスカ州から送られてきたインチキの手紙を本気にして、そのお金を取りに歩いても行くといってきかないのだ。日本では「オレオレ詐欺」が多発したが、最近では、新手のお年より相手の詐欺事件が発生している。
頭がボケて、頑固で人の言うことなんて聞かない。仕方なく息子のデイビッドが仕事を休んでまで、父親と一緒にネブラスカまで1500キロに及ぶドライブへと出かける。きっと、これが最後の親孝行になるかもしれないと。この場合は、お金を騙し取られたということではない。

ロードムービーというと、車窓に映し出される景色が綺麗なんですが、景色はどちらかと言うと風光明媚というより、ひたすら荒涼とした大地を単調に走るだけ。長いロードムービーなので、途中で父親の故郷へと立ち寄っていく。
そこで、夜に徘徊とでもいうのか、一人で夜道を歩きまわり、部屋へ帰って来たと思ったら、電気もつけないので入口でツマヅキ、額を切ってしまい病院で縫ってしまうほどの怪我をする。本人はそんなに痛がらず、ケロッとしているのだ。息子の方がこのままネブラスカまで行った方がいいのか迷ってしまう。母親へ電話して相談すると、故郷のソーホーへ寄り道して弟の家を訪ねなさいと言う。自分も直ぐに後を追い、そこへ行くからというのだ。

爺さん、ボケているとはいえ、入歯を線路に落としたというのだ。息子は近所を探しているも見つからず、父親が絶対に線路だというので行くと本当に入歯が見つかった。
ところが、父親は昔から酒飲みで、店を見つけて勝手に入りビールを飲んでいるのだ。そこには父親と同年代くらいの男たちがたむろしていた。息子がトイレに入っている隙に、父親は宝くじに当たったと皆にいふらして、酒場にいた人たちは寄ってたかって何とかおこぼれに預かろうとするのだ。
それに、故郷の父親の弟もボケがきており、不況で息子たちは働かないで家にいてテレビを見ている。だから、ウディ爺さんが本当に宝くじで100万ドル獲得したと勘違いして、何とか分け前にありつこうと必死になって、あの手この手ですり寄って来る。

人間なんて本当に浅ましい。それに故郷の友達や親戚たちは、みんな老人ばかりでボケが入っているから始末が悪い。娘がローラ・ダーンだと言うのだが、とにかく77歳のブルース・ダーンがいい。セリフなんて何を言っているのか聞き取れないし、そのまま演技しているんだか地でいっているのか見分けが付かない。母役のジューン・スキップのお喋りには閉口してしまった。

みんな年を取ると、男は無口で何もすることないしボケるのが速いと来てる。女性の方は、口が達者でまだボケていないようなので、煩いくらいに指図をする。その両親を老人ホームへ入れないで面倒を見ている息子が偉い。いくら騙されているといっても信じない頑固親父。でも、そんな父親を見捨てないで最後まで世話をする親孝行の息子に頭が下がる。

最後に、息子が自分の車を売って父親が欲しがっていたトラックと、空気圧縮機を買って、車の名義を父親にして、故郷の町で運転もさせてやるという優しさが憎いですね。
コメディとなっているが、笑えないのだ。深刻なボケ老人たち、いずれは自分たちもこうなるであろうということを忘れてはならない。そのことを、しっかりと見せつけられた。
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7番房の奇跡 ★★★.5

2014年02月17日 | な行の映画
『王になった男』などのリュ・スンリョンが主人公を演じ、突然仲のいい父娘を襲う悲劇と、その後刑務所内で起きる思いがけない奇跡を描く感涙作。あらすじ:模擬国民参加裁判で、弁護側の女性(パク・シネ)は、ある幼女暴行殺人事件のえん罪を晴らすために立ち上がる。当時犯人とされ、死刑が確定したヨング(リュ・スンリョン)は、娘のイェスン(カル・ソウォン)と二人暮らし。彼はかわいい娘のために黄色いランドセルを買ってやろうとしていたが、ランドセルは売れてしまい……。

<感想>韓国映画歴代動員記録第3位をマークした感動作。知的障害を抱えながらも、無実の罪を着せられ服役することになった父親と、6歳のまな娘との深い絆が周りの人々の心まで変えていく過程を回想する。
本作でデビューした名子役カル・ソウォンが幼少時代の娘を演じ、そのかれんさで涙を誘う。あまりにも厳しい現実をユーモアと、優しさと愛情で包み込む物語に感極まります。
現実離れした設定の、催涙映画を見せられてはたまらないと思っていた。そうしたら、現在と過去の交錯も巧みに、主人公の娘や同房だった収監者、刑務所課長らの人生と、時間を実感させる演出に心地よく乗せられてしまった。

まさか“セーラームーン”のランドセルで号泣するとは思っても見なかった。殺人犯に間違われた知的障害者の父親と、良く出来た幼い娘の絆の物語、これは過去篇です。

ただし予想する通りにしか展開せず、かえってもどかしさが残る。娘が模擬裁判で、父親の冤罪を晴らそうとする現在の部分が効果的になっていない。よくよく考えてみれば、そうに決まっているからだ。観客はみな、彼の無実を知っているわけだから。
いくら父娘の無償の愛を描くにしても、話が乱暴で無茶すぎる。その乱暴な話を無理やりに美談に仕立てて、しかも、少女が父親に会うために忍び込む刑務所の、7番房の演出はコメディタッチであり、何やら取って付けたような気がした。
主人公の娘を刑務所内に出し入れするという奇想も、外部が娘に無関心でなければ成立しないので無理があると思うのですが、演出に節度があるようなので観てはいられます。
ズサンな警察、甘い刑務所、涙や奇跡よりも唖然としてしまう父娘もの。このように頻繁に行き来してプレゼントも不自由なく渡せる環境では、クライマックスに泣き場を用意したところで効果が薄れてしまっているような感じがした。まぁ、それでも感動作品としては、囚人や看守との交流と共に活写した韓国の定番でもある、泣かせ映画の力作であります。
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ニシノユキヒコの恋と冒険 ★★

2014年02月11日 | な行の映画
真実の愛を求め恋愛遍歴を重ねる男ニシノユキヒコの生きざまを描く、芥川賞作家・川上弘美の連作短編集を映画化したラブストーリー。美男で仕事も順調、女性の扱いもうまい究極のモテ男だが、必ず相手から別れを告げられる主人公を竹野内豊が切なく演じる。メガホンを取るのは、『人のセックスを笑うな』が好評だった井口奈己。ニシノを取り巻く女性たちには尾野真千子、成海璃子、木村文乃、麻生久美子、阿川佐和子ほか豪華女優陣が出演している。

<感想>抜群のルックスと形容しがたい魅力を併せ持ったモテ男、ニシノユキヒコの女性遍歴を綴った恋愛映画だということで、その主人公に竹野内豊さんが演じており、大ファンでもないがこの俳優さんの声がたまらなく好きです。こんな声で口説かれたらって、思い描いてしまいます。
この主人公のニシノユキヒコは、とにかく女性に対して優しいが見返りや快楽は求めない。近づいてくる女性には無私の精神で優しく接し、後に去りゆく彼女に辛い想いをさせるような執着は絶対に見せない男として描かれています。

しかしですよ、この男の行動だけ見ていると、その本質はまったく理解できません。つまり、彼は空っぽなんですよ。ただ女の子たちに奉仕しているだけ。これって、体の良い言い訳でしかない。男は女を誘惑して、肉体関係を持ち飽きてしまい次の女に惚れる。でも別れを自分からは切りださない優柔不断な男でもある。
誰からも嫌悪感を持たれないルックスでありながら、それでいてそのことについては自意識が希薄なわけ。そういう意味では、竹野内豊さんがハマリ役ですね。
でもね、確かにこの映画の主人公の役にぴったりとハマっているんですが、でも何か物足りなさを感じてしまった。

冒頭のシーンで、人妻と関係を持ち、一緒に付いてきた女の子、ミナミが高校生になった時に目の前に急に風が吹いてきて、幽霊として現れるのがニシノユキヒコなんです。
その前に、松葉つえをついた女性が彼を見つけ、手を上げて名前を呼び、気が付いて車の往来が凄いのに、脇目も振らずに通りの向かいにいる女性まっしぐらに、トラックに撥ねられて死んでしまうわけ。そして幽霊となって、何故だかミナミちゃんのところへ姿を現すんですね。

それから、二人は葬儀会場のニシノユキヒコの実家、豪邸へと行くと、そこで喪服を着た女性阿川佐和子と出会うわけ。その中年のおばさんから、彼の女性遍歴をあれこれと回想劇で聞かされて、映画はその女性遍歴を映し出していきます。その葬儀会場の庭で楽団が演奏しているのですが、とにかく耳障りで下手な演奏聞かせるなと、ニシノユキヒコが素敵なプレイボーイだったのに、下手な楽隊の演奏で興ざめしてしまいました。

回想劇の物語は、一応彼は会社務めしていて、その会社の上司である尾野真千子に優しくして恋愛関係になり、そこへ前に付きあっていた女性の本田翼が、別れたのにしつこくまたもや纏わりついて、元のさやに戻りたいらしく、温泉へ2人で行くんですよ。このシーンはイライラしてハッキリと断ればいいのに、と思ってしまうのに、のらりくらりと彼女が諦めるまで自分からは断りません。

それに、尾野真千子との関係も、社内で昼休みにいちゃいちゃするのはどうか思います。それに、お泊りしないと判ると急に「僕、寂しいな、結婚しようよ」なんて甘えて、どうみても結婚しても浮気はするなぁ、という感じが見え見えでした。こんな男は、結婚には向かない、遊び上手で適当に関係持って、後はポイと別れる。
マンションの隣の部屋のレズらしき成海璃子と木村文乃。始めは成海璃子が猫を探しにやってきて、そのままいつもズルズルといついてしまう。だから、成海璃子が大好きな木村文乃は、ユキヒコにヤキモチを焼き彼女を盗られてしまうんじゃないかと、ユキヒコに対して敵対視している。

でも、成海璃子が酒を飲み過ぎて連れて帰ると、その時に何故か二人は男女の関係になってしまう。これは不思議なことで、木村文乃はレズじゃなかったのか、両党つかいなのか、なんてね。ただ、男にモテなかっただけなのか?・・・理解不能です。

そんな女性遍歴をあれこれ聞いている内に、火葬場へ行く時間が来て阿川佐和子叔母さんが行くというのです。ミナミちゃんは、学校さぼって来てたし、そこへ母親とばったり出くわし、この母娘は一緒に住んでいなくて、ミナミちゃんは父親と暮らしていたんですね。母親は夫と別れ娘を残して、再婚先の男の所へいったようです。
死んだ人の悪口って、あまり言いたくないし、楽しい思い出ばかり甦って来て捨てられてもいい人だったって思いたいじゃない。そういうもんですよ。
原作は読んでいないんですが、お姉さんとのことが省かれているそうで、ユキヒコがどうしてそういう男になったかという鍵がその編にあるそうです。
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ニューヨーク、恋人たちの2日間 ★★.5

2013年09月29日 | な行の映画
女優のみならず多彩に活躍するジュリー・デルピーがメガホンを取ったロマンチックコメディー『パリ、恋人たちの2日間』の続編。ニューヨークで新しい恋人と暮らすヒロインのもとに、フランスから彼女の家族がやって来たことで巻き起こるトラブル続きの2日間を描く。新恋人役には『リーサル・ウェポン4』などで有名な人気コメディアンのクリス・ロックがふんするほか、ジュリーの実父アルベール・デルピー、前作に続きダニエル・ブリュールらが共演する。
<感想>ジュリー・デルピー自身が主演も務める長編監督の第4作にして、初監督となった「パリ、恋人たちの2日間」の続編です。27日で終わりというので、つい観てしまった。

物語は、デルピー演じるNY在住の写真家マリオンは、前作の恋人ジャック(アダム・ゴールドバーグ)と別れ、産まれた息子を引き取りシングルマザーになっている。一作ごとに街を替えて男女のリアルな姿を継続的に描く、という映画の形は、何だかウディ・アレンっぽさへと寄っているようだ。それはデルピーがNY大学の映画・脚本科で学んだことも想起される。
それは、映画術と人間力を両方感じるからなのだ。例えば冒頭からまもなく、メガネをかけたジュリー・デルピーが半泣き気味で愚痴をまくし立てる。「私はもうすぐ38歳、デブだし性格も最悪。しかも子持ちで失禁症なの。」と、まるでウディ・アレンの口調を真似するダイアン・キートンといった風情だが、と同時に日本のアラフォー女芸人みたいな、自虐系の下ネタトークに見える。でも笑ってしまった。

その意味でも彼女は下ネタ大好き!・・・という衝撃の事実は、ファンとしては嬉しいようなそんな気持ちにさせる。今回は新しい恋人役として「恋愛だけじゃダメかしら?」「9デイズ」のクリス・ロックが演じて、本作で演じるラジオDJのミンガスは、基本クールなニューヨーカーで、過激なマシンガントークが売りのロックなのに、やけにおとなしいのだ。
だから、“おしゃべりクソ野郎”な饒舌を炸裂させるのは、ジュリー演じるマリオン、そしてフランスから押しかけてきた彼女の身内の、お騒がせなパリジャン&パリジェンヌの方なのである。
本作では英語とフランス語が入り乱れつつ、野蛮で牧歌的なパリ組の“田舎者ぶり”が強調されていく。象徴的なのは、妹のローズ役のアレクシア・ランドーの恋人で、マリオンの元カレでもあるマニュ(アレックス・ナオン/共同脚本も兼任)だろう。

彼は初対面のミンガスに向かって「ソルト&ペッパーは好きか?」と訊ねる。80年代に流行った三人組の女性ラップグループなのだが(私も知らなんだ)、古すぎてミンガスにはピンとこない。「つうは、ソルトンペッパーと呼ぶんだ」と粋がるマニュだが、ミンガスは一瞬絶句しつつも「ヒットしたのは20年前だ」と反撃。
さらに、マニュは宿泊させてもらっているアパートに、売人を呼んでマリファナを買い、ローズとエレベーターで分け合うなど、もうやりたい放題。ダメ押しとしてパリ組御一行様に、ミンガスは彼の信奏するオバマ大統領を大事な場面でコケにされ、ついに限界突破!そりゃキレるの無理ないよ。

MCを務めるラジオ番組で「昔はフランス人と言えば、ゴダール、ルノワール、シュルレアリスト、でも今は電動歯ブラシで変態セックスする連中だ」と絶叫する。
そしてもう一つは、家族。これは自身の少女時代をモデルにした「スカイラブ」もしかり、おそらくデルピーの最も大切なモチーフだろう。今回も彼女の作品でお馴染みとなりつつあるファニーな実父、アルベール・デルピーが登場。

ミンガスから「サイコ・ビッチ(イカレ女)」と言われるマリオン/デルピーだが、自由奔放でクレイジーな父親の姿に、ここに私のルーツがあるの、と誇らしげ風なのも最高。このフランス人たちに囲まれると、黒人DJ夫が一番まともに見える可笑しさ。
これだけダレ場なしで、2日間の珍騒動を語りつつ、終盤には某アーティスト(ヴィンセント・ギャロ)がカメオ出演するというオマケまで付いている。それに、マリオンとそのパートナーの間に赤ちゃんが出来てました、よかったね。おめでとう」という呆気に取られるオチに驚かされる。
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夏の終り ★★★

2013年09月20日 | な行の映画
作家の瀬戸内寂聴が出家前の瀬戸内晴美時代に発表した小説で、自身の経験をもとに年上の男と年下の男との三角関係に苦悩する女性の姿を描いた「夏の終り」を、鬼才・熊切和嘉監督が映画化。妻子ある年上の作家・慎吾と長年一緒に暮らしている知子。慎吾は妻と知子との間を行き来していたが、知子自身はその生活に満足していた。しかし、そんなある日、かつて知子が夫や子どもを捨てて駆け落ちした青年・涼太が姿を現したことから、知子の生活は微妙に狂い始める。知子は慎吾との生活を続けながらも、再び涼太と関係をもってしまい……。主人公・知子役に満島ひかり。慎吾役はベテランの小林薫、涼太役に注目の若手・綾野剛が扮する。
<感想>決して器用な女優とは言えない満島ひかりの、彼女の女優としての輝かしいキュートな女を全開のメロドラマになっていた。原作の知子は30代後半という設定からすると、他の女優さんなら、例えば寺島しのぶさんとか、鈴木京香さん、そうそう、「さよなら渓谷」の真木よう子さんなんかが演じたら違った女性像に仕上がってたかもしれないですね。
決して彼女の演技が嫌いというわけではないのですが、まだ若いので。
主人公の知子は、後先のことよりも、いまや感情や欲望に流されて生きる不器用な女。しかも、このヒロイン、基本は受け身で、妻子ある作家と8年間も暮らしながら、「何もかもダメなのよ、何とかしてよ」と、元カレの涼太に泣きつくのだ。
冒頭での夫と娘と一緒に、地方から東京へ移住しようというシーンで、突然「私、好きな男がいるの」と、今の結婚生活から逃げ出す奔放な女、女の性・業を表しているようだ。

だからなのか、女性映画たらしめるヒロインの周りの男たちの、存在感が薄く、「ノン子36歳(家事手伝い)」(08)の熊切和嘉監督と満島ひかりが組んでいるのに、エロティックなシーンも描かれず、その匂いもしないのが不満である。喜怒哀楽を器用に繰り出す満島ひかりに、彼女だけがこの時代を生きているように見えてしまう。コロッケや、ビスケットを手早く選り分けて、口元に運ぶ動作、受話器を持つ時の手の使い方など、そして、桃の果汁をしたたり落ちながら頬ばる彼女の美味しそうに食べる仕草など。手に代表される彼女の動きが映画の中で目に焼き付き、これは女性映画なのだと。

慎吾を演じた小林薫は、情けない感じの男を演じているように見え、台詞も少なくただ「うん」とか「ううん」の返事ぐらいのうやむやの反応を示す、凄くずるいのに憎めない人を演じていたと思う。愛人の家で、雑巾がけをする廊下の狭さや、玄関口から小説を書く机のある部屋、ロケセットの限界を見て、昭和の家の間口を狭さを感じた。
知子と慎吾の奥さんが電話で話すシーンがあって、奥さんの気配しか感じられず、どうしても奥さんの顔が見たくて自宅まで着物で正装して出かけたのに、留守で家の中へ入り綺麗に掃除されており、座敷にはミシンがあり本妻の存在感だけがずっしりと知子の心に重くのしかかる。そこはゾクゾクするシーンでした。この物語の中の男は、みんな女々しく見えた。

そして、年下の青年・涼太の部屋へずぶ濡れになりながら会いにいく知子。そんな彼女を愛する男、涼太も同じく二人の男の間を掛け持ちする知子を受け入れ、はっきりとしない優柔不断な男を演じている綾野剛も優男である。
出家以降、偉そうにお説教をする瀬戸内寂聴が苦手な私としては、その若き日を描いたこの映画の原作も読んではいないが苦手である。だが、満島ひかりが演じたことで、昭和の女という時代性が際立っているようで、そこが面白いと思った。
だが、映画は語り口が斬新で、映画は進歩するというから、平気で時間を前後逆転させたり、人物の背後だけストップモーションにしたりと。でも知子の気持ちで繋いでいるので混乱はしない。
それが最も効果的なのが、ラストのシチュエーションで、二つの歴史時間の小田原駅前が一緒に出て来るシーン。美術も凝ってますよね。
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25年目の弦楽四重奏 ★★★★

2013年09月09日 | な行の映画
結成25周年を迎えた弦楽四重奏団のチェリストが難病を患い引退宣言したことで、残された楽団員の関係に不協和音が生じていく人間ドラマ。狂っていく音程の中で演奏するルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの名曲、弦楽四重奏曲第14番に着想を得て、個々のエゴや嫉妬など、長い人生の過程で生じてくるさまざまなひずみに直面したメンバーの葛藤を描く。オスカー俳優のフィリップ・シーモア・ホフマンとクリストファー・ウォーケン、キャサリン・キーナーら実力派キャストによる演技合戦は圧巻。

<感想>制作・脚本・監督のヤーロン・ジルバーマンは、本作の前に長編ドキュメンタリーを監督しているが、これは劇映画第1作目になるらしい。しっかりとした演出ぶりである。高名な弦楽四重奏の危機を、フィリップ・シーモア・ホフマンら4人の名優たちがNYを舞台に格調高く描いている。
クリストファー・ウォーケンがチェリストのピーターを演じるという、それだけで観に行った私なんですが、なぜか豪華キャストと豪華スタッフが集結。設定も興味深く、がぜん期待は高まるが、優秀な教師でもあるピーターがクラスで学生に語る巨匠カザルスとの思い出は必聴です。エリオットの詩も印象深く、久々の教養映画とも言えるでしょうか。

それに、弦楽四重奏団のいわば“要”役であるチェロ奏者のクリストファー・ウォーケンは、この映画の中でも登場人物たちをまとめる父親的存在感を放っているのである。華麗なスポットを浴び、主旋律を奏でる第1のヴァイオリン奏者のダニエルに、マーク・イヴァニールが、彼を引き立て正確なリズムを刻む第2ヴァイオリン奏者ロバートには、フィリップ・シーモア・ホフマン。ロバートの妻であり曲全体に繊細な陰影を与えるヴィオラ奏者ジュリエットっを演じるのはキャサリン・キーナー。

中でも、カリスマ的役柄の得意なフィリップ・シーモア・ホフマンが、チェリストのピーターが引退をすると言うことで、ダニエルと交替で第1ヴァイオリンを弾きたいと言い出す。ロバートは2番手のヴァイオリニストだが、1番のソロに合わせて“あうん”の呼吸で演奏する方が難しいのではと思ったのだが。
かつては学生時代に、妻ジュリエットの恋人であったダニエルの才能に、ロバートは複雑な思いを抱いているらしい。それに、愛する妻のジュリエットがいるのに、フラメンコダンサーとの浮気のベットシーンに驚く。

そして、ダニエルは未だに独身を貫く芸術至上主義者だ。だが、少々魔がさしたように、彼に憧れる若く才能あるアレクサンドラとの愛にのめり込んでいく。だが、アレクサンドラはロバートとジュリエットの娘である。

完璧主義者にあるまじき愚かな行動?・・・しかし、人間とはそうしたものなのである。世の常のごとく、人間とは失敗から学んでゆくものだから。それぞれ超一流の演奏者である彼らは、世の常識からみるなら自己愛に取り憑かれた、どこか不完全な人物たちであろう。
そして何よりも驚いたのは、最後に登場するチェリスト、ニナ・リーの存在感。彼女の演奏する姿は、アスリートより躍動する筋肉に本物を知った思いです。

パーキンソン病を宣告され、今季限りの引退を決心した四重奏団「フーガ」のチェロ奏者ピーターは、25年間の活動をしめくくる最後のステージに驚くべきフィナーレを用意していたのです。それはベートーベンが死の前日に作曲した「弦楽四重奏曲第14番」の演奏において、いわばタブーとでもいうべきショッキングな行為だったのですね。
この曲は、楽章の間に休みを入れずに演奏するという画期的な曲で、休みなく40分間も演奏を続けると楽器の音程がバラバラに狂っていき、演奏家たちは演奏を止めてチューニングし直すべきか、調弦が狂ったままで最後まで続けるのかの判断に迫られる。その様子はそのまま人生にも当てはめることができ、「長きに渡って緊張感を伴う人間関係にも、微調整が必要なのではないか?」という、まるで合わせ鏡にしたような人間ドラマ、とでも言ったらいいだろうか。出演者がみな巧いので、その葛藤を含めたアンサンブルは、見応え十分でした。

つまり、ピーターは途切れることなく演奏するという約束事を破って、途中で演奏を中断し、彼の後継者として若く美しいチェロ奏者ニナ・リー(この映画の演奏を担当しているブレンターノ弦楽四重奏団のチェリストである)を舞台に迎えいれたのです。ショッキングで、しかも感動的な終幕に唖然としました。
さらにクラシック音楽ファンであれば、そうでない人の100倍楽しめるのは間違いない。ラストの新結成の「フーガ」は、まるで憑き物でも落ちたかのように、かつて試みたことのない暗譜演奏をもってピーターを送るシーンに感無量。
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日本の悲劇 ★★★★

2013年09月03日 | な行の映画
『バッシング』などの小林政広監督が、余命3か月の父親とその父の年金を頼りに生活するうつ病の息子の悲劇を描く社会派ドラマ。ガンと診断され封鎖した自室にこもった父の息子への思い、何もできずに過ぎ行く日を暮らす息子の様子をつづる。小林監督作『春との旅』にも主演した日本屈指の名優、仲代達矢が父親を熱演。息子役の北村一輝のほか、大森暁美と寺島しのぶが共演する。現代の問題点をえぐり出す小林監督の鋭い着眼点と物語、キャスト陣の渾身(こんしん)の演技に圧倒される。
<感想>9月2日、仙台のミニシアターにて先行上映。はるばる監督の小林政広さんが来場されて、映画が始まる前と最後にお話しを聞かせて頂きました。作品の内容は、小林監督はまず、オリジナル脚本の基となった、2010年に東京・足立区で起きた“111歳男性”の死亡届が提出されず、娘(当時81歳)と孫(同53歳)が年金を受給していたため詐欺の疑いで逮捕されたことをきっかけに、同様の事件が多数発覚したことを説明。

内容は、妻を亡くし、自分も肺がんで余命3カ月と宣告された不二男が、病院から帰った翌日、妻の骨壺が置いてある座敷の扉や窓に釘を打って、自分の部屋を封鎖する。そして、このまま何も食べずにミイラになると一人息子の義男に宣言する。義男は必死に説得を試みるが、父親は頑として意志を曲げようとはしない。
もしも、息子が扉をこじ開けて入ってきたら、自分の喉をノミで刺して死ぬというのだ。不二男は自分の死を1年隠しとおして年金を受け取り、生活費に当てろと息子に言う。
義男は会社をリストラされて、精神的に追い詰められ死のうと何回も手首を切ろうとしたが死にきれずに鬱病を患い精神病院へ入院した。そのことを、妻にも知らせずに。妻は1カ月もの間、夫の消息を訪ねてとうとう諦めて実家へ帰って、離婚届を持って不二男夫婦のもとを訪れたのだ。

父親が死を覚悟して部屋に閉じこもる前のシーンは、飲んだくれのいわゆる亭主関白で、妻にも暴言を吐き頑固で、仕事は大工をしていたようだが、老後は朝から晩まで酒びたりの毎日。そこへ、一人息子が帰って来て、職を探しに行くわけでもなく、母親がスーパーマーケットで倒れ、その後病院生活で死亡。父と息子が二人して毎日酒を飲む生活が続き、とうとう父親が血を吐き肺ガンで入院。それでも息子は職探しなどせず、父親の年金で生活をしていたのだ。偉そうに父に向かって「たったの6万円で1カ月生活してるんだよ」と、その支給された金は誰のものなのか?・・・長年苦労して稼いだお国からの年金。
退院した後、父親は息子のフリーター暮らしを見て、妻子にも捨てられて現在無職の義男が、その父親の言葉と、気持ちをどう受け止めるかが描かれる。出演者は仲代達矢ほか、北村一輝、寺島しのぶ、大森暁美の4人。

無縁社会となりつつある現代日本の、現状にスポットを当てたこの作品では、固定カメラが置かれて、だからなのか仲代さんが後ろ向きに台所のテーブルに座っている背中が気になりました。監督は、それは不二男の回想シーンだからと、すべては不二男の回想なのでと、部屋に閉じこもった不二男が電話の音で、懐かしい妻との生活の回想シーンが何度も映し出されます。それに、何度もカットの間の暗転部分が長く、真っ暗なスクリーンを見つめて今度はどんなシーンが出て来るのかと。

まず主人公の村井不二男を演じた、80歳になる仲代達矢さんの存在感に感無量の思いで観ました。モノクロ映像による家族の明暗を浮き彫りにして、一人息子が結婚をして
孫が生まれて、実家へ帰ってくるシーンだけがカラーで映されていました。
音楽もなしで、歩く下駄の音や雨の降る音、扉を開け閉めの音とか、電話の呼び出し音が実に主人公の昔の楽しかった家族の光景を想いだす場面、または息子が嫁のとも子からの電話だと気づいて、しかし電話の相手は無言である。そんな音響効果が醸し出す、父と息子の会話劇にも悲痛な叫びとなって聞こえてくる。

義男が父親の部屋の前で、「お父さん、お父さんやめてくれよ」と叫び声が切なくて、父親は、毎朝一度だけ、声をかけてくれればそれでいいと言いうのですが、義男は何度も夕飯できたよとか、父親の生きている声を確かめたくて叫ぶのです。最後は、背広を着て、これから会社の面接に行ってくると、父親に声をかけて玄関から出て行きます。もう、父親の声は聞こえてきません。
思うに、とても観ていて辛くなる映画です。父親にしてみれば、一人息子が鬱病になり、仕事もせず父の年金で生活しているのが許せないと思うのです。だから、部屋に閉じこもって、ミイラになると頑固に言い張るわけで、こんな父親の性格は、息子なら前から知っていたはずです。実家に帰って来ても、すぐに仕事を探し、アルバイトでも何でもしてお金を稼いで、両親を養うくらいの頑張りを見せてあげるべきなのでは。
未だに親に甘えて、何か辛いことがあると実家の親を頼りにして、不甲斐ない子供たち。実家にいれば何とか暮らしていけるという甘えが、それは親の躾けとか教育も悪いのだが、私らの世代(戦後生まれ)では、まだまだ日本経済も貧しく、家長が家を継ぎ親の面倒を見るのは当たり前。誰を責めるでもなしに、観ていて自然と怒りと涙がこぼれ落ちました。
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嘆きのピエタ ★★★★

2013年08月24日 | な行の映画
独創的な作風で世界中から注目を浴びる韓国の鬼才キム・ギドク監督による、第69回ベネチア国際映画祭金獅子賞に輝いた問題作。昔ながらの町工場が並ぶソウルの清渓川周辺を舞台に、天涯孤独に生きてきた借金取りの男の前に突如母親と名乗る女性が現われ、生まれて初めて母の愛を知った男の運命を描き出す。主演はテレビドラマ「愛してる、泣かないで」のイ・ジョンジンと、ベテラン女優チョ・ミンス。二人の気迫に満ちた演技と、観る者の予想を超えたストーリー展開に圧倒される。
あらすじ:身寄りもなく、ずっと一人で生きてきたイ・ガンド(イ・ジョンジン)は、極悪非道な借金取り立て屋として債務者たちから恐れられていた。そんな彼の前に母親だと名乗る女性(チョ・ミンス)が突如現われ、当初は疑念を抱くガンドだったが、女性から注がれる愛情に次第に心を開いていく。生まれて初めて母の愛を知った彼が取り立て屋から足を洗おうとした矢先、女性の行方がわからなくなってしまい……。

<感想>この映画もだいぶ前に鑑賞したもの。思い出しながら書いてます。内容は、以前に鑑賞した「息もできない」の残酷な方法で肉体的痛みを与え、債権者から借金を回収することで生計を立てているガンドという男が主役です。彼は、暴力を振るうのになんの感情も持たず仕事として遂行してきたが、ある日、30年前に自分を捨てた母親だと名乗る女が現れ、執拗に追い掛け回されるようになる。
残虐な機械のような若者と、その母親を名乗る女性との心理的衝突を描く前半部分には、胸がつぶれるような思いにさせられる。

だが、若者に人間的な心が芽生えるあたりから、彼の動揺を反映するかのごとく、演出モードがズレ始め、観る側もかまえて鑑賞モードを模索することになります。
やがて死せるキリストを抱くマリアにあたる人物が、この映画に複数存在することが明らかとなるころ、母親的なものは、無償の愛などといった美しい言葉には回収され得ない、不気味なものとして立ち現れ、ガンドに復讐の矛先を向けてくる。
この作品は人間を理解する過程を描いたもので、キリスト教的な映画とも取れる内容で、人生を理解する過程つまり生から死までの人間の軌跡を追ったものと言えるでしょう。

そして、自殺です。この作品の中ではたびたび描かれますが、しかし、ガンドはなぜ自殺をせねばならなかったのか?・・・彼は仕事に忠実であっただけで、悪いのは彼ではなくその仕事だったのではないでしょうか?
ガンドは、仕事を選べない状況にあったわけで、それでも自分の行為に恥をしらないでいたことは、許されないと思ったのでしょうね。ガンドは、母親だと信じていた女性が、実は母親ではなかったことを知ると同時に、その女性が息子の復讐のために自分に近づいて来たのだということを知り、初めて深い罪悪感に陥ります。

しかし、人間であれ動物であれ、生きるためには他者の血を必要とするわけで、この映画の中でも殺された動物がかなり出てきますが、動物がそうであるように、人間も時に他人の血や自分の血を犠牲にしなければならない。
ガンドも生きるために、ニワトリやウサギを殺してしまう。その行為はガンドの性格を表現するために、動物をあんなふうに殺してしまうガンドは、同じように機械で人間を傷つけてしまう。彼にとって動物を殺すことと、人間を傷つけることは、殆ど同じ行為なんですね。

ですが、突然現れた女が母親であることを受け入れる前には、生きた魚を捌きますが、母親を受け入れた後では、すでに誰かが捌いた魚を持ってくる。この違いは、ガンドの変化を意味していて、彼は母親の力によって人間性を回復したということなのですね。
それとともに、今まで信じていたものがガタガタと崩れ、彼自身の魂も死んでしまうのです。ラストシーンの衝撃なトラックに引きずられるガンドの自殺行為は、監督の意図とすることで、残酷な描写ではありますが、きっとガンドのような人間を生んでしまったこの世の中とは、どういうところなのか。それを観客へのメッセージと捉えてもいいでしょう。
それにしても、あらゆる映画が、金、金、金の世界は間違っていると語っているようだ。キム・ギドクの作品にみなぎる暴力性には馴染めないが、この作品の“母親”の存在は大変興味深く感じました。
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