ぶらぶら人生

心の呟き

カフェ「すいれん」にて

2006-12-17 | 旅日記
 いつかあの喫茶室に入ってみたいと思っていた。
 それが、国立西洋美術館内にあるカフェ「すいれん」である。

 前日友だちと行った「韻松亭」同様、ここにも順番待ちの客が、入り口近くの長椅子にかけて待っていた。しかし、その人数は知れているし、この日(6日)は、ひとりなので、行動に自由がある。予約だけして待った。

 暫時待って案内され、席に落ち着いた。
 正面に、ケヤキらしい大樹が見える。(写真・ガラス越しに撮った庭の眺め)
 私のようなひとり客も結構いるが、どちらかといえば二人連れ、三人連れが多い。したがって、室内には囁きが、さわさわと漣のように流れている。が、それが一向に気にならない。騒音というより、やや人工的なバックミュージックのように聞こえる。
 音というのは不思議なものだ。聞く場所によって、騒音が騒音でなくなるのだから。

 コーヒーとケーキがおいしかった。
 ダリ展を観た後だったので、上野の森美術館で求めた本、『ダリ』(ジャン=ルイ・ガイユマン著)を開いて、しばらく読みふけった。
 都会でしか味わえない、こうした時間の過ごし方が、私の気性には妙に合っている。

 ついでにブリューゲルの絵を観てこようと、階段を下りていった。
 国立西洋美術館では、『ベルギー王立美術館展』を開催していたので。
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友だちと六義園へ

2006-12-17 | 旅日記

 東京には、幾人かの知人、友人がいる。
 儀礼の意味もこめて、上京の折にはぜひ知らせてほしいと、賀状や暑中見舞いに記してある。が、ひとり旅の好きな私は、事前に知らせることはしない。
 ただ一人だけ例外がある。4歳先輩の女性は、こまめにメールをよこす人で、私の上京の日をごまかすわけにゆかないのだ。
 そこで、在京中の一日は、彼女と行を共にすることにしている。
 互いに文学好きという共通点があり、長年付き合っている友人である。

 メールで会う日を約束する前に、パソコンの不具合が生じ、仕方なく電話で日時と場所を打ち合わせておいた。私はそれで、すべて大丈夫と思っていたのに、無事に着いたかどうかを案じた友人は、到着の日の夜、ホテルに電話をかけてきた。
 <墓参の後、六義園で紅葉を見、上野の「韻松亭」で昼食をとり、午後は美術館に出向くというスケジュールでは如何?> とのこと、同意した。

 東京に長年在住の友人も、六義園は初めてだという。
 今は紅葉が見ごろであった。ここの紅葉も、例年より遅れているのだろう。
 帰郷の朝、ホテルで見た朝日新聞に、六義園のライトアップは、7日までの予定であったが、さらに一週間延ばすという記事が、写真入りで出ていた。
 イロハ紅葉というのだろうか、極小の愛らしい葉の紅葉が多い。小さいだけ、一木に密集した葉の数が多く、実に見事である。
 庭園の広さにも驚いた。

 入場券の裏には、園について、以下のように記してある。
 <この庭園は、元禄15年(1702年)川越藩主柳沢吉保が自ら設計指揮して完成した回遊式築山泉水庭園であります。園は保吉の文学的教養により作庭され、園名は古今和歌集の序文に見える六義にちなみ命名され、園内八十八箇所の名勝と共に元禄時代を代表する和歌趣味豊かな大名庭であります。……(以下略)>

 「六義(りくぎ)」とは、中国の詩の分類法とのこと。古今和歌集の序ではそれにならい、和歌を六体(そえ歌、かぞえ歌、なぞらえ歌、たとえ歌、ただごと歌、いわい歌)に分類したという。「六義園」とは、そうした由来に基づく由緒ある名庭園らしい。

 ゆったりと、園内を歩く人の数は多い。しかし、お庭が広いせいか、全く気にならない。都心から遠からぬところに、こんな良いお庭があることに感心する。作庭から200余年を閲し、ものみな、歳月を重ねたもののみが持つ趣があるし、ここには、時間が止まってしまったような長閑さもある。
 今は紅葉の季節だが、樹木の種類が多く、四季折々、花を楽しめるようだ。幾度訪れてもよさそうなお庭であった。

 食事は、上野の「韻松亭」へ。創業が明治8年という、ここも由緒ある食事処である。横山大観がオーナーだった時期もあるのだとか。
 順番待ちの人が列をなしていた。名前だけ登録して、コーヒーを飲みに行ってきた。順番をはずされては困るので、適当な時間に引き返したが、さらに待たされ、優に二時間以上は待った理屈だ。
 しかし、待った甲斐があった。通された部屋に落ち着くと、庭を眺めながらの食事である。味の十分吟味された、私好みの和風料理をいただくことができたし、考えてみると、おしゃべりをしているうちに時間はわけなく過ぎていて、不満の募るいとまはなかった。
 
 私は、「大エルミタージュ展」よりは、「ダリ展」の方が希望だったが、友人がダリは嫌いだというので、東京都美術館へ出向いた。
 5時が閉館なので、忙しく見て回った。
 友人は途中で突如、「私、大歳克衛の絵が好きなのよね」と言った。
 私はその画家を知らなかった。名前を聞いても、その人の名前に漢字を当てることもできなかった。
 友人は、その姓と名の漢字を教えてくれた。
 その人の絵はすばらしいと、彼女は力説した。
 追い立てられるようにして、美術館を出ると、外はとっぷり暮れていた。
 まだ満腹感があったので夕食を一緒にすることはやめ、またの機会を約束して、東京駅で、友人と別れた。

 <余禄>
 帰宅後、大歳克衛という画家のことが気になり、インターネットで調べてみた。3枚の絵を見ることはできたが、それだけでは画風が分からなかった。
 1929年生まれの広島県の画家ということも分かった。
 友人がその人の絵を欲しがっていたので、インターネットを見ることを、メールで勧めた。
 一昨日、共通の知人・N氏から年賀欠礼の葉書が届いたこと、夫人の訃報を知って、寂しい思いであることも書き添えた。

 友人からは折り返しメールが届き、インターネットの検索は思いつかなかったこと、大歳克衛のアトリエには、いずれ訪ねてみたいことなどが記してあった。
 元気そうだったN氏夫人の、60歳代での死に驚いたことを記し、その後に次の文面が付け加えられていた。
 「今日も水泳に行ってきたし、私は当分死なないと思いますけど。でも命のことは分かりませんね」と。
 友人は、数年前にガンの手術をしているし、4歳年上でもある。それでも私よりは心身ともに強健である。
 どこからあの自信は生じてくるのだろう? 念じればそうなるというのであれば、私もあと5年くらいは大丈夫だと信じたい。そして、5年後にも、パソコンに向かって駄文を弄していたいとは思うのだけれど、やはり自信がない。
 先日来、今まで自信のあった胃が、折にシクシクいっている。すると、妙なもので、自信のなかった腸は、泰然自若として何事もなかったかのように落ち着いている。
 やはり、大事なことは、気の持ちようかもしれない?

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