ぶらぶら人生

心の呟き

お年を召したミーちゃん

2006-12-25 | 身辺雑記
 ミーちゃんの姿を見かけると、ほっとする。
 相当な高齢らしいので、しばらく姿がないと、あるいは、と心配してしまうのだ。
 今年の夏を越せないのではないかと、飼い主のMさんは案じたと話しておられた。猛暑に参っていたらしい。
 数年前までは、遠出をして、九号線の方から帰ってくる姿を見かけることも、よくあった。
 今はずいぶん生活圏が狭くなっているようだ。
 私の家の玄関や裏庭に来ていることが、去年までは珍しくなかったが、今はそれも少なくなった。町道をはさんだ向かいの家から、歩いてくるのさえ億劫になったのかもしれない。

 先日、冬日和の日、窓越しに外を眺めていると、珍しく、家の犬走りに横たわっているミーちゃんの姿が、視野に入ってきた。
 わざわざ外に出て行って、声をかけた。
 ミーちゃんは、ちょっとだけ親愛の情を示したが、立ち上がると、のそのそ自宅の方へ帰っていった。
 猫の種類は知らないが、昔は毛並みのいい猫だった。
 老い猫となった今は、しょぼしょぼとして、少し哀れである。(写真)
 横たわっている姿には、量感もなくなり、小さな塊になった。
 何を思って老いの日を過ごしているのやら?

 ミーちゃんと私と、どちらの寿命が長いのかは誰にも分からないが、老い姿は、ミーちゃんの方が少し上かな? などと思いながら、去りゆく姿を眺めた。

 二年前、庭の砂利を変えてもらって以来、庭をトイレと間違える猫がいる。ミーちゃんを始め、近所にかなりの猫がいるので、どの猫の仕業かは分からないが、私にとって糞片付けは朝の仕事になってしまった。
 一番近い猫としてはミーちゃんなので、その可能性はやや高く、二日も糞がないと、ミーちゃん元気だろうかと、心配になる。
 前庭に糞をされるというのは決して快いことではないが、憤慨しても相手が猫では仕方がない。
 猫の糞片付けは、老け込み防止のため、運動量を増やしてもらっているのだと心穏やかに考え、散歩から帰った後の、朝の日課としている次第である。
コメント
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