ぶらぶら人生

心の呟き

水準点 5

2006-12-23 | 散歩道
 今日一日の外出中に、二つ目の水準点に出会おうとは、想像もしなかった。
 「水準点」と朱書きした文字が眼に入ったときは、実に嬉しかった。
 大体2キロ間隔に設けてあるということなので、落ち葉に埋もれた水準点から、2キロ歩いたことになる。その前に歩いた距離をあわせれば、3キロにはなるだろう。

 やっとバス停にたどり着いたと思ったとき、その標識が目に入ったのだった。
 市の民族資料館や公民館のある広場の入り口である。
 そこにはハリエンジュの古木があり、歳月を生きた老木の幹が捩れながら傾いている。前々から畏敬の念を持って眺めてきた樹木である。が、そのすぐ傍らに「水準点」のあることは全く知らなかった。
 水準点への関心がなかったために、もともとあるものが見えなかったのだ。

 この水準点は公共施設の庭の一隅にあるので、管理がいい。
 あえて古木の幹も入れて撮ってみた。左側に、小さく四個の石が見え、写真では分かりにくいが、その真ん中にあるのが水準点である。(写真)
 立て札はさらにその左側に立っている。(写真の画面には、入れなかったけれど)

 今日、ハリエンジュの老木に対面するなど、考えてもいなかった。老いた姿には少々痛々しさも覚えるが、それ以上に、揺るがぬ生命力が感じられて、すばらしい。
 春が来て、枝先に芽吹きの始まるころ、また訪れてみよう。
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水準点 4

2006-12-23 | 散歩道

 頭の中から、「水準点」のことはすっかり消えていた。
 「水準点」1,2,3を書いたのは、11月の18日、21日のことだった。一か月ほど前のことになる。

 先日、バスに乗って町に出るとき、旧国道を通る路線に乗った。
 風景を眺めるというより、頭の中を去来する、取り留めのない思念に心を遊ばせていたのに、視界にふっと「水準点」の赤い文字が飛び込んできた。
 以前なら、意識するはずもない標識なのだが、今は違う。忘れていたとはいえ、潜在的には、関心が薄れてはいなかったようだ。
 ここはどこ? と、腰を浮かせ、慌てて通過中のバスの位置を確かめた。どの停留所で下車すれば一番近いのだろう? と。

 今日はまた町に出かける用事があったので、あえて旧国道回りのバスに乗った。
 あの「水準点」に近いバス停で下車する予定のもとに。
 「水準点」の標識は、山間の道にあったので、いずれの停留所で降りても、かなり歩くことになるだろうことも考えて。
 だが、予想より長い道のりを歩いた。
 場所を間違ってしまったのだろうかと、不審を抱き始めたとき、やっと目的物が目に入った。
 石組みだけでは見つけるのが容易ではないが、幸い写真画面の左横に、鮮明な赤の文字で、「水準点」と記された標識が立っている。

 しかし、今回見つけた水準点は、今までの二つに比べれば、なんとお粗末なこと!
 周囲に置かれた四つの石は、そこらに転がっていたものを、まあこれでもいいや、と置いた感じだ。
 肝心な中心にあるはずの水準点は、落ち葉の中に隠れてしまっている。払いのけて写真を撮ろうかと思ったが、水準点と道路との間には側溝があり、手を伸ばすには無理があった。溝をまたいで、転んで怪我でもしたら、物笑いの種になりかねない。それ以上に、第一私自身が不自由なことになるのでやめておいた。

 おそらく水準点のよく分からない人には、添付の写真は、<これ何?>ということになるだろう。(興味のある人は、以前投稿の「水準点」を読んでください)

 町外れでバスを途中下車したので、かなりの距離を歩かなければならなかった。以前の私なら、すぐ車を呼ぶところだが、最近は歩くことに楽しみを感じているので、てくてく歩きつづけた。冬日をまともに浴びながら。
 歩くことを通して見えてくるものがある。歩いて初めて見えてくるものがある。その喜びは、歩く人にしかわからないだろう。
 道中、道端や家の軒先で出会う草花の数々、それは大方名前を知らないものばかりだったが、じっくり眺めてカメラに収めた。
 その名がわかる日が来るかもしれないし、永遠に分からないかもしれないが、どちらでもかまわない。出会った事実、そのことににこそ意味があるのだから。 
 

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今日の朝日 

2006-12-23 | 散歩道
 海岸の散歩を終えて急坂を上り始めたとき、後方に光を感じた。
 ふり返ると、山際を離れようとする、赤く燃える太陽があった。
 思わず時計を見る。7時50分――の日の出。

 昨日は冬至だった。
 冬至のことを一陽来復ともいうようだが、実際にはまだ春は遠い。
 むしろ今からが本格的な冬の始まり。

 ただ、今日の一日は、「冬至」という言葉のイメージより、「一陽来復」の方がぴったりの、晴れ晴れした好天だった。
 存分日差しを浴びて、町の中を歩いた。
 今もなお、頬に日差しが残っているような感じだ。
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