昨日は横浜から星川駅まで歩きました。
途中聴いたのは1901年生まれの大木正夫の作品。
彼の略歴については管弦楽曲編で触れたので省略する。
交響曲第5番「ヒロシマ」は、1953年作曲された。
「序奏」は時間が過ぎていくような時の刻みが表現され、
原爆により混乱した世界、そして異様な静寂の世界が描かれる。
「幽霊」の楽章では「運命リズム」に基づき、荒涼とした中、
被爆した人々の悲惨な状況が、再現されていき、
やるせない運命的なものを感じさせる。
「火」の部分は燃え盛る炎の勢いを感じさせる音楽である。
「水」の音楽は水を求める人々のやるせない世界が、
延々と続いていくかのような沈鬱な感じで表現されていく。
「虹」は幻想的で色彩感のある短い音楽である。
ここでは「冥界の動機」と呼ばれる旋律が登場する。
「少年少女」は、「虹」から引き続き「冥界の動機」を扱う。
彷徨い続ける少年少女の姿が弦楽器とフルートによって表現され、
それはショスタコーヴィッチ的な深遠な世界でもある。
「原子砂漠」の楽章は、静寂な中で下降する音が、
流れ落ちていく閃光のようでもあり、冥界的でもある。
「悲歌」は全楽章の中で長大であり、
悲惨な被害を受けた人々の厳しい現実と、
それに対するレクイエム的な要素と、
一瞬にして人類に破壊と死をもたらす原爆の恐怖、
これらを交互に織り交ぜている感じである。
起きてしまった歴史の中の事実とその後の現実を、
『原爆の図』にあるようにリアルに表現しながらも、
そこに突きつけられているのは単純な解決ではない。
だからこそ、最後の終わり方はハッピーエンドではない。
そこには簡単に解決しえない未来にも続いていく
人類に課せられた重い課題が横たわっている。
途中聴いたのは1901年生まれの大木正夫の作品。
彼の略歴については管弦楽曲編で触れたので省略する。
交響曲第5番「ヒロシマ」は、1953年作曲された。
「序奏」は時間が過ぎていくような時の刻みが表現され、
原爆により混乱した世界、そして異様な静寂の世界が描かれる。
「幽霊」の楽章では「運命リズム」に基づき、荒涼とした中、
被爆した人々の悲惨な状況が、再現されていき、
やるせない運命的なものを感じさせる。
「火」の部分は燃え盛る炎の勢いを感じさせる音楽である。
「水」の音楽は水を求める人々のやるせない世界が、
延々と続いていくかのような沈鬱な感じで表現されていく。
「虹」は幻想的で色彩感のある短い音楽である。
ここでは「冥界の動機」と呼ばれる旋律が登場する。
「少年少女」は、「虹」から引き続き「冥界の動機」を扱う。
彷徨い続ける少年少女の姿が弦楽器とフルートによって表現され、
それはショスタコーヴィッチ的な深遠な世界でもある。
「原子砂漠」の楽章は、静寂な中で下降する音が、
流れ落ちていく閃光のようでもあり、冥界的でもある。
「悲歌」は全楽章の中で長大であり、
悲惨な被害を受けた人々の厳しい現実と、
それに対するレクイエム的な要素と、
一瞬にして人類に破壊と死をもたらす原爆の恐怖、
これらを交互に織り交ぜている感じである。
起きてしまった歴史の中の事実とその後の現実を、
『原爆の図』にあるようにリアルに表現しながらも、
そこに突きつけられているのは単純な解決ではない。
だからこそ、最後の終わり方はハッピーエンドではない。
そこには簡単に解決しえない未来にも続いていく
人類に課せられた重い課題が横たわっている。