Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

チャベスの曲を聴きながら、大船から藤沢まで歩く!

2007-05-31 07:56:57 | 古典~現代音楽メキシコ編
昨日は大船から藤沢まで歩いた。
大船駅を降り、川沿いにはしる道をひたすら歩く。
大船のフラワーセンターを通過してさらに歩くと、
道は東海道線の線路沿いを並行してはしるようになり、
そのあとTSUTAYAのあたりで道は線路とは離れるようになり
それもひたすら歩くとようやく藤沢市の中心がみえてくる。
東海道線は大船駅から藤沢駅までの一駅間の距離が長く、
約45分かかって藤沢駅に到着し、ピカソというお店に着いた。

途中聴いた曲は1899年メキシコ生まれのチャベスの作品だ。
指揮者・教育者としても活躍した彼の作品は、
土着的なネイティブ・アメリカンの音楽を素材にしたり、
スペイン風メキシコ音楽など様々な要素がまざりあう。
1940年代からの作品には新古典主義的な作風が加わり、
ストラヴィンスキーからの影響が強く出ている。

「管弦楽のためのトッカータ」は1947年に作曲された曲で、
オーボエに始まる主題は簡素で素朴なふしであるが、
音楽はその後木管楽器を中心に展開され、
弦楽器が入ってきて、新古典主義のような音楽を奏でる。
短い曲ではあるが密度の濃い曲である。

「メキシコの風景1」,「メキシコの風景2」は1943年の作品で、
民族色強い旋律が現れ、強烈なリズムを打楽器が刻んでいく。
それがロマンティックな旋律と絡み合い曲は盛り上がっていく。

「コルキスの娘」組曲は1943年の作品で、
最初の部分では木管楽器と打楽器が活躍する。
その木管楽器は土着的な旋律を奏し、
弦楽器はヨーロッパ的な旋律を奏でる。
曲の後半はなぜかコープランドの作品に似ていると思った。
まあ、メキシコもアメリカも同じ北アメリカであるから、
どちらかが影響を受けたのかもしれない。

「メキシコの歌」は1933年に作曲された短い作品で、
最初ネイティブ・アメリカンの音楽が、
ストレートに主題として現れる。
それが後半にはスペイン風メキシコ音楽が現れ、
これらの音楽が混ざり合うとてもわかりやすい曲だ。
一方1953年に作曲された交響的絵画「踊り」は、
その渾然とした世界が、新古典主義というスタイルをとりながら
簡素にまとめあげられた小品である。

ともかく、メキシコの文化はやはり重層的だと思う。
これらの曲を聴き、メキシコという国を考えると、
ネイティブ・アメリカンとスペイン人とそれぞれの持つ文化が、
渾然一体と混ざった多様性のあるチャベスの音楽自体が、
メキシコのすべてをあらわしているということなのだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロルダンの組曲「レバンベランバ」を聴きながら、横浜から星川まで歩く

2007-05-30 05:22:30 | 古典~現代音楽ブラジル・メキシコ以外の中南米編
昨日は横浜から星川まで歩いた。
短い距離の中聴いた曲はロルダンの管弦楽曲である。
1900年フランスのパリで生またアマデオ・ロルダンは、
スペインにあるマドリード音楽院で作曲法などを学び、
1921年頃からキューバに定住し、
ハバナ・フィルの音楽監督に就き、指揮者として活躍した。
黒人の音楽のリズムに興味を持ち、
タンゴやルンバそしてソンなどのリズムなどを使い、
それらのリズムをいかした管弦楽曲を残している。

組曲「レバンベランバ」は1927年から28年にかけて作曲され、
曲は「フィナル・デ・レル・クアドロ」、「コンパルサ・ルクミ」
「蛇のコンバルサ」「ことの終わり」の四曲から構成されている。
第1曲は華やかな曲だがいくつかの旋律が
ポリフォニック的にからみあっておもしろい。
第2曲はストラヴィンスキーの影響を受けた独特なリズムと
色彩豊かなオーケストレーションのすばらしさが際立つ。
第3曲は打楽器が活躍し、ブラスバンドが好みそうな曲だ。
第4曲もダンスのリズムに乗ってゴキゲンな曲である。


リトミカ第5番は1930年に作曲された作品で、
打楽器奏者だけによって演奏される曲である。
リズムを刻みながら静かに始まるこの曲は、
終わり向かって複雑なリズムを刻み、だんだん激しさを増す。
リズムだけで作られるこの曲を聴いていると
思い出すのはヴァレーズの「イオニザシオン」である。
この作曲年代が1929年から1931年の間なので、
どちらかが影響を受けたのではないかとも思えるのだ。
もちろん、ヴァレーズの方が打楽器の数が33なので多く、
より他の作曲家に与えた影響は大きいのだろうが、
二人の作曲家の間に何か接点がないのだろうか?

いずれにせよ、これらの曲を聴くと20世紀の音楽の世界が、
この時代からメロディーや和声を重視した従来の世界から、
音響の世界へと移っていったというのを感じてしまうのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒナステラの「エスタンシア」を聴きながら、二俣川から湘南台まで歩く

2007-05-29 05:41:18 | 古典~現代音楽ブラジル・メキシコ以外の中南米編
昨日は二俣川から湘南台まで歩いた。
かかった時間は約2時間20分くらいだった。

途中で聴いた曲はヒナステラの管弦楽曲である。
1916年ブエノスアイレスで生またヒナステラの誕生日は、
私と同じだったので、急に親近感も湧いてしまう。
ストラヴィンスキーの音楽の影響も受け、
野性的で荒々しい感じの曲などに一つ特徴がある。

「エスタンシア」組曲は1941年に書かれた初期の作品。
ベネズエラ国立シモンボリバル交響楽団が来日した時に
この作品をとりあげていたのが、強烈な印象として残っている。
(アンコールでも終曲を演奏していたと思う。)

曲名の「エスタンシア」は、アルゼンチンの大牧場のことで、
その中から4曲を選んで作られた組曲は、
第1曲「開拓者たち」、第2曲「小麦の踊り」、第3曲「牧童」、
第4曲「終曲の踊り(マランボ)」となっている。
最初の第1曲から荒々しい音楽で始まり、
第2曲は牧歌的で、のどかな感じのする旋律の美しい曲、
第3曲は再び荒々しい感じで、対立を思わせる曲、
第4曲は華々しい舞踏的なリズムの曲で、
活躍するホルンの演奏が印象的だ。

交響的三部作「オランタイ」は1947年に書かれた曲で、
太陽の子インカと、大地の子オランタイの戦いを描いたもの。
曲は「オランタイタンボの風景」「戦い」
「オランタイの死」という題がそれぞれ付いていて、
第1曲はインディオの民謡のような主題から始まり、
インカを思わせる壮大で神秘的な感じの曲になって終わる。
第2曲は荒々しく、まさに対決をイメージさせる曲である。
「春の祭典」に似た原始的な世界が描かれる。
第3曲も神秘的な太古の世界を思わせる曲で、
素朴な民謡的な旋律と時々現れる不協和音により展開され、
最後の不協和音が鳴り響いたあとは静寂となって終わる。

湘南台駅に到着し、ポン・デ・ケージョの材料を買うために、
駅付近のブラジル商品を扱う店に久しぶりに行ってみた。
店の名前が「エスタンシア・プラザ」
(今日聴いた曲と偶然の一致!)。
でも、店の中に入ってみると陳列棚にあまり品物がなく、
よく見るとポン・デ・ケージョの材料の粉が売っていない!
以前はたくさん置いてあったのになあ。
残念だがしかたない。どこかでさがそうっと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヴィラ・ロボスの序曲「熱帯雨林の夜明け」を聴く

2007-05-28 08:51:49 | 古典~現代音楽ブラジル編
昨日は六本木ノチェーロにライブに行き、
ボサノヴァ・ショーロ・サンバの曲を聴く。
ウーキングをする時間がなかったのでお休み。

今日はヴィラ・ロボスの管弦楽曲を紹介したい。
1887年リオ・デ・ジャネイロ生まれのヴィラ・ロボスは、
有名なブラジルの作曲家で、夥しい数の作品を残している。
序曲「熱帯雨林の夜明け」は1953年か54年頃の作品。
最初の冒頭の朝靄がかかったような部分を聴いただけで、
アマゾンの奥地の自然の中に入ったような感じになれる。
曲は少しずつその朝靄を管楽器の演奏が振り払うように響き、
弦楽器に主題が現れ、一瞬その朝靄が切れたように、
はっきりとした主題が管楽器とともに展開されていく。
しかし、その後もアマゾンの熱帯雨林の神秘的な世界は、
弦楽器などを中心に再び作り出されていく。
後期の作品のためか現代的でブラジル風バッハの世界とは
また一味違って興味が持てる小品である。

有名なブラジル風バッハ第2番は1930年の作品。
管弦楽が作り出す色彩豊か作品で
素朴な音楽づくりにいかにもヴィラ・ロボスらしさを感じる。
情緒豊かな音楽の中に描かれるのは、
ブラジルの自然と風土である。
終楽章の「カイピラの小さな汽車」は走る列車の中で
作曲された作品らしく、即興的であるが親しみやすい曲だ。

「凶暴な踊り」は1919年に書かれた初期の作品であり、
ところどころでプロコフィエフや、ストラヴィンスキー、
ドビュッシーからの影響を思わせるような箇所がある。

それにしてもどうして彼の曲はこうも情緒的なのだろう。
最初聴いた時には、どうもそのストレートさに戸惑い、
一瞬ひいてしまったが、それが親しみやすいところなのか。
確かに何度も聴いていると慣れては来るが、
彼が好きだったショーロの世界と彼の作品とが、
私の中ではなかなか結びついてはくれない。

彼の作品を愛するピアニストのネルソン・フレイレが、
サン・サーンスのピアノ協奏曲第2番を弾いているDVDがあるが、
これを視聴するとサン・サーンスの曲までが
ヴィラ・ロボス風になっている、少なくとも聴こえてしまう。
他の人の演奏するサン・サーンスの同じ協奏曲を聴くと
そうではないのに、不思議なものだと感じてしまうのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モンカーヨの「ウアパンゴ」を聴き、西谷から二俣川まで

2007-05-27 07:52:42 | 古典~現代音楽メキシコ編
一日ウーキングをしない日ができてしまったが、
昨日は再び西谷から二俣川まで歩いた。
昨日は夜台湾屋台料理のレストランで料理を食べながら、
みんなに自分が行っているウーキングのことを話したのだが、
そうか2月に始めたのだからもうあれから3ヶ月たち、
4ヶ月目に突入しようとしているのだなと改めて感じた。

途中聴いた曲はモンカーヨの「ウアパンゴ」である。
モンカーヨは、1912年生まれのメキシコの作曲家で、
彼はグアダラハラに生まれ、チャベスに作曲法を学び、
メキシコ国立交響楽団の指揮者の職を手に入れるために
ジャズ・ピアノを酒場で演奏することから始めたようだ。
チャベスに学んだモンカーヨなど
当時のメキシコの若手作曲家たちは、
批評家たちからは「四人組」と呼ばれていた。

「ウアパンゴ」は1941年に書かれた曲で、
メキシコのダンス音楽から採った陽気な作品である。
ところどころで土着的な部分がみることができ、
ヨーロッパの音楽文化を感じとれるところもあり、
両者がうまく融合しているようにも思える。
管楽器や打楽器が活躍し、あるときはリズミカルであり、
ダイナミックであり、聴いていてゴキゲンになる。
ポピュラー音楽的な感じもあり、親しみやすい曲だ。
なんと言っているうちに音楽は突然終わってしまうので、
あれ?これで終わってしまうのという感じでもある。
それにしても音楽はその国の成り立ちを映しているなあ。

遅くなりましたが、ホルスト特集の参考CDを
私のHPにあげておきました。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/gustav_holst_home.html
にありますので、見てください。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする