昨日はウォーキングを休みました。
途中聴いたのは1950年生まれのレポ・スメラの作品である。
彼の略歴については以前触れたので省略する。
交響曲第2番は1984年に作曲された。
原曲は1982年に作曲したヴァイオリンとピアノのための作品のようだ。
曲は初演者でエストニアの指揮者であるペーター・リルジェに献呈されている。
聴いたCDはパーヴォ・ヤルヴィ指揮、マルメ交響楽団の演奏による。
第一楽章モデラート・トランクィロは、弦楽器のみに始まり、
それに2本のハープが加わり、繊細で幻想的な旋律が繰り返される。
やがて金管楽器も加わり盛り上がりをみせる。
この一つ目のモチーフがしばらくは繰り返されていく。
もう一つは打楽器と金管楽器による荒々しい感じのモチーフである。
再び最初のモチーフが繰り返されたあと、二つ目のモチーフが現れ、
やがてその二つのモチーフは重なりながら、切れ目なく第二楽章に続く。
第二楽章インテルルディウムは、鐘が鳴り響く中、
打楽器と弦楽器が荒々しい音楽を続けていき、それが終わったあと、
ハープの音の上で、弦楽器が旋律を奏でていくが、
これは第一楽章の最初のモチーフを変形させたものである。
それが終わると管楽器中心とした音楽になって終わる。
第三楽章スピリトーソは、鐘が鳴り響き、ハープの音の上に、
弦楽器が第一楽章の最初のモチーフを繰り返し、変形させていく。
このモチーフを繰り返し、第一楽章のもう一つのモチーフも絡んでいく。
壮大さも感じさせながら、ダイナミックに音楽は展開していく。
終わりの方で、トランペットの音が鳴り響くと、
弦楽器とハープのみになり、最後は消え入るように幻想的に終わる。
途中聴いたのは1950年生まれのレポ・スメラの作品である。
彼の略歴については以前触れたので省略する。
交響曲第2番は1984年に作曲された。
原曲は1982年に作曲したヴァイオリンとピアノのための作品のようだ。
曲は初演者でエストニアの指揮者であるペーター・リルジェに献呈されている。
聴いたCDはパーヴォ・ヤルヴィ指揮、マルメ交響楽団の演奏による。
第一楽章モデラート・トランクィロは、弦楽器のみに始まり、
それに2本のハープが加わり、繊細で幻想的な旋律が繰り返される。
やがて金管楽器も加わり盛り上がりをみせる。
この一つ目のモチーフがしばらくは繰り返されていく。
もう一つは打楽器と金管楽器による荒々しい感じのモチーフである。
再び最初のモチーフが繰り返されたあと、二つ目のモチーフが現れ、
やがてその二つのモチーフは重なりながら、切れ目なく第二楽章に続く。
第二楽章インテルルディウムは、鐘が鳴り響く中、
打楽器と弦楽器が荒々しい音楽を続けていき、それが終わったあと、
ハープの音の上で、弦楽器が旋律を奏でていくが、
これは第一楽章の最初のモチーフを変形させたものである。
それが終わると管楽器中心とした音楽になって終わる。
第三楽章スピリトーソは、鐘が鳴り響き、ハープの音の上に、
弦楽器が第一楽章の最初のモチーフを繰り返し、変形させていく。
このモチーフを繰り返し、第一楽章のもう一つのモチーフも絡んでいく。
壮大さも感じさせながら、ダイナミックに音楽は展開していく。
終わりの方で、トランペットの音が鳴り響くと、
弦楽器とハープのみになり、最後は消え入るように幻想的に終わる。
通常、メロディと弦楽器が定番の主役のところ、この曲に限ってはリズムとパーカッションが主役の曲です
裏打ちが主で順打ちのところが奇妙に聞こえる曲です
こういう曲の魅力を知る人だからこそ、宮崎駿の、底流に奇妙さの溢れるマンガにピッタリの曲が書ける理由なんだろうなと、腹に落ちました