Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

アンリ・デュティーユのピアノ・ソナタを聴きながら、二俣川から西谷まで歩く

2008-04-30 05:17:29 | 古典~現代音楽フランス編
昨日は二俣川から西谷駅まで歩きました。
途中聴いたのは、デュティーユのピアノ・ソナタ。
ピアノ・ソナタは1947年に作曲された作品である。
この作品は、1948年にパリでこの作品を初演した
ピアニストのジュヌビエーブ・ジョワに捧げられており、
聴いたCDもジュヌビエーブ・ジョワが演奏している。
初演者が演奏しているからといっていいか、演奏はいい。

第一楽章アレグロ・コン・モルトは、
いかにも現代的な和声の中、主題にもとづき、
激しく緊張に満ちた音楽が繰り広げられる。
バルトーク風な音楽を想起させられる曲でもあるが、
フランス音楽の伝統をしっかり継承している気がする。
第二楽章歌は、詩的な感じで始まり、歌のようである。
水が流れ出してくるような、動きのある中間部が終わると、
また、静かに語りかける音楽になり、静寂なうちに終わる。
第三楽章のコラールと変奏曲は、
悲愴的な感じの下降する旋律から始まり、
その主題をもとにした変奏曲風な展開が行われる。
現代的な曲であるにもかかわらず、
ピアノの楽器の持つ美しさを失うことはない。
最後に向けて音楽は徐々に激しさを増し、
ピアノの高度な技巧をみせながら、
盛り上がりを作り、最初の主題を再現して終わる。

他の作品としてCDに収められているのは、
2台のピアノのための「響きの形」で、
各曲は1・2分程度の演奏時間であり、
凝縮された音楽のような印象を受ける。
また、3つのプレリュードは、1970年代に作曲されたようで、
第1曲の「暗がりから、静寂から」は1973年に作曲され、
第1曲と第2曲の「同一の和音上に」は短いが、詩的で神秘的である。
第3曲の「逆さま遊び」は比較的他の曲に比べると長く、
同様に現代的な曲ではあるのだが、
きらめくようなピアノの響きがなぜか美しい。

なお、今回とりあげた器楽曲・室内楽曲フランス編
に関するCD等の情報は、以下のアドレスに載せてあります。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/chamber-music-cd-shoukai.html

を参考にしていただければ幸いです。
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ポール・タファネルの「魔弾の射手」の主題による幻想曲を聴きながら、希望が丘から東戸塚まで歩く

2008-04-29 07:42:43 | 古典~現代音楽フランス編
昨日は希望が丘駅から東戸塚駅まで歩きました。
希望が丘から二俣川へ出て、大池公園の中を通り、
緑園都市を抜け、東戸塚へと向かった。
大池公園を通過する間に聴いた曲は、タファネルの作品である。
ポール・タファネルは、1844年ボルドーに生まれた。
パリ音楽院に15歳で入学し、フルート、和声学などを習得した。
25歳には、オーケストラとソロのフルート奏者として、
成功をおさめ、45歳には新たな職を手に入れたようだ。
1892年には、パリ音楽院管弦楽団の首席指揮者となり、
1893年にはパリ・オペラ座の指揮者に就任し、
同年パリ音楽院のフルート科の教授に就任したようだ。

指揮者としての活動もさながら、作曲者としても活動し、
フルートとピアノのための作品を多数作曲したようだ。
1876年に作曲された「魔弾の射手」の主題による幻想曲は、
ウェーバーの歌劇「魔弾の射手」の第2幕にある
アガーテのアリアなどを利用しているようだ。
ヤーノシュ・バリントのフルート演奏によるCDを聴いた。

曲は最初はピアノ伴奏によって劇的な雰囲気を伝え、
第2幕のアガーテのアリアを利用した序奏部が続く、
その後に提示された主題は第2幕でエンヒェンが
アガーテに対して歌うアリアの中に
登場する勇ましい感じの華やかな旋律を利用している。
をもとに、変奏曲風に主題は展開され、
フルートの技巧を発揮する場面がたくさん出てくる。
さすがフルート奏者のタファネルらしく、
曲の中にはフルートという楽器の魅力を、
これでもかとちりばめ、最後の終わり方も華やかだ。
タファネルのフルートとピアノのための作品ばかりを、
集めて録音したCDにはベネットのフルートと
ベンソンのピアノ伴奏によるものがある。
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クセナキスの「ナーマ」を聴きながら、西谷から希望が丘まで歩く

2008-04-28 05:18:01 | 古典~現代音楽フランス編
昨日は西谷駅から希望が丘駅を歩きました。
途中聴いたのは、クセナキスの「ナーマ」などの作品である。
1922年ルーマニアで生まれたヤニス・クセナキスは、
両親がギリシア人であり、第2次世界大戦中には、
ギリシア国内で、レジスタンス運動にも加わったりしたようだ。
若い頃数学と建築を学び、1950年代には建築家ル・コルビュジェの助手として、
亡命先のパリで活動し、この時メシアンに作曲を師事する。
その後生涯の大半をフランスで過ごしたことから、
ここではフランスの作曲家としてとりあげようと思う。

「ナーマ」と「ホアイ」はハープシコードのための作品で、
「ナーマ」1984年に作曲され、「ホアイ」は1976年に作曲された。
古楽器演奏でよく聴くハープシコードの雅な感じとは違い、
「ナーマ」では電子音楽のように無機的な音を奏でる。
まるでコンピュータ・ゲームのサウンドのようでもあり、
強烈なリズムとともに音の各要素同士がぶつかりあう感じだ。
緊張した状態が持続しつつ、15分近く演奏される。
「ホアイ」を聴くと一層強く感じるのが、
電子音楽を得意とする彼のもう一つの挑戦が、
電子音楽のように聞こえるが、そうではない作品を
作ることにあったのかと思わせるもので、その方法のために
彼が選んだ楽器がハープシコードだったのかと感じさせる。

「ゴレ島にて」は1986年に作曲された。
ハープシコードと小編成のアンサンブルのための作品で、
先ほどのハープシコード独奏の曲よりも、
他の楽器が加わったこので、色彩豊かな曲となっている。
「コンボイ」は1981年に作曲されている。
パーカッションが加わるだけでも、曲に深みが増す。
ハープシコードの演奏するのは「ナーマ」などと、
似た感じではあるが、強烈なリズムが刻まれると、
そこに「ナーマ」と「ホアイ」にみられない
作曲家の別の側面を知ることができるような気がする。

クセナキスを1年くらい前に聴いた時は、
音楽が自分の理解力を超えていて、
長い時間聴くことができなかった。
今回改めて聴いてみたが、何とか最後まで聴くことができた。
決してこの音楽は癒しの曲ではない。
コンピュータ音楽、電子音楽が実験的に作られた
20世紀という時代の音楽空間を代表する作品であろう。
それにしても昔のハープシコード奏者たちから見ると、
こんな使われ方をされるとは想像できなかっただろう。
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鶴ヶ峰から二俣川を歩く、そしてエドゥアール・ラロのヴァイオリン・ソナタ

2008-04-27 06:41:07 | 古典~現代音楽フランス編
昨日は鶴ヶ峰駅から二俣川を歩きました。
昨日聴いたのは、ラロのヴァイオリン・ソナタ作品12である。
出世作として世に知られるヴァイオリン協奏曲や、
スペイン交響曲よりも前の1853年に作曲されたこの曲は、
あまり知られていないところもあるが、いい曲である。

第一楽章アレグロ・モデラートはソナタ形式で書かれ、
第一主題は明るく、軽快で、すがすがしい。
ヴァイオリンの魅力を十分に発揮した曲で、
流れるような音楽で、甘美なところもある。
ピアノのパートの方も軽快な旋律を刻み、
単なる伴奏に終わっていないところがいい。
第二楽章の変奏曲、アンダンテ・コン・モトは、
ゆったりとした主題を第一の変奏でピアノ・ソロで演奏し、
その後はヴァイオリンを中心に変奏を展開する。
夢のあとのような名残惜しさを感じさせながら、最後静かに終わる。

第三楽章ロンド、ヴィヴァーチェは軽快に始まる。
短い曲であるが、疾走していくように、一気に終わる。
演奏するジャン=ジャック・カントロフのヴァイオリンと、
ジャック・ルヴィエのピアノの演奏で聴いたが、
息の合った演奏はなかなかである。
さすが、ヴァイオリン奏者などで活躍したラロらしい、
ヴァイオリンの魅力を感じさせる音楽である。
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セザール・オーギュスト・フランクの前奏曲、コーラルとフーガを聴く

2008-04-26 06:43:19 | 古典~現代音楽フランス編
昨日は飲み会のため、ウォーキングを休みました。
昨日聴いたのは、フランクの前奏曲、コーラルとフーガ ロ短調。
1884年に作曲された前奏曲、コーラルとフーガ ロ短調は、
40年近くの空白期間のあと再びピアノ作品に挑んだフランクは、
彼のピアノ曲の代表作といえるこの作品を作曲した。
翌年1885年にパリの国民音楽協会の演奏会で初演された。

前奏曲とコーラルは曲が似たような感じだ。
そこで出てくる主題をもとに展開されるフーガは、
なかなかのもので、さすがフランクらしい。
最初は前奏曲とフーガというスタイルで作曲されたようだが、
そのあと二つをつなぐものとしてコラールを加えたようだ。
交響曲にみせた曲の構成力にこだわる彼らしいピアノ曲で、
演奏するイヴァン・モラヴェッツの演奏もなかなかである。
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