Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

ジョバンニ・ピエルルイジ・ダ・パレストリーナのミサ・プレヴィスを聴きながら二俣川から緑園都市まで歩く

2010-01-31 12:09:17 | 中世・ルネサンス音楽声楽曲・合唱曲編
昨日は二俣川から緑園都市まで歩きました。
夕方湘南台で飲み会があったため、緑園都市駅で電車に乗った。
昨日聴いたのは1525年頃に生まれたパレストリーナの作品である。
ローマ近郊のパレストリーナで生まれた彼は、
ローマのサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂の聖歌隊員として活動し、
その後教会のオルガン奏者・教皇庁の楽長などとして活躍し、
システィナ礼拝堂の聖歌隊歌手に任命され、
作曲家としては多くの教会音楽を後世に残した。

ミサ・プレヴィスは、1570年に作曲された作品である。
聴いたCDは、マーク・ブラウン指揮、
プロ・カンティオーネ・アンティクヮの演奏による。
4声(1部5声)によるこの作品は、グレゴリオ聖歌風の入祭唱に続き、
ポリフォニックなキリエとグローリアが入り華やかな感じになる。
そのあとの昇階唱、奉献唱はグレゴリオ聖歌風で質素な感じの音楽であるが、
クレド、サンクトゥスとベネディクトゥス、聖体拝領誦そしてアニュス・デイは、
対照的にポリフォニックな音楽でその作り出されるハーモニーは美しい。
最後は平安な感じで静かに消え入るように終わる。
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本当に忙しい一日、そしてマルカブリュの「神の名において平和を」を聴く

2010-01-30 06:47:11 | 中世・ルネサンス音楽声楽曲・合唱曲編
ここのところ毎日遅くまで仕事があるためウォーキングの時間も持てない。
さすがに夜9時近くに帰るとなると歩く余裕もなくなる。
最近はもっぱら朝歩くことにはしているのだが、
昨日はそれができず、ウォーキングを休んだ。
昨日聴いたのは12世紀前半に活躍したマルカブリュの作品である。
ガスコーニュ生まれの彼は、ジョングルール出身のトルバドゥールで、
アテキーヌ公ギョーム10世の宮廷に仕えた女嫌いの人物だったようだ。
一時期スペインでも活動した形跡のある作曲家である。
40篇近くの詩のうち4篇は音楽つきで後世に伝えられている。

「神の名において平和を(Pax in nomine Domini!)」は、
ギョーム10世(ウィリアム・ド・アクィターニュ)が、
1137年サンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼の途中で
亡くなったことに対する哀悼歌として作曲された作品である。
聴いたCDは、デイヴィッド・マンロウ指揮、
ロンドン古楽コンソートの演奏による。
単旋律による歌はグレゴリオ聖歌のように素朴な感じである。
「フランスの人々よ、神への奉仕を拒むな」というところは、
気高さを感じさせ、いささか教訓的なことを語っている風であるが、
とにかく初期のトルバドゥールらしい作品であることは確かである。
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ゴーセルム・フェディの「比べるものなき」を聴きながら西谷から三枚町を歩く、そして意外な再会

2010-01-29 04:39:57 | 中世・ルネサンス音楽声楽曲・合唱曲編
昨日は西谷から三枚町まで歩きました。
朝早い時間に環状2号線を歩いていると、
向こう側から見慣れたことのある人物が見える。
近づいてわかったのが卒業生であった。
ちょうど新横浜から大学まで歩いていたところだという。
近況報告を聞き、またみんなで会おうということになった。
朝からちょっぴり楽しい、それにしても偶然で意外な再会であった。

途中聴いたのは1150年頃に生まれたゴーセルム・フェディの作品である。
モンフェラのボニファスに仕えたとされるトルバドゥールで、
68篇の詩の中で、14篇は音楽つきで後世に伝えられている。
「比べるものなき(Fortz causa es)」の作曲された時期は、
1199年以降の早い時期であることは内容からわかる。
聴いたCDは、デイヴィッド・マンロウ指揮、
ロンドン古楽コンソートの演奏による。

「比べるものなき(Fortz causa es)」は、哀悼歌の一つで、
1199年にこの世を去ったリチャード獅子心王の死を悼む歌である。
詩の内容は、他に比べるものない不幸と悲しみは、
イギリス国王であるリチャードが亡くなったことである。
この痛みと悲しみはどれだけ大きいことかと詩人は述べている。
愛を扱ったものが多いトルバドゥールの作品の中では異例な作品である。
音楽もその性格を示すように悲しみが伝わってくる嘆きの歌である。
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忙しい一日、そしてシャトラン(ギィ)・ド・クーシの「五月、この美しき季節に」を聴く

2010-01-28 05:27:41 | 中世・ルネサンス音楽声楽曲・合唱曲編
ここのところ仕事では忙しい日が続いているが、
昨日も一日忙しく、ウォーキングはできませんでした。
今回とりあげるのは1165年頃生まれたギィ・ド・クーシの作品である。
シャトラン・ド・クーシともよばれるトルヴェールの代表的な人物で、
1190年と1198年聖地への遠征に出かけ、
1203年イェルサレムに向かう途上で亡くなった。
「五月、この美しき季節に(Li nouviaus tens)」の
作曲された時期については詳しいことはわからない。
聴いたCDは、デイヴィッド・マンロウ指揮、
ロンドン古楽コンソートの演奏による。

「五月、この美しき季節に(Li nouviaus tens)」は、
第3回十字軍もしくは第4回十字軍(1202)のものに関連している。
詩の内容は、五月という花が咲き乱れ鳥が囀るこの時期に、
愛する人を残し、旅立たなければいけない自分を嘆いたものだ。
単声旋律によるこの歌にCDでは弦とリコーダーが加わっている。
愛の希望があるから、会えないさびしさに耐えようとする詩人は、
「愛よ、裏切者め、/お前のお蔭で、私は眠れず、
安らぐこともできない」というほど、人を恋することは苦しく、
時には耐え忍ばなければならないものである。
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ギロー・リキエの「卑しく、罪深い、罪人と悔悟者」を聴きながら西谷から三枚町まで歩く

2010-01-27 05:04:57 | 中世・ルネサンス音楽声楽曲・合唱曲編
昨日は西谷駅から三枚町まで歩きました。
途中聴いたのは1230年頃に生まれたギロー・リキエの作品である。
ナルボンヌに生まれた最後のトルバドゥールといわれる人で、
カスティリャ王の宮廷で十年活躍したようだ。
「卑しく、罪深い、罪人と悔悟者(Humils forfaitz)」の
作曲された時期については詳しいことはわからない。
聴いたCDは、ミヒャエル・ボッシュ主宰、アンサンブル・ユニコーン、
マルコ・アンブロジーニ主宰、アンサンブル・オニ・ウィタルスの演奏による。

「卑しく、罪深い、罪人と悔悟者(Humils forfaitz)」は、
弦楽器の前奏に続いて歌われる旋律は神秘的である。
曲はタイトルにあるように宗教的な内容を伴ったものである。
高貴な女性への愛を歌うトルバドゥールの芸術は、
彼の活躍した時期には時代遅れになりつつあったようで、
その芸術の本質を理解するものがいないと嘆いていたようだ。
その彼の詩はやがて宗教的な内容のものへと移行したようで、
この作品もその一例ということになるのだろう。
歌は世につれ、トルバドゥールたちの音楽の行き着くところが、
このような結末であったというのであれば、寂しいものだ。
高貴な女性への愛が、神への愛に浄化されたということだろうか。
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