Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのシンフォニアヘ長調「不協和音」とニ短調を聴き外苑から渋谷を往復

2009-01-31 09:12:43 | 古典~現代音楽ドイツ編
昨日は外苑駅から渋谷駅までを往復しました。
外苑駅近くのZ-Imagineのライブを聴きに行ったのだが、
まだ開店前だったので、渋谷のタワーレコードに行き、
CDを2つ買い、Z-Imagineへ戻ったのだが、
小雨の中、ライブの始まる直前に何とか到着した。
途中聴いたのはヴィルヘルム・フリードマン・バッハの作品。
ヴィルヘルム・フリードマン・バッハはヴァイマルに生まれた。
ヨハン・セバスティアン・バッハの長男で、
ライプチヒで教育を受け、即興演奏の名手として知られ、
ドレスデンの聖ソフィア教会のオルガニストに就任し、
その後ハレの教会オルガニストとして活躍した。
晩年は放浪の生活を続けたようで、生活は困窮していたようだ。

シンフォニアニ短調F65は、1735年から1740年に作曲された。
ウィーンのスヴィーテン男爵邸で演奏され、
モーツアルトの「ハ短調ミサ」、「レクイエム」にも
この作品からの影響が少し認められるようだ。
第一楽章アダージョは、プレリュードにあたる。
弦の伴奏の上に2本のフルートが吹く旋律は、
美しく、そして深い哀愁にあふれている。
第二楽章アレグロ・エ・フォルテは、
フーガの形式であり、バッハ一族らしい。
弦楽器を中心に卓越した作曲の技法がみられる。
オルガニストとして活躍した彼らしい作品だ。

シンフォニアヘ長調「不協和音」F67は、
1733年から46年の間にかけて作曲された。
第一楽章ヴィヴァーチェは、軽快な曲で、
堂々としており、バロック的な要素は強い。
優雅で気品があるだけでなく、劇的である。
第二楽章アンダンテは、ゆったりした中に、
叙情的な部分と、牧歌的な部分がみられる。
主題をさまざまに変形させていくところが、
創意の工夫がみられ、彼の才能の一部を覗かせている。
第三楽章アレグロは、堂々とした活気のある曲。
バロック風な部分は変わらないが、
劇的な表現はなかなか印象的である。
第四楽章メヌエットⅠ&Ⅱは、舞踏的で優雅な旋律と、
感傷的でせつない旋律が対照的な短い楽章である。
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ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハの交響曲変ロ長調を聴きながら横浜から星川まで歩く

2009-01-30 06:41:56 | 古典~現代音楽ドイツ編
昨日は横浜から星川駅まで歩く。
途中聴いたのはヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハの作品。
ドイツ・オーストリア編の補足の終わりにかけて、
ここではバッハ一族の作曲家をとりあげてみたい。
今回のヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハは、
ライピチヒに生まれ、ヨハン・セバスティアン・バッハと
アンナ・マグダレーナの間に生まれた第9子で、
チェンバロの演奏に優れた音楽家であった。
ビュッケブルクのシャウムブルク=リッペ伯爵家に勤めた。
交響曲変ロ長調は交響曲第20番にあたり、
1794年に作曲された作品である。

第一楽章ラルゴ-アレグロは、
ラルゴの序奏部は木管楽器の響きがやさしい。
アレグロの主部に入ってもフルートが活躍し、
フルート協奏曲のようでもあり、華やかさがある。
ハイドンの交響曲を思わせるところもあり軽快である。
木管楽器の扱い方は素晴らしく、効果的である。
短い展開部を経て、再現部に入りさわやかに終わる。
第二楽章アンダンテ・コン・モートは、
弦とチェンバロの上にフルートが優雅な旋律を奏でる。
クラリネットが加わり、のどかな感じである。
叙情的な部分もあり、変化のある音楽である。
ロンド風の音楽であるようだ。
第三楽章メヌエットは、軽快で明るい音楽だ。
中間部のトリオはフルートとバスーンの掛け合いがいい。
三部形式の楽章のようで再びメヌエットの部分が登場し、
最後は、優雅にそして華やかに明るく終わる。
第四楽章ロンド、アレグレット・スケルツァンドは、
軽快でありながら、ホルンも加わり華やかだ。
フルートとクラリネットが田園風な感じを醸し出している。
ロンド形式で書かれた主題は単純で分かりやすいが、
主題の扱いには熟練した技術をみることができる。
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ハンス・ヴェルナー・ヘンツェの交響曲第5番を聴きながら横浜から星川まで歩く

2009-01-29 06:53:09 | 古典~現代音楽ドイツ編
昨日は、横浜から星川駅まで歩きました。
途中聴いたのは1926年生まれのヘンツェの作品。
ノルトライン=ヴェストファーレン州の
ギュータースローで生まれた彼は、
ハイデルベルクの音楽大学で学び、
フォルトナーやレーボヴィッツに師事した。
最初は12音技法に基づく作品を書いたが、
その後自由な立場から作品を作曲している。
交響曲に関しては10曲近く残しているようだが、
今回は彼自身の指揮によるCDを聴いてみることにした。
交響曲第5番は、1962年に作曲された作品である。

第一楽章モヴィメンタートは、ソナタ形式で書かれ、
金管楽器と打楽器中心に荒々しく野性的に始まる。
そのあと静まり神秘的な感じの音楽になる。
音のかたまりがぶつかり合いながら、
最後は金管楽器と木管楽器などにより、
盛り上がってクライマックスが作り上げられ、
静かに終わって次の楽章に進む。
第二楽章アダージョは、変奏曲形式で、
主題は無伴奏のアルト・フルートにより変奏され、
やがてはオーボエに移り、独奏ヴィオラ、
イングリッシュ・ホルンにより変奏されていく。
最後はオーケストラが作り出す響きに消されていく。
第三楽章モート・ペルペトゥオは、ロンド形式である。
ヘンツェ自身はこれをロンド形式とみることができるが、
実際には、第二楽章のカデンツァの素材をつかった
32の変奏であることを言っているらしい。
最後は金管楽器、打楽器が活躍し荒々しい音楽となり、
まだ続くような感じを持たせながらも突然終わる。
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フリードリヒ・ゴルドマンの交響曲第1番を聴きながら、鶴ヶ峰から和田町まで歩く

2009-01-28 06:37:37 | 古典~現代音楽ドイツ編
昨日は、鶴ヶ峰駅から和田町まで歩きました。
途中聴いたのは1941年生まれのゴルドマンの作品。
作曲家および指揮者として活躍した彼は、ドイツのケムニッツである。
ドレスデン聖十字架合唱団に入団していた1950年代に最初の作品を作曲し、
1950年代の終わりにはダルムシュタット夏季現代音楽講習会に参加し、
シュトックハウゼンの作曲セミナーを受けていたようである。
1960年代初めにはドレスデンの音楽大学の作曲科で、
ヨハネス・パウル・ティルマンに師事したようだ。
交響曲第1番は、1972年から1973年にかけて作曲されたようだ。

第一楽章アレグロ・エネルジーコは、金管楽器、打楽器中心に、
激しく始まり、ホルンの唸るような吹奏のあと、
弦楽器のピッチカートと打楽器の掛け合いが続く。
そのあと木管楽器と打楽器、金管楽器中心に、
激しい音楽が展開され、それはとてもリズミックである。
そのあとは弦楽器と木管楽器中心に神秘的な感じの音楽となり、
再び音がぶつかり合う激しくリズミックな音楽と交互に登場し、
演奏時間は短いものの凝縮された音楽である。
最後は弦のピッチカートとフルートによる神秘的な音楽のあと、
一気に音楽は金管楽器を中心に盛り上がって終わる。
第ニ楽章レントは、木管楽器と弦楽器中心に、
幻想的な音楽がゆったりとしたテンポで展開される。
まるで細胞が増殖するかのような弦楽器による怪しい音楽、
ホルンの吹奏のあと、怪しい感じの音楽と、金管楽器のトッティ、
おぼつかない感じの浮遊感のある旋律などが繰り返され、
さまざまな局面を見せながら変化していく。
細胞が増殖するかのような感じはさらに後半勢いをつけ、
クライマックスを迎えたあと、幻想的な中静かに終わる。
第三楽章ヴィーヴォは、金管楽器と打楽器により再び激しく始まる。
今までの楽章の要素が顔を出しながら、リズミックな音楽が展開される。
ピアノも打楽器的に使われ、とても音響的な作品であり、
うなる金管楽器の音、打楽器の刻む激しいリズム、
とはいえなぜか聴きにくい感じのしない作品である。
フルートの短いフレーズとともに、
金管楽器の短くささやくような吹奏のあと、
最後は打楽器の一撃であっけなく全曲を終わる。
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エルンスト・クシェネク(クルシェネク)の交響曲第3番作品16を聴きながら、西谷から二俣川まで歩く

2009-01-27 10:23:08 | 古典~現代音楽オーストリア編
昨日は、西谷駅から二俣川まで歩きました。
途中聴いたのは1900年生まれのクシェネクの作品。
彼はウィーンに生まれたチェコ系の作曲家である。
ウィーンで16歳の頃からシュレーカーに師事し、
ベルリン高等音楽学校(高等音楽院)に、
シュレーカーが赴任すると、その学校に入学した。
マーラーの娘アンナと結婚するが、1年足らずで破局した。
指揮者としても活躍した彼だが、ナチス政権が成立すると、
彼の作品は上演禁止となり、1938年にはアメリカ合衆国に渡り、
1945年アメリカ合衆国の市民権を獲得し、その後も教育活動に専念した。
作風は後期ロマン派から無調、新古典主義、12音技法、
ミュージック・セリエルへと変遷していったようだ。
交響曲第3番作品16は、1922年に作曲された作品のようだ。

第一楽章アンダンテ・ソスティヌート-アダージョ・デチーゾは、
小さくティンパニと弦楽器がリズムを波のように一定間隔で刻む中、
オーボエが息の長い旋律を奏で、クラリネットやファゴットも加わる。
その音楽は聴いていて何か荒涼としたものを感じさせる。
そのあと音楽は軽快な感じとなり、木管楽器が活躍し、
弦楽器が奏する旋律は風刺的で滑稽な感じでもあり、
ショスタコーヴィッチ風な音楽にも聴こえる。
でもブルックナー的、ブラームス的に聴こえることもあれば、
マーラー風に聴こえるところもあり、つかみどころのない。
後半は深刻で闘争的な音楽に聴こえるが、どことなくクールである。
最後にかけて盛り上がりをみせる中でも、
どこか風刺的なものを感じさせるようなところがある。
楽章の終わりは木管楽器と弦により静かに終わる。
第ニ楽章アダージョ・モルトは、重々しい感じでゆったりと始まる。
弦が揺れ動くような音を出しながら、木管楽器もそれに絡んでいく。
中間部に少し激しく速い音楽になり、金管楽器も加わる。
このあたりはマーラー風な後期ロマン派的な部分をもっているが、
盛り上がりをみせたところで曲は突然終わる。
第三楽章アレグレット・コモドは、フルートから始まり、
他の管楽器も加わり、軽快な感じで始まる楽章である。
舞踏的なところも感じさせる音楽が展開され、
中間部では第一楽章のティンパニの連打が登場する。
音楽は楽章の最初の部分の舞踏的な音楽が再び現れ、
金管楽器が加わり情熱的になり、盛り上がりを見せる。
そして第一楽章冒頭の弦のリズムが強く奏されると、
第一楽章の主題も再現され、クライマックスを迎える。
その後は弦楽器と木管楽器により第一楽章冒頭の部分が奏され、
最後ティンパニが弱音で連打する中、静かに終わる。
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