一昨日・昨日はウォーキングを休みました。
今回でグスタフ・マーラー特集は終わりにします。
今回取り上げるのはグスタフ・マーラーの作品で、
1884年から作曲され未完成に終わった交響曲第10番嬰ヘ短調である。
レモ・マゼッティ版によるものである。
今回聴いたCDは、レナード・スラットキン指揮、
セントルイス交響楽団の演奏による。
第一楽章アダージョは、弦合奏によってゆったり始まる。
一般的なデリック・クック版と多くは変わらないが、
感傷的な旋律が盛り上がって行く時の、
ティンパニの音が不自然な感じがする。
第二楽章スケルツォ第1は、三部形式の楽章である。
その旋律を受け持つ楽器の扱いが、
マゼッティ版では不自然でしっくりくない。
第三楽章プルガトリオ(煉獄)は、軽快な短い楽章である。
迷いをあらわすかのようなおぼつかない旋律と、
おどろおどろしさを感じさせる音楽である。
第四楽章スケルツォ第2は、ワルツ風の音楽である。
ここでも旋律を受け持つ楽器の扱いが不自然な気がする。
第五楽章フィナーレは、大太鼓の強打の一音で始まる。
フルート・ソロによる旋律や弦楽器で奏される旋律は、
この世を惜しむような感傷的で美しい音楽である。
今回でグスタフ・マーラー特集は終わりにします。
今回取り上げるのはグスタフ・マーラーの作品で、
1884年から作曲され未完成に終わった交響曲第10番嬰ヘ短調である。
レモ・マゼッティ版によるものである。
今回聴いたCDは、レナード・スラットキン指揮、
セントルイス交響楽団の演奏による。
第一楽章アダージョは、弦合奏によってゆったり始まる。
一般的なデリック・クック版と多くは変わらないが、
感傷的な旋律が盛り上がって行く時の、
ティンパニの音が不自然な感じがする。
第二楽章スケルツォ第1は、三部形式の楽章である。
その旋律を受け持つ楽器の扱いが、
マゼッティ版では不自然でしっくりくない。
第三楽章プルガトリオ(煉獄)は、軽快な短い楽章である。
迷いをあらわすかのようなおぼつかない旋律と、
おどろおどろしさを感じさせる音楽である。
第四楽章スケルツォ第2は、ワルツ風の音楽である。
ここでも旋律を受け持つ楽器の扱いが不自然な気がする。
第五楽章フィナーレは、大太鼓の強打の一音で始まる。
フルート・ソロによる旋律や弦楽器で奏される旋律は、
この世を惜しむような感傷的で美しい音楽である。